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将来計画

6月8日(金)

レベル1のKさんは、中間テストは合格点を取りました。しかし、中間テスト以降の文法テストでは、連続して赤点です。中間テストも余裕のある合格点ではありませんから、来学期進級できるか不安になってきたようです。授業後の面接でも、そこのところを繰り返し繰り返し聞いてきました。

来週からのテストでしかるべき点数を取れば、計算上は進級可能です。しかし、先週今週のテストで赤点の学生が、それより内容の複雑な来週以降のテストで、今までの赤点を挽回するような高得点が挙げられるとは、到底思えません。平均して最終成績がかろうじて合格基準点を上回ったとしても、来学期進級したレベルで非常に苦しんで、おそらくその次の学期は進級できないでしょう。

一番下のレベルから進級できないのは、Kさんにとっては忸怩たる思いでしょう。しかし、一番の基礎の穴を埋めておけば、それを土台として伸びていけます。その穴を放置したまま進級してその上に何かを築こうとしても、正に砂上の楼閣です。基礎がないのですから、何回挑戦しても賽の河原よろしくそのたびに潰えてしまうでしょう。

だから、Kさんが妙に頑張ってぎりぎりの点数で上がってしまうことは、決してKさんの幸せな将来につながらないと思っています。目先の利益を追うより将来を見据えてもらいたいのですが、「進級できない=暗黒の未来」という考え方から離れられないのが普通です。こんな話は、通訳してもらっても理解してもらえないに違いありません。じゃあ、どうすれば気持ちが伝わるのでしょうか。それが、どうしてもわかりません。

勘を磨く

6月7日(木)

朝、昨日担当した中級クラスの文法テストの採点をしました。1枚目の学生が結構いい成績でしたから調子よく行きそうだと思ったら、2枚目からがガタガタで、終わってみれば赤点の山でした。

中級も後半となると、使用範囲が限られていたり、前件の動詞などの活用形が決まっていたり、後件のテンスやモダリティーに制限があったりなど、取り扱い注意の文法項目が連続して登場します。そういう文法は汎用性はありませんが、ここぞというときに使うと文が引き締まります。ですから、小論文などで用いてほしいのですが、テストの結果を見る限り、それはまだまだ先のことのようです。

学生たちはそういう文法に触れたことがないかというと、そんなことはないはずです。聞いたり読んだりはしていますが、文脈から意味がわかってしまい、そこに使われている文法はスルーしてしまっているのです。それに改めて目を向け、きちんと覚え、今度は話したり書いたりできるようになってもらおうと思っているのですが、これが一筋縄ではいかないのです。

超級ともなると勘が働いて、要注意の部分を上手にクリアして使えるようになってきます。この勘を鋭くするには、アンテナの感度を高めて、教わった文法が使われている場面をすかさずキャチして、使用状況を分析することが必要です。時々、この前こういうときのこういう文法を使っていたのだが、これは正しい使い方だろうかと聞かれることがあります。これができる学生は、一般に好奇心が強いですね。成績優秀でも自己完結してしまう学生は、ここまでには至りません。

中級の学生たちに、今、それを求めるのは酷ですが、そういう方向に成長していってほしいと思いながら、赤点を成績簿に入力しました。

6階の満員電車

5月30日(水)

こういう日に限って、授業後に追試を受けたいとか質問があるとかいう学生が多く、一刻も早く進学フェアの会場へ行きたかったのに、結構時間を食ってしまいました。そんなわけで、私が会場に入ったときは満員電車状態。どの大学のブースも、学生が鈴なりでした。

迷える子羊状態の学生がいたら、その場であの大学に行けとかそっちの大学の話を聞いてこいとかアドバイスするつもりでしたが、そんな学生はほとんどいませんでした。フェアが終わった後で参加してくださった大学の方にお話を伺ったら、下調べをしてこのフェアに臨んだ学生が多かったと、異口同音におっしゃっていました。先週からそういう指導をしてきた甲斐がありました。

それからもう1つ、大学の方が強調なさっていたことは、日本語力の大切さです。日本語でコミュニケーションが取れなければ、大学や大学院に進学しても伸びません。授業がわからないのは論外ですが、教授も自分の指示が伝わらない学生は研究の手助けもできませんから、面倒を見たくないのだそうです。日本語学校の教師は日本語のわからない学生の面倒を見るのが仕事ですから、教師が学生側に1歩も2歩も踏み込んであれこれ手助けしますが、大学の先生方はそれが主たる業務ではありません。日本語がわからなくて研究の足を引っ張りかねない学生が敬遠されるのも当然のことです。

一番困るのは、資料だけをもらって、それで満足してしまった学生です。そういう学生は、資料を読みもしないことが多いです。なんだかそれっぽい学生を何人か見かけたことが、少し気懸かりです。

目盛りをメモリー

5月23日(水)

漢字の時間に「盛」の字を取り上げました。教科書には、「繁盛」「全盛期」など、「盛」といえば「大盛り」の学生たちにとって普段見慣れない使い方が載っています。教科書に載っている用例以外に「花盛り」と板書して「読めますか」と聞いたところ、さすがに「はなもり」は出てきませんでした。私がわざわざ聞くくらいですから、「はなもり」などという単純な読み方ではないだろうということぐらいは見当がつきます。1か月以上も付き合っているんですからね。少しひねって「かもり」という答えが出てきましたが、そこまででした。

答えが出てきそうもないので、「はなざかり」と板書すると、「グォーッ」というような驚きの声が上がりました。意味を教え、この場合の「盛り」は「全盛期」の「盛」と同じなんだよと解説すると、みんな一斉にノートに取っていました。「働き盛り」「食べ盛り」「伸び盛り」などは、応用で意味が理解できました。「君たちの日本語の実力は、今が伸び盛り? それとも伸び盛りが過ぎちゃった?」なんて聞いたら、ドキッとした表情の学生もいました。

次に「目盛り」と書くと、お決まりのように「めざかり」。「めもり」と口でだけ言うと、「メモリー?」と聞き返してきました。カタカナ語の「メモリー」の日本語流漢字表記だと思ったのでしょう。これもほうっておいたら授業時間が終わるまでわからないでしょうから、定規の絵を描いて、この細かい線のことだと説明すると、みんな納得しました。

この「目盛り」なんていうのは、日本人なら小学生でも知っていることばですが、KCPに限らずほとんどの留学生は知らないでしょう。もちろん、学生たちの国の言葉に「目盛り」はあるでしょう。ごくシンプルな概念なんですが、それを表す日本語がわからないという例は、かなりあるはずです。「みんなの日本語」で取り上げるほど基礎的ではなくても、どこかで改めて取り上げられることのない単語が山ほどあります。そんな単語を、「留学生だけ知らない日本語」として、ことあるごとに取り上げています。

もどかしい

5月10日(木)

「じゃあ、5番の問題」。受験講座の物理で、EJUの過去問を練習問題として使い、学生たちにやらせました。3分ぐらい経ってから「できた?」と聞いてみましたが、反応が鈍いです。首を傾げたり下を向いて問題に取り組んでいる様子だったりで、自信をもって答えてくれる学生がいませんでした。

「みんな、問題よりも日本語を読むのが大変?」と聞いてみると、学生たちは元気なくうなずきました。このクラスは初級の学生たちが主力ですから、10行近くに及ぶ問題文を理解するのに苦労していたのです。今学期から受験講座を受け始め、でも6月に本番を迎えます。気持ちははやるものの、読み取るスピードはいっこうに速まりません。この落差にもどかしさを感じていることが手に取るようにわかります。

昨日の上級の学生たちはそんなことはなく、キーワードにアンダーラインを引いたり丸で囲んだりしてどんどん読み進んでいました。半年かそれ以上受験講座に出ていますから、知識の堆積もありますし、勘も働くようになってきました。多少失敗したとしても、大崩はしないでしょう。問題文の読解に悪戦苦闘していた初級の学生たちは、こういう学生たちと戦わなければならないのです。

日本語を読まなくても答えられる魔法のような方法があれば教えてあげたい気もします。でも、ドラえもんのおかげでいい思いをしたのび太君が結局はつけを払わされるように、日本語力をおろそかにしていたら、大学に入ってからかたきをとられることでしょう。やっぱり、学問に王道なしです。

また降ってきた

5月8日(火)

朝からかろうじてもってきた空模様ですが、午後の学生たちが帰る時間帯になってついに崩れてしまいました。昨日学生が借りて行った傘が、朝から続々と戻ってきていたのですが、再び1本また1本と減りつつあります。ついさっきも、職員室の入口のドアからぬーっと手が伸びてきたかと思うと、傘立ての傘をつかんで引っ込んでいきました。その瞬間、きょろきょろっと職員室を眺め回した顔には、一抹の罪悪感とうまいこと傘が確保できたという安堵感とがない交ぜになっていました。

たぶん、一番下のレベルに入学したばかりの学生なのでしょう。傘を借りる時の表現もまだ知らないに違いありません。そう考えると、「傘を貸してください」「傘を借りたいです」などという、レベル1がもう少し後に扱う文法的に正しい表現よりも、「この傘、いいですか」みたいなサバイバル的な表現を入れておいたほうがよかったかもしれません。そうしていれば、ぬーっの学生も、一抹の罪悪感におどおどすることなく、堂々と傘を借りられたかもしれません。

でも、これは難しいんですよね。初級で妙に易しい表現を教えちゃうと、中級になっても上級になってもそこから抜け出せなくなっちゃって、聞いていて気恥ずかしくなるような話し方をするようになっちゃいます。「大丈夫」とか「だめ」とかを連発するのなんかは、その典型と言えるでしょう。

人は見た目と言いますが、同じような考え方で、言葉も第一印象で決まることがあります。どんなにすばらしいアイデアや意見も、語られる言葉の質によっては輝きを失います。「大丈夫です」よりも「差し支えありません」とか「順調です」とかという受け答えほうが、信頼感や尊敬の念を勝ち得そうな気がします。

少なくとも上級の学生には、そういう言葉遣いを身に付けてもらいたいです。

花より日本語

4月27日(金)

実は、昨日は歯医者へ行くため早退しました。月曜の午後ぐらいから下の前歯の根元がうずきだし、歯に力が入らず、前歯でうまくかめなくなってしまいました。それでも火曜の朝まではどうにか普通の食事をしたのですが、昼食は何も取れなくなり、今通っている歯医者に電話を掛けました。私の症状を聞いた歯医者は、歯根に膿がたまっているのだろうと診断ました。しかし、予約はすぐに取れず、翌々日木曜の夕方となってしまいました。

膿を注射できゅーっと吸い出すくらいのことをしてほしかったのですが、歯医者は、歯も磨けずうがいでごまかしていた私の歯を見て、歯が汚れていたら雑菌が入って歯茎が膿みやすいとか言って、プラーク除去をし、これ以上ひどくならないようにと抗生物質を出しただけでした。

火曜水曜はおかゆしか食べられなかったのですが、ゆうべから今朝にかけては比較的調子がよかったので、普通の食事をしました。しかし、朝9時過ぎぐらいから、昨日までとは違う種類の痛みが波状攻撃を掛けてきました。午後から初級の授業なのに困ったなあと思いながら、眉間にしわを寄せつつ仕事をました。

一番下のレベルのクラスで授業を始めると、むしろいつもより大きな声が出ました。しかし、後半から御苑へ行くというのが本日のメインディッシュで、御苑へ行く時間になるとまた波状攻撃が始まりました。不機嫌そうな顔をしないようにとはしましたが、無口にはなってしまいました。

ところが、一番下のレベルはみんな日本語がわからず、みんなが力を合わせて楽しまなければ、置いていかれないようにしなければという気持ちが強いようで、無口な私は学生たちの自助精神に助けられました。教室内では全然活躍しない学生が生き生きとクラスの集合写真を撮ってくれました。御苑は花のシーズンの谷間で緑ばかりが目立っていましたが、学生たちは片言の日本語を使うことに燃えていて、花より団子ならぬ花より日本語でした。

ひらがなが書けなくても

4月20日(金)

Iさんは私が毎週金曜日に担当している初級クラスの学生です。先週は教卓のすぐそばに座っていましたが、今週は教卓から一番遠い窓際の席でした。先週はとにかく声が小さいという印象しかなかったので、教室の一番奥に座っているIさんを見て、声が聞こえるだろうかと心配になりました。

チャイムが鳴り出席を取ると、Iさんは大きな声で返事をする代わりに、思い切り右腕を真上に伸ばして存在をアピールしました。指名すると、教卓からでもかろうじて聞き取れる声でしたから、先週よりは大きな声を出しているようでした。ペアワークも楽しそうにこなしていました。少しずつ学校とクラスになじんできたのでしょう。

しかし、Iさんの課題は声が小さいことだけではありません。ひらがなカタカナも怪しいのです。みんながほぼ満点を取った語彙テストでも、合格点に遠く及ばない成績でした。その再試を授業後にしました。勉強はしてきたのでしょうが、できませんでした。答えを見ると、長音が特に弱いようです。「きょしつ」「デパト」ですからね。

再試でも間違えた問題は、その正答を5回書かせました。Iさんはそれを嫌がらず、おざなりではなく丁寧な字で書いていました。自分でも自分の状況を認識し、そこから何とか脱却しようとしていることがうかがわれました。長音が弱いということをIさんがわかる範囲の日本語で伝えると、真剣に耳を傾け盛んにうなずいていました。

レベル1の最初の10日ぐらいで再試を重ねるとなるとふてくされてしまう学生もいます。しかし、Iさんはどうにかはい上がって、国で思い描いた道に進もうとしています。Iさんと同じような学生でも殻を打ち破って大きく伸びた例も少なくありません。再試後の課題を出して帰る時のIさんの目からは、強い意志を感じました。Iさんがこの目を持っているうちは、私もIさんの力になってあげようと思いました。

発音を厳しく

4月13日(金)

今学期は、金曜日がレベル1のクラスです。代講ではなく一番下のレベルに入るのは、もしかすると、新校舎になって初めてかもしれません。

教室に入ると窓が開いていました。ひらがなテストをしている間に閉めましたが、授業をしているとどんどん暑くなってきました。3時の休み時間に廊下に出ると、空気の冷たさがとてもさわやかでした。今学期のクラスはレベル1にしては静かなほうだと感じましたが、それでも自然に燃えちゃうんですね。学生たちの何でもかんでも吸収しよう、一刻も早く上手になりたいというエネルギーは、心地よい疲労をもたらします。ランナーズハイに通じるところがあるようにも思います。

ひらがなテストを見ると、このクラスは字が汚くてどうしようもない学生がいません。ひらがなを正確に覚えていなくて不合格になった学生はいますが、字が読み取れなくて思いっきり×をつけたくなるような学生はいませんでした。「な」とか「む」とかに変な癖がなく、読みやすい字を書いてくれます。

授業が終わって職員室に戻ってきてテストの採点をしていると、D社から電話がかかってきました。どうやら外国人社員がかけているようです。発音に癖があって、私のような外国人の日本語に慣れている者には聞き取れますが、普通の日本人には厳しいかもしれません。

私にしたって、聞き取れると言っても、複雑な話をじっくり聞いてやろうという気は起こりません。やっぱり、日本で働くなら日本語力が最重要なんですね。初回から、クラスの学生たちの発音をもっとバシバシと注意してあげればよかったかなと反省しました。

3つ3冊

4月11日(水)

始業日の大きなイベントに教科書販売があります。買ったばかりの新しい教科書を手にした学生たちは、いつの学期でもどのレベルでも、みんなぱらぱらとページを繰って、新しい本特有のインクのにおいを味わいます。私も、新しい教科書を受け取ると、後ろのほうのページを見ては難しさに戦きながらも、その難しいことを理解した日の自分を無理に想像してみたりもしたものです。

午後は、その教科書販売の補助をしました。初級レベルの各クラスの学生が、クラスの先生に連れられて、今学期使う教科書や教材を買っていきました。

A先生のクラスは、KCPで勉強して2学期目の学生が主力です。2学期目の学生に必要な教科書教材は、3冊です。A先生は、各学生にそれを全部買うかどうか、確認を取ります。

A先生:Bさん、教科書は3つですか。

学生B:はい、3つください。

私:はい、3冊ですね。どうぞ(と言って、教科書3冊を手渡す)。

A先生:次の人も3つですか。

学生C:はい。

私:こちら3冊です(と言って、教科書3冊を手渡す)。

A先生:(次の学生と目を合わせて)3つですね。

学生D:3つ、必要ですか。

A先生:はい、3つ全部使いますよ。

学生D:じゃあ、3つください。

私:はい、3冊、こちらです。

…。

学生たちは、本を数える時には「冊」という助数詞を使うことは、前の学期に勉強しています。ですから、教師が本を「3つ」などと言ってはいけません。学生の前でA先生に注意したら面目丸つぶれですから、くどいほど「3冊」と言い続けて気づいてくれるのを待ったのですが、A先生はずっと「3つ」でした。

もう一つ下のレベルなら、指を3本立てながら“教科書3つ”もありでしょう。でも、「冊」が既習の学生にとって、教科書販売は“「冊」はなるほどこういうときに使うんだ“という実例を見せる絶好機でした。それをみすみす見逃してしまったのはいただけません。

日本語教師にとって語彙のコントロールは頭の痛い問題です。難しすぎる言葉を使わないようにという出力抑制型のコントロールが普通ですが、平たい表現に傾き過ぎないという意味の語彙コントロールも同じぐらい重要です。