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芽生え前

2月16日(火)

今学期の受験講座は、上級の学生がほとんど抜け、来年の4月に進学を目指す初級から中級の学生が主力になっています。私が担当している理科は、意欲に日本語力が追いついていない学生が目立ちます。

理科の場合、国で勉強してきたことを日本語で復習するという側面があります。日本語で理解を整理するといってもいいでしょう。教師である私が、学生たちの母語が使えないので、学生たちのほうから歩み寄ってもらわなければなりません。ですから、中級あたりまでの学生にとっては厳しいところがあると思います。

でも、自分がこの学校で身に付けた日本語を武器として何かをするという経験ができます。日本語の授業の中という模擬的な環境ではなく、非常に大きくかつ重要な必要に迫られて何かをするのです。ここで何かを成し得た自信は、他の場面では手にすることのできないものです。

そういう高尚なことをしようとしてはいるのですが、今学期の学生たちは前のめりになっている感じがします。学生たちは、私の説明が一発でわからなかったり、自分の疑問点を私に上手に伝えられなかったり、練習問題の題意がすぐにつかめなかったりと、連日苦労を重ねています。

何だかんだと言いながらも、先学期から始めた学生たちは、明らかに進歩しています。今学期からの学生も、この1か月の間に力をつけました。元々持っていた理科の力を、日本語を通して表せるようになってきたと言ってもいいでしょう。本人たちはまだ手ごたえを感じてはいないでしょうが、彼らの面倒を見ている私は感じています。

春の芽生えみたいなものかもしれません。風は冷たいけれども「光の春」と呼ばれる2月の陽光を浴びて、木や草がかすかに青やいできたというところでしょうか。6月のEJUには花を咲かせなければなりません。芽吹きの季節が待ち遠しいです。

これからが真骨頂

1月22日(金)

Gさん、Fさん、Sさん、Hさん、Uさん、Wさんが合格を決めました。Gさんは実力よりちょっと上の志望校でしたし、Fさんは11月のEJUで成績があまり伸びていませんでしたし、Sさんは今までいろんな学校に落ちまくっていましたし、Hさんはその1校しか受けていませんでしたし、UさんとYWさんは面接練習の段階ではめちゃくちゃでしたし、まあとにかく心配な要素が満載の学生たちが受かってくれて、大いに安心しました。Gさんはよほどうれしかったのでしょう、心なしか涙ぐんでいたようでした。Hさんは私が授業をしている教室まで報告に来てくれました。いつも無愛想なUさんは、メールで知らせてきてくれました。先週の金曜日は苦杯をなめて青い顔をしていたSさんも、今日は透き通った笑顔を振りまいていました。

受かった学生たちの受験のころを振り返ると、鬼気迫るものがありました。死に物狂いで力を伸ばし、それを遺憾なく発揮しようという何物かを感じさせられました。Hさんなんかは、これだけ勉強すれば受験の神様も微笑んでくれるに違いないってくらいやってましたからね。

私が注目するのは、来週からのGさんたちです。受かったとたんにやる気をなくして卒業までぼんやりしていた、なんていう例を今まで掃いて捨てるほど見てきました。来週、教室で無気力な態度だったら、その学生は合格を確認した瞬間が留学生活のサミットで、大学生活が始まっても入試準備の頃の輝きを取り戻すことはないでしょう。先週第一志望校への合格を決めたDさんは、今週課題をしてこなかったとか。同じくYさんは盛んに一時帰国したがっています。授業はきちんと受けているところが救いですが…。

受験の続くSさんは気力を充実させたままでしょうが、それ以外の学生ががたがただったら、指導してきた者としてはショックが大きいですね。そうならないように授業を充実させていくという、重い荷物を背負った気がします。朗報が浪報になってしまったら意味がなくなってしまいます。

上澄み

1月19日(火)

今学期は最高レベルの超級クラスを2つ、上級の入口レベルのクラスを1つ持っています。両者を比べると、愕然とするほどの実力差があります。卒業文集の下書きを並べてみると、超級クラスは語句レベルの手直しで済みますが、上級の入口レベルは文の構成に抜け落ちがあります。だから、そこを補うように指示を出していかねばなりません。

いやしくも上級なのにそんな体たらくなのかと言われてしまいそうですが、そもそも文章を書くという技能は、語学の四技能のうち最難関なのではないかと思います。「聞く」「読む」は情報受信であり、受け身の姿勢でも何とかなります。「話す」「書く」は情報発信なので、何より発信すべき何物かを持っていなければ、どうしようもありません。そして、情報発信となると、受信する身にならないと一方的、独りよがりの行動になってしまいます。また、「話す」は後に何も残りませんが、「書く」は書いたものがいつまでも形として残り、何回でも読み返され、時には批判に晒されます。超級クラスの学生は、発信すべき何物かを持ち合わせ、しかも受信する側を慮って発信しています。上級入口クラスは、その域には及ばないというわけです。

上級入口クラスの学生にも、あまり手を入れなくてもいい文章を書く学生もいます。しかし、超級クラスの文章に比べると、エンターテインメントの要素に欠けているように思います。KCPでの思い出を語るのに精一杯で、読み手の心に響くところには至っていません。超級レベルは、サラッと書いているようで、きっちり盛り上げているんですね。自分にとっての外国語をここまで使いこなせるなんて、外国語を学んだことのある者として尊敬してしまいます。

そういう超級クラスでも、受験では頭を痛めています。Yさんは、今、国立大学に出す志望理由書を書いています。Yさんレベルの学生が紙一重の差で戦うのです。上を見ればきりがないと言いますが、まさにその通りです。

プレッシャーに弱い

1月13日(水)

早朝、一人で仕事をしていると、Kさんが外から窓をたたきました。まだ暗いうちでしたが、志望理由書をチェックしてもらいに来たのです。急いで玄関のドアの鍵を開け、Kさんを招き入れました。そして、Kさんの書いてきたS大学の志望理由書を見ました。ややインパクトに書けるところはありますが、日本語としての間違いの少ないよくできた文章でした。

そういう感想を述べ、どんなことを付け加えればいいかを指摘しました。ところが、今思うと、Kさんの本題はここから先でした。S大学を始め、いくつかの大学に出願しようとしていますが、Kさんの最大の悩みはプレッシャーに弱いということでした。EJUの前などでも、体の震えが止まらないほどの緊張感を味わうそうです。今も、午前中の授業が終わるとすぐ帰宅して、夜の8時ごろまで寝て、それから夜を徹して朝まで勉強するそうです。だから、暗いうちから学校へ来られるのです。

確かに、KさんのEJUの成績は、周りの教師たちが感じるKさんの実力よりだいぶ低いものでした。緊張しやすい性質を矯正するのはなかなか難しいです。自信を持たせようとしても、実際の試験のことを思うと、こちらの小細工など消し飛んでしまうのです。私にできることは、Kさんの話をじっくり聞くことぐらいです。だから、1時間あまりKさんの話に耳を傾けました。

取り留めのない話と言ってしまえば身も蓋もありませんが、Kさんにとっては多少はカタルシスになったようです。朝ごはん(Kさんにとっては晩ごはん???)を取りに出たところを見かけた出勤途上のR先生は、ずいぶんすっきりした顔をしていたとおっしゃっていました。

プレッシャーに弱かろうとどうしようと、受験は容赦なく迫ってきます。それまでKさんを支え続けねば…。

モラトリアム?

1月7日(木)

新入生のオリエンテーションがありました。進学コースの新入生には受験講座の説明もしました。

進学コースのGさんは、レベルテストで中上級に入れる点数を取りました。国で大学を卒業していますから、日本で大学院に入るのかと思いきや、大学進学希望と言います。大学で勉強したいことはアニメ。国の大学で勉強したこととは違うので大学に入りたいというのは正論ですが、なぜアニメなのか聞いたところ、日本で一番就職しやすいのはアニメ業界だからだと言います。

確かにそうかもしれません。でも、アニメ業界は厳しく、数年も経ずして辞めていく人材が多いと聞いています。3年ぐらいで仕事を辞めて帰国するつもりかと聞くと、そうではないと答えます。そして、それならアニメはやめると言い始めました。さらに、「先生、日本で就職しやすい学部はどこですか」と聞いてきました。内心かなるムカついてきたのですが、それをぐっとこらえて、「そうだね、経営とか経済とかじゃないかな」と答えると、「じゃあ、そこにします」とGさん。「日本で就職できれば学部はどこでもいいです」とも。

在校生がこんなことを抜かしたら殴り倒してやるところです。大学を卒業しているのですから、大学の勉強の何たるかぐらいはわかっていると思ったのですが、Gさんにとって勉強は点取りゲームにすぎないようでした。自分は物を覚えるのには自信があると言います。アイウエオから始めて半年でN2の勉強を終え、12月にN1を受けたそうです。受かるかもしれないという手ごたえだったと言っていました。アニメも経済も、その延長線上のようです。

こう書くと、Gさんと私の会話はずんずんすすんだように思えるでしょうが、ここまでたどり着くまで私の日本語が通じなかったり、Gさんの日本語のひどさに愕然としたりと大変でした。Gさんはペーパーテストにはめっぽう強いものの、コミュニケーション力はいたって低いのです。

それよりも心配なことは、Gさんには時間の感覚がないということです。おそらくご実家は裕福なのだと思います。だから、大学を出た上に日本語を勉強し、日本留学もさせてもらえるのです。また、アニメをやめて経済にするだけにとどまらず、大学院まで行きたいと言いますから、根は勉強好きなのでしょう。でも、大学院まで行っていたら、Gさんが就職するのは30過ぎです。いくら勉強熱心で日本語に加えて外国語が自由に操れたとしても、就職するには年齢の壁があります。その辺の感覚が欠如しているように思えました。

今学期もまた、新たな戦いが始まろうとしています。

どうしてこんなに違うんですか

12月1日(火)

Cさんは、最近授業に出ていません。学校へ来ていないわけではありません。何をしているのかというと、家で受験勉強をし、何か困ったことがあると学校に顔を出すという生活をしているのです。ずいぶん虫のいい話です。もちろん、留学のビザでこんなことが許されるわけがありません。しかし、受験のことしか頭にないCさんには、そんなことをいくら言っても右から左へと抜けていくだけです。糠に釘どころではない手ごたえのなさです。

だいたい、この期に及んで最後の追い込みとか言って引きこもりをするようじゃ、先は見えています。その余裕のなさは、効率の悪さにつながっているのです。私の目には、Cさんが一人で勉強を続けられるほどしっかりした精神の持ち主には見えません。学生たちの年代では、励ましあう友人の存在が大きいのです。

それよりも何よりも、現状のCさんの日本語力では、よしんば志望校に受かったとしても、そこできちんとした勉強ができるのか、はなはだ心もとないのです。「書く」「話す」という情報を発信する技能に不安を感じさせられます。引きこもり状態で、母国語で物事を考えていたら、日本語力は伸びるどころか衰えてしまいます。

同じクラスのUさんは、すでに滑り止めには受かっているもののあまり行く気はなく、年明けに本命校を狙う段階です。Cさん同様プレッシャーがかかるはずなのですが、毎日学校に通い、授業にも積極的に参加しています。初級の時の先生に、「遠い将来のことを考えて悩むより、今できることを確実にしなさい」と言われて以来、これを肝に銘じてきたといいます。私があれこれ言うまでもなく、KCPで少しでも日本語の力をつけてから進学したいと言っています。同じ時期に同じ国から来たのに、どうしてこんなに違うんでしょうか。

風邪、腹痛

11月18日(水)

中間テスト・期末テストというと、不思議と風邪を引いたりおなかが痛くなったりする学生がいます。Oさん、Pさんなどは、今日も早々に学校に連絡を入れてきてお休み。先生たちは誰も彼らのことばを信じていませんが、試験当日の忙しい時に、アホなやつのたわごとには付き合っていられませんから、そのまま聞き流します。

今日、中間テストを受けなくても、追試は明日ですから、メリットってほとんどありません。テストから逃げ回っているようなやつが、今晩一夜漬けをしたところで成績が見違えるようによくなるわけがありません。しょせん、みんながテストを受けている時、スマホでもいじって暇をつぶしているのが関の山なんですから。

それにしても、受けないでは済ませられないことがわかってて、どうして1日ポッキリ受ける日を遅らせようとするのでしょう。嫌なことはとっとと済ませたほうが、精神衛生上もいいと思うんですけど。Oさんなんかは、平常テストも決められた試験日に受けることがまれで、中間テストや期末テストの直前にまとめて受ける羽目に陥ります。そうやって受けたテストは、試験日当日に受けた場合と比べて低い評価にしかならず、成績的にも大損なんです。そういう痛い目に何度もあっているのに、なおかつ逃げようとする思考回路がどうしても理解できません。

先憂後楽ということばがあります。本来は為政者の心得ですが、先に心配事や苦労を片付けると後から楽ができるというレベルにまでかみくだくと、私たちの生活にも当てはまることばになります。今日、気安くサボった学生たちの耳には、このことばがどのように響くでしょうか。

捨てる

11月7日(土)

Pさんは明日のEJUで350点を狙っています。Pさんの実力なら不可能な成績ではありません。でも、Pさんは不安でたまらず、EJU対策講座に出てきた顔は、心なしか白く見えました。もう、この期に及んで勉強によって点数を引き上げることは不可能です。だから、Pさんの不安を少しでも和らげられるように、ちょっとした秘策を授けました。

それは、「捨てる」ことです。最近のEJU日本語は、最高点が370点前後です。350点を狙うPさんは、ノーミスである必要はありません。うまくすると、ミス3つぐらいまでなら350点を超えられます。そうなんです。3つ間違えられます。わからない問題は捨てられるのです。何が何でも解かなければならないってわけじゃありません。もちろん、全部で52問ぐらいの中で、捨てられるのはせいぜい3問ですから、多くはありません。でも、切り札を手にしていることは確かです。この切り札を上手に使えば、志望校をたぐり寄せることができます。

こんなふうに、“ここまでなら失敗できる”って考えるようになったのは、研究の仕事をしていた時です。目標収率90%という数字はかなり高く思えたのですが、10%もロスできると考え直したら、すぐにも手が届きそうな目標に見えてきたのです。実際には、90%は結構歯ごたえがあったんですけどね。

日本語教育能力検定試験だって、私が受験した頃は合格率が5~6人に1人でしたが、とりあえず自分の周りの4人か5人に勝てばいいと思い、その4人か5人を探してるうちに、受かってしまいました。

明日の本番に関しては、もう私には祈ることしかできません。帰り際に見せてくれたPさんの笑顔を信じましょう。

どこで勉強?

10月28日(水)

Sさんが飛ばしています。先学期、初級クラスで受け持った学生ですが、文法と作文の成績が不合格でしたから、進級させませんでした。そのSさん、傍若無人の振る舞いが見られると、今学期の先生がおっしゃっていました。

Sさんは大学進学を目指していて、毎日塾に通っています。勉強熱心なのはいいのですが、塾が生活の中心になり、学校の勉強にまじめに取り組もうとしません。どんなに注意しても、EJUの問題を解く受験のテクニックを覚えることに一生懸命で、日本語を基礎からきちんと身に付けていこうとはしません。KCPはビザをもらうための隠れ蓑で、KCPで勉強する気はないのです。

塾とKCPとでは求めているものが違い、SさんにとってはKCPの勉強は生ぬるく、塾の勉強こそ自分の目標に合致しているのでしょう。そう思うのはSさんの勝手であり、塾で留学ビザが取れるなら、SさんはKCPに入学することなく塾で勉強したに違いありません。そういうことをしたい学生は、Sさんだけに留まるとは思えません。

日本の大学もなめられたものです。テクニックだけで入れるって思われちゃってるんですからね。実際、テクニックだけで入ったとしか思えない留学生がいるって、有名大学に進学したKCPの卒業生が言っています。そんなことをしているようじゃ、日本の大学の国際競争力は下がる一方でしょう。

今週、Sさんは第二志望校への出願を済ませました。第一志望校は来週です。どちらも留学生誰もが行きたいと思う大学です。Sさんが受かったら、KCPは、当然、合格者実績としてカウントすることでしょう。それを次の学生募集につなげていくことでしょう。でも、私の本心は、Sさんはカウントしたくないですね。

明日、試験

10月24日(土)

今週から受験講座や選択授業が始まり、また、クラブ活動も再開し、今学期も定常運転に入りつつあります。10月期はEJUとJLPTがあり、大学・専門学校の受験シーズンでもあり、上級ほど落ち着かない雰囲気があります。私のパソコンにも志望理由書を直してくれとか、面接の受け答えはこれでいいかとかという学生からのメールが連日入ってきます。今学期のうちに行き先が決まってしまえば、最後の学期は日本語の勉強が楽しめることでしょう。

夏の入り口ぐらいに始まった日本語教師養成講座は、今日が私の担当講義の最終回。そして、明日が日本語教育能力検定試験です。それに向けての対策をびしびしやったわけではありませんから、合格の見込みがどのくらいかは見当がつきません。でも、受講初期に比べると、確実に日本語教師の発想ができるようになっていると思います。講義の中での私の質問に対して、最初のころは見当はずれな答えばかりでしたが、最近はかなりレベルの高い答えが出てくるようになりました。文法や語彙などで議論ができるようになりました。

それに比べると、私のところに入ってくる志望理由書などは、もう少し歯ごたえがほしいところです。進歩してないわけじゃありませんが、もっと大またで歩いてもらいたいところです。1段飛ばしで階段を駆け上がるくらいの勢いが感じられないところがじれったいです。受験講座で理科の過去問も解説を聞いている学生たちも、うなずくポイントがちょいと基礎側に寄ってるんじゃないかな。

世間では学問の秋と言いつつも、日本語学校にとっては受験の秋です。受験生の頭の中を熟成する時間がほしいですが、戦場に送り出さなければなりません。まずは、明日ですね。