Category Archives: 教師

文法を教える

7月1日(木)

月が替わりました。私は養成講座の授業が始まりました。中上級の文法です。でも、日本語の骨格を成す“文法”は、初級で勉強してしまいます。動詞の活用、助詞のはたらき、日本語の文構造、そういった事柄は、みんなの日本語の赤い本と青い本でほぼ勉強し尽くします。厳密に言うと、中級や上級の文法の時間に勉強することは、句法や語法です。

実は、中級や上級は、文法以外の時間に文法を勉強していることが多いのです。初級で勉強した文字通りの文法をどのように応用していくか、字面の裏側に隠された話者の真意をいかに探り当てるかなどを追求していきます。また、日本の文化や日本人の伝統的な考え方に基づいた言葉の使い方や表現の方法といったことも、機会あるごとに触れていきます。

これらは、日本人にとって当たり前すぎることなので、授業などで見過ごされがちです。また、受験のテクニックとも違いますから、問題集などで扱われることもあまり多くありません。しかし、学習者が日本人と意思疎通を図りながら日本で暮らしていく上は、どうしても必要なことです。JLPTや大学入試の点数につながらなくても、日本を生活の舞台とするなら、身につけておかねばなりません。その役目を担うべきは、日本語教師です。

日本語は、英語とは違って国際共通語ではありません。英語は、ノンネイティブ同士のコミュニケーションにも活発に使われています。しかし、日本語の場合、ノンネイティブはネイティブとのコミュニケーションの場面に使うのがほとんどでしょう。だから、上述のような日本語の使い方ができるようになっておく必要があるのです。

学習者が日本語を生かしていく際に不可欠なことは何か、それを受講生に伝えていきたいです。

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変容

6月25日(金)

学期休み中は、教師の勉強会がよく開かれます。特に昨今は学校のあり方が大きく変わりましたから、それに関して外部の講演会や研修会に参加した先生の報告会が行われます。

F先生も、そういう形で学校外から得てきた考え方を発表してくださいました。その中で、学校における教育が、知識や技能を伝達する様式から学習者の変容を促す様式へを変化しつつあると述べていました。確かにその通りだと思います。社会が求める教育は、答えを与える教育から、答えにたどり着く力を与える教育へと変わってきました。私もそういう方向性に沿って、自分が担当している授業の内容を作り上げています。

しかし、学生がそれについてきていないと感じることもよくあります。典型的なのが受験講座です。EJUの過去問を解かせると、多くの学生の関心事は答えが合っているかどうかです。それだけと言っていいかもしれません。なぜその答えになるのかというところには、さして興味を示しません。2問間違えたとか、この問題は3番か5番か迷って5番にしたら当たったとか、そんな感想ばかりです。

どうしてその問題を間違えたのか、また、自信なく選んだ選択肢が正解だったらなぜそれが正解だったのか、その点を追求しない限り実力は伸びません。そういう点に目が向くように日ごろから指導しているつもりなのですが、実を結んだとは言い難いのが現状です。進学してからのことも考えて勉強するようにと、特に上級の学生には訴えていますが、まだまだ進学するための勉強にとどまっています。大学院進学希望の学生なんか、まさしくそうだと思うんですがね。

次の学期には出願シーズンが始まります。視野狭窄のまま出願することのないように、学生たちを指導していきたいものです。

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さび落とし

6月16日(水)

自分が受け持っているクラスの授業は、1週間に1回か2回ありますから、連続的とは言えないまでも、継続的ないしは断続的に追跡できます。初級クラスなら、今、みんなの日本語のどの辺をやっているかは把握できているものです。流れに乗っているとも言えるでしょう。3か月で1クールですから、次の学期にまた同じレベルを担当するとしても、多少の新鮮さとともに、すぐにその流れがつかめます。

受験講座理科は、6か月で1クールぐらいのペースですが、各学期に最初からの学生がいますから、実質的には3か月で回転しているようなものです。前学期の反省を踏まえて多少資料をいじったり作り替えたり新機軸を加えたりなどしています。

ところが、日本語教師養成講座となると、6か月ごとですから、忘れたころに授業の担当が回ってきます。大筋は変わっていませんが、半年前に作ったパワーポイントを見て、「これで一体何をしたんだっけ」となってしまうこともあります。

あさってから、その久しぶりの養成講座です。先週から資料を見始め、少しずつ手直しをしています。こういうことをしながら、養成講座の頭を作っていきます。学生に教える授業とは違う発想が求められますから、それぞれの資料で何を言わんとしているか再確認しておかないといけません。

でも、そうやって準備しても、受講生を目の前にしたとたんに、「そういえば前回こんなことをしたっけ」などと思い出し、予定外の方向に進んでしまうこともあります。さて、今回はどうなるでしょう。

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やはり話す力

6月7日(月)

進学フェアがありました。毎年このくらいの時期に実施していましたが、昨年はオンライン授業の真っ最中でしたから、時期を遅らせました。今年はEJU前に復活です。

去年、おととしに比べると学生数がだいぶ少ないですから、参加してくださった大学の担当者さんに寂しい思いをさせるのではないかと危惧していましたが、今、KCPに残っている学生たちは本気度が違いました。中級以上の授業が終わると、どの大学のブースも密を気にしなければならないほどの学生が集まりました。

去年は、オンラインで参加の大学には学生があまり寄り付かなかったのですが、今年はごく当たり前にzoomの画面をのぞき込み、どんどん質問をぶつけていました。学生側も、オンラインでの質疑応答にかなり慣れたということでしょう。大学のオンライン授業もこんな調子で、昨年よりも今年の方がこなれてきているのでしょうか。

参加校に事情を聞いてみると、21年度入試は読みが外れた大学さんが多かったようです。受験生が少なかったとか、合格者の歩留まりが悪かったとか、まさしく先の読めない戦いを強いられたようでした。今年は、日本語学校の学生が激減し、新規の入国がいつから認められるのか全く見当がつかない状況下ですから、更に混沌とした状況に陥りそうです。でも、入学者のレベルは落としたくないという意識も強いように感じました。大学側としては、コミュニケーションが取れない学生が入学しても、指導のしようがありません。

やはり、テストで点が取れるだけではなく、進学してから実のある勉強ができる日本語力を付けさせることこそ、私たちの本務だと再認識しました。

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田植えの季節

6月3日(木)

代講で、久しぶりに日本語がかなり通じるクラスに入りました。通じると言っても初級クラスですから、たかが知れています。しかし、レベル1のクラスに比べたら単語も文法も知っていますから、教師としては楽です。

このクラス、ちょうど「みんなの日本語Ⅱ」が終わるところでした。その復習問題の答え合わせもしたのですが、そうなると、ついつい、学生が忘れていると思われる文法や表現を問い詰めてみたくなります。また、習ったはずの別の表現も使わせてみたくもなります。そんなことをしていると、あっという間に時間が過ぎ去っていきます。そのせいで後半は予定が押してしまいました。

でも、初級の文法がいい加減なまま上級まで来てしまうと、下手さに満ちあふれた日本語を使いまくります。上級を教えていた教師としては、その萌芽をぜひとも摘み取っておきたいのです。発音やアクセントもバシッと指導し、1ミリでも完全に近い形で進級してきてほしいものです。

午後は、そのもっと手前、レベル1のクラスでした。14課が過ぎていますから、新出語の動詞が何グループか聞いてみたら、ボロボロに間違っていました。午前中のクラス以上に“元から断たなきゃダメ”感が湧き上がりました。学生の頭の中には、まだ日本語文法の骨組みが出来上がっていません。動詞のグループを意識させるのは、その第一歩です。これまた、熱弁を振るったり練習させたりしていたら、時間が足りなくなってしまいました。

こういう学生たちが私のホームグラウンドにまで上がってくるのは、来年のことかもしれません。その時のために、種をまき、苗を育てているのです。

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変わった?

5月8日(土)

朝、パソコンを立ち上げると、だいぶ前にKCPをおやめになったW先生からメールが届いていました。大学院に進学しようと思っている留学生の面倒を見ているそうです。KCPでの経験が、多少は役に立っているのでしょうか。文面からはお元気なご様子がうかがえ、いつもにこやかでやる気満々だったW先生のお姿が頭の中に浮かび上がってきました。同じ釜の飯を食った仲というよりは、同じ学生に悩まされた仲とでもいうべきW先生です。ずいぶんとお会いしていませんが、太い絆の連帯感がよみがえってきました。

W先生は、現校舎ができてからまだいらっしゃったことがないとのことですから、おやめになったのは震災の直後ぐらいだったのでしょうか。そのころと比べると、確かに教師の顔ぶれは変わりました。でも、毎日学校へ来ていると、その変化に気づかないんですよね。私自身はどれくらい変わったでしょうか。毎朝一番に出勤し、日本語を教え、理科を教え、養成講座を担当し、行事のたびに天気予報をし、…というあたりは、W先生がいらっしゃった頃と変わりありません。オンライン授業をするようになった点が変化といえば変化ですが、いろんな機材を使いこなしているわけではありませんから、進歩とは言えませんね。

緊急事態宣言が解除されたら旧交を温め合いたいと思いますが、いつのことになるやら。ついに1000人を超えてしまいましたからね。他県でも過去最多が目立っています。まずはこれからさらに大きくなりそうな波を乗り越えなければなりません。

ということで、W先生にお会いしていない間に一番大きく変わったのは、世の中そのものですね。

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懐かしい顔

4月20日(火)

午後の授業の準備をしていたら、A先生がいらっしゃいました。A先生は、去年の春先に出された最初の緊急事態宣言直前まで、上級クラスを教えていました。2月末に全面オンライン授業になってから、ずっと休んでいました。お年を召していますから、授業をお願いして無理に外出させてはいけません。そういうわけで、1年余りのご無沙汰でした。

A先生ご自身もあまり家の外には出ず、新宿も本当に久しぶりだとおっしゃっていました。でも、何より、声の張りも1年前とまったく変わらず、お元気そうなご様子でした。感染状況が改善すれば、今すぐにでも教壇に立てそうな雰囲気を放っていました。

東京は711人。先週の火曜日より201人増えたそうです。3度目の緊急事態宣言が現実味を帯びてきつつありますが、オオカミ少年みたいになってきています。まん延防止などという中途半端な規制のおかげで、国民側の緊張感が薄れています。今晩は日中の暖かさが残っていることでしょうから、お酒とおつまみを買って外で盛り上がる人たちが大勢出るんじゃないかと思います。

もはや悠長に聖火リレーなどしている暇ではありません。せっかく走者に選ばれた方々には申し訳ありませんが、オリンピック自体、もう死に体です。選手だって、ワクチン未接種者が大半の国になんか、足を踏み入れたくないんじゃないかな。

A先生は、事態がさらに悪化しないうちにご挨拶したいという義理堅い理由でお越しくださいました。やっぱり、オリンピック中止で、1日も早くA先生に復活していただきたいです。

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勝負時

4月16日(金)

金曜日は、先学期から受験講座を受けている学生の化学と物理です。先学期の受験講座理科はずっとオンライン授業でしたから、やっと初めて顔を合わせることができました。オンラインでは、お互いにマスクを取って素顔を見せ合っていましたが、同じ教室で空間を共用するとなると、人数が少なくてもマスク着用は必須です。

オンラインだと、1人1人の顔の映像は小さくても顔全体が見えました。しかし、対面となると顔の大半がマスクで覆われています。学生がわかったかどうかつかみにくいのではと危惧していましたが、よくわかりました。全身が見えますから、体全体から発せられる動揺やら納得やらが伝わってきました。

また、目は心の窓という通り、マスクの外に出ている目だけで学生の気持ちがかなりつかめました。その目を見ながら学生の興味の方向を捕らえて説明を補ったり飛ばしたりしましたから、先学期よりメリハリのある授業ができたんじゃないかと思います。もっとも、先学期より脱線が多くなりましたから、進度の方はわかりませんが…。

オンラインよりも学生への問いかけが増えました。しかし、私からの問いに答える学生の日本語がいただけません。理科系は、入試に口頭試問を設けている大学も多いですが、それにたえられるだけの日本語にするには、先が長い旅になりそうです。学生から質問も活発に出てきました。濃厚なやり取りができました。

せっかく順調な船出ができたのに、第4波の波音が近づいています。オンラインになるとしても、対面授業のうちに学生との間に強固な絆を築いておきたいです。来週、再来週ぐらいが勝負でしょうが。

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峠越え

4月15日(木)

先週から始まった日本語教師養成講座の初級文法の授業が、ようやく最終日を迎えました。動詞とか助詞とか日本語文法の基礎となる部分をお話してきました。最終日は、今まで話してきた文法事項が、みんなの日本語の中にどのように反映されているかを見ました。

1課から50課まで、どんな文法項目がどんな順番に並んでいるか、どの課が私の授業のどこに相当するか、そういうのも中心に概観していきました。こういうまとめ方をするには初めてでしたから、私自身も昨日みんなに日本語を読み直し、その組み立てを改めて確認しました。

やっぱり、14課以降、動詞の活用形が次々と現れるところが胸突き八丁だと感じさせられました。また、「て形+補助動詞」が踵を接して登場するあたりも、学習者にとっては辛いだろうなと思いました。教える側はゴリゴリ押し込むだけですからあまり感じませんが、次から次へと微妙に違う文法を覚えて使い分けなければならないとなると、混乱もするでしょうし心が折れそうにもなるでしょう。

そういう切所を乗り越えて50課までマスターすると、ミラーさんじゃありませんが、日本で普通に生活していけそうです。常々、入試の面接の文法はみんなの日本語のレベルで十分だと言ってきましたが、その思いを強くしました。もちろん、語彙は補わなければなりません。

学生たちがうまくしゃべれないというのは、結局、みんなの日本語の山場をきちんと越えていないからです。学生も教師も妥協し、山にトンネルを掘ってしまうのです。そんなことを反省しつつ、偉そうな顔をして解説していました。

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恩讐の彼方に

4月12日(月)

午後の授業が終わって職員室へ降りてくると、この3月に卒業したNさんがいました。進学したJ大学は対面授業を行っており、授業が終わってからKCPにまで足を運んでくれたとのことでした。感染者数が増えていますからこの先どうなるか予断を許しませんが、大学の講義に関しては、満足そうな顔をしていました。

このNさん、実はJ大学への進学に関してひと悶着あった学生です。一時は進路指導の教師と冷戦状態に陥りました。卒業式でも、証書授与の際に私の顔を少し上目遣いに見ていました。いくばくかの後ろめたさを感じていたのでしょう。そのぐらい、何が何でもJ大学という思いが強かったのだと思います。

そういうNさんが、こんなに早い時期に学校へ顔を見せに来てくれるとは全然思っていませんでした。私はゆっくり話すことができませんでしたが、Nさんをずっと見てきたA先生とは談笑していました。わだかまりが完全に消えたかどうかまではわかりませんが、とげとげしい空気は漂っていませんでした。

今までも、在校中は反抗的だったり、全然学校を頼ろうとしなかったり、教師を信用していない風に見えたりする学生がいました。そんな学生が、卒業後にひょっこり学校を訪ねてくると、教師側が逆に盛り上がることもよくありました。戦友とは違いますが、ある共通の空気を吸っていたという気持ちになるのです。

思いでは美化されると言いますが、美化されうる思い出を共有できるのは、お互いを認め合った仲に限られるのではないかと思います。そういう意味で、私たちはNさんの実力も勉学に対する姿勢も認めていたし、Nさんも私たちの真意を理解していたのだと思います。この関係をこれからも維持していきたいです。

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