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日本語力を伸ばそう

2月16日(木)

Kさんは今学期から受験講座の理科を始めた学生です。まだ初級ですから、こちらも話し方に気を使います。Kさんのレベルのクラスに入ったつもりで、理科の授業をしています。そうはいっても、トリプシンとか競争的阻害とか、専門用語はどうしようもありません。そんな言葉を使って現象や概念などを説明するときには、言葉につられて難しい言い回しにならないように気をつけています。

国で勉強してきたこととも合わせて、Kさんは私の話を理解しているようです。確認の質問をすると、理解できているリアクションを示します。しかし、考えを口で説明しろと言うと、とたんに困った顔になってしまいます。もう少し上のレベルにならないと難しいようですが、口頭試問のある大学が増えていますから、一刻も早くそのレベルになってもらいたいです。

さらに、EJUの過去問をやらせると、問題文の読み取りができないがために、問題が解けなかったり、解けてもとても時間がかかったりしているというのが現状です。私がかみ砕いて説明すると、ああわかったという表情になります。こちらはあと4か月でどうにかしないと、EJUで点が取れませんから、来年4月に進学に差し支えます。

Kさんのいいところは、次の授業で何をするかを聞いて、国で勉強した教科書などで予習してくるところです。だから、教科書の図を見るだけで理解が進むこともありますし、専門用語も国の言葉との対応がつけば頭に入ります。日本語の力が伸びれば、理科の成績も上がっていくのではないかと期待しています。

アセトアルデヒド、ジエチルエーテル…

2月7日(火)

受験講座化学は、今日から有機化学です。学生たちが最も苦手とする分野です。苦手の原因は、カタカナで表される物質名です。有機化学の理論そのものは国で勉強していますが、物質名は根本的に違います。中国の学生は漢字で覚えてきたし、韓国の学生はハングル表記しか知りません。しかも、有機化学は登場する物質がやたらと多いです。“cyclo”を“シクロ”と読むなど、日本流の英単語の読み方も相まって、エチレン、トルエン…などに学生たちはみんな泣かされます。

EJUの有機化学の問題では英語名が併記されますから、カタカナ語を捨てて英語名で覚えてしまうのも手です。でも、学生たちはそこまでの度胸は持ち合わせていないようで、ぶつくさ言いながらもベンゼン、アセトン…などと一つ一つ覚えていきます。6月のEJUまでに覚えればいいのですが、物質名だけでなく、その性質や周辺の物質との関連なども頭に入れていかなければなりませんから、案外時間がないものです。

現在合格を重ねているWさんやYさん、Zさんなども、1年前は同じように苦しんでいました。それでも何とか食らい付いてきましたから、そのときから温めてきた本命校に挑戦するまでに実力を伸ばしてきました。この時点で粘りきれなかったSさんやLさんは、1年前には思いもよらなかった大学への挑戦を強いられています。

日本での進学は思ったよりも難しかったと感想を述べる学生が、毎年何名かいます。国での競争から逃げてきて楽をしようったって、そうは問屋が卸しません。自分の可能性を切り開くなら、それ相応の苦難が伴うものです。今日の学生たちも、そういう意味で大いに苦しんでもらいたいです。

種まき

1月31日(火)

私にとっての1月期は、3月に進学する学生たちへの最終の進学指導と、次の年の進学を目指す学生たちの基礎の勉強を並行して進める時期です。

まず、授業後、Wさんの面接に関する相談。Wさんはもうすでに何校かに受かっていますから、面接そのものについての相談ではなく、志望理由をどのようにまとめると試験官へのインパクトがより強くなるかという話でした。Wさんが考えてきたストーリーだと回りくどくて焦点がぼやけていましたから、内容をばっさり削ってすっきりさせました。

次はLさん。こちらはまだどこにも受かっていませんから、何とか次の大学に受かってもらわなければなりません。Lさんは話が局地戦になりがちで、受け答えから大学での学問という大きな流れが見えてきません。抽象的な話ばかりする学生も困りますが、Lさんは自分が将来作る店の細かな間取りの話をとうとうと始めてしまいました。「大学で学んだことを将来どう生かすんですか」と聞くと、とたんに口をつぐんでしまいます。受験日までもう少しありますから、考えるヒントを与えて、自分なりの答えを見出してもらうことにしました。

その次は先学期から受験講座に参加している学生たちの授業。半分ぐらいの内容が終わりましたから、まとめのテストをしました。本番並みの広い範囲のテストは初めてだったこともあり、みんな苦戦していました。それでも、答え合わせで次々と質問が出てきましたから、私は手応えを感じることができました。

最後は今学期から勉強を始めた学生への受験講座。こちらはまだカタカナの専門用語が定着していません。でも、科学的なカンのよさがありますから、私は密かに期待しています。理系科目はどうにかなるとして、EJUの日本語をどこまで伸ばせるかが鍵です。

Wさんは、1年前にまいた種が大輪の花を咲かせた例です。今勉強している学生たちも、1年後にそうなっていることを祈っています。

甘くないぞ

1月30日(月)

去年の卒業生でJ大学法学部に進学したHさんがフラッと訪ねてきてくれました。単位は順調に取れているようですが、J大学の中では法学部が一番成績評価が厳しく、GPAはどうしても低めに出てしまうそうです。法学部といえばJ大学の看板学部ですから、しょうがないですね。でも、そのため、GPAで勝負が決まる奨学金などでは不利な立場になってしまうと嘆いていました。そうは言いながらも、そんな厳しい世界を自分なりにしっかりした足取りで歩んでいるんだという、自信のようなものが表情にあふれていました。

Hさんはよくfacebookに写真やら近況やらを載せていますから、大学での勉強は大変だと感じつつも学生生活を楽しんでいることは知っていました。実際に顔を見て話を聞いて、本当にリア充のキャンパスライフを送っているんだなと思いました。どうやら順調に滑り出したようですから、心に太い柱が一本通っているHさんなら、このまま学業に励み続けてくれるんじゃないでしょうか。

しかし、J大学にも勉強の意欲を喪失してしまったような学生もいるそうです。日本人の学生なら、たとえ退学してもどこかに居場所はありますが、留学生はそうはいきません。次の居場所を確保するまでは、いやでもその大学にい続けなければなりません。J大学ともなると、名前にあこがれて入ったはいいけれど…という留学生がいても不思議ではありません。残念ながら、KCPにもそうなりかねない学生がいます。大学の名前につられて自分のやりたいことはどこかに置き忘れてしまっている学生です。

Hさんは、1年間大学生活を送った先輩として、KCPの学生に戒めの言葉を残してくれました。進学してからの勉強は、真に自分の人生を決めるものです。いい加減な気持ちで進学先を決めてほしくないし、生半可な心構えで進学先での学問に臨んでほしくもありません。

大きな目で

12月19日(月)

超級クラスの読解は、留学生向けのテキストでは易し過ぎるので、今学期は日本人の高校生向け問題集を教科書として使ってきました。これは、やはり、よくできる学生にとっても難しかったらしく、漢字の読み書き以外は選択問題であっても苦戦していました。

学生たちは、本文中の設問部の直前直後に答えがあるものは比較的よく答えられますが、ちょっと離れたところから答えを見つけなければならない問題には非常に苦労しています。要するに、文章を読んではいますが、頭の中にはその文章のごく狭い範囲しか入っていないのです。前の段落との関係なら見えますが、前の前の段落ともなると、あっぷあっぷの状態です。

「この言葉と1ページ後のこの言葉とが対応していて…」というような解説をすると、学生たちが不思議そうな目をすることがよくあります。傍線部があると学生はすぐそばから答えを探し出そうとしますが、実は結論に近い部分まで読み進まないと答えが見つからないことがよくあります。それゆえ、選択肢を読んでも目が点になっていることもしばしばです。

また、該当箇所を抜き出せという問題は何とか答えにたどり着きますが、それを要約したり言い換えたりしなければならないとなると、とたんに手も足も出なくなります。字数制限を無視して長々と本文を抜き出すような答えが目立ちます。字数制限がなくても、概して長ったらしい答えになりがちです。国によっては、筆答問題では答えがなければ長いほど高く評価されるとのことですが、日本は決してそんなことはありません。むしろ、簡潔さこそが高い評価を得ることが多いです。

3か月間悪戦苦闘しましたが、果たしてどれだけ力を付けてくれたでしょうか。国立大学を始め、これからこの手の読解と向き合わなければならない入試が控えています。その場でここで鍛えた力を存分に発揮してもらいたいと思っています。

自分を見極める

12月8日(金)

受験講座のあと、Dさんが思いつめたような表情で私のところへ来ました。物理の基礎的な問題集を紹介してくれとのことでした。手ごろな問題集を紹介してあげると、「先生、私の頭は理科系ですか」と更なる質問。要するに、始まったばかりの物理の受験講座が難しく感じられ、自分の進路はこのままでいいのだろうかと、不安に駆られているのです。

Dさんは11月のEJUを受けました。結果はまだ出ていませんが、手応えはあまりよくなかったようです。たとえ本当に結果がよくなくても、今回は中級で受けていますから、上級で受けることになる来年6月のEJUは、伸びが期待できます。しかし、その次の来年11月は、6月よりよくなる保証はありません。今までの学生たちの実績から考えて、大きな上積みは望めないでしょう。つまり、6月までにどこまで実力が伸ばせるかが勝負です。

そう考えた時、Dさんが理系の頭脳を持っているかどうかは非常に大きな問題です。理系的なカンが働かない学生は、いくら勉強しても平均点ちょっと上くらいで頭打ちになります。残酷な話ですが、今まで理系に挑んだ学生たちの成績が、それを雄弁に物語っています。

Dさんは謙虚な人だと思います。Tさん、Sさん、Kさん、…自分の実力を過大評価して沈んでいった学生たちは、こちらがどんなに口を酸っぱくして注意しようが、基礎から勉強しなおそうとせず、やたら難しい問題ばかりやって、答を見ただけでわかったつもりになっていました。基礎部分を補強してから前進しようとしているDさんは、Tさんたちの成績は上回るでしょう。でも、理系の頭を持っていなかったら、その上は厳しいかもしれません。

Dさんは自分に足りないものを見極める目を持っています。そしてそれを補うために自分で動こうとする行動力も持ち合わせています。この2つがあれば、どんな道に進もうとも、きっと生き抜いていけると信じています。

式と文

11月28日(月)

理系の学生の大学独自試験対策として、理科の筆記問題のクラスを始めました。EJUの選択肢の問題とは違った力が必要になりますから、短期間ではありますが、国立大学などを目指す学生のために始めました。

物理は、答案の書き方の指導が中心です。単に式の羅列に終始するのではなく、どういう発想でその式を導き出したのか、どういう理論・法則に基づいて式を立てたのかを明示しなければなりません。学生たちはここができません。先学期の受験講座でも扱ったのですが、指導が不徹底だったので、今回は厳しく指導していくつもりです。学生たちからは、ここまで書かないとだめなのかという声が挙がりましたが、式を並べただけでは減点されても文句は言えないと答えると、おとなしく私の板書を写していました。

私が大学受験するころは、式を立てるときにはどういう文字をどういう意味で使うのかきちんと断らなければならないとか、公式の名前は必ず書けとか、うるさく指導されました。でも、そのおかげで自分の考えを答案の形に表現することができるようになりましたし、それは、今、学生たちに問題の解き方を説明する時に非常に役立っています。物理を語る言語は数学であるとはよく言われますが、コミュニケーションツールは答案だとも言えるのではないでしょうか。

生物は文章で答える問題を中心に扱いました。EJUの問題と一番大きく違うのが、こういう問題です。グラフや実験結果の解釈を言葉で表現させる問題は、どこで出されるかわかりません。留学生には完璧な日本語は要求されないでしょうが、キーワードが含まれていなかったら、筆記問題の答えとしては致命的です。

EJUの理科は、問題自体は優れたものが多いと思いますが、それが選択肢問題になっているために「?」月になってしまっているきらいがあります。大学独自試験における筆答方式の問題は、その欠点を補うものであるのと同時に、学生に大学に入ってから必要な発想を求めるものだとも思います。ですから、EJUが終わったら、学生にはこちらに力を入れてもらいたいと思っています。

ざる

11月10日(木)

今朝、新聞を取りにマンションの玄関にある郵便受けまで行ったら、思わずブルッと来ました。外は風が強そうでした。東京は昨日木枯らし1号が吹きましたから、そろそろコートとマフラーを出さなきゃと思っていました。新聞を取って部屋に戻ると、すぐにクローゼットからコートを引っ張り出し、衣装ケースからマフラーを取り出しました。

コートにマフラーといういでたちで駅まで早足で歩いても、全く暑苦しさはありませんでした。ただ、マフラーに残っていた防虫剤がどんどん首に突き刺さり、ちくちくしてたまりませんでした。ですから、マフラーは駅に着いたらすぐ取ってしまいました。ゆうべのうちに出しておけばよかったと思いました。でも、天気予報によると、明日は寒いそうですが、週末は小春日和のようです。

日曜日はEJUです。お天気はいいみたいです。学生たちは追い込みに余念がありませんが、あと3日という段階に及んだら、あれこれお店を広げるよりも、今までやった問題で間違えたところをきっちり復習して、同じタイプの問題で再び間違いを犯さないようにすることのほうが重要です。

受験生はとかく新しいことを覚えて点数を増やそうとします。でも、そうしてもいいのは試験の半月前まででしょう。その後は、引っかかった問題をきちんと分析して、次に同系統の問題が出たら確実に点が取れるようにしておくことのほうが、いい結果につながると思います。失点を減らすこともまた、好成績への道です。80点を90点にするには、20点の失点を半分の10点にしなければならないのです。

しかし、留学生は日本人の高校生に比べて、失点を減らすという考えが薄いように感じます。アドベンチャー精神に富んでいるからこそ留学したのでしょうから、失点を減らすよりも新たな分野を開拓して点数を増やそうと考えるのかもしれません。それでも、失点を防がないと、ざるで水を汲むようなものだと思うのですが…。

暗記で終わらせずに

11月7日(月)

EJUまで1週間を切り、学生たちは追い込みにかかっています。理系志望のCさんも、この1年間の集大成とばかりに、問題を解いたりそれに必要な知識を確認したりしています。ところが、気になることが1つあります。Cさんは公式を覚えることに力を注ぎすぎている点です。どうしてその公式が出てきたかよりも、その公式を丸覚えすることに命をかけているきらいがあります。

確かに、公式を覚えれば、そして正しく使えれば、物理などは問題が早く解けます。しかし、その公式がどういう背景でどういう道筋で導き出されたかを知らなければ、物理を真に理解したことになりません。また、テストでは点が取れて進学もできるかもしれませんが、進学後に大いに苦労することでしょう。苦労するくらいならまだしも、考えることを強く要求される大学の授業についていけなくなるおそれもあります。

公式を覚え、それを使って問題を解くことは、極端なことを言えば反射神経の世界です。しかし、科学の研究は実験と考察の積み重ね、それを論理的にまとめ上げる作業です。新たな公式を生み出す仕事かもしれません。これは、反射神経とは対極にある世界です。ひらめきは必要ですが、それは暗記した公式からは得られません。

そうはいっても、この期に及んで「この公式の裏側にはこんな理論があって…」などと悠長なことはやっていられません。Cさんに公式の暗記をさせてしまった一因は、これまで理科を見てきた私にあります。忸怩たる思いでCさんの公式暗記を黙認するほかありません。

公式とは先人の研究がもたらした珠玉の一滴です。それを暗記という短期記憶にとどめるのではなく、それにまつわる諸々のことどもを知り、長期記憶として頭に刻み込み、それを土台に新しい科学を切り開いていってもらいたいです。これこそが、科学の発展に貢献することなのです。

整理整頓

10月26日(水)

「先生、ちょっとお時間、いいですか」「うん」「この問題、教えてほしいんですけど…」と、GさんがEJUの理科の問題を持って来ました。Gさんが持ってきた問題用紙には、Gさんの字で計算式が書き散らされていました。Gさんが問題文に引っ張ったアンダーラインやキーワードを囲んだ〇や□も入り乱れていますから、問題文を読むだけでも一苦労です。

私が問題文を読むそばで、Gさんが自分の考えを披瀝します。自分なりの考えを伝えようとする点は評価できますが、そのときに、すでに字やら記号やらがあふれている問題用紙に、さらに何か書こうとするのです。こうなると問題用紙は混沌そのもので、Gさんでさえ何がなにやらわからなくなっています。

私もGさんがどこでつまずいているのかわかりませんから、新しい白い紙を渡して、そこに式や図を描くように言いました。すると、「あ、そうか。ここで2倍するのを忘れたんだ」と、Gさんは自分の間違いに気がつきました。

だから、式をきちんとわかりやすく書き直せばいいのに、次の問題に取り掛かるや否や、Gさんは私が渡した新しい紙もあっという間に混沌の渦の中に巻き込んでしまいました。そして、考えの筋道が本人にもわからなくなり、自滅へと突き進んでいきました。

「こんなことしていたんじゃダメだ。ノートにきちんと式を丁寧に書いて、それでもわからなかったら、私のところへ聞きに来い。こんな問題の解き方をしてたんじゃ、EJUで絶対いい点数は取れない」と言って、Gさんの質問を打ち切りました。「でも、先生、EJUのときは式を書く場所がありません」「ある。なかったら自分で作れ」というやり取りの末、Gさんを追い返しました。

自分の間違いに気付くことができるのですから、Gさんは理科系のセンスがない学生ではありません。でも、問題用紙に無計画に式を書き殴って、読解不能に陥っているようじゃ、そのすばらしいセンスも宝の持ち腐れです。式をわかりやすく書くだけで、間違いは半分どころかそのまた半分ぐらいになるでしょう。それができなかったら、いや、そんなことすらできなかったら、理系の勉強をする資格がないと思います。実験記録もまともに残せないでしょうし、データ整理も満足にできないでしょう。

Gさんは、いつ再質問に来るでしょうか…。