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前向き後ろ向き

8月4日(木)

Rさんは国で3年間日本語を勉強しました。そして、満を持してKCPに入学しました。しかし、初級クラスの文法の授業にも脱落気味で、その上、アルファベットの国から来たRさんにとって、漢字は想像以上の難関でした。平常テストにすら合格できず、Rさんはすっかり自信を失ってきました。そして、ついに、先週あたりから学校をちょくちょく休むようになってしまいました。

Rさんは勉強ができない、わからない自分が許せず、認められず、自己否定の海に落ち込んでしまいました。「3年も勉強してきたのに…」と考えては、自分をいじめています。教師が、Rさんが確実にできる問題の時に指名し、Rさんから正解を引き出し、Rさんに自信を与えようとしても、Rさんは、自分はわからなかったのに他の学生がすらすら答えたその次の問題に目が向いてしまいます。そして、さらに自信を失います。

これに対し、Sさんは楽天的です。学期が始まってすぐ、1つ上のレベルに移りたいと言ってきました。確かに、Sさんは今のクラスの中ではよくできる学生です。しかし、1つ上のレベルで通用するかというと、断じてNOです。基礎部分に穴があるからこそ、今のレベルに入れられたのです。上に進む前にこの穴をふさがなければなりません。そうでなければ、Sさんの日本語は砂上の楼閣のごとく崩れ去ってしまうでしょう。

今学期きちんと穴をふさげば、Sさんには学期末に2つ上のレベルにジャンプするテストを受けさせてもいいと思っていますし、本人にもそう伝えました。すると、その翌日からジャンプのための勉強を始めたいと言い出しました。「穴をふさげば」という条件の部分がすっ飛んでしまったのです。こういうコミュニケーションしかできないところに、Sさんが今のレベルにしか入れなかった原因があるんだろうなと思いました。

同時に、Sさんの前向きすぎる部分をRさんに分けてあげたいと思いました。Rさんには、これもできるんだ、あれもできるんだと、必死に肯定感を持たせようとしています。Sさんには、これもわからないだろう、あれもできないだろうと、後ろを振り返らせようとしています。でも2人とも、自分の最初に向いた方しか見ようとしません。

2人にとって有意義な留学生活を送らせるには、どうすればいいのでしょうか。

答案と質問

7月28日(木)

受験講座理科の一部の学生には、毎週記述式の問題を与えて、その答案を提出させています。記述式の問題は、EJUのような選択肢の問題と違って、その項目の理解度が如実に見えてきます。また、物理は計算力の差も白日の下にさらされます。

一番よくできたのがNさん。みんなが計算をあきらめた問題も、最後まできっちり計算して、正解を導き出していました。授業中はおとなしい学生ですが、大事なところを逃さず頭に入れて、それを応用する力も身に付けています。

Sさんは日本語の問題文の理解に難があるのではと思われる節があります。原理や公式は理解できているようなのですが、問題文の読み取りができず、あらぬ方向に進んでしまうきらいがあります。慣れが必要です。

また、学生たちはよく質問に来ますが、その質問内容で力を推し量ることもできます。Wさんは問題の肝をつかんだ質問をしてきます。現時点では知識を応用する面で力不足なところがありますが、これからが期待できます。

Hさんは基本的なことを質問してきます。知識に抜け落ちがありますが、それを埋めてきている様子が十二分にうかがえます。今はあまり出来がよくありませんが、質問したことをどんどん積み重ねていけば、伸びていくものと思います。

Rさんは緻密な質問をしてきます。理詰めで来ますから、こちらも油断できません。高度な議論になり、大学入試には関係ないけどと思いつつ、専門的な話をすることもあります。

秋からの入試シーズンに向けて、準備は少しずつですが、着々と進んでいるようです。

短期間で上達

7月7日(木)

新入生のレベル判定のためにインタビューしていると、日本語の勉強を始めてから短期間のうちにかなりのレベルにまで到達していて驚かされることがよくあります。

Hさんは去年の夏に勉強を始めたと言っていましたから、ちょうど1年です。それなのに中級と上級の境目ぐらいの実力で、会話も非常に滑らかでした。レベル判定のついでに、どんな勉強をしてきたんですかと聞いてみました。日本語の本を読み、インターネットの授業を聞いて勉強したと答えてくれました。また、ネットを通じて日本人の友達と話をして、会話の練習をしたそうです。

去年の12月のJLPTでN2をとり、この前の日曜日はN1を受験したそうです。つまり、勉強を始めて1か月かそこらでN2の受験を申し込んだことになります。Hさんは、1か月ほどの勉強で、その数か月後に自分の日本語力がN2という、ある程度の仕事も学問もできるレベルに到達すると踏んだのでしょうか。それが手の届く目標だと思えたのでしょうか。今学期、KCPの一番下のレベルに入学した日本語ほとんどゼロの学生が、果たして12月のN2に申し込むでしょうか。申し込んだとして、受かるでしょうか。否定的な答えにならざるを得ません。それだけに、Hさんの能力や、インターネットを上手に活用した勉強法に驚かされるのです。

でも、それならずっと国で勉強を続ければいいのに、どうしてわざわざ日本へ、KCPへ来ちゃったのでしょう。日本で進学したいという気持ちもありましたが、生の日本の文化に触れたい、日本語を使ってコミュニケーションしたい、日本人以外の外国人とも交流したい、という意欲に駆られて留学することにしたそうです。それならKCPで勉強する価値がありますね。

Hさんが私のクラスになるかどうかはわかりませんが、今学期も有望な学生が入ってきてくれたようです。

レポートが大変

7月4日(月)

夕方、J大学に進学したLさんが顔を見せてくれました。今週から語学、一般教養、専門科目の試験が始まるそうです。他の学部と比べてレポートが少なくてよかったと思っていたけど、試験が近づき教科書を開いたらさっぱりで…と少し不安そうな顔も。レポートが少ないとは言っても、3000字とか5000字とかのレポートがばらばらあり、レポートの提出はすべてパソコン上、文献からの丸写しはただちにチェックされて、そのレポートは0点になるとか。私が学生のころは、「真実は一つ」とか言いながら、文献丸写ししたり、その丸写しのレポートを丸写ししたりするのが横行していました。いい時代に学生時代を過ごしたものです。

手書きの丸写しは、コピペより勉強になるのでしょうか。手書きは、写す時に文献を少なくとも一度は読みますからね、多少は勉強になっていると思いますよ。著作権の点では大いに問題がありますが。コピペは、読むことすら省略しているとしたら、何の勉強にもなりません。でも、3000字とか5000字とかって言われたら、何かをよりどころにしたくなるのが普通の心理じゃないかな。きちんと出典を明らかにすれば引用も認められるはずですが、おそらくある特定の文献に依拠しすぎてはいけないという規定があるのでしょう。

Lさんはこうした試練に何とかしのいでいるようですが、同級生には授業のレスポンスシートにも苦労している人もいるそうです。Lさんが優秀だという面が多分にありますが、KCPはけっこう文章を書かせる授業が多いですから、大学の授業に耐える下地ができているのかもしれません。教師としては、書かせる授業は後処理が大変なのですが、Lさんのように順調に育っている卒業生を見ると、そんなことも言っていられないなという気にもなります。

来週の月曜日は、始業日です。

休んでる場合じゃないよ

6月28日(火)

期末テストの成績が順調に集まってきています。明らかに力が劣っていたEさん、Rさん、期末テスト直前に全然学校へ来ていなかったLさん、自ら観念してテストを受けなかったPさんたちは、来学期も同じレベルで勉強してもらうことになります。しかし、今月に入ってから病欠が続いたSさんとFさんは、かろうじてですが合格点を取りました。そのほか、かなり危ないと思っていたDさんもJさんも、進級できる成績を挙げていました。

Sさんたちは、今、進級できるかどうか非常に心配しているに違いありません。明日かあさってか、学校に問い合わせてくることでしょう。聞かれたら正直に答えますが、進級できるからといって、あまり喜んでもらいたくはありません。自分たちはボーダーラインのほんのちょっと上でしかないんだということを、いっときたりとも忘れないでもらいたいです。新しいクラスでは、最下位を争うグループの一員です。いや、中心メンバーと言うべきでしょうか。

「進級できるけれども、うちで今学期の復習をしっかりしておかないと、次の学期は大変なことになるよ」と問い合わせの際に付け加えますが、学生はそんな言葉はどこかに置いていってしまいます。先学期末、RさんやJさんはそういうことを言われて進級したはずなのですが、授業初日にはしっかり退歩しており、マイナスからのスタートでした。それが最後まで挽回できず、差が開く一方で、来学期は進級できなくなってしまいました。これと同じことを、Sさんたちにはしてほしくないのです。

この時期、授業こそありませんが、学生の日本語との戦いは続いているのです。油断は禁物です。

夢と疲れ

6月24日(金)

今のレベルから2つ上のレベルに進級したい学生たちのジャンプテストの監督をしました。ジャンプテストを受けるには、まず、現レベルで相当いい成績を挙げて、担任の先生から許可をもらわなければなりません。そして、現レベルと1つ上のレベルの勉強を並行して進めて、期末テスト後にジャンプテストを受けるのです。2つのレベルの勉強を一緒にしていくのは容易なことではなく、この時点であきらめる学生も少なからずいます。

実際にジャンプテストを受ける学生は、そういう試練に耐えてきたつわものたちですから、かなり優秀です。私のクラスから受けたCさんとGさんも、頭がいいことに加えて、努力を惜しみません。でも、その2人をもってしても、テスト中は表情をゆがめていましたから、かなり難しかったのでしょう。

ジャンプテストと同時に、昨日の期末テストを欠席した学生の追試も行いました。ジャンプテストを受ける予定の学生は全員来ましたが、追試の学生は…。期末テストを受けても進級は無理だろうということでサボった学生が多いのでしょう。

ジャンプテストの学生は留学に夢を描き、高い目標を掲げています。追試の学生は、留学生活に疲れてしまい、もはや夢も高い目標も消え失せてしまっているのかもしれません。私のクラスのPさんは、昨日の朝、今の成績では進級は無理なので、もう一度同じレベルをするというメールを送ってきました。無理に進級しないというのは賢明な判断ですが、現時点での自分の実力や弱点を把握しておかなかったら、次の学期で何をどうがんばればいいかわからないじゃありませんか。

テストの結果は、来週半ば過ぎにまとまります。ジャンプテストに臨んだ学生たちにうれしい知らせが届くことを祈るばかりです。

答案を作る

6月22日(水)

受験講座物理は、EJU対策は一応卒業として、大学独自試験対策を始めました。大学独自試験では、答案を書くことが要求されます。過程はともかく強引にでも答えにたどり着ければそれでいいというEJUとは、かなり違ったセンスが必要です。相手が留学生ですから、答案の日本語での説明が多少不十分でも大目に見てもらえるかもしれませんが、式の羅列だけでは減点は免れないでしょう。

といっても、初回ですから、あまりハードなことはしませんでした。基本的な公式を使えば答えが導き出せる問題で、答案の構成要素や書き方の骨格を勉強しました。国でも答案を書いてきたという学生もいれば、答えさえ書けばよかったという学生もいて、答えだけ派は、やはり戸惑いの度合いが大きいようでした。

答えに至るまでの過程を詳述することは、自分の頭の中を書き表すことです。これは、進学してから、レポートを書くにも、研究計画を立てるにも、論文を作成するにも、一人前の研究者へと成長していくのに必須の素養です。数式を並べ立ててそれでOKとしていては、いずれ自分の思考の足跡を追うことすらできなくなります。

「数学も答案を書かなければなりませんか」と、答えだけ派最右翼のCさん。「マークシートの数学の試験をするような大学に進学しても、いい研究なんかできっこありません」と返しましたが、ちょっと言い過ぎだったかな。Cさんはうなだれてしまいました。でも、Cさんの志望校は、独自試験があります。

来学期の受験講座は、こんなことをやっていきます。答案を書く訓練をしていれば、EJUの問題を解く力もついていきます。6月が終わったからって、ほっとしている暇なんかありません。

プリントが出てこない

6月13日(月)

代講でふだん入らないクラスに入ると、できる学生とできない学生の区別がつきません。賢そうな顔をしていても勉強は全然だったり、ボーっとしているようで実は鋭かったりということがよくあります。そんなときは、すでに配ってあるプリントを用意させると、見当がつくことがあります。

きちんと整理されていて、「〇〇のプリントを出してください」と言われたらすぐ机の上に出せる学生は、だいたいできる学生です。こちらの言葉が聞き取れないのは論外として、しっかり聞き取ったものの、ノートの間やら昨日かおとといの教科書のページやら、果てはかばんの中からポケットの中までまさぐり始めるような学生は、推して知るべしです。おのれはドラえもんかと言ってやりたいです。

今日の代講のクラスも、発音練習のプリントがすぐ出てきた学生は、概して今日返却した漢字テストの点がよかったです。すぐ出てこなかった学生は、返されたテストを2つに折って(しかも雑に)、いつの間にかどこかに挟み込んじゃうんですねえ。あれじゃあ、テストの反省もできませんよ。

もちろん、学校では指導していますよ、もらったプリントはきちんとファイルしろとかって。時には手取り足取り教えることだってあります。それでもできない、またはやろうとしないというのは、その人の性格か感覚の問題なんだと思います。カオスの状態に慣れてしまうと、そこに問題意識など生まれません。それゆえ、整理整頓しなければという向上心も芽生えません。いや、整理整頓された状態が想像できないのでしょう。

やっぱり、いつまでたってもプリントが見つからなかった学生は、授業中に指名してもパッとしませんでした。整理整頓すれば自動的に成績が上がるわけではありませんが、そういう指導をもっと厳しくしなければと思いました。

化学の教科書

6月9日(木)

受験講座の受講生Mさんが中国の化学の教科書を持ってきていたので、見せてもらいました。私は中国語ができませんから、すぐにわかるものといえば、NaClなどの物質名や反応式やグラフなどです。それを追いかけていけば、だいたいどんなことが書かれているか、おぼろげながら見当がつきます。もう少し丁寧に読むと、多少はわかる漢字がありますから、教科書に書かれている理論や解説がちょっぴり見えてきます。

「先生はこの教科書がわかりますか」とMさんに聞かれました。「Mさんが日本語の教科書の漢字を見てわかるのと同じくらいはわかると思うよ」と答えると、とてもよく納得できたような顔をしていました。

私が配っているプリント、見せているパワポ、やらせている問題は、すべて日本語で書かれていますから、日本語が完全ではない学生にとっては、さぞ頼りない資料に映るでしょう。Mさんの教科書で化学の授業を聞いたら、化学の基礎知識があっても理解はあまり進まないと思います。学生たちはこれと全く同じ感覚を抱いているのだと思うと、資料を見せたりあげたりしただけで終わりにしてはいけないと、気持ちを引き締めずにはいられませんでした。漢字を使わない国から来ている学生にとっては、私が中国語の教科書を読む以上に困難を感じているはずです。学生にわかってもらえる授業を心がけてきたつもりですが、「つもり」止まりでは意味がありません。

学生が持っている力を十二分に引き出すには、どんな授業をすればいいのでしょうか。学生にとってわかりやすい資料、役に立つ資料って、どんな資料なのでしょう。問題を解かせたあとに何をすれば学生の力を伸ばしていけるのでしょうか。改めて考えさせられました。

感覚を磨け

6月8日(水)

受験講座は、あと11日に迫ったEJUに向けての追い込みにかかっています。私が担当している理科は、課顧問をやらせて、その解説を通して知識や理論などを入れています。また、EJUは時間との勝負でもあるので、過去問を実際に解きながら、時間節約のテクニックも教えています。

毎年感じていることですが、学生たちは几帳面に計算しすぎます。EJUは有効数字2桁ですし、しかも選択式ですから、選択肢の数字によっては、上1桁が出れば答えが選べちゃうことだってあります。それなのに、学生たちは掛け算のたびに桁数を増やして、所要時間と間違いも増やしています。

こんないい加減な計算は、本当はしてはいけませんが、拙速を旨とするなら、これもまた1つの立派な解法です。でも、科学者としては、詳しい計算に取り掛かる前に、ざっくりどのぐらいの数字になりそうかということを概算する能力も欠かせません。そこには有効数字の処理法も含まれています。EJUがこういう能力を求めているのだとしたら、非常に奥深い出題だと思います。

今は電卓をたたけば、あるいはコンピュータープログラムによって、いくらでも細かい数字が計算できます。でも、出てきた数字をもとに何かを判断するのは、最終的には人間です。電卓やコンピューターがはじき出した数字が妥当なものか、その数字を基に次のステップで何をするか、こういったことを考察し、結論を出す際に必要なのが、数字に対する感覚です。この感覚は、手計算をすることによってしか磨けないと思います。

理系志望の学生の多くは、将来、エンジニアや研究者になるでしょう。そこでは、この感覚なしには、大きな仕事はできません。私はこういうことまで学生に伝えようと思っています。