Category Archives: 学生

顔と名前

7月6日(木)

今学期私が担当する上級クラスは、先学期のクラスで考えると大きく2つのグループから成り立っています。お互いほとんど接触がなく、何も手を打たないとクラス内に壁ができてしまうかもしれません。ですから、始業日恒例の自己紹介に代えて、数人ずつの小グループをいくつか作り、そのグループのメンバーの顔と名前を覚えるようにと指示を出しました。

ここまで言えば、上級の学生ですから、名前を言い合ったり簡単な自己紹介を始めたり、さらには雑談に発展したりと、グループのメンバーを自分の頭に印象付けようと工夫をしていました。メンバーを組み換えると、1回目より要領よく顔と名前を覚えようとしていました。

もう少し詳しく観察すると、グループ内で自然発生的に生まれたリーダーがノートか何かを回して、各人の名前を書かせているところと、そうではなくて、音やリズムを頼りに顔と名前を一致させようとしているところがありました。上級だとやはり文字を介したほうが覚えやすいのでしょうかね。

私が新しいクラスの学生の名前を覚えるときは、名前に特徴的な漢字が含まれていたら、その漢字をキーにして顔と名前を記憶します。名前の読み・発音が独特なら、それと顔を紐づけます。外見が印象深かったら、もちろん、それが幹となり、名前その他がそれにぶら下がります。

このクラスでは、文字派が若干優勢でした。最後にクラス全員の顔と名前を覚えましょうということになったら、「先生、ホワイトボードに1人ずつ名前を書いていってください」ということになりました。過程はどうであれ、クラスのみんなが、みんなの名前を覚えて仲良くなってくれたらそれで目標達成なのですから、言われたとおりに名前を書きました。

クラスメートの名前を覚えてくるのを宿題にして、明日のM先生に引き継ぎました。M先生は、明日の朝いちばんで、「この学生はだれ」とやってくださることでしょう。

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盛り上がりの陰で

6月29日(木)

昨日の午後、アメリカのプログラムの学生たちは、数グループに分かれて都内へ見学に出かけました。午前の授業は、見学してきたことの発表会でした。6階の講堂がさらっと埋まるほどの学生の前で、パワーポイントを使ってプレゼンテーションしました。私のクラスの学生たちをはじめ、日本語がほとんどできない学生も多いため、発表そのものは英語でした。日本社会の見学、文化体験が主たるテーマでしたから、満足に使えない日本語よりも、自由に意思疎通ができる英語で自分たちの見聞をみんなで共有することに重きを置きました。

逆にこちらは学生たちの話が完全には理解できませんでしたが、発表した学生たちの新鮮な驚きは十分に伝わってきました。学生たちはといえば、英語での発表だったからなのでしょうか、質疑応答が活発でした。その様子を見ながら、今学期や先学期のタスク発表の様子を思い出しました。沈黙が続いて、教室内に重苦しい雰囲気が漂うこともたびたびありました。

学生にとっては外国語である日本語での発表を聞き、その日本語で質問するというのは、中上級の学生たちにしても重荷だったのかもしれません。ただ、気になったのは、聞き手の学生たちの表情でした。生き生きしていたアメリカのプログラムの学生たちに対して、中上級の学生たちには“させられている感”が見られました。受験勉強以外には興味が持てないのでしょうか。知的好奇心の欠如とは思いたくありません。

予定の時間をオーバーして発表・質疑応答が行われている間、7月期の期末タスクはどうすればいいかなあなどと考えていました。

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東京で好きな物

6月28日(水)

お昼少し前に、先週金曜日に入ったクラスのアメリカのプログラムで来ている学生たちが、職員室に現れました。習ったばかりの文法や単語を使って、教師にインタビューしてくるというタスクのためです。職員室にいた教師が3人ずつぐらいの学生から、インタビューされました。

私のところへ来た学生は、「はじめまして。Aです。どうぞよろしくお願いします」「はじめまして。Cです。どうぞよろしくお願いします」はじめまして。Jです。どうぞよろしくお願いします」とあいさつしました。しかし、AさんとCさんは金曜日に私と会っています。2人もそれはわかっているはずですが、「はじめまして。…」と言ってしまいました。おそらく、先生が授業で示した例の通りにあいさつしたのでしょう。

初級の最初の頃の学生たちですから、聞けることはたかが知れています。「何時に学校へ来ますか」「何時まで働きますか」「趣味は何ですか」などという程度です。ところが、Jさんは「東京で好きな物は何ですか」と、予想外の質問をしてきました。一瞬答えに詰まりましたが、逆質問してもJさんを困らせるだけです。ですから、「好きなところ」とか「好きな建物」とかではないかと想像し、「スカイツリーです」と答えました。すると、それを聞いたCさんが「sky tree は、いいです。私も好きです」と、英語だけきれいな発音で突っ込んでくれました。どうやら、そんなに的を外さなかったようです。

授業後、担当した先生に話を聞くと、みんな満足したようです。またしたいと言っていたそうです。大半の学生が、生の日本人と話したのは初めてだったでしょうから、そのぐらいの感動があってもおかしくはありません。この感動を忘れないでほしいですね。忘れ去ってしまうと、中級あたりで沈殿することになってしまいますから。

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アンダー1階

6月22日(金)

学生たちは学期休みですが、KCPの教師はアメリカのプログラムで来日した学生の授業をしています。私も午後の授業を担当しました。

いつもは一番下の、日本語ほとんどゼロのクラスを担当することがほとんどでしたが、今年は下から2番目のクラスを教えることになりました。手始めに自己紹介をしてもらったら、できるんですね、これが。一番下のクラスだと、名前を言うのがやっとくらいなのですが、ランクが1つ上がるだけで、「初めまして」とか「どうぞよろしくお願いします」とか、前後に付け加える言葉がスムーズに出てきました。また、「アメリカの〇〇から来ました」スムーズに出てきましたし、同じ出身地が続くと「私もアメリカの〇〇から来ました」とやってくれました。想定していたレベルよりも高くて、面食らってしまいました。

こうなると、余計なことを教えたくなるものです。絵を使って「1階、2階、3階、…」をやった後、地下1階を指さして「ここは?」聞くと、「アンダー1階」とか「グラウンド階」とかという答えが返ってきました。「地下1階」と正解を教え、さらに地下鉄の“地下”と同じだと付け加えました。でも、デパ地下は遠慮しときました。

そんなことより何より、3年数か月ぶりにマスクなしで授業をしました。“5類”以降、マスクをしない学生も出てきましたが、クラス授業ではずっとマスクを着用してきました。でも、午前中、このクラスの教室をちらっとのぞいたら、みんなマスクをしていませんでしたから、私もしないことにしました。新学期は、通常クラスもマスクなしで行こうかな。

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平均すると同じだけど

6月22日(木)

先週実施した上級の実力テストの結果を分析してみました。クラス平均を出すと、上のレベルのクラスから下のレベルのクラスまで、下克上が起こらずきれいに並びました。レベル感の差がいくらか不均等なのが気になりましたが、順当な結果です。

ところが、平均点がほとんど同じクラスのヒストグラムを比較すると、全然違っていました。ピークの位置が、Aクラスは40点台、Bクラスは60点台、Cクラスは50点台なのですが、ピーク前後のすそ野の広がり方でうまく調節ができてしまったみたいで、平均点はいずれのクラスも50点台で、さほど違いませんでした。標準偏差を求めると、Cクラスが幾分小さい程度で、これまた大差はありませんでした。

DクラスとEクラスは、平均点はEクラスのほうが3点弱高いです。しかし、ヒストグラムにすると、Dクラスのピークは80点台、Eクラスのピークは70点台でした。ところが、Eクラスの最低点は50点台なのに対し、Dクラスには40点台、30点台もいました。この学生たちが足を引っ張って、Dクラスの平均点はEクラスを下回ったのです。集団内のばらつき度合いを表す標準偏差は、Dクラスのほうが5点ほど高いです。平均点だけ出して満足していてはいけないんですね。

さて、これと期末テストの結果も踏まえて、7月期のクラス編成をしなければなりません。点数順に輪切りにしてしまえれば楽なのですが、進路指導をはじめ、他の要素も考慮しなければなりません。クラス授業だと、教師としては、リーダー的な学生が1人は欲しいです。学生間の相性もありますしね。頭が痛い季節が来ました。

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しちがつよっか

6月21日(水)

7月期に入学する学生3名に、オンラインで面接をしました。プレースメントテストでほとんどの新入生のレベルは決定できるのですが、上のレベルと下のレベルのボーダーライン上だったり、各科目の成績がアンバランスだったりする場合には、新入生本人にインタビューしてレベルを決めます。新入生のレベルは、高すぎても低すぎてもいけません。レベルの見極めが大切です。

最初の学生はCさん。仮レベル4ですが、よく話せます。大学院進学希望とのことでしたから、専門的なこともちょっと聞いてみました。すると、答えられるかなと思って聞いたことにも、こちらの興味を引くような話をしてくれました。今学期受け持ったクラスもレベル4でしたが、そのクラスの中でも上位の学生と同等の会話ができました。4の終わりの学生と同じということは、新学期レベル5ですね。

次はKさん。こちらの判定はレベル5ですが、話した感じはCさんより少し劣りました。口の滑らかさはCさんですね。来日の日付を「さんじゅうがつ」なんて言ってしまうあたり、話し慣れていないのかな。その30日に来日し、毎日KCPに通えば、どうにかなるかもしれません。しかし、JLPTの成績は、CさんよりKさんの方が20点ぐらい上なんですね。プレースメントテストで測れる力はこちらの点数に近いですから、妥当な評価だったのでしょう。

最後のLさんは、レベル1にするか2にするかの判定です。独学で8か月やってきたとのことですから、その独学のやり方により、1にも2にもなります。「いつ、日本へ来ますか」と聞いたら、Lさんは「しちがつよっかです」と即答。「ななげつよんにち」とかという、独学の初級の学生が犯しがちなミスはせず、発音もきれいに答えてくれました。これは、レベル1に入れてひらがなの練習からさせたら気の毒かな。

入学式で、この3人に会うのが、今から楽しみです。

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楽しかった考

6月20日(火)

久しぶりにアメリカの大学のプログラムで来ている学生の修了式に出席しました。今学期私のクラスだったDさんやTさん、先学期教えたMさん、オーラルテストで接触のあったJさん、Aさんなどが今学期で勉強を終えて帰国しますから、ちょっと顔を出そうと思ったのです。

修了証書を渡した後で、修了生には日本語でスピーチをしてもらいます。みんな、多少はヨイショもあるでしょうが、日本語の勉強や日本での生活は楽しかったと言います。だけど、これは、修了証書をもらった時点で思い出の美化がなされ、苦しかったことの記憶は薄れてしまった面も多分にあると思います。

DさんやMさんは非常に優秀な学生でしたからそうでもなかったでしょうが、Tさんは漢字に悩まされ続けました。漢字がわからないことが、読解や文法にも響き、テストで合格点が取れないこともありました。入学時は日本語ゼロだったのに、今はそういうスピーチができるまでになったことに喜びを感じているのでしょう。

KCPで勉強する学生の中には、アメリカの超一流校の学生もいます。そんな学生も、テストで合格点が取れなかったら再試を受けなければなりませんし、時間内に作文が書けなかったら授業後に残されます。本人が言わない限り、クラスの学生は、その学生がそんな大学の学生だということを知りません。自分より日本語ができない学生と見ているかもしれません。そうなると、超一流校のプライドもズタズタでしょう。

それでも「楽しかった」ということは、歯ごたえのあるタスクに巡り会えた喜びの表明のような気もします。そうだとすると、さすが超一流校の学生だけのことはありますね。

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強者がより強く

6月19日(月)

今学期最後の授業で、私のクラスは文法の復習が中心でした。復習問題が宿題として出されていましたから、まずはその答え合わせ。でも、宿題をやってきたのはできる学生がほとんどで、本当に復習してほしい学生ほど、白紙でした。テストじゃなくて宿題ですから、わからなかったら教科書でもノートでも先生に添削してもらった例文でも今までの平常テストでも、参考にできる資料はいくらでもあるはずです。そういうのを引っ張り出して見直したり振り返ったりするのが面倒くさかったのでしょうか。確かに、昨日EJUがあり、そちらを優先しなければならなかったでしょう。でも、EJUを受けたDさんやKさんはちゃんとやって来たのに、EJUを受けなかったSさんやYさんがやって来なかったのはどういうわけでしょう。

宿題もやって来ないし今までの成績も悪いしという学生を何とか救おうと、間違えやすいところ、似たような表現の使い分けなどを板書すると、それを1字たりとも見逃すまいと書き写すのは、NさんやLさんのような成績のいい学生です。私がターゲットにしていたJさんやMさんたちは、板書を見ているだけでした。「あんたたちのために説明してるんだよ」と、声を大にして訴えたかったですが、私に言われて渋々ノートを取るようでは、授業後にそれを見直すこともないでしょう。

その後、金曜日にやったテストを返却し、間違えた学生が多かった問題について考え方、解き方を、「教科書の〇ページを見てください」と指示しながら説明しました。ここでも、耳を傾けていたのは、その問題が正解だった学生たちでした。結局、できる学生はより一層基礎が固まり、できない学生はスカスカのままでした。聴解の練習教材も公開していますが、これを活用するには、きっと、わざわざ練習する必要のない学生たちばかりなのでしょう。

できる学生はさらに実力を伸ばし、できない学生は停滞から脱する見通しも立たず、という状態で今学期の授業が終わってしまいました。お金はお金持ちのところにどんどん吸い寄せられ、貧乏人はいつまでたっても貧乏なままという世の中の構図が、お金を日本語の実力に置き換えると、このクラスにぴったり当てはまります。

これを打破できなかったあたりが、今学期の反省点であり、来学期の課題です。

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久しぶりに会うと

6月17日(土)

直前特訓なのか悪あがき講座なのか、それは学生それぞれで違うでしょうが、EJUの前日、読解と聴解・聴読解の過去問を解く授業をしました。毎学期、この授業の初回と最終回は、私が担当することになっているのです。

先々週の大雨の日以外は毎週参加していたEさんは、初回に比べると力をつけた感じがします。2か月前の初回はさんざん苦労していた読解なんか、余裕で時間内に解き終わっていました。その大雨の日も来たOさんも、初回は顔をしかめながら聴解問題に取り組んでいたのが、最終回は平然と聞いて、さらっとマークしていました。1回1回の授業では気が付かないものの、期間をあけると、成長の跡が歴然としてきます。

EさんにしろOさんにしろ、EJUの練習はこの授業だけではなかったでしょう。1週間に1回、わずか3時間だけでは、これだけの違いは生まれません。この授業は、各学生のペースメーカーみたいなものです。土曜日の授業でたくさん正解しようという気持ちで、速読の練習をしたり、ニュースの聴解のようなまとまった聞き取りに挑戦したりしてくれれば、この授業の目的は達せられたことになります。

同じようなことを、週1日だけ入っていた上級クラスでも感じました。「こいつら、上級の授業について来られるかなあ」というのが、4月の初授業後の感想でした。毎日の積み重ねは大きなもので、最後の授業では、私の想定以上の答えがザクザク出てきて驚かされました。もちろん、毎週出席はしていましたがやる気のかけらも感じられなかったCさんなどは別ですが。

EJUを受けるくらいの学生や、上級の学生は、初級の学生とは違って、実力の伸びを実感する場面がなかなかありません。「こんなことをして、何になるんだろう」と思いたくもなります。でも、そのネガティブな気持ちに押しつぶされないでください。まっすぐ前を向いて歩み続ける学生には、必ず夜明けが訪れます。Cさん、あなたの夜明けは当分来ないでしょうが…。

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志望理由書は難しい

6月16日(金)

Rさんは今学期の新入生で、レベル1に入りました。でも、あさってのEJUを受けることはもちろん、来週出願締め切りのW大学を受験しようとしています。W大学は出願の際に志望理由書を提出しなければなりません。その下書きのチェックを担任のS先生に依頼したのですが、理系学部志望ということで、S先生から私のところに回ってきました。

日本語そのものは、翻訳ソフトか生成AIか何かに頼ったようで、意味が通っています。長さも、字数を正確に数えたわけではありませんが、見た感じでW大学の基準を満たしていそうです。コンピューターの力を借りたにせよ、レベル1の学生にしてはよくやったと思います。

しかし、中身は全然でした。W大学で勉強したいことをはっきり書いてあるのはいいのですが、Rさんの志望学部学科ではその勉強はできません。まるっきり的外れではありませんが、それを勉強したいからW大学のその学部学科というのには、無理があります。これは痛いですね。それ以外の志望理由はありきたりで、多くの受験生を集めるW大学では全く目立ちません。「有名ですから」「設備がいいですから」じゃあねえ…。

とはいえ、国の高校を卒業したばかりの、しかもレベル1のRさんに、他の受験生とは異なる志望理由を書けという方が酷です。日本人の受験生だって、有名だからとか友達に大きな顔ができそうだからとか自分の偏差値で行けそうだからとかという、留学生入試の面接でそんなことを言ったら一発アウトになりそうな理由でW大学を選んでいるのが大半じゃないでしょうか。

Rさんだって、本音を言えば、何はともあれW大学なのだと思います。深くは知らないW大学への志望理由書を書けと言われて当惑し、手探りでどうにか規定の字数まで書いたというのが実情でしょう。今年の経験を活かし、来年の今頃、立派なW大学の志望理由書が書けるようになっていてほしいです。

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