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方針転換?

9月7日(木)

去年、新入生の学期に初級で受け持ったLさんを、今学期、上級でまた受け持っています。新入生の学期の面接では自信満々で、KCPで勉強することは何もないというくらいの勢いでした。初級クラスに入れられたのはKCPに見る目がないからだと言わんばかりでした。理系志望で、11月のEJUで300点ぐらい取ってM大学あたりに入るという計画を語っていました。

しかし、思い通りにはいかず、今年の6月のEJUでは日本語以外はさんざんで、その成績では理系の学部学科には出願できません。今年4月に進学できなかったら、W大学かC大学を受けると言っていましたが、そんなのは夢のまた夢になってしまいました。そこで、とりあえず文転を考え、出願に総合科目の成績がいらないO大学やK大学の経済学部を志望校として挙げてきました。でも、11月のEJUは、理系受験で捲土重来を期しています。

留学のビザで日本語学校にいられるのは、最長で2年ですから、Lさんは来年の3月にはKCPを卒業しなければなりません。その時に行き先が決まっていなかったら、帰国しなければならないのです。それなのに思わしくない成績に直面し、焦りを感じて文転を考え始めたようです。

しかも、Lさんにはメンツがありますから、できるだけ偏差値の高い大学というこだわりがあります。ぎりぎりの妥協線がO大学であり、K大学は本当にどうしようもなくなったらというつもりのようです。

理科系なら受験講座を取ってくれていたら、私もあれこれアドバイスしたり、受験講座の授業を通して勉強のペースを示したりできたのに、そういう接点がありませんでしたから、こういう事態になってしまいました。3月に卒業したSさんみたいに、うるさいくらいまとわりついてきれくれたら、いくらでも知恵を貸してあげられ、こうなる前にどうにかできたと思います。

そうはいってもどうにかしなければならないのが、私たちの役割です。さて、どう引っ張っていきましょうか…。

予定変更

8月25日(金)

Sさんは、去年国でJLPTのN2を取りました。それを手土産に、4月に日本へ来て、1年でW大学に進学するつもりでした。しかし、その目論見は潰えつつあります。

まず、KCPのプレースメントテストで初級に判定されました。さらに、その初級クラスでもすばらしい成績というわけにはいかず、今学期の中間テストでもどうにか合格点を確保したに過ぎません。そして、ようやく、今の自分の力ではW大学など夢のまた夢で、来春進学できるとしたら、Sさんの考えている大学より数段落ちるところだろうということを悟りました。大学のレベルで妥協するのではなく、予定を1年延ばすに至りました。

Sさんは12月にN1を受けるつもりでその勉強もしていますが、わからないことだらけで困っているそうです。文法テストの間違え方を見る限り、基礎部分がスカスカでN2合格だって奇跡に思えてきます。よほど気を引き締めてかからない限り、W大学の入試の長文読解や小論文に堪えられる実力をあと1年でつけることは不可能でしょう。

話すほうも単文が中心で、いかにも初級という感じです。単文と単文の間に抜け落ちている接続詞や「たら」とか「ても」とか論理性を担う語句などを補わなければなりませんから、こちらがかなり歩み寄らないと、コミュニケーションが成り立ちません。このままだと、Sさんがどんなに立派なことを考えていたとしても、面接官を始め、それをどうしても理解してもらいたい方々に伝えることも難しいでしょう。

来週は夏休みです。どのクラスでもたっぷりと宿題が出ています。みんな、みっちり勉強して、力をつけてもらいたいです。

選択肢が好き

8月24日(木)

Zさんは中間テストの読解がほとんど白紙で、もちろん不合格でした。他の科目に比べてあまりにも悪すぎるので、面接の時にいったいどうしたのかと聞きました。すると、EJUやJLPTのような選択肢の問題はいいけれども、文章で答えなければならない問題は見ただけでやる気がなくなると言います。中間テストの読解はそういう問題が多かったので戦意を喪失し、さんざんな成績になってしまったというわけです。半分は読解がわからないことに対する言い訳でしょうが、問題文から読み取った内容を文の形でまとめることができないのだとしたら、非常に由々しきことです。Zさんは大学進学を目指していますから、なおさら大問題です。

マークシートに順応しすぎた学生は珍しくありませんが、ここまではっきり言い切った学生は記憶にありません。Zさんの志望校の入試は面接だけです。というか、筆答試験のある大学をたくみにはずしたと言ったほうが正確かもしれません。そんなにまでして筆答試験を避けても、進学後に読む専門書の読解には選択肢が用意されていません。大学での学問をなめているように思えます。

翻って、日本人の高校生はどうなのでしょう。Zさんほどの筆答嫌いが学校にあふれているとは思いたくありませんが、選択肢の補助がないと文章の読み込みが十分にできない生徒が増えつつあるのかもしれません。若者が読書に当てる時間が短くなったと言われています。また、過激な言説が増えているのも、強くはっきり書かれていないと自分自身が読み取れないから、自分が書いたり話したりするときに力こぶが入りすぎてしまうのではないかとも思っています。

Zさんは、来学期はレベルを1つ下りたいとまで言ってきました。そんなに、読んで考えるのって嫌なのでしょうか。

休むそうです

8月22日(火)

みんなの日本語49課の会話は、ハンス君のお母さんが学校に電話をかけて、ハンス君は熱を出したので休むと伝える話です。クラスの先生がまだ出勤していないので、電話に出た先生に伝言を頼むというストーリーです。教科書では、その先生に「よろしくお願いします」と言って終わっていますが、私はクラスの学生に「この先生はハンス君の先生が学校へ来た時にどう言いますか」と聞いてみました。

「ハンス・シュミットの母はゆうべ熱を出して、今朝もまだ下がらないですから休みますと言っていました」

「ハンス・シュミットはゆうべ熱を出しまして、今朝もまだ下がらないんですから休ませていただけませんか」

など、全然意味不明ではありませんが空振り気味の答えが続いたので、「ハンス君はゆうべ熱を出して…」とヒントを板書しました。それからも紆余曲折があり、どうにかこうにか「ハンス君はゆうべ熱を出して、今朝もまだ下がりませんから休…」までたどり着きました。しかし、ここからも大きな山がありました。「休みました」「休んでしまいます」「休んでくださいませんか」「休むつもりです」「休むと思います」「休むようです」「休むはずです」…習った文法をとりあえず言ってみるみたいな大乱戦になりましたが、私が望んでいる答えだけ出てきません。

ついにブチ切れて、「お前ら全員、もう一度同じレベルだあ」と言った直後、「休むそうです」と誰かが小さい声で答えてくれました。「君たち、今学期、何を勉強してきたんだ!」と叫んでしまいました。

とはいえ、こうなるんじゃないかと予想していたことでもあります。単に事実や状況を描写するだけではなく、それに対する話者の態度を盛り込む文末表現を勉強してきました。しかし、それが十分に整理されていません。

でも、私は焦っていません。中級でその辺をがっちり訓練し、聞いてわかる、読んでわかるだけでなく、書いたり話したりできるようになっていくのです。

8月2日(水)

今学期から受験講座を受けているLさんは、まだ初級の学生です。Lさんが勉強しているEJU生物の過去問をさせてみると、問題文を読むのに恐ろしく時間がかかります。カタカナの言葉はからっきしだし、未習の和語に出くわすと意味が取れなくなってしまいます。

次のEJUまで3か月ちょっとありますが、この調子だと相当苦しい戦いになりそうです。確かに、問題文の意味や選択肢の内容を把握したら、ほぼ全問正解にたどり着きます。国でしっかり勉強してきたことがうかがえます。しかし、いかんせん時間がかかりすぎます。これでは、問1から問5までは全問正解だけど、問6以降は白紙などということにもなりかねません。化学も同様であることは想像に難くありません。

Lさんと同じレベルの学生でも、実戦に堪えるスピードで問題が解ける学生がいます。だから、この問題の根本は、Lさんの日本語読解力が足りないことだといえないこともありません。生物の問題の前に読解力と速読する力を付ける訓練をすべきだ――というのは正論です。しかし、Lさんに読解の練習問題ばかりさせたら、きっと勉強がいやになってしまうでしょう。Lさんが一番好きで一番得意な生物を通して、Lさんの日本語力を伸ばす手はないかと、模索している最中です。

同時に、日本語は日本留学の壁になっているのだなあとも思います。このままでは、EJUの問題が読めないがゆえに、Lさんは日本留学をあきらめざるをえなくなるおそれがあります。専門に関しては優秀な頭脳を持っているにもかかわらず、それを評価してもらうに至らず、日本を後にするかもしれないのです。もちろん、そんなことにならないように全力を尽くしますが…。

天声人語と戦う

7月21日(金)

初級クラスのFさんは、来年の春、J大学やG大学に入りたいと思っています。しかし、読解力も文章力も発話力もまだまだで、自分自身でも相当頑張らなければJ大学やG大学には手が届かないと感じています。学校の授業だけでは足りないと思ったFさんは、今学期の最初から天声人語を書き写し始めました。周りの日本人に薦められたのかもしれませんが、天声人語は初級のFさんには荷が勝ちすぎているように思えます。

そのFさん、授業後に私のところへ来て、自分の写した天声人語を音読し、内容についてあれこれ質問しました。天声人語ですから、初級では習わない単語や文法が何の前触れもなく現れます。そのため、まず、文章をどこで切って読めばいいかわからないようでした。自分なりに意味を解釈していましたが、目の前の単語しか見ていない意味の取り方で、当然、字面どおりの意味しか捕らえていません。ですから、天声人語ならではの文章の味わいなど、感じ取れるわけがありません。

Fさんからの質問には、Fさんにわかる範囲で可能な限り味わいの部分を補って説明しました。600字余りの天声人語を読み通すのに、丸1時間かかりました。読み終えたときのFさんの満ち足りた顔を見ると、やってよかったという気持ちが湧き上がってきました。

でも、やっぱり天声人語は初級じゃないと思います。上級の語彙力、読解力と、日本社会に関する基礎知識がないと理解が進みません。無味乾燥な文字列を追っているに過ぎなくなります。だからFさんには今の実力にふさわしい教材を教えてあげたいのですが、Fさんは今、天声人語に燃えていますから、もう少し頑張らせようか名とも思っています。

子供に寛容を教える

7月20日(木)

漢字の時間に出てくる単語を使って短文を作らせています。予習を兼ねていますから、みんながすべての単語について正しい例文が作れるとは限りません。それはしかたのないことだと思います。しかし、おざなりの例文は困ります。

よく考慮してから返事してください――確かに「考慮」という課題の単語は使われていますが、「何を?」と聞きたくなるようなこの文は、例文としては認めがたいものがあります。

子供に寛容を教えるのがとても重要だ――「寛容」の代わりに、「忍耐」でも「お金の稼ぎ方」でも、何を入れても文になってしまいますから、「寛容」の意味のわかる文にはなっていません。

こういった例文を書いた学生のすべてがいい加減な気持ちだったとは思いませんが、課題の単語の特徴をつかんだ例文が書けないということは、その単語に対する理解がどこか足りないということでしょう。あるいは、例文を作るコツがまだ身についていないのかもしれません。

あるいは、何かの辞書を引き写したと思われる例文も散見されます。しかし、その原典(?)の例文が貧弱なので、私の直しの餌食になってしまうこともよくあります。辞書はスペースの関係などで、いい例文が少ないですけどね。でも、そんなことを知らない学生は、辞書に載っていた例文なのにどうして直されたんだと食って掛かってくることもあります。

理解語彙レベルでいいなら、例文で事細かにあれこれ言いません。しかし、使用語彙としてほしい場合は、厳しくチェックします。私が見たクラスは、「考慮」も「寛容」も小論文などに使ってほしい人たちの集まりですから、学生には泣いてもらうことにしました。

明日、真っ赤にされた例文を返された学生たちは、どんな反応を示すでしょうか…。

脳づくり

7月18日(火)

理科の受験講座が始まりました。前半は先学期以前から勉強してきた学生が対象ですから、EJUそのものからちょっと離れた内容にトライしました。穴埋め問題でも選択肢ではない形式や、簡単な論述問題です。選択肢があると知識や記憶が多少いい加減でも正解を選べてしまうこともありますが、純粋な穴埋めだとそうはいきません。論述ともなれば、いくつかの知識を組み合わせ、それを採点官にわかってもらえる文章にする必要があります。

また、問題文が結構長いですから、読解力も必要です。また、漢字で書かれた専門用語も理解しなければなりません。これは、単語帳を作って覚えるという手もありますが、問題を解くことを通して、問題文をたくさん読むことによって、文脈ごと意味を感じ取ってもらいたいところです。こうすると、専門用語同士の連関も見えてきますから、知識体系が築かれていきます。

学生たちの勉強はEJUで終わりではありません。進学後に今までの勉強や知識をいかに活用していくかが、学問上の勝敗の分かれ目です。それゆえ、丸暗記とか断片的な知識の寄せ集めとかではなく、有機的なつながりのある、1本も2本も筋の通った理科的な頭脳を作り上げていってもらいたいです。

こういう学生に比べると、今学期からの学生が主力のクラスは「まだまだ」という感じが否めません。それだけに鍛え甲斐があるとも言えますが、11月までにそれなりのレベルに持っていかねばならないとなると、プレッシャーも感じます。

授業の最中、教室内にも音が響くほどの雨が降りました。都内には雹だったところもあるそうです。嵐を呼ぶ授業には程遠いですが、学生たちを目覚めさせる授業をしたいです。

取り扱い注意

7月10日(月)

KCPは、主にA社とB社から学生用の教科書を買っています。新学期の直前はA社からもB社からも教科書が大量に届きます。毎学期、A社からの荷物は、教科書が入った箱がずくずくになって、底が抜ける直前にどうにかこうにかKCPにたどり着いたという感じです。中の教科書が心配になって箱を開けますが、不思議と傷はついていません。それに対して、B社からのは頑丈に梱包され、箱は汚れているかもしれませんが、中身がどうにかなっているという心配は全くありません。もちろん、実際にも輸送中に破損した本はありません。

どちらも教科書がきちんと届くという意味において結果的に同じなら、A社のほうが合理的です。輸送にかかるコストもぎりぎりまで切り詰められますし、B社よりも簡易な梱包ですから、箱も容易に壊せてごみも少ないです。しかし、私はB社のようにがっちり梱包してもらいたいですね。本は丁寧に扱ってもらいたいですから。

子供のころ、本をまたいではいけないとしつけられました。また、本を床や地べたに直接置いてはいけないとも。授業中に学生が教科書を机から落とすと、学生自身が手を出すより先に私が拾い上げることもよくあります。そのため、今にも壊れそうなA社の箱は気になってしょうがないのです。A社が売り物である教科書を粗末に扱っているとは思いません。でも、B社と比べるとA社はちょっと…と思ってしまいます。

学生たちにも教科書は粗末に扱ってほしくはありません。落書きするなとまでは言いませんが、丸めてかばんに突っ込んだり、教科書が厚くて重いからとやたら薄くはがしてしまったり、そんな使いは見るに忍びありません。確かに教科書をどうしようと、しかるべき成績を取ればそれでいいのですが…。

さて、明日から新学期です。教科書は先生の話をばりばりメモして汚して、そこに書かれていることをぐいぐい吸い取って、自分自身の成長の糧にしてもらいたいです。

入学式挨拶

皆さん、ご入学おめでとうございます。毎年7月期はいつもの学期より多くの国々からの学生が入学してきますが、今年もこのように世界中の国々からの新入生を受け入れることができ、非常にうれしく思っています。

今、世界中で、皆さんのように日本語を勉強している人たちはどのくらいいると思いますか。国際交流基金の調査によると、400万人に近いそうです。皆さんはこの数字を多いと思いますか、少ないと思いますか。実は、世界の日本語学習者の実数は、この数倍、数十倍に上るのではないかと言われています。この差異は何に基づくかといえば、インターネットやテレビなどによる学習者を含むか含まないかによります。国際交流基金の調査は、各国の教育機関のみを対象として行われているため、学校などに通わず独学している学習者は把握していないのです。

今、この会場の皆さんの中にも、日本語は、国ではインターネットで勉強したとか、アニメやドラマを見て覚えたとかという方もいることと思います。独学でかなりのレベルの日本語を身に付けてくる新入生も、最近では決して珍しくありません。学校には一切通わず、JLPTのN1を取ってしまう人すらいます。では、そういう人たちはなぜKCPに入学するのでしょう。

まず、自分の身に付けた日本語がどこまで通用するのか試したいという人たちがいます。独学では、「読む」「聞く」という、情報を受け取る技能の習得が中心になりがちです。しかし、独学だけでは「読む」「聞く」は一定のレベルに達したとしても、「話す」「書く」という情報を発信する力を同じだけにするのは難しいものがあります。情報の発信力も含めて、自分の日本語力を正しく知り、新たな目標を立て、それに挑んでいこうという人たちです。

それから、系統立てて日本語を学び直したいという人もいます。これは、日本で進学しようと考えている人に多いです。たとえN1を持っていても、自分の日本語力に不安を感じていたり、さらに力を伸ばそうと思ったりしたときには、勉強した日本語を整理し、応用力をつけていく必要があります。

また、日本語を勉強する過程で教材などを通して触れた日本を実地検分したい、日本人とコミュニケーションしてみたいという動機で入学してくる方も少なからずいます。日本へ来なければ、日本で生活しなければ得られない経験をしてみたい、同時にそういう経験を通して自分の人生を彩りたいと考えている人たちです。

国で、学校で勉強してきた皆さんも、この3つのどれかに近い気持ちなのではないかと思います。KCPはこういう皆さんの期待に応える授業をしていきます。また、クラブ活動や今学期の学校行事・スピーチコンテストを通しても、皆さんの勉強したい、日本を知りたい、自分の視野を広げたいという気持ちを満たしていこうと考えています。皆さんの周りには、経験豊かな教職員が控えています。こんなことをしてみたいということがあったら、是非相談してみてください。

東京の夏は蒸し暑い日が続きますが、それに負けず、実りの多い留学を皆さんの手で作り上げていってください。本日は、ご入学、本当におめでとうございました。