Category Archives: 試験

お客さん

9月29日(木)

期末テストがありました。午後、試験監督に入った一番下のレベルのクラスに、とんでもない学生がいました。

Zさんは今学期の新入生で、3か月間勉強してきたはずなのですが、頭には何も残っていないようでした。助詞を入れる穴埋め問題は、明らかに何も考えずに適当に書いただけですし、質問に答える問題はまるっきり的外れな答えを書いているし、聴解は全く答える気がありませんでした。Zさんが聞き取れるスピード・内容ではないことは、問題の音声を2秒ぐらい聞いただけでわかりました。

漢字のテストにいたっては、名前を書いただけで提出して帰ろうとしましたから、身振りで全部やれと命じました。Zさんは「わかりません」と言って出そうとしますが、私は提出を認めず、すべての問題に答えを書くまでは提出させないということを、これまたジェスチャーで示しました。それまでのZさんの受験態度には腹に据えかねるものがありましたから、早く帰りたがるZさんに対し、制限時間いっぱいまで問題に向かわせました。

Zさんは、今学期の最初のころからずっと何もわからずに期末テストを迎えたのだと思います。Zさんにしてみれば、やっと期末の日が来たといったところでしょう。でも、このわからなさ加減では、来学期もう一度同じ勉強をしても、わかるようになるとは思えません。あの分では、おそらく学期休み中は全く勉強しないでしょうから、来学期もまた、始業日から1週間か10日後には、お客さんになっているに違いありません。

それどころか、卒業までに進級できるかも覚束ないところです。資料を見ると、Zさんは日本で大学進学を考えているようですが、たとえ出席率が100%でも、よほど性根を入れ替えない限り、Zさんを拾ってくれる大学があるとは思えません。どういう背景で来日したかはわかりませんが、これからの苦労を考えると、日本へ来なかったほうがZさんには幸せだったような気がしてなりません。

半分ふてくされて漢字の答案用紙に答え(にはなっていない無意味な言葉)を殴り書きしているZさんを見ながら、いつ引導を渡したらいいだろうかと考えてしまいました。

社会の急速な反映

9月28日(水)

選択授業の期末テストがあり、私が担当した入試問題クラスも某大学の過去問を使って実施しました。

みんな真剣に問題に取り組んでくれたのはいいのですが、試験中に学生の答案を覗き込んでみると、漢字の書き取り問題に間違いが目立ちました。全問答えたからとボケッとしている学生が現れ始めた頃、我慢しきれなくなり、「自分が書いた漢字をカタカナの代わりに文の中に入れて、文全体の意味が通じますか。まだ時間がありますから、本当にその漢字でいいか、もう一度確かめてください」とクラス全体に注意してしまいました。

制限時間が来て、答案を集め、採点してみると、「社会の急速なハンエイ」が「反映」になっていたり、「こどもがカンシンをもつ」が「感心」だったりという誤答がちょこちょこ出てきました。「繁栄」は字が難しいから思い浮かばなかったのでしょうか。「カンシン」という字を見たら条件反射的に「感心」と書いてしまうのでしょうか。

漢字の授業の中で行うテストなら、出題範囲が限られていますから、漢字に置き換える部分だけしか見ていなくても点が取れることもあります。でも、いやしくも大学の入学試験ですよ。出題範囲は狭く見積もっても常用漢字全体ですよ。問われる漢字には“無限の可能性”があるんですよ。なのに「ハンエイ」を自動的に「反映」に変換して何とも感じないのはどうかしています。「繁栄」という単語を知らないのならいざしらず、このクラスの学生は絶対にそんなことはありません。なのに何の迷いもなく「反映」と書いて平然としているのはどうかしています。

そういう困った人たちの中にも、ごく近い将来、本物の大学入試で漢字の問題に取り組む学生がいます。そういう時期に至っても、まだこんな答案を書いているやからがいるということは、担当した私の力不足なのでしょう。

どんな受験

9月8日(木)

7月のJLPTの成績を見てみると、N1は、初級は玉砕と言ってもいい状況です。N2にしておけば愛かったかもしれないのにという学生も少なくありません。中には、志望校の受験資格が「N1」だから討ち死に覚悟で受けた学生もいます。でも、大部分はN1に対する憧れか自分の実力に対するうぬぼれです。

憧れで受けた人は、自分はN1を受けたという実績がほしかったのです。健闘むなしく敗れ去ったという悲劇にヒーローになって、自分を美化したいのかもしれません。「お前の力じゃ西から日が昇っても絶対無理だ」と言っても有名大学を受けようとする学生に通じるものがあります。受験したことで満足できるのなら、N1で70点取った自分を可愛いと思えるのなら、受験料がちょっともったいないと思いますが、それでいいと思います。

うぬぼれ組は、落ちたことで目が覚めてくれれば受けた甲斐があります。自分の真の実力を知り、本気で勉強し始めるきっかけになれば、この受験も有意義だったと言えます。しかし、そうはならない大天狗様がいるんですよね、毎回。基礎に戻って復習し、土台に開いている穴をふさがなきゃならないのに、やたら難しい単語ばかり覚えようとします。この手のやからは、決して読解をしようとはしません。「わからない」を突きつけられるのが怖いからです。わかった気になれる語彙や文法の暗記に走るのです。授業でも、わかったつもりばかりで、成績が低迷していることが多いです。でも、自分の実力のなさを認めようとしないんですね。

初級は確かにボロボロでしたが、中級になると、とたんに合格率が上がります。メンバーを見ると、中には初級同様の憧れかうぬぼれの学生もいるようですが、大半は自分の実力を知ろうとして試験に臨んだ学生たちであるようで、その多くが合格しました。ぴったり100点(合格最低点)とか、かろうじて数点上回っただけとかという学生もいますから、合格者が多いからといって手放しで喜ぶわけにもいきません。

12月のJLPTの出願受け付けをしました。やっぱり、「何考えてんだ、こいつ」って言いたくなるレベルに出願した学生もいます。どの学生にも、次につながる受験をしてもらいたいです。

不安の先に

9月6日(火)

Sさんも先週末W大学の入試を受け、今週末に面接試験を控えています。先週の試験は数学の出来が悪かったようで、面接で何とか挽回し、合格に結び付けたいと考えています。そう思うからなおさらプレッシャーがかかり、頭の中はもう面接のことでいっぱいです。そういう様子が手に取るようにわかります。

そのSさん、今朝、授業が始まる前に職員室へ来て、面接で志望理由などをどう答えたらいいか、私に聞いてきました。SさんはW大学に提出した志望理由書とは食い違う志望理由を挙げてきました。確かに、志望理由書を提出してから1か月か2か月たちますから、考え方が多少変わるのはやむをえないところもあります。Sさんの日本語力は今が伸び盛りですから、出願した時にはうまく表現できなかったことが表現できるようになったという面もあるでしょう。たとえそうだとしでも、方向違いの話をするのは、あまりよくはありません。気が変わった理由がきちんと説明できるならまだしも、Sさんの力はそこまでは伸びていません。

大学が受験生の日本語の伸び代を見てくれるのなら、Sさんにも勝ち目はあります。しかし、今この時点での日本語力だけで評価されるとなると、Sさんは苦しい戦いを強いられてしまいます。しかし、Sさんには理系のセンスがあります。そこをどうにか見てもらえないかと思っています。でも、理系科目については、先週の試験の結果で評価されるんでしょうね。

さらに悪いことに、Sさんはこの面接が初めての面接です。それゆえ、一層不安も募り、はたで見ていて気の毒なほど緊張もしています。このままでは夜も寝られないのではないかと思えるほどです。クラスの先生にも相談したら「面接はQ&Aではなくてコミュニケーションだよ」と言われ、またまた混迷の度合いを深めてしまいました。Sさんの心は安んじる暇がないようです。

でも、みんなこの壁を乗り越えて進学しているのです。面接まで時間がありませんが、精一杯心配して、精一杯緊張して、その圧迫感を跳ね除ける胆力を身に付け、吉報をもたらしてもらいたいです。

みんな難しい

9月5日(月)

W大学を受けた私のクラスの2人の学生は、打ちひしがれて現れました。英語の問題の傾向が今までと違うとか、簡単な漢字の問題を間違えてしまったとか言っていました。「あなたに難しい問題は、ほかの学生にも難しい」と言って慰めてやりました。2人ともW大学に全然手が届かないような、いわゆる記念受験のレベルではありませんから、この2人が難しいと感じた問題は、他の多くの学生にとっても十分すぎる手応えがあったはずです。

2人はW大学の受験生の平均から大きくずれることはないでしょうから、1次試験に通ったとしても、同じような学生とともに、ボーダーライン上に並んでいるものと考えられます。ですから、受かるためには面接で頭角を現さなければなりません。奇をてらった答えをしても逆効果ですが、安全運転の答え方では混戦から抜け出せません。わかりやすく、面接官の気持ちを引き付け、中身の詰まった話をすることが求められます。どうしても入りたいという熱意を込めることは言うまでもありません。

もちろん、これはどんな面接にも必須の事柄ですが、2人がW大学に受かるにはなお一層のこと必要となります。面接全体を通してのコンセプトを考え、自分の持ち駒を冷静に分析し、その持ち駒をどこでどう使うか周到に作戦を練り、可能な限りよどみなく正しい日本語で答えられるようにならなければなりません。

そういうことを2人に言ったら、早速動き始めました。終わった試験のことはちょっと置いておいて、次の試験に向けて頭を切り替えねばなりません。1次試験に通ったと決まったわけではありませんが、通ってから慌てても遅いですからね。果たしてどうなるでしょうか。木曜日に1次の結果が出て、金曜日が面接です。

15%

9月3日(土)

ある年のEJU日本語の問題に出てきたカタカナ語のリストを作って、EJUの対策講座に出てきた学生に配り、その中にどれくらいわからない言葉があるか聞いてみました。学生によって多少のばらつきはありますが、わからない言葉は15%程度でした。もっと多いかなと思っていましたが、85%ぐらいわかっているということは、結構いい線行ってるんじゃないのかな。ただ、聴解・聴読解に出てきた言葉も文字として渡しましたから、耳だけだとわからない割合が増えるかもしれません。

外国人、殊に日本での進学を考えているような人にとっては、カタカナ語との戦いに勝たない限り、明るい将来は開けてきません。入試もそうですが、進学してからの専門の勉強において、さらに厳しい戦いが待ち構えています。日常生活では目にも耳にもしないカタカナ語に触れ、しかもそれが長ったらしかったら略された形もあります。

日本語は柔軟な構造をした言語ですから、外国語をカタカナ語としてバリバリ受け入れてきました。日本人はそれをわかりにくいとか文句を垂れながらも受け入れてきました。新しいカタカナ語も、いつの間にか自家薬籠中のものとしてしまいます。「リピーター」なんて、私が学生たちの年代にはありませんでしたが、今では過半の日本人が理解するんじゃないでしょうか。その「リピーター」ですが、学生たちはピンと来ていないようでした。

私は、学生たちの頭の中にちょっとでも引っ掛かりを残しておこうと思って、読解でも文法でも聴解でも漢字でも、どんな授業でも積極的にカタカナ語を紹介しています。紹介しっぱなしになっているきらいがある点は否めませんが、学生はわりと楽しみにしていてくれるみたいです。

JLPTの結果通知が届きました。月曜日にこれを見て、12月に上のレベルに挑戦したり捲土重来を図ったりする学生もいるでしょう。彼らもまた、カタカナ語とのにらみ合いを続けていくのです。

9月2日(金)

Lさんは漢字のない国から来て、初級から順調に進級してきて、上級に手が届くレベルにまで達しました。しかし、今学期はピンチです。中間テストは、読解が不合格で文法もやっと合格という成績でした。漢字・語彙は、かなり勉強したのか、漢字の読み書きはパーフェクトに近い成績でした。しかし、文意に合う語彙を選ぶ問題はたくさん間違えていました。つまり、伸び悩みの原因は語彙力不足だったのです。

漢字は、ひたすら何回も書けば手が覚えてくれます。書いた漢字の上に振り仮名をつければ、読みも覚えられるでしょう。しかし、そうやって覚えた漢字の言葉をどこでどのように使うのかは、そう簡単に身に付きません。また、漢字が読めるのと、その漢字が使われている文の意味が理解できるのとは違いますし、ましてや漢字の言葉がたくさん出てくる文章全体の内容の把握となると、読み書きの力が直結するわけではありません。

Lさんは、今、そういうことを痛いほど感じています。私がLさんに語彙不足を指摘すると、Lさんは涙を流しました。悔し涙でしょう。自分に対する無力感、自分の目の前にある壁の高さに対する絶望感を抱いているのかもしれません。ここからもう一段高いところへ上るには、この壁を打ち破らなければなりません。

中級は、多くの卒業生が一番辛かった時期として挙げるレベルです。勉強疲れと伸び悩みとゴールの遠さと、そういった諸々が一気に押しかぶさってきます。Lさんは、その一番辛い時期にさしかかっているのです。中間テストの間違い直しをした後に見せてくれた笑顔に、望みをかけたいです。

答え方

8月10日(水)

大学入試の過去問を上級の学生にさせてみると、気懸かりなことが見えてきています。それは、記述式の問題の答え方です。選択肢の問題は十分に答えられるのですが、たとえ短くても文で答える問題に答え切れていないのです。過不足のありすぎる答えだったり、字数制限を無視したり、答えの形が整っていなかったりなど、減点の要素たっぷりの答えが答案用紙に満開です。

答えがまるっきり的外れではないのです。方向性は合っているのですが、きちんと答えることができていません。違和感を抱かせるような答えと言ってもいいでしょう。文章の内容は理解しているけれども、その理解したことを他人にわかるように表現することに問題があるのかもしれません。あるいは、なんとなくしかわかっていないから、ぼやかした答えをしているのかもしれません。いずれにしても、詰めの甘さが感じられます。

学生たちの多くは、選択肢のテストには慣れています。しかし、国でも記述式のテストはあまり受けていないそうです。受けていても、本文からできるだけたくさん文を抜き出せば点がもらえるとか、逆にキーワードだけ書いても点になるとか、日本の試験の答え方とはだいぶ違う習慣のもとで育ってきたようです。そういう学生たちにとって、簡にして要を得た答えを求める日本の国語テストの流儀が重い負担になることは、想像に難くありません。

でも、そういう答え方の延長線上に、大学でさんざん書かされるレポートがあると考えると、受験勉強での訓練にも意義が感じられます。答え方を事細かに注意すると、学生たちはあまりおもしろそうな顔をしませんが、遠慮なくビシバシ鍛えていかなければなりません。

答案と質問

7月28日(木)

受験講座理科の一部の学生には、毎週記述式の問題を与えて、その答案を提出させています。記述式の問題は、EJUのような選択肢の問題と違って、その項目の理解度が如実に見えてきます。また、物理は計算力の差も白日の下にさらされます。

一番よくできたのがNさん。みんなが計算をあきらめた問題も、最後まできっちり計算して、正解を導き出していました。授業中はおとなしい学生ですが、大事なところを逃さず頭に入れて、それを応用する力も身に付けています。

Sさんは日本語の問題文の理解に難があるのではと思われる節があります。原理や公式は理解できているようなのですが、問題文の読み取りができず、あらぬ方向に進んでしまうきらいがあります。慣れが必要です。

また、学生たちはよく質問に来ますが、その質問内容で力を推し量ることもできます。Wさんは問題の肝をつかんだ質問をしてきます。現時点では知識を応用する面で力不足なところがありますが、これからが期待できます。

Hさんは基本的なことを質問してきます。知識に抜け落ちがありますが、それを埋めてきている様子が十二分にうかがえます。今はあまり出来がよくありませんが、質問したことをどんどん積み重ねていけば、伸びていくものと思います。

Rさんは緻密な質問をしてきます。理詰めで来ますから、こちらも油断できません。高度な議論になり、大学入試には関係ないけどと思いつつ、専門的な話をすることもあります。

秋からの入試シーズンに向けて、準備は少しずつですが、着々と進んでいるようです。

夢と疲れ

6月24日(金)

今のレベルから2つ上のレベルに進級したい学生たちのジャンプテストの監督をしました。ジャンプテストを受けるには、まず、現レベルで相当いい成績を挙げて、担任の先生から許可をもらわなければなりません。そして、現レベルと1つ上のレベルの勉強を並行して進めて、期末テスト後にジャンプテストを受けるのです。2つのレベルの勉強を一緒にしていくのは容易なことではなく、この時点であきらめる学生も少なからずいます。

実際にジャンプテストを受ける学生は、そういう試練に耐えてきたつわものたちですから、かなり優秀です。私のクラスから受けたCさんとGさんも、頭がいいことに加えて、努力を惜しみません。でも、その2人をもってしても、テスト中は表情をゆがめていましたから、かなり難しかったのでしょう。

ジャンプテストと同時に、昨日の期末テストを欠席した学生の追試も行いました。ジャンプテストを受ける予定の学生は全員来ましたが、追試の学生は…。期末テストを受けても進級は無理だろうということでサボった学生が多いのでしょう。

ジャンプテストの学生は留学に夢を描き、高い目標を掲げています。追試の学生は、留学生活に疲れてしまい、もはや夢も高い目標も消え失せてしまっているのかもしれません。私のクラスのPさんは、昨日の朝、今の成績では進級は無理なので、もう一度同じレベルをするというメールを送ってきました。無理に進級しないというのは賢明な判断ですが、現時点での自分の実力や弱点を把握しておかなかったら、次の学期で何をどうがんばればいいかわからないじゃありませんか。

テストの結果は、来週半ば過ぎにまとまります。ジャンプテストに臨んだ学生たちにうれしい知らせが届くことを祈るばかりです。