Category Archives: 進学

気軽にキャンセル

4月17日(金)

午後、受験講座の授業の準備をしていると、カウンターからSさんに呼ばれました。行って話を聞いてみると、明日から始まる受験講座・JLPTをキャンセルしたいと言います。

受験講座の各科目は強制的に受けさせる性質のものではありませんから、キャンセル自体は別にかまいません。しかし、自分自身で受講を申し込んでおいて、1度も受講する前にキャンセルするのはいかがなものかと思います。あまりに計画性がないではありませんか。自分の勉強ですよ。将来の自分に対する投資ですよ。それがこんな無計画でいいのでしょうか。ホテルの予約のキャンセルとわけが違います。

Sさんに限らず、何名かの学生が受験講座の受講登録取り消しを求めてきました。そのたびに同じことを思いました。それどころか、何の申し出もなく欠席を続けているPさんのような学生もいます。Pさんがずっと学校を休んでいるという話は聞いていません。受験講座だけ無断欠席しているのです。本気で進学するつもりなのでしょうか。

「とりあえず登録しておこう」という態度は好ましくありませんが、「とりあえずでも登録したんだから、とりあえず出てみよう」ってならないんですかねえ。進路を決めかねているなら、可能性の間口を広げておいて、その中から自分が真に進みたい方向を決めるっていうのが、将来を一番豊かにすると思います。

半年後、受験シーズンのピークで、SさんやPさんはどんな顔をしているのでしょうか。泣きっ面は拝みたくないです。

引導を渡す

4月16日(木)

受験講座が始まっています。新しくやる気にあふれた顔が加わり、教師のほうも気合を入れ直しています。私の担当している理科は、今週は各科目のオリエンテーション。今日の化学では少し脅しをかけました。

この講座を受ける学生たちは、理系大学への進学を目指しているくらいですから、国でもそれなり以上に理科の勉強をしてきています。でも、その勉強や実力がそっくりそのまま日本で通用するとは限りません。そうでない例を多数見てきました。少なくとも、現時点で学生たちが狙っている大学に入るには、平坦な大通りではなく険阻な山道を歩まねばなりません。そのことをわからせたかったのです。

化学といえば、何はともあれ周期表であり元素ですが、その元素名にはナトリウム、マンガン、ニッケルなど、カタカナ語が主力です。有機化学となると、ベンゼン、エチレン、アセチルサリチル酸、ポリエチレンテレフタラートなど、さらにカタカナ語の度合いが進みます。その他、ハーバー・ボッシュ法、ファンデルワールス力など、いくらでも出てきます。これをどばっと見せると、楽勝と思っていた学生たちの顔色が変わり、頬を引きつらせたりあきれて笑ってしまったりと、十人十色の反応でした。

毎年、カタカナ語がどうにもならなくて理系の進学をあきらめる学生が何名かいます。あきらめるのはしかたがない面もありますが、文系へと方向転換する時期が遅くなると、文系の勉強も間に合わなくなり、日本での進学自体をあきらめざるを得ない状況にも追い込まれかねません。今、思い切って理系を捨てて文系に進むと決断すれば、11月のEJUには何とか間に合います。どんなに遅くても連休明け直後がクリティカルポイントです。

だから、理系がいかに大変かということを示して、あきらめる人にはすぐに新しい道に進んでもらおうと思ったのです。消去法で理系を選んだ学生には、点を取るためにカタカナ語を覚えるという勉強はしんどいでしょう。一刻も早く方向転換したほうが、本人のためです。

今のところ、誰もやめるとは言ってきていません。今学期はファイトのある学生が集まったと思っていいのかな。

花見ができる?

4月14日(火)

新学期が始まって以来、お天気があまりよろしくなく、各レベルともお花見に行けなくて困っています。4月期は初級から上級まで1回ぐらいは新宿御苑へ出かけるのが毎年の恒例なんですが、今年はどうも具合が悪いようです。天気予報によると木曜日あたりがベストで、それを逃すと今年はお花見なしになりそうです。

お花見と言っても、もちろんソメイヨシノは散っていて、今は八重桜が盛りだそうです。八重桜もソメイヨシノに負けず劣らず美しいです。私も御苑で何回か見たことがありますが、ソメイヨシノが内蔵しているはかなさみたいな、華やかさの裏側に隠された陰影がありません。こちらのほうが春の明るさを素直に表しているように思えます。

新宿御苑は、今週の土曜日、安倍さんたちのお花見があります。お天気はパッとしなさそうですが、おとといの統一地方選前半戦の結果から、きっとわが世の春を謳歌するのでしょう。東京は知事選も都議選もなく、どこで選挙をやってるのっていう感じでしたが、投票率からすると全国的にも盛り上がりに欠いていたようです。安倍さんは自分が推した候補者がどんどん当選を決めたといっても、40%か50%ぐらいの投票率の中で支持されたということについてはどう考えているのでしょう。私だったら不安でならないでしょうね。肝の太さの違いかな。

学生たち、特に来年は日本にいないかもしれない人たちには、桜を存分に堪能しておいてもらいたいです。先生方はぎりぎりまでお花見の可能性を探っています。

夢を壊す

4月7日(火)

昨日の入学式の挨拶では学生たちに希望を持たせるような話をし、今日の受験講座のオリエンテーションでは学生の夢をぶち壊すようなことを言う――全くもって正反対のことをしています。話しながら、嫌なやつだなと思いました。でも、受験は現実であり競争であり、自分を直視できなければ勝てません。夢と現実との距離を正確に把握し、その距離を埋めるためには何が必要かを認識しなければ第一歩が踏み出せません。

国立大学に入りたいという気持ちはよくわかりますが、国立大学は全国の日本語学校生のみならず、国外(=学生たちの母国)から出願する学生にも人気の的です。国でいい大学に入れなかったから日本でいい大学に入る、などという考えは、あまりにも日本の大学をバカにしています。国でいい大学に入れなかった学生は、よほど奮起しない限り、日本のいい大学にも入れません。

KCPは進学してからのことも考えて教育しています。学生を大学に入れるだけなら、たとえば問題集をひたすらゴリゴリやれば何とかなるでしょう。でも、それでは大学で学生の人生を形作る勉強などはおろか、ろくな交友関係も築けないでしょう。そうならないように、自ら考え発信できる人間に育ってもらおうと思っています。

これは学生にとっては楽な勉強にはなりません。高すぎる要求かもしれませんが、私たちはそういうことを考えて学生に対しています。留学生活は楽しいことばかりじゃありません。特に進学を考えている学生には、自ら進んで苦難の道を歩んでもらわねば困ります。だから、容易に夢は叶えられないという意味をこめて、厳しい話をしたのです。

説明会

3月16日(月)

来学期から受験講座を受ける初級の学生にオリエンテーションをしました。今は闘志満々でやる気があふれていますが、受験講座が始まってすぐにショックを受けることになります。日本語で何かをする、具体的に言えば政治経済や数学などの勉強をすることの難しさにぶち当たるのです。

でも、進学したら受験講座よりはるかに高度なことを日本語で学んでいかなければなりません。たかが受験講座ごときでつまずいているようでは、お先真っ暗です。そうはいっても、みんなの日本語が終わるか終わらないかぐらいの学生が、授業で扱っている内容よりも複雑かつ長い文章や話を読んだり聞いたりして理解していかなければならないのです。負担が重いことは明らかです。

ということは、初級の教科書がのんびりしすぎていると考え、進学コースの学生は通常授業に加えて長い文章を読む訓練もしています。それでもまだ足りないのなら、そういう訓練をもっと前倒しする必要もあるかもしれません。もっと言ってしまえば、国である程度以上の日本語力をつけてきてもらいたいところです。

今年はおかげさまでそこそこの進学実績が出せました。この中で、いわゆる「いい大学」に受かった学生の大半は、苦しくても日本語で受験勉強を続けてきました。そういう例を見ていると、ここが踏ん張り時なんですよね。少なくとも、日本語で受験勉強し通したという経験が、進学してからの自信につながると思います。

アンケートで聞いた志望校には有名校がずらりと並んでいました。全員がその学校に入ってくれると、今年の進学実績を大きく上回れるのですが、来年の今頃はどんな顔をしているのでしょうか。

苦労が実って

3月7日(土)

お昼を食べて一息ついていたら、Hさんが来て、T大学に受かったとうれしいニュースをもたらしてくれました。まだもう1校残っていますが、今まで何校か受けた国公立大学に全勝です。出願の際にトラブルに見舞われるなど紆余曲折がありましたが、それにもめげず1年間蓄えた力を一気に発揮し、大輪の花を咲かせました。

Hさんの何より偉いところは、目標をあきらめず1年間努力し続けたところです。去年のこの学期は同級生を見送る立場でした。“いい大学”に進学していく友達を祝福しながら、大いに期するところがあったはずです。ここまでは誰でもできますが、その気持ちを持続し、描いた夢を実現させることは並大抵のことではありません。Hさんは「先生方のおかげで…」と言っていましたが、Hさん自身の努力と精神力の賜物です。

1年前に私が最も心配したのは、この持続力でした。楽な道に進んでしまうのではないかと危惧していましたが、見事に裏切られました。また、Hさんは他の学生より年上のため、伸び代がどれだけあるのかも気懸かりな点でした。夏から秋にかけての頃、私にしてくる質問のレベルが上がってきたので、力はつけつつあると感じていました。そして、冬を迎える頃には横綱の貫禄が漂っていました。

Hさんのように苦労が実った学生がいる一方で、苦労から逃げ続けたあげく年貢が払い切れていない学生、苦労したのに学問の神様が微笑んでくれなかった学生など、“無所属新”のまま卒業式を迎えそうな学生もいます。全てがうまくいくなんてことはないんですが、何ともしてあげられないことにもどかしさを感じます。

Hさんはもう1校の結果のいかんによらずT大学に進むそうです。4月からさらに大きく羽ばたいてもらいたいです。

良問ですか

3月4日(水)

初級の進学コースの授業で、学生たちに読解の問題をやらせています。市販の初級向け問題集よりもう少しひねった問題を作っています。出題形式も、実際の入試問題に近づけています。やはり難しいらしく、「〇〇字で答えなさい」というパターンは特に苦しんでいました。初めて出会う形式ですから、そりゃ戸惑うでしょう。でも、大学の独自試験にはそういう問題がたくさん出されていますから、これを何とかしない限りは合格は難しいです。

読解の良問とは、それを解くことによって文章の理解が深まるような問題だと、何かの本で読みました。それ以来、そのことを心がけて問題を作っています。「〇〇字で答えなさい」にしても、その語句を引っ張り出すことによって文章中の離れた部分同士のつながりが見えてきたり、ある物事が別の角度から見られるようになったりすることを期待しています。初級の学生にも、単語レベルや文レベルではなく、せめて段落レベルで文章を理解していってほしいのです。その補助線としての問題ということを常に念頭に置いています。

それは初級の問題であろうと同じで、一読しただけでは見えてこない何かを読み取らせる問題を目指しています。同時に、読んだ内容を日本語で考える訓練もしてもらうつもりでいます。

私の問題が本当に良問かどうかはわかりませんが、機械的な流れ作業で解ける問題にはしないようにしています。1つの文章で少しでも多くのことを考えてもらおうとあれこれ策を練るので、どうしても問題作りに時間がかかってしまう傾向にあります。学生が呻吟する顔を想像しながら問題を作っているなんて、Sでしょうか…。

合格したかな

3月3日(火)

卒業認定試験がありました。この試験に合格しないと、卒業証書ではなく修了証書になってしまいます。「そんなの、どっちでも関係ないよ」とうそぶいていた学生も、卒業式で自分だけ修了証書となると落ち込むものです。そのためかどうかは知りませんが、欠席がちの学生も今朝は大挙して登校してきました。

私が監督した教室では、Dさんが開始寸前になっても姿を現しませんでした。友人のYさんが電話を掛けたらやって目を覚ましたようで、20分少々遅刻。遅れて受けた科目は合格点が取れたのでしょうか。

問題が難しかったのかもしれませんが、みんな制限時間ぎりぎりまで粘って答えていました。こちらとしても「卒業証書」にはそれなりに権威を持たせたいですからね。生みの苦しみぐらいは味わってもらわないと。すがるような目つきで見られても、ダメなものはダメですよ。

試験直後から採点を始め、採点が終わったらWさんの面接練習。あさってがP大学の入試です。しかし、面接の完成度はまだまだ。「卒業展覧会の作品がすてきでした」のような誰でも言えるセリフが次から次と出てきました。気が付けば1時間以上もフィードバックしていました。

受験講座を済ませ、職員室に戻ってくると、「懐かしい顔がいますよ」とM先生が。ロビーに出て行くと、去年の卒業生のJさんがいました。JさんはS大学には受かったのですが、そこでは不満だと帰国して捲土重来を図りました。そして、先日E大学を受け、今日はM大学。今日の試験は手応えがあったようです。でも、「この1年、思ったより勉強しなかった…」と反省の弁も。

1年の締めくくりが近づき、いろんな試験が交錯しています。