亡霊

8月28日(火)

夕方、受験講座が終わって職員室に下りてくると、私のクラスのWさんがK先生と大学院の出願書類について相談していました。「先生、Wさんは授業中大学院の書類を書くなんていうことはしていませんでしたよね」とK先生。「ええ、全然そんなこと、ありませんでしたよ」と私。Wさんが授業中に書類作成するなんて、ありえなかったのです。午前中のクラス授業は欠席していたのですから。

Dさんは美大の大学院を目指す学生です。授業後に面接をすると、作品には自信があるけれども、面接官に何か聞かれたら上手に答えられるかどうかはわからないと言います。入学以来のDさんの成績を見ると、聴解がずっと悪いです。聞き取れないから答えられない、だから「読む」に力を入れてきてそれに頼り切って、その結果が上述の不安なのです。入学から1年余り、「読む」だけでテストの成績を整え進級を続けてきましたが、苦手の克服を怠ってきたツケが出願直前にいたって、覆い隠すべくもなく露になったのです。

先学期までのDさんは自信過剰で、聞き取れなくても話せなくても自分には実力があると思い込んでいました。しかし、今学期、いざ出願するに及んで、自分の作品のすばらしさも語れない、だから面接官にそれを伝えようもなく、日本語教師ではない一般の日本人が話す言葉がさっぱりわからないというコミュニケーション力のなさに愕然としています。

Wさんだって、一歩間違えればDさんです。授業をサボってどんなに立派な書類を完成させても、いや、書類が立派なら立派なほど、面接官はWさんの話す言葉とのギャップに愕然とするでしょう。最悪の場合、書類は自分で作ったのではないと判定されてしまうかもしれません。

学生たちはロングスパンの物の見方ができません。だから、学生が目先の事柄に捕らわれすぎていたら遠くを見させるのも教師の重要な役目です。明日からも面接が続きますが、熱に浮かされている学生を目覚めさせるのに苦労する毎日となるのでしょう。

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