Monthly Archives: 12月 2015

シミュレーション

12月12日(土)

今シーズンは、学校で顔を合わせなくてもメールで受験関係の指導を求めてくる学生が多いです。ZさんやDさんはその常連で、面接での受け答えのシミュレーションを送ってきました。熱心なことは認めますが、それを全部暗記しちゃおうというのなら、少々問題です。丸暗記すると、忘れるからです。そして、忘れたら頭が真っ白になって、言葉が何も出てこなくなる危険があるからです。

人間、緊張すると、いろいろと想定外の事態を引き起こします。事前のシミュレーションでは完璧でも、その道筋を一歩でも外れたとき、緊張しているとパニックに陥るものです。平常心を持ち続けられれば、応用動作も利くでしょうが、なれない雰囲気に置かれると、その応用動作の範囲がぐっと狭くなるものです。覚えたはずのことを忘れて、どうしたらいいかわからなくなるなんて、その典型と言えます。

私が働いていた工場では、事故発生時などの非常時のマニュアルは覚えるなと教えられました。覚えたら、忘れるからです。非常時マニュアルのどこかを飛ばしたら、取り返しのつかないことになります。命にかかわることにもなりかねません。マニュアルで一つ一つ確認しながら動くのが、一番確実なのです。

ZさんやDさんに危うさを感じるのは、この点です。若い頭脳は暗記に耐えられちゃうんですよね。2人ともすでに何校か受験していますから、入試の面接がどういうものかはわかっているでしょう。だから、わざわざ面接の問答を文字化しなくても、とんでもないことにはならないと思います。でも、言い知れぬ不安やプレッシャーが、2人にシミュレーションを書かせるのでしょう。ろくに面接練習もしないで本番に臨む学生よりは、ずっと進学や自分の将来に対して真摯です。その真面目さが仇となることがあるのが、入試の怖いところです。

2人のメールには添削をして返信しましたが、「言葉が甘い」なんていうふうに、わざと足りない箇所を指摘するに留めたところもあります。はてさて、どうなるでしょうか。

受験票ください

12月11日(金)

先月からかれこれ1か月近く、受験準備と称して休み続けていたCさんがやって登校しました。昨日の授業後に電話があり、来週末受験予定のT大学の受験票が学校に届いていないかと聞いてきました。届いてはいましたが、学校へ来たら答えるとだけ返事をして、今日です。

CさんとしてはT大学受験のために休んでいるのですから、その受験票を手に入れるためには、どんなに嫌でも学校へ来ざるを得ません。だから来たのですが、教室のドアを開けたのが10:18でした。10:30の休み時間に受験票だけもらって帰ろうという魂胆が見え見えでしたから、授業後に1階の職員室へ来いとだけ言って、後半の選択授業に出させました。

選択授業を終えて職員室に戻ると、カウンターにCさんの顔が。職員室内に呼び寄せ、まず、T大学の受験票を渡しました。そして、「昨日、電話で明日からちゃんと来ると言ったのに、どうして教室に入ったのが10:18なんですか。あなたの『ちゃんと』は10:18なんですか」と、戦闘開始。「全然来ないよりいいと思いました」とCさん。

「今、私には、Cさんの来学期の登録を認める気持ちは全くありません。これは12月いっぱいでいったん国へ帰らなければならないという意味です。国へ帰らずにビザが切れるまで日本にい続けたら、あなたは除籍処分になります。除籍ということは、T大学に受かってもビザの延長ができないということです」

ここまで言われれば、さすがのCさんも多少は事の重大さに気付いたようで、「これからちゃんと学校へ来て、勉強します」と反省の弁を。「そんなことば、信じられませんね。同じことばを、あなたは何回言いましたか」。こういわれて意外そうな顔をしたCさんを見て、やっぱり口先だけだなと思いました。

私は本気です。いい加減な出席状況、授業態度なら、絶対に来期の登録を認めません。Cさんの“自宅学習”が無になろうとも、知ったことではありません。CさんにはCさんの論理があるのなら、KCPにも通すべきKCPの筋があります。日本は法治国家ですから、出入国及び難民認定法の精神に基づいて、粛々と対応します。

末は博士か‥‥

12月10日(木)

Sさんは2017年に理科系の大学進学を目指す初級の学生です。授業後、理科系の大学・大学院で勉強したらどんな将来が待ち構えているかを聞きに来ました。

Sさんは理学部の物理か化学を考えています。そこで博士課程まで進んで、研究者になりたいというのが現時点での希望であり夢です。そして、大学に残ったらどんな将来像が描けるかという質問ですが、残念ながら、あまり明るい道筋を示せませんでした。

日本の場合、理科系で一番就職がいいのは修士です。博士になると企業への就職は修士より難しくなり、かといって研究職のポストが豊富にあるわけではありません。博士の学位を取ったのにそれに見合ったポジションに恵まれていない研究者がたくさんいます。たとえ研究職を得ても、そこに安住できるわけではありません。今は有期雇用がほとんどで、3年とか5年とかでしかるべき成果が出せないと、契約打ち切りになってしまいます。

万難を排して研究を続けていくにしても、基礎研究の場合、自分の研究がどのように発展・展開していくのか見えずに悩むことがよくあります。芽が出なくても頑張り続けることは、想像以上に精神的な負荷がかかるものです。いまどきの研究者とは、経済的にも精神的にもきついのです。

そもそも、物理や化学の研究がどんなところにつながっているのかという質問もありました。触媒や超伝導や熱電変換素子や、思いついたことをいくつか話しました。こちらは多少夢のある話ができたかもしれません。

なんかわけがわからないけどとにかくEJUでいい点数を、という学生が多い中、Sさんはきちんと足が地に着いた将来設計をしようとしています。いたずらに有名大学といわないところも立派です。あとはただ、日本語の力が伸びてくれれば…。

存在感

12月9日(水)

教室に入ると、今まで出席率100%のJさんがいません。電車が遅れても9時前には必ず教室にいたのに、Jさんの定位置の机にかばんも何もありませんから、トイレでもなさそうです。いったいどうしたのだろうと、出席簿に挟んである書類を見ると、入試のための欠席届が出ていました。

Jさんは特別発言が多い学生ではありませんが、いないとなるとどこか不自然さを感じます。授業中に教室全体を見渡してJさんの姿が見当たらないと、なんだか調子狂うんですよね。Jさんには、それだけ無言の存在感があったのでしょう。

同じく、KさんとPさんも欠席でしたが、この2人は今までにもよく休んでいたので、特に何も感じませんでした。「ああまたか」と思うこともなく、「まったくもう」と怒りを感じることもなく、欠席を受け入れているのです。クラスを担当する教師として、学生の欠席を当然のことと思ってはいけないのですがね。まあ、それぐらい、この2人は、Jさんとは違って、私の心の中に存在感がないのです。

このクラスに限らず、毎学期受け持つどのクラスにも、KさんやPさんのような学生がいます。昨日のクラスではGさん、Sさんでしょうか。遅刻して教室に入ってくる姿に、腹も立たなくなっています。注意はしますけれども、GさんやSさんほどの常習犯になってくると、注意に身も入りません。言っても無駄だろうなと思いながら注意しても、効き目は半減ですから、悪循環に陥っています。

Kさん、Pさん、Gさんは、Sさん、考えてみればかわいそうな人たちです。同じ授業料を払っているのに、Jさんほど目をかけてもらえないんですからね。私にもっと熱き血が流れていれば、様相は違ってるんでしょうが、現実は彼らの空席を見ても心拍数すら変わりません…。

切腹? 打ち首?

12月8日(火)

授業で裁判や刑罰関係の語彙が出てきたら、いつの間にか話がそれて日本の裁判制度や刑務所、果ては切腹と打ち首の違いにまで広がってしまいました。今日は授業のスケジュールが詰まっていたわけではないので、学生の興味の赴くままに成り行き任せの授業をしました。

初級だとこういう授業は許されませんが、上級はだんだん何でもありになってきますから、たまにはこんな日があってもいいのです。今日は、いつもは口数が少ないLさんやYさんが発言していましたから、それなりの意義はあったと思っています。それ以外の学生も、日本の死刑は絞首刑だとか、刑務所はどこも定員オーバーで困っているとか、切腹は名誉の死刑だとか、そんな話にうなずいたり、何十年も死刑囚のままでは残酷だとか、日本は麻薬に甘いとかという意見を言ったりしていました。

こんな教科書外の授業は、毎週生教材という形で取り入れてはいますが、今日みたいに自然発生的にテーマが生まれてくることは、そんなに頻繁にあることではありません。だから、学生たちの自由に発言したいという気持ちや、知りたいという意欲を優先して、成り行き任せにしたのです。

でも、なぜ裁判や刑罰が学生の心に火をつけたのかまではわかりません。ということは、今後どんな話題で盛り上がるか、見当がつかないというわけです。このクラスは盛り上がるポイントがつかめずに困っていたのですが、今日は盛り上がったものの、今後どうすれば盛り上げられるかは、手探り状態のままです。

私は、観光地・網走刑務所の人形はリアリティー満点だみたいなネタはたくさん持っていますから、盛り上がる方向がわかれば、今日のような授業は好きです。知ってても使い道がない知識や情報を授業で有効活用できれば、これに勝る幸せはありません。

明日は超級クラスと、身近な科学。どんなネタで盛り上げましょうかねぇ。

国立大学の説明会

12月7日(月)

昼休みに国立H大学の説明会がありました。東京からは少々離れていますから、国立とはいえ、学生の人気はそれほどでもありません。でも、地方の国立大学だからこそできる学問もあります。おいでくださった先生も、そういう点を強調なさっていました。

すでにH大学の書類を取り寄せているというOさんが盛んに質問していました。それにつられて他の学生も質問していました。ここのところH大学への進学が続いていますから、今年もこの中から後輩が生まれてくれることを祈っています。

受験講座が終わった後、SさんとMさんが出願校の相談に来ました。2人とも、東京近郊以外の国立大学にも出願したいけど、どこがいいかという相談です。H大学も当然その候補に入りますが、それ以外にもK大学やN大学、S大学などの名前も挙がりました。

地方の国立大学の、しかも留学生となると、疑いなくその土地の名士扱いです。東京で「東大」と言っても「へえ、そうですか」で終わってしまうかもしれませんが、H大学を始め、話題に出てきた大学なら尊敬のまなざしで見られるでしょう。そういうところでのびのびと勉強したほうが、有意義で濃厚な留学生活が送れると思います。

私は東京で学生生活を送りました。それはそれで充実していたと思いますが、H大学のような特色のある町で過ごしてもよかったなと、今は思います。東京は世界につながる町ですが、それは同時に世界のどこにでもある町でもあるのです。

受験シーズンは後半に入りました。後半戦の中心は、やはり、国立大学です。SさんもMさんも、H大学も含めて自分の人生をより一層輝かせる大学を選んでほしいものです。

タッチ

12月4日(金)

初級のN先生が病気でお休みのため、急遽代講をすることに。担当のS先生によると、テストやディクテーションがあり、そんなに難しい授業内容じゃありませんでした。毎度のことですが、上級では抑え気味に話していても、初級ではそれじゃ負けちゃいますから、全力でぶつかります。省エネ運転などとは言っていられません。

さて、漢字の時間。ホワイトボードに勉強する漢字を大きく書き、はねる所など注意すべき点を赤で印をつけて、学生たちに練習させました。その様子を見て回っていると、ある学生が、「先生、ここはタッチしますか」と、私の字と教科書の字の微妙な違いを指差して、聞いてきました。私はこれが嫌いです。初めて“タッチする”を耳にした時の、身の毛のよだつような嫌悪感がよみがえってきました。“くっつく”じゃダメなんですか。

初級クラスで漢字の授業をすると、時々私の乱暴な字では接するべきところにごくわずかな空白が生じ、そうすると、この学生に限らず、「先生、ここはタッチしますか」と質問する学生がいます。質問自体は、よく板書の字を観察しており、感心すべきことですが、“タッチしますか”には、どうしても引っ掛かりを感じます。おそらく、初級の先生方はみんなタッチするとかしないとか言っているのでしょう。日本語学校なのに、どうして“タッチ”という外来語をわざわざ使うのでしょう。

“タッチする”が日常頻繁に使われる外来語ならまだしも、私などはパスモかスイカで改札を通る場面しか思いつきません。“くっつく”と“タッチする”では、どう考えても前者のほうがよく使われると思います。だから、わたしは、たとえ一番下のレベルでも、“くっつく”を使います。先ほどの学生にも、“はい、くっつきますよ”と答えました。

タッチよりももっと蔓延しているのが“チェンジ”です。「はい、ペアをチェンジしてください」などと指示を出していますが、私は「友達を変えてください」と、ジェスチャーを交えながら指示します。もちろん、通じます。チェンジはタッチよりも多く使われているでしょうが、“変える”という立派な、しかも非常によく使う日本語があるのですから、そっちを使うべきだと思います。初級の時から“変わる”“変える”ってささやき続けられれば、自他動詞の区別も自然に付くようになるかもしれません(これは牽強付会かな…)。

タッチ以外は楽しい授業でした。その後、気持ちよく受験講座の授業に進めました。

不安

12月3日(木)

今週は学生たちにマイナンバーについてのお知らせをし続けています。留学ビザで日本に滞在する学生も、マイナンバーの対象者だからです。私のクラスの学生はみんな進学希望なので、専門学校に入ったとしても、あと2年は日本にいますから、マイナンバーのお世話になることがきっとあるでしょう。

各方面で報じられているように、マイナンバーの配布は遅れているようですが、私のところには先月半ばに配達が来ました。あいにく留守で直接受け取ることはできませんでした。郵便受けには不在通知が入っていて、それに従って受け取りに行きました。いつもの不在通知と同じように所轄の郵便局の窓口へ行ったら、マイナンバーに関しては隣の建物だと言われ、そちらへ移動。そこで簡単な書類を記入し、免許証で本人確認し、受け取りのハンコを押して、ようやくマイナンバー通知書が受け取れました。

学生は、留守中に不在通知が届いていたら、それをきちんと処理して、マイナンバー通知書を受け取ることができるでしょうか。漢字の密度が高く、しかも見慣れぬ単語に満ちている不在通知を読みこなすことは、至難の業に違いありません。案の定、超級クラスでも、よくわからないから捨てたとか、何週間もそのままほうってあるとかいう学生が続出しました。初級の学生の実情がどうであるかは想像に難くありません。いや、想像を絶するものがあるかもしれません。

外国人である学生に限らず、日本人を80年以上も続けている私の母も、マイナンバーをもらったはいいけれども、何をどうしていいやらわからず、非常に不安がっていました。マイナンバーに数々の利点があることは認めますが、私を含めてこの国に住む人々にそれが何物であるかが十分に伝わっていないように思えます。なんか、物事の進め方が雑なような気がしてなりません。

Lさんのノート

12月2日(水)

今シーズンの選択授業・身近な科学は、学生たちにノートを取らせ、それをチェックしています。最初はノートの取り方にかなりの差がありました。回を重ねていけばその差が詰まるだろうと思っていたのですが、今のところそういう気配はありません。いつも要領よくまとめている学生は、パワーポイントの中から本当の要点を抜き出してノートにしています。その一方で、毎回ろくなノートになっていない学生もいます。Lさんがその代表格でしょうか。Lさんは、授業中私の話を聞いていないわけではありません。きちんと反応していますし、居眠りや内職をしているようにも見受けられません。しかし、ノートを見る限り、Lさんの頭には何も残ってないんじゃないかって思えてきます。

Lさんは超級の学生ですから、理解力はかなり高いはずです。だから、授業後に口頭試問でもすれば、そこそこの答えはできるんじゃないかと思います。しかし、「聞く」と「書く」を同時にするのは、Lさんにとっては至難の業なのでしょう。でも、このままじゃ進学してからが心配です。大学の講義は、たとえ教科書があっても、先生の話を聞き取ってメモしておくことが必須ですから。先生の生のことばの中にこそ、真実や最新の情報が含まれているものです。

私のほうにも反省点は多々あります。ノートを取らせるということは考えずにパワポのスライドを作っていますから(…というか、去年のスライドの使い回しですから)、スライドの字数が多すぎたり、逆に大事なことばがスライドになかったり、図表がわかりにくかったり…。しゃべってる本人がこれだけ気付いているんですから、聞かされてる方はたまったもんじゃないですよね。

今年は思いつきでノートを取らせるってことを始めましたが、来年はしかるべき準備をして、同じことをしてみたいです。

どうしてこんなに違うんですか

12月1日(火)

Cさんは、最近授業に出ていません。学校へ来ていないわけではありません。何をしているのかというと、家で受験勉強をし、何か困ったことがあると学校に顔を出すという生活をしているのです。ずいぶん虫のいい話です。もちろん、留学のビザでこんなことが許されるわけがありません。しかし、受験のことしか頭にないCさんには、そんなことをいくら言っても右から左へと抜けていくだけです。糠に釘どころではない手ごたえのなさです。

だいたい、この期に及んで最後の追い込みとか言って引きこもりをするようじゃ、先は見えています。その余裕のなさは、効率の悪さにつながっているのです。私の目には、Cさんが一人で勉強を続けられるほどしっかりした精神の持ち主には見えません。学生たちの年代では、励ましあう友人の存在が大きいのです。

それよりも何よりも、現状のCさんの日本語力では、よしんば志望校に受かったとしても、そこできちんとした勉強ができるのか、はなはだ心もとないのです。「書く」「話す」という情報を発信する技能に不安を感じさせられます。引きこもり状態で、母国語で物事を考えていたら、日本語力は伸びるどころか衰えてしまいます。

同じクラスのUさんは、すでに滑り止めには受かっているもののあまり行く気はなく、年明けに本命校を狙う段階です。Cさん同様プレッシャーがかかるはずなのですが、毎日学校に通い、授業にも積極的に参加しています。初級の時の先生に、「遠い将来のことを考えて悩むより、今できることを確実にしなさい」と言われて以来、これを肝に銘じてきたといいます。私があれこれ言うまでもなく、KCPで少しでも日本語の力をつけてから進学したいと言っています。同じ時期に同じ国から来たのに、どうしてこんなに違うんでしょうか。