Category Archives: 日本語

思考回路

8月23日(水)

中間テスト直後から、夏休みを目いっぱい遊び惚けてしまいましたから、夏休み明けの月曜日から今朝までかかって、私が受け持っている上級クラスの作文の採点をしました。今回は作文のテーマを事前に予告していましたから、みんな書くべき内容を下調べしてから中間テストに臨んだようです。そのため、論旨がはっきりしていて、結論もきちんと述べられている作文が多く、採点は比較的順調に進みました。

読み手が読みたくなるようなタイトルを付けろと言っておいた効果があり、興味がそそられるタイトルの作文が多かったです。面白そうなタイトルの作文から順に読んでいきました。すると、タイトルに引かれる度合いと中身の濃さとがおおむね比例していました。凝ったタイトルを付けた学生は、内容についてもよく考えてきたということでしょうか。テーマに関して深く考察したからこそ、その考察を凝縮した珠玉のタイトルが生まれたのかもしれません。

その作文を学生に返す前に、全員のタイトルの一覧をパワーポイントにして見せました。どのタイトルの作文から読んでみたいかと聞いたら、私が選んだのとほぼ同じになりました。おざなりなタイトルを付けた学生の顔つきが、少し変わりました。

Aさんもそのおざなり組でしたから、読むのが後回しになっていました。1行目から誤表記があり、不吉な予感に襲われました。3行目に意味不明の単語が出現し、それ以降は“文字は日本語でも、文は日本語ではない”状態になりました。もはや添削どころではありませんでした。我慢して読み続けましたが、最後まで読んでもAさんの主張はさっぱりわかりませんでした。

他の学生が赤の入ったところをなぜ直されたか考えながら清書している間に、私はAさんに作文で何が言いたかったのか直接聞きました。根掘り葉掘り聞いていくとAさんの主張は十分うなずけるものでしたが、その主張と作文との落差には愕然とせざるを得ませんでした。よくわかったのは、Aさんの思考回路はいまだに母国語で回っているということでした。

Aさんの志望校には小論文の類の入試科目はありませんが、このまま合格・進学したら、進学してから苦労するでしょうね。あと半年余りの間に、どうにか鍛えなければなりません。

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エアメル

8月22日(火)

夏休みをはさんでしまいましたが、中間テストが終わったので、学生面接が始まりました。

Zさんは今学期のレベル1の新入生です。KCPで日本語を勉強したら、日本で就職しようと考えています。しかし、現状では次の学期に進級できるかどうかきわどい所です。

「レベル1の勉強は難しいですか」「はい、少し難しいです」ときましたから、文法が難しいのかなと思いました。形容詞や「ます」の活用が入ってきていますから、その辺でつまずいているのかもしれません。「何が難しいですか。文法ですか、聴解ですか」と聞くと、Zさんは少し考えて「…単語が難しいです」と答えました。

さらに詳しく突っ込むと、要するに長音や促音の有無の判断が付かないようです。聞き取った文の意味はわかっても、それを正しく表記することができないのです。実際、その後の授業で“エアメール”という単語が聴解教材の中に出てきましたから、これをクラスの学生全員に書かせたところ、Zさんは“エアメル”でした。それが“air mail”であることは理解していましたが、カタカナ語として書くことはできませんでした。こうした単語が、今まで山ほどあったのでしょう。

Zさんのような学生は決して少なくありません。クラスの他の学生も、多かれ少なかれ同じ悩みを抱えています。初級の第1の壁かもしれません。でも、この壁を乗り越えないと、まず進級のボーダーラインの下に落ちてしまいます。そして、長音や促音があやふやだと、話すときにその影響が現れないとも限りません。そうなると、Zさんの夢である日本での就職だって夢のままで終わってしまいかねません。

残念ながら、これには決定的な解決法がありません。教師としては励まし続けるのみです。

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会話テストの結果

8月8日(火)

レベル1は、会話タスクの日でした。今学期前半で勉強した文法や語彙を使って、1分程度の会話を作って発表します。もちろん、ストーリーや発音なども採点対象です。以前レベル1を担当したときは、採点は教師が行うだけでしたが、今回は発表を聞いている学生にも採点してもらいました。

滑らかにナチュラルスピードに近い速さで話す学生もいれば、ゆっくり話す学生もいます。会話は課題を与えその場で作らせますが、上手にまとめるところもまとまった話にならないところも出てきます。でも、どのペアも2人で協力して作っていましたし、今学期の成果をどうにかして取り込もうとしてる様子は感じられました。

そういった点には学生の成長を感じましたが、頭を抱えてしまった部分もあります。みなさんだったら、相手を誘う場面で、“いっしょに昼ご飯を食べ(   )”ときたら、(   )に何を入れますか。普通は“ませんか”ですよね。しかし、これができたのは1組だけで、他は「いっしょに昼ご飯を食べますか」としてしまいました。これじゃあ予定を聞いているみたいで、聞かれた方も自分は誘われているんだという認識は持てないかもしれません。

もちろん、「いっしょに~ませんか」は何回も練習しました。でも定着していないんですねえ。学生たちは、日本語で誰かを誘うことなどないのです。身近な表現じゃないから、覚えられないのです。レベル1では、こうして会話テストをすることで、学生たちが「いっしょに~ませんか」が使えていないことが浮き彫りにされます。しかし、レベル2以降では、こういうことはあまりないでしょう。そうすると、「いっしょに~ませんか」が使えないまま上級まで来てしまうことにもなるのです。

学生たちのできなさ加減は、自分のできなさ加減なのです。

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得がたい知識

8月5日(土)

昨日は午後からも授業があり、なおかつ夕方歯医者の予約を入れていたので早帰りしたため、午前中の中級クラスの授業で集めた文法の例文を添削する時間がありませんでした。というわけで、朝一番の仕事は来週の行事の準備でしたが、それに続いてその例文添削をしました。

中級クラスともなると、手の施しようのない例文はだいぶ少なくなりますが、その代わり、一刀両断にダメと決めつけられない、ストライクゾーンにボールの縫い目が引っ掛かるかどうかというような例文が現れてきます。クラスの中ではできのいい学生Cさんが書いた例文は、「私は一生懸命勉強して、得がたい知識を積んだ」というものでした。

昨日このクラスは、「信じがたい」とか「理解しがたい」とかの「~がたい」を勉強しました。「得がたい経験」も扱いましたから、その応用として「得がたい知識」としたのでしょう。「知識を積んだ」はちょっとおいといて、この「得がたい知識」、この稿をお読みのみなさんはどうお感じになりますか。

私は、「一生懸命勉強」したぐらいで手に入る知識なら、それは「得がたい知識」ではないと思います。特別な人に会って、その人から授かった知識なら、「得がたい知識」と言ってもいいかもしれません。でも、その特別な人って誰だろう、授かった知識ってどんな知識だろう…などと考えると、「得がたい知識」の輪郭はぼやける一方です。特別な人に会うことも含めて、得がたい経験を通して得た知識なら、かろうじて「得がたい知識」のような気がします。

結局、Cさんの例文は〇にはしないで、上述の内容をギュッとまとめたコメントを付けました。Cさんにとって、私のコメントは得がたい何かになるのかなと思いながら、他の例文を見ていきました。

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7月31日(月)

上級クラスで漢字のテストをしました。書き問題の中に“驚”がありました。授業で取り上げていますからできて当然なのですが、残念な結果に終わりました。簡体字を書いてしまう中国の学生がいることは予想していましたが、“驚”の下半分、“馬”が書けない中国人学生が続出したのです。縦棒の数が多すぎたり、横棒の数が足りなかったり、“易”みたいにかいてしまったりと、各人各様と言っていい状態でした。

もちろん、間違えた学生たちも、日本語の漢字の“馬”は読めるし意味もわかるし、読解のテキストなどに出てきても、理解の妨げになることはありません。“驚”も同様です。でも、日本語の漢字を手書きすることはめったになく、そのため漢字の形を正確に覚えなくても何ら支障を来しません。それゆえ、油断していたのではないでしょうか。学生たちの答案用紙には、いろいろな“馬”を書いては消し書いては消しした跡がありました。相当苦しんだものと思われます。

私だって、“鬱”は読めるし意味もわかりますが、書けません。私にとっての鬱が、学生にとっては馬だったに過ぎません。また、日本人だって、今時、漢字の一部としてでも、“馬”を手書きすることはめったにありません。ですから、“驚”が書けなかったからと言って、驚くに値しません。あまり激しく学生を責めてはいけないのかもしれません。いや、でも、“馬”が書けない中国人が何人もいたことは、少なからずショックでした。

そんなことがあったにしても、ほとんどの学生が合格点を取りました。やっぱりというか、さすがというか、だてに上級クラスにいるわけではありません。

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うますぎる作文

7月25日(火)

Yさんは、レベル1のクラスの学生です。自分のことについて作文を書きなさいという課題に対して、上級の学生も顔負けの長さと内容の文を書いて提出してきました。こちらが期待していたのは、「私はYです。中国の北京から来ました。KCPの学生です。国の大学で経済学を勉強しました」などというレベルの作文でした。しかし、Yさんの作文は「国の大学では経済学を専攻したものの、アニメをはじめとする日本文化にも興味を抱くようになり、…」というような格調高いものでした。

用紙をひっくり返すと、Yさんが書いた作文メモがありました。ところどころわかる漢字を組み合わせると、このメモを和訳したのがYさんの作文だということが容易に想像できました。Yさんに確かめると、そうだとのことでした。この和訳をYさん自身がしていたら立派なものですが、レベル1の学生ができる範囲をはるかに超えています。案の定、アプリに助けてもらったようです。

Yさんは明るく積極的で、国籍にかかわりなくどんどん日本語で話しかける学生です。宿題もきちんとしてくるし、テストも好成績です。うちでもよく勉強していることがうかがえます。だからこそ、なのでしょうか、自分の思いをどうにか教師に訴えたくて、わかってもらいたくて、思いっきり背伸びしてしまったのでしょう。

先週のコトバデーで、初級の学生向けの通訳翻訳を担ったのは、最上級レベルの学生たちでした。この学生たちは、私たちの書いた日本語をたちどころに自分たちの母語に直し、また、会場で教師の放ったことばを同時通訳並みに学生たちに伝えてくれました。

そういう超級の学生も、今のYさんのように自分の頭や心の中身を日本語にできずにもどかしい思いをした時もあったのです。ですから、Yさんも、まずは機械に頼らず自分の原点を認識してもらいたいです。

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みんな口を開けて

7月20日(木)

去年のコトバデーも、曳舟文化センターで行うことになっていました。しかし、感染者の急増とみんなが声を発するというイベントの性質から、規模を縮小して校内での実施となりました。そんなわけで、曳舟文化センターの前まで来た時、長い道のりだったなあと、道の反対側から見上げてしまいました。

私は、例年通り、審査担当。自分のクラスの練習風景を見ている限り、イベントとして成り立つのだろうかという、一抹ではない規模の不安を抱いていました。

手紙部門は、課題に沿って自分たちで手紙を創作し、それをメンバー数人で分担して「読む」というものです。「読む」とは、文字通り原稿のメモを見て、そこに書かれている文を音読することも、原稿を暗記してそれをステージの上から声に出すということも意味します。後者のような発表をするには、かなりの練習量と向上心が必要です。手紙の文章が自分のものになっていれば、「読む」のではなく、「語る」ことができます。聴衆としたら、語ってもらえたほうが心に響きます。このような「語る」ことができたクラスが、初級にもいくつかありました。アクセント、イントネーションに至るまで、かなり訓練してきたのでしょう。上級では、明らかにメモを読んでいるのですが、それが語るになっている学生も少なくありませんでした。さすがと言うべきでしょう。

声優に挑戦部門では、映画やアニメの一場面を、声優になったつもりでそのセリフを言うというパートと、セリフそのものを創作するというパートに別れました。映像のスピードに全然追いつけない状況の練習風景を見てきた私にとって、会場のスクリーンに大写しになる登場人物の口の動きに合わせて、あたかもその登場人物がしゃべっているかのごとくセリフを語る学生たちに驚くばかりでした。初級でも、その段階にまで仕上げてきたところがありました。そういうクラスが多くて、審査は非常に苦労しました。

スピーチコンテストには、自薦の学生7名が望みました。自薦だけあって、どれも中身が濃く、また、よく練習してきたことが十二分にうかがえました。自分自身の悩みを率直に語る姿に共感を覚えた学生も少なくなかったのではないかと思います。

学生たちの指導をしてくださったボランティアの方も、会場まで来てくださいました。終了後に私が声をおかけする前に、「とても楽しかったです」と感想を述べてくださいました。

その一方で、学生たちやクラスの力作を全く無視して、スマホの画面に集中している大馬鹿者が何人かいたことも記しておきます。

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いい例文?

7月15日(土)

昨日の中級クラスで書いてもらった文法の例文を添削しました。中級も後半となると、普段あまり見聞きしない表現を勉強するようになります。初級文法のようにどんな場面でも使えるような文法ではなく、ある条件がそろうと威力を発する表現が中心となります。文法の授業も、その“ある条件”を強調して、こういう場面で使うんだよという練習をします。

そのうえで例文を書くのですが、そうすんなりこちらの思い通りの例文が仕上がるわけではありません。勘のいい学生は思わずニヤリとしてしまうような例文を書きます。その文法の特徴をつかみ、それを上手に応用します。助詞を間違えるくらいはしますがね。教科書の例文を少しいじったのを書いてくる学生もいます。こちらは想像力がないのかもしれません。想像力はあるけれども、そちらに走りすぎて“ある条件”を忘れてしまった学生も、必ず出てきます。軌道修正すれば、使えるようになる可能性を秘めています。

Cさんが気の利いた例文を書いてきました。本筋から外れたところでミスがありましたが、ポイントは押さえていました。その後何人かの例文を見た後で、Wさんの例文を読むと、どこかで読んだような例文でした。Cさんと、間違え方まで同じ例文でした。2人は隣の席ですから、助け合ったのかもしれません。さらに、Tさんもほぼ同じ例文でした。Tさんは席が離れていました。ということは、私に隠れてスマホで検索したのでしょう。そして、3人が同じサイトを見たに違いありません。

私の授業が伝わらなかったところは反省すべき点です。でも、スマホから拾った例文を書いても、力はつきません。この3人がどうかわかりませんが、中には自分が書いた例文はネットの辞書・文法書に載っていた例文なのに、どうして〇じゃなくて直されるんだと、返却された例文を見て訴えてくる学生がいます。こういう理由でこの例文は間違っていると説明しても、そういう学生に限って、納得しようとしません。

学生たちがAIに頼って例文を書いたらどうなるんだろうと考えることがあります。もしかすると、私がにやりとした例文は、AIが作っていたのかもしれません…。

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工夫、雨水

7月10日(月)

上級の読解で、ギリシアのパルテノン神殿のエンタシスについて触れられていました。その部分の段落を学生に読ませると、「…エンタシスというこうふが施されています。…」と読んでくれました。次の学生も「…こうしたこうふによって…」と読みました。

学生が「こうふ」と読んだところは、「工夫」と書かれています。20人も学生がいれば、1人ぐらい何か言う学生がいるだろうと思いましたが、誰も何も言わずスルーしそうになりましたから、「それは“くふう”と読むんだよ」と、こちらから教えました。

「工夫」は、“くふう”と読むか“こうふ”と読むかによって意味が全然違います。学生たちは“こうふ”の意味で本文を理解していたのでしょうか。それとも、「工夫」には意味が2つあるけれども、こちらの意味がこの文にはピッタリくるということで、読みなど確かめずに理解してしまったのでしょうか。いや、そもそも「工夫」を“くふう”と読むなど夢にも思わず、意味だけ調べてわかったつもりになってしまったのかもしれません。

そのもう少し先に「雨仕舞」という言葉が出てきました。こちらはきちんと調べたようで、“あまじまい”と正しく読んでくれました。しかし、その直後に現れた「雨水」は、しっかり“あめみず”と読んでしまいました。「雨水」は漢字を見ただけで意味がわかるので、わざわざ調べることもなかったのに違いありません。「雨〇」は“あま〇”と読むことが多いと補足説明しました。

もっとも、「雨水」は、二十四節気では“うすい”です。また、工場では「雨水(うすい)のピット」などというように、“うすい”と読むことがよくあります。実は、私は、気を付けないと“うすい”と読んでしまう派なのです。

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同じことをしても

7月7日(金)

今学期の金曜日は中級クラスです。昨日出された読解の宿題を回収して中身をチェックしました。

提出しなかった学生たちは論外として、提出した学生の中で最悪だったのはHさんです。読解の教科書を読んで教科書に載っている問題に答えるのですが、Hさんは教科書に付いている答えを丸写しして提出していました。これでは力が付きません。宿題をする意味が全くないじゃありませんか。

Hさんは、ぎりぎりの成績で進級した学生です。期末テストの読解は不合格点でしたが、先学期は進級できなかったこともあり、お情けで進級させてもらったのでしょう。ですから、もともと読解の力が強いとは言いかねます。それゆえ、自分の力だけでは教科書の問題を持て余してしまったのでしょう。

一方、Yさんは自分の力で問題を解き、なおかつ答え合わせまでして、間違えたところを赤ペンで直したものを提出してきました。ここまでしてくれると、教師はほとんどすることがありませんから、Yさんの間違え方をじっくり観察しました。Yさんは、問題の答えになる部分を教科書からそのまま抜き出してくることはできますが、そこから要点を切り出してまとめるということができません。これは、Yさんに限らず、中級の学生全般に言えることです。逆に言うと、これができたら中級卒業でしょう。

Yさんは自分の答えを直しながら、何を考えたでしょう。足りない点に気づいてくれたかな。同じように教科書の答えを見ていたHさんは、何も考えていなかったでしょうね。始業日2日目で、もう、同じ教材から得た物の差が目に見えてしまったような気がします。

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