Category Archives: 教師

聞く耳持たず

12月4日(月)

「あなたは、今月、1回も遅刻欠席しないで100%来ない限り、来学期の登録はノーチャンスですよ」と言われたらどう受け取りますか。私だったら来学期はもうこの学校で勉強できないものと思い、次の算段を始めるでしょう。しかし、Aさんは違うようです。100%来ればチャンスはあると思って、希望に満ちた顔つきをしています。でも、これまでのAさんの行状を見る限り、期末テストまで遅刻すらせずにというのはどう考えても無理です。それが1度たりともできたためしがなかったから、今こんなことを言われているのです。そんな学生が急に出席率100%になるとは、到底思えません。

この楽天的性格というか、能天気さというか、自分の都合のいいほうに解釈してしまう根性、私なんか少し見習いたいくらいですが、学生が持っているとなると、生活指導も何も効果半減です。もちろん、可能性が低くても果敢に挑む気持ちも必要な時があります。そういう行為が歴史を動かしたことだってあります。桶狭間における信長がその例でしょう。しかし、信長はそれ以降、可能性の低い勝負はしていません。浅井と朝倉に挟み撃ちされた時は一目散に逃げています。ところがAさんのような学生たちは、自分の過去から何も学ばずに、ただ闇雲に自分の理想に近い情報のみを信じて、そちらに進もうとします。そこには冷静な判断などありません。「信ずるものは救われる」という悲壮感もありません。悪い状況を見ようとしない逃げ、その場しのぎの言い訳や行動でどうにかしようという課題の先送りなど、問題の本質に迫ろうという気持ちが全く感じられません。

こういう学生に会うと、こいつは痛い目にあってもらうしかないと思って、指導する気も失せてきます。そして、実際に痛い目にあってこちらへ来ると、「先生がきちんと指導してくれなかったからこんなひどいことになったんじゃないか」と言わんばかりの顔をする学生もいます。そして、やっぱりこちらの指導を受け入れず、事態は悪化の一途をたどるのです。

進路指導などでこういう場面が続くのが、毎年の年末です。そういう火種を抱えている学生が、私のクラスに1人、2人…。

月末の憂鬱

11月30日(木)

月末になると、その月の出席不良者リストが送られてきます。受験のための欠席は除いてありますから、病気で休んだか、単なるサボリだったかということになります。親類が急逝したので一時帰国中という学生もいましたが、親類家族の不幸がこんなにたくさんあったら、KCPはかなり呪われていることになります。

私が以前受け持った学生の名前もそこここにありました。こういう形での再会はしたくありませんでしたね。「また休みやがって」と思わずつぶやいてしまう学生もいれば、「先学期はあんなにいい学生だったのに」と、何が起きたか心配になる学生もいました。

現在の私のクラスの学生も数名リストアップされていました。今月ずっとマスクをしていた学生、受験準備と称して休んでいる学生、大学合格後完全に気が緩んでいる学生、どういう角度から見ても休む理由などなさそうな学生、いろいろです。ビザさえあえば何をしてもかまわないと思っているのでしょうか。

このうち、本人が受験準備だと信じて休んでいる学生は、確信犯ですから悪いことをしているとは思っていません。自分の本務は入試に受かることで、日本語学校生というのは世を忍ぶ仮の姿と割り切っているようにも見えます。こういう学生への指導や注意は、のれんに腕押しです。話し合った翌日、何事もなかったかのように休みます。そんな時、コミュニケーションの成り立たない無力感をじわーんと味わわせられます。

学校が楽しくてしょうがない、学校ほど居心地のいい場所はないという声もあちこちで聞きます。そういう学生の期待に応えられるように、楽しくてためになる授業作りに力を注いでいます。そんな授業をもってしても、上述の学生たちの心を動かすには至りません。

そして、確信犯が学校へ来るのは、にっちもさっちも行かなくなったときです。お前みたいに都合のいいときだけ学校を頼ろうとするやつなんかに差し伸べる手はない……と言い切ってやりたいですが、言えないんですよね。

文法テスト

10月24日(火)

私のクラスで、今学期初めての文法テストがありました。何回か授業に入ってきて、こいつはできそうだとか、危ないんじゃないかなとか、ある程度の見当はつけていましたが、文法のテストは実力差を画然と浮き上がらせます。

授業中真剣に話を聞いているCさん、気の利いた答えをよく言うAさん、常に積極的なSさんあたりが高得点なのは順当なところ。漢字の弱いYさんも高得点なのは大健闘と言っていいでしょう。欠席の多いQさんやPさんが振るわないのも予想通り。その一方で、授業中はわかったような顔をしているHさん、Wさんが不合格なのは大いに意外でした。LさんやJさんも不合格になるとは思っていませんでした。

口は達者でも文が書けなかったり、例文を作らせると最高なんだけど口が回らなかったりと、個々の学生には得手不得手があるものです。しかし、今回の結果は、得手不得手で片付けてしまうわけにはいかないような気がします。どうやら、学生の力を過大評価していたようです。

ということは、授業がよくわかっていない学生を見落としていたということです。授業の時には質問しやすい雰囲気を作ってきたつもりですが、そういう学生からすると、何をどう質問すればいいかすらわからない状況だったかもしれません。思わぬ学生が不成績だったということは、導入や練習を丁寧にせよという天の声なのかもしれません。

テスト結果はテストを受けた学生にフィードバックするのはもちろんのこと、自分自身にもしっかりフィードバックして、学期末にみんなが笑っていられるクラスを築いていかなければなりません。

辛口

10月10日(火)

始業日の前日は、前の学期に担任をしたクラスの学生に成績表を送ります。成績表の数字は機械的に計算されたものですから、私が個人的な感情をさしはさむ余地はありません。しかし、教師からのコメント欄には3か月間の思いをこめた一言を書きます。

先学期私が担任をしたクラスは、いい学生は文句のつけようがないくらいすばらしく、悪い学生は絶句するほどひどいという、両極端の学生が集まったクラスでした。前者のコメントはすらすら筆が進みましたが、後者は成績の悪さ、出席率の低さを指摘しているうちにムカついてきて、仕事がはかどりませんでした。

本当は、後者の学生にこそ心のこもったコメントを送り、立ち直るきっかけを与えるべきなのでしょう。でも、心をこめてしまうと、どうしてもきつい言葉ばかりになり、学生をさらに絶望の淵に追い込みかねません。かといって、勉強が足りなかったこと、学校中心の生活になっていなかったことを指摘しないと、そういう学生たちは同じ失敗を繰り返すでしょう。耳の痛い言葉にも耳を傾けなければなりません。良薬は口に苦しです。

本当に私の気持ちが伝わってほしいのは後者の学生たちですが、こういう学生はえてして成績表の数字だけ見てコメント欄には目を通さないんですよね。次の学期に立ち直れば、多少なりともこちらの思いが届いたかなと思えます。逆に、次の学期もぐうたらしている様子が知らせられると、徒労感に襲われます。さじを3本ぐらい投げつけてやりたくなります。

辛口のコメントを送った学生たちは、明日、どんな顔を見せてくれるでしょう。まさか、休むんじゃないでしょうね。

風邪ですか

9月14日(木)

どうも最近、マスクをしている学生が多いような気がします。人数を数えたわけではありませんが、私が受け持っているクラスにはいつも1人はいます。Sさんなんか、今学期の最初からしています。2か月も風邪を引きっぱなしなのでしょうか。夏の花粉症なのでしょうか。Dさんもマスクをしていますが、声を聞く限り元気そうです。意地悪い見方をすれば、寝坊で遅刻欠席しても、教師に体調不良のためと思わせるために毎日マスクをしているとも受け取れます。Dさんはよく休みますからねえ…。

口元を隠すのはウソをついていることの表れだと言われます。私は、手で口を隠して話すことは失礼なことだとしつけられました。ですから、毎日マスクというのが気になるのです。また、顔の下半分が見えないと表情が読めませんから、何を考えているのか、どう感じているのかわかりません。教師にとってはそういう学生は扱いにくいです。その学生の反応がつかめず、何かとやりにくいです。

Dさんにはなぜマスクをしているのかと聞いてみたことがあります。予想通り、風邪をひいているからという答えが返ってきましたが、なんとなく信じられません。私の質問に不安げな目つきで答えている様子を見ているうちに、自分をさらけ出すのが怖いからなのかなとも思いました。家族から寄せられる期待に押しつぶされそうな自分を見せたくないのでしょうか。そこまで想像力をたくましくしてしまうのは、いたずらな憶測かな。

いや、Dさんたちが感じているのは、教師や学校からのプレッシャーかもしれません。テストや宿題や、これができなかったら進級させないなどという教師の脅しが、マスクとなってはね返ってきているような気もしてきました。私もマスクをしたくなってきましたが、マスクをするとメガネが曇りますから…。

開業

9月8日(金)

今シーズン初の推薦書を書きました。Pさんは出席率もいいし努力家だし、喜んで推薦できる学生です。推薦書に書きたい内容がたくさんありますから、すらすらと書くことができました。この時期に推薦書と言ってくる学生は、たいてい来日当初から進学したい学校が決まっていて、そこを目指して努力を重ねてきた学生ですから、推薦書で悩むことはありません。Pさんもそんな1人です。

志望理由書の添削も頼まれました。夏休みの直前に相談に来ていたSさんが、A大学の志望理由書を書いてきました。相談に乗った時に志望理由書の書き方の基本を教えておきましたが、実際に書いてみるとそうスムーズには筆が進まなかったようで、約束の時間をだいぶ過ぎてから来ました。悪くはない内容ですが、でも、“悪くはない”止まりです。初めての学生が陥りがちな抽象論の空中戦が見られましたから、注意しておきました。Sさんはいいネタを持っていますから、それを活用してくれれば読み手の目を引く志望理由書が書けるでしょう。

初級クラスの学生の進学相談もしました。ZさんはM大学かC大学といい、FさんはJ大学かG大学と言っています。2人の実力からすると夢のような話で、来春の進学は無理そうだと気付き、予定を延長することを考え始めたようです。2人とも頭でっかちで、難しいものを読む勉強には熱心なのですが、語彙力が伴っていないため、その勉強が血肉になっていない憾みがあります。

来週は9月も半ばです。推薦書も志望理由書も進学相談も、どんどん増えていくことでしょう。時には引導を渡さなければならないことも出てきます。覚悟を決めて事に当たらないと、学生に負けてしまいます。

免許更新

8月21日(月)

昨日、運転免許の更新をしました。といっても、5年前の更新以来、ハンドルを握っていないような気がします。最後に運転したのは、たぶん、夏休みに四国の最西端・佐田岬まで行ったときで、それは5年前よりももっと昔だったような気がします。そんなわけで、ペーパードライバーゆえの優良運転者ということで、5年の有効期間がいただけました。

もっとも、これは東京に住んでいるからであって、就職して間もないころ、山口県に住んでいた時は、暇さえあれば車を運転していました。夜明け前に出発して、トイレとガソリン補給以外はずっと運転し続け、日がとっぷり暮れてから戻ってくるなんていうことも1度や2度ではありませんでした。その時は、自分が5年も運転しなくても平気でいられるなんて、夢にも思いませんでした。

車の運転も、体で覚えるとことがありますから、たとえ10年ぶりだろうと、運転席に座って交差点を3回ぐらい曲がれば、カンが戻ってくるのではないかと思っています。今は腰痛を抱えていますから、若い時のように1日中運転し続けることは無理でしょうが、運転を楽しむぐらいはできると思っています。

免許の更新といえば、一時期騒がれた教員免許の更新はどうなっているのでしょう。運転免許の更新は視力検査と講習が30分だけでしたが、教員免許のほうは30時間の講習が義務付けられています。日本の次世代を担う人材を育てる役目を果たすのですから、30分というわけにはいかないでしょう。でも、だからこそ、更新のときだけでなく、常にそれに相当するくらいの研究を続けていてほしいと思います。

さて、日本語教師は日本語教育能力検定試験に受かってしまえば、あとは野放し状態です。市場原理が働き、実力のない教師は淘汰されていくだけです。しかし、これも市場任せですから、教師の需要が高まれば、実力の伴わない教師も教え続けることになります。また、運転と違って2、3回角を曲がればそれなりの運転ができると言うものでもありません。長いギャップがあると、リハビリの期間も長くなります。

私が日本語教育能力検定試験に受かったのはかれこれ20年近く前のことです。でも、養成講座を担当しているおかげで、勉強し直すチャンスはいただいています。今、もう一度受けてもどうにか合格できるんじゃないかなと思っています。でも、私が合格すると、誰か1人、本当に合格したい人が落ちてしまいますから、受けないことにしています。…というのは、言い訳に過ぎませんよね。

名札

8月19日(土)

特に授業のない土曜日の朝、K先生が「この名札、見てください。私がKCPに入ったときのですよ。物持ちがいいでしょう」と、少し誇らしげに見せびらかしました。そういえば昔は初級、中級、上級って色分けして名札にラインを入れていたっけなあと、K先生の名札を見て懐かしく思い出しました。私も名札を持っていますが、K先生のよりは新しいバージョンで、ラインは入っていません。私が名札を使うのは、新入生のプレースメントテストのときだけです。名札を指差して、名前を解答用紙の所定欄に書くようにと指示するのです。

K先生は授業がありませんでしたが、私は受験講座の授業がありました。学生たちにEJUの模擬試験をさせましたが、Tさんはなぜかなかなか解答用紙に名前を書こうとしません。「あと5分です」と残り時間を告げてもまだ書きません。Tさんはもう1年以上もKCPで勉強していますから、わざわざ名札を持ち出すまでもなく、最後には名前を書くでしょう。でも、本番の試験の時にはしてほしくないですね。集めた解答用紙には、「はい、やめてください」というのと同時ぐらいに大急ぎで書いたと思われるくしゃくしゃの名前がありました。

名札といえば、最初に勤めた会社を辞めたとき、本当は返さなければならない名札を記念にこっそり持ち出したのですが、あれは今どこにあるのでしょう。その時は、この会社に勤めたことを一生の思い出にしようと思っていたに違いありません。でも、今は、今朝K先生の名札を見せられるまで、その存在すら忘れていました。うち中の荷物をひっくり返して探せば見つかるかもしれませんが、そこまでする気力も時間もありません。ま、要するに、私はK先生より物持ちが悪く、淡白なのだということなのでしょう。

仏の先生

8月8日(火)

今朝、教室に入ると、漢字のテストがあるというのに、Wさんの姿がありませんでした。Wさんは、今学期に入ってからというか、1年前からずっと出席率について目を付けられていて、先学期の先生からもよからぬ引継ぎを受けています。先週の金曜日は朝から来ていたのですが、また悪い癖が出始めたのでしょうか。

などと思っていたら、10分ほど遅刻で入室。漢字のテストは途中から参加で、制限時間はみんなの半分ほどになってしまいました。そんなわけですから、成績がよかろうはずがありません。答案用紙を見る限り、勉強してきた形跡もなく、もしかするとテストがあるとは露ほどにも思わずに、安心して(?)遅刻してきたのかもしれません。

他のテストも推して知るべしで、未受験か不合格かのどちらかです。私の心の中では、早くも来学期進級させない学生のリストの筆頭に記されています。学生としての義務を果たしていないのですから、同情の余地など全くありません。

でも、わたしはWさんを厳しく叱ってはいません。今学期は、日本語のクラス授業以外にも、受験講座やら養成講座やら山ほど仕事を抱えています。入学以来歴代のWさんの担任教師も叱り続けています。それでも改善の兆しが見えないのですから、私ががみがみやったところで心を入れ換えてくれるとは思えません。効果があるかどうか覚束ない学生の説教に時間を割くよりも、進学相談などで私を必要としている学生たちのために時間を使いたいです。Wさんは私を優しい先生だと思っているかもしれませんが、実は最も冷たい仕打ちをしている教師なのです。

目をかけているがゆえに厳しく当たるのです。叱られるとは期待されているということなのです。学生の皆さん、先生が「はいはい」と言うことを聞くようになったら、あなたはもう終わりですよ。

新たな発見

8月1日(火)

日本語教師養成講座の講師をしていると、やはり自分の教え方を振り返ることが多くなります。ことに今回は、日本語文法全体を概観するというよりは、初級の文法を集中的に講義していますから、なお一層そういう傾向が強くなっています。教科書をもう一度も二度も読み返してみると、講義内容に関連して、教科書の編者の苦労が見えてきたり、逆に教科書の粗が浮かび上がってきたりしています。

そうすると、自分の教室での教え方の過不足も感じられ、思わず反省したりします。ここは私の思い入れが強すぎたとか、こんな突っ込み方じゃ編者が泣きそうだとか、あれこれ思うところがあります。今学期も初級クラスに入っていますが、そこは初級の終わりのレベルで、初級の入口に近いほうは、このところ代講でたまに入るだけです。ですから、せっかく反省してもそれを生かすチャンスがあまりないことが残念なところです。

でも、上級や超級の学生ですら、こっそり初級文法を間違えていますから、それを正したり未然に防止したりする際に、今回の知見が日の目を見るのではないかと思っています。養成講座の講義でも、この文法は初級で勉強しますが実際に使えるようになるのは中級になってからだよとか、これが使いこなせたら上級だねとか、そんな話もします。こういう話ができることこそが、私が養成講座をする意義であり、同時にこの学校の養成講座の特色だとも思います。

私に講義のネタを提供してくれる学生の皆さんに対して、感謝してやみません。