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分不相応?

3月29日(火)

卒業式前からずっと一時帰国していたGさんが、お土産を持って挨拶に来てくれました。お母様が入院していたので全然遊べなかったとか。

GさんはS大学に進学し、来週早々入学式とオリエンテーションがあります。「先生、なんだか不安です」と言いますが、もう入学金も授業料も払ってしまったのですから、突き進むしかありません。今さら授業についていけるかどうか心配だなんて口走るくらいなら、最初からS大学など受験しなければよかったのです。

S大学は、Gさんにとっては「入れたらいいな」という大学で、はっきり言って、実力相応校より1ランクか2ランクか上の大学です。入試の際には私も精一杯支援をしました。Gさんも憧れの大学に入れるなら何でもしますっていう覚悟でした。合格発表のときの喜びようは、尋常なものではありませんでした。でも、自分でもS大学は実力より上の大学という認識がありますから、いざ入学が迫ると、あれこれ不安を感じずにはいられないのです。

日本人の友達が作れるだろうかというのが、最大の不安のようです。「私は日本語がまだまだですから」ってそういうGさんを、日本語力だけではなく、キャラも深い部分の人間性も含めて、S大学は自分のところで勉強するだけの力があると認めたのですから、その判断を信じようじゃありませんか。少なくとも、同国人だけで固まってるようなら、楽しいキャンパスライフは望めません。

おそらく、Gさん以外にも同じような不安を抱えている学生が少なからずいることでしょう。でも、あなた方はその大学に選ばれたのです。学力も申し分なく、学風にも溶け込めると見込まれたのです。自信を持って、入学式を迎えてください。

大仕事

3月23日(水)

今学期最後の授業は初級クラスでした。教科書の残りの部分を片付けたら、後は復習とまとめです。初級は1学期の間にグンと力を伸ばしますから、復習と言ってもかなり広範囲にわたります。また、初級も後半に差し掛かると少々特殊な言葉遣いも勉強しますから、覚えるべきことも結構な量です。

Sさんは復習プリントやまとめプリントを読んでいるだけで、そこにある練習問題をやろうとしません。いや、Sさんとしては問題を考え答えを出しているのですが、それを全くプリントに書き込もうとしませんから、教師としてはやっているとは認められないのです。指名すると、案の定、正確には答えられません。こちらが「えっ?」と聞き返し、間違いに気付いた周りの学生が小声で教えても、Sさんは平気な顔です。

こういう学生は、自分はできる、こんな程度のことはわかっていると思い込んでいます。だから、間違いを指摘されてもそれはケアレスミスに過ぎないと思い、本気で改めようとはしません。もちろん、その間違いはケアレスミスなんかじゃありません。文をきちんと作らないから、間違いが間違いとして認識できないのです。だから、本当はわかってなんかいないということが、本人には全然見えてきません。

今までに何十人もこういう学生を見てきましたが、末路は哀れなものです。友人や教師の忠告には耳を傾けず、わが道を歩み続けますから、日本語力は伸びません。進級できずに同じレベルをくり返すとなると、授業がつまらないので受験勉強にのめりこみます。しかし、日本語力がいい加減ですから、受験勉強もうまくいきません。自己流を貫いたあげく、卒業が近づいてから自分の失敗にやっと気がついても、もはや手遅れです。志望校には当然手が届かず、不本意な進学をする羽目に陥ります。

Sさんはそんな体臭をぷんぷん発散させています。Sさんをどうやって真っ当な世界に連れ戻すかっていう、この1年の大仕事を見つけてしまいました。

命名法

3月15日(火)

受験講座の化学を受けている学生たちは、有機化学に出てくる物質名を覚えるのに難儀をしています。そこで、今期は、主な有機化合物の構造式とその名前をプリントにまとめ、学生たちに配りました。教科書の何十ページにもわたってちびちびと登場するたくさんの有機化合物を、一網打尽にしました。

そのプリントを配り、今すぐ覚えろと言い、20分後にテスト。もちろん、いい点数なんか取れるわけはありませんが、私が見ようと思ったのは、化合物名の覚え方やテストでの答え方です。

Hさんは、国で勉強した知識を基に、国で勉強した名前をカタカナに置き換えていきました。安息香酸みたいに漢字の名前になるとつまずき気味でした。

Sさんは、ひたすら丸暗記を始めました。カタカナ語は皆目見当がつかないということで、つべこべ理屈を唱えず、潔く丸暗記に取り掛かったのです。

テストとなると、Hさんは手持ちの知識でどうにかなるところをどんどん答えていきます。一方、Sさんは暗記した部分はすぐに答えられましたが、そうでないところでは筆が止まってしまいます。しかし、Sさんが偉いのは、構造式と化合物名の一覧表の問題となっていない部分、つまり、構造式とその物質名の両方が出ているところからヒントを得て、命名法の規則方を推測し、それに基づいて答えていた点です。

有機化合物の物質名は、IUPAC命名法という規則にのっとって付けられており、その規則がわかれば、構造式から物質名が自動的に付けられるのです。Sさんはその規則を見つけ出そうとし、一部は見出すことに成功していました。残念ながら、IUPAC名ではない慣用名が定着していてそちらが用いられるものも少なからずあります。そうなると、Sさんの努力も実りません。

でも、このように雑多なものの中から規則を発見し、そこから自然の本質に迫ることこそ、科学者が進むべき道です。正直に言って、Sさんの実力はまだまだだと思いますが、伸びる芽はもっといるとも思います。

顔を作る

3月7日(月)

大量の卒業生が去ってしまったので、午前中の校舎は寂しいものがあります。使われていない教室が多いためどこか薄暗く、休み時間になっても廊下には学生の姿がちらほらするだけです。職員室も、午前中はスカスカでした。

私は超級レベルで残っている学生たちを併せたクラスを担当しました。この学生たちは、来学期からKCPの顔になります。そして、この学校をこれから1年間引っ張っていくことになります。そういう存在になってもらわなければ困ります。

少なくとも来学期の行事では、中心的な働きをしてもらうことになります。去年4月期に行われた運動会でも、去年の卒業式以降に残った超級の面々が、競技役員を始め、中心になって働いてくれました。その経験がとても印象深かった、最上級クラスの一員という自覚が生まれたという声も、おととい卒業していった学生たちから聞かれました。彼らは立派にKCPのか落として活躍してくれたと思います。

だから、今朝の超級合併クラスでは、集まった学生たちに自覚を促すと同時に、プレッシャーもかけました。先週までは卒業していった学生たちの陰に隠れてふわふわしていてもよかったのですが、今からはそうではありません。最上級クラスの一員として、先輩として、在校生にもこれから入ってくる新入生にも、模範を示し、KCPを盛り立てていくことが求められます。

このクラスの学生は、進学実績も上げてもらわなければなりません。初日は「お手柔らかに」したつもりですが、明日からはガンガン行きますよ。覚悟しておいてもらわなきゃ…。

早くも課題

3月4日(金)

今年の卒業式は例年より早いので寒空の中で行われるのかなと思っていましたが、天がKCPに合わせてくれたのでしょうか、ここに来て急に暖かくなりました。今朝も、遅刻して教室に入ってきた学生があっさりエアコンのスイッチを切ってしまいましたが、誰も文句を言わず、授業終了までエアコンなしでも全く寒くありませんでした。卒業式の予行演習ということで、体を動かしたからかもしれませんが…。

最上級クラスの卒業式前日の授業ということは、KCPで一番レベルの高い授業ということですから、その名に恥じることのないように、日本人でも骨の折れそうな漢字のパズルをやらせました。いかに最上級クラスとはいえ、さすがに一人でやるのは難しかろうと思い、周りの友達と協力してやってもいいことにしました。しかし、多くは独力で答えを出そうとしていました。

辞書やスマホを参考にしながらでしたが、途中で投げ出す学生はおらず、むしろ、私の予想よりもだいぶ早くできてしまった学生が次々と。改めて学生たちの能力の高さを感じました。一流の大学院に進学することになっている学生も多いクラスですから、当然といえば当然ですね。

ただ、論理的に推論して答えを導き出す学生がいる一方で、行き当たりばったりに解いている学生もいました。来年進学予定の学生に後者のタイプが多かったことが少々気懸かりです。でも、明日卒業する学生だって、去年の今頃はそんなもんだったかもしれません。1年間もまれ続けたおかげで、きちんとした仕事の進め方ができるようになったとも考えられます。要するに、これから1年の課題が突きつけられたわけです。

「明日、卒業パーティーの後、一緒に食事をしてくださいませんか。YさんもHさんもMさんも、みんな来ますから」と、授業後、完璧な日本語で明日のお昼のお誘いを受けました。春の陽気に釣られて、ふらっと出かけることにしました。

アセトンは何ですか

3月1日(火)

Sさんは受験講座の物理と化学を取っています。物理では理系的なカンのよさを示し、難しい問題をあっさり解いたり、こちらの言わんとすることをすばやく悟ったりします。しかし、化学はカタカナ語の物質名が覚えられず、苦戦中です。このところ有機化学をやっていますが、そこに出てくる物質名が全く頭に入りません。

「先生、アセトンって何ですか」って、あんた何回聞けば気がすむんだい、と突っ込みたくなるほど繰り返し聞きます。アセトンは入試の有機化学の常識ですから、覚えなくてもいいとは、口が裂けても言えません。アセトン並みの重要語を毎回聞きます。同じ名前を何回も耳にしていくうちに覚えていくだろうと思っていましたが、記憶は遅々として深まりません。1週間後にはきれいにリセットされています。

Sさん自身も、物理は1つのことを覚えるとたくさんの問題が解けるようになるが、化学はカタカナ語を1つ覚えたところで解ける問題はごく限られている、と言っています。半ばさじを投げたような発言です。

Sさんはこの苦手を克服すれば大きく成績を伸ばすことができるでしょう。しかし、6月のEJUまで3か月以上あるとはいえ、これはSさんにとっては容易ならざる課題です。でも、この課題を乗り越えない限り、Sさんが考えている愛学には進学できないでしょう。進学できたにしたって、ここまでカタカナ語が苦手となると、単位を落としかねません。いずれにせよ、明るい未来にはつながりそうもありません。

Sさんをどこまで引っ張り上げられるかが、新年度の私の課題になりそうです。

芽生え前

2月16日(火)

今学期の受験講座は、上級の学生がほとんど抜け、来年の4月に進学を目指す初級から中級の学生が主力になっています。私が担当している理科は、意欲に日本語力が追いついていない学生が目立ちます。

理科の場合、国で勉強してきたことを日本語で復習するという側面があります。日本語で理解を整理するといってもいいでしょう。教師である私が、学生たちの母語が使えないので、学生たちのほうから歩み寄ってもらわなければなりません。ですから、中級あたりまでの学生にとっては厳しいところがあると思います。

でも、自分がこの学校で身に付けた日本語を武器として何かをするという経験ができます。日本語の授業の中という模擬的な環境ではなく、非常に大きくかつ重要な必要に迫られて何かをするのです。ここで何かを成し得た自信は、他の場面では手にすることのできないものです。

そういう高尚なことをしようとしてはいるのですが、今学期の学生たちは前のめりになっている感じがします。学生たちは、私の説明が一発でわからなかったり、自分の疑問点を私に上手に伝えられなかったり、練習問題の題意がすぐにつかめなかったりと、連日苦労を重ねています。

何だかんだと言いながらも、先学期から始めた学生たちは、明らかに進歩しています。今学期からの学生も、この1か月の間に力をつけました。元々持っていた理科の力を、日本語を通して表せるようになってきたと言ってもいいでしょう。本人たちはまだ手ごたえを感じてはいないでしょうが、彼らの面倒を見ている私は感じています。

春の芽生えみたいなものかもしれません。風は冷たいけれども「光の春」と呼ばれる2月の陽光を浴びて、木や草がかすかに青やいできたというところでしょうか。6月のEJUには花を咲かせなければなりません。芽吹きの季節が待ち遠しいです。

これからが真骨頂

1月22日(金)

Gさん、Fさん、Sさん、Hさん、Uさん、Wさんが合格を決めました。Gさんは実力よりちょっと上の志望校でしたし、Fさんは11月のEJUで成績があまり伸びていませんでしたし、Sさんは今までいろんな学校に落ちまくっていましたし、Hさんはその1校しか受けていませんでしたし、UさんとYWさんは面接練習の段階ではめちゃくちゃでしたし、まあとにかく心配な要素が満載の学生たちが受かってくれて、大いに安心しました。Gさんはよほどうれしかったのでしょう、心なしか涙ぐんでいたようでした。Hさんは私が授業をしている教室まで報告に来てくれました。いつも無愛想なUさんは、メールで知らせてきてくれました。先週の金曜日は苦杯をなめて青い顔をしていたSさんも、今日は透き通った笑顔を振りまいていました。

受かった学生たちの受験のころを振り返ると、鬼気迫るものがありました。死に物狂いで力を伸ばし、それを遺憾なく発揮しようという何物かを感じさせられました。Hさんなんかは、これだけ勉強すれば受験の神様も微笑んでくれるに違いないってくらいやってましたからね。

私が注目するのは、来週からのGさんたちです。受かったとたんにやる気をなくして卒業までぼんやりしていた、なんていう例を今まで掃いて捨てるほど見てきました。来週、教室で無気力な態度だったら、その学生は合格を確認した瞬間が留学生活のサミットで、大学生活が始まっても入試準備の頃の輝きを取り戻すことはないでしょう。先週第一志望校への合格を決めたDさんは、今週課題をしてこなかったとか。同じくYさんは盛んに一時帰国したがっています。授業はきちんと受けているところが救いですが…。

受験の続くSさんは気力を充実させたままでしょうが、それ以外の学生ががたがただったら、指導してきた者としてはショックが大きいですね。そうならないように授業を充実させていくという、重い荷物を背負った気がします。朗報が浪報になってしまったら意味がなくなってしまいます。

上澄み

1月19日(火)

今学期は最高レベルの超級クラスを2つ、上級の入口レベルのクラスを1つ持っています。両者を比べると、愕然とするほどの実力差があります。卒業文集の下書きを並べてみると、超級クラスは語句レベルの手直しで済みますが、上級の入口レベルは文の構成に抜け落ちがあります。だから、そこを補うように指示を出していかねばなりません。

いやしくも上級なのにそんな体たらくなのかと言われてしまいそうですが、そもそも文章を書くという技能は、語学の四技能のうち最難関なのではないかと思います。「聞く」「読む」は情報受信であり、受け身の姿勢でも何とかなります。「話す」「書く」は情報発信なので、何より発信すべき何物かを持っていなければ、どうしようもありません。そして、情報発信となると、受信する身にならないと一方的、独りよがりの行動になってしまいます。また、「話す」は後に何も残りませんが、「書く」は書いたものがいつまでも形として残り、何回でも読み返され、時には批判に晒されます。超級クラスの学生は、発信すべき何物かを持ち合わせ、しかも受信する側を慮って発信しています。上級入口クラスは、その域には及ばないというわけです。

上級入口クラスの学生にも、あまり手を入れなくてもいい文章を書く学生もいます。しかし、超級クラスの文章に比べると、エンターテインメントの要素に欠けているように思います。KCPでの思い出を語るのに精一杯で、読み手の心に響くところには至っていません。超級レベルは、サラッと書いているようで、きっちり盛り上げているんですね。自分にとっての外国語をここまで使いこなせるなんて、外国語を学んだことのある者として尊敬してしまいます。

そういう超級クラスでも、受験では頭を痛めています。Yさんは、今、国立大学に出す志望理由書を書いています。Yさんレベルの学生が紙一重の差で戦うのです。上を見ればきりがないと言いますが、まさにその通りです。

プレッシャーに弱い

1月13日(水)

早朝、一人で仕事をしていると、Kさんが外から窓をたたきました。まだ暗いうちでしたが、志望理由書をチェックしてもらいに来たのです。急いで玄関のドアの鍵を開け、Kさんを招き入れました。そして、Kさんの書いてきたS大学の志望理由書を見ました。ややインパクトに書けるところはありますが、日本語としての間違いの少ないよくできた文章でした。

そういう感想を述べ、どんなことを付け加えればいいかを指摘しました。ところが、今思うと、Kさんの本題はここから先でした。S大学を始め、いくつかの大学に出願しようとしていますが、Kさんの最大の悩みはプレッシャーに弱いということでした。EJUの前などでも、体の震えが止まらないほどの緊張感を味わうそうです。今も、午前中の授業が終わるとすぐ帰宅して、夜の8時ごろまで寝て、それから夜を徹して朝まで勉強するそうです。だから、暗いうちから学校へ来られるのです。

確かに、KさんのEJUの成績は、周りの教師たちが感じるKさんの実力よりだいぶ低いものでした。緊張しやすい性質を矯正するのはなかなか難しいです。自信を持たせようとしても、実際の試験のことを思うと、こちらの小細工など消し飛んでしまうのです。私にできることは、Kさんの話をじっくり聞くことぐらいです。だから、1時間あまりKさんの話に耳を傾けました。

取り留めのない話と言ってしまえば身も蓋もありませんが、Kさんにとっては多少はカタルシスになったようです。朝ごはん(Kさんにとっては晩ごはん???)を取りに出たところを見かけた出勤途上のR先生は、ずいぶんすっきりした顔をしていたとおっしゃっていました。

プレッシャーに弱かろうとどうしようと、受験は容赦なく迫ってきます。それまでKさんを支え続けねば…。