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初発話

7月31日(水)

私が受け持っている初級クラスは、初級の中では一番上のレベルです。一番下のレベルならほぼ全員が新入生ですが、このレベルではKCPですでに1、2学期勉強している学生が主力です。特に私のクラスは新入生がCさん1人で、Cさん以外の学生間にはある程度の人間関係ができあがっていました。

そんなこともあり、また、Cさん自身が内気な性格なのだと思いますが、始業日からずっと、Cさんは指名されたとき以外にはみんなの前で話しませんでした。ところが、7月の最終日に至って、ついにCさんが指名されないのに発言したのです。

授業を進めていたら、「先生、寒いので、エアコンの温度を上げていただけませんか」というCさんの声が聞こえてくるではありませんか。心の中では感激しつつ、でも、驚きすぎてはいけないと思いながら対応しました。

Cさんはできない学生ではありませんから、指名されたときには正しい答えをしてくれます。ペアワークでもこちらの指示を適切に理解し、しかるべき活動をしています。あとはほんのちょっとの勇気があれば、みんなの前で話せたのです。その勇気を与えてくれたのが、教室の寒さだったというわけです。

実は、Cさんが初めて発した言葉は、「先生、寒いので、エアコンの温度を上げていただけませんか」ではありませんでした。語彙的文法的に派手に間違えてくれたので、ちょっとツッコミを入れました。そのツッコミにも笑顔で反応し、他のクラスメートともに正解である「先生、寒いので、エアコンの温度を上げていただけませんか」まで寄り道しながらたどりつきました。Cさんの間違いはクラス全体をまとめる役割を果たし、最後にCさんに正しい言い方をしてもらった時、満足げににっこり笑っていました。

これに味を占めて、明日からどんどん発言してくれることを期待しています。

忘れたころに

7月12日(金)

授業の最後に、前の学期に勉強した文法を使った会話をするという活動をしました。いきなり先学期の文法などと言われても学生たちは何のことやらわからないでしょうから、学生たちに先学期どんな文法を勉強したか挙げてもらいました。「てしまいます」「ておきます」「意向形と思います」など、次々と挙がってきました。クラスによっては、これをするとシーンとなってしまうのですが、今学期の金曜日のクラスは、誰もが臆することなく発言できる雰囲気があるようです。また、列挙された項目も、前のレベルの文法項目がまんべんなく含まれており、ある程度は定着していることがうかがわれました。

実際に会話をさせてみると、多少不自然だったり強引だったりもしますが、使おうという意識が沸き上がっていたことは評価しなければなりません。とかく教師は文法を教えっぱなしにしてしまうきらいがありますが、学生が忘れかけたころに思い出させる、無理やりにでも使わせることを重ねていく必要があります。そうしないと、上のレベルで使うべき時に使うべき文法が出てこなくて、不細工な発話や文章を披露し続ける羽目に陥ります。披露の場が入試の面接だったら、その学生の一生を左右しかねません。

学生たちにとっては、わりと最近習った文法でしたから、使いやすかったかもしれません。しかし、これから今学期の文法を勉強していくと、今、頭に入っている文法も忘れていくものなんですよね。そうならないように、使うべき時を繰り返し指摘し、自然に出てくるようにしていかなければなりません。教師の意識も高くないと続けられません。

施政方針

7月10日(水)

新学期は、クラスの雰囲気作りが教師の重要な仕事です。どんなクラスにしていくか、担任教師を中心に方向性を定めていきます。今学期、私が担任をする初級クラスは、できるだけ長い文で話させるという方針で進めていこうと考えています。

さて、その初日。ともすれば単語で答えようとする学生を相手に、まずは単文でいいですから、きちんと「です/ます」で答えさせていきました。私が担当しているレベルは初級の最後の段階ですから、単に口数が多ければいいという問題ではありません。中級に上がることを前提に、まとまった話、微妙なニュアンスも伝えられるようになってもらわなければなりません。今すぐじゃなくてもいいですが、会話の期末テストのころには、「みんなの日本語」の文法を駆使して、複文で意味のあることを話せるように成長していてもらいたいです。授業でのやり取りを通して、私の考え方を浸透させていくつもりです。

これは私1人が騒ぎ立ててもできる話ではなく、一緒にクラスを受け持つ先生方のご協力が必要不可欠です。クラスの教師全員が口うるさく注意して初めて、効果が上がるのです。今学期はH先生とK先生という経験豊富な方々と組んでいますから、その点は大船に乗った気分です。

授業は楽しいことが第一ですが、初級の総まとめをするという観点からは、苦しんでもらわなければならないこともあります。私がボコボコにして、H先生とK先生にフォローしていただくのがいいのかな。授業後に、昨日出された宿題のチェックをしました。早速どの学生のプリントも真っ赤にしてしまいました。

思い出

7月5日(金)

先学期のクラスの個人成績表にコメントを書いています。担任だった2クラスのうち、1クラス分をようやく書き終えました。担任としての最後の責務です。

SさんみたいにオールAのすばらしい成績の学生は、授業中にも活躍した場面が多く、コメントのネタには事欠きません。賛辞とともに、一言だけ課題を付け加えます。

逆に、Hさんみたいな問題児は、出席率が悪いとか文法がわかっていないとか、だから生活の立て直しが必要だとか、これまた書くべき材料が山ほどあります。現に、Hさんへのコメントはこのクラスで一番長くなってしまいました。

Cさんも何となくふらふらしていて、教師を不安にさせる存在でした。でも、どの科目もきっちり合格点を取っていますから、根っこのところは、私が感じていたよりずっとしっかりしているのでしょう。そういったほめ言葉を書いて、少しでも自信を持たせたいです。

また、Mさんみたいなクラスのムードメーカーには、まず、クラスを盛り上げてくれたことのお礼を述べます。みんなを笑わせてくれたり、私のいじりに対してボケたり笑われ役になってくれたりといった、3か月間の思い出が次々とよみがえってきました。

何はともあれ、来学期につながるコメントを書こうと心を砕いています。目立たない学生でも、何か1つエピソードを思い出し、そこを起点に話を広げていきます。だから、担任になったら最後にコメントを書くことを想定して、学生たち1人1人に目を光らせていなければなりません。

明日は、もう1つのクラスのコメントを書きます。今晩、ベッドの中で学生たちとの3か月を思い出しましょう。

宿題提出

7月3日(水)

Sさんは、先学期の期末テストの文法が、合格点にほんの少し足りませんでした。先々学期も期末テストで成績が落ちたため、進級できませんでした。このレベルは初級の最後なので、後半は中級へのつなぎの文法を練習します。Sさんは2学期ともここでつまずいたようです。

先週、Sさんには、学期の後半で勉強した文法を使って例文を書いて提出するという宿題を課しました。その宿題が、昼食から戻ってくると、メールで届いていました。

Sさんの例文を読んでいくと、最初のうちは習った文法を使いこなした例文が多かったですが、6月になってから勉強した項目あたりから、消化不良の文法が目立ってきました。例えば、助詞の「を」でも通過の意味の「を」を勉強したのに、「カレーを食べます」などと、初級の入り口で勉強する例文を書いていました。

例文を上から下まで眺めまわしてみると、Sさんの理解がどこで止まったかが実によくわかります。学期中でも宿題で例文を書かせていますが、その添削がSさんの心に届いていなかったのです。もちろん、教師はそれぞれの学生の理解度に合わせて文を直します。時には教科書の何ページを見ろと指示することさえあります。そこまでやっても、届かないときには届かないものなのです。

Sさんの宿題をこのまま受け取るわけにはいきませんから、書き直してもらいたい例文に印をつけて、その例文は書き直して再提出せよと送り返しました。Sさんのほかに、Jさんにも同じ宿題を出しています。明日あたり、その回答が届くのでしょうか。おちおちせき込んでいる暇などありません。

いつ使う

6月17日(月)

いよいよ今学期も最終週を迎えました。各レベルで期末タスクが盛んに行われる時期です。

私のクラスは、会話テストがありました。課題を与え、ペアで会話を作ります。今学期勉強した文法や語彙を使い、ストーリーをきちんと締めくくることが求められます。自然消滅とか単なる雑談とかけんか別れとかは点数になりません。会話テストですから、もちろん、発音の良さも評価項目の1つです。

どのグループも概してよくできていましたが、敬語を上手に使っていたグループが目立ちました。習ってから間がない文法項目ですし、学生たちの印象も強かったのでしょう。文法テストで散々苦労させられたという面も見逃せません。実際の会話においても、自然に敬語が出てくるようになれば、私も教えた甲斐があるというものですが、果たしてそれはどうでしょう。

逆に学生たちがあまり使わなかったのは、「どこに置いたか忘れてしまった」のような、疑問文を文の中に組み込んだ文型です。「どこに置きましたか。忘れちゃったなあ」とかってごまかしていました。それから、使役も使ってほしいところで使ってくれなかったなあ。テストが過ぎたら、きっと使わなくなってしまったんでしょう。

こういった文法が自然に出てくるのは、中級や上級でもまれてからでしょう。私のクラスの学生たちは、ようやく「~てしまいます」が使うべきところで出てくるようになったばかりです。現在進行形じゃない「~ています」も、少しずつ使えるようになってきたところです。受身はまだまだですね。

これは、教師の側の課題でもあります。目標とする文法項目を使わせようと仕組んだ練習の中ではなく、普通の何気ない発話の中で、習った文法を使うべきところをビシビシ指摘し、言い直させ、こういう時に使うんだと学生に体で覚えさせなければなりません。こうするには、教師が既習文法を使う場面に敏感でなければなりません。

これが、相当に難しいんですよね。学生ばかりを責めてはいられません。

瞬発力

5月13日(火)

「えーと、Kさん、あなたはいつ日本へ来ましたか」「1か月前に来ました」「そうですか。もう、日本の生活に慣れましたか」「いいえ、まだ慣れていません」「うん、いい学生ですね」…と言って、私が板書したのが、「1か月前に日本へ来たばかりですから、まだ日本の生活に慣れていません」という文です。

「~したばかりです」という文法を導入するのが目的で、その直前に勉強した「~したところです」との違いを強調するために、今学期の新入生のKさんに活躍してもらいました。「~したところです」は本当に直後でないと使えませんが、「~したばかりです」は、話し手や書き手がそれをしてから間がないと思っていれば使えるということを訴えるのに使ったのです。

私は教室の中の流れを授業に取り入れることをよくします。教案を立てても現場で変更ということがよくあります。というか、それがほぼ毎日です。むしろ、教室でのやり取りの中から導入の糸口を見つけることに生きがいを感じているといった方が正確です。とっかかりがどうしても見つからなかったら、しかたなく教案の通りにしています。

目の前の状況や学生と教師のやり取りがそのまま文法の導入につながるのですから、学生にとってもわかりやすいだろうと、私は勝手に信じています。少なくとも、授業にきちんと参加している学生は、どんな場面でその文法を使うか実感できるんじゃないでしょうか。

こういう、その場で思いついたことや教室の空気をパッと授業に生かせなくなった時が、私の引退の潮時だと思っています。例文や説明のセリフがすぐに浮かび上がってこなくなったら、日本語教師を続けても面白くないでしょうね。今のところ、まだまだ持ちそうな気がしていますけどね。

研究熱心

4月3日(水)

日本語の授業は来週からですが、私の場合、昨日から養成講座の講義が始まっています。4月は文法の授業がしばらく続きます。日本人に日本語文法を教えるのは、わかっているつもりでいる人に全然わかっていないんだよということをわからせることです。全く意識せずに使っている日本語をきっちり意識させ、理詰めに考えていく癖をつけさせる仕事だとも言えます。

日本語教育能力検定試験の合格を考えると、文法体系をたたき込んでいくことが第一でしょう。しかし、私は実際の学習者がどうなのか、どんな間違いを犯しやすく、何が理解しにくいかも話していきます。ここでつまずく学習者が多いとか、こんな誤用が多いとか、そういうことが語れるのが、実際に教えているものが養成講座の教壇に立つ強みだと思っています。そういった、学習者が引っかかるところをいかにして乗り越えていくかは、各レベルの教授法や授業見学や、最終的には教壇実習を通して身に付けていってもらいます。

また、みんなの日本語をはじめとする文法の教科書にきっちり載っている文法と、文法項目として明記されてなく、なんとなく覚えることになっている事柄とがあります。初級文法でもなんだかごまかされちゃったみたいなのもありますが、上級文法と言われているものの中には、読解のテキストなどに出てきたときに見逃さずに捕まえて解説しなければならない項目もあります。そういうことに対する感度を磨くのも、私の授業の役割だと思っています。

期末テストの点数が合格点にちょっとだけ足りなかった学生の相手をしていると、養成講座で語るネタがザクザク出てきます。もちろん、日々の授業の際にも、がっちり取材させてもらっています。もう一歩足りなくて同じレベルを繰り返す学生を1人でも少なくできるような教師を育てるために、学生を見ながら研究しています。

修了式と同窓会

3月29日(金)

養成講座の修了式が終わり、会場の設営を手伝っていると、Mさん、Nさん、Tさん、Oさん、Kさんなど、懐かしい面々が次々と姿を見せてくれました。名前だけではピンとこなかった方々も、顔を見たら「ああああ!」という感じで、瞬時に線がつながりました。養成講座の同窓会は、互いに久闊を叙するところから始まりました。

養成講座を修了したMさんがKCPで先生をしていたのは、10年以上も前になるといいます。確かに、震災の前ですから、そういう計算になります。でも、顔はしわが増えたわけではなく、声の張りや艶も変わることなく、でも、お話を聞くと間違いなく歳月は流れており、なんだか不思議な気がしました。

Nさんは私がKCPに入る前にお世話になっていたところでしばらく教えていたそうです。そこは震災をきっかけに日本語を教えなくなってしまったという話を聞き、少し寂しくなりました。でも、Nさんはほかで仕事を見つけ、日本語教師として立派に独り立ちしていて、表情には自信がみなぎっていました。

KCPが日本語教師養成講座を始めたのは2001年のことです。調べてみると、私は2003年ごろから養成講座に携わっていますから、かなりの数の同窓生とどこかで接触があったはずです。今回出席できなかった方たちも、送られてきたメッセージによると各方面で活躍しているようです。その活躍に微力ではあっても貢献できたんのかと思うと、なんだか誇らしいです。

もちろん、KCPの養成講座出身者は、KCPでも多くの方が貴重な戦力となっています。今期の修了生からも、3名が4月からKCPで働き始めます。同窓会でつながりができた先輩方を目標にして、ぐんぐん成長していってもらいたいと思っています。

平常心?

3月15日(金)

「緊張がほぐれたら教室へ行ってもいいですか」「ええ、いいですよ」。日本語教師養成講座の受講生Oさんが、担当のT先生に一声かけてから教室に向かいました。今週は、養成講座の方々の実習ウィークです。Oさんは、午後の初級クラスで教壇実習をするのです。先学期、中上級クラスで実習していますから教壇に立つのは初めてではないのですが、かなり気が高ぶっているようです。肝が据わっているほうだとお見受けしたOさんですら、職員室を離れてリラックスする必要があるのですから。

Oさんを見ていて、授業前に緊張するなんて、絶えて久しくしていないなあと思いました。駆け出しのころは、どんなに下調べをしても、頭の中でシミュレーションをしても、綿密に計画を立てても、不安に駆られたものでした。予想外の展開になったら、学習者にわからないと言われたら、時間を食いすぎてしまったら、…というふうに、心配の種があちこちで芽吹いていました。

でも、いつのまにか、失敗してもどうにかなるさと思うようになってしまいました。経験を積むことによって授業の質が上がってきたというよりは、高をくくれるようになったと言うべきでしょう。取り返しのつかないミスを犯すことはないだろうという自信とともに、小さなミスなら1学期というタームで捕らえればいくらでも挽回可能だと思えるようになったのです。

Oさんの実習はどうだったのでしょう。授業後は私も忙しく、話を聞く時間がありませんでした。今月末に養成講座を修了し、4月からは、担当教師の見守られながらではなく、一人前の教師として学習者を引っ張っていきます。この実習で、そのための何かをつかんだと信じています。