Category Archives: 成績

気が重いクリスマス

12月25日(火)

“いい学生”というのは、人によって定義は違うと思いますが、出席率がよく、授業に積極的に参加し、もちろん成績もそれない以上というのは共通していると思います。困っている人に自然に手を差し伸べるというのもそのなかに入っているでしょう。

Dさんは地味ですがまじめな学生で、担当したどの先生も“いい学生”として高く評価しています。11月のEJUの成績が規定の点数を超えていれば、O大学に推薦することも決まっていました。しかし、お昼過ぎに学校へ来てEJUの結果通知のはがきを開いて中を見たDさんの表情が固まりました。そして、「推薦はできなくなりました」と、だれに言うともなくつぶやきました。

はがきをのぞき込むと、日本語が約40点下がるなど、マークシートの塗る位置が1つずつずれてしまったのではないかと思えるほどの尋常ではない成績でした。O大学の推薦基準は決して低くはありませんが、Dさんなら十分手が届くと思っていただけに、日本語をはじめどの科目も惨敗という結果に私も言葉を失ってしまいました。

試験は水物といいますが、中級で受けた6月よりも大きく実力を伸ばしたと自信を持って受けた11月で、まさかの大失敗を犯したDさんの心情はいかばかりでしょう。Dさんと同じぐらいの力の学生が330とか350とかの点数を取っているのを、Dさんはどんな目で見ていたでしょう。しかも、受験のためにDさんに残された時間は決して長くはありません。

期末テストの翌日に届いたEJUの成績通知のはがきが、事務所の棚に積み上がっています。そのなかにDさんみたいな学生がいないとも限りません。

赤点

10月31日(水)

「はい、3時ですから15分休みましょう」と言って職員室へ帰りかけたところにKさんが来ました。「授業の後で先週の漢字テストの再試を受けてもいいですか」「はい、いいですよ」。

そして、授業後。発音チェックを受ける学生に混じって、Kさんが再試のテスト用紙をもらいにきました。制限時間10分ですが、発音チェックを2人こなした5、6分後に解答用紙を持って来ました。即、採点を始めると、Kさん、小さい声で「あっ!」。自分で自分の答えの間違いに気づきました。その間違いも含めて85点で、合格でした。

しかし、Kさんはまた新たな再試を抱えてしまいました。授業の最初に行った今週分の漢字テストでが、また不合格だったのです。どうやらKさんは漢字が徹底的に弱いようです。苦手意識が先立って、合格点を取るのをあきらめてしまっているのかもしれません。来週の水曜日もまた、再試を受けるのでしょう。

Mさんにも同じようなところがあります。Mさんは大学進学を考えていますが、EJUの成績が伸びません。話をさせると、難しい漢語も使って抽象的な話もかなりできます。ところが、読解問題は漢字が読めないので解けないと言います。だから、11月のEJUでは、読解は捨てて、聴解・聴読解で可能な限り高い点を取るという作戦に出ることにしています。

KさんもMさんも、漢字ができないことにへこたれず、自分の日本語力を必死に伸ばそうとしています。しかし、漢字をどうにかしない限り、その努力が、EJUの点数のように、目に見える形を成すことはないでしょう。KさんやMさんを直接見ている教師は、2人を力のある学生だと認めますが、大学の入試担当者は、数字を見て判断するでしょうね。気の毒ですが、これが現実です。

職員室への帰り道は、なんとなく足取りが重かったです。

十人十色

10月4日(木)

期末テストの作文の採点をしました。先週のうちにざっと目を通し、気になるところには朱を入れておきましたから、2度目は内容までよく吟味して、主張がどれだけ伝わってくるか、独自性がどのくらい発揮されているかといったあたりを中心に、深く読んでいきます。深くといっても、初級の作文ですから、そんなに複雑・高度なことが書かれているわけではありません。ですから、文ではなく文章のレベルで書かれているか、今までに習った文法や語彙を使うべきときに使っているかといったあたりが、主たるチェックポイントになります。

とはいえ、クラス内でかなり差がついてしまっていることも確かです。Kさんは文法のミスがいくつかあったものの、言わんとすることが十分伝わってくる個性的な文章が書けています。中級に上がって、抽象語や微妙なニュアンスを表す文法を覚えれば、社会性のある論理的かつ説得力のある文章が書けるようになるでしょう。一方、Tさんは主張はわかりますが、文法の間違いがあまりにも多く、高い評価はできません。Sさんは論理が破綻しており、このまま中級の課題に取り組んだら、教師泣かせの作文を大量生産することになるでしょう。

Nさんは、成績はいいです。でも、どうやら安全運転に走った形跡があり、習った文法を思い切りよく応用しようという姿勢がありません。作文の採点基準に従うと、Nさんのようにミスの少ない文章が高得点になりやすいのですが、期末テストのNさんの作文にはもどかしさを感じます。点数はKさんといい勝負ですが、読後感は段違いです。

作文は文字の形で跡が残りますから、会話のように勢いですり抜けることはできません。文法力や語彙力を積み上げ、論理に従って書き上げるものです。私の学生たちが、新しいクラスでどのように伸びていくのでしょうか。

質問を見極める

9月18日(火)

「じゃあ、次の課に進んでもいいですか」「先生、ちょっと待ってください。今の問題の6番がわかりません」「あ、そうですか。じゃ、もう一度説明します」…というように、初級クラスのGさんはわからないところは遠慮なく聞きます。教師としては、わからないところはわからないとはっきり言ってもらったほうがありがたいです。わかったふりをしてテストでひどい点を取るのはやめてもらいたいです。

Gさんの質問は、教科書などに出てくる、あまり初級っぽくない言葉や文法の使い方に関することが多いです。初級の先生だったら、そういうのに敏感に反応してきちんと説明なさるのでしょう。でも、上級をずっと教えていると、中級や上級で習うことになっている表現があまりにも自然にはまり込んでいると、ついつい見逃してしまいます。Gさんはそういう私の暴走を止めてくれるのです。

Gさんの質問に答えるべく、説明を追加したり例文を書いたりすると、他の学生たちも一生懸命ノートに取ったりしきりにうなずいたりします。逆にいうと、Gさんが質問しなかったら、他の学生は私の追加説明を聞くことはなかったのです。そういう意味で、Gさんはクラスへの貢献度大です。

私は教師からの質問に答える学生よりも、教師にどしどし質問してくる学生を評価します。その質問が的を射ていれば、さらに評価は高くします。的確な質問ができる学生は、頭の中がきちんと整理されています。Gさんの場合、作文にその頭脳明晰さが現れています。きちんと順序だてて文章が書かれていますから、文法の間違いがあったとしてもすぐわかりますし、だからその間違いが理解の障壁になりません。

そのGさんも受験が近づいています。筆記試験や面接試験のときに、この頭脳明晰さを遺憾なく発揮してもらいたいです。

孤独な半袖

9月13日(木)

今朝、駅で電車を待っている人たちが黒くなっていてびっくりしました。月曜日の夕方の雨以来、気温がグッと下がって、秋を感じさせられています。今朝の最低気温18.5℃は、私が駅に着いたころに出ています。18.5℃なら秋のシックな服を着たとしても全く不自然ではありません。黒く見えたわけです。

私はまだ夏物の半袖のワイシャツを着ています。KCPは、9月いっぱいはノーネクタイの夏装束です。ノーネクタイなら半袖のほうがぴったり来ますから、多少肌寒くても半袖で押し通しているのです。でも、駅のホームで黒くなっていた人たちの目には、私はどう映ったのでしょう。

学生たちも、いつのまにか長袖が多数派になっていました。また、体調を崩して休む学生も増えているように思います。私のクラスのJさんもその1人のようです。8時半頃、欠席連絡のメールが入りました。

体調が悪かったら学校を休んで、一刻も早く回復を図るべきです。風邪をひいて咳をしながら学校へ来られても、うつされるかもしれませんから迷惑です。しかし、Jさんは最近の文法テストが思わしくなく、来学期進級できるかどうかの瀬戸際です。下痢とか頭痛とかで休んでいる暇などありません。KCPの授業は情け容赦なく進みますから、Jさんは次のテストも合格点が取れるかどうか怪しいです。

ひときわ暑かった今年の夏もようやく終わりが見えてきました。同時に、暑さ疲れが出てくる時期でもあります。Jさんみたいに進級がかかっている学生に限らず、受験でも正念場を迎えている学生がたくさんいます。健康管理にも気を使って、ここを乗り切ってもらいたいです。

テストができる

8月15日(水)

中間テストの採点をすると、やはり緻密に勉強している学生は成績がいいです。話すだけならクラスで一番のCさんも、筆答試験となるときちんと積み上げてきているBさんにはかないません。コミュニケーション力ならAさんがピカイチですが、試験の点数ではBさんに一歩譲ります。

ペーパーテストの場合、濁点を落としたり誤字を書いたりしたら、どんどん減点されます。会話力だったら勢いや強い印象が重要なポイントですが、中間テストなどでは正確さがそれ以上のポイントとなります。ですから、地味ですが理詰めで論理的な頭脳を持っているBさんのような学生が有利になります。注意力が勝負だとも言えますから、几帳面なBさんがなお有利です。

音声言語は録音しない限り後には残りませんが、文字言語はしっかり記録されます。そのため、間違いも解答用紙の上に固定化されます。逆に、正確な日本語も目に見える形で光り続けます。だから、よけいにBさんの上手さが焼き付けられ、高く評価したくなります。

Bさんはペーパーテストしかできない偏った学生だと言いたいわけではありません。むしろその逆で、話すインパクトは弱いけれどもよく聞けばすばらしいことを言っているし、それは実は文法や語彙の使い方の正確さに裏付けられていたのだと、改めて感心しています。

頭でっかちの学生は、テストで点を稼いで、言語不明瞭なまま進級していきます。例文レベルなら〇がもらえる程度のものが書けるけれども、作文となったら論旨を追うだけで疲れ果ててしまうような文章しかかけない学生も、思いつくだけで数名います。テストで測りきれない力を持っていることこそが、本当に「上手」な人なのです。その点で言えば、CさんもAさんも立派なものだと思います。

励まし戒め

7月30日(月)

先週末に届いた6月のEJUの結果を見ての相談が相次いでいます。どこかしらが思わしくない成績となってしまった学生が、当初考えていた大学にそのまま出願すべきか、併願校をどのように組み合わせたらよいか、国立大学に行きたいのだが、どこだったら入れそうかなど、毎年おなじみの相談が繰り返されています。

日本人高校生の大学入試にはセンター試験があり、その成否で合否が左右されます。留学生入試におけるEJUもその点は同じですが、そのウエイトはセンター試験より重いと思います。この点数いかんで志望校を決める学生が多く、より高いレベルの大学へという意識が日本人より強いからです。

最近の日本人の受験生はあまり冒険をしなくなったと聞きます。また、地元意識も強くなり、私が受験生の頃なら東大を狙ったと思われる力の高校生が、無理して東大を受けずに地元の国立大学に進む例も増えているとのことです。留学生は、そもそも母国を出ていますから、ちょっとでもレベルの高いところへという意識が強いです。それゆえ、EJUの結果に一喜一憂する度合いも強いのです。

そうはいっても、詳しく見ていくと大学の独自試験で逆転する例がかなりあります。日本語の場合、合格者の最低点と不合格者の最高点で、前者が後者より50点以上低い例はざらにあります。EJUの成績が思ったほどではなかった学生には、だから面接や小論文に力を入れろと励まし、思いのほかよかった学生には、だから油断は禁物だと戒めます。

さて、先週末から私のところへ来た3名は、どちらかと言うと励まし組でした。有名大学のほかにもこんなすばらしい大学があるのだと紹介し、この点数ならそこは十分狙えると勇気付け、新たな目標意識を持たせます。明日もあさっても同じような相談が続くでしょうから、こちらも気合を入れてかからねば…。

限界を感じる

6月26日(火)

期末テストの結果が出ました。私が担任をしている中級のクラスでは、欠席が多かった学生や授業に集中していなかった学生が不合格になっています。多くは順当な結果ですが、中にはまじめに授業を受けているにもかかわらず読解が不合格だという、何とか救いの手を差し伸べたくなる学生もいます。

Kさんは欠席が多く、漢字と文法が惨敗。読解は点を取っていますし、グループタスクの発表も堂々とやっていましたから、力がないわけではありません。しかし、さしたる理由もなく休んでしまったため、積み重ね方の勉強ができず、こういう結果となってしまいました。選択授業も不合格ですから、来学期はもう一度同じレベルをしてもらうしかありません。

Sさんは、Kさんとは逆に、読解だけが不合格でした。授業中には教師の話を聞いていたし、指名したらそれなりに答えられてもいたのに、合格点にはるかに及ばない成績でした。中間テストも思わしくありませんでしたから、この辺が限界なのかもしれません。

限界といえば、Hさんもそうかもしれません。授業中は発言が少なく、理解しているのかいないのかよくわかりませんでしたが、期末テストでガクッと成績が落ちたということは、レベルの後半にクリティカルポイントを通過してしまったということでしょう。いつも机を並べていたLさんが普通に合格していますから、2人を比べるとHさんには「限界」という文字が浮かんできてしまいます。

初級の「不合格」は、ほぼ努力不足と断定しても構いませんが、中級後半ともなると、そう断じることがはばかれる例も出てきます。読解のテキストは、もしかすると、母語に翻訳しても内容がよくつかめないかもしれません。話すにしても、ある程度の深みが感じられないと高い評価につながりません。

SさんやHさんを来年3月の卒業まで、どのように伸ばしていけばいいでしょうか。学生を評価するだけではすまない重い課題が目の前に現れました。

ある100点

6月11日(月)

今週の最初の仕事は、金曜日に入ったレベル1のクラスにディクテーションテストの採点でした。本来は金曜日中に済ませておくべき仕事だったのですが、ドライアイがあまりにひどかったので、今朝に回したのです。

来週の金曜日が期末テストですから、レベル1も終盤戦です。順調に力を伸ばし、このディクテーションテストでも満点かそれに近い点数を取った学生もいる一方で、表記も満足に身についておらず、点が取れたのは促音も長音も拗音もない短い単語1つという学生もいました。後者は明らかに遊んでばかりいましたから当然の結果ではありますが、他人事ながら授業料がもったいないなあと思います。

私が密かに喜んでいるのは、今まで詰めが甘いと思っていたSさんが100点を取ったことです。今学期、今までに私が採点したテストや宿題では、頭では理解しているものの、どこかで何かが抜けたり余計だったりして、満点を取るには至りませんでした。中間テストでも、ケアレスミスと言っていい間違いがどの科目にも1つずつぐらいあり、それを指摘するとSさんは実に悔しそうな顔をしていました。

話し方も、文の最後まできちんと「です・ます」で話すのではなく、文末を省略したりむにゃむにゃとなってしまったりしていました。Sさんの志望校はレベルが高いですから、そんないい加減なことではいけないと注意しました。その注意が効いたのかどうかわかりませんが、金曜日のテストは濁点の有無も動詞や形容詞の活用形も、すべてが完璧でした。

日本語の正しさを追求するあまり学生が窮屈に感じてしまうのもよくないと思いますが、きれいな日本語は正しい日本語がもとになっているように思います。

修羅場を迎える

12月26日(火)

期末テストの成績が出揃うと、各学生の進級をどうするかを決めなければなりません。各科目の学期を通じた成績で合格点を取った学生は「進級」で問題ありません。しかし、1科目でも不合格点があると、こちらが頭を悩まさなければならなくなります。全科目不合格なら、胸を張って「もう一度同じレベル」と言えますから考えるまでもないのですが、中途半端に不合格の科目があると、情けをかけるべきかどうか多面的に考えていくことになります。

初級で文法の点が基準に達していないというのなら、情けをかけて進級させても次のレベルでつまずくだけで、情けが仇となるだけです。本人にとっては厳しい宣告でしょうが、「もう一度」が最善の指導です。学生はいろいろと抵抗を試みますが、教師はそれに負けてはいけません。鬼に徹しなければなりません。いかに学生自身に納得させるかが、教師としての責務だとも言えます。

10月期の上級となると、大学も大学院も入学試験たけなわで、それへの対応のために学校の勉強がおろそかになったと言い訳する学生が出てきます。確かにそういう事情もありますが、同じ状況にもかかわらずちゃんと合格点を取っている学生がいるのですから、教師としてすんなりと受け取れる言い訳ではありません。また、それだけ入試の勉強に力を注いで、それなりの結果を残してくれたら情状酌量の余地も出てきますが、そういう学生に限ってどうにもなっていないものです。

午前中、養成講座の修了式がありました。座学も教壇実習もこなして修了しているのですが、学期後の修羅場の実習なんていうのがあってもよかったかな。いや、こんな実習があったら、KCP日本語教師養成講座の最大のウリになるかも…。