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密かな天気予報

2月23日(土)

今学期は、始業日の前から天気予報を追いかけてきました。バス旅行当日の天気をきっちり予報しなければならなかったからです。栃木県日光地方の週間予報をずっと記録し、1週間前に出された予報がどのくらい当たるか追跡していました。

結論から言うと、思っていたよりも当たっていました。ただし、予報は、日光江戸村そのものずばりではなく、日光市今市のですから、当てやすかったとは思います。今市はぎりぎり北辺であっても関東平野ですし、関東平野なら冬は基本は晴ですから。日光江戸村は、今市から鬼怒川を7~8キロほどさかのぼった谷あいにあります。その分雪も降りやすいですし、川に沿って吹き抜ける風が思わぬいたずらをしないとも限りません。

現に、江戸村のはずれのほうには溶けかけた雪がわずかに残っていました。また、今市の予報は1日中晴でしたが、江戸村はくもりがちの時間帯もありました。風はけっこう冷たく、私は手袋をして歩きました。そうはいっても雨には降られず、また、凍えるほどの寒さでもなく、そういう点では今市の予報でも十分役に立ちました。

2月21日について言えば、週間予報が出たときからずっと晴ベースの予報で、現実にも晴でした。前日か遅くとも当日未明のうちに低気圧が関東近辺を通り抜け、21日は好天という予報でした。低気圧は予報より早く、19日のうちに抜けた模様で、1週間前の予報では雨だった20日も、実際には晴れでした。もし、バス旅行が20日だったら、バス旅行実施可否の最終決定日に、自信を持ってGOサインを出せたかどうか疑問です。

この次に私が真剣に予報を出さなければならないのは、4月の学期が始まってからの御苑でのお花見の日でしょう。芝生に腰を下ろすとなると、前夜の雨や当日朝の冷え込みによる朝露まで考慮に入れる必要があります。また、4月ともなれば日差しが思いのほか強いので、そちらの心配もします。責任感で胃は多少痛くなりますが、その痛みが楽しみだといったら、Mでしょうか…。

忍者大流行

2月21日(木)

「先生、忍者ですか」と、何人に聞かれたでしょうか。今回のバス旅行では、日光江戸村内でKCPの教職員のだれかが忍者となって5種類の江戸時代グッズのどれかを持って歩いているので、その教職員を見つけてシールをもらい、5種類コンプリートすると、記念品がもらえるという企画を実施しました。それで、学生たちは私も何か持っているのではないかと見て、忍者か聞いてきたというわけです。中にはあからさまに「先生、シールありますか」と聞いてくる学生もいましたから、そういう学生には「シールはないけど、ごみならあるよ」と、ポケットからくしゃくしゃに丸めたビニール袋を出すと、あわてて逃げていきました。

私が引率したクラスでは、Yさんが見事に5種類のシールを全て集めました。どんな賞品かは知りませんが、今学期で帰国するYさんにとっては、いい思い出になったのではないでしょうか。Yさんに限らず、卒業予定の学生たちは、KCPでの生活の名残を惜しむかのように、江戸村のアトラクションを楽しんだり屋台で買った串などを食べたりしていました。

今までになく人気を集めていたのが、手裏剣道場でした。その前を通るたびに誰かが出入りしていましたし、手裏剣を的に命中させてゲットした賞品を見せびらかしている学生もあちこちにいました。KCP忍者とかいってあおったからでしょうかね。

もちろん毎度おなじみの変身を楽しんだ学生もいました。和装をすると、普段顔を合わせている学生も見違えてしまいます。着付けが上手だからという面も見逃せませんがね。私も毎度おなじみの変身をしました。今年もお大尽様をさせていただきました。学生から「江戸村の役者さんみたいですね」と言われて、「KCPをやめたらここに就職しようかな」なんて、いい気になっている私がいました。

比例

2月18日(月)

中間テストがありました。午前中は卒業クラスの試験監督をしました。今学期は私が入っていないクラスですが、大半が以前受け持っていたり選択授業のクラスにいたり受験講座を受けていたりということで、何がしかの接触がある学生でした。そりゃあ、2年近くいたらどこかで引っ掛かりがあるものですよ。

そういう彼らが、KCPで最後の試験に呻吟しています。ある学生にはここが踏ん張りどころだと心の中で応援し、別の学生にはいい気味だと冷たく見ていました。申し訳ないけど、授業態度が悪かったりそもそも欠席が多かったりする学生は、あんまり応援したくありませんね。えこひいきするわけではありませんが、ひたむきに努力を重ねている学生は、そっとおしりを押してあげたくなります。

さて、夕方から、その学生たちの採点をしました。おしりを押したくなった学生は、手心を加えるまでもなく合格点を取り、応援したくない学生は多少甘めに付けたところで不合格でした。教師の好みに合うとか合わないとかという以前に、授業をまじめに聞いていない学生は点が取れないのです。きっちり授業に参加してきた学生は、それなり以上の成績を収めるものです。

テストの採点と並行して、バス旅行の準備が進められています。明日はしおりを配って行程の説明をします。日光江戸村の中でいつ何を見るかも決めていかなければなりません。教師は行き帰りのバスの中で何をするかも決めておかねばなりません。バス旅行が終わったらすぐに卒業式です。あれこれ行事が重なって忙しいのが、毎年のこの時期です。

成人の日

1月15日(火)

昨日は1月の第2月曜、成人の日で休みでした。成人式らしい人を2人ばかり見かけました。でも、私の感覚では、成人の日はいまだに1月15日です。調べてみると、ハッピーマンデー制度によって成人の日が1月15日ではなくなったのは2000年のことで、もうすぐこの制度ができてから生まれた人たちが成人式を迎えるのですね。

今年のKCPの成人式は、古式に則ったわけではありませんが、本日・1月15日でした。この日が成人の日だったのは元服の儀式が行われたことにちなむので、本当は軽々しく動かすのはいかがなものかと思います。でも、元服の頃の1月15日はもちろん旧暦で、現在の暦とは時期がだいぶ違いますから、あんまりこだわってもしょうがないとも言えます。

式は昼休みに行われました。せっかく本来の成人式の日である1月15日になったのに、儀式らしく正装で参加した学生が少なかったのは残念でした。でも、きちんと成人式の意義を理解してスーツ姿で来てくれた学生を見ていると、うれしくもあり、こちらも気を引き締めねばと思えてきます。

大人になるとは、“すごい”と思われることが少なくなることだと挨拶しました。できて当たり前、して当然と思われることが多くなるのです。それは責任が増すことにも自覚が求められることにもつながります。こういった周りからの期待に応えていかねばならないというプレッシャーも感じることでしょう。それらを乗り越えて、家族からも友人からも教師からも一目置かれる存在になることが、大人になることなのだと思います。

正装で式に臨んだ学生たちは、大人の自覚が芽生え始めているんじゃないかなと思いながら、スピーチを終えました。

入学式挨拶

みなさん、本日はご入学おめでとうございます。このように世界の各地から大勢の方々がこのKCPに入学してくださったことをとてもうれしく思います。

先学期、新聞記事を教材にした上級クラスでの読解の授業でのことです。今の日本のありようを批判的にとらえたその記事を読んだある学生は、「東京は日本で一番有名な町だけど、日本を代表する町ではない」と自分の意見を述べました。

その記事は東京の現状について書かれているけれども、今の日本が遍くそうだというわけではない。東京の人はここに書かれているようにふるまうけれども、東京以外に住んでいる人たちの行動様式はこれとはだいぶ違う…ということが言いたかったようです。

実に鋭い意見だと思いました。その学生は日本へ来て1年半ほどですが、日本をよく観察しています。また、日本をより深く知ろうともしています。確かに、東京が抱える諸問題と東京以外の地方の喫緊の課題には大きな差異があります。例えば東京は電車の混雑をどうにかしなければならないことが鉄道会社にとっても行政にとっても大きな問題ですが、乗客が減り続けて廃線の危機に瀕している鉄道会社とそれをどうにか防がねばと頭を悩ませている自治体も数多くあります。そういうことも踏まえ、東京を知ったとしても日本を知ったことにはならないと言おうとしたのでしょう。

また、東京は国際的な町だとも言われます。しかし、これは裏を返せば世界のどこの大都市とも共通性があり、みなさんの国の大都市の様子に一番近いのが東京だということでもあります。東京の生活に慣れたといっても、それは自分の国の町からほんのちょっと外側にある町の空気が吸えるようになったというに過ぎません。

東京だけを見て日本を知った気にならないでください。みなさんが国で得てきた現代の日本像は、東京像と言っても差し支えないでしょう。その日本像を東京で再確認するだけでは、わざわざ日本へ来た意味がありません。しかも同国人のコミュニティーの中で暮らしていくとしたら、国で勉強していたほうがよっぽど効率的かつ経済的です。

ですから、努めて外を向いてもらいたいのです。自分の国では体験できないことを体験するのが留学の意義だとしたら、1つでも多くの異質に触れることで留学の価値が決まるのだとしたら、東京で学校の宿題とゲームにだけ明け暮れる生活は意味がありません。留学を通して新たな視点を養いたかったら、居心地の悪さは覚悟の上で、苦労が伴うことも承知の上で、新たなフロンティアへと踏み出して行く必要があります。

さらに、外国人労働者受け入れ拡大政策によって、日本の国の外国人に対する姿勢が大きく変化しようとしています。みなさんがKCPを卒業し、日本で進学し、その進学先を卒業する頃には、留学の意義と価値が今以上に問われる社会になっていることと思います。留学という隠れ蓑をまとい、サブカルを楽しむだけの学生生活を送っていたら、数年後の日本社会から弾き飛ばされてしまうでしょう。

しかし、これは同時に、東京だけではなく日本を真に理解し、日本社会やひいては世界に貢献しようという人材に成長していけば、未来は限りなく広がってくるということをも意味します。視点を東京の外に移し、自分の国も日本も東京も客観視できる目を養ってください。そのためには、私たち教職員一同、喜んで手をお貸しいたします。

本日は、ご入学本当におめでとうございました。

2年前の宿題

12月22日(土)

12月の卒業式は対象者が少なく、入学の学期がみんな同じなので、毎年暖かい雰囲気になります。多くの学生が初級から上級まで経験していますから、多くの先生の手を経ており、先生の顔とそのレベルでの思い出が直結しています。同じ行事や経験を共有していますから、不思議な連帯感も流れています。

今年もそういう感覚が色濃く現れた卒業式となりました。私にとっては、2年前の入学式での校長挨拶の内容を覚えていてくれたことがうれしくもあり、驚きでもありました。2年前、私は入学生に宿題を出し、その答えは卒業するときに教えると挨拶の中で述べました。その宿題について聞いたら、何名かが2年間ずっと気に留めていてくれたのです。

その宿題とは、日本人は映画のエンドロールを最後まで見る人が多いが、それはどうしてかというものでした。まあ、留学生は日本で映画を見る機会はそんなにありませんから、答えにたどり着けなかったのはやむをえないところがあります。でも、それを考え続けることで日本人の心のひだの一端にでも触れることができたとしたら、宿題を出した側としては大満足です。

さて、その答えですが、日本人は物作りに携わる人に敬意を払う文化が根付いているというのが、私の意見です。映画ならカメラを回した人やタイムキーパーや衣装さんや、監督や俳優以外の映画作りに携わった人にもしっかり拍手を送ります。これ以外にも、物事を陰で支えている人にも注目する人は多いです。これは、日本の美風だと思います。近頃、その美風が損なわれてきているのではないかと、少々心配しています。

卒業生たちは、明日からそれぞれの道を歩き始めます。

何も見ずに

11月2日(金)

私が西立川駅に着いたのは8:20頃でしたが、すでにいつも朝早く学校へ来る学生が何名か開門を待っていました。昭和記念公園でBBQをするときいつも心配なのは、電車が止まることです。中央線が運転見合せなどということになったら、行事自体を中止しなければならないかもしれません。でも、そんなことはなく、三々五々、先生も学生も集まり始めました。

BBQが始まると、私はいつものように火付けお世話係です。火をつけるとみんなうちわであおぐのですが、炭に火が燃え移るまでは我慢しなければなりません。炎を吹き消してしまうことにもなりかねませんから。そして、炭が赤くなったら、真上から思い切りあおぎます。酸素をどんどん送り込んで、火勢を強くします。でも、ここで寝ている赤ちゃんに風を送るようにやさしくあおいでいるんですよね、学生たちは。私が腕がちぎれんばかりにあおぐと、みんな目を丸くして見ていました。

BBQ恒例の料理コンテストは、きのこ料理というお題で各クラスが腕を競いました。今年は予選があって、予選通過作品のみ本選審査員が賞味するということになっています。さすが、予選を勝ち抜いてきただけあって、私のところまで運ばれた料理は一流のものばかりでした。甲乙つけがたいところを無理やり順位付けをして、審査員が一斉に発表したところ、私が選んだ料理は多数決で敗れてしまいました。でも、お金を払ってでも食べたい一品、いや逸品料理でした。

料理コンテストが終わると、すぐにごみの分別チェックです。中には分別がまるでできていないクラスもあり、一緒に分別し直していたら、持って行った軍手がぬちゃぬちゃになってしまいました。ペットボトルのラベルをはがしてつぶして持って来たクラスもあったんですけどね。

気がついたら解散時刻。そういえば、園内の花や紅葉を全然見てなかったなと思ったのも、後の祭りでした。

入学式挨拶

10月10日(木)

皆さん、本日はご入学おめでとうございます。このように多くの若者が、入学してくださったことを大変うれしく思います。

皆さんは、今、大きな夢を抱いてこの場にいると思います。「若者」を形容する言葉として、「無限の可能性」などという語句もよく用いられます。しかし、皆さんの燃え滾る心に冷や水をかけるようなことを申し上げて恐縮ですが、KCPでの皆さんは、その無限の可能性を1つずつつぶしていくことが最大の仕事となるでしょう。国から携えてきた夢を完全にしぼませてしまったみなさんの先輩方は数限りなくいます。こうして打ちのめされて再び立ち上がれなかったら、留学は失敗です。自分の夢や可能性を冷静に見極め、次々と消し去り、最後に残った珠玉の1個に賭ける、そして、その賭けに勝利する土台を築くことこそが、みなさんぐらいの年代の若者に課せられた試練です。

自分より数段優れた同級生を間近に見て、この人にはかなわないと己の実力を悟ることもあるでしょう。努力しても成績が伸びない自分に苛立ちを覚えることもあるでしょう。悪魔の誘惑についつい負けてしまう自分をふがいなく思うこともあるでしょう。独り暮らしの寂しさに耐え切れなくなることも、健康を害して言い知れぬ不安に襲われることもあるでしょう。そういう自分の負の側面を直視できずに挫折しそうになることもあるでしょう。しかし、そういう数々の苦難が、みなさんを磨き上げ、社会に出てから遭遇するであろうさらに大きな困難に打ち勝つ原動力をもたらすのです。

自分は何に長じていて何に欠けているか、自分はどちらに向かうべきか、何に知力体力労力を傾けるべきか、それを考え続け、結論を出し、その道に向かって歩み始めるのが、このKCPでの皆さんの仕事です。これは自分自身に見切りを付ける作業でもありますから、辛く厳しい過程になるでしょう。でも、皆さんはいつまでも子供ではありません。大人になるということは現実と正面から向き合うということです。たとえ皆さんが留学という選択をしなかったとしても、これはいつかどこかでしなければなりません。いつまでもこの問題から逃げている人をモラトリアム人間と呼んだこともありました。私はみなさんにそういう人間になってほしくはありません。留学は、この問題にきちんと片を付ける絶好の機会です。そして、人生の大きな目標を定め、それを見据えることができるようになったら、国へ帰った時周りの人から「留学して成長したね」言われることでしょう。

自分の夢や可能性の中から、自分の一生を捧げるに値するものを見つけ、その道を邁進していってください。私たち教職員一同は、喜んでそのお手伝いをいたします。

本日は、ご入学本当におめでとうございました。

急成長

10月6日(土)

Yさんが入学式の在校生代表スピーチの練習に来ています。私は直接練習を見ていませんが、職員室に入ってきたときの表情を見る限り、かなりの手応えを感じているのではないかと思います。

Yさんは先学期の末に志望校への合格が決まり、今は上げ潮です。受かった勢いでスピーチを引き受けてしまったところもあるように思えましたが、どうやら決して勢いだけではないようです。難関を乗り越えたことで自分を信じられるようになり、その自信が体中からほとばしり出ているのです。わずかな間に大きく成長したと思います。来週の入学式では、先輩としてきっと堂々たるスピーチをし、新入生の目標となってくれることでしょう。

思うに、Yさんはプレッシャーを糧に伸びていける学生なんじゃないでしょうか。正直に言うと、Yさんが志望校に出願した時には、「当たって砕けろ」になるだろうなあと思っていました。でも、試験日が近づくにつれて、はたで見ていても力をつけてきたことがわかり、もしかすると…という気になってきました。そして、合格発表であり、在校生代表でありというわけです。

この姿を、国のご両親に是非お見せしたいです。さぞお喜びになることと思います。YさんはKCPの一番下のレベルから始めていますから、文字通り長足の進歩です。親御さんも今のYさんをご覧になったら、留学させてよかったとお思いになるに違いありません。

しかも、Yさんはまだまだ伸び盛りという感じがします。卒業までの半年、後輩たちをぐいぐい引っ張っていってもらいたいです。

お茶にしびれた?

7月4日(水)

久しぶりにお茶会に参加しました。アメリカの大学のプログラムで来ている学生たちの文化体験の一環としてお茶の授業があり、クラスの学生たちの引率をしたというわけです。

毎学期行われている茶道クラブのお茶会は、受験講座の時間と重なるため、ここ数年全然参加していません。ですから、作法を覚えているだろうかと危惧していましたが、残念ながらそれが杞憂とはなりませんでした。先週、担当のO先生からレクチャーを受けていたのですが、それを本番で生かせず、小声でさんざん注意されてしまいました。やっぱり継続的に練習しないと、作法は身につかないのですね。うまくできたのは、蹲で手と口を清めるところだけでした。このしぐさは、寺社にお参りするときにしていますから、実は継続的に練習しているのです。

私のクラスは日本語がほとんど通じない学生たちばかりですから、蹲での所作も私のを見てまねします。もうこの時点で緊張気味なのがよくわかりました。でも、みんなであれこれ指示を出し合って、全員がお茶を飲み終わるまで無作法にならないように協力していたのは見事でした。先週初めて顔を合わせたばかりなのに、全員で立派なお茶会を作り上げようという雰囲気が盛り上がっていました。

茶碗を回したり最後にズズッと音を立てて飲み干したり、学生たちにとっては異文化そのもののお茶会だっただけに、最後まで興味を失わず、真剣に取り組んでいました。ただし、足はすぐしびれてしまったようで、O先生に認められた横ずわりをしていました。また、お茶を点てる体験では、Cさんがとても上手だとO先生にほめられました。茶筅を動かす時の音が違いましたから、私が見ても手際がいいことがよくわかりました。

この学生たちがもう少し日本語が上手になったときに、もう一度、今度は日本語で文化を語りながら、一緒にお茶を飲みたいと思いました。