大きなスーツケース

6月22日(金)

中間テストと期末テストの日は、いつもより朝早く来る学生が増えます。2階のラウンジを開けておくと、7時台の前半にはテーブルがサラッと埋まります。校庭が使えるのが9時からですから、午前クラスの学生たちが勉強するとなると、ラウンジになるのです。

期末の日は、それに加えて、大きな荷物の学生が出現します。スーツケースを転がしながら学校へ来て、テストを済ませたらその足で空港へ向かう学生たちです。一刻も早く一時帰国したいのでしょう。日本で必死に孤独との戦いを続けてきたのですから、家族や友達と会って心を癒やしてもらおうと思うのも不思議ではありません。

Yさんもそんな学生で、お土産がたくさん詰まっていそうなスーツケースをロビーの柱のところに置いて教室へ行こうとしますから、事務所に預けておくように言いました。荷物は物々しいですが、服装はいたって軽装で、ちょっとコンビニへでも行くような感じでした。

Yさんは、先学期末も帰国していて、しかも戻ってきたのが新学期開始数日後という、確信犯的な行動を取っています。そのとき厳しく指導され、「休まない」と言っていたのに、じわじわと休みが増えました。学校側から指導が入らないぎりぎりのラインを保っていたというだけで、決してほめられる出席率ではありません。そんなわけで、本当は一時帰国など認めたくないのですが、日本語学校には学生の一時帰国を止める術はなく、私の目の前でスーツケースを引きずるに至っています。

血の汗を流しながら勉強して大きな進歩を遂げているのなら、3か月に1度のご褒美も認めてあげたいです。でも、Yさんはそういう感じがまったくありません。面倒なことや苦しい思いはしようとせず、おいしいところをつまみ食いしてきたように見えます。

そんなYさんも、来学期は本格的に受験の準備に取り掛からなければなりません。3月まで充電しなくてもいいくらい、フルチャージで戻ってきてもらいたいです。

押し詰まって

6月21日(木)

学期末が近づくと、今学期いっぱいでKCPをやめる学生が退学届を提出してきます。

Cさんは、EJUの直後に退学届を出し、すでに帰国してしまいました。退学届を出したにもかかわらずだらだらと日本にい続ける学生に比べれば潔いものですが、担任の先生にも周りの友達にも一言も挨拶せずに消えてしまうというのは、いかがなものでしょう。

Eさんは、壁にぶち当たって帰国します。来春の進学を目指していたのですが、EJUの各科目の勉強が思うようにはかどらず、国で勉強し直してくるそうです。でも、Eさんはまだ初級です。日本語の成績も悪くなく、来学期中級に上がったらEJUの各科目の実力もグッと伸びると期待していたのですがねえ…。今が我慢のしどころで、もう3か月、いや、2か月粘ってくれれば、きっと光が見えてきたはずなのに、残念です。

Fさんは、日本の水が合わなかったようです。今学期の新入生ですが、来日してからずっと国へ帰りたくてたまらなかったそうです。親と話し合い、一度は勉強を続ける方向に傾いたのですが、やはり日本で暮らし続けるのは耐えられないようで、正式に帰国することになりました。新しい道での成功を祈ってやみません。

Yさんは帰国したら大学に復学します。短い間でしたが、国では到底不可能なほど密度の濃い勉強ができたと満足げに語ってくれました。どんな課題にも全力で取り組んできたYさんは、まだまだ勉強を続けるクラスメートのよい刺激になりました。

Bさんは国へ帰って、働いて、お金をためて、またKCPに戻ってきたいと言っていました。今回の留学費用も自分で働いて工面し、それを予定通りに使い果たし、予定通りに帰国するのだそうです。自分が目標とする日本語レベルまでKCPで勉強するにはあとどれくらいかかり、そのための学費や生活費にいくらぐらい必要か計算できているようです。かなりしっかりした将来設計を持っており、ただただ感心するばかりです。

明日がKCPで最後の1日の皆さん、有終の美を飾ってくださいね。

さすが大学院

6月20日(水)

期末テストを2日後に控え、中級クラスでは発表会がありました。4~5名のグループで調べたことを、パワーポイントも使って、クラスのみんなの前で発表するというタスクです。私のクラスは、調べ物や原稿書きなど準備はまじめにしていましたが、その成果を、聞き手の心を動かす形で発表できるかとなると、一抹の不安を抱かざるを得ませんでした。しかも、朝9時で4名欠席。グループ発表は、欠席者がいるとしらけるんですよね。

その後、電車の遅延などの理由で遅刻した学生も加わり、後半の授業開始時で欠席1名。最後の1名も、体調が思わしくなく、幾分青ざめた顔をしていましたが、自グループの発表前にどうにか来ました。

さて、本番。第一の感想は、スライドの作り方がよかったということです。学生が作るスライドは、とかく字が多くなりがちですが、今回は写真や絵など視覚に訴えるものが中心で、口頭発表の内容理解の助けになりました。次に、普段あまり口を開かない学生も大きな声を出していました。そして、発表者が一方的にしゃべるのではなく、聞いている学生に問いかけて、話し手と聞き手が一体になった発表が目立ちました。

原稿を見ながら発表している学生もいましたが、棒読みする学生はいませんでした。原稿が立派過ぎて、話し方が負けてしまっている学生はいませんでした。手を変え品を変え、授業中に口を開かせてきた成果がこういう形で現れてきて、採点しながら聞いていた私もうれしくなりました。

個々の学生を見ていくと、大学院志望の学生たちは場慣れしている感じがしました。やはり、国の大学で4年間訓練され、中には卒業研究の発表もしている学生もいるからでしょう。高校を卒業してすぐ入学した学生や大学を休学して来ている学生は、良くも悪くも朴訥とした感じがしました。こういったことからも、KCP卒業まで口頭発表のしかたを毎学期ビシバシ鍛えていく必要があると改めて感じました。

発見?

6月19日(火)

ゆうべ、帰宅間際にM先生から中級の読解の教材に使えそうな文章はないかと聞かれました。今学期私が担当しているレベルでもあり、常々読解教材の古さは気になってもいましたから、「探してみます」と引き受けました。

毎年度後半になると、私は超級クラスを担当し、そのクラスの読解教材は自前でそろえています。市販の留学生向け教材では易しすぎるのです。今年になってからも、候補となりそうな文章を少しずつ貯めてきましたし、去年以前に採集はしたけれども使うには至らなかったストックもあります。その中から手ごろなものを見つけようと、今朝出勤してから、まず、コンピューターの中を漁り始めました。

すると、わりと最近拾ってきた文章で、超級の読解にはちょっと歯ごたえがないかなというのと、おととしのストックで短めのと、2本よさそうなのがありましたから、それをM先生に紹介しました。

読解のテクニックを学ぶのなら、内容は多少古くても構わないじゃないかという意見もありますが、私は与しません。「吾輩」ぐらい古くなっちゃえばそれはそれで価値がありますが、「もうすぐ香港が返還されます」なんていうのはいかがなものかと思います。また、理系人間として古い技術を最新技術であるかのように扱っているような教材には一言物申したいです。

そういう観点から、鮮度の落ちにくいテキストを選んだつもりです。また、中級の教材ですから妙に韜晦した文章はいけません。論旨の明確なものが適しています。もちろん長さも考慮します。私が推薦した文章が来学期以降の中級読解教材になるかどうかは、まだわかりません。でも、超級の教材探しにもそろそろ本腰を入れなければと思いました。

7:58

6月18日(月)

大阪北部で地震がありました。マグニチュードは約6ですから、日本では1か月に1回は発生する規模で、決して珍しいものではありません。ただ、発生したのが有馬高槻断層付近ですから、おととしの熊本地震と同じパターンで、数日中にこの地震よりもさらに大きい地震が同じ断層上で起こるおそれがあります。この断層は、秀吉が建てた伏見城をつぶしてしまった慶長伏見地震を引き起こしています。それから400年余りの間にたまった地質的なひずみが今朝の地震を機に解放に向かったとしたら、ちょっとこわいものがあります。

この地震で、小学4年生の女児とお年寄り2名の3名が亡くなりました。女児は、自分が通う市立小学校のプールを囲う目隠しの塀の下敷きになったといいますから、市の責任が厳しく問われることになるでしょう。地震大国の日本に、震度6弱程度の揺れで倒れてしまう公共の建造物があるとは信じがたいものがあります。でも、阪神淡路大震災から20年あまり、1995年当時は健全であっても老朽化が進み危険領域に入ってしまった建物があったとしても、全く不思議ではありません。

東京では揺れを全く感じなかったので、学生たちの間では話題にもなりませんでした。昨日のEJUが難しかったとかいうことを、授業中ひそひそと話しているようでした。私は事あるごとに言っていますが、日本に留学するには、地震と心中する覚悟も必要です。春秋に富む留学生にも無差別に襲い掛かる魔の手が自分の足元から伸びてこないとも限らないのです。

明日ですよ

6月16日(土)

明日がEJU本番ですから、受験講座のEJU日本語も最終回。今学期は初回と最終回が私の担当でしたが、最終回にいたっても、遅刻してきたり試験中にトイレに出たり床に何かを落としたり、いまひとつピリッとしませんでした。床に落としたものを拾おうとしてもぞもぞ動いたら、カンニングを疑われてもしかたがありません。また、拾ってあげたとしても不正行為だと思われかねません。遅刻やトイレは論外です。

毎回、つまらぬところで引っかかって不本意な成績に終わる学生が出てきます。ケータイを鳴らしたとか、数学のコース2を選んだのにコース1の問題を解いて答えてしまったとか、成績が予想よりかなり低いからマークする場所を間違えたんじゃないかとか、情けないかぎりです。学生たちの国にも日本同様の厳しい受験競争があるのに、どうしてこうなっちゃうのでしょう。日本の大学受験をなめてるのだとしたら、もってのほかです。

6月のEJUで高得点を挙げて11月は受けずに大学の独自試験にじっくり備えるのが理想だと、初回に訴えました。LさんやXさんなど、そういうふうに戦って第一志望の大学に進学した例が最近目立っています。ことに今学期超級クラスにいる学生にはそうしてもらいたいですけれども、どうでしょうか。理系は、数学や理科の筆頭試験の練習を早く始めたいです。マークシートとは違う頭の使い方をしなければなりませんからね。

明日、学生たちが試験に取り組んでいるころ、私は歯医者の椅子の上です。学生たちの健闘を祈っている余裕もありません…。

しばらくのお別れ

6月15日(金)

私が受け持っている初級クラスは、みんなの日本語20課の普通体での会話でした。まず、毎度おなじみですが、「うん」と「ううん」がうまく言えず、疑問文の尻上がりイントネーションが不自然極まりなく、お互いにずっこけ合って大混乱。しばらく練習して、ようやくイントネーションがまともになり、リズムが取れるようになってきました。積極的に口を開いていたIさんやLさんは自然な話し方になりましたが、口頭練習をごまかしていたSさんやZさんは、いかにもガイジンというたどたどしさのままでした。

文法の期末テストは筆答式ですから、「休みに国へ帰る?」「ううん、帰らない」などと書ければ点がもらえます。しかし、オーラルコミュニケーションをおろそかにしてはいけません。話せないことを放置しているということは、自分の周りに自ら垣根を築いているようなものです。それでいて日本人の友達がほしいなんて、虫が良すぎます。

こういう学生は上級にも山ほどいます。普通体の会話だけが身について、いくら注意してもフォーマルな話し方をしようとしない学生もいます。自分の頭の中の文法や語彙を組み合わせて、日本語教師ですらすぐには理解できない難解な日本語を駆使する学生も後を絶ちません。その難解な日本語を生産するように思考回路が固まってしまっていますから、初級の学生よりもたちが悪いです。しかも、上級の学生たちには、入試の面接が迫りつつあります。修正するにしても、時間との戦いになります。

来週の金曜日は期末テストですから、金曜日の初級クラスの授業は今週で最後です。次にこのクラスの学生たちに会うのは、中級か上級の教室ででしょう。そのときまでに、どんなふうに成長しているでしょうか。滑らかに久闊を叙することができるでしょうか。

殺人事件を語る

6月14日(木)

代講で上級のクラスに入りました。このクラスには、先学期までに教えた学生が何名かいるはずなのですが、朝、出席を取ったときには1名を除いていませんでした。2名が遅刻して入室しました。私の顔を見て驚いていましたから、「私が教えた学生ばかり遅刻しているということは、私の教え方が悪かったんですかねえ」と言ってやったら、恐縮していました。こういう皮肉が通じるのが、さすが上級です。でも、他はとうとう姿を現しませんでした。教えた学生が乱脈なことをしていると、気になるものです。

このクラスは、毎週、その週の気になるニュースについて語り合うことになっています。早速学生たちに聞いてみると、米朝会談という声が上がりました。今週はそうですよね。でも、それについてあれこれ語るというレベルには至りませんでした。それは、話す力が足りないというよりも、話題が話題だからめったなことを話せないと自己規制した面も感じました。また、明らかに興味がないという顔つきの学生もいました。

その証拠に、別の学生が新幹線殺人事件について語り始めると、あちこちから意見や感想が出てきました。この手の話題なら身近に感じられ、また、政治がらみじゃありませんから好き勝手なことが話せると思ったのでしょう。先週あたりは、紀州のドンファンの話でもしたのでしょうか。

文法もしました。出てくる質問が中級あたりとは違うと感じた反面、中級までに習ったはずの項目を忘れているとも思いました。同じことを繰り返し勉強していくうちにそれが定着するのですから、その辺は大目に見ましょう。上級に在籍しているということは、語学のセンスもあり、それなりに努力もしてきたからにほかなりません。卒業まで3学期ありますから、さらに自分を伸ばしていってもらいたいと思いました。

異文化体験?

6月13日(水)

畑で取れたてのトマトはおいしいという意味の文が教科書に出ていましたから、学生たちに“取れたてのトマトを食べたことがありますか”と聞いてみました。クラスの半分まではいきませんでしたが、都会っ子が多いですからほとんどいないんじゃないかという私の予想を裏切って、数人が目を輝かせながら反応してくれました。

「赤くて本当においしいです」「冷えてないけどおいしいです」などという声に混じって、「砂糖を付けるともっとおいしくなります」と発言した学生がいました。「砂糖? トマトは塩でしょう」と私が応じると、蜂の巣をつついたような大騒ぎになってしまいました。トマトに塩なんて絶対にありえないというのが、学生たちの意見です。今までの食習慣と言ってもいいでしょう。この点、国籍を越えて一致していました。

「せっかく取れたてのおいしいトマトがあるのに砂糖なんかかけたら、まずくて食えなくなるだろう」「塩をつけるくらいならわさびをつけます」「わさび? いいじゃないか。砂糖よりずっとおいしそうだよ」「えーえっ、じゃあ、しょうゆは?」「うん、いいねえ。わさび醤油っていうのもおいしそうだなあ。砂糖をつけるくらいなら、なんでもおいしそうに見えてくるよ」…というぐあいで、主張は交わることがありませんでした。

実は、20年ぐらい前に中国へ行ったとき、砂糖のかかったトマトスライスが毎日のように出てきて、非常に驚きました。砂糖のかかっていない部分を探し出して食べていました。

これも文化の違いかなと思って、この原稿を書く直前にインターネットで調べてみたところ、日本でも砂糖派が増えつつあるのだそうです。「日本人は絶対塩だよ」って言い切ってしまいましたが、早計はいけませんね。

背伸びの前に

6月12日(火)

期末タスクの時期です。私のクラスの学生たちが書いた発表原稿を見ました。まったく意味不明な原稿はありませんでしたが、細かく見ていくと、突っ込みどころが満載でした。

ネットで調べて原稿を作ってもいいということにしていますが、中にはネットの書かれていたことをそっくりそのままコピペしていると思われるものもありました。コイツがこんな難しい単語を知っているわけがないっていうのが散見されます。“難しいことを易しく”というタスクの目標を掲げましたが、“難しいことをさらに難しく”という原稿になっていました。検索で引っかかったそれっぽいページを書き写したら、もう安心しているのです。そんなの、「〇〇はどういう意味ですか」と質問されたら、しどろもどろになって、発表が瓦解してしまうに違いありません。

発表に使っているのは易しい言葉だけれども、内容は深めてもらいたいのです。いや、易しい言葉で説明しようと努力することによって、内容が深まると言ったほうが正確でしょう。ですから、直すにも学生の言わんとしていることを噛み砕いて、このぐらい誰でもわかりそうな言葉で書くんだよと例示するようにしました。私たち日本語教師はそういうのを日々やっていますから、鍛えられています。学生たちは、小論文なんかではむしろ背伸びするくらいの気持ちで書いているでしょうから、急に「易しく」と言われても戸惑ってしまうかもしれません。

でも、プレゼンテーションで求められるのは、背伸びよりも明確さであり、それは平易な表現によって裏付けられることがほとんどではないでしょうか。明日もタスクの作業がありますが、この点を学生たちに訴えていきます。