Category Archives: 社会

台風にも負けず

8月31日(月)

夏休みは九州へ行ってきました。台風に直撃されて、25日は身動きが取れませんでしたが、それ以外はいい旅行ができたと思います。

九州は韓国に近いため、東京よりも韓国人が目立ちました。最近では大久保でも押され気味という韓国人ですが、博多をはじめ九州の町では元気でした。

私が博多駅から特急に乗ろうとしていたら、いきなり切符を目の前に突き出して、「イゴ、イゴ」と声をかけてきた若い女性2人組がいました。「イゴ」とは「イゴ オルマエヨ(これはいくらですか)」の「イゴ」ではないかと私の乏しい韓国語知識がささやきかけ、要は“この切符の席はどこか”ということだろうと判断しました。いきなり「イゴ」と来るのだから、日本語はゼロ、“Excuse me”でもなかったということは英語もゼロに違いありません。ここまでわかれば、日本語が全然わからない人への対処法はKCPで日々鍛錬しておりますので、難なくこなせました。最後もこの2人は深々とお辞儀をするだけで、「ありがとう」も出なかったということは、やはり、日本語全然だったのでしょう。

でも、こういうのに限って、国へ帰ってから、「日本語、全然できないけど日本を旅行してきちゃった。ボディーランゲージができれば、ケンチャナ、ケンチャナ」なんて言うんでしょうね。その話を聞いて、次々と言葉の壁を乗り越えて日本へ観光に来てくれたら、私も多少は日本の国に貢献したことになります。

それにしても、なぜ、あの2人組は私に話しかけてきたのでしょう。当日の私は、真っ赤なポロシャツにくすんだ青の短パン、ショルダーバッグを提げていました。どう見てもJRの駅員や車掌のいでたちではありません。唯一可能性があるとすれば、真っ赤なシャツが博多の街かどこかのボランティアの制服で、その制服の人に親切にしてもらって、その同じ色のシャツを特急の車内で見かけたのでまた声をかけたのではないかということです。

中国人も目立ちました。通潤橋なんていう山奥の観光地にもバスを仕立てて大勢の中国人が来ていました。しかし、私が泊まったホテルには、中国語だけの注意書きが貼られていました。私の乏しい中国語知識でそれを読み取ると、大浴場の中で飲み食いするな、バイキングで一度取った料理は元に戻すな、部屋のドアを開けて大声で話すな、などなど、はたで見ていたら傍若無人と感じるだろうなということばかりでした。

通潤橋、祐徳稲荷、軍艦島、田川市石炭・歴史博物館など、若干マニアックなところを巡ってきました。どこも感激しました。半年も前から計画を練り続けた甲斐がありました。

書類不備

7月30日(木)

HさんはW大学に出願しましたが、書類不備で受理してもらえませんでした。国の高校の卒業証明書、成績証明書に生年月日が記載されていないという理由です。来週の月曜日までに生年月日の記載された書類を提出しないと、出願は無効になってしまいます。しかし、今、Hさんの出身校は夏休み中で、学校に誰も出てきていないのだそうです。したがって書類の再発行もできず、W大学への出願は絶望的な状況です。

その学校の正式な書類様式に生年月日の記載がなかったら、その学校の卒業生は自動的にW大学に出願できないということなのでしょうか。W大学の出願に関する書類を読む限り、生年月日が必要だとは書かれていません。W大学にとっては、卒業証明書などに生年月日が記載されているのは改めて書き記すまでもない常識なのでしょうか。その常識が通用しない世界の存在は認めないというのでは、了見が狭すぎると思います。

Hさんの学校にとっては、生年月日を記載した卒業証明書などは非正規の様式です。非正規であるという点においては偽造書類と同列だ、というのは極論すぎるでしょうか。私などうかがい知れない事情があるのかもしれませんが、融通が利かないなと思います。悪意に受け取れば、そんなにまでしてでも学生をふるい落とさなければならないのかという気もします。

書類の戦いは、毎年何らかの形で発生します。私は受験生側の人間ですから、そういうトラブルが起こるたびに、もう一歩譲ってもらえないだろうかと思います。受験生たちは、郷に入れば郷に従えで、すでにかなり譲歩しているのですから。

留学生に便宜を図ってくれないW大学は入学しても苦労するだけかもしれないよー―とHさんに言ってやりました。W大学を目指して日本まで来たHさんに対しては慰めにもなっていないでしょうが、私の心の中ではW大学の株は大きく下がってしまいました。無理してまで入る大学ではないっていう評価です。

熱帯夜じゃない

7月13日(月)

ゆうべは窓を開けたまま寝たのですが、いつの間にかタオルケットがベッドの隅に丸まっていました。外に出ると朝からむっとするような熱気。今シーズン初の熱帯夜の手ごたえ十分だったのですが、気象庁のデータによると東京の最低気温は午前4:40に観測された24.1度。

これは、昨年12月に東京の気象観測地点が移動したからです。竹橋付近の気象庁本庁舎内、ビルとアスファルトに囲まれたところから、緑に囲まれた北の丸公園内に移ったのです。最高気温にはほとんど影響が出ないものの、最低気温は下がるだろうと予想されていたことが、如実に現れました。去年までだったら、ゆうべの最低気温は26度ぐらいだったんじゃないかな。

日中は全国的に気温が上がり、気象庁の観測点928か所中122か所で猛暑日となり、512地点で30度以上となったそうです。この時期は夏至から3週間ほどで、頭のてっぺんから日が差し込みます。ですから、晴れたら気温が勢いよく上がるのです。東京の最高気温は34.2度で、真夏の暑さです。

「梅雨が明けたんですか」とも聞かれましたが、天気図上は梅雨前線が消えて太平洋高気圧に覆われていますから、真夏と同じです。しかし、気象庁は梅雨前線が復活すると読んでいますから、梅雨明けとは言いません。週間予報によると、週の半ば以降はまた曇り空のようです。

外は真夏の暑さでも、校舎内は直射日光も入らず、冷房も効いていますから熱中症などになる心配はほとんどありません。でも、教室に若い体が20も入ると、どことなく暑苦しく感じます。欠席者が多く寒々しい教室は困りますが、熱気がありすぎるのもちょっとね。…なんて思いながら授業を始めるても、いつの間にか自分もその熱気を出す側に回っているんですよね。不思議なものです。

計画が進む

7月1日(水)

大阪からお客様が見えて、打ち合わせをしました。今日だからよかったものの、昨日だったら大変なことになっていたかもしれません。新幹線の車中で焼身自殺とは、人迷惑にも程があります。巻き添えで亡くなった方はどんな思いだったのでしょう。

死人に口なしで、自殺した当の本人は何を考えてわざわざ死に場所に新幹線を選んだのかはわかりませんが、死に場所を選ぶという発想自体、精神的に余裕のある人間の考えることなのかもしれません。自分のことしか見えなくなっているから自殺するのでしょう。自分を客観視できたら、そう簡単には死を選ばないんじゃないかな。

そうだとしても、新幹線で死ぬなよ。新幹線に乗る金があったら、迷惑のかからない死に方ができただろうに。いや、どんな死に方でも誰かに迷惑をかけますよ。だから、その金でおいしいものでも食べて、小さくても夢を抱けばよかったんです。

私はそもそも死にたいと思いません。辛いことがあったら、休みに何をしようかと考えます。今は夏休みの計画立案の真っ最中であり、時には年末年始の休みにも思いを馳せます。あれしようこれしようと考えたり、ネットで調べたり予約したりしているうちに、気持ちが前向きになってきます。この辛い場面を乗り越えたらまた一歩夏休みに近づくと思うと、どうしたら乗り越えられるかという方に気持ちが向いてきます。

そろそろ新学期の授業計画を練り、教材をそろえなければならないのですが、これが遅々として進んでいません。進むのは夏休みの計画ばかりで…。

たまのお葬式

6月29日(月)

昨日は和歌山電鐵の社長代理・ウルトラ駅長のたまのお葬式がありました。式場となった貴志駅はたまが駅長として勤務していた駅であり、昨日はそこに警察が交通整理をするほどの参列者が訪れました。3000人と報じられていますから、人間の葬式にしてもかなりの規模です。

私も、去年の5月の連休にたまを見に和歌山まで出かけました。私が乗った和歌山電鐵の電車は、乗客の大半がたま目当てでした。たまによって和歌山電鐵の乗客が大幅に増えたと報じられていましたが、それを身をもって感じました。たまがいなかったら、貴志駅まで乗ったお客はほとんどいなかったでしょう。それが和歌山電鐵沿線の実力であり、たまによって数十名の乗客が数百円の運賃を払って貴志駅まで乗り通したのです。そして、貴志駅に併設されているカフェや売店でお金を落としていました。たまの経済効果が11億円とかと算出されていますが、それぐらいあっても全然おかしくないと思いました。

たまの成功の後、各地の地方鉄道で動物の駅長が相次いで生まれました。二番煎じにならないようにと工夫はされていますが、たまを超える駅長はいまだ出現していないようです。それだけに、たまを招き猫として見出し、駅長に抜擢した和歌山電鐵の社長さんは偉いと思います。こういう経営センスは、机上の学問だけじゃ身に付きませんよね。学生たちは「大学を卒業したら経験を積んで…」と気安く言いますが、こういう発想の現場での経験こそ、学生の将来に資するものなんじゃないかと思います。

和歌山電鐵にはたまの後継ぎの猫がいるそうですから、きっと人気は保たれるでしょう。それどころか、たま大明神として祭られるそうですから、死して後も和歌山電鐵の貢献する勢いです。

帰りたいけど

6月19日(金)

一時帰国したいけどMERSが怖い――韓国の学生の偽らざる気持ちのようです。来週月曜日の期末テストの翌日からの学期休を控え、韓国担当のPさんのところへ学生が押し寄せています。

「私、一時帰国してもいいですか」「はい、一時帰国届けを出せば、いいですよ」「でも、MERSが心配です」「じゃあ、日本にいたら」「でも、もうチケットを予約しましたから…」「じゃあ、行けば」「日本へ戻ってきたとき、韓国人はダメって言われたらどうしますか」「それが心配だったら、日本にいるのが一番いいんじゃない?」「でも、国に用事がありますから…」

こんなやり取りを延々と続ける学生が何人もいるそうです。学生はPさんに答えを求めているのではなく、心配の種を聞いてもらいたいのです。心配でたまらない自分に酔っていると言ってもいいでしょう。そういう試練を乗り越え留学を続けようとしている自分の姿を、自分で英雄視しているのかもしれません。

私のような日本で生まれ育った人間にとっては、MERSはニュースでしかありません。もちろん、普通の日本人よりは強い関心を持っていますが。でも、韓国の学生にとっては、我が事です。当事者だから冷静に考えられなくなり、上述のPさんとのやり取りのようなことになってしまうのです。

日本が留学生を受け入れ始めて間もない頃、中国で辛亥革命が起こると、みんな新しい国づくりに参加しようと帰ってしまったそうです。これほどのことではなくても、留学生は国のことを気にかけながら勉強しています。おそらく、生まれてからいちばん「国」を意識しているんじゃないでしょうか。

留学とは、国際性が身に付くと同時に愛国心も芽生える、その人の人格形成に多大な影響を与えるイベントなのです。

日本改造

6月17日(水)

タイトルにつられて買った「一千兆円の身代金」(八木圭一、宝島社文庫)というミステリーを、つい先日読み終えました。政界の実力者の孫が誘拐され、一千兆円の身代金が政府に要求されたというところが物語の起点です。一千兆円とは日本の財政赤字額であり、要するに、誘拐犯は放漫財政のツケを若者世代に回すな、それをこしらえた世代で処理せよと訴えたかったのです。

これ以上書くとネタばらしになってしまいますから控えますが、公職選挙法が改正され、選挙権が与えられる年齢が18歳に引き下げられたというニュースを聞いて、まっ先にこの本のことを思い浮かべました。本の中では、誘拐犯の要求は若者の間で歓喜をもって支持されました。もちろん、要求された側は容易に応じるはずがありません。選挙権が18歳からになったことで、世代間での考え方の違いが鮮明になり、そういう問題がより活発に議論されるようになってもらいたいです。

そのためには、18歳が政治に関心を持つだけではなく、毎回投票率が低い20歳も25歳も行動を起こさねばなりません。今回の改正で、選挙権は18歳になりましたが、被選挙権は従前の通りです。ですから、立候補できる年代が適度に成熟して(成熟しすぎると我々の年代の頭と変わらなくなってしまいます)、18歳の感覚を取り込み、この国のしくみを変えていくことこそ、本当に求められていること、期待されていることなのです。

外国籍であるKCPの学生たちには、法律がどう変わろうと選挙権は与えられません。しかし、自分たちが周りの日本人の若者に影響を与え、彼らの意識、投票行動を変えさせることはできます。そのためには、彼らから一目置かれる存在にならなければなりません。勉強し、鍛錬し、自分の人間性を高めて、「留学生の〇〇さんってすごいなあ」って尊敬を集める人物になることが、自分たちにとって暮らしやすい日本を作る第一歩になるんじゃないでしょうか。ずいぶんと遠大な計画ですけど…。

訓練された

6月10日(水)

避難訓練をしました。地震の後で火災が発生したという想定で、全校の学生が非常階段を使って脱出し、広域の避難場所である新宿御苑の手前の、四谷区民センターまで行きました。帰りに一時避難場所である花園公園前を通り、学生たちに場所を確認させました。

学生時代、私は城南地区の住宅密集地帯にある築年数不明のぼろアパートに住んでいました。そこは、多摩川の巨人軍グラウンドが避難場所に指定されていました。平時に歩いても1時間はたっぷりかかるところです。非常時にはたどり着けそうもありませんでした。大地震が来たらアパートもろともつぶされて死ぬしかないだろうなと思っていました。

それに比べれば、この校舎は地震には強く、避難場所も近いです。阪神大震災での神戸並みの揺れに襲われても、ほぼ間違いなく生き残れるでしょう。しかし、地震で死ななかったらそれで終わりではなく、生き続けていかねばなりません。学生たちを生かしていかなければなりません。その任務は非常に重大ですが、常々そこまで考えが及んでいるかというと、目の前の仕事にかまけて何も考えていないに等しいというのが現状です。

おしゃべりするなと命じたら黙々と私の後について四谷区民センター前まで歩いていった学生たちの顔を思い浮かべると、こちらこそがしっかりしなければと思わずにはいられませんでした。学生に災害時に取るべき行動を考えさせるつもりだったのが、そっくりそのまま自分に返ってきたようです。

久しぶりの揺れ

5月25日(月)

授業中地震がありました。毎度のように私よりも学生のほうが敏感に揺れを感じ取りました。「先生、地震」と言われてしばらく経って、本格的な揺れが来てやっと、地震に感づきました。学生が心配そうな顔をしたので、外を見て電線が揺れていないことを確かめ、大きな地震ではないと宣言し、学生を安心させました。

3.11のときには、KCPの正面のビルが左右に大きく揺れました。あのビルが倒れて隣も倒れて、なんていうことになったら大変だと、とっさに最悪の事態も想像したものです。向かいのビルから見たら、KCPのビル(旧校舎)も心配になるくらい揺れたことでしょう。

しかし、その後、校舎を建て直して、現在の校舎は3.11クラスの地震でもびくともしないビルになっています。へたに外に逃げ出すよりも校舎内のほうがずっと安全です。また、教室で多少なりとも落下する可能性があるものといえば、せいぜい柱にかけてある時計ぐらいです。だから、授業中に大きな地震が起きても、なんらあわてることなく机の下に隠れるなどの行動を取ればいいのです。

揺れが完全に収まってから、そんなことを学生に言いました。この校舎にいる限り安全なのだから、地震が来てもいたずらにおびえることはないのです。また、教科書にちょうど非常袋が出てきたところだったので、それについてもちょっと話しました。非常袋を用意している学生は1人もいませんでした。

地震らしい地震(?)は久しぶりでしたから、クラスの中には来日後初めてどころか、生まれて初めて大地が揺れるのに出会った学生もいたかもしれません。でも、その大地がしょっちゅう揺れる国を留学先として選んでしまったのはあなた自身なのですからね。地震も日本文化を形作ってきた重要な一要素として、体験し学んでほしいですね。

140万分の1万

5月18日(月)

昨日、「大阪都」構想の是非をめぐる住民投票が行われ、反対票が賛成票を上回りました。この結果、これからも従来の大阪府と大阪市が存続することになりました。

反対票が賛成票を上回ったといっても、その差は投票総数140万票あまりのわずかに1万票です。橋下市長にとっては文字通りの惜敗でした。また、投票率は66.83%と、大阪市で行われた選挙にしては近年まれに見る高さでした。それでも、昨年行われたスコットランド独立住民投票の85%には遠く及びませんが。

投票率が66.83%だったということは、約3分の1の有権者が棄権したということです。賛否の票差が1万票だったことを考えると、棄権した約70万人の責任は重いと言わざるを得ません。どういった理由で投票に行かなかったのかはわかりませんが、この人たちの一部分でも投票していたら逆の結果になっていたかもしれません。

連休に大阪へ行ったとき、市営地下鉄では投票を呼びかけるアナウンスをしていましたが、賛成・反対どちらの街頭演説にも出会いませんでした。山の中ばかりではなく、難波、日本橋、梅田と、繁華街も歩いたんですけどね。また、ポスターは、首長選挙や議会選挙と違って公共のポスター掲示板があるわけではなく、街角の電柱や塀などに控えめに括り付けられたり張られたりしていただけでした。

そんな大阪の雰囲気を味わってきて、本当に盛り上がっているのかなと思いながら帰京しただけに、この投票率には驚きました。だから、棄権した人々の責任を追及したくなるのです。自分の1票では世の中は変わらないと思いがちですが、今回は変えられたかもしれなかったのです。大阪市民1人1人がキャスティングボートを握っていたのに、それに気付かずやり過ごしてしまった人が3分の1もいました。

今回の例は結果論ですが、これは全ての選挙に言えることではないでしょうか。サイレントマジョリティーなんてカタカナ語で言うとかっこよく聞こえますが、要するに何も決められないか自分の社会に対して責任を持とうとしないだけです。選挙権の引き下げに向かって動いている中、若い人たちには今回の結果を自分たちのこととしてとらえてもらいたいです。