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次が来る

2月9日(木)

K大学に合格したCさんが、入学手続でわからないことがあると言って、私のところへ来ました。K大学から送られてきた資料を読みましたが、私にもわかりませんでした。「これはK大学に電話して、直接聞くしかないね」と言うと、Cさんはかけてくれといわんばかりの視線を私に投げかけました。

かけてあげてもよかったのですが、いつまでも私たち日本語教師がCさんのそばにいられるわけではありませんから、自分でかけるようにと促しました。「緊張しますからどう聞いたらいいかわかりません」と言いますから、尋ね方を教えて、Cさんにかけさせました。問い合わせて得られた結論はCさんにとって必ずしも喜ばしいものではありませんでしたが、Cさんは1つの大仕事を成し遂げたような表情をしていました。

PさんはE大学を目指しています。E大学の独自試験の準備をしています。数学の問題を解いたところ、答えは合っていたものの、解き方は模範解答と全然違っていました。それで、自分の解き方でも点数がもらえるかと私に聞いてきました。

Pさんの解き方は、間違ってはいませんが、大学に入ったら通用しない考え方に基づいていました。練習問題レベルならそれでも答えが出せますが、もっとひねった問題となると苦しくなるでしょう。そういうことをアドバイスしたら、ちょっと苦笑いしながら納得してくれました。

来週の月曜日から、6月のEJUの出願が始まります。もう少しで今シーズンが終わると思ったら、もう来シーズンが始まろうとしています。なんと慌しいことでしょう。

欲が出た?

2月6日(月)

午後の面接練習の予定がなくなって一息ついていると、Cさんが来ました。「先生、A大学に合格しました」「よかったじゃないか」「はい。先生のおかげです」と、まあ、ここまではうれしい報告。しかし、それに続いて、「先生、A大学は本当にいい大学ですか」と、ちょっと穏やかではない質問が来ました。

「どうして?」「私の学部は、去年は5人ぐらいしか合格しませんでしたが、今年は20人ぐらい合格しました。それに、受験のときに友達になった学生はみんな合格しました」「今年の受験生はそれだけ優秀だったんじゃないの?」「いいえ、私よりEJUの成績が悪い学生も合格しました。その学生は面接で何も答えられなかったと言っていました」と、Cさんは不安の根っこを吐露します。

要するに、スペシャル感が薄まってしまったのでしょう。自分より成績が下の学生が受かっていると不満げに言っていますが、もし、合格者がみんなCさんより上の成績だったら、Cさんが合格者の中で成績最下位ということになります。そうなったら、大学の授業で落ちこぼれてしまうかもしれないではありませんか。しかも、Cさんが言った去年の合格者5人というのは、実は入学者が9人というのが正確な情報で、合格者数は今年とさほど変わりません。

何はともあれ、滑り止めではない大学に受かったのですから、もっと喜ばなければなりません。これで、今月下旬の国立本命大学の入試を、余裕を持って受けることができるではありませんか。Cさんもその準備に本格的に取り組む意志を示していました。さあ、最後の一山です。

不安と喜び

2月2日(木)

夕方、受験講座を終えて職員室に戻ってHさんの宿題を採点していると、YさんがS大学を受験したその足でやってきました。Yさんは既にいくつかの大学に受かっていますが、S大学にはどうしても受かりたいといっていました。

「先生、入試要項には口頭試問と書いてありましたが、口頭試問はありませんでした」「あ、そう。じゃあ、どんなこと、聞かれたの」「志望理由以外には生活のこととか…」と、何だか闘志が空回りして拍子抜けだったようです。Yさんの受けた学科は出願者が4名でしたが、1名欠席したとかで、面接に臨んだのは3名。自分以外の2名に比べて、自分の面接時間が短かったことも、Yさんの不安をかき立てているようでした。

S大学の発表は8日ですが、その日、Yさんは国立B大学受験のため遠征しています。そのB大学の志望理由は少々無理をしてこしらえたので、面接の時に突っ込まれたら怖いといいます。B大学のある町は、独特な雰囲気のある町なので、それを志望理由に加えればいいとアドバイスしました。大学4年間、大学院に進学したらさらに2年間その町に住むのですから、その町に惹かれたというのは、立派な志望理由になります。月曜日に面接練習をすることになりました。

Yさんよりも前に、T大学の大学院に受かったIさんが、受験講座の教室までわざわざ報告に来てくれました。IさんはYさんとは違って、なかなか桜が咲かなかった学生です。苦労した末の合格のせいか、目が潤んでいました。

Iさんは、まじめな学生ですが、それが結果につながりませんでした。初級で教えましたけれども、努力しているのに成績に結びつかないところがありました。その後順調に進級を続けて上級まで来たのですから、地力がないわけではありません。入試もどこかで歯車がずれてしまったのでしょう。職員室で面接練習や進路指導を受けている姿を秋口から見てきたような気がします。それだけに、小さい春を見つけたIさんの姿に、そしてそれをわざわざ報告しに6階の教室まで来てくれたIさんの篤い気持ちに、心が温まりました。

種まき

1月31日(火)

私にとっての1月期は、3月に進学する学生たちへの最終の進学指導と、次の年の進学を目指す学生たちの基礎の勉強を並行して進める時期です。

まず、授業後、Wさんの面接に関する相談。Wさんはもうすでに何校かに受かっていますから、面接そのものについての相談ではなく、志望理由をどのようにまとめると試験官へのインパクトがより強くなるかという話でした。Wさんが考えてきたストーリーだと回りくどくて焦点がぼやけていましたから、内容をばっさり削ってすっきりさせました。

次はLさん。こちらはまだどこにも受かっていませんから、何とか次の大学に受かってもらわなければなりません。Lさんは話が局地戦になりがちで、受け答えから大学での学問という大きな流れが見えてきません。抽象的な話ばかりする学生も困りますが、Lさんは自分が将来作る店の細かな間取りの話をとうとうと始めてしまいました。「大学で学んだことを将来どう生かすんですか」と聞くと、とたんに口をつぐんでしまいます。受験日までもう少しありますから、考えるヒントを与えて、自分なりの答えを見出してもらうことにしました。

その次は先学期から受験講座に参加している学生たちの授業。半分ぐらいの内容が終わりましたから、まとめのテストをしました。本番並みの広い範囲のテストは初めてだったこともあり、みんな苦戦していました。それでも、答え合わせで次々と質問が出てきましたから、私は手応えを感じることができました。

最後は今学期から勉強を始めた学生への受験講座。こちらはまだカタカナの専門用語が定着していません。でも、科学的なカンのよさがありますから、私は密かに期待しています。理系科目はどうにかなるとして、EJUの日本語をどこまで伸ばせるかが鍵です。

Wさんは、1年前にまいた種が大輪の花を咲かせた例です。今勉強している学生たちも、1年後にそうなっていることを祈っています。

玉砕もせず

1月28日(土)

12月のJLPTの結果をまとめました。まず気になったのが、出願したのに受験しなかった学生が多かったことです。中には体を壊して帰国を余儀なくされた学生もいますが、大半はろくな理由などなさそうな学生たちです。この敵前逃亡組のおかげで、出願者に占める合格者の割合は、野球の打率並みとなってしまいました。

次に、得手不得手のはっきりしている学生代わりと多いということです。JLPTには、言語知識(文字・語彙・文法)、読解、聴解の3分野が設定されていますが、合格者でもこの3分野間の得点差が大きい学生が目立ちました。学習者の四技能を満遍なく伸ばしていくのがKCPのカリキュラムの基本方針です。しかし、絶対値の高さは別として、どの分野も平均的に得点した学生は少なかったです。

聴解が他の2分野よりも図抜けて高得点の学生は、名前を見ただけで声が聞こえてきそうな面々です。読解が飛び抜けている学生たちは、カリカリコツコツ勉強している様子が目に浮かんできます。しかし、言語知識ががくんと落ちる学生がいつも漢字や文法の再テストを受けているかというと、そうでもありません。

得意分野をより一層伸ばす勉強をすれば不得意分野は自然消滅するとも言われていますが、JLPTについて言えば、苦手を克服することが不可欠だと思います。全体的な底力があれば、たとえば読解が他に比べて弱くても合格点は確保できるでしょう。しかし、合格点付近の実力だと、足を引っ張る科目が命取りになります。JPLT自体が、一芸に秀でた受験生よりも、各分野に平均的に力を持っている受験生を好んでいるように見えます。

何より困るのが、敵前逃亡のやつらです。受験料をどぶに捨てるのは本人の勝手ですが、どういう精神構造を持っているのでしょう。玉砕すらできないのだとしたら、これからの人生、明るくないんじゃないでしょうか。

寒くなくはない

1月17日(火)

今朝、マンションの外に出ると、「おっ、あったかいじゃん」って感じました。もちろん、本当に暖かかったわけではありません。ここ数日の氷点下の寒さに比べればです。また、今朝は風も弱かったですから、体感温度が下がらずにすんだこともあるでしょう。東京の最低気温は0.7度で、昨日やおとといより2~3度ほど高かったです。

Hさんは、金曜日に東北地方の大学を受けます。今回の寒波でだいぶ雪が降り積もった土地へ行きますから、試験前々日、すなわち明日東京発の夜行バスを予約しました。時刻表上では翌日(=試験前日)朝に着きますから、バスが遅れたとしても木曜日中にはどうにかなるだろうという読みです。明日の午後は、そのHさんの面接練習をします。

Hさんだけではなく、ここにきて面接練習が目白押しです。既に何校か受けている学生もいますが、本番の経験があっても面接練習は緊張すると、Sさんなんかは言っています。

Wさんは、発音、イントネーションなど話し方は自然なのですが、話す内容が若干飛んでいて、面接官がついてきてくれるかどうか心配です。その発想の豊かさ、常人とは違う視点が面接官に認めてもらえれば合格も夢ではありませんが、“???”となってしまったら、涙を呑むことにもなりかねません。

Xさんは頭の回転が速い学生で、しかも話したいことがたくさんあるため、ほうっておくといろいろなことを次から次へと早口でしゃべり続けてしまいます。コミュニケーションが好きだといいつつ、聞き手のキャパを超えて語ってしまうので、本当にコミュニケーションが成り立つか不安なところがあります。

WさんもXさんも、私が常識的な線でこうしろと命じれば、そうするでしょう。でも、それではWさんやXさんのとがった部分を削り取ってしまうように思えます。とがった部分をそのまま受け入れて育ててくれる大学に入って、ぐんぐん伸びてもらいたいのです。それゆえ、最小限の修正にとどめたアドバイスを2人に与えました。

国立の入試が本格化すると、こんな話がまだまだどんどん出てくるでしょう。そういう学生をうまく指導して満足の行く結果に結びつけるのが、今学期の上級を担当する教師の役割です。

まねできない

12月21日(水)

EJUの結果が返ってきました。Yさんは、物理は1問かせいぜい2問間違いくらいの成績でしたが、化学は全問不正解の点数でした。答案用紙にマークシートの塗る欄が3列並んでいたので、左から物理、化学、生物の欄だと思い、化学は左から2列目にマークしたと言います。慰めの言葉も思い当たらないミスです。欄には解答番号が記されているので、それを問題用紙の解答番号と照らし合わせれば、どこにマークすべきかは明らかです。それゆえ、非はYさんにあります。

Yさんは、そういうふうにマークしたものの、ちょっと不安だったので、会場にいた試験監督官にマークのしかたはこれでいいかと尋ねました。その監督官が「それでいい」と答えたので、そのまま提出しました。しかし、そのマークのしかたは間違っていて、全く点数にならなかったのです。Yさんの実力からすると、このミスによって60点ぐらいが消えてしまったと思われます。いずれにしても、Yさんは自分の人生を大きく左右しかねない痛恨のミスを犯してしまいました。

試験監督官は、マニュアルによって、Yさんがしたような質問に答えることが禁じられているのかもしれません。あるいは、監督官はアルバイトの学生か何かで、本当に「それでいい」と思っていたのかもしれません。世界中で行われるEJUの公平さを保つためには、監督官は余計なことは話してはいけないのでしょう。だから、監督官を責めるつもりはありませんが、Yさんの失ったものを考えると、どこかに何かをぶつけたくなります。

繰り言をつぶやいても問題は解決しません。Yさんの持ち点で勝負できそうな大学を探し出し、面接時の秘策を伝えました。すぐに体勢を立て直さなければなりませんから、もたもたしている暇はありません。

それにしても、今までこういうマークのしかたをした学生はいませんでした。Yさんは発想力の豊かな学生ですが、ここまでオリジナリティーを発揮されると、ちょっとついていけません。その創造性は大事にしてもらいたいですが、発露の場は心得てもらいたいところです。

見つけて

12月20日(火)

H大学の合格発表がありました。受かったPさん、Oさんは喜びを隠せない様子でしたが、残念な結果に終わったWさんは、授業中は精一杯気を張っていたものの、落胆の色が濃い表情をしていました。

合格発表のたびに感じるのですが、大学は、こちらがいい学生だと推薦したいような学生を落とし、よりによってなんでこんなやつをっていう学生を合格させちゃうんですよね。Pさんは日本語力で、Oさんは人間性で受かったと思いますが、Kさんはどうして受かったのか見当がつきません。本人たちを見ている者としては、Kさんより絶対Oさんなんですがねえ。成績的にもWさんのほうが上だと思います。

Wさん自身、どこが悪くて落とされたのかわからないと言っていました。自分で思い当たる節があれば対策の立てようもありますが、これでは次につながる指導もしにくいです。現時点はWさんの気持ちを奮い立たせることが最優先ですが、受験校が決まったとして、合格に向けて何をどうしていけばいいでしょう。

先日、数年前の卒業生のJさんが来ました。JさんがM大学に受かったのも、Jさんには失礼ながら、Kさん並みの番狂わせだと思いました。もちろんJさんは喜びましたが、入学後しばらくして学校へ顔を見せに来た時には、自分にとってレベルが高すぎて大変だと顔を曇らせていました。そのJさんが、数多くのノーベル賞受賞者や著名政治家を輩出しているアメリカのC大学に留学すると報告に来てくれたのです。在学中、普通の頑張りようではなかったはずです。

意外な合格でもこういうこともありますから、それを一概に否定するつもりはありません。でも、KさんとWさんとどちらがJさんに近いかといえば、明らかにWさんです。レベルの高いところに入っても、そこの水に親しんで自分を伸ばしていける力があります。

まあ、いいでしょう。Wさんを拾った大学は、2年後か3年後に、ダイヤの原石を手に入れたことに気がつくに違いありません。とはいえ、土に埋もれた原石じゃどうにもならないので…。

大きな目で

12月19日(月)

超級クラスの読解は、留学生向けのテキストでは易し過ぎるので、今学期は日本人の高校生向け問題集を教科書として使ってきました。これは、やはり、よくできる学生にとっても難しかったらしく、漢字の読み書き以外は選択問題であっても苦戦していました。

学生たちは、本文中の設問部の直前直後に答えがあるものは比較的よく答えられますが、ちょっと離れたところから答えを見つけなければならない問題には非常に苦労しています。要するに、文章を読んではいますが、頭の中にはその文章のごく狭い範囲しか入っていないのです。前の段落との関係なら見えますが、前の前の段落ともなると、あっぷあっぷの状態です。

「この言葉と1ページ後のこの言葉とが対応していて…」というような解説をすると、学生たちが不思議そうな目をすることがよくあります。傍線部があると学生はすぐそばから答えを探し出そうとしますが、実は結論に近い部分まで読み進まないと答えが見つからないことがよくあります。それゆえ、選択肢を読んでも目が点になっていることもしばしばです。

また、該当箇所を抜き出せという問題は何とか答えにたどり着きますが、それを要約したり言い換えたりしなければならないとなると、とたんに手も足も出なくなります。字数制限を無視して長々と本文を抜き出すような答えが目立ちます。字数制限がなくても、概して長ったらしい答えになりがちです。国によっては、筆答問題では答えがなければ長いほど高く評価されるとのことですが、日本は決してそんなことはありません。むしろ、簡潔さこそが高い評価を得ることが多いです。

3か月間悪戦苦闘しましたが、果たしてどれだけ力を付けてくれたでしょうか。国立大学を始め、これからこの手の読解と向き合わなければならない入試が控えています。その場でここで鍛えた力を存分に発揮してもらいたいと思っています。

はようけんかい

12月15日(木)

期末テスト1週間前ですから、テスト範囲を発表しました。期末テストが近づいてきたということは、再試や追試も早く受けなければならないということです。身に覚えのある学生は、今まで目を背けてきた現実に正対しなければなりません。各クラスの教師は声をからして早く受けろと叫び続けていますが、学生たちの動きは鈍いままです。

私が受け持っているクラスは、今週から声をかけていますが、月曜日から木曜日までで受けた学生はわずかに2名。不合格のテストをいくつも抱えている学生が何名かいますが、彼らは動く気配すらありません。上級ともなれば、受けるべきテストを受けなかったらどうなるかわかっているはずです。それでも何とか逃げ切れればという淡い期待を抱いているようです。

テストは逃れることができても、その範囲の文法や語彙や漢字などが覚えずじまいで終わってしまったら、いずれはそのツケを払わなければなりません。学生は、というか、若者は一般に、テストみたいな、追い立てられるような強制力がないと勉強しないものです。そのきっかけを与えているのが学校なのです。そこのところを理解できず、後悔するのが中年過ぎです。

いいや、中年まで至らずとも、進学してすぐに後悔の念にさいなまれる卒業生は枚挙に暇がありません。A大学に受かったBさん、あんた今のままじゃ授業が始まって1週間で、漢字が読めなくて落ちこぼれちゃうよ。5月病のはるか以前に引きこもりになっちゃいますよ。昨日T専門学校から合格通知をもらったJさん、その専門学校は授業が厳しいことで有名なんですよ。今のままじゃ教科書すら読めずに2年間終わっちゃうよ。

…何はともあれ、尻をたたき続けねばなりません。