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大器晩成?

4月28日(木)

初級のクラスに代講で入ると、特に学期が始まって間もないこの時期、しかも一番下のレベルだと、必ず1人か2人いるんです。自分はこんなクラスで勉強しなければならない学生ではないと言わんばかりに、難しい文法を使ったり小難しいことを聞いてきたりする学生が。今週は2度ほど代講しましたが、どちらのクラスにもそれっぽい学生がいました。

入学前のプレースメントテストの結果、惜しいところで一番下のレベルに判定された学生にとっては、「はしでご飯を食べます」なんて文法は、かったるくてやってられないでしょう。国で勉強した期間が長かったり、JLPTのN2あたりに合格してたりすると、なおさらそういう気持ちが募ることは、想像に難くありません。

でも、何かが足りないから、基礎部分に穴が開いてるからこそ、下のレベルに判定されたのです。基礎が不安定なまま、さらにブロックを積み上げていても、砂上の楼閣にしかなりません。早い段階で伸び悩み、結局穴を埋める工事をしなければならなくなるのです。

その点、私のクラスのZさんは殊勝です。N2があるのに初級クラスに入れられたけれども、どういう練習をすればいいかと聞いてきました。自分の置かれた境遇を嘆くのではなく、その環境からいかに多くのものを得るかということを考えているのです。「できる」「わかっている」と思い込まず、謙虚に学びなおそうとしている姿勢が、Zさんをより高いところへ引っ張り上げていくに違いありません。

ウサギとカメの寓話は世界中でつとに有名だと思いますが、どうしてみんなウサギになりたがるのでしょう。

真っ赤な洗礼

4月22日(金)

午前中、昨日のクラスの作文の採点・添削をしました。初級の終わり、中級の直前のレベルですから、ある程度の文章が書けて当然なのですが、そうは問屋が卸さないんですねえ。新入生の出来が特に悪いです。何が悪いかというと、時制と表記です。時制は過去と非過去、つまり「した」と「する」の使い分けがいい加減なのです。表記は濁点の有無と長音か長音でないかの区別があいまいな点です。

KCPで1学期か2学期か勉強してきた学生は、上述の点はそんなに大きな問題になっていません。先学期までの作文の時間にがっちり訓練されていることが裏付けられました。新入生は、レベルテストのようなペーパーテストは国で訓練されているでしょうが、国の学校では、文章を書く練習まではなかなか手が回らないと思います。上級クラスに入ってくる新入生なら作文も書かせられているでしょう。でも、私のクラスに入ってくるくらいの実力だと、作文の時間がなくても不思議ではありません。

文法の時間に書かせる例文程度なら、好意的に受け取ってあげればミスもそんなに目立ちません。しかし、作文レベルになると、文と文のつながりが重要ですし、使われる単語の種類も多くなりますから、間違いが積み重なって増幅されるのです。

文法の間違いが多いのは、文法項目の丸暗記は通用しないということであり、表記ミスが多いということは、発音もそれぐらいいい加減だということにほかなりません。一度はボコボコにしてやって、謙虚に学びなおす姿勢を持たせることこそ、こういう新入生に対する真の優しさだと思っています。100点満点で30点とかっていう作文を返されたら、さぞかしショックを受けるでしょう。でも、そこから立ち上がらないと、自分の目標には到底手が届きません。そういう本場の厳しさの洗礼を受けるためにわざわざ留学してきたのですから、血まみれになることはゴールに向けての第一歩なのです。

本を手に取る

4月14日(木)

夕方、理科の教材を仕入れに紀伊国屋書店へ行き、あれこれ本を手に取っていると、「先生」と声をかけられました。振り向くと、今年S大学に進学したDさんが、KCPにいたときよりいくらか大人っぽい顔をして、にっこり微笑みながら立っていました。

「レポートの書き方の本を探しているんです。何かおすすめの本はありませんか」。早速、提出したレポートに注文がついたそうです。S大学だったらいい加減なレポートははねつけるでしょうから、Dさんが慌ててレポートの書きかを勉強しようという気持ちになるのも無理はありません。

考えてみれば、DさんはKCPでEJUの記述と小論文の対策や志望理由書の書き方は勉強しましたが、レポートの書き方はやっていません。本当は、入試関係の作文が終わったら、進学してから困らないような文章の書き方を練習させなければならなかったんです。入試が終わったら、合格が決まったら、もう作文なんてしたくないっていうのが学生の本音でしょうし、教師のほうも、学生を志望校に入れたら、ほっと一息つきたくなるものです。

来週か再来週、新学期のごたごたが落ち着いたら、レポートの書き方ぐらい教えられないことはありませんが、Dさんだって進学してからまたKCPに戻る気はないでしょう。やっぱり、学生が卒業する前に、学生の意識を変えて、大学に入るための日本語ではなく、大学に入ってからの日本語を教えていくことを考えなければなりません。

Dさんには、売り場にあった本の中からよさそうなのを2、3冊紹介しました.読解の苦手だったDさんが、何のためらいもなく、普通の日本人の大学生が参考にするような本を数冊手に取って読み比べている姿を見て、短い間に成長したもんだなと感心しました。

唯我独尊

4月12日(火)

Lさんは新入生で初級クラスに入れられたのですが、自分はもっと上のレベルだと信じていて、昨日はだいぶ反抗的な態度を取っていました。

今日は授業の最初にテストがあり、Lさんは制限時間の5分前ぐらいにできてしまいました。すると、答案用紙を提出するでもなく、机の上にEJUの問題集を出すではありませんか。即刻注意して引っ込めさせました。

テストの次は在校生なら先学期勉強してきた文法を使ったQ&Aです。Lさんは質問は聞き取れたようですが、答えは文ではなく単語で、しかも発音が悪く、私が聞き取れませんでした。日本語教師を惑わす発音ですから、Lさんの日本語は普通の日本人には通じないでしょう。

休憩時間を挟んで教室に戻ると、Lさんは日本人高校生向けの物理の問題集を出していました。休憩時間に何をしてもかまいませんが、教師が戻ってきたら授業に関係のないものは片付けるのが常識というものです。しかし、Lさんは出しっぱなし。これまたただちにしまわせました。

こういうLさんを見ていて思い出したのが、Yさんです。Lさんと同じレベルのとき、やはり日本人向け問題集を買い、EJUの過去問はすべて解けると豪語していました。受験講座でもマイペースを崩さず、もしかするととんでもない大物かもとかすかな期待も抱きましたが、ふたを開けてみれば、平均点を取るのがやっとというありさまでした。それでも無謀な挑戦を続け、挙句の果てに、Lさんが思い描いていた大学よりは5段落ちぐらいの大学にかろうじて滑り込むのがやっとでした。

LさんにはYさんを髣髴とさせる空気が満ち溢れており、非常に心配です。今、私たちが何を言っても聞く耳を持たないでしょう。痛い目にあって目を覚ましてくれればいいのですが、Yさんのようにそれを痛いと感じずにわが道を歩み続けるような気がしてなりません。

Lさんは理科系ですから私がどうにかしなければならないのでしょうが、なんだか気が重いです。

入学式が終わって

4月5日(火)

今週は入学式が花盛りで、入学式を終えた学生が何人か報告に来てくれました。Yさんもそんな1人で、S大学の入学式後、スーツ姿を見せに来てくれました。

「入学席でどんな話を聞いた?」「うん、いろいろ」なんていう受け答えには若干不安も感じますが、「S大学に進学できてよかったです」と言っていましたから、きっといい話が聞けたのでしょう。明日から早速授業だという声には、これからの勉学に希望を抱いている確かな響きがありました。

Yさんの学科の新入生には留学生が5人いるそうですが、Yさんの国からはYさんだけで、先輩も1人いるだけだとか。でも、おかげで、入試の面接官だった先生が顔と名前を覚えていてくださったそうです。「だから悪いことはできないよ。欠席なんかしたらすぐわかっちゃうからね」っていってやったら、ちょっとビビッていました。

私だって、少数派の国の学生は顔と名前をすぐ覚えます。まして、学科でたった2人しかいない国の学生だったら、学科の先生方全員の注目を集めるはずです。目をかけてもらえるとも言えますが、期待を裏切ったらその反動も大きいんじゃないかな。良きにつけ、悪しきにつけ、国旗をまとってキャンパスを歩いているようなものですから、公私にわたって心して行動しなければなりません。

Yさんは早くもサークルに入ったそうです。そこでも少数派の国からの留学生ということで、けっこう声をかけられているそうです。先輩や同輩がいないことを、今のところはハンデとは感じず、ウリにしているみたいです。Yさんは敵を作るキャラじゃありませんから、頼りになる仲間、将来につながる友人も得られるんじゃないかな。

とはいえ、あまり張り切りすぎても、息切れしてしまいます。いきなりたくさん履修登録しすぎて、レポート・試験の時期に青息吐息どころか、共倒れになってしまったら、楽しいはずの留学生活が、挫折感にまみれてしまいます。頑張り屋のYさんが一番気をつけなければならないのが、この点です。「また大学の様子を報告に来ます」というYさんの言葉に期待して、もう一回り大きくなったYさんの姿を思い描いています。

残念な学生

3月31日(木)

学期休みになると、先生方は「残念な」学生に電話をかけ、その学生を呼び出したり宿題を与えたりして、何とか進級させようとします。私は、今学期受け持った学生は卒業生が大半で、来学期も残る学生たちには「残念な」学生はいませんでしたから、高みの見物を決め込んでいます。

教師から「残念な」成績を知らされた学生は、たいてい、自分はそんなにわからないわけではないということをアピールしようとします。わかっているんだけど、ケアレスミスを犯したとか、答え方がちょっとまずかっただけだとか、そんな言い訳をします。中には、あまり勉強しないで期末を受けたと言って、教師の逆鱗に触れてしまう学生もいます。勉強しさえすればこんなのチョロイと言いたいのでしょうが、学生の本分である勉強を怠けたのだから、進級する資格などあるわけがないというのが教師の論理です。

それでも説教+宿題ぐらいで進級を認めてもらった学生は、まだ幸せです。電話口で冷たく「もう一度同じレベルです」と告げられた学生は、憤懣と落胆と悲憤と怒りと嘆きとが入り混じった複雑な感情を抱きます。それを教師に吐き出そうとしますが、「残念な」成績しか挙げられない学生ですから、教師の心を動かすような日本語になどなるはずがありません。その日本語が火に油を注ぐ形となり、さらにドツボに陥っていくパターンが大半です。「あなたには上のレベルじゃなくて下のレベルに行ってもらいます」なんて言われている学生すらいます。

でも、本当に困るのは、テストでは点を取っちゃうんだけど、全然話せなかったりコミュニケーションが取れなかったりする学生です。そういう学生の実力のなさがあぶりだされるのが、志望理由書を書いたり面接練習をしたりする頃なのです。入試は、説教+宿題や再試験でどうにかなる問題ではありませんから、今から自覚を持って真の実力を上げるように、こちらも指導しどうしていかねばなりません。

分不相応?

3月29日(火)

卒業式前からずっと一時帰国していたGさんが、お土産を持って挨拶に来てくれました。お母様が入院していたので全然遊べなかったとか。

GさんはS大学に進学し、来週早々入学式とオリエンテーションがあります。「先生、なんだか不安です」と言いますが、もう入学金も授業料も払ってしまったのですから、突き進むしかありません。今さら授業についていけるかどうか心配だなんて口走るくらいなら、最初からS大学など受験しなければよかったのです。

S大学は、Gさんにとっては「入れたらいいな」という大学で、はっきり言って、実力相応校より1ランクか2ランクか上の大学です。入試の際には私も精一杯支援をしました。Gさんも憧れの大学に入れるなら何でもしますっていう覚悟でした。合格発表のときの喜びようは、尋常なものではありませんでした。でも、自分でもS大学は実力より上の大学という認識がありますから、いざ入学が迫ると、あれこれ不安を感じずにはいられないのです。

日本人の友達が作れるだろうかというのが、最大の不安のようです。「私は日本語がまだまだですから」ってそういうGさんを、日本語力だけではなく、キャラも深い部分の人間性も含めて、S大学は自分のところで勉強するだけの力があると認めたのですから、その判断を信じようじゃありませんか。少なくとも、同国人だけで固まってるようなら、楽しいキャンパスライフは望めません。

おそらく、Gさん以外にも同じような不安を抱えている学生が少なからずいることでしょう。でも、あなた方はその大学に選ばれたのです。学力も申し分なく、学風にも溶け込めると見込まれたのです。自信を持って、入学式を迎えてください。

大仕事

3月23日(水)

今学期最後の授業は初級クラスでした。教科書の残りの部分を片付けたら、後は復習とまとめです。初級は1学期の間にグンと力を伸ばしますから、復習と言ってもかなり広範囲にわたります。また、初級も後半に差し掛かると少々特殊な言葉遣いも勉強しますから、覚えるべきことも結構な量です。

Sさんは復習プリントやまとめプリントを読んでいるだけで、そこにある練習問題をやろうとしません。いや、Sさんとしては問題を考え答えを出しているのですが、それを全くプリントに書き込もうとしませんから、教師としてはやっているとは認められないのです。指名すると、案の定、正確には答えられません。こちらが「えっ?」と聞き返し、間違いに気付いた周りの学生が小声で教えても、Sさんは平気な顔です。

こういう学生は、自分はできる、こんな程度のことはわかっていると思い込んでいます。だから、間違いを指摘されてもそれはケアレスミスに過ぎないと思い、本気で改めようとはしません。もちろん、その間違いはケアレスミスなんかじゃありません。文をきちんと作らないから、間違いが間違いとして認識できないのです。だから、本当はわかってなんかいないということが、本人には全然見えてきません。

今までに何十人もこういう学生を見てきましたが、末路は哀れなものです。友人や教師の忠告には耳を傾けず、わが道を歩み続けますから、日本語力は伸びません。進級できずに同じレベルをくり返すとなると、授業がつまらないので受験勉強にのめりこみます。しかし、日本語力がいい加減ですから、受験勉強もうまくいきません。自己流を貫いたあげく、卒業が近づいてから自分の失敗にやっと気がついても、もはや手遅れです。志望校には当然手が届かず、不本意な進学をする羽目に陥ります。

Sさんはそんな体臭をぷんぷん発散させています。Sさんをどうやって真っ当な世界に連れ戻すかっていう、この1年の大仕事を見つけてしまいました。

命名法

3月15日(火)

受験講座の化学を受けている学生たちは、有機化学に出てくる物質名を覚えるのに難儀をしています。そこで、今期は、主な有機化合物の構造式とその名前をプリントにまとめ、学生たちに配りました。教科書の何十ページにもわたってちびちびと登場するたくさんの有機化合物を、一網打尽にしました。

そのプリントを配り、今すぐ覚えろと言い、20分後にテスト。もちろん、いい点数なんか取れるわけはありませんが、私が見ようと思ったのは、化合物名の覚え方やテストでの答え方です。

Hさんは、国で勉強した知識を基に、国で勉強した名前をカタカナに置き換えていきました。安息香酸みたいに漢字の名前になるとつまずき気味でした。

Sさんは、ひたすら丸暗記を始めました。カタカナ語は皆目見当がつかないということで、つべこべ理屈を唱えず、潔く丸暗記に取り掛かったのです。

テストとなると、Hさんは手持ちの知識でどうにかなるところをどんどん答えていきます。一方、Sさんは暗記した部分はすぐに答えられましたが、そうでないところでは筆が止まってしまいます。しかし、Sさんが偉いのは、構造式と化合物名の一覧表の問題となっていない部分、つまり、構造式とその物質名の両方が出ているところからヒントを得て、命名法の規則方を推測し、それに基づいて答えていた点です。

有機化合物の物質名は、IUPAC命名法という規則にのっとって付けられており、その規則がわかれば、構造式から物質名が自動的に付けられるのです。Sさんはその規則を見つけ出そうとし、一部は見出すことに成功していました。残念ながら、IUPAC名ではない慣用名が定着していてそちらが用いられるものも少なからずあります。そうなると、Sさんの努力も実りません。

でも、このように雑多なものの中から規則を発見し、そこから自然の本質に迫ることこそ、科学者が進むべき道です。正直に言って、Sさんの実力はまだまだだと思いますが、伸びる芽はもっといるとも思います。

顔を作る

3月7日(月)

大量の卒業生が去ってしまったので、午前中の校舎は寂しいものがあります。使われていない教室が多いためどこか薄暗く、休み時間になっても廊下には学生の姿がちらほらするだけです。職員室も、午前中はスカスカでした。

私は超級レベルで残っている学生たちを併せたクラスを担当しました。この学生たちは、来学期からKCPの顔になります。そして、この学校をこれから1年間引っ張っていくことになります。そういう存在になってもらわなければ困ります。

少なくとも来学期の行事では、中心的な働きをしてもらうことになります。去年4月期に行われた運動会でも、去年の卒業式以降に残った超級の面々が、競技役員を始め、中心になって働いてくれました。その経験がとても印象深かった、最上級クラスの一員という自覚が生まれたという声も、おととい卒業していった学生たちから聞かれました。彼らは立派にKCPのか落として活躍してくれたと思います。

だから、今朝の超級合併クラスでは、集まった学生たちに自覚を促すと同時に、プレッシャーもかけました。先週までは卒業していった学生たちの陰に隠れてふわふわしていてもよかったのですが、今からはそうではありません。最上級クラスの一員として、先輩として、在校生にもこれから入ってくる新入生にも、模範を示し、KCPを盛り立てていくことが求められます。

このクラスの学生は、進学実績も上げてもらわなければなりません。初日は「お手柔らかに」したつもりですが、明日からはガンガン行きますよ。覚悟しておいてもらわなきゃ…。