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あなたにこそ

5月24日(金)

朝一番で文法のテストを配ると、用紙が2枚余りました。欠席者が2名いるということです。誰だろうと思って学生の顔を順番に見ていると、ドアが開いてYさんが入ってきました。さて、もう1人は…と思って探してみると、どうやらHさんがいないようです。昨日もおとといも授業の後半、15分の休憩時間の後から来ました。またかと思っていたら、7分遅刻ぐらいで遅延証明書を手に入ってきました。これで全員出席。私は決断しました。

実は、おととい、全校学生に出席の大切さを訴えるビデオを作りました。各クラスで見せるつもりなのですが、こういうことを企画すると、最も訴えかけたい学生に伝わらないことがよくあります。最も訴えかけたい学生とは出席率の低い学生ですから、下手に日時を決めると、その学生だけがおらず、出席状況に何の問題もない学生たちだけに出席率の話をするというとんちんかんなことになりかねません。Hさんはこのクラスで一番出席率が悪い学生です。その他問題学生が全員顔をそろえるなんて、今後二度とないかもしれませんから、このチャンスは絶対に逃すわけにはいきません。

テスト後、全員にビデオを見せました。ビデオが始まると、画面と私を見比べて一瞬だけざわつきましたが、話が始まると水を打ったように静まり返りました。Hさんも下を向かずに画面を見つめていました。数分のビデオに、勢い余ってさらに30分ほどビデオに盛り込めなかった話をしてしまいました。その後、お通夜のような雰囲気で授業が淡々と進んでいきました。

私のクラスでは一番聞いてほしい人に聞かせることができました。他のクラスでは出席率的に問題がある学生に休まれて、思うに任せなかった例もあったようです。週末に噂でじわんと伝わってもいいと思います。来週、各クラスの出席状況が改善するのを祈るばかりです。

静かに退室

5月17日(金)

いろいろな意見があるでしょうが、最近の学生は行儀がよくなったと思います。

中間テスト、期末テストのときは、最後の試験科目は答案用紙を提出したら帰ってもいいことになっています。毎日、授業後は椅子を机の上に載せて帰るルールになっていますから、中間・期末の日もそうします。

数年前までは、クラスの他の学生がまだ試験問題に取り組んでいるのに、ガラガラガッシャーンと大きな音を立てて椅子を載せ、ドアも自然に閉まるに任せてバッターンという音をさせていました。しかし、近ごろの学生は、音を出さないように椅子を両手で持って静かに載せるようになりました。教師がそうするように厳しく指導した形跡はないのですが、どのクラスに試験監督に入っても、例外なく椅子を丁寧に載せるようになりました。

先日、外階段を降りるとき、何気なく校庭を見下ろしていたら、テーブルの周りの椅子を動かして6、7人で談笑していたグループが、椅子をもとの位置にきちんと戻してから帰って行くのが見えました。時間的に見て中級か上級の学生と思われますが、心の中で「えらい!」と叫んでいました。昔の学生だったら、1つのテーブルに7つぐらいの椅子をほったらかしにして帰ってしまったでしょう。

でも、机の中に鼻をかんだティッシュを突っ込んだままにして帰ってしまう学生は後を絶ちません。教室内は飲食禁止だと口を酸っぱくして注意しても、こっそりお菓子やパンを食べている学生がいることは明らかです。もう一歩だなあと思います。教師が目を光らせていなくても、陰日向なく周りを考えた行動ができるように持っていければいいですね。

手を挙げる

5月14日(火)

5月31日(金)の運動会の出場選手を決めました、いや、運動会は全員参加ですから、各学生の出場種目を決めたと言うべきでしょう。

昨日のT先生から、種目説明をしたけれども反応がよくなかったとの引き継ぎを受けていたので、かなり難航するのではと案じていました。今週末の中間テストに向けて追い込みの時期であり、これにあまり長い時間をかけたくありませんでしたから、いよいよの場合は強権発動かなと覚悟していました。

リレーの選手を募ると、Yさんが「1人どのくらい走るんですか」と聞いてきました。体育館の中なので1人100m弱だと答えると、Yさんが立候補してくれました。

これでクラスのみんなの気持ちがやってみようという方向に動いたのか、リレーはあっという間に埋まり、他の種目も順調に埋まりました。しかし、1つだけ人気のない種目があり、そこだけ決まりませんでした。「誰かいませんか」と何回か促したところ、Cさんが引き受けてくれました。

Cさんはすでに自分が出たい種目にエントリーしていて、さらにもう1種目出てくれたのです。力ずくで決めるには至らず、教師としてはありがたい限りでした。おかげで、ひそかに見積もっていた時間の半分もかからずに本日最大のタスクを終了することができました。

Yさんのように沈滞ムードを打ち破ってくれる学生、Cさんのようにみんなの尻込みする仕事を引き受けてくれる学生がいると、クラスはうまくまとまります。みんな押し黙って、その雰囲気に耐えられず誰かがスマホでもいじり始めようものなら、教師は激怒しなければなりません。いらぬ説教で時間をつぶすことに陥ってしまいます。担任教師のありがたいお小言など、誰も聞きたくはないはずです。

2人がそういうことまで読んで声を上げたり手を挙げたりしたしたのかはわかりませんが、近ごろ多い自分のことしか考えていない利己主義学生でないことは確かです。今学期は学生に恵まれたと思いました。

半年差

4月9日(火)

今学期はEJUが控えているため、始業2日目から受験講座が始まりました。私の火曜日は、生物。2クラスあり、1つは今学期の新入生、もう1つは去年の10月期から勉強している学生のクラスです。今学期の新入生といっても上級に入っていますから、去年の10月期からの学生より日本語レベルは上です。

新入生クラスの学生たちは、国で生物を勉強してきたと言います。ある程度自信を持っているようでもありました。しかし、国の言葉ではなく日本語で生物を勉強するとなると、動植物の名前をはじめ、見慣れぬ言葉だらけです。細胞の構造という生物の基本の基本についての話でしたが、大変な重荷だったようです。日本へ来て半月もたたないうちから、自分たちにとっては外国語である日本語でかなり高度な話を聞いて理解しなければならなかったのですから、授業後にいかにも疲れたという表情になったのもやむを得ないところでしょう。同時に、「とても勉強になりました」と言ってくれたので、相当な刺激にもなったのでしょう。

10月期からの学生たちは、先月までにEJUの生物の範囲を一通り勉強したので、今学期は過去問に挑み続けます。40分時間を与えて解かせたら、みんな35分ほどでできてしまいました。答え合わせをしても、こちらは余裕が感じられました。正解以外の選択肢の解説にも強い関心を示していました。学生たちの生物をとらえる目が広がってきていることを感じました。

半年前、この学生たちが初級で生物の勉強を始めた時は、日本語の問題文が全然理解できず、困り顔しかできませんでした。それを思うと、長足の進歩です。新入生クラスの学生たちも、早くここまで到達してもらいたいです。

入学式挨拶

皆さん、ご入学おめでとうございます。このように多くの若者が、世界中からこのKCPに入学してくださったことをとてもうれしく思います。

さて、KCPに入学なさった皆さんに課せられた義務は何だと思いますか。それは、毎日学校に出席することです。皆さんのビザは、一部の方を除いて、留学のビザです。そのビザは、KCPで勉強するために皆さんが日本に長期滞在することを許可するという効力を有しています。KCPで勉強しなかったら、KCPの授業に出席しなかったら、皆さんの長期滞在の大前提が崩れてしまい、ただちに帰国しなければなりません。これが、日本の入管法の精神です。そのほか、学校を欠席したことによって生ずるいかなる不利益も、皆さん自身の責任において処理しなければならないのです。学校は、皆さんに出席を促すことまではします。しかし、それ以上のことは、しませんしできません。

以上が、法律的な面から見た「出席すること」の義務の意味です。これに加えて、学校に出席することは、将来の皆さん自身に対して今の皆さん自身が果たすべき義務でもあります。

非常に残念なことに、今年の3月の卒業生の中に、出席率が悪くて希望の学校に進学できなかった学生が少なからずいました。入試で優秀な成績を挙げても、出席率が悪かったらまじめに勉強する気持ちのない学生だと思われ、また、合格させてもビザが下りないだろうと判断され、不合格にされてしまいます。出席率の数字は、皆さん以外の誰にも変えることはできません。ひとえに皆さんの努力にかかっているのです。

つまり、学校を欠席することは、自分の手で皆さん自身の将来を狭めていることを意味します。自ら進んで暗闇に身を投じるようなものです。若者には無限の可能性があるとよく言われますが、将来の自分に対する義務を果たさない若者には何の可能性もありません。AIの僕に甘んじて細々と暮らすしかないでしょう。その期に及んで、KCPでもっと勉強しておけばよかったと後悔しても、過ぎ去った歳月は取り戻せません。

皆さんは留学生活に夢を抱いてこの場にいることでしょう。でも、何もしなかったら、夢は夢のままです。楽な道ばかり選んでたどり着けるような夢は、それなりの小さな成功しかもたらしません。皆さんの夢を実現するためにまず必要なことは、学校に出席することです。学校は楽しいことばかりとは限りません。プライドがずたずたに引き裂かれることだってあるでしょう。学業面に限らず辛い目にあうことも1度や2度ではないでしょう。しかし、出席し続けた向こう側には、必ずや成長した皆さんの姿があり、夢への道筋がくっきりと浮かび上がっているはずです。

皆さんがそこに至るまでのお手伝いができることは、私たち教職員一同の非常に大きな喜びでもあります。

皆さん、本日はご入学、本当におめでとうございました。

修了式と同窓会

3月29日(金)

養成講座の修了式が終わり、会場の設営を手伝っていると、Mさん、Nさん、Tさん、Oさん、Kさんなど、懐かしい面々が次々と姿を見せてくれました。名前だけではピンとこなかった方々も、顔を見たら「ああああ!」という感じで、瞬時に線がつながりました。養成講座の同窓会は、互いに久闊を叙するところから始まりました。

養成講座を修了したMさんがKCPで先生をしていたのは、10年以上も前になるといいます。確かに、震災の前ですから、そういう計算になります。でも、顔はしわが増えたわけではなく、声の張りや艶も変わることなく、でも、お話を聞くと間違いなく歳月は流れており、なんだか不思議な気がしました。

Nさんは私がKCPに入る前にお世話になっていたところでしばらく教えていたそうです。そこは震災をきっかけに日本語を教えなくなってしまったという話を聞き、少し寂しくなりました。でも、Nさんはほかで仕事を見つけ、日本語教師として立派に独り立ちしていて、表情には自信がみなぎっていました。

KCPが日本語教師養成講座を始めたのは2001年のことです。調べてみると、私は2003年ごろから養成講座に携わっていますから、かなりの数の同窓生とどこかで接触があったはずです。今回出席できなかった方たちも、送られてきたメッセージによると各方面で活躍しているようです。その活躍に微力ではあっても貢献できたんのかと思うと、なんだか誇らしいです。

もちろん、KCPの養成講座出身者は、KCPでも多くの方が貴重な戦力となっています。今期の修了生からも、3名が4月からKCPで働き始めます。同窓会でつながりができた先輩方を目標にして、ぐんぐん成長していってもらいたいと思っています。

あと一歩で

2月27日(水)

卒業式当日を含めてあと4日という段階まで来て、入学以来皆勤だったSさんが欠席しました。腹痛とのことですが、Sさん自身も皆勤を意識していたでしょうから、さぞかし残念だったでしょう。先学期、選択授業で私のクラスにいたときからずっとマスクをしていましたから、体調は決してよくなかったと思います。でも、休んではいけないと言う気持ちだけで出席を続けてきたに違いありません。それがどうにもこうにも行かなくなって、無念の欠席に踏み切ったのだと思います。

この欠席を、Sさんがどう思っているかは現時点ではわかりませんが、一つの物事を完璧にやり遂げることの難しさを痛感しているのではないでしょうか。単純なことでも、単純なことだからこそ、2年間の出席率が99%でも立派なものですが、優秀な人ほど残りの1%に目が行ってしまうものです。その1%を、次は0%にしようという気持ちこそが、向上心を生むのです。今までのSさんを見る限り、Sさんはそういう人だと思います。

でも、現実には、1日休んだら“どうでもいいや”と思ってしまう人が大半です。1日休んだら、2日休んでも3日休んでも同じことだと、ずぶずぶと楽な方へ楽な方へと落ちていくのが普通です。そこから持ち直すのは、100%を続けるより何倍も難しいものです。“明日から“と言いつつ、“明日”がさっぱり来ない学生を、今まで何人見てきたことでしょう。

10年ぐらい前にも、卒業式寸前で寝坊のため遅刻して皆勤を逃した学生がいました。その学生は、遅延証明をもらおうと思えばもらえるところに住んでいましたが、変な言い訳は一切せず、その1コマの欠席のまま卒業式を迎えました。そして、堂々と精勤賞を受賞しました。Sさんも、胸を張って明日からまた学校へ来てもらいたいです。

密かな天気予報

2月23日(土)

今学期は、始業日の前から天気予報を追いかけてきました。バス旅行当日の天気をきっちり予報しなければならなかったからです。栃木県日光地方の週間予報をずっと記録し、1週間前に出された予報がどのくらい当たるか追跡していました。

結論から言うと、思っていたよりも当たっていました。ただし、予報は、日光江戸村そのものずばりではなく、日光市今市のですから、当てやすかったとは思います。今市はぎりぎり北辺であっても関東平野ですし、関東平野なら冬は基本は晴ですから。日光江戸村は、今市から鬼怒川を7~8キロほどさかのぼった谷あいにあります。その分雪も降りやすいですし、川に沿って吹き抜ける風が思わぬいたずらをしないとも限りません。

現に、江戸村のはずれのほうには溶けかけた雪がわずかに残っていました。また、今市の予報は1日中晴でしたが、江戸村はくもりがちの時間帯もありました。風はけっこう冷たく、私は手袋をして歩きました。そうはいっても雨には降られず、また、凍えるほどの寒さでもなく、そういう点では今市の予報でも十分役に立ちました。

2月21日について言えば、週間予報が出たときからずっと晴ベースの予報で、現実にも晴でした。前日か遅くとも当日未明のうちに低気圧が関東近辺を通り抜け、21日は好天という予報でした。低気圧は予報より早く、19日のうちに抜けた模様で、1週間前の予報では雨だった20日も、実際には晴れでした。もし、バス旅行が20日だったら、バス旅行実施可否の最終決定日に、自信を持ってGOサインを出せたかどうか疑問です。

この次に私が真剣に予報を出さなければならないのは、4月の学期が始まってからの御苑でのお花見の日でしょう。芝生に腰を下ろすとなると、前夜の雨や当日朝の冷え込みによる朝露まで考慮に入れる必要があります。また、4月ともなれば日差しが思いのほか強いので、そちらの心配もします。責任感で胃は多少痛くなりますが、その痛みが楽しみだといったら、Mでしょうか…。

来るって言ったじゃない

2月5日(火)

Kさんはもうずいぶん長い間休んでいます。つまずいたのは夏です。それまで出席率ほぼ100%だったのに、風邪をこじらせて数日休んだのが転落の入口でした。どうにか持ち直したものの、体調は完全には戻らず、休みがちになってしまいました。

夏学期はそれまでの貯金がありましたから、入学からの出席率を見る限り、ボーダーラインを上回っていました。しかし、秋になってもKさんの体調は完全には戻りませんでした。出席すると、授業に積極的に参加し、発言も多く、成績もそれなり以上です。日本語のセンスがあるのでしょうね。でも、たびたび欠席したため、Kさん自身にとっては思うように力が伸びていないという焦りが芽生えてきたようでした。

秋口から何校か大学を受験しましたが、結果を出せませんでした。19年4月入学を目指すには志望校を落とさざるを得なくなり、本人的には忸怩たる思いでさらにいくつかの大学に出願しました。その大学の入試が近づき、また、実際に寒さで体調を崩し、今学期になってから欠席が増えてしまいました。

ゆうべ、Kさんからメールが来ました。不本意な大学に出願することになり、周りの友人に合わせる顔がないと言っていました。「明日から学校に出ます」という文面を信じたのですが、…やっぱり、12:15まで姿を現しませんでした。

もう、肉体的にも精神的にも、留学に耐えられる状態ではないのだと思います。Kさんには日本語のセンスがたっぷりありますから、是非勉強を続けてもらいたいのですが、無理でしょうね。歯車が悪いほうへ回転し続けています。帰国して出直すのが、Kさん自身のためです。次にKさんが来た時には、そう諭すつもりです。

Unhappy new year!

2月4日(月)

授業が終わって職員室に戻ると、Xさんからメールが来ていました。「春節なので休みます」という意味のことが書かれていました。他にも、Yさんからは「春節で国の両親が来ているので一緒に旅行しています」というメールが来ていました。

担当の先生に聞いてみると、確かにその2名は欠席したとのことでした。無断欠席ではない点は学校の指導を守ったと言えますが、気安く休むなという指導は無視されたに等しいです。

Xさんにとって旧正月を祝うこと、Yさんにとって旧正月に来日した両親と旅行することは、彼らにとって非常に重要なことであり、“気安く休む”ことにはならないのかもしれません。しかし、Xさん、Yさんが留学しているここ日本には、旧正月を休む風習はなく、両名が欠席理由としてメールしてきたことは、全く理由になっていません。

国の習慣を捨てろと言っているのではありません。個人的に春節を祝うことにまでは口出ししようとは思いません。しかし、学校という公の場を、春節という、日本においてはきわめて私的な理由で休むことは、認められません。公私混同ないしは日本社会になじんでないと見なすほかありません。

土曜日のお昼に入った中華料理店は、入口に日本のお正月の輪飾りが取り付けてありました。店内にはなぜか“明かりをつけましょぼんぼりに…”というひな祭りが流れていました。でも、従業員の表情などからも、春節を祝っているのだなと感じられました。自分の国の風習をささやかに主張しているこの店の雰囲気を好ましく感じました。Xさん、Yさんも、こういう気の利いた祝い方を身に付けてもらいたいです。