Category Archives: 日本語

6月13日(土)

震災、仮校舎移転・新校舎建設といろいろあったためずっとお休みが続いていたKCP日本語教師養成講座の理論コースが、月末から再開されます。私も文法を担当することになっています。以前使っていた資料はあるものの、なにせ久しぶりのことなので、古いデータなどは改めなければなりません。また、私自身の頭もさび付いて勘が鈍っているところもありますから、資料を改訂しつつリハビリもしていかなければなりません。

日本人に日本語の文法を教えるなんて、呼吸みたいな本能に基づく動作に理屈をくっつけていちいち解説するようなものです。しかし、スポーツで本当に記録を伸ばそうとしたら、その本能に基づく呼吸のしかたにもメスを入れる必要があります。日本語教師という日本語のプロになるには、本能的に使いこなしている日本語文法を見つめなおして、最高のパフォーマンスを追求していくことが求められます。

日本人にとって日本語は空気か水のようなものだとしたら、日本語学習者とは空気や水の取り入れ方を知らない人たちです。だから、立派な大人に息の吸い方や、気管に入れないように水をのどに通す舌やのどの動かし方を教えるようなつもりで、日本語文法や言葉の意味などを教えていかなければなりません。

私は、日本語文法やふだん何気なく使っていることばの意味を、そういう観点から考え直したりその考察結果に基づいて学習者に教えたりすることが好きです。そのおもしろさを、ほかの人にも味わってもらいたいと思っています。私にとっての養成講座は、日本語を見つめなおすおもしろさ、楽しさを伝える場です。

幸いにも(?)、今回の講座は定員にまだ余裕があります。これをお読みの皆さん、一緒に楽しんでみませんか。校長ブログのちょっと下をクリックすると、養成講座のページに跳びますよ。

三平方の定理

6月2日(火)

漢字の授業では、教科書に出てくる熟語のほかにいくつかの言葉を紹介します。どの先生がどんな単語を取り上げているかはわかりませんが、私はどうしても理系的な言葉を入れたくなります。たとえば「直」では、直す、直接、正直の3つが「直」の字の用例として挙げられています。理系人間にとって「直」は「直角」「直線」「直流」の直です。初級の学生に対して「直流」の説明は難しいですが、「直角」は絵を描けばすぐにわかってもらえます。

確かに、日常生活において「直角」とか「直線」とかを使うチャンスはありません。そんなのよりも「素直」とか「やり直す」とかなんていうのを教えたほうがよっぽど役に立つでしょう。でも、それじゃあ私は面白くありません。数学アレルギーの学生もいるでしょうけれども、「直角三角形」なんていうのはどこの国でも勉強している事柄ですし、そういう純粋に学問的な言葉を日本語でどういうかを知るというのも、学生たちの喜びにつながっていると思います。学生たちはテストになんか出るわけがないことを承知の上で、板書をノートに書き写しています。

「万有引力」とか「光合成」とかを授業で語彙として取り上げることは、日本語教師としての私のとがっている部分だと思っています。学生も私が受験講座の理系科目を教えていることを知っていますから、そういう言葉が出てくることを半分期待しているところもあります。自分自身仕事を楽しむという面からも、私はこういう授業をやめるつもりはありません。

さて、明日の漢字には「定」の字がありますから、「三平方の定理」なんてやっちゃおうかな…。

くっつく?

6月1日(月)

「『歩く』の「止める」と「少ない」はくっつけませんよね」「ええっ、くっつけますよ」「でも、私の見た本にはくっつけないって書いてありましたよ」「漢字の教科書ではくっついてますよ」と、初級のS先生とT先生がやりあっていました。上級のテストだったら、くっついていようがいまいが、上に「止」が、下に「少」が書いてあったら〇だけどなあと思いながら聞いていました。

今学期は初級クラスに入っていて、私も漢字を教えます。はねるとかくっつけるとかいうのを自分なりにチェックしてはいるのですが、学生から細かいところを突っ込まれて苦しくなることもあります。私は、画数が違っていなければいい、読めればいいと思っています。「土」と「士」は違う字ですから上が長いか下が長いかを厳密にチェックしますが、「本」の1画目が多少長かろうと短かろうと気には留めません。「見」と「貝」はきっちり区別しなければなりませんから、脚の部分の曲がり具合は厳しく目を光らせます。しかし、その脚と上の「目」の部分がくっついているかいないかは、どうでもいいと思っています。

ところが、中間テストの採点を見ると、私などどこが間違っているのかわからないのに不正解とされている答えがあります。なんで×なのか学生に聞かれたら、「上級なら〇なんだけどね。初級は字の形をきちんと覚えなければなりませんから、もう一度教科書をよ~く見てください」と言って逃げます。ま、半分は本当のことですからね。

外国人留学生に漢字の基礎をたたき込まなければならないことは疑いのない事実です。中国人には中国語の漢字と日本語の漢字が微妙に違うことをうんと強調しなければなりません。しかし、そういう子細にわたる部分にこだわり過ぎると、漢字に対する苦手意識を持たせてしまうのではないかと思うのです。それが高じて漢字アレルギーになってしまったら、元も子もありません。

言葉はコミュニケーションの道具です。文字であってもそれは変わりません。誤解を生まない範囲であったら、多少字形が不細工であっても、〇なんじゃないでしょうか。私自身がいい加減な漢字を書いているから、自己弁護のためにこんなことが言いたくなるのかな…。

読解の採点

5月20日(水)

中間テストの採点をしました。上級クラスの読解を担当しましたが、結果は一言で表すと「まだまだ」です。

文章が読めていないのではありません。選択肢のある問題や本文の一部を抜き出す問題は、そこそこできます。しかし、作問者の意図をくみ取り、その意図するところに答える力や、読み取ったことを文字化するところに難点があります。記述式になると、何を問われているかつかみきれない姿や、表現力不足で頭の中を伝えられない様子が思い浮かびました。非常に好意的に採点したつもりですが、それでもばっさり減点せざるを得ない答案が何枚かありました。夏から始まる大学や大学院の入試を考えると、不安を覚えずにはいられません。

何名かの学生が模範答案に近い答えを出してきていますから、問題が難しすぎたとは思っていません。それ以外の学生は、文章全体を俯瞰して答えるという、上級の読解問題に必要な問題の解き方が身に付いていないのです。設問に答えながら文章の理解度を深めるという読み方が足りません。読解の授業は、教師からの質問に答えていきながら、文章の表面から見えない何物かに気付いていくものです。教師側もその追究に甘さがあったかもしれません。

さて、この学生たちの読解力はどう伸ばしていけばいいでしょうか。彼らの人生を左右する試験が迫りつつあります。それまでに何とか形にしてあげなければなりません。

Mさんの変身

4月24日(金)

夕方、職員室で仕事をしていてふと目を上げると、カウンターにMさんがいるではありませんか。Mさんは今年の卒業生で、今月からB専門学校に通っています。

学校は大変だと言っていましたが、表情には悲壮感はなく、むしろその大変さを楽しんでいるようでした。学校は毎日朝から夕方まで、宿題もたくさん出ますから学校以外で4時間ぐらい勉強しているそうです。学校へは定刻の30分ぐらい前に行きます。遅刻が多く、出てきても予習してこないこともたびたびだったKCP時代からは想像もつきません。

専門の勉強が大変なら、高度な専門性を身に付けるために進学したのですから、当然のことですね。だから、まだ始まってから1か月も経っていませんが、順調な滑り出しではないでしょうか。日本語はどうかって聞いたら、動機の留学生の中で自分が一番話すのがうまいと言っていました。学校で一言もしゃべらない留学生もいるとか。MさんはKCPの発話訓練をがっちり受けていきましたから、これもまた当然の結果ですね。KCPの厳しさの意味がわかったとも。そんなことを話すMさんの話し方は、1か月ちょっと前までに比べると明らかに進歩していました。

Mさんが日本語でつぶれていないことを聞き、日本語を教えた立場としては一安心です。送り出すときは少し不安な日本語力でしたが、本当に好きなことが勉強できるとなると、私たちが感じる以上の力が沸いてくるのでしょう。こう考えると、専門の勉強の力って偉大なものです。KCPのように留学の入り口の学校が持ち得ない、留学生をひきつけ脱皮させる力があります。うらやましく感じます。

でも、きっと逆もまた真なりで、専門学校や大学がうらやむ条件がKCPにもあるはずです。それを見つけて、教えることそのものを楽しみたいです。

電話を取る

4月10日(金)

新学期が始まってからの数日は、午前も午後も授業の終わった直後は、いろんな手続や問い合わせなどの学生が大勢訪れて、事務所の前は大混雑です。事務職員総出でその学生たちをさばきます。私などは事務手続きには詳しくないので、電話番なんかの形で事務職員の後方を支えます。

4:45に午後の授業が終わるや否や、初級の学生の大波が押し寄せました。そのときに電話が鳴りました。

「はい、KCP地球市民日本語学校でございます」「私は今年の3月に卒業したEと申します」。お、私のクラスだったEさんじゃありませんか。「この前インターネットで申し込んだ書類が10日にもらえることになっていましたが、もうできていますか」「はい、10日となっていたら受け取れると思います」「では、これから取りに行ってもよろしいですか」「はい。でも、本当に今すぐですとちょっと混雑しておりまして、少しお待ちいただくことになるかもしれませんが」と、ちょっと他人行儀に。「1時間ぐらいかかりますが、まだやっていますか」「それぐらい後でしたら、もう窓口もすいているかと思います」「わかりました。では、その頃行きます。ありがとうございました」

風邪をひいて声がしゃがれていたせいか、Eさんは最後まで電話の相手が担任だった私だったとは気がつかなかったようです。でも、立派な電話の受け答えでした。どこに出しても決して恥ずかしくありません。こういう話し方ができるように、私たちは訓練してきたんですよ。なんだかうれしくなっちゃいました。

自分からきちんと名乗ったところが、KCPの学生らしくないですね。在校生は何回注意しても電話で名乗りません。「お前は声だけで誰だかわかってもらえるほどの有名人とちゃうやろ、アホ!」と言ってやりたいのをぐっとこらえて「すみません、あなたのクラスとお名前は?」と優しく聞いてしまう自分が、少し悲しいです。

「アー」とか「ウー」言わずに、用件を流れるような日本語で伝えてきたところもすばらしいです。たどたどしさがなく、かといって冷たいビジネスライクでもなく、気持ちよくテンポよく話ができました。

6時少し前に、そのEさんが書類を取りに来ました。H大学の大学院に進学したEさん、大学院は遅刻もできないとこぼしつつも、夢が叶ってやりたい勉強ができる喜びを満面に表していました。

もう忘れちゃった?

4月3日(金)

初級のDさんは期末テストの文法と漢字の点数がちょっと足りなかったので、先週末、昨日来るようにと呼び出しをかけていました。電話を持っていないので、メールを送っておきました。しかし、来ませんでした。メールを見ていなかったそうです。寮の職員に電話を掛けて呼んでもらい、ようやく連絡がつきました。

そのDさん、今日の午後学校へ来ました。期末テストの範囲をしっかり勉強しておくようにと、先週末のメールには書いておいたのですが、それが伝わったのが昨日とあっては、十分な勉強をしてきたかどうかは怪しいものです。

その悪い予感が的中し、Dさんに確認テストを受けさせましたが、成績が下がってしまいました。期末テストが終わってから1週間ちょっと、どうやら遊びまくっていたようです。その成績が下がった答案用紙を目の前にしても、どこを直したらいいのかよくわからない様子でした。教科書を見ても、全部を直しきることはできませんでした。

そりゃそうですよ。初級じゃまだ頭に日本語の体系が定着していませんからね。Dさんは授業中でも母語を使うことがありましたから、特にそうでしょう。そこへもってきてメールにも目を通さないほど遊んじゃったら、なんにも残っちゃいませんよ。学期休み中に一時帰国した学生が、休み明けに日本語が出てこなくて、本人も教師も呆然としてしまうのと同じです。

語学は反復練習が大切です。頭や耳や目にある程度体系ができあがれば、多少のブランクならどうにかなるでしょう。でも、その手前の学習者にとっては、ちょっとの油断が「一歩前進、二歩後退」になりかねません。いや、「ふり出しに戻る」っていう例もいくつも見てきました。

Dさんには学期が始まるまでの宿題を出しました。あまりの量の多さに顔を引きつらせていましたが、それぐらいあれば遊ばずに毎日日本語脳を鍛えることになるでしょう。さて、新学期、Dさんはどんな顔で登校してくるでしょうか。

元日

4月1日(水)

今日からKCPに新人の職員・Oさんが入りました。KCPの教職員で初めての平成生まれです。学歴が昭和で完結してしまっている私なんかからすると、平成元年なんてほんに昨日ですよ。学生はもうだいぶ前から平成生まれが入っていて、今では昭和生まれは貴重な存在です。でも職員ですからね。これから仕事を頼んだり頼まれたりする間柄ですからね。感慨もひとしおと言うか、新鮮な驚きがあります。

Oさんは大学を出た後アメリカで働いていて、英語はペラペラだとか。今日は初日で英語を使う場面はありませんでしたが、そのうち実力を遺憾なく発揮するところが見られることでしょう。KCPの場合、英語が流暢なだけでは勤まりません。学生の気持ちをくみ取り、学生の心に訴えるコミュニケーションが求められます。英語に血が通っていなければなりません。

お昼過ぎにOさんから挨拶のメールが。簡にして要を得たメールで、しっかりした人柄が感じられました。私がKCPに入ったときはまだメールが普及しておらず、みんなの前でまとめて挨拶して終わりだったような気がします。もしメールがあったら、これだけの文章が書けただろうかと思いました。

Oさんのメールに感心するちょっと前に、来週月曜の入学式で在校生代表として挨拶することになっているCさんが原稿を持って来ました。何か所か手を加えましたが、こちらもまた感心させられる内容でした。新入生には翻訳文を通しての訴えとなりますが、ぜひとも耳を傾けてもらいたい話です。

OさんとCさん、今日は2人の小気味いい文章に触れられました。おかげで、2015年度の元日から、幸先のいいスタートが切れました。

春らしい日

3月17日(火)

今年初めて東京の気温が20度を超えました。朝、コート、マフラー手袋という厳重装備で外に出たら、頬に当たる空気がなんとなく柔らかくてびっくりしました。私のうちの最寄り駅は、去年太陽光発電パネルを設置したとかで、改札口に発電状況をしめるパネルが取り付けられました。その中に現在の気温が表示されているのですが、今朝はそれが11.8度でした。こんなに高かったらコートを置いてきたのにと思いました。

今日はO先生の代講で、「らしい」を扱う授業をしました。伝聞の「らしい」のほかに、典型的な性質・特徴を表す「らしい」もしました。窓の外は陽光がきらめいていました。風も弱く、「春らしい」を導入するにはもってこいの天気でした。「今日は3月17日ですから『春らしい日』でいいですが、今日がたとえば1月17日なら何と言いますか」と学生に聞いてみました。「春みたいな日」が出てきて、この2つの違いがストンと入ったようです。

私は教室への行き帰りには外階段を使うことが多いのですが、今日は夕方になってもほんのりと暖かさが残っていました。桜の開花予想は、早い予想で23日、来週の月曜日です。今日ぐらい暖かい日が続いたら、あっという間に咲いちゃうでしょうね。

先週のI先生の代講で入ったクラスの作文に、美しいものの代表として日本の桜を挙げている学生がいました。その学生は今年が桜初体験のようで、とても期待していることがうかがわれる文章でした。その学生の期待に違わぬ見事な桜が、もうすぐ東京のそこここで見られます…。

すばらしい例文

3月5日(木)

「Tさんって、例文が上手ですよね」とS先生が言いました。「勉強した文法項目をちょうどいい場面に当てはめてますから、感心させられます」と、Tさんの例文にほれ込んでるご様子。

「いやあ、気の利いた例文はみんなスマホを使って拾ってきてるんですよ」と私。「え、そうなんですか。いつの間にスマホをいじってるんですか」「すきあらばすぐですよ。板書している最中とかほかの学生の質問に答えてるときとか、こちらが目を向けていないときはほとんどじゃないですか」「全然気がつきませんでした」「そりゃ、Tさんだってバカじゃないですから、教師に見つかるような使い方はしませんよ」

Tさんの例文はできすぎのところがあります。どう考えても本人の実力以上の語句が使われていたり、あんたこの場面想像できるのって言いたくなるようなすばらしい場面設定だったりします。そして、手がいつも机の下なんですね。何より、一字一句違わぬ例文が、席が遠く離れたMさんからも出されていたのが動かしがたい証拠です。

そのTさん、つい先日のテストでは短文作成の問題がボロボロでした。それが大きく足を引っ張り、クラスで最低の成績に沈みました。そばらしい例文は、やっぱり付け焼刃でした。

Tさんもスマホ中毒だと思います。スマホを頼ればなんでも問題は解決できると思っているのでしょう。いや、授業中であろうともいじらずにはいられないのかもしれません。いじるついでに例文のネタも見ちゃっててるに違いありません。ヘタをすると、いじってるという意識すらないんじゃないかな。

Tさんは極端だとしても、各教室に1人や2人、あるいはもっと多くのTさんがいます。禁止するだけではどうにもならない山が動いています。