Category Archives: 教師

手直し

7月4日(土)

今学期は超級クラスを担当しそうなので、教材集めをしています。といっても、新しく見つけ出すのではなく、以前使った教材を再利用しようと考えています。このレベルともなると、外国人向けの市販の教科書をそのまま使うわけにはいきません。それでは易しすぎるし授業が単調になってしまうし、こちらで補助教材を用意するなど、かなり手を加えなければなりません。それをやるのはかなり大変なので、昔の教材のリバイバルとなるわけです。

昔の教材を使うとなると、教材の鮮度が問題となります。3.11より前の教材は、現在では的外れなことになっていることもありますから、ことに要注意です。文法の例文も漢字のテスト問題も、手直しの必要なことがあります。そのときアップ・トゥー・デートな話題であるほど、その時期が過ぎると急に古臭くなってしまうものです。

そういう目で見ていくと、そのまま使える教材のなんと少ないことでしょう。ゼロから作るよりはましですが、やっぱりかなりの労力がかかります。また、教材を作ってから今までの間に、学生の志向や嗜好や思考が変わったという面も見逃せません。進学志向が強まり、多かれ少なかれサブカルを嗜好し、個人主義的な思考法が広まったと思います。そんなことも反映する必要があります。

それから、受験シーズンに入っていきますから、志望理由書の書き方やら面接の受け方やら大学の独自試験対策やらもしていかなければなりません。以前の資料を見ると、われながら甘いなと思うところもありますから、やっぱり何かすることになるでしょう。

来週は新入生の受け入れと養成講座の授業のかたわら、こんなことをしていきます。

爆弾作り

7月2日(木)

来週の木曜日は始業日なので、先生方の打ち合わせがありました。スピーチコンテストの概要や、進学に関する情報などをお伝えし、新学期への準備を進めました。K先生がスピーチの指導方法について詳しく講義してくださり、また、今までよりぐっとすてきな今年の会場の写真を見せられたりして、ああ今年も夏学期が始まるんだなという気分になってきました。

私は明日も来週も養成講座の授業があるので、そっちに頭を使っていると、ついつい新学期の準備が疎かになってしまいます。別に現実逃避しているわけではありませんが、受講生には全力で立ち向かいたいですから、授業の下調べに力こぶが入るのです。まあ、語彙論とか意味論とか形態論とか日本語の歴史とか、授業内容が私の好きな分野ですから、なおさらそっちのほうに目が向いてしまうのでしょう。

それでも、新学期に私が担当することになりそうなクラスの授業構想を立て始めています。教材集め、教材作りにも取りかかっています。こちらもやり始めると結構熱中してしまうもので、この教材は今学期は難しいかもしれないけど、学生たちが力をつけた来学期ならこなせるかななんて、3か月も先のことまで心配しちゃったりしています。仕事のしかたが散漫でいけませんね。

今度のクラスは進学希望の学生が大半ですが、進学するのに役に立つ日本語だけではなく、進学してから勉強しておいてよかったと思ってもらえるような日本語を教えていきたいと思っています。1年後か2年後に爆発するような時限爆弾を仕込んでいるような感じです。そう考えると、教材作りがおもしろくなります。

始まりました

6月22日(月)

全校的には期末テストでしたが、私にとっては日本語教師養成講座スタートの日でした。初回は日本語教育概論ということで、これから教壇実習に至るまでの舞台となるKCPという学校のしくみや、そもそも人に物を教えるとはどういうことかとか、日本語教師とはどんな仕事をするのかなどについて話しました。話しましたというよりは、半分は考えてもらいました。考えてもらうとは、受身ではなく主体的に授業に参加してもらうということです。

どこの日本語学校でもそうだと思いますが、日本語の授業は教師の説明を一方的に聞くだけではなく、学習者自身が口や手や体を動かしながら身に付けていくものです。ですから、養成講座のうちから授業とは自分が動くんだ、教師は学習者を動かすんだっていうことを身をもって感じてもらいたいのです。

明日からはもう少し理論的なことをやっていきますが、「教える」だけの授業はしません。答えの出し方までは教えますが、実際の答えは自分自身で出してもらうという考え方でいきます。日本語教師は、いつどんな形でどんな質問が飛んでくるかわからない仕事です。そういった質問にすぐ対応できるように、今からビシバシ鍛えていきます。

ほんの立ち話

6月16日(火)

先学期、初級のクラスで教えたDさんと久しぶりに話をしました。ほんの立ち話ですが。ずいぶんスムーズに話せるようになって、びっくりと同時に感激もしました。先学期は単語でしか答えられなかったのが、「レベル3の文法は難しすぎるから、レベル4は無理かもしれない」なんて、普通体ながらも複文で答えましたからね。

先学期のDさんは、こちらが日本語で聞いても自分の国の言葉で答えることがよくありました。また、授業中の母語のおしゃべりが目立ち、とてもいい学生とは言えませんでした。今学期、それがどれだけ改善されたかは伝わってきていませんが、実際に話した感じでは、そんなことはほとんどなくなったんじゃないでしょうか。

先学期は、私は担任という立場上、学生を厳しい目で見なければなりませんでした。アラ探しばかりをしていたわけではありませんが、ダメな点をきちんと指摘することが仕事でした。しかし、今学期はそういう関係が全くなく、いわば隣のオジサンみたいな目で、成長を喜んであげられる立場です。だからなおのこと、Dさんの話し方に感激できたんじゃないかと思います。

Dさんのテストの成績は知りませんが、進級できるだけの力はあるんじゃないかなって感じました。1つ上のレベルでも通用しますよ、きっと。まだ完全ではありませんが、思考回路が日本語で回り始めているのだと思います。これが私の手元を離れてからの3か月の成長であり、成果でしょう。もちろん、先学期の私のような目で見ればまた別の結論になるかもしれませんが。

初級で教えていると、こういう喜びがあるんです。教えた学生が「変なガイジン」への道を力強く歩んでいる姿を見ると、うれしくなります。今学期も初級で種をまきましたから、3か月後。半年後が楽しみです。

くっつく?

6月1日(月)

「『歩く』の「止める」と「少ない」はくっつけませんよね」「ええっ、くっつけますよ」「でも、私の見た本にはくっつけないって書いてありましたよ」「漢字の教科書ではくっついてますよ」と、初級のS先生とT先生がやりあっていました。上級のテストだったら、くっついていようがいまいが、上に「止」が、下に「少」が書いてあったら〇だけどなあと思いながら聞いていました。

今学期は初級クラスに入っていて、私も漢字を教えます。はねるとかくっつけるとかいうのを自分なりにチェックしてはいるのですが、学生から細かいところを突っ込まれて苦しくなることもあります。私は、画数が違っていなければいい、読めればいいと思っています。「土」と「士」は違う字ですから上が長いか下が長いかを厳密にチェックしますが、「本」の1画目が多少長かろうと短かろうと気には留めません。「見」と「貝」はきっちり区別しなければなりませんから、脚の部分の曲がり具合は厳しく目を光らせます。しかし、その脚と上の「目」の部分がくっついているかいないかは、どうでもいいと思っています。

ところが、中間テストの採点を見ると、私などどこが間違っているのかわからないのに不正解とされている答えがあります。なんで×なのか学生に聞かれたら、「上級なら〇なんだけどね。初級は字の形をきちんと覚えなければなりませんから、もう一度教科書をよ~く見てください」と言って逃げます。ま、半分は本当のことですからね。

外国人留学生に漢字の基礎をたたき込まなければならないことは疑いのない事実です。中国人には中国語の漢字と日本語の漢字が微妙に違うことをうんと強調しなければなりません。しかし、そういう子細にわたる部分にこだわり過ぎると、漢字に対する苦手意識を持たせてしまうのではないかと思うのです。それが高じて漢字アレルギーになってしまったら、元も子もありません。

言葉はコミュニケーションの道具です。文字であってもそれは変わりません。誤解を生まない範囲であったら、多少字形が不細工であっても、〇なんじゃないでしょうか。私自身がいい加減な漢字を書いているから、自己弁護のためにこんなことが言いたくなるのかな…。

いい学生じゃなくても

5月19日(火)

私のクラスのSさんは、ふだんからどことなく落ち着きがありません。かまってもらいたいというか、じっとしていられないというか、集中できる時間型の学生に比べて短いのです。だから、中間テストの座席を教卓のまん前にしました。試験監督の先生ににらまれていれば、気持ちがテストに向かっている時間が少しは長くなるだろうと思ったからです。

ところが、これが試験監督のK先生に大不評。Sさんがきょろきょろしないようにずっと見張っていなければならず、他の学生に目が届かなかったとのことです。隣に学生がいない教卓の横の席のほうがよかったようです。

KCPには世界中から学生が集まっていますから、考え方も行動様式も性格も特徴も、文字通り多種多様な人々がいます。Sさんは、私の頭の中にある基準、学生とはこうあるべきだという規範からは外れています。私にとってSさんはいい学生とは言いがたいです。しかし、だからといって、Sさんを切り捨ててしまうことはできません。Sさんがこの社会で生きていく上で、どんな形で力になれるかを考えています。

もしかすると、おとなしくテストを受ける人間が標準だという日本社会は、Sさんにとって住みにくい世界かもしれません。でも、Sさんは日本が好きで留学に来てくれたのです。その気持ちには何とかこたえてあげたいと思っています。

電源を開ける

5月14日(木)

来学期中級に上がるべき初級最後のレベルの学生のクラスが伸び悩んでいます。文法テストでなかなか合格点が取れないのです。来週火曜日の中間テストが非常に気懸かりな状況です。

最大の原因は、問題文をよく読まないことです。助詞をきちんと読み取っていないから自動詞と他動詞を間違えたり、空欄の前後しか読まないから文全体が表す状況にそぐわない言葉を入れてしまったりしています。満点に近い成績を挙げる学生もいますから、他の学生も、同じくらいの成績とは言わないまでも、少なくとも合格点ぐらいは取れるはずです。詰めの甘さがさらけ出されています。

次に、母語の影響を脱しきれていない学生が多いことです。「下週」と書いて、その上に「らいしゅう」と読み仮名を振った学生もいました。「電源を開ける」という答えは1人2人ではありませんでした。このクラスの1つ上のレベルではこんな間違え方をする学生はいません。この両レベルの差は思った以上にあるようです。また、このギャップを飛び越えることが、初級から中級への最終関門の通過を意味するのでしょう。

そして、今までいい加減に覚えてきたことのつけが一気に表面化してきたのです。活用とか単語の発音とか助詞と動詞の組み合わせとか、そういった事柄の正確性のなさが、中級を目前にした学生たちの足を引っ張っています。これはきちんと定着させてこなかった教師の側にも原因があり、私たちも大いに反省しなければなりません。文法事項が学生の頭にこびりつくまでしつこく練習してこなかったから、初級を卒業しようかというときに馬脚を現してしまったのです。

原因を分析したところで学生たちの実力が急に伸びるわけではありません。しかし、初級最後の学期の残り半分で、学生たちの穴を1つでも埋めていくことが、私たちに課せられた仕事です。

全員出席

5月11日(月)

やっぱりクラス全員がそろうと気分がいいですね。教室に入った瞬間パッと見渡して空いている机がなく、出席を取って全員から返事があると、こちらも気合が入るというものです。学生たちも、スカスカの教室より友達が全員顔を見せているほうがやる気が湧くんじゃないのかな。教室は多少狭く感じるくらいでちょうどいいのです。

もちろん、日本語学校のような20人ぐらいのクラスの教え方もあれば、10人ぐらいのクラスや数人規模の学習者への教え方もあります。だから、20人のクラスで10人欠席したら10人クラスの教え方をすればいいというものではありません。表面的にはそうするかもしれませんが、学生側の気持ちや教師のノリが10人のクラスで10人が来たときとは大きく違うのです。

私は、欠席が多かったら、出席した学生に出てきた甲斐があったと思ってもらえるような授業を心がけます。何かそういう目標を掲げないと気力が続きませんし、スーパーの雨の日サービスじゃありませんが、お得感も持たせないとね。

今日のクラスは最初から全員出席で、気持ちよく授業ができました。予定よりみっちりした授業ができました。密度の高い授業は、学習者の数が少ないときにできるものではなく、最適の学習者数のときになされるのであり、その最適の学習者数とはクラスの学生数なのです。

ここしばらく誰かが欠席しているという状態が続いていたので、なんだか学生の顔つきも明るく感じられました。これは私の思い込みも入っているでしょうが、今日の教室に活気があったことは確かです。明日は別のクラスですが、またこういう授業ができるといいと思っています。

教科書を買う

4月8日(水)

日中の気温が5度を下回り、みぞれがちらついた寒い1日でした。かなり強力な寒気団が南下しており、しばらくは冬に戻ってしまったかのような日が続きます。そんな中、新学期が始まりました。

私は教科書販売を担当しました。場所が地下室でしたから、キンキンに冷えた打ちっぱなしのコンクリートに囲まれて、暖房をいくら強くしてもどこかうすら寒かったです。

ただ、学生たちは非常に素直に教科書を買っていきました。一昔前なら、この教科書は先輩にもらうからいらないとか、この薄さでこの値段は高いとか、国で使っていた教科書とだいたい内容が同じだから買う必要がないとか、いろいろと難癖をつけて言い訳を構えて買おうとしない学生が少なからずいました。今日の学生たちは、これが必要だと言われればその通りに買いました。

進学を考えている学生が大半で、日本語力がつくなら数千円の教科書代など安いものだと考えているのでしょうか。それだったらなおのこと、教科書選びや教科書作りの責任が増します。その教科書を通して学生たちに何を伝えるのか、その教科書の力をフルに引き出して学生の力を伸ばせるだけ伸ばしているか、新しい教科書に寄せている学生たちの期待を裏切らない授業をしているか、自問自答したくなることが次から次へと出てきました。

午後からは授業。今日は先学期の復習でしたから教科書は使いませんでしたが、身が引き締まる思いの1日でした。

夢を壊す

4月7日(火)

昨日の入学式の挨拶では学生たちに希望を持たせるような話をし、今日の受験講座のオリエンテーションでは学生の夢をぶち壊すようなことを言う――全くもって正反対のことをしています。話しながら、嫌なやつだなと思いました。でも、受験は現実であり競争であり、自分を直視できなければ勝てません。夢と現実との距離を正確に把握し、その距離を埋めるためには何が必要かを認識しなければ第一歩が踏み出せません。

国立大学に入りたいという気持ちはよくわかりますが、国立大学は全国の日本語学校生のみならず、国外(=学生たちの母国)から出願する学生にも人気の的です。国でいい大学に入れなかったから日本でいい大学に入る、などという考えは、あまりにも日本の大学をバカにしています。国でいい大学に入れなかった学生は、よほど奮起しない限り、日本のいい大学にも入れません。

KCPは進学してからのことも考えて教育しています。学生を大学に入れるだけなら、たとえば問題集をひたすらゴリゴリやれば何とかなるでしょう。でも、それでは大学で学生の人生を形作る勉強などはおろか、ろくな交友関係も築けないでしょう。そうならないように、自ら考え発信できる人間に育ってもらおうと思っています。

これは学生にとっては楽な勉強にはなりません。高すぎる要求かもしれませんが、私たちはそういうことを考えて学生に対しています。留学生活は楽しいことばかりじゃありません。特に進学を考えている学生には、自ら進んで苦難の道を歩んでもらわねば困ります。だから、容易に夢は叶えられないという意味をこめて、厳しい話をしたのです。