Category Archives: 自分自身

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1月17日(水)

23年前、震源から300kmほど離れた山口県徳山市(当時)でもかなりの揺れを感じ、私もその揺れで目を覚まし(そのころは、今ほど早起きはしていませんでした)、テレビをつけました。神戸が壊滅していたのがわかったのが、地震発生からしばらく経ってからだったこともよく覚えています。あの日からしばらく、衝撃的な画像や映像が数え切れないほど目に入ってきました。

神戸とは特別濃密な関係はありませんでしたが、私も何かしなきゃという気持ちになりました。会社が派遣する被災地支援要員に選ばれなかったのが残念でなりませんでした。神戸ほどの街がつぶれたというのは、当時の日本人にとっては、かなりのショックでした。

山陽新幹線が復旧してから神戸を通り抜けましたが、ブルーシートに覆われた町には言葉を奪われました。初夏の陽光に輝く青に、かえって痛々しさを感じました。

超級クラスの授業で、阪神淡路大震災を取り上げました。学生たちの多くは、地震のない地域から来ています。日本は地震とは切っても切れない縁があること、日本文化には地震との共存や地震からの復興も含まれていることを訴えたかったです。事実、阪神淡路大震災後も東日本大震災やおととしの熊本地震をはじめ、死者が出るほどではなくても、多くの人々を恐怖に陥れる強い地震が、毎年発生しています。東海地震をはじめ、相当規模の地震が近い将来襲ってくることが予測されています。日本で暮らすとは、そういうことを前提に生きていくことなのです。

春になったら、野島断層を見に行こうと思っています。

-1.6度にめげず

1月12日(金)

今朝の東京の最低気温はー1.6度で、7:32に記録されています。もちろん今季最低で、“1月下旬並み”とかという言い方はできず、“最も寒い時期を下回る”という寒さの表し方になっていました。ちょうどその頃、駐輪場のシャッターを開けに外に出ましたが、ズボンの裾から入り込んでくる寒気に身を震わせました。風が弱く、底冷えという言葉がぴったりの寒さでした。

その底冷えの新宿を抜けて登校し、ロビーに入ってきた学生たちは、みんな人心地付いたように、氷点下の寒さに突っ張った顔の筋肉を緩めていました。つりあがった眉が下がるんですよね、こういうときは。

その緩んだ顔で、久しぶりに会う友達とおしゃべりしたり、新しいクラスで初めて見るクラスメートに恐る恐る声をかけたりしている学生が、校内のそこここにいました。他の学期の始業日よりも、心を暖めあっているようにも見受けられました。

今年はこれから本命校の受験を迎える学生が多いためか、授業後に進路相談に来る学生や、来週の面接練習の予約を入れる学生が続々とやってきました。来週火曜日からは受験講座も始まりますから、席を暖める暇もない日々が押し寄せてきます。

午後は、早速、指定校推薦入学の希望者の面接をしました。「どうしてA大学に入りたいんですか」「実際に見学に行ったら、A大学はとてもきれいでしたから、A大学で勉強したくなりました」と言われたときにはどうなることかと思いました。でも、大学で学んだことを将来どう生かすかということについては、きっとあれこれ考えて準備してきたのでしょうが、“素晴らしい”の一言に尽きる答えでした。その答えに免じて推薦することにしました。

夕方は、図書室でEJUの勉強をしていたCさんの悩みを聞き、これから出願するYさんの書類チェックをし、興に乗って数学談義に及びました。始業日からフル回転しました。

雪国

1月4日(木)

年末年始は例年通り名古屋に。「先生は毎年名古屋へ行きますが、名古屋ってそんなに面白いですか」と、ある先生から聞かれました。名古屋は毎年行っていますが、年末年始ですから博物館や公共施設などは多くがお休みで、行っているわりには有名なところを見ていないのです。徳川美術館も東山動物園も行っていません。名古屋城に登城したのは日本語教師になる前のことです。

行き場が限られていますが、今回はミッドランドスクエアの一番上まで上ってきました。私が行った大晦日は、朝は雨で、午後は上がりましたが遠見は利きませんでした。でも、名古屋市内とそのもう一回り外側までは何とか見渡せました。そして、次回の割引券をいただきました。

その前に熱田神宮へ行きました。数年前にも一度お参りしたことがありますが、昨年から日本全国の「神宮」を訪ねようと思い立ちましたので、改めて詣でた次第です。私は初詣はせずに、12月30日か31日にその年が無事過ごせたことへの御礼のお参りをしています。そういう名目で祭神である熱田大神に手を合わせました。

その熱田神宮の1900年の歴史を述べ連ねたパネルが参道にあったので熟読していくと、何と、私でもわかる誤記があるではありませんか。“1909年(明治39年)”とありましたが、1900年が明治33年なので、明らかな間違い。これを社務所に知らせたら、いたく感謝されました。

元日は、名古屋から金沢を回って帰京しました。太平洋側と日本海側の天候の違いを1日に2度も体験できるのは、気象マニアとしてはたまらない魅力です。

名古屋は快晴。岐阜も快晴ですが、行く手に雲が。大垣は曇り、あっという間に地面が白くなり、関ヶ原では雪が舞っていました。北陸線沿いの山間部はかなりの積雪でした。金沢は曇り、道路脇には除雪された雪が。糸魚川の海はまさに冬の日本海。大火の後が片付いているようで、復興し始めたのでしょうか。長野は街が白かったですが、トンネルを抜けた上田は快晴。善光寺平と佐久平(上田を佐久平と言ってしまうのは、無理がありますが…)でこんなにも気候が違うものかと、改めて感心させられました。金沢や糸魚川の湿った風景が趣があっていいなどと言えるのは、私が冬晴れ地方の人間だからでしょう。

北陸よりももっと北国から、Sさんが来ました。吹雪になると大変だとか、寒くて起きられずに午前の授業は休みがちだとか、車を買ったとか、近況を伝えてくれました。どうやら北国の地に根付きつつあるようです。卒業する頃には今よりずっと骨太になっていることでしょう。

まだ何も

12月27日(水)

今年はまだ、年賀はがきを買ってもいません。去年までは、発売開始早々に全国各地の地方版年賀はがきを買い求め、各地方独特のお正月風景の点描を楽しんでから、それぞれの人が気に入ってくれそうな絵柄を選んで、一筆したためたものです。ところが、今年は勢い込んで地方版セットを買いに行ったところ、なんと、今年から地方版が廃止になったと言われてしまい、がっくり肩を落として何も買わずに家へ帰り、そのまま元日まであと5日に至ったという次第です。日曜日にウチの近くのスーパーの店先で郵便局の人がサンタに扮して年賀はがきを売っていたのですが、なんとなく通り過ぎてしまったのもいけなかったかもしれません。明日どうにか年賀はがきを手に入れて、年末を過ごす名古屋のホテルの一室で書くことになるのかなあ…。

私が年賀状を出すみなさんは、10年以上も会っていない方々ばかりです。本当に必要最低限の人数にしか出しませんから、手書きでも十分間に合うのです。また、一人ひとりに図柄を選ぶ過程を通して、その方に思いを馳せる時間も確保していました。でも、あて先の住所はその年のお正月にもらった年賀状を見て書きますから、その年賀状を読みながら思い出すことにしましょう。

実は、来年の年賀状を早くも1枚もらっています。先日、写真が趣味というCさんが、来年の干支である戌と遠縁関係にあるレッサーパンダ(どちらも食肉目イヌ亜目に属する)の年賀状をくれました。大学院は写真とは全然関係ない専門に進むのですが、まさにプロはだしの写真です。私はこういう方面にはとんと疎いもので、とてもまねできません。写真の持つ勢いに素直に感心し、愛でるのみです。

ちょうど32

12月6日(水)

この前の日曜日にうちの近くのスーパーでみかんを買ってPASMOで支払い、翌月曜日朝に駅の改札を通ると、オ-トチャージされて残高がちょうど4832円になりました。こりゃあ週のはじめから縁起のいいことだと思い、何だか足取りも軽くなりました。その後、PASMOでは支払いをしていませんから、残高は今も4832円のままで、改札口を通るたびに表示される4832円を見てはニンマリしています。

午後、受験講座の準備をしていると、K先生から「先生、ちょうど32歳って言いますか」と質問されました。友人のお子さんの結婚式で、新郎の父親が挨拶でこう言ったそうです。「え、ちょうど32歳?」「ええ。ちょうど30歳じゃなくて、新郎が32歳ならわかるんですが31歳だし、どうしてかっていうと、32は2の5乗だからって言うんですよ。そういうの、ちょうどなんですか」「あーあ、気持ちはわかりますね。整数の5乗っていうと、3の5乗すら243で、日常生活には縁遠い数になっちゃうんですよ。でも32はわれわれの手が届く範囲の5乗の数なんで、ちょっと特別なんです。だから、ちょうどって言いたくなる心理は理解できますよ」

その方は、大学院で数学を勉強していたそうです。私も理系人間の端くれとして、「ちょうど32」という高揚感は共感できます。その方も、“3:14”なんていうデジタルの時刻を見ると、ちょっとうれしくなるんじゃないかな。また、1999年11月19日には思うところがあったに違いありません。なんたって、西暦の年月日を構成する数字が全て奇数というのは、この日の次が3111年1月1日と、千年以上も未来なのですから。

こういうことを踏まえて、私はなぜ「ちょうど4832円」と思ったのでしょう。そう、“4×8=32(しはさんじゅうに)”です。小川洋子の「博士の愛した数式」を読むと、この辺の機微がもっともっとよくわかると思います。ついでに言うと、私の誕生日は「2の3乗月3の3乗日」です。プレゼントをお待ちしております。

400ppm

12月1日(金)

英国で18世紀後半に始まった産業革命は、人類が化石燃料を大量に消費するきっかけともなりました。化石燃料を燃やすと二酸化炭素が大気中に放出されます。それ以前は約280ppmで一定していた大気中の二酸化炭素濃度はじわじわ上がりだし、50年ほど昔の私の子ども時代には300ppmになりました。理科の時間に、地球温暖化とは関係なく(その頃、そんな言葉はありませんでした)純粋に知識として、そう教えられました。今は、どの教科書も400ppmと記し、温暖化効果ガスをどうにかしなければという流れになっています。この大気中の二酸化濃度変化の曲線を外挿すると、学生たちが私の年齢になることには500ppmになっているかもしれません。

このところ、なぜかこんな話を立て続けに数回しました。すると、何だか歴史の生き証人みたいな気分になるんですねえ。100ppmの変化を日々少しずつ実感してきたわけではありませんが、50年分をまとめて振り返ると、霜柱が少なくなったなあとかって感じることもあります。ベルリンの壁のあっち側とこっち側の話をしても、学生たちにとっては歴史の教科書の写真でしか知らない物を見て触って越えてきているんですから、半分英雄みたいなものです。社会人になる直前、無理してヨーロッパ旅行をし、度胸を決めて東ベルリンに踏み出したおかげで、今の私が形作られているのです。

今上天皇退位の日が2019年4月30日と決まりました。翌日から新しい元号となり、私は昭和平成そして新元号の三代を生き抜くことになります。それから10年もすると、私が明治生まれの祖父母を見ていたような目で、新元号時代生まれの子供から見られるようになるのでしょう。それまでに、祖父母たちのように威厳を備えた人物になっていたいなあと思います。

面の皮

11月27日(月)

私は、面の皮があまり厚くないので、普通の2枚刃のかみそりなどでひげをそると、わりとたやすくかみそり負けしてしまいます。そこで、電気シェーバーを使っています。ところが、最近、何年前に買ったかわからないくらい長期間愛用してきたシェーバーが、スイッチがなかなか入らなくなりました。1回でうなり出すのは稀で、数回から十数回スイッチを押さないと反応しなくなりました。もう寿命だとしても全くおかしくないので、新しいのを買うことにしました。

というわけで、先日、家電量販店でシェーバーを見ていると、「いらしゃいませ」(「っ」が落ちている)「何〇お探しですか」(“〇”は「か」と「が」の中間の発音)と声を掛けられました。こういう場面で、発せられた日本語で値踏みしてしまうのは、職業柄悪いクセだと百も二百も承知しつつ、中国人の店員だと思って振り向くと、それっぽい名前の名札を下げていました。

「こちらはおすすめの機種ですよ」とさらに声をかけてきましたから、「恐れ入りますが、しばらく一人で見させていただけませんか」と言うと、その店員はちょっと怪訝そうな顔をして、去っていきました。こんなばかっ丁寧な言葉遣いをされるのは初めてだったのかもしれません。乱暴な言葉を投げかける日本人ばかり相手にしてきたとすれば、日本人を代表して謝りたいです。

その後もあれこれ見比べて、買うと決めた品物をレジへ持って行くと、レジにはロシア人っぽい名前の店員さんが立っていました。家電量販店へ行くのも久しぶりでしたが、ずいぶんと外国人が働いているものだと感心させられました。KCPの学生たちも、時には私のような悪いお客にいじられながら、精一杯働いているのでしょう。また、進学し、そこを卒業したら、日本社会の構成員として、日本で生活していこうと考えている学生も少なくありません。その時には、少しは面の皮を厚くして、よい意味でふてぶてしく生き抜いてほしいものです。

年末調整を済ませる

11月14日(火)

年末調整の書類が来ています。私の場合、生命保険の掛け金でいくらか戻ってきますから、毎年該当欄を埋めて提出しています。

この書類に、去年から個人番号を書くようになりました。個人番号をもらってからもう3年ぐらいになるでしょうか。でも、私が使うのは年に1回、この年末調整のときだけです。何回も使うんだったら暗記しちゃうんですが、年に1回ですから、そこまでの意欲も湧きませんし、年寄りの頭脳の貴重なメモリーをめったに使わないものには使いたくはありませんから、去年も今年も、個人番号の通知書を探す羽目に陥りました。

今年は幸いおとといの日曜日に時間がありましたから、家の机の引き出しをひっくり返して件の通知書を発見しました。そして、来年は探す時間が省けるように、他人にはわかりにくいけど私にはすぐわかる場所にしまいました。でも、去年も同じように考えて、通知書をわかりやすいと考えた場所にしまった記憶があるのですが、今年も発見までに20分ほどかかってしまいました。その20分で不要な書類の整理もできましたから、全く無駄な時間だったとは言えませんが、でもこの手のものはすっと見つけたいものです。

探し物で一番困るのは、確かにここに入れた(置いた)はずなのに、そこから見つからないという場合です。机の上や引き出しの中のファイルなら目をぐっと見開いて探せば見つけられるでしょうが、コンピューターの中のファイルやドキュメントとなると、検索で引っかかってこなかったら、モニターに映し出される細かい字を追いかけながら可能性のありそうなものを片っ端から開いて中身を確認するほかありません。老眼には辛いものがあります。発見した頃には業務継続の意欲は失われています。

個人番号はいずれ大いに活用されるようになるそうですから、その暁にはしっかりおぼえることにしましょう。コンピューター内のファイルは……どうしましょうね。

読書百遍

10月25日(水)

今週は、KCPの読書週間です。先生方に推薦図書を出していただき、それを中心に学生に本を薦めています。図書室にもその本を展示して、学生に実際日本を手に取ってもらおうと思っています。

読書は、やはり、習慣づけが大事だと思います。私は何十年もの間、いわゆる濫読ですが、本を読み続けてきました。かばんの中には、今読んでいる本と、その本を読み終わったら次に読む本を入れています。電車の中で周りの人がスマホを見ているときに、私は本を読んでいます。病院の待合室はもちろんのこと、スーパーのレジでも注文した料理が出てくるまでの間でも、本を読んでいます。

まあ、ここまで来ると活字依存症かもしれませんから、学生に同じことをしろなどと言うつもりはありません。また、受験生に無理に本をあてがおうとも思っていません。でも、本に目を向けることぐらいはしてもらいたいですし、息抜きにすることの候補に読書を加えてもらいたいとは思っています。

当たり前の話ですが、日本語の本は学生にとっては外国語の本です。私にとって外国語の本と言えば英語の本ですが、英語の本は専門書ぐらいしか読んだことがありません。エンタメ系の英語の本は、大学時代に英語の授業で読んだだけなんじゃないかな。読んでも心に何かが残った記憶はありません。だから、在学中いつも東野圭吾を読んでいたKさんには、素直に頭が下がりました。

図書室の本の中には、私が推薦した本もあります。私なりに想像力をたくましくして、学生が本に熱中している姿を思い浮かべながら選びました。その本を読んだ学生と、感想を語り合う日を夢見ています。

拾う疲労

10月18日(水)

毎朝、学校に着くと、シャッターを開けるとともに、校舎と校庭の前の道のごみを拾います。ごみの大半は吸殻で、たまにお菓子やパンの箱や袋もあります。空き缶やペットボトルはめったにありません。今朝は吸殻2本とガムの包み紙のような銀色の紙が丸まったものが戦利品でした。

先週の火曜日は連休明けとあって、たまたま落ちていたコンビニ袋に収容しなければならないほどのごみを拾いました。拾っている最中に通りがかった人に「ご苦労様です」とねぎらわれてしまいました。やさしい言葉をかけてもらってもうれしくありませんねえ。そもそも、みんなが道にごみを捨てなければ、私がごみを拾う必要もなく、お言葉を頂戴することもありませんでした。

新宿区は路上喫煙や歩きタバコは禁止のはずなのですが、横紙破りが横行しているのが現状です。お菓子の袋だったら拾って捨ててそれでおしまいですが、吸殻は拾うと手ににおいがつきますから、始末に悪いです。でも、トングやらバケツやらを用意するほどでもありません。うっちゃっておけばいいのかもしれませんが、校舎の前に吸殻が落ちているのを知りながら拾わないのは、学校の美化という面から気分が悪いものです。

さらに悪質なのは、校舎に向かって投げ捨てたとしか思えない吸殻です。そんなに頻繁ではありませんが、週に1本ぐらいは見つけます。植栽に燃え移ったら、どうしてくれるんです。また、花壇に押し付けたように吸殻が差し込まれていたこともありましたから、油断はできません。

ごみを拾うこと自体は何とも思いませんけど、捨てるほうはさらにもっと何も考えていないんだろうなと思います。