知らないだけ

3月16日(金)

卒業生を送り出して時間に多少は余裕ができ、また、学期末も近づいてきましたから、来学期の受験講座の登録を受け付けています。どの科目を取るかのほかに、志望校を書いてもらいます。今週は初級の学生が中心ですが、みんな大きなことを言っていますね。東大というのは、自分でも身の程知らずだと思うからでしょうか、あまりいません。しかし、それ以外の有名大学は続々と出てきます。

ひとつには、そういう大学しか知らないということがあります。東大のほかは早慶とせいぜいMARCHぐらいしか知らないというのが、新入生の平均値です。先週卒業した学生たちも、大して変わるところはありませんでした。

去年の4月期のMさんは、東大しか知らない学生でした。難関であることはわかっていましたから、まじめな性格であるだけに、大変なプレッシャーを感じていました。悲壮感がほとばしり出ていて、見ているだけで胸が締め付けられそうになりました。しかし、Mさんの勉強したいことは、K大学でも東大に負けないくらいいい勉強ができます。ですから、K大学について自分でも調べてみるように言いました。

Mさんは、いろいろな資料を読み込んでK大学を深く知れば知るほどK大学に行きたくなり、ついにはK大学を第一志望にし、見事に合格しました。東大に比べたらK大学は有名ではありません。国でK大学を知っている人はほとんどいないでしょう。でも、自分の留学の目的はK大学で叶えられるとわかったら、Mさんには迷いはありませんでした。来月から充実した大学生活を送ることになるでしょう。

私たちの役目は、Mさんをたくさん生み出すことです。

鋭い追及

3月15日(木)

おとといに続いて最上級クラスに入りました。成り行きで学生が日ごろ感じている日本語の疑問に答えることになりました。

Q1:「すごい」は形容詞なのに、「すごいおいしい」などと周りの日本人が言っていますが、これは正しい日本語ですか。文法的には「すごくおいしい」と言わなければならないと思います。

はい、まさにその通りです。形容詞が別の形容詞や動詞を修飾する時は「~く」の形にしなければなりません。しかし、「すごい」は直後の形容詞や動詞の程度がはなはだしいことを表すことが多く、「とても」のような副詞に近いはたらきをしています。副詞は活用しませんから、「すごい」も変化させずにそのまま使っているのではないでしょうか。

Q2:「食べれる」「見れる」などら抜き言葉は正しい日本語ですか。日本人はみんな使っていますが、タレントがテレビで使うと字幕では「食べられる」「見られる」と直されています。

大半の日本人が使っているのですから、ら抜き言葉はもはや正しい日本語の一部と言ってもいいかもしれません。しかし、日本語教育は保守的ですから、もうしばらく教科書上ではら抜き言葉は正しくないとされるでしょう。

Q3:食べ物のレポーターは、どうして何を食べても「おいしい」としか言わないのですか。

単にそれ以外の言葉を知らないからでしょう。せめて「塩味が利いていておいしい」とかって、どういうところがおいしいか言ってほしいものです。

Q4:若い人たちは何でも「やばい」と表現しますが、なんだかバカっぽく感じます。

私もそう感じます。最近、何でも「大丈夫」で片付けようとする風潮も見えますが、これもよくない傾向だと思います。皆さんには物事を正確に詳しく表現できるだけの語彙力をつけてもらいたいです。

…さすが最上級、実によく観察しています。こういう目で見つめられたら、KCPの先生もちょっと危ういんじゃないかなあ。日本人の皆さん、留学生に尊敬されるような美しく高尚な日本語を使ってください。

コートを脱いで

3月14日(水)

今朝は何ら迷うことなく、コートを着ずに家を出ました。外に出ても全然寒くなく、ホームで電車を待つ間も風に震えることもありませんでした。先週までは、丸ノ内線が四ッ谷駅で一瞬外に出るときは夜の帳の中に突っ込む感じで、トンネルの中と何ら変わるところがありませんでしたが、今週月曜日に窓の外の空がほのかに明るくなっていることに気づきました。火曜日、水曜日と、日に日にその明るさが増しています。

外よりも、むしろ教室内のほうが寒さを感じたほどです。授業中、学生に暖房をつけてくれとせがまれました。その一方で、昼は復習か宿題かをしている様子の学生で校庭のテーブルがサラッと埋まっていました。東京の最高気温は21.5度で5月の連休の頃並みでしたから、外で何かするのに最適です。

まだ3月中旬ですから本格的な春になるまでには2、3回寒波に襲われるでしょうが、このまま桜の季節を迎えてしまうのではないかという予感すらします。卒業式までに進路が決まっていなかった学生の合格通知もいくつか舞い込んできています。そういう方面からも、暖かさを感じます。

でも、逆に、Cさんは今週から急に理科の受験講座に来なくなりました。理系に見切りをつけ、文転したのかもしれません。Cさんにとっては、春の日差しどころか先の見通せぬ吹雪の中なのかもしれません。でも、今からだったらまだ間に合います。文系に進むにしても厳しい戦いであることには変わりはありませんが、来年は穏やかな春を迎えられると信じて努力を重ねていってください。

今こそチャンス

3月13日(火)

最上級レベルの授業をしました。このレベルは、大半の学生が先週の卒業式で卒業しているので、いくつかのクラスを合併しても教室がすかすかの学生数です。学生数が少ないからと言って、いい加減な授業をするわけにはいきません。4月以降は、また次々と新しいことを勉強していきますから、これまでの復習をするのは今しかありません。そう考えて、文法は初級、中級、上級で習ってきたことの再確認に充てることにしました。

例えば、昨日は助詞の確認問題をしました。100問出して、合格点は100点。つまり、全問正解が合格の条件です。学生たちに聞いてみると、みんな何問かは間違えたようでした。あのライシャワーさんですら、ご自身が書いた文章の助詞は、ネイティブの日本人にチェックしてもらったそうですから、学生たちが間違えてもしょうがないかもしれません。でも、「友達を会いました」「区民センターに卒業式があります」みたいなみっともない間違え方はやめてほしいです。助詞以外にも、この手の見つけたほうが恥ずかしくなるような誤用を少しでも減らそうという主旨で授業を計画しました。

今回は、「あげもらい」がメインテーマ。モノの「あげもらい」ではなく、て形と組み合わせた行為の「あげもらい」です。さすがに最上級レベルだけあって、どうしようもないミスはありませんでしたが、答え合わせのときにこっそり直している学生がいました。また、問題文にまつわる「あげもらい」以外の文法や語彙に関する質問も出てきました。学生たちに基礎を振り返るというこちらの気持ちは伝わったようです。

このクラスの学生には、来学期から1年間KCPを背負って立ってもらわなければなりません(これも日本的な「あげもらい」の表現ですね)。期末テストまでわずかな間ですが、今のうちに最上級クラスの名に恥じない正確さも身に付けてもらいたいです。

2万円の寿司

3月12日(月)

2年前の卒業生のGさんとLさんが来ました。Gさんはあれこれ就活していますが、まだ結果が出ていないとのこと。もう時間がありませんが、最後まで粘り強く仕事を探すそうです。

Lさんは、大阪の調理の専門学校に通っています。東京へは食べ歩きに来たと言います。今晩は、銀座へ2万円のお寿司を食べに行きます。おいしいと評判の店はくまなく回って味の研究をしているそうですが、中にはどうしても予約が取れないところもあると、残念そうな顔をしていました。

大阪で有名な店の名前を出したら、もう行ったことがあるとあっさり言われてしまいました。その店は、私なんかは接待でもない限り食べに行けません。たとえ行けたとしても、緊張して料理を味わうどころではないでしょう。そういう店にも果敢に入って堂々と味わってくるのですから、感心せずにはいられません。しかも自腹ですからねえ…。

アルバイト先にも恵まれているようで、学校で習ったことを実際にさせてくれるそうです。お客さんに出す魚は切らせてもらえませんが、野菜ぐらいは任されることもあるらしいです。Lさんは、和食の料理人になろうと思っていますから、その店での経験は全てがLさんの血肉になります。

専門学校での成績はかなり優秀だと自慢していました。でも、卒業したら国へ帰らざるをえません。寿司職人ではビザが取れませんから。政府が考えている高度人材は学問やビジネスの分野ばかりで、手に職をつけた外国人はその範疇にありません。Lさんが国へ帰ってしまったら、やっぱり人材流失だと思います。まじめに勉強してきたGさんに仕事を用意してあげられない日本の社会は、どこかゆがんでいるような気がします。これからの日本は、国籍が日本の人だけが頑張ればどうにかなる社会ではないと思うのですが…。

まっさらの教科書とくさいトイレ

3月10日(土)

昨日卒業していったXさんが、受験勉強に使った教科書や問題集を持ってきてくれました。私が持っていない教科書でしたから、ありがたくいただくことにしました。

その教科書、正確に言うと、使おうと思って買ったけれどもまっさらのままで終わってしまった、日本の高校の教科書です。教科書は市販の参考書よりずっと安いですが、Xさんの場合、冊数が多いですから数千円に上ります。それを、手垢にまみれるどころかインクの匂いすら漂ってきそうな状態で寄付してくれました。近頃の学生(の親)はお金持ちになったものです。

そのXさん、実はおととい私のところへ進路の相談に来ました。M大学とE大学に受かったけれども、どちらがいいだろうかと聞かれました。私の感覚ではE大学だと答えたら、XさんはM大学のほうがトイレもきれいだしそれ以外の設備も整っていると、受験のときに実際に見てきた感想を述べてきました。どうやら、心の中ではM大学と決めていて、私の口からM大学という言葉を聞き、背中を押してもらおうと思っていたようです。

私がM大学よりはE大学だと意見を変えなかったので、Xさんは態度保留のまま帰りました。それから2日間周りの人に聞いたりネットで調べたりして、自分の勉強したいことを勉強するならE大学のほうがいいだろうという結論に至ったようです。それでも、E大学はトイレがくさいとか食堂が狭いとか、M大学に未練がありそうなことも言っていました。

国立大学は予算が削られ続けていて、人材や施設の充実に影響が出ているという話をよく聞きます。E大学も国立ですから、トイレにかけるお金を研究費か何かに回しているのでしょうか。貧乏な大学で裕福な学生が学ぶ――なんだか皮肉な様相を呈しています。

カード

3月9日(金)

卒業式が終わって、卒業生たちがステージやロビーで先生方を捕まえては記念写真を撮っているとき、Tさんが私にありがとうカードをくれました。学校に引き揚げてきてからそのカードをじっくり読むと、Tさんは、入学した時の校長挨拶を覚えていてくれて、そのときの私の問いかけに答えてきてくれました。

Tさんは、在学中、入学式での私の問いかけをずっと心に留めていて、答えを探し続け、そして自分なりの答えを見つけて私に告げてくれたのです。その学期に入学した学生で、校長挨拶で私が投げかけた問いに何がしか反応してきたのは、Tさんだけです。残念ながら、その答えは間違っていましたが、問いかけを真剣に受け止め、考え続けてきてくれたことがうれしかったです。

Tさんは4月から大学院生です。大学院での研究も、1つの疑問点を考え続けて掘り下げて、答えを見つけていくものです。もちろん、Tさんが取り組む研究は、私が入学式でちょっと口にした程度の問いかけとは桁が違います。あらゆる手段を尽くして全知全能を傾けて、やっとどうにか答えに手が届くかどうかでしょう。でも、Tさんならきっとそれを成し遂げてくれると、Tさんからのカードを読みながらそう思いました。

証書を渡し終えた後の挨拶で、進学先では学び方を学んでほしいという意味のことを話しました。私が言わんとしたことのかなりの部分を、TさんはKCPにいるうちに実践していたようです。進学先では、自分の根幹をなす思考回路を、形作っていってもらいたいです。

卒業式前日に初級の授業

3月8日(木)

卒業式を明日に控え、卒業生がほとんどを占める最上級クラスで、KCPでやり残したことは何かと聞いてみました。すると、一番多かったのがクラブ活動でした。このクラスは進学する学生ばかりで、勉強最優先できましたから、こういう答えが出てくるのも、ある意味当然です。大学に受かったらクラブ活動に参加しようと思っていたけれども、受かるのが遅れてつい最近になってしまったので、とうとうできなかったと言っていた学生もいました。

私は、このクラスの学生はクラブ活動には冷淡なのかなと思っていましたから、意外にも感じました。毎朝、クラスでその日の連絡をするとき、クラブ活動の連絡には全く反応を示さない学生たちでしたが、実は一生懸命耳をふさいで、楽しいことに引っ張られないようにしていたのかもしれません。

それから、初級の授業を受けたかったという声も多かったです。このクラスの学生は、多くが国で初級の勉強を済ませ、KCPには中級以上に入ってきました。ですから、KCPの初級の授業を知らないのです。厳しいけど楽しいという噂は聞いているけれども、どんなものなのか見当がつかず、興味津々のようでした。

そこで、コンピューターの中に入っている教材を使って、初級の授業の実演をしてあげました。超級ではめったにないコーラスなんかもしちゃいました。学生たちは、授業の進め方よりも、私のテンションがいつもとまるで違うのに驚いているようにも見えました。超級は省エネ授業もできますが、初級は常にハイテンションで行かないと、20人の学生たちからの熱気と圧力に負けてしまいます。

行き先が決まっていなかった学生がばたばたと国立大学に受かってくれました。明日は明るい気持ちで証書が渡せそうです。

スライドで視力検査

3月7日(水)

今学期の最上級レベルは、各学生に自分が興味を持っているテーマについてのプレゼンテーションをしてもらいました。各学生の発表を聞いてきましたが、感想を一言でまとめると、思いが先行しすぎているとなるでしょうか。

スライドの写真は、発表者のそのテーマへの情熱が感じられ、視覚への訴求力も強く、感心させられるものが多かったです。理解の助けになり、学生たちのセンスのよさも伝わってきました。

しかし、字が小さいんですよね。教室の後ろからじゃ読めないくらいでした。1枚のスライドに欲張って何でも入れ込もうとするのもありますが、どこかのサイトにあった文章をそのまま引っ張ってきたため、字数が多くなってしまったというパターンも見られました。インターネットで調べた内容を引用するのは構いませんが、そのままコピペというのは感心しません。進学先では絶対に注意されるでしょう。もしかすると、内容の要点を把握し、簡潔な表現でスライドにすることができなかったのかもしれません。そうだとすると、最上級クラスの学生としては、ちょっと情けないです。

私も先学期と今学期は、毎週、選択授業の身近な科学の発表資料作りに追われました。しかも、学生たちの発表は10分ですが、私は90分でしたから、スライドの枚数もかなりなものになりました。資料を読み込んで、周辺事項も含めて知識を堆積し、その中から珠玉の一言を選び出し、醸し出し、学生に伝わるような表現にしていきます。学生たちのスライドには、そこが足りなかったと思いました。

でも、これから進学先でビシバシ鍛えられていくことでしょう。来年の今頃には、私なんか足元にも及ばないくらいのプレゼンテーションができるようになっているんでしょうね。

漢字テストとお礼状

3月6日(火)

漢字のテストをしました。まあ、卒業生の成績の悪いこと。10点とか15点とか、勉強してこなかったとしか思えない答案が続出。平気でそんな答案を書く学生は、卒業認定試験も終わり、バス旅行へも行ってしまい、あとは金曜日の卒業式を待つだけという、今週の授業を消化試合としか認識していないのです。

勉強してこなくても80点ぐらい取れてしまう日本語力があるのなら消化試合でもいいかもしれません。でも、そういう学生の実力は、勉強してこなかったら限られた範囲の漢字の読み書きすら満足にできないのです。卒業式まで授業日は明日と明後日しかありませんが、それこそ1字でも多くの漢字を覚えていってもらいたいです。

そのくせ、文法の例文では“卒業したにしたって、勉強が終わったわけではない”など、殊勝なことを書いているのです。これは例文のための例文に過ぎず、本心はまるっきり別なところにあるのでしょうか。

もう少し上のクラスでは、お世話になって先生方へのお礼状を書かせました。ある特定の先生に向けてと思って教材を用意したのですが、多くの学生がKCPの先生全員に向けたお礼状を書いてくれました。雑な字で数行書いてお茶を濁す学生が出るのではないかと疑っていましたが、そんな学生はおらず、配った便箋の上から下までびっしり感謝の気持ちを込めてくれた学生が少なからずいました。

卒業する学生たちは、勉強と言われるとげっぷが出てしまいますが、感謝の気持ちはチャンスがあれば表したいと思っているのでしょう。卒業式後には先生たちと触れ合う時間も用意してありますから、そういう時間を是非活用して、思いを伝えてKCPを後にしてもらいたいです。