Category Archives: 進学

発想の違い

6月25日(木)

期末テストの作文を採点しました。Tさんの作文は、1段落目を添削したところで採点をあきらめました。何回も読み返しましたがTさんの主張内容がついにつかめず、「言いたいことがわかりません」というコメントを書いて、Fをつけました。

採点をあきらめたということは教師として白旗を揚げたことになりますが、そのくせ学生に対してはFという強気の態度で臨むのは、なんだか理不尽なような気もします。今学期指導し続けてきたにもかかわらず改善しなかったのは、教師の力量が及ばなかったのか、Tさんの学力が足りなかったのか…。

Tさんの文章を読むと、思いついたことをどんどん文字にしているような感じがします。与えられた課題に対してブレインストーミング並みにどんどん単語を出し、それをそのまま原稿用紙に書き付けているように、脈絡のない文が並んでいます。一文の中でも主語と述語がねじれているくらいですからね。

授業中によく書かせた短文レベルだと、ターゲットとしている文法や語彙を使ってそれなりの文が作れるのです。しかし、文をいくつか並べた文章となると、とたんに意味不明となってしまいます。話をさせても、Q&Aレベルならどうにかなりますが、今後の進路についてなどというまとまった話になると、理解するには相当な気合が必要になってきます。

Tさんの場合、どうも私たちとは思考回路がかなり違うようです。Tさんからすると、先生はどうして私の気持ちをわかってくれないんだろうというところかもしれません。私は時間をかけてTさんと話し合ったことがありますから、少しはTさんの気持ちや考えが理解できます。それでも作文の採点をあきらめざるを得なかったのですから、EJUの記述はどうだったのでしょう。志望校によっては小論文もありますし、面接はどこでもあります。Tさんは決してバカじゃないだけに、かえって暗澹たる気持ちになります。

勝つやつが強い?

6月20日(土)

スポーツやゲームなど、戦いには、「強いやつが勝つ」類のものと、「勝つやつが強い」という発想のものとがあります。前者は、試合場に赴くまでにどれだけ実力を蓄えたか、すなわち、いかにたくさん練習し、鍛錬し、時には涙を流したかで勝敗が決します。後者は、試合の現場で運や流れがつかめるかどうかが勝ち負けの分かれ目になります。じゃんけんなんかは後者の典型でしょうね。

入試という勝負事は、「強いやつが勝つ」と言いたいところですが、そうとばかりは言えません。入試を行う側は「強いやつが勝つ」ゲームにしようと思っていますし、それに参加する受験生たちもそういうつもりで勉強しています。試験前日までは「強いやつが勝つ」のです。しかし、試験会場に入るや、「勝つやつが強い」というルールに変わってしまうのです。どんなに力を蓄えても、その力が試験場で発揮できなかったら、実力がないとみなされてしまいます。

ですから、実力は伸ばしたり蓄えたりするだけではなく、いかに発揮するかも考えておかなければ、受験戦争に勝利することはできません。ところが、受験生はこれをおろそかにしちゃうんですね。

現場で実力を発揮するには、まず、当日いらぬ心配事を抱え込まぬことです。受験票を忘れたとか、試験会場を間違えたとか、寝坊して走ってやっと間に合ったとか、おなかが痛くなったとかということにならないように、準備を万全に、体調を整えておくことです。シャープペンシルに長い芯を入れておくなんていうことも、その一つでしょう。

それから、現場で芽を出しそうな不安の種を押さえ込むことです。時間が空いたらトイレに行っておいて、試験中に尿意を催すことのないようにしておくとか、冷房の効きすぎを想定して、羽織るものを持って行ったり半袖を避けて暑かったら腕まくりするようにしたりとかです。

明日は、EJU本番です。「強いやつが勝つ」でも「勝つやつが強い」でも、どっちでも最後に笑ってほしいです。

厳しい話

6月11日(木)

6月も半ばに差し掛かり、7月期に向けての動きが始まっています。私は受験講座の説明をしています。今まではニュートラルな立場で受験講座の内容を説明してきましたが、今回は厳しい話をしています。

毎学期、受験講座開講当初はどうしたらいいかわからないほどの数の学生が集まりますが、最後まで続く学生はあまり多くありません。最初は張り切ってあれもこれも何でも受講を申し込みますが、各科目の勉強はそんなに生易しいはずがなく、挫折を余儀なくされる学生が後を絶ちません。途中でやめると、こちらの事務処理も面倒くさいですが、それ以上に学生の心に挫折感が残るのではないかと危惧しています。

そういう学生を減らすために、あえて厳しい話をし、それを乗り越える自信と覚悟がある学生だけを受け入れようと考えているのです。現時点で受験勉強を何もしていなくて、来春の進学なんて土台無理な話です。自分の適性を見極めて大学で何を勉強するか決めるなんていうのは、国にいるうちにしておかねばならない仕事です。また、決して楽しいとはいえない受験勉強を合格するまで続けられる精神力と肉体のタフさも必要です。

話をしているうちに、聞いている学生たちの顔つきが暗くなってきました。それでも日本で勉強したいという気持ちに変わりはないか、申し込み締切日まで自問自答し続けてもらいたいです。

建築と絵と化学と

6月9日(火)

Tさんは建築を勉強しようと思っています。当然EJUの理科系の各科目が必要なのですが、化学には抜きがたい苦手意識を持っています。また、絵も下手だからデザイン方面の建築は向かないと言います。だから耐震構造みたいな建築をするのかと言えば、微分や積分がたくさん出てくる教科書はあまりやりたくないそうです。

要するに、自分が今持っている能力だけで進学し、ちょっと響きもカッコもよさげな建築の勉強を始めたいというわけです。これはちょっと虫が良すぎるんじゃないでしょうか。だって、努力しないで大学に入ろうというのと同じじゃありませんか。Tさんと面接をしましたが、そこのところで堂々巡りです。物理は比較的好きだから勉強してもいいけど、できれば数学は避けたいし、化学は絶対にいやっていうスタンスを崩そうとしません.代替案として建築デザインを出しましたが、絵を描くという一点において却下です。

クラスでのTさんは、明るく活発ないい学生です。グループ活動にも積極的に参加し、柔軟な考え方で活動を前に進めようとする姿勢が感じられます。しかし、自分の進路となると、妙に意固地になるのです。何で建築なのかもはっきりしません。実は、「建築」とは言っていますが、何も決まっていないのかもしれません。楽に進学したいことが見え見えです。

7月20日ごろに今回のEJUの結果がわかるから、それを見て最終決定しましょう、ということにしました。でも、こういう学生は決められないものなのです。こちらからどんな提案を出しても、自分の思っていることと同じでなければ受け入れないでしょう。EJUで完膚なきまでに叩きのめされれば無条件降伏を受け入れるかもしれませんが、そうでなければ淡い幻想を追い求めてさまよい続けるでしょう。

午後からも授業があるのに、スカッとしない面接をしてしまいました。

キックオフ

6月5日(金)

午前の授業が終わり、職員室で簡単な事務処理をしてから講堂に向かうと、講堂は大変なことになっていました。進学フェアに参加した学生で、立錐の余地もないほどでした。どの大学のブースもすでに大勢の学生が並んでいていましたが、学生たちは、志望校の情報を得ようと、みんな神妙な顔つきでおとなしく並んでいました。

話を聞いている面々を見ていると、大学院志望の学生がかなり来ていました。中には自分の研究計画書みたいなものを入れたタブレットを見せて相談している学生も。そこまでいかなくても、知りたいことをまとめたメモを見ながら質問している学生はけっこういました。事前に聞きたいことをまとめておくようにと学生に言っておきましたが、こちらの想像以上に周到な準備をしてきた学生が多かったようです。

去年までは、ブースによっては学生が途切れる瞬間もあったのですが、今回は時間が来るまで引きも切らずという状態でした。もちろん、「お前が〇〇大学? 絶対無理」っていう学生もいましたから、まだ夢を見ている学生も多いです。だからブースを訪れた学生全員がその大学を受けるわけではありません。大学院志望ならなおのこと、そんなに何校も受けることなどできませんから、本当に受験する学生は、ごく一部でしょう。合格し、入学するとなると、さらにもっと少ないです。でも、この場でその大学を知り、オープンキャンパスなどに参加していくうちに、「いいなあ」から「好き」、「入りたい」、「入ろう」、「絶対入るぞ」と気持ちを育てて、本当にその大学に進学する学生もいないとも限りません。

来週から、この進学フェアに基づいた進学相談も来ることでしょう。この進学フェアは、受験シーズンのキックオフです。

受験したい

6月3日(水)

初級のOさんは17年に国立大学に入りたいと言っています。学部は、「よくわからないけど、将来貿易会社に入りたい」とのことでした。また、国立大学なら東京や東京近郊にはこだわりません。

要するに、漠然と国立大学に入りたいと思っているだけです。そう思うことはとても大切ですが、まだ受験勉強の大変さを知らないので、この気持ちを最後まで持ち続けられるかは疑問です。進学コースの学生は入学と同時に厳しくしごかれるので、Oさんと同じぐらいのレベルの学生ならもう少し具体像を描いていますし、初志を維持する難しさもだんだん感じてきています。進学コースではないOさんは、そこのところから始めなければなりません。

先学期私が担当した初級クラスの学生だったHさんは、学期末に急に「大学進学したい」と言い始め、受験講座に申し込み、進学コースの学生と一緒に勉強を始めました。しかし、すでに挫折し、大学進学はあきらめてしまいました。受験勉強を続け、最初に考えていた大学に入ることは無理だということがわかったと、少し寂しげに言っていました。Oさんもそうなってしまうのではないかと心配しているのです。今は意気込んでいますから何でも「大丈夫」と言ってしまえますが、1年半後も同じ気持ちでいられるでしょうか。

若者が成長するには挫折も必要です。しかし、味わわなくてもいい挫折まで引き受ける必要はありません。大学受験は単なる勢いや流れで首を突っ込むと、無用のダメージを受けるおそれがあります。Oさんにはじっくり考えて、最終判断するように指示を出しました。

独立を果たした

5月13日(水)

夕方、テストの採点をしていると、「卒業生のKさんが先生に会いたいって言ってますよ」と呼び出されました。受付まで出て行くと、9年前に卒業したKさんでした。かつての面影も残っていましたが、何より、白くて細かい歯が並ぶ笑ったときの口元が全く変わっていませんでした。

Kさんは、KCP卒業後、B専門学校に進学し、そこを卒業してから日本で就職し、昨年末に独立を果たしたと、今までの歩みを語ってくれました。仕事はきつかったけれども、その合間を縫って起業家セミナーなどにも参加して、知識を得るとともに人脈も築いていったそうです。

進学先を卒業したら日本で就職し、経験を積んで、いずれは自分の会社を作る――学生たちはそんなふうに自分の夢を語りますが、それを実現させられる学生は少ないです。大学や専門学校に入れば自動的に知識や技術が身に付き、就職しさえすれば自然に経験が積めて、自分が思い描いたような社長への道が開けると思っている学生が多いのではないでしょうか。現実がそうではないことは言うまでもありません。

KさんはKCPにいたころから積極的で、授業で習った言葉や文法をすぐにアルバイト先で使ってみたり、スピーチコンテストで賞を取ったり、入学式で在校生代表で挨拶したり、奨学金に応募してそれを勝ち取ったり、卒業生代表に立候補して見事にその務めを果たしたりと、自分の手で自分の道を切り開いてきました。こういう人物だからこそ日本で就職できたのであり、自分の将来に資する知識や経験を選び取り身に付けられたのであり、今は自分1人の事務所とはいえ、独立できたのです。

Kさんの話す日本語は、ら抜き言葉の入り具合まで日本人的であり、同窓会会報に載せる近況報告を書く筆の進みようも非常に滑らかで、ビジネスの世界にしっかり根を下ろしていることがうかがわれました。Kさんの会社で従業員を雇うときにはKCPの学生もよろしくねなんて、頼んじゃったりもしました。Kさんのビジネスが大きく羽ばたくことを祈ってやみません。

Mさんの変身

4月24日(金)

夕方、職員室で仕事をしていてふと目を上げると、カウンターにMさんがいるではありませんか。Mさんは今年の卒業生で、今月からB専門学校に通っています。

学校は大変だと言っていましたが、表情には悲壮感はなく、むしろその大変さを楽しんでいるようでした。学校は毎日朝から夕方まで、宿題もたくさん出ますから学校以外で4時間ぐらい勉強しているそうです。学校へは定刻の30分ぐらい前に行きます。遅刻が多く、出てきても予習してこないこともたびたびだったKCP時代からは想像もつきません。

専門の勉強が大変なら、高度な専門性を身に付けるために進学したのですから、当然のことですね。だから、まだ始まってから1か月も経っていませんが、順調な滑り出しではないでしょうか。日本語はどうかって聞いたら、動機の留学生の中で自分が一番話すのがうまいと言っていました。学校で一言もしゃべらない留学生もいるとか。MさんはKCPの発話訓練をがっちり受けていきましたから、これもまた当然の結果ですね。KCPの厳しさの意味がわかったとも。そんなことを話すMさんの話し方は、1か月ちょっと前までに比べると明らかに進歩していました。

Mさんが日本語でつぶれていないことを聞き、日本語を教えた立場としては一安心です。送り出すときは少し不安な日本語力でしたが、本当に好きなことが勉強できるとなると、私たちが感じる以上の力が沸いてくるのでしょう。こう考えると、専門の勉強の力って偉大なものです。KCPのように留学の入り口の学校が持ち得ない、留学生をひきつけ脱皮させる力があります。うらやましく感じます。

でも、きっと逆もまた真なりで、専門学校や大学がうらやむ条件がKCPにもあるはずです。それを見つけて、教えることそのものを楽しみたいです。

選択授業の前に

4月21日(火)

今学期は選択授業の曜日に初級クラスに入っているため、先週の木曜日から始まっている中級以上の選択授業もどこか別世界の出来事のように感じられます。3年前に選択授業が始まってから、毎学期何らかの形でかかわってきましたが、完全に外れるのは初めてです。

初級はみんなで一緒に基礎固めという発想で、選択授業は設けていません。どういう進路にせよ必須で身に付けておかなければならない日本語を勉強しているのが、KCPで言えばレベル1から3までです。やはり「みんなの日本語」は疎かにはできません。また、逆に言うと、「みんなの日本語」の文法を確実に使いこなせれば、入試の面接だって小論文だって怖くはありません。

そうやって築いた基礎の上に、レベル4以上で自分の夢に手が届くような楼閣を組み立てていきます。どんな楼閣にするかは各学生次第ですが、基礎がいい加減だったらまさに砂上の楼閣になり、夢はついえてしまいます。

ところが、学生たちは無理をしたがるんですよね。少しでも早くという気持ちはわかりますが、「急がば回れ」とか「急いてはことを仕損じる」とか言いますから、無理を重ねて見切り発車じゃ、留学が将来の肥やしにならなくなってしまいます。

その無理をしたがる学生の気持ちに付け込むような学校が、最近増えてきたように思います。青田買い的に日本語が未熟な学生を集めて、いったいどういう教育をしているのだろうという学校です。教育は安売りすべきではありません。高等教育はちょっとお高く止まっているくらいでちょうどいいのです。大衆化、国際化と言えば聞こえはいいですが、その実が学生の頭数合わせや入学金稼ぎだったら、羊頭狗肉もはなはだしいです。

学生たちには夢を叶えてほしいです。でも、日本で夢を叶えようというなら、日本語の基礎をつけてからですよ。

C評価をどうしよう

4月20日(月)

先週の火曜日に書かせた初級クラスの作文を明日返さなければならないので、午前中、その採点をしました。先週のうちに下読みをしておいたので、採点基準に従って成績を決めていきました。すると、かろうじてB評価という程度の学生ばかりで、C評価も続出というありさまでした。

意味不明の文を書いている学生はあまりいませんでしたが、文法や表記のミスで次々と点が引かれ、不合格を何とか免れたという成績になってしまいました。授業ではよく短文を書く課題がありますが、日本語で長い文章を書く練習はあまりしていません。そのため、同じような内容の文を繰り返したり、主語と述語が合っていないねじれ文になったり、難しい表現を使おうとして自滅したりしたため、大きく減点された学生もいます。

作文指導は、今まで中級以上ばかりをしてきましたが、その時点で日本語の文構造がわかっていないと思われる学生が多々おりました。今学期はもう一段階前の学生たちが相手ですから、そういう芽をつぶしていこうと意気込んでいました。しかし、どうもそれ以前のところから指導していかなければならないようです。

どの言語でも、四技能のうち「書く」が一番難しいと思います。情報を受信するよりは発信する、音声言語よりは文字言語のほうが難しいものです(英語を「読む」より「話す」ほうが難しいという日本人は例外的存在?)。これをこなしてこそ、語学の最高峰に立てるのであり、大学や大学院の入試に「書く」課題が多いのも首肯すべきことです。私が受け持っているクラスの学生の大半は日本での進学を考えていますから、この山を乗り越えないことにはどうにもなりません。

さて、明日はどうやってこの作文を次へのステップにつなげましょうか。これからそれを考えます。