Category Archives: 自分自身

早お昼

4月24日(金)

今学期は午後から受験講座というパターンがほとんどですから、昼食を早めにとるようにしています。12時台はどこも混みそうですから、12時前に戻ってこられるように出かけます。すると、どこの店も開店直後のため、少なくとも密集ではない状態で食事ができます。

ある店は、椅子の数を減らしました。まばらに配置して、客同士が比較なりすぎないようにしています。私のように1人で食べに行く者にとっては何ら影響ありませんが、2人連れなどというと微妙な距離感がぎこちなく感じられるのではないでしょうか。だから、会話も弾まず、密接にもならず、感染を防げるという計算もあるのかな。おしゃべりできないから店に長居せず、客の回転が速く、時間当たりの客数の減少を少しでも食い止める効果もあるのかもしれません。

お金のやり取りを直接手渡しでするのではなくトレイを介して行うのは、どこでもやっています。これなんかは、この騒動が終わってもずっと続き、標準化しそうな気がします。事務的過ぎて店員と客との触れ合いがなく、潤いのないやり取りにも感じますが、無人のコンビニが開発される時代ですから、数百円の買い物に触れ合いがなくても気にするほどのことではありません。

「小売店はサービス低下宣言を」という記事が日経に載っていました。「ポイントカードをお持ちですか」なんていうのは、確かに鬱陶しいですね。書店で「カバーをしてもよろしいでしょうか」と聞かれるのも、私にとっては時間の無駄です。カバーは紙の無駄でもあります。

そういう過剰なサービスをそぎ落とした形が、この騒動が収束した後の常識にしていくべきだというのが主張でしたが、椅子減らしもトレイも、その仲間に加えていいんじゃないかなと思いました。

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さび落とし

4月22日(水)

外出を減らす、通勤者を減らすという意味もあり、非常勤の先生方にいらしていただくわけにいかず、今学期は私が数学の受験講座を担当することになりました。新校舎になってから初めてのような気がするんですが、記憶がはっきりしません。要するに、それぐらい昔のことです。

引き受けたものの、数学の頭を作るのに苦労しました。コンピューターの中のプリントに見覚えはありますが、神経回路は断絶し、脳はさび付き、勘が働きません。手を付けていないEJUの問題に取り組みましたが、やっぱりすらすらとは解けません。1回分の終わりのほうになって、やっといくらか調子が出てきました。

JASSOはまだ、6月のEJUは予定通り実施という方針を変更していませんから、こちらもそのつもりで学生たちを鍛えていかなければなりません。そのためには、私自身の頭を鍛え直す必要があるわけです。理科をやってても、数学の問題を解くのとは別の頭を使いますから、数学の力を維持することにはあまりつながりません。

EJUの数学は結構計算力を要求されますから、学生たちにはそういう訓練もさせたいです。とかくKCPの学生は、問題の答えを見てわかった気になりがちです。それでは本番で点数が取れません。過去のデータが、それを如実に語っています。最後の詰めをおろそかにしがちなのです。

学生たちのほうも、しばらくブランクがありましたから、課題の出来具合なんかを見ると、数学的な脳になっていないようです。来週までに体制を立て直し、あと2か月でどうにかしていきます。

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大混雑

4月20日(月)

うちの前のショッピングモールには、ユニクロやABCマートやRight-onやドコモショップなどがありますが、みんな臨時休業しています。マッサージ屋さんもあったのですが、いつの間にか消えていました。やっているのは、キリン堂とスーパーマーケットとダイソーと食べ物屋さんとクリーニング屋さんです。

昨日、スーパーに買い物に行ったら、あまりの客の多さにびっくりして、入る気を失いました。確かに、駐車場は万社で、本来ならユニクロなどに分散していた客がスーパーに集中したとしたら、かなりの混雑になって当然です。緊急事態宣言から休業していた本屋さんが土曜日から再開し、そこも混んでいました。昨日は陽気がよかったせいもあると思いますが、宣言に罰則がないのをいいことに、油断が感じられました。

私は、緊急事態宣言以来、定期券の範囲外に出たのは、8日の健康診断だけです。今月は、このまま交通費ゼロの日が続くものと思われます。車も持っていませんから、何から何まで、すべて学校の近くかうちの近くで済ませています。先週末も出かける予定が入っていたのですが、この騒動で全面キャンセルになり、結局は仕事とうちの中の片づけをして過ごしました。

アルコールを含んだ除菌シートであちこち拭いていたら、除菌というよりも油汚れが取れてシートが真っ黒になりました。素手でよく触る取ってとかスイッチとかを除菌するつもりでしたが、去年の年末にサボった大掃除をしているような感じでした。それだけ汚いものを触り続けてきたのだと思うと、よく何でもなかったものだと妙に感心してしまいました。

明日、シャープ製のマスクがネットで売り出されるそうです。これを機に反転攻勢が始まるといいのですが…。

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終わったけど始まる

4月13日(月)

養成講座の一連の講義が終わりました。初めてのオンライン授業で、手探りのことばかりでしたから、受講生のみなさんには、至らぬところが多々あったことと思います。質問タイムを意識して多く設けましたが、本当に足りていたでしょうか。質問が結構出てきたということは、わりと物を言いやすい雰囲気で授業を進められたのではないかと、勝手に想像しています。

今回のみなさんは、指名するとなにがしか答えてくれます。これは無理だろうなという問題は、「わかりません」もたまにはありましたが、何か答えようという姿勢を感じました。その答えも、とんでもなく的外れなものはなく、日本語文法に対するセンスも標準以上ではないかと思いました。

だからこそ、対面で授業をしたかったです。そうすれば、質疑応答が活発にでき、そこから議論が広がり、伸ばせるところはさらにもっと高い地点まで伸ばせたんじゃないかなあ。そういう授業は、教えている方も確かな手ごたえが感じられて、気持ちが乗ってくるんですよね。そうなると、頭がどんどん回転して、受講生に伝えられる内容も深くなるものです。これを、どこかで補いたいと思っています。

オンライン授業をしていて気づいたことが1つ。目の前に受講生がいる時よりも大きな声でしゃべっているのです。パソコンのマイクの性能から考えれば大声を張り上げる必要など全くないのですが、気が付くとレベル1の教室にいるかのごとく、お腹に力を入れて声を出しています。だから、授業が終わると思いのほか疲れます。慣れてくれば省エネ授業もできるようになるのでしょうね。

明日から、オンラインで在学生向けの授業が始まります。

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命を守る行動

4月11日(土)

外出自粛を呼び掛けている小池さんや安倍さんには申し訳ないのですが、来週の授業の資料作りのために出勤しました。学校にある資料や学生の個人情報を扱うので、家ではできないのです。私のほかに学校へ来たのは、やはり週明けすぐの仕事がかかっているS先生だけでした。

2人とも黙々と机に向かうだけでしたから、話し声も聞こえず、別の用事を持ちかけられることもなく、かかってきた電話も2本だけで、仕事ははかどりました。そういう面ではストレスを感じませんでしたが、窓の外の雲一つない青空が目に入ると、どうして仕事なんだろうと思ってしまいます。でも、仕事に来なかったら、家の窓から空を眺めてどうしてどこへも行けないんだろうと思ったことでしょう。そっちの方が、ストレスを感じたかもしれません。

食事も学校の中で済ませてしまいましたから、自宅待機とあんまり変わりがないような気もします。ネットのニュースを見ると、新宿を始めどこもかしこも人通りはまばらだそうです。今までの土曜日なら、仕事帰りに紀伊国屋によって本を物色するところですが、その紀伊国屋は今週から土日がお休みですから、それすらできません。したがって、人のいない新宿を味わうことなく帰宅することになるでしょう。

去年、台風が襲ってきた際に、「命を守る行動を」とアナウンサーが何回も視聴者に呼びかけました。その時は、1日か2日、“命を守る行動”を取れば命の危機を脱することができました。でも、今年は、当分の間、四六時中“命を守る行動”を意識し続けなければなりません。明日になれば、明後日には必ず過ぎ去るものと、しばらく居座るものとの違いと言ってもいいです。

お天気は下り坂みたいですから、明日は巣篭りかな。

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レギュラーメンバー

4月10日(金)

緊急事態宣言以来、電車が空いたという話を聞きます。しかし、私が毎朝乗る1番電車はそんなに変わりません。もともとそんなに込んでいるわけではありませんが、立つ人がちらほらいるという状況は、先週も先月も去年も同じでした。朝早くから不要不急ではない用事を抱えている人々がこの電車に集うのです。

毎日、見慣れた顔ぶれが乗り合わせます。顔しか知らない人たちですが、みんな病魔に侵されてはいないようです。挨拶すら交わしたことがありませんが、何となく連帯感を抱き、いつもと同じポーズで居眠りしている姿などを見かけると、ホッとさせられます。

お昼によく行く店が、都からの要請に応じて、明日から当分の間、土日は休業するという告知を出していました。街を歩くときはマスクで隙なく防護していても、店内で食事するときはマスクを外さざるを得ずません。無防備な顔をさらして、口も鼻の穴も目一杯広げてお腹を満たすのです。一番危ない瞬間です。

力士に感染者が出たとのことです。きっと、食事の最中に拾ったんだろうなと思いました。力士は日々体を鍛えていますから、多少のことではびくともしないはずですが、食べ物と一緒に悪い物を吸い込んだら、取り込む量が量だけに、やられちゃったんでしょうね。

相撲は、5月場所を2週間延期して始めると言っていましたが、力士に感染者が出たことでどうなるでしょう。プロ野球もJリーグも見通しが立っていません。隅田川の花火大会も中止になりました。博多どんたく、青森ねぶたなど、有名なお祭りも中止が決定しています。でも、EJUは予定通り実施と強気を貫き通しています。果たしてどうなるでしょう。

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新しい勉強

4月9日(木)

オンラインの受験校を続けていますが、学生の反応が見えないのが心細いです。対面授業だと、顔つきとかノートの取り方とか練習問題の解き具合など多面的に学生を観察して、どの程度わかっているか判断できます。これがオンラインになると、パソコンの画面上に出たわずかな顔しか情報がありませんから、自分の授業の手ごたえがつかみにくいのです。どこがわからないのか、何につまずいているのか、そういうのを知る手掛かりが乏しい感じがします。

受験講座の場合、最終目標がEJUでいかに高得点を取るかですから、練習問題の出来具合が気になります。単に答えが合っていればそれでいいというものではなく、解いている最中の学生の様子も理解度を測るヒントになります。また、答えの解説の時にどこでいちばん真剣になったかなんていうのも見逃しません。もちろん、学生の表情を見て解説にメリハリをつけます。それから、お節介を焼きにくいですね、面と向かっていないと。余計なお世話かもしれないけど、君はきっとここが理解できていないんだろうからここを復習しましょうっていうのが、私の授業の進め方です。そういうのが非常にしにくいのが、オンラインの限界のような気がします。

そうじゃなくて、私の発想が旧態依然としているから、このように感じるのでしょうね。どうにかこの壁を打ち破らないと、学生たちに質の高いオンライン授業が提供できそうにありません。授業への取り組みをガラッと変えて、オンラインならではの進め方を模索する必要があります。

いい勉強のきっかけになったと思うべきなのでしょうが、こういう形で勉強するのはしんどいです。

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新人

4月7日(火)

新しい事務職員が入りました。Kさんがほぼ付きっ切りで仕事を教えています。大学を卒業したばかりだそうですから、KCPの学生と年齢は変わりません。先週から始まった日本語教師養成講座の受講生の中にも同じ年頃の方がいます。私から見ると、子ども未満、孫以上の年齢です。

私が新入社員だったのは、今から35年前です。事務系、技術系の新入社員200名ほどが合宿形式で新入社員教育を受けました。周りのみんながライバルでしたが、同時にお互い支え合う仲間意識も芽生えていきました。背伸びしたり素直に尊敬したり、手を差し伸べたり背中を押してもらったり、こいつとは生涯付き合おうと思ったりこいつの顔はこの教育が終わったら二度と見たくないと思ったり、今思うと、それが切磋琢磨だったのでしょうか。

そういう観点からすると、1人だけというのは、気楽なのかな、心細いのかな。KCPのような小さな組織は、OJTにならざるをえず、新人でもどんどん仕事が回されてくることでしょう。泥臭い仕事ばかりで、夢と現実のギャップを感じることだってあるかもしれません。そんな時は、短期的な目でお先真っ暗だと思うのではなく、長期的なビジョンを頭に描いて自分なりに前進していってもらいたいです。自分のすぐそばには同期がいないかもしれませんが、今はSNSでも何でも、以前の友達とつながる手段はいくらでもあります。

さて、緊急事態宣言が出されました。諸外国ほどの強制力はないものの、指定された地域の住民に与える精神的プレッシャーはかなりのものでしょう。そんな日に社会人の第一歩を踏み出したということは、きっと一生忘れないでしょう。

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小心者の授業

4月6日(月)

先週から日本語教師養成講座を、オンラインでやっています。私が担当する文法は、演習とは違って講義ですから、パソコンのカメラに向かって一方的にしゃべるだけでもいいのです。Youtubeなどで公開されている予備校や塾の授業を見ると、多少は視聴している学習者に気を使っているように見えますが、基本は講師が一方的に解説しています。

確かにそうなのですが、オンライン授業に慣れていないせいか、受講生の理解度が気になってしかたがありません。ですから、ときどき指名したり質問ありませんかと聞いてみたりしていますが、どうも調子が出ません。聞き手を目の前にして、顔色やノートの取り方などを見ながら出ないと、やりにくくてたまりません。教材も対面授業を前提にして作ってありますから、空欄にこちらの意図したことをきちんと書き込んでくれたか、板書しなかったこともメモを取ってくれたか、そんなことが気になるのですが、確かめられないので心配になります。

そんなわけで、一方的にしゃべればいいだけのはずなのですが、思ったほど授業が進みません。わかっているかどうか手ごたえがないので、次に進むのに躊躇している面があります。こういう自分と比べると、Youtubeの先生方は大したものだと感心してしまいます。卒業式の直前は超級クラスの学生何十人もに対して行いましたが、それに比べれば養成講座の受講生は全員の顔を画面に映し出せるほどですから、楽なはずです。それでも心配が絶えないというのは、私が小心者だからでしょう。

今回は全く予期せぬ形でオンライン授業を始めねばならなくなりましたが、今後はこういう形の授業をいつでも行えるような対応が求められます。養成講座に限らず、私が持っている教材を少しずつ見直していあなければなりません。

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よく話す仕事

3月18日(水)

卒業生が証書を受け取りに大勢来ました。もしかすると、昨日・おとといよりも多かったかもしれません。私はその一人一人に証書を読み上げて手渡しています。これまで全然接点がなかった学生、名前だけ、顔だけしか知らない学生、だいぶ前に説教した学生、初級で教えたきりの学生、選択授業で週に90分だけ教えた学生、受験講座でさんざん面倒を見た学生、もちろん、今学期の私のクラスの学生、こんなにまで色とりどりの学生がいたのかと、改めて感心してしまいます。

直接教えた学生には、「よくやった」と声をかけてやりたくなります。ことに遠隔地に赴くことになっているとなると、「しっかりやれよ」と激励もしたくなります。でも証書を渡す時は学校組織の機能の一部ですから、ごく普通に「おめでとうございます」と声をかけるだけです。渡した後で時間があれば、機能ではなく人間として接します。称賛も激励もします。

今までに“濃厚接触”した学生の中には、衝突を繰り返してきた学生もいます。こいつにだけは証書を渡したくないと思った学生もいますが、いざそういう学生が目の前に立つと、衝突したことも美しい思い出に昇華されてしまいます。「恩讐の彼方に」などと言ったら大げさすぎますが、共同作業をしてきたような錯覚にすらとらわれます。こういうのは、かえって学生のほうがドライなのかもしれませんね。

週末、マッサージに行きました。足裏と背中をもんでもらって最後の最後に、「お客さん、よく話す仕事をなさっていませんか」と言われました。背中がコチコチだとか、骨盤がゆがんでいるとか、目に疲れがたまっているとか、足が若いとか、数々の言われ方をしてきましたが、足と背中だけで仕事について言われたのは初めてです。しかも、「よく話す仕事」というのも、あながちはずれではありません。

その後3日間、授業こそしていませんが、100名からの証書をフルセンテンス読み上げてきました。今晩帰りに寄ったら、足の小指に触れただけで「昼間、よくしゃべりませんでしたか」とかって聞かれそうです。

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