Category Archives: 教師

暖簾に腕押し

1月28日(火)

出席を取り終わって連絡事項を伝え始めた頃に、最近休みが目立つCさんがそっと教室に入ってきました。そして、教卓から一番遠いところに席を取りました。Cさんは目立たないところに座ったつもりだったのかもしれませんが、教師からは実によく見えるのです。その後の授業でCさんはあまり気合が入っていなかったことも、実によくわかりました。

火曜日の後半は選択授業で、クラスの学生はバラバラになります。Cさんは私が担当する小論文のクラスです。先週は欠席だったので、今週が初授業です。「先週欠席した人には、先週のプリントをあげます。小論文の書き方のポイントが書いてありますから、よく読んでください」と言うと、先週の欠席者が次々と手を上げましたが、Cさんは無反応。

今回の課題の説明をし、「さあ書いてください」となったのですが、Cさんは何もしませんでした。原稿用紙を持っていなかったのです。こういう場合、付近の学生に声をかけて原稿用紙を分けてもらうものなのですが、Cさんは何もしませんでした。何か動きを見せるかと思ってしばらく待ちましたが、何もしようとしません。ついに根負けし、「1階で原稿用紙を買ってきなさい」と促しました。

原稿用紙を買いに行ったにしては戻りが遅いなと感じ始めた頃、ドアがノックされました。開けると、事務所のRさんがいました。「先生のクラスの学生さんが原稿用紙を買いに来たんですが、現金の持ち合わせがないんです。どうすればいいですか」。言葉を失ってしまいました。Rさんが「下で余っている原稿用紙を渡しましょうか」と言ってくれたので、お言葉に甘えることにしました。

戻ってきたCさんは課題に取り組みましたが、全く筆が進みません。終業のチャイムが鳴りましたが、ほんの数行しか書けませんでした。それを提出して帰ろうとするCさんを引き留め、事情聴取。

(タブレットで出席率データを見せながら)「今月の出席率は50%ですよ」

「はあ…。でも、まだ、1月は終わっていません」

「1月はあと3日だよ。全部出席したって、出席率80%になんか、なるわけないでしょ」

「……」

「どうしてこんなに休むんですか」

「やる気が出ないんです」

「やる気が出ないんだったら、国へ帰って、現地募集する日本の大学に出願したらどうですか」

(嫌な顔をしながら)「……」

(入学からの出席率データを見せながら)「こんな出席状況のままじゃ、ビザは絶対に出ませんね。やっぱり帰国するのが一番いい方法だと思います」

「……」

といった調子で、返答に困ると「……」を繰り返すCさんでした。私の言葉も、どれだけ響いたかわかったもんじゃありません。今までに他の先生から同じ話を何回もされているのですから。

さて、明日の教室にCさんはいるのでしょうか。

日本語教師養成講座へのお問い合わせはこちらへ

拒否!

1月23日(木)

出席を取り、連絡事項を伝え、明日の選択授業の案内を該当者に配り、読解の授業を始め、語句の説明のため板書して学生の方に向き直ると、ついさっきまでいなかったGさんが何事もなかったかのように席に着いていました。このクラスの教室は教卓から離れたところにドアがあるため、教師が遅刻の学生に気づかないこともあるのです。

そのGさん、「先生、すみません。遅刻しました」でもなく、フードをかぶったまま下を向いています。おそらく、スマホをいじっているのでしょう。授業に参加する意思はなさそうでした。私がGさんの机に近づいても、全く動ずるところはありませんでした。

このクラスに入るのは今学期初めてでしたが、今までに入った先生方からGさんのうわさは耳にしていました。どの先生も手を焼いているご様子でした。これじゃあ、手の差し伸べようもありません。“構うな!”オーラを四方八方に発散し、周りの学生にも声をかけるなと体を張って訴えているように見えました。

Gさんは今までに何校か受験に失敗しています。日本語力的にGさんよりも劣る学生が同じ大学に受かったのにGさんが落ちてしまったのは、このコミュニケーション拒否とも言える態度が災いしていることは疑いありません。でも、先学期担当した先生によると、本人はこれを認めようとしていないとのことです。

このGさんをどう指導していくか難しいところですが、もう1人、Jさんも同様の学生です。そのJさんは欠席でした。電話をかけても出ませんでした。難問山積です。

本語教師養成講座へのお問い合わせはこちらへ

社会を探して

1月21日(火)

毎日上級クラスに入るのはいいのですが、「社会」にかかわる教材を毎週3つ用意しなければならないのがしんどいところです。上級クラスは大半の学生が3月で卒業しますから、卒業後に進学先や就職先で困らないだけの日本語力や社会常識を付けるということが、この学期の授業における大きな柱の1つです。

「社会」といっても、政治や宗教の対立を教室に持ち込むわけにはいきません。クラスのメンバーを見て慎重に教材を選び、授業を組み立てていくということを繰り返していきます。トランプさんの大統領就任も大きなニュースなのですが、授業での取り上げ方は慎重でなければなりません。

かといって、毒にも薬にもならないようなことばかりやっていたら、学生は相手をしてくれなくなります。インコース胸元に大谷張りの速球を投げ込むようなものでしょうか。コントロールが狂ってぶつけてしまっては、何の意味も持たないどころか、破綻にもつながりかねません。

授業で取り上げて、話し合わせたり何かを書かせたりするとなると、クラスの学生の多くが興味を抱くものでなければなりません。そういう教材をいくつも用意するところに、今学期の苦労があります。まだ火曜日ですが、来週を見越してどのクラスで何を使うか、考えている最中です。

少なくとも3月の卒業式までは、こういう生活が続きます。昔の教材を引っ張り出してもいいのですが、そればかりだと卒業する学生へのはなむけにはなりません。卒業した後で、KCPであの授業を受けておいてよかったと思ってもらえるような授業を展開したいのですが、難しいものです。

日本語教師養成講座へのお問い合わせはこちらへ

魔性の住処

12月27日(金)

今年最後の出勤日ですから、校内の大掃除をしました。例年のように、私は給湯室を担当しました。今年は冷凍冷蔵庫の中を重点的にやってくれという指示を受けていましたから、その通りに動きました。

冷蔵室を開けると、飲み物食べ物がいっぱい入っていました。目についたペットボトルを取り出して賞味期限を確認すると、2023年でした。その隣のは、なんと2022年ではありませんか。賞味期限が2022年ということは、買ったのは2021年かもしれません。だとしたら、オンライン授業をやっていたころですよ。

年季物のお菓子も発見しました。冷蔵されていたのですから、食べてもお腹を壊すことはないでしょうが、相当な勇気がいります。生八ツ橋は、残念ながら、可燃ごみ行きとなりました。だれがどのような経緯で冷蔵室に入れたのかわかりませんが、もったいない限りです。お茶のお供にちょうどよさそうなきれいなお菓子もありましたが、これも生八ツ橋と同じ運命をたどりました。フードロスって、こうやって生まれるんですね。

何より驚かされたのは、未開封で賞味期限から比較的日が浅いミルクティーに沈殿が生じていたことです。白かったので乳成分が凝集したのではないかと思いますが、見た目はよろしくありません。同じく未開封なのに容器のペットボトルがへこんでしまった麦茶もありました。真夏の暑い盛りに買って来て冷蔵室に入れたら、中の空気が思い切り収縮してしまったのでしょう。ペットボトルの密閉性が証明されたと言えないことはありませんが、どことなく気持ち悪いですね。

冷凍室からは、カチンカチンに凍った炭酸水が現れました。物理的にはありうることですが、実際に目にすると、不思議さは拭い去れません。

それにしても、KCPの教職員のみなさんは物持ちのいい方ばかりのようです。私なんか、買ったものはとっとと食べたり飲んだりして、冷凍冷蔵庫のお世話にはなっていません。机の引き出しに食べ物飲み物を多少しまい込んでいますが、もちろん賞味期限のはるか前に消え去っています。

冷蔵室も冷凍室もスカスカになりました。隅々まで拭き掃除をしてきれいにしました。新年は冷凍冷蔵庫をたびたび見張って、同じことが繰り返されないようにしていきましょう。

日本語教師養成講座へのお問い合わせはこちらへ

サクッとサクサク

11月28日(木)

今朝、しばらく飾っておいたりんごをいただきました。そうです。毎年いただいている、A先生のご実家のりんごです。最初から赤いのを選んだのですが、1週間ほどカラーボックスの上に置いておいたら、赤みがさらに深まったような気がしました。もちろん、ほのかな香りもふりまいてくれました。

いつもは、朝の果物はバナナ1本なのですか、りんごは口当たりがサクッとしていて、あっという間に1個食べてしまいました。報道によると、りんごは、今年、高値が続いているようです。調べてみると、いただいたりんご1個で、バナナが1房は無理でも、数本は買えそうです。そんなのを一気食いみたいにバクバク食べてしまい、少し後悔の念が浮かんできました。でも、全部食べた時の満足感は、何物にも代えがたいものがありました。

そんな満ち足りた気持ちで出勤すると、机の上には昨日の仕事の残りが、ゆうべ退勤した時のまま鎮座していました。だから満ち足りた気持ちがしぼんでしまったのではありません。その逆に、授業が始まる前にこの仕事を片付けてしまおうと気合を入れるために、りんごを丸ごと1個という贅沢をしてきたのです。

その威力は絶大で、りんごの歯ごたえのごとくサクサク仕事が進み、積み残しは解消しました。義務感にさいなまれ、眠い目をこすり、ドライアイを目薬でごまかしながらしていた仕事が、予定よりかなり早く片付いてしまいました。おかげで、明るい気持ちで授業に臨めました。プチ贅沢って、たまには必要なんですね。

日本語教師養成講座へのお問い合わせはこちらへ

昨日の試験

11月18日(月)

昨日は汗ばむほどの日和で、日中は腕まくりをしていました。そんな中、第1回の日本語教員試験が実施されました。私は経験とか今までに取得した資格とかの関係で昨日の試験は免除でしたが、KCPの先生の中でも何名かの方が受験されました。

O先生の試験会場は、私が学生時代に住んでいたアパートの近くのビルでした。すなわち、築半世紀近い建物です。しかも、元地元民からすると、そのビルはどう考えても試験会場向きではありません。倉庫とか大安売りの会場とかという印象しかありません。取り壊して建て替えるという噂も耳にしていたのですが、ネットで調べたら、とりあえずその計画はなくなり、リニューアルされたそうです。でも、そう遠くない将来、そういう方向に進むとも報じられています。

要するに、老朽化した、試験会場向きとは言いかねるビルで試験が行われたのです。それに加え、長机に詰めて座らされ、その気になればカンニングし放題だったというではありませんか。また、O先生の試験室は、音響設備が不十分で、聴解問題がよく聞こえなかったそうです。同じ部屋の他の受験生は、全然聞き取れなかったと嘆いていたとか。そりゃあそうですよ、体育館みたいなところなんですから。

トイレの数も不足していて、休憩時間内に用を足すことができなかった人もいたそうです。休憩時間は15分でしたが、回収した答案用紙と問題用紙の数の点検に時間を要し、実質的には数分だったようです。大安売りの会場なら、多少お客さんが多くてもトイレ利用は分散しますから、トイレの数はさほど多くなくてもどうにかなるでしょう。しかし、試験会場となると、休憩時間にトイレ利用が集中します。そんな計算もせずに、単に面積だけで会場を借りたのでしょうか。尿意をこらえながら試験を受けた人が実力を発揮できなかったことは、想像に難くありません。そういう方の心中は、いかばかりでしょう。

“日本語教師の質を担保する国家資格”という触れ込みだったはずですが、そんなご立派な試験が、こんなひどい環境で行われたのです。看板倒れもいいところです。国が日本語教育をいかに軽視しているかがよくわかる試験でした。

日本語教師養成講座へのお問い合わせはこちらへ

合格発覚?

11月5日(火)

「先生、中間テストの後で大阪へ行きたいんですが、いいですか」「受験で?」「いいえ、うちを探すんです」…と、Lさんが授業直後に聞いてきました。Lさんが受験するのでO先生と面接練習をしているのは見かけましたが、どこかの大学に受かったという話は聞いていません。さらに、「先生、2月に京都に引っ越ししたいんですが…」「KCPの卒業式が3月10日ごろにありますから、それまではずっと出席してもらわなければ困ります」…と答えたものの、Lさんはどこの大学に進学するのでしょう。確認を取りたいところでしたが、追試を受けたいという別の学生の世話もしなければならず、また、すぐ次の授業が迫っていましたから、「3月10日ごろですか…」と半分納得したようなLさんの声を聞いたところで見送りました。

夕方、Lさんの担任のH先生にこのやり取りを報告すると、そばで聞いていたO先生が、「えっ、それは大阪のK大学に受かったっていうこと? 私の所には一言も報告がないんだけど」と、やや不満げな表情でおっしゃいました。Lさんが、合格したのにO先生に黙っていたとすれば、義理を欠いていると言わざるを得ません。ちょっと抜けているところのあるLさんのことですから、問い詰めるまでもなく「はい、K大学に合格しました」と言っちゃうんじゃないかと思います。

Lさんに悪気があるとは思えません。O先生に対して感謝の気持ちも抱いていることでしょう。しかし、自分の合格を誰よりも喜んでくださるのがO先生だというところまでには、思いが至っていないのでしょう。“お世話になった”という感覚がないことはないでしょうが、それに対する何よりのご恩返しが合格の報告だとは気が回っていないのです。

そういう気づき方というのでしょうか、気の回し方というのでしょうか、う~ん、学生と食い違っていることがよくあるんですよね。同じことを日本語学校以外でやらかしたら、相当強い風当たりがあることでしょう。そういうことまで教科書に載っていない事柄まで教えるのが、日本語学校なのです。

日本語教師養成講座へのお問い合わせはこちらへ

シーズン到来

10月24日(木)

「先生、あと2週間ですよ、EJUまで。緊張します」「うん、緊張するのもわかるけど、Yさんは6月でいい点数取ってるんだから、その点数でどこか出さないの?」「出します。M大学とN大学とD大学に出そうと思っています。M大学は書類審査だけ、N大学とD大学は面接も筆記もあります」「そうか。D大学は独自試験重視だから、面接が大切だぞ」「そうですか。じゃあ、EJUが終わったら面接練習お願いします」

…なんていう会話をする季節になりました。Yさんには6月の成績で受かりそうなところに出願しておけと指示しておいたのですが、結局何もしませんでした。11月はもっと高い点が取れると思っているのでしょうが、Yさんぐらいの成績だと上積みするのが難しくなります。しかも、Yさん、先学期は6月の成績に浮かれてろくに勉強しなかったみたいですから、この期に及んで焦り始めて、それが緊張につながっているのでしょう。

今週はSさんの推薦書も書きました。Sさんは、直接受け持ったことはありませんが、いろいろなところで接触してきましたから、お引き受けしました。「推薦書に何書いてもらいたい?」と本人に直接聞いたら、出席率がいいこととう控えめな答えが返ってきました。でも、出席率が高いだけでは、推薦書は書けません。Sさんの一番の美点は、あふれんばかりの向上心でしょうかね。負けん気の強さと言ってもいいかもしれません。そういった気持ちに支えられて、外部試験でも高得点を挙げてきました。

私だけじゃありません。毎日、校内のあちこちで、T先生もK先生もO先生もH先生も、面接練習や進学相談をなさっています。留学生の入試は、今が入シーズンです。

日本語教師養成講座へのお問い合わせはこちらへ

採点

9月27日(金)

昨日の期末テストの読解を採点しました。一番熱心に授業に参加しているJさんが一番いい成績だったという、実にまっとうな結果となりました。授業中もスマホを握りしめている学生たちは、軒並み沈みました。教科書の文章に集中しなければならないのに、右手の指先にばかり神経が行ってしまっていたら、頭の中には何も残りませんよ。

全体的なことを言うと、学生たちは質問文をよく読んでいないんだなということがわかりました。“当時”とはいつのことですかと聞いているのに、“大学生の私”などと答えてしまった学生が1人や2人ではありませんでした。せめて“私が大学生の時”と答えてくれたら、部分点はあげられたのですが…。授業では“筆者が大学生だった時”と教えたような気がするんですが、耳よりも指先に精神を集中していたら、そんなことは覚えちゃいませんよね。

比較的よくできたのは、本文から言葉を選んでくる穴埋め問題でした。これだって、できない学生はとんでもないところから言葉を引っ張ってきたり、5文字分ぐらいのスペースしかない解答欄に無理やり本文1行を押し込もうとしたり(その1行の中のキーワードを答えてほしかった)と、やりたい放題をしてくれました。かなり好意的に採点しましたが、それでも点をあげられない答えがザクザク出てきました。

こんなふうに学生に対して愚痴をこぼしたくもなりますが、こちらにも改めるべき点がなかったかと反省もしています。各段落の、文章全体の肝をつかませるにはどうしたらいいか、これは永遠の課題です。また、Jさんの授業の受け方を、次の学期の学生たちにいかに伝えるか、そして実践してもらうかということもそうでしょう。

今度は、新学期までの期間が短いです。その間に態勢を立て直さねばなりません。

日本語教師養成講座へのお問い合わせはこちらへ

フル回転

9月26日(木)

学校的には期末テストでしたが、私は養成講座の新しい受講生に文法の講義をしました。普段日本語の文法など意識したことのない人たちに日本語文法の発想法を植え付けていくのが、この文法の講義の主たる役割です。今までとは違う角度から、自分の使っている日本語を見つめ直してもらう、と言ってもいいでしょう。

可能動詞の説明をした後、「さあ作ってみましょう」と動詞を示して作ってもらうと、予想通り、“来れます”“食べれます”という答えが返ってきました。「9割がたの日本人がこう言っていると思いますが、日本語の教科書ではそうなっていないんですねえ」と訂正を求めましたが、“来られます”“食べられます”がなかなか出てきませんでした。それだけ、“来れます”“食べれます”ががっちり定着しているのだと感じさせられました。おそらく、学校の国文法の時間に“来られます”“食べられます”と習ったことはすっかり忘れているのに違いありません。いや、そう習う前から“来れます”“食べれます”と言っていたはずですから、“来られます”“食べられます”と先生が言っても意識されなかったのかもしれません。

ここで説明すると長くなりますから省略しますが、“来れます”“食べれます”は、可能動詞の作り方として合理的な面もあります。上述のように大半の日本人の支持も得ていますから、何がなんでもダメと否定するつもりはありません。でも、教科書が“来られます”“食べられます”となっているのに、教師が“来れます”“食べれます”と言っていたら、学習者は混乱するだけでしょう。

“来られます”“食べられます”に限らず、これから驚くことばかりだと思います。講義終了時に受講生に感想を聞いてみたら、「頭がフル回転しています」と言っていました。次回は来週ですが、しばらくはフル回転を続けてもらいます。糖分をたっぷりとって、脳が栄養十分の状態で講義室にいてくださいね。

日本語教師養成講座へのお問い合わせはこちらへ