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ガラスの心臓

3月18日(金)

早朝、まだ他の先生方が誰もいらしていない頃、今年の卒業生のHさんが来ました。Hさんは国立大学を何校か受けて、卒業式直後の3月7日に結果が全部わかることになっていました。当日連絡が来ず、翌日以降も全く音沙汰なしどころか、こちらから電話をかけても反応しなかったので、たぶん落ちたんだろうなと思っていました。今朝来た本人に確かめてみると、やっぱりダメでした。

Hさんは能力のない学生ではありません。自分の気持ちや考えが話せない学生でもありません。しかし、極端に緊張するたちなのです。EJUの直前はほとんど眠れなかったそうですし、担任の私が面接練習の面接官でも、「手に汗握る」状態になっていました。それぐらいプレッシャーに弱いゆえ、実力が十分に発揮できなかったに違いありません。入試の場数を踏んでいくにつれて多少は慣れたようで、最後の試験だったT大学の後には、いい感じで面接ができたと言っていましたが、残念ながら手が届きませんでした。

Hさんより日本語力もEJUの成績も劣る学生が、自分の第一志望を射止めています。そういう学生は、ただひたむきに、何も考えずに、入試問題に取り組み、面接で自分の思いの丈を語り、合格に結び付けているのです。何もないけど、どうしてもその大学に進みたい気持ちだけはあふれんばかりに持っていて、それを入試の場で爆発させたのでしょう。

Hさんはあれこれ考えて自滅してしまいました。この点をどうにかしない限り、どんな勉強をしても無駄でしょう。Hさんにはそういうアドバイスをしました。Hさんは自分の夢を語ってくれましたが、今朝のその話を、是非、面接の場で面接官に聞かせてあげてください。すばらしい話でしたから。

旅立ち

3月12日(土)

今週は別れの1週間でもありました。全国各地とまでは言えませんが、北にも西にも卒業生たちが旅立っていきました。東京を離れる学生は、東京で進学する学生よりも、新しい生活への期待も不安も大きいです。受験の際にその町を見ているとはいえ、それはしょせん旅行者の目です。その地で何年間も暮らすとなったら、心配の種には事欠かないでしょう。また、新たな土地へ引っ越すとなると、それにまつわる手続きも自分の手でしなければなりません。1年か2年とはいえ、住み慣れた土地を離れるのは、勇気と根気の要る仕事だと思います。

私も大学進学で地方から東京へ出てきた口ですが、親も親戚も手を貸してくれましたから、KCPの学生たちに比べたら、不安なんか桁違いに小さかったです。就職の時ですら、レールと道路はつながってるんだという気持ちでした。卒業後久しぶりに学校に顔を出した学生は、よく「ふるさとへ帰ったようだ」と言います。私が大学生の時に実家に対して抱いていた感情が、多少は学生たちの気持ちに近いのかもしれません。

となると、我々教師は、実家の母であり父であるわけです(中には姉か兄と思ってもらいたい先生もいらっしゃるでしょうが)。学生が成長した姿を自慢できるのは、ひよこの頃を知っている私たちだけなのです。私たちも、立派になった学生たちの姿を目にするのと、無上の喜びを感じます。

昨年も、私なりに、種をまき、水をやり、台風よけの囲いを作り、実を実らせてきたつもりです。その果実が遠い地でも芳香を放つことを、期待してやみません。

伸びたね

3月10日(木)

お昼過ぎに去年の卒業生のCさんが来ました。スーツ姿なのでどうしたのかと聞くと、この近くの会社までアルバイトの面接に来たからKCPにも顔を出しに来たとのことでした。

在校中のCさんは、おとなしいを通り越して、意思疎通すら事欠くありさまで、Cさんに一言しゃべらせようとすると、こちらが十言ぐらいしゃべらなければなりませんでした。今通っているM大学も、Cさんにとってはレベルが高すぎるので、あの話しっぷりでは面接で落とされるのではないかと危惧したほどです。どこをどう評価されたのか首尾よく合格しましたが、入学してからが試練だろうなと思っていました。

ところが、目の前のCさんは、私が一言口を挟む前に十言ぐらい話すのです。それも、無意味な内容ではなく、いいたいことを要領よくまとめた話し方なのです。これならM大学でもそれなり以上の成績を収めているだろうなと感じさせられました。また、こういう調子で面接を受けてきたなら、きっとその会社のアルバイトに採用されるだろうとも思いました。

Cさんの口から、就職希望先として、T社の名前が出てきました。日本人でも簡単には入れない会社ですが、挑戦してみたいと、1年生が終わったばかりですが、目標として掲げたようです。以前のCさんだったら、とても考えられない積極性です。日本人学生に伍して1年間大学生活を送ってきたという自信が、「T社」という希望表明につながったに違いありません。

どうやら、私たちよりもM大学の面接官のほうが、学生を見る目が確かだったようです。潜在力を引き出してもらえたCさんは、M大学で充実した学生生活を送っているんだろうなと思いながら、Cさんの背中を見送りました。

アセトンは何ですか

3月1日(火)

Sさんは受験講座の物理と化学を取っています。物理では理系的なカンのよさを示し、難しい問題をあっさり解いたり、こちらの言わんとすることをすばやく悟ったりします。しかし、化学はカタカナ語の物質名が覚えられず、苦戦中です。このところ有機化学をやっていますが、そこに出てくる物質名が全く頭に入りません。

「先生、アセトンって何ですか」って、あんた何回聞けば気がすむんだい、と突っ込みたくなるほど繰り返し聞きます。アセトンは入試の有機化学の常識ですから、覚えなくてもいいとは、口が裂けても言えません。アセトン並みの重要語を毎回聞きます。同じ名前を何回も耳にしていくうちに覚えていくだろうと思っていましたが、記憶は遅々として深まりません。1週間後にはきれいにリセットされています。

Sさん自身も、物理は1つのことを覚えるとたくさんの問題が解けるようになるが、化学はカタカナ語を1つ覚えたところで解ける問題はごく限られている、と言っています。半ばさじを投げたような発言です。

Sさんはこの苦手を克服すれば大きく成績を伸ばすことができるでしょう。しかし、6月のEJUまで3か月以上あるとはいえ、これはSさんにとっては容易ならざる課題です。でも、この課題を乗り越えない限り、Sさんが考えている愛学には進学できないでしょう。進学できたにしたって、ここまでカタカナ語が苦手となると、単位を落としかねません。いずれにせよ、明るい未来にはつながりそうもありません。

Sさんをどこまで引っ張り上げられるかが、新年度の私の課題になりそうです。

芽生え前

2月16日(火)

今学期の受験講座は、上級の学生がほとんど抜け、来年の4月に進学を目指す初級から中級の学生が主力になっています。私が担当している理科は、意欲に日本語力が追いついていない学生が目立ちます。

理科の場合、国で勉強してきたことを日本語で復習するという側面があります。日本語で理解を整理するといってもいいでしょう。教師である私が、学生たちの母語が使えないので、学生たちのほうから歩み寄ってもらわなければなりません。ですから、中級あたりまでの学生にとっては厳しいところがあると思います。

でも、自分がこの学校で身に付けた日本語を武器として何かをするという経験ができます。日本語の授業の中という模擬的な環境ではなく、非常に大きくかつ重要な必要に迫られて何かをするのです。ここで何かを成し得た自信は、他の場面では手にすることのできないものです。

そういう高尚なことをしようとしてはいるのですが、今学期の学生たちは前のめりになっている感じがします。学生たちは、私の説明が一発でわからなかったり、自分の疑問点を私に上手に伝えられなかったり、練習問題の題意がすぐにつかめなかったりと、連日苦労を重ねています。

何だかんだと言いながらも、先学期から始めた学生たちは、明らかに進歩しています。今学期からの学生も、この1か月の間に力をつけました。元々持っていた理科の力を、日本語を通して表せるようになってきたと言ってもいいでしょう。本人たちはまだ手ごたえを感じてはいないでしょうが、彼らの面倒を見ている私は感じています。

春の芽生えみたいなものかもしれません。風は冷たいけれども「光の春」と呼ばれる2月の陽光を浴びて、木や草がかすかに青やいできたというところでしょうか。6月のEJUには花を咲かせなければなりません。芽吹きの季節が待ち遠しいです。

推薦書を断る

2月13日(土)

昨日の夕方、Gさんが、専門学校を受験したいから推薦書を書いてくれと頼みに来ました。そこでGさんの出席率を調べてみると、ビザの期間延長後の出席率がKCPの推薦基準に達していないことがわかりました。ですから、Gさんに推薦書は書けないと伝えると、推薦書が書けない理由を書面にしてくれと言います。これは断る理由はありませんから、書くことにしました。

Gさんに限らず、推薦書は先生に頼みさえすれば書いてもらえると思っている学生が少なからずいるように見受けられます。推薦書とは、「この学生はいい学生ですから、ぜひ貴校で勉強させてやりたいです」という書面ですから、誰にでも出せるわけではありません。Gさんのように出席率が足りないとなると、学校で勉強するという学生の本分を忘れているということですから、間違っても推薦の対象にはできません。

Gさんの場合、専門学校側は推薦基準を設けていませんから、KCPが推薦書を書けば、それはそのまま受け取ってもらえるに違いありません。しかし、1週間に1日以上のペースで休む学生を推薦できるほど、私の度量は大きくありません。私文書偽造の罪に問われることはないでしょうが、良心の呵責は感じますし、そこまで学生を甘やかしていいものだとは思いません。Gさんの欠席には、本当に休まなければならなかった場合もあったでしょう。でも、おそらく大部分は寝坊程度の理由だったことは、想像に難くありません。推薦書の権威と信頼性を保つためにも、Gさんに推薦書を書くわけにはいきません。

私が推薦書を書かなかったことで、Gさんは専門学校に落ちるかもしれません。そして、日本での進学をあきらめ帰国を余儀なくされるかもしれません。でもそれは、少なくとも半分は、自業自得です。私たちがもっと強力に指導していればという反省もないわけではありませんが、指導に耳を貸さなかったのは、ほかならぬGさんです。

来週、Gさんは書類を受け取って、専門学校に出願します。いったい、どんな結果が出るのでしょう…。

久しぶり

2月8日(月)

授業後、Gさんの面接練習をしました。Gさんは、おととし入学した学期に、レベル1で受け持ちました。授業中はいつも大きな目をこちらに向けて、目から耳から何でも吸収しようとしていました。また、動作がきびきびしていて、Gさんが動いている姿は見ていて気持ちがよかったです。それは字にも現れていて、他の学生に見せたいくらいしっかりしたノートを取っていました。

そんなGさんは、成績が悪かろうはずがなく、今学期は上級クラスです。先週の金曜日、受付で私を呼び止め、志望校のM大学大学院の面接試験が迫っているから面接練習したいと頼んできました。私の手を離れてからは、校内でたまに出会ったときに会釈をする程度で、じっくり話したことはありませんでした。でも、会釈だけは必ずしっかり例のきびきびした身のこなしでしてくれました。そんな薄い縁でしたが、Gさんは頼りにしようと思い、私もGさんのためならぜひ力になりたいと思い、面接練習を引き受けたわけです。

もちろん、全然受け持ったことのない学生から頼まれても引き受けますが、初顔合わせみたいな学生とずっと気にかけてきた学生とでは、こちらの気合が違います。学校長としてはどの学生にも分け隔てなく接しなければならないのでしょうが、機械じゃなくて人間ですから、やっぱり付き合いの濃淡によって接し方が変わってしまいます。その付き合いも、Gさんのように好印象を重ねてきた学生と、「まったくもう」というかかわりばかりの学生とでは、こちらの向かう気持ちも違ってきて当然ではないでしょうか。

何も教師に向かって尻尾を振ってもらいたいわけではありませんが、周囲にいやな雰囲気をまき散らしていてもいいことなんか1つもありません。マイペースでもいいですが、人間は社会的動物だってことは忘れないでおいてほしいものです。

パワーポイントを駆使して自分の卒業研究の概要をプレゼンするGさんを見て、頼もしく思いました。成長振りがうれしかったです。内容的にはかなりダメ出しをしましたから、これから本番までのわずかな時間で軌道修正しなければならず、下手すると徹夜続きかな…。

不毛の会話の果て

2月5日(金)

こちらは、お宅のお子さんが入学したKCPという日本語学校です。最近、お子さんは全然学校へ来ていません。それで、こちらからお子さんに電話をかけているんですが、いつもつながりません。ご両親様のほうから連絡を取っていただけないかと思って、お電話を差し上げました。

子どもは元気にしていますよ。そちらの学校へは行っていませんが、家で毎日絵を描いています。美術大学進学希望ですから、それが一番の勉強です。KCPに通っても絵の勉強はできないでしょ。

でも、日本語学校に入学したということは、日本語の勉強をしなければならないということです。お子さんが持っているビザは、KCPで日本語を勉強することが前提のビザです。

うちの子は国にいたときから日本語はよくできましたから、日本語よりも絵なんですよ。KCPは、絵の勉強をさせてくれませんから、行くだけ無駄です。もちろん、KCPで家にいる以上に絵の勉強ができるなら、うちの子も喜んで通いますよ。それができないということは、KCPは学生のニーズに応えていないということなんじゃないですか。

……親がこれでは、子どもが学校へ来るわけがありません。これが今はやりのモンスターペアレントというやつなのでしょう。

こういう不毛の会話をさせてくれた張本人のLさんが、突然学校へ来て、美術大学への出願書類を見てほしいと言います。出願書類の書き方などさんざん指導してきたのに、そういう授業をサボっていたからでしょう、住所、氏名、生年月日など、ごく基本的なことしか埋められていない出願書類を私に見せてきました。志望理由や将来計画は完全な白紙です。

好き勝手なことをしまくって、困った時だけ学校を頼る――なんと虫のいい話でしょう。突っ放したら、きっとまたあの親がねじ込んでくるんでしょうね。怒りを振り捨てて、書類作成を手伝いました。でも、不思議なもので、いつの間にか親身になっちゃうんですね。手取り足取り書き方を指導し、志望理由と将来計画はポイントとなる事柄を教え、月曜日に書いてくることにしました。

つくづくお人よしだなと思います。だまされることを承知で人に尽くすことが、この仕事に携わる者の必須条件なのかな…。

まぶしい選択

1月30日(土)

Aさん、Mさん、Fさん、Oさん、Gさん、Sさん、Lさん、Jさん、Hさん…今シーズンは関西の大学に行きそうな学生が目立ちます。私の近くでたまたまそういう学生が多いだけで、実際には昨シーズンとさほど変わらないのかもしれませんが、進学先として抵抗なく関西の大学を選ぶようになったと思います。

一昔前は、学生は東京から動こうとしなかったものです。埼玉、神奈川など、東京の隣県すら行こうとしませんでした。震災があってからでしょうかね、東京の外へ出て行く学生が増え始めたのは。原発事故で東日本は危ないと叫ばれたおかげ(?)で、学生の目が関西にも向けられるようになったように思います。

もう一つ、学生が豊になったことにも関係があると思います。アルバイトが日本留学の必須条件という学生にとって、せっかくつかんだアルバイト先を手放すことは死活問題でした。でも、最近はそこまでの苦学生は少なくなりました。アルバイトは純粋に社会勉強という学生にとって、東京にこだわる必然性はありません。

東京は日本最大の都市だし、秋葉原や原宿のように国でも知られた町もありますから、一度は住んでみたいですが、日本語学校にいる1年か2年で楽しみ尽くせば、大学生活は別の都市で送りたいと考えているのではないでしょうか。その別の都市として、京都や大阪や神戸という関西がターゲットになったと考えられます。

もちろん、関西に魅力的な勉強ができる大学があり、それに学生が引き付けられていることも確かです。自分の人生をより輝かせるために、一度の大学生活を有意義なものとするために、そこに住まうということにまで考えを及ぼして、進学先を丁寧に選ぶようになりました。それを可能にしたのが、豊かさではないかと思っています。

逆に見ると、東京の町や東京の大学は、留学生に選ばれなくなりつつあるのではないでしょうか。東京は世界で一番おもしろい町とか、2度目のオリンピック開催とか言って、日本の中のガリバーとしてあぐらをかいていると、近い将来、どんでん返しを食らいかねないような気がします。その東京にぶら下がっている大学も、多少名が通っているからと言って安泰ではありません。

東京の大学で6年も過ごしてしまった身から見ると、学生たちの選択はうらやましい限りです。

野生児

1月26日(火)

朝はXさん、昼はKさん、夜はZさんの面接練習。その間はクラスの授業や受験講座で、休む暇もありませんでした。学生たちが追い込みなのですから、こちらももうひと頑張りしなければと思っています。

Kさんは今までどこも受験しておらず、面接練習も初めてです。ポケットに手を突っ込んだまま椅子に腰掛けようとしたり、「慣れない環境だったから欠席が多かったです」なんて言っちゃったり、今頃こんな学生がいるんだと感心させられるほどのパフォーマンスでした。でも、そこの大学に入りたい気持ちは理解できました。

Kさんみたいな学生がぶっつけ本番で面接を受けたら面接官からどんな評価を受けるのでしょう。受験生を落とそうと思って面接をする大学だったら、態度が悪いとはねられてしまうでしょう。入れようという意識で面接する大学なら、入りたいという意欲を買ってくれるでしょう。

私が面接官だったら、受験生のいいところを見つけようとする、拾い上げる面接をしたいですが、面接練習の時は落とす面接のつもりで、学生の答えや態度のあら探しをします。Xさん、Zさんの面接練習でも、陰険に回答の隙を突いて学生を困らせました。こういうことをしていると、性格がねじ曲がってしまいそうです。もう十分にねじくれていますから、さらにねじ曲がると元に戻るかもしれません。

DさんからK大学に受かったというメールが入りました。喜んで「おめでとう!!!」と返信したら、Dさんは欠席だったとか。発表が気になって学校の授業どころではないという気持ちはわかりますが、本当に休んでしまうのはいただけません。出席率もそうですが、周りの友人と喜びを分かち合ってもらいたいです。