逆効果

5月1日(月)

昨日、家の前のショッピングモールにある靴屋の店先を通ると、2足で7000円以上の買い物をすると10%割引だと出ていました。私が旅行などで長距離を歩くときに履く靴(川越へも秩父へも履いて行きました)はめったにバーゲンになりませんから、チャンスと見て店に入りました。その靴の棚まで行き、そばにいた店員さんに聞きました。「同じ靴を2足でも割引になりますか」「はい、7000円以上でしたら10%引きになります」「じゃあ、この靴の26.0センチを2足ください」「はい、ありがとうございます。在庫をお調べします」。

店員さんはそう言って、商品のバーコードを読み取りました。「申し訳ございません。26.0センチは在庫がございません。25.5センチか26.5センチならあるのですが…」と、少し残念そうな顔つきで教えてくれました。まず、こいつ、本気で言ってるのかと、ちょっとムカつきました。私が買おうとした靴は、長距離を歩くためのウォーキングシューズです。サイズが違ったら靴擦れができかねません。そんなことぐらい、靴屋の店員なら常識だと思うのですが。

「じゃあ、結構です」と断って立ち去ろうとする私に、「そうですか。大丈夫ですか」とその店員。「大丈夫なわけないでしょう。欲しい靴がなかったんですから」と怒鳴りつけてやろうかと思いましたが、大人げないのでやめました。もちろん、店員の言いたいことはわかりますよ。「お買いにならなくても大丈夫ですか」「代わりの靴をお探ししなくても大丈夫ですか」というあたりでしょう。

でも、なかなか安くならない靴が安く手に入るかと思ったらそううまくいかなくてがっかりしていた私は、心理的には全く“大丈夫”ではありませんでした。そんなところに無神経に「大丈夫ですか」と声を掛けられたのですから、その前段階でサイズ違いならあると言われたことも相まって、怒り狂いたくなったのです。

私は以前から安易に使われる「大丈夫」に批判的な目を持っていましたが、これほどムカッと来たことはありませんでした。店員が「そうですか。申し訳ございません」「代わりの靴をお探ししましょうか」「こちらの靴も歩きやすさにかけては引けを取りませんよ」ぐらい言ってくれたら、ごく普通に店を出られたんですがね。

連休は、秩父にも履いて行った靴で、関西を歩き回ります。

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