実力差

2月22日(金)

先週、今週と、受験講座の物理は6か月以上勉強してきた学生のクラスと今学期から勉強を始めた学生のクラスとが、同じ項目を勉強しています。前者は中級以上で後者は初級が主力、前者にとっては復習に当たる内容ですから当たり前のことですが、こちらの言葉のしみ込み具合が全然違います。

6か月以上組は自分がどこでつまずいたかすぐわかり、私に質問することで解決しようとします。私がさらに噛み砕いた解説をすれば、どうにか理解レベルに到達します。初級主力組は、つまずきそうなところでこちらから確認を取らないと、わからないこともそのまま通過してしまいます。表情やしぐさなどからわからないというサインを見逃さないようにしていかなければなりませんから、疲れることはなはだしいです。

でも、6か月以上組も最初はそうでした。日本語力が不十分な時期に日本語で物理や化学の高度な内容の話を聞くのは、相当に厳しかったに違いありません。しかし、日本語力が付くにつれて理解が早まりかつ深まり、加速度的に理科の実力も伸びていきました。この苦しい時期を乗り切れるかどうかに、日本での進学が当初の希望通りになるかどうかがかかっています。

6か月以上組のSさんは、25日の国立大学集中試験日に遠征します。東京から西に向かうのは初めてのようで、富士山が見えるかどうかを気にしていました。進行方向右側の窓側に陣取れば、晴れてさえいれば富士山は見えます。受験ですから、幸せの左富士の話もしました。見えたら合格疑いなしと、景気づけしておきました。

忍者大流行

2月21日(木)

「先生、忍者ですか」と、何人に聞かれたでしょうか。今回のバス旅行では、日光江戸村内でKCPの教職員のだれかが忍者となって5種類の江戸時代グッズのどれかを持って歩いているので、その教職員を見つけてシールをもらい、5種類コンプリートすると、記念品がもらえるという企画を実施しました。それで、学生たちは私も何か持っているのではないかと見て、忍者か聞いてきたというわけです。中にはあからさまに「先生、シールありますか」と聞いてくる学生もいましたから、そういう学生には「シールはないけど、ごみならあるよ」と、ポケットからくしゃくしゃに丸めたビニール袋を出すと、あわてて逃げていきました。

私が引率したクラスでは、Yさんが見事に5種類のシールを全て集めました。どんな賞品かは知りませんが、今学期で帰国するYさんにとっては、いい思い出になったのではないでしょうか。Yさんに限らず、卒業予定の学生たちは、KCPでの生活の名残を惜しむかのように、江戸村のアトラクションを楽しんだり屋台で買った串などを食べたりしていました。

今までになく人気を集めていたのが、手裏剣道場でした。その前を通るたびに誰かが出入りしていましたし、手裏剣を的に命中させてゲットした賞品を見せびらかしている学生もあちこちにいました。KCP忍者とかいってあおったからでしょうかね。

もちろん毎度おなじみの変身を楽しんだ学生もいました。和装をすると、普段顔を合わせている学生も見違えてしまいます。着付けが上手だからという面も見逃せませんがね。私も毎度おなじみの変身をしました。今年もお大尽様をさせていただきました。学生から「江戸村の役者さんみたいですね」と言われて、「KCPをやめたらここに就職しようかな」なんて、いい気になっている私がいました。

成長を感じる

2月20日(水)

選択授業の作文は、先週の中間テストのフィードバックをしました。全体的には思ったよりよく書けていましたが、もちろん間違いは山ほどありました。その間違いを乗り越えて学生たちの思いが伝わってきたということは、学生たちの筆力がけっこう高いということでしょうか…。

いつものように、各学生の文章から誤用を含む文を1つずつ選び、それを1枚のプリントにまとめ、学生に配って訂正させました。1人でクラス全員文を直していたら日が暮れても終わらないでしょうから、数人で数本の誤文訂正をしてもらいました。このやり方に慣れてきたのか、クラスも違うあまり話したことがない学生とも議論を交わすことができるようになっていました。

そして何より、話し合いの結果を発表してもらうと、ほとんどの文の間違いがきちんと訂正されていたのです。こちらの狙い通りの文法を使い、単語の誤用を改め、文意を明確にするために前後を入れ替えるなど、心の中では密かに驚いていました。三人寄れば文殊の知恵とはよく言ったものです。

でも、これを自分ひとりでできるようにならなければならないんですよね。授業で文章を書くときは誰の助けも借りられないのですから。こういうことを繰り返していけば、自分とは違った視点から文章を見る目が養われるのではないか、そうなると今まで犯していた間違いがなくなるのではないかと期待しています。今週は新しい課題に取り組みませんでしたが、来週は今学期前半とは違ったタイプの文章を書いてもらうつもりです。そのときに、この効果を遺憾なく発揮してもらうことを大いに期待しています。

前向きに

2月19日(火)

午前の授業を終えて職員室に戻ると、Bさんが私を待っていました。先週末K大学を受け、その試験問題でわからないところを聞きに来たのです。その問題は、先週まで取り組んでいた記号で答える問題ばかりの過去問とは違って、「〇〇字程度で答えなさい」という記述問題がいくつもあり、かなり傾向が変わっていました。去年までの問題も留学生にとっては荷が重いと思っていましたが、今年のは記述が加わった分だけ、さらに難度が上がりました。

そういった問題を、教科書や参考書を見ながら、Bさんと議論しながら解くというのは、私にとっても大いに勉強になります。最近の学問の傾向もつかめますし、EJU対策の受験講座では見過ごしがちになる部分にも目を向けさせられます。筆記問題も制限字数にぴったり合うようにまとめるとなると、知識の整理をしなければなりません。

1時間ぐらいBさんに付き合ったでしょうか。午後の授業の先生方が教室に向かったら、午前のクラスで欠席した学生への連絡です。ところが、最近の学生は留守番電話の設定をしていませんから、一向につながりません。スマホはラインのための道具だといわんばかりです。現に音声通話を全然していない学生が少なからずいます。ここまで来たら、もはや電「話」じゃありませんね。こういう後ろ向きの仕事をすると、なんとなく落ち込みます。

午後の受験講座から帰ってくると、T先生が2人の学生を引き連れてきました。学校の前のホテルの駐車場の脇の喫煙所に無断で入り、タバコを吸っていた学生たちです。学校の喫煙所以外ではタバコを吸ってはいけないといわれていたのに、どうしてわざわざ他人の敷地まで行ってタバコを吸ったのかと聞くと、喫煙所は煙いからだと言います。お前がその原因を作ってるんだろうと突っ込みを入れましたが、初級の学生には通じなかったようで…。

こちらは住居不法侵入ですから、立派過ぎるくらいの犯罪です。2人のうち1人は未成年ですから、罪を2つ犯したことになります。警察に通報されたら、一発で手が後ろに回ります。こういう学生を説教することが校長の仕事だと言われれば実にその通りですが、これまたあまり前向きの仕事ではありません。

悪い学生がいなければ、毎日1時間は早く帰れるでしょうね。悪い学生にむしり取られている時間をいい学生に振り向けられれば、優秀な学生をもっともっと伸ばせるんでしょうけどね。

比例

2月18日(月)

中間テストがありました。午前中は卒業クラスの試験監督をしました。今学期は私が入っていないクラスですが、大半が以前受け持っていたり選択授業のクラスにいたり受験講座を受けていたりということで、何がしかの接触がある学生でした。そりゃあ、2年近くいたらどこかで引っ掛かりがあるものですよ。

そういう彼らが、KCPで最後の試験に呻吟しています。ある学生にはここが踏ん張りどころだと心の中で応援し、別の学生にはいい気味だと冷たく見ていました。申し訳ないけど、授業態度が悪かったりそもそも欠席が多かったりする学生は、あんまり応援したくありませんね。えこひいきするわけではありませんが、ひたむきに努力を重ねている学生は、そっとおしりを押してあげたくなります。

さて、夕方から、その学生たちの採点をしました。おしりを押したくなった学生は、手心を加えるまでもなく合格点を取り、応援したくない学生は多少甘めに付けたところで不合格でした。教師の好みに合うとか合わないとかという以前に、授業をまじめに聞いていない学生は点が取れないのです。きっちり授業に参加してきた学生は、それなり以上の成績を収めるものです。

テストの採点と並行して、バス旅行の準備が進められています。明日はしおりを配って行程の説明をします。日光江戸村の中でいつ何を見るかも決めていかなければなりません。教師は行き帰りのバスの中で何をするかも決めておかねばなりません。バス旅行が終わったらすぐに卒業式です。あれこれ行事が重なって忙しいのが、毎年のこの時期です。

本当の答えは?

2月15日(金)

昨日の宿題の答え合わせをしました。

「Oさん、2番、空欄に答えを入れて読んでください」「君は宿題を忘れ(っぽい)なので、十分に注意してもらいたい」「はい、2番は『っぽい』でいいですか」「……」「じゃ、いいですね、次はPさん、3番、お願いします」

首をかしげているXさんやSさんの存在は無視して、最後の問題まで進みました。

「はい、ここまで、何か質問ありますか」「……」 XさんもSさんも声を上げません。Tさんがきょろきょろしながら、おそるおそる「先生、2番ですけど、忘れっぽいと忘れがちと忘れ気味は何が違いますか」と質問してきました。

違いを説明し終わると、ようやくXさんが「じゃあ、先生、2番は「がち」じゃないですか」と発言。「はい、その答えを待っていました。どうしてすぐに言わなかったんですか」

毎度おなじみ、消極的なクラスへのショック療法です。口を開けて待っているだけでは何も得られないことを示さなければなりません。教師と質疑応答できるくらいの日本語力は持っていてしかるべきレベルのクラスですから、なんでも無条件に教えるつもりはありません。それだと日本語に対するカンが養われません。頭で考えて話すのではなく、直感的に正しい日本語が出てくるようになってもらいたいのです。

来週の月曜日は中間テストです。卒業生にとっては卒業認定試験であり、KCPでの学生生活の締めくくりの試験です。最後にいい加減な成績を残すことのないようにしてもらいたいです。また、4月以降もKCPで勉強を続ける学生たちには次につながる成績を取ってもらいたいです。

それはさておき、このクラスの学生たちに「っぽい」「がち」「気味」が定着したかなあ。

十人十色

2月14日(木)

木曜日は超級クラスの授業。超級と言われるだけあって、このクラスの学生はできます。しかし、でき方に問題があるというか、能力に偏りがあるというか、一見できないように見えたり、ペーパーテストでしか力が出せなかったりなどと、誰がどこから見ても“できる”学生は少ないです。

Yさんは来週のバス旅行を欠席するので、欠席理由書を書かせました。感服しました。欠席はいけないことですが、心のこもった理由書の文章は文句のつけようがなく、説教を忘れてしまうほどでした。Kさんにも書かせましたが、こちらは説教する気すら起こらない、おざなりを絵(文字?)にしたような内容でした。Kさんだって根本的に悪い学生ではありません。読解などでは深いところまで読みきっていることを示す発言をするんですが、どうして読み手の神経を逆なでするような文章を書いちゃうかなあ…。

「ここまでの授業について、何か質問はありませんか」とクラス全体に聞いたとき、質問してくるのはFさんやZさんです。Fさんの質問は本質をずばりと突いてくることもあれば、そんなこと教科書をもういっぺん読めばわかるじゃないかということもあります。でも、疑問点をうちへ持ち帰らないという点は高く評価できます。Zさんは興味本位で質問してくることがあります。授業の本筋とは離れてしまうこともありますが、話題を広げるという意味では貴重な質問です。

授業前に、Gさんに進路のことで質問しました。すごい答えでしたねえ、文法のハチャメチャぶりが。レベル3の学生だってもう少し要領よく答えるんじゃないかな。私が教室に入るなりいきなりつかつかと近寄って質問してきたので、Gさんは緊張していたのかもしれません。でも、超級ですからね、どんな条件でもそれなり以上に答えられなきゃ。こう書くとGさんはダメ学生の代表のように見えちゃいますが、頭脳明晰さはクラスで1、2を争うと思います。

Lさんはいつも授業後にこそっと質問してきます。その質問を授業中にしてくれたら他の学生も参考になったのにと思うのですが、気恥ずかしいのでしょうかね。……バレンタインのチョコレートを1粒くれました。

遅い

2月13日(水)

授業終了直後、Lさんが卒業文集の原稿を出してきました。卒業文集は学期が始まって間もない頃から書き方を説明し、下書きを書かせ、それを添削し、そして清書と段階を踏んできました。それぞれに締め切りがあり、清書の提出期限は先週末でした。それがなぜ今頃になったかというと、Lさんは清書用の原稿用紙の書き方を間違えたからです。もちろん教師は説明しましたよ。Lさんと同じときに聞いていた学生はみんな間違えずに清書を書いたのに、Lさんはどうしようもない間違え方をしたため、書き直しになっていたのです。それでも、毎日学校へ来ていればこちらも尻のたたきようがありましたが、来ないし連絡しても梨のつぶてだし、いかんともしがたいものがありました。

Lさんが出した清書原稿を見てみると、内容よりも先に原稿用紙の使い方が全くできていませんでした。各行の最初のマスに「。」「、」が5つぐらい立て続けに並んでいました。それを見ただけで気持ち悪くなり、どうにかしようという気も失せてしまいました。Lさんは私たちの話を何も聞いていなかったのだなあと思いました。

すでに原稿提出期限を大幅に過ぎているので、恐る恐る文集担当のK先生のところへ持って行くと、案の定受け付けてもらえませんでした。そこを曲げて載せてもらおうという気も湧き起こりませんでしたから、私もあっさり引き下がってしまいました。かくして、Lさんの文章は文集に掲載されないことになりました。

どうして期限とか指示とかを守らないのでしょう。自分のペースでやってもどうにかなると思っているのでしょうか。Lさんにとっては、卒業文集は重要度が高くないのでしょうか。だから、たとえ自分の文章が載らなくてもがっかりはしないのかもしれません。私が受け持っているもう1つのクラスにもLさんのような学生がいます。他の先生方からもそういう話を聞きます。

なんとなく無力感に襲われたお昼のひとときでした。

声に出すと

2月12日(火)

朝8時半頃、トイレに行こうと職員室を出ると、男の人が声をかけてきました。しかし、その方が何と言っているのかよくわかりませんでした。「は?」と聞き返しても、同じような答え方でよくわからないままでした。姿かっこうからお客様とも見えず、また、この時間帯に学校にいるのはほぼ間違いなく中級以上の学生であり、外国語で話しかけてくることは考えられません。彼が発した言葉をおうむ返しに言ってみると、彼は違うという顔つきでスマホを出し、何か示そうとしました。そのときに発した何回目かのことばで、ようやく彼は例文を書くノートを買いたいのだということがわかりました。クラスと名前を聞こうとも思いましたが、聞いたところで聞き取る自信がありませんでしたから、すぐに事務の職員に引き継いで、当初の目的どおり、トイレに向かいました。

読解の授業で、Cさんにテキストを読んでもらいました。Cさんは文法の理解も早く、気の利いた例文も作れます。日本語のセンスはあると思います。しかし、音読はひどかったですねえ。漢字やかなを1字ずつ拾い読みするのです。聞いている学生たちは、何がなんだかわからなかったでしょうね。Cさんの教科書をのぞき込んだところ、かなり書き込みがあったので予習はしているようでした。でも、黙読と辞書で意味を調べるのとが中心で、一言も発することなく勉強を進めているのでしょう。

今朝の彼もCさんも、JLPTのような日本語試験ではある程度以上の点数を取るでしょう。しかし、音声によるコミュニケーションというか、日本語の声を出すことそのものに関しては、標準以下と断じざるを得ません。KCPはそういうことが内容に、発話教育にも力を入れてきているのですが、学生の側にも私たちの意図をくみ取る感度がほしいです。朝早くから例文ノートを買おうとした学生、きちんと予習して授業に臨んだCさん、2人とも“いい学生”の範疇に入ります。しかし、話せなかったらそのよさを回りに伝えられませんよ。

「話せない学生は合格させない」と人気有名私大の先生が明言なさっていたそうです。Cさんが第1希望の進路をあきらめざるを得なかったのも、この音読レベルの発話力が原因だったかもしれません。

なすび?

2月8日(金)

受験講座の欠席の多い学生を呼んで注意を与えました。その中に私のクラスのYさんがいました。Yさんは成績がいいだけでなく、習った文法や語彙を上手に使って気の利いた例文を作ります。まだ伸び盛りで、もう1年勉強すればかなりのレベルの大学も狙えるだろうと思っていました。そのYさんが、まるで大学受験を放棄したかのように受験講座の欠席を重ねているのです。

事情を聞いてみたところ、親に帰って来いと言われているそうです。 日本での大学進学はあきらめざるを得なくなり、受験講座に出てもその成果を生かすチャンスがないので、行く気がなくなったとのことでした。それを語るYさんは伏し目がちで、無念さが表情ににじみ出ていました。

去年の4月に来日するときは、ご両親から「石にかじりついてでも日本の大学に入れ」と送り出されたのですが、今年になってから掌を返したように「帰ってこい」の一点張りで、Yさん自身、困り切っています。どうしてご両親の意見が変わったかまでは、プライバシーにかかわることですから詳しく聞くことはできませんでしたが、Yさん自身納得しかねるものがあるようです。Yさんのような例はそんなに頻繁にあるわけではありませんが、最近増えているような気もします。親はどうして気が変わってしまうのでしょう。

子どもに対する支配力(欲)が強まっている感じもします。自由に操りたいのでしょうか。子どもは子どもなりに夢を描いています。その夢をつぶさせてまでも、親は自分の子どもに干渉したいのでしょうか。わずか1年で自分の気が変わって子どもに大きな方針転換を迫るというのは、いかがなものと思います。

かつて、SさんはJ大学とU大学に受かりました。自国で有名なJ大学への入学を勧める親と大喧嘩をして、自分のやりたいことができるU大学に進みました。U大学で充実した学生生活を送り、大学院にまで進学し、日本の大手企業に就職しました。“親の意見となすびの花は千に一つの無駄もない”ということわざがありますが、私は留学に関しては信用していません。もちろん、過半は親の意見が妥当な線ですが、子の考えが親の意見に勝る例も少なくありません。

考え方がとてもしっかりしているだけに、Yさんのご両親に、ぜひともYさんの話に耳を傾けてもらいたいです。