Category Archives: 勉強

ずるいですか

10月25日(火)

私がこの学校で教えている理科は、「受験」講座ですから、純粋な理科だけではなく、時には受験のテクニックも教えます。EJU対策として、マークシート方式の特性を利用したずるい解き方を教えることもあります。

このずるい解き方の説明となると俄然目を輝かせるのがCさんです。ずるい解き方を覚えて、お手軽に点数を稼ごうという魂胆なのですが、なかなかそういうわけにはいきません。

確かに、ずるい解き方を使えば、まじめに考えて計算するより早く答えにたどり着きます。しかし、ずるい解き方は万能ではなく、その問題に使えるかどうかの見極めが必要です。つまり、しっかりした基礎があって、問題の本質をつかむだけの実力を持っている人だけが、ずるい解き方を使うことができるのです。

学問に王道なしというとおり、EJUの本番で楽をしようと思ったら、その前に血のにじむような努力が必要なのです。Cさんのように、おいしい果実だけ盗み取ろうとしても、そうは問屋が卸しません。

私がある程度の実力を持ったが学生にずるい解き方を教えるのは、ずるい解き方の根底に物理や化学や生物の真髄が隠されているからです。正攻法とは違った角度から問題となっている現象を見ることで、今まで気づかなかったその現象の一面が浮かび上がってくることがあります。それを学生たちに感じ取ってもらいたいのです。そして、それを感じ取ることで、勉強した項目の意外なつながりを発見することもあります。

実力がある臨界点を超えると、このずるい解き方を自在に活用できるようになり、さらに点数が伸びていきます。強い人がより強くなるのです。お金持ちのところにお金がさらに集まるのと似ていなくもありません。Cさんは臨界点まであと一歩のところまで来ています。3週間を切った本番までに、超えられるでしょうか。

メタンを乗り越えて

10月18日(火)

世界中には数千かそれ以上の言語があると言われています。しかし、その中で、その言語だけで高等教育までできるのは、ほんの一握りにも満たないとも言われています。日本語はその稀有な言語の一つだとされており、日本人は、それを意識することなく、その恩恵をこうむっています。

だから、留学生も日本語を勉強しさえすれば日本で高等養育が受けられるかといえば、残念ながらそうでもありません。入試科目に英語を課するところが増えてきていることもそうですが、留学生にとってはカタカナ言葉は日本語でも英語でも他の言語でもない、何とも扱いにくい存在のようです。

私が受験講座で扱っている理科の場合、まず、化学に出てくる物質名が厄介の元です。メタン、トルエン、マレイン酸などなど、わけても有機化学は英語の発音とも全然違う、不思議な名前のオンパレードです。化学は理系志望の学生のほぼ全員が受けるだけに、被害は広範に及びます。生物もカルビン・ベンソン回路、ランゲルハンス島など、随所にカタカナの用語があふれていますが、受験生が少ないことと、その受験生が生物に強い学生が多いので、化学ほど甚大な被害はありません。物理は図や式で勝負できますから、被害は比較的軽微です。

有機化学の授業を受けたCさんは、冗談めかして死にたいと言っていました。理科のカンが鋭いだけに、カタカナ語のおかげでそのカンを働かせられないもどかしさを人一倍感じているのでしょう。同情はしてあげられますが、私にできるのはそこまでです。メタンがCH4であることは、自分で覚えるしかないのです。死にたいではなく、死ぬ気で頑張らなければ、日本留学の道は開けてきません。

わかる、わからない

10月17日(月)

Wさんは理科系の学生です。午後、物理の問題がわからないと、私のところへ聞きに来ました。問題を見ただけでどこでつまずいたか見当がつきましたが、一応本人にわからないところを説明させました。ところが、この日本語がさっぱりわからないんですねえ。最終的には、私が見当をつけたところがわからないとわかったのですが、そこに至るまでに、Wさんも私もずいぶん苦労しました。

わからないところがわかってから、そのわからないところがわかるように説明しましたが、わかるように説明したつもりでも、なかなかわかってくれませんでした。Wさんはそんなに物分りの悪い学生ではありません。では、なぜなかなかわからなかったのかといえば、私が思うに、わからないことに焦りを感じて、1秒でも早くわかろうとして、かえってわからなくなってしまったのです。私がちょっと説明すると、わかったということを示したいのか、すぐ式を書いたり図を描いたりしました。でもその式は私の言わんとしたことと違っていましたし、図は的を射ていませんでした。

Wさんがわかったという顔をすると、ホッとするのと同時に、じっくり話を聞いてくれれば半分か三分の一の時間で済んだのにという気持ちが交錯していました。EJUまで4週間を切り、焦るなと言うほうが無理かもしれませんが、こんな調子じゃ実力の伸ばしようがないじゃないかと思いました。急いてはことを仕損じるという言葉通り、こういうときこそじっくり腰を据えて、落ち着いて問題文を読む、考える、人の話を聞くということが、何より重要なのです。

どの面下げて

10月14日(金)

Iさんは学期が始まったばかりなのに、家族が来日するからということで、来週いっぱい欠席するとメールで連絡してきました。無断欠席よりはましですが、1週間以上も授業に出ないと、せっかく進級したレベルの勉強についていけなくなるおそれがあります。この間に平常テストが3つありますから、今学期全体の成績にも影響が出かねません。こういうことを書いて返信メールを送ったのですが、これに対する返事はなく、Iさんは粛々と休み始めました。

Iさんのご家族も、何でわざわざ学期が始まって3日目なんていう日に来日したのでしょう。KCPの学期休みに合わせることはできなかったのでしょうか。自分の子どもの勉強を邪魔しているという意識がないのでしょうか。極端なことをいうと、通訳代わりとして家族と一緒に観光地を歩いていたIさんが、在留カードの提示を求められ、そこに記された「留学」という文字から、ビザの発給目的に反する行為をしているとして捕まっても、文句は言えません。授業時間中にアルバイトしているのと、本質的には変わるところがありませんから。

Iさんの例に限らず、歯医者の予約を入れたとか、インターネットの工事があるとか、そんなの授業時間外にまわせるだろうという理由で欠席する学生が後を絶ちません。人間は楽なほうへと流されていくものですから、そうやって気安く休むと、休み癖がつきます。無為に過ごすことへの罪悪感も薄れてきます。負のスパイラルにはまり込んで、有意義な留学からどんどん遠ざかっていきます。

Iさんは、私が何を言っても予定通り休み続けるでしょう。再来週の月曜日に久しぶりに学校へ出てきたとき、どんな顔をするでしょうか。

期待と夢と

10月12日(水)

新学期の初日は、教科書販売があります。私が担当した超級クラスでも、高いとか何とか言いながら、結局全員買いました。そして、ふだんより少々神妙な顔つきで、名前を書き込んでいました。新しい教科書を手にすると、未知の世界に飛び込むわくわく感が沸いてくるのでしょう。

私も小学校から大学まで、新しい教科書のインクの匂いをかぐと、気持ちが高揚したものです。時にはその教科書は苦難の道への案内書だったりもしたのですが、初めて教科書を開くときは、その教科書をマスターすれば万能の力を手に入れられるような、今思うと実に前向きな勘違いをしていました。

学生たちも新しい教科書にそんな期待をかけているのでしょう。学生は教科書に夢を映して一生懸命勉強すればいいのですが、教師としては、その教科書を使って、学生たちが寄せた期待や描いた夢を実現させていかなければなりません。教科書の字面を2倍にも3倍にも膨らませて、学生たちが想像も及ばなかった景色を眺めさせることが、私たち教師に課せられた責務です。

ところが、前学期の成績が思わしくなく、今学期も同じ教科書で勉強しなければならない学生もいます。その中には、やる気を失ってしまう学生も少なくありません。一度勉強して書き込みのある教科書には、確かに新鮮味はありません。でも、その教科書に見えていなかったところがたくさんあるから、合格点が取れなかったのです。「また同じ勉強だ」ではなく、一回目には見落としたり聞き落としたりしていた点をしっかり自分のものにするんだという気持ちで教科書に接すれば、きっと新たな発見があり、それが高揚感をもたらしてくれます。

幸い、私のクラスは、全員新しい教科書でした。早速、その教科書を使って授業をしました。今までにない刺激を感じたのか、活発な授業になりました。この勢いを期末テストの日まで持続していきたいです。

問題集

10月11日(火)

明日から新学期が始まりますが、毎年10月期ともなると頭を痛めるのが、超級クラスの教材です。留学生向けの教材では歯ごたえがなさ過ぎ、かといって毎日生教材を用意するのでは、教師のほうが身が持ちません。今学期は、日本人の高校生向けの市販問題集を読解の教科書にすることにしました。

独自試験を課する大学の試験問題は、日本人の高校生向けの問題よりはいくらか易しいものの、留学生向けに書かれた文章はもちろんのこと、EJUクラスの文章よりも読むのに骨が折れます。どこで骨が折れるかというと、まず、十数年日本で暮らしていれば知っていて当然だけれども、日本語に触れ始めてから数年にも満たない外国人にとっては理解が難しい内容が取り上げられることがある点です。

例えば、今の高校生は、渥美清が亡くなってから生まれていますから、フーテンの寅さんは生では知りません。しかし、彼らが持っている寅さんに関する情報量は、一般の留学生に比べればはるかに多いはずです。「日本文化が好きです」と言っても、日本文化のいいとこ取りをしてきた留学生と、それにどっぷり漬かってきた日本人とは、おのずと受け取り方が違います。外国人から見た日本観が日本人にとって新鮮なように、日本人がごく当たり前に書いた文章も、留学生にとっては不思議というか時には意味不明なことさえあります。

そういうギャップを埋めるためにも、高校生向けの易しめの問題集は超級の学生にもってこいなのです。単に読解のテクニックを磨くだけではどうしようもない谷間に橋をかけ、学生たちを向こう岸に渡そうと考えています。思惑通りにうまく事が運ぶか、私たちの腕の見せ所です。

入学式挨拶

皆さん、ご入学おめでとうございます。このように、世界の国々から多くの若者が、このKCPに集ってきてくださったことをとてもうれしく思います。

今年は、NHKの大河ドラマ「真田丸」が人気を集めています。主人公の真田信繁は、真田幸村という名で世にすでに知られた人物でしたが、その父親・真田昌幸にもスポットライトを当てていることが、このドラマの特徴だと思います。

ドラマの中での昌幸は、戦国時代を生き抜く策士として描かれています。昌幸の領国は小国でしたが、昌幸は周囲の大国からの侵略を防ぎ、逆に大国から一目置かれる確固たる地位を築き上げました。自分の領地を一族を家族を守るためにあらん限りの知恵を振り絞り、置かれた状況において考えうる最善の手を選び、そして、万難を排してそれを実行に移そうとしました。もちろん、いつも事がうまく運んだとは限りません。選んだ手が裏目に出たこともあれば、動きすぎて失敗を招いたこともあります。それでも、決してあきらめることなく、失敗を取り戻す手立てを考え、また動き出しました。真田信繁が、大坂夏の陣で寡兵をもって徳川家康をあわやというところまで追い込み、現代にまで名を残しているのは、この父親の生き様をつぶさに観察し、大いに学んできたからに相違ありません。

私が、今ここにいらっしゃる皆さんに望みたいのは、真田昌幸のこの生き方です。昌幸のように自ら動いてチャンスを作っていく気持ちがなければ、留学は成功しません。人に言われて何かをするのではなく、主体的に動くのです。状況に応じて最善策を考え、それを実行するために、周囲の協力を得ていくことが肝要です。

ことに日本での進学を考えているのでしたら、10月入学生は、入学試験までの時間が4月入学生などに比べて短いですから、これがハンデになりかねません。自分で工夫し、周りを動かし、有利な状況へと持ち込まなければ、皆さんが国で思い描いてきたような留学生活は送れないでしょう。棚から牡丹餅を期待しているようでは、「こんなはずじゃなかった」という結末を迎えてしまいます。

この中には、親に言われたから日本へ来たという方もおいででしょう。そういう方も、流れに身を委ねるだけでは進歩も発展もありません。誰かが何かをしてくれるだろうという受身の姿勢では、「日本はおもしろかったです」が留学の唯一の成果ということになってしまいます。そうではなく、これから半世紀かそれ以上続く皆さんの人生の基礎を打ち立てるために、皆さん自身の頭脳を最大限に回転させ、必要とあれば私たち教職員に援助を求め、自分の手で有意義な留学をこしらえていってください。

本日は、ご入学、本当におめでとうございました。

お客さん

9月29日(木)

期末テストがありました。午後、試験監督に入った一番下のレベルのクラスに、とんでもない学生がいました。

Zさんは今学期の新入生で、3か月間勉強してきたはずなのですが、頭には何も残っていないようでした。助詞を入れる穴埋め問題は、明らかに何も考えずに適当に書いただけですし、質問に答える問題はまるっきり的外れな答えを書いているし、聴解は全く答える気がありませんでした。Zさんが聞き取れるスピード・内容ではないことは、問題の音声を2秒ぐらい聞いただけでわかりました。

漢字のテストにいたっては、名前を書いただけで提出して帰ろうとしましたから、身振りで全部やれと命じました。Zさんは「わかりません」と言って出そうとしますが、私は提出を認めず、すべての問題に答えを書くまでは提出させないということを、これまたジェスチャーで示しました。それまでのZさんの受験態度には腹に据えかねるものがありましたから、早く帰りたがるZさんに対し、制限時間いっぱいまで問題に向かわせました。

Zさんは、今学期の最初のころからずっと何もわからずに期末テストを迎えたのだと思います。Zさんにしてみれば、やっと期末の日が来たといったところでしょう。でも、このわからなさ加減では、来学期もう一度同じ勉強をしても、わかるようになるとは思えません。あの分では、おそらく学期休み中は全く勉強しないでしょうから、来学期もまた、始業日から1週間か10日後には、お客さんになっているに違いありません。

それどころか、卒業までに進級できるかも覚束ないところです。資料を見ると、Zさんは日本で大学進学を考えているようですが、たとえ出席率が100%でも、よほど性根を入れ替えない限り、Zさんを拾ってくれる大学があるとは思えません。どういう背景で来日したかはわかりませんが、これからの苦労を考えると、日本へ来なかったほうがZさんには幸せだったような気がしてなりません。

半分ふてくされて漢字の答案用紙に答え(にはなっていない無意味な言葉)を殴り書きしているZさんを見ながら、いつ引導を渡したらいいだろうかと考えてしまいました。

変わりました

9月27日(火)

今日のクラスは、私にとって今日が今学期最後の授業です。1週間前と比べても進歩は感じられませんが、最初の授業のころを思い浮かべると、塵も積もれば山となるで、力の伸びを感じます。

例えば、音読は自然に近いアクセント・イントネーションでできるようになりました。7月あたりは、学生たちに読ませると、根本的なところから直さなければなりませんでした。しかし、今日は重箱の隅をつつくような修正で済みました。また、そういう私の指摘で、自分たちの発音のどこがいけないのかすぐに気づくようになり、そして自分で正しい方向に歩み出せるようになりました。

文法でも、「これは硬い表現ですか」なんていう、勘が働くようになりました。例文はまだまだのところもありますが、中にはクラスの様子を習った文型に上手に取り入れて、思わずニヤッとしてしまう例文も出てきます。学生たちの頭が日本語で回転し始めてきたようです。

今学期の新入生は、良くも悪くも、学校に慣れたようです。最初は気弱そうだったHさんは、いつの間にか堂々と発言しているのと同時に、これまた堂々と9時15分過ぎぐらいに入室するようになり、さすがに教室の隅っこでですが、居眠りするようにもなりました。Cさんは、入学学期の上では大先輩のAさんと授業中におしゃべりしています。Jさんは、今日案内したビジネス日本語能力試験に興味を示しています。本当に受けるかどうかはわかりませんが、学校の予復習以外にそういう勉強をする余裕が生まれたのだとしたら、喜ばしいことです。

次の学期も、教師が学期初めをしみじみ思うくらい力をつけてもらいたいです。でも、新入生には慣れすぎないでもらいたいですね。

実感

9月21日(水)

今学期、毎週水曜日は選択授業の「大学入試対策」を担当しました。いろいろな大学の独自試験の過去問を解かせて、その解説をするという内容です。来週は選択授業の期末テストですから、今日が実質的な最終回です。某上位校の過去問を取り上げましたが、こちらが設定した制限時間内に余裕で終わっている学生がほとんどでした。7月の初回は、これより易しい問題でも制限時間内では終わらなかったのですから、着実に力をつけてきたと言えるでしょう。

でも、中級や上級の学生たちが自分自身で「力が付いた」と実感するのは難しいです。初級なら、昨日までできなかったことが今日はできるようになったという経験がいくらでもできます。ところが中級以上になると、長い目で見ないと実力が伸びたことがわからないものです。そうなると、倦怠期みたいな感じになって、やる気を失う学生もよく現れます。そして、自分の目標も見失ってしまうこともしばしばです。

EJUの点数が上がったとか、JLPTで1つ上のレベルに受かったとか、数字のように目で見える形で成果が現れると勉強した甲斐があったと思えるでしょう。しかし、どちらのテストも半年に1回ですから、そこ至るまでにどうにかして実力の伸びを実感させたいものです。ですから、教師はあれこれ手を使って、学生にその実感を持たせようとします。

今日の私も、初回に比べたら問題を解くスピードが上がった分だけ実力がついたと思うと、すぐにフィードバックしました。すると、学生たちの顔がさっと輝きました。でも、同時に、「これで正解数が多ければね」と釘を刺すのも忘れませんでした。