災害授業

9月6日(木)

課外授業で、有明にあるそなエリアとパナソニックセンターへ行ってきました。パナソニックセンターは去年の水上バス旅行の際に行きましたが、そなエリアはまるっきり初めてでした。

課外授業における教師の役割は、まず、学生の見守り役です。解散時まで学生の安全を図るのが最大の職責です。しかし、そなエリアの展示物はそれを忘れさせる迫力がありました。ネタバレになりますからあまり詳しくは書けませんが、大震災に見舞われた直後の東京(と思しき街)を再現したり、防災の心掛けや災害に遭ってしまってからの心構えが説かれたり、避難所で使うこまごまとしたものの準備方法が実地で学べたりしていて、思わずのめりこみたくなってしまいます。

そなエリアは首都圏が大きな災害に見舞われたときに対策本部が置かれるところで、その司令室も階上から見学できました。屋上ヘリポートは見に行きたかったのですが、本務を思い出してとどまりました。仕事を離れ、個人的にじっくり見学したいと思いました。

学生もけっこう夢中になっていて、タスクシートの質問の答えを真剣に探していました。中には友達の答えを丸写しする学生もいましたが、じゃあ展示物や体験コーナーに興味を示さなかったのかといえばむしろその逆で、そっちに熱中しすぎて答えを見つけに行くのが面倒くさくなってしまったようです。

今朝ほども北海道で震度7を記録する地震がありました。そなエリアのスタッフも盛んにそれを話題にしていました。学生たちが、日本にいる間にそういう目に遭わなければ幸いですが、その保証は全くありません。不幸にも被災してしまった時に、その傷口をできるだけ小さくし、一刻も早く立ち直れるように、というのがこの課外授業の主旨でしたが、学生たちは感じ取ってくれたかな…。

激突

9月5日(水)

関西地方は台風21号の風雨によってかなりの被害が出ました。船が激突して橋げたがずれてしまった関西空港連絡橋の画像・映像にはただただ驚くばかりでした。その関西空港は、高潮で数十センチも浸水し、機能不全に陥っています。高潮といえば、芦屋の海岸にも襲ってきて、家が流されそうになったそうです。京都では文化財がかなり損害を受けたと報じられています。

稀に見る強力な台風が上陸したことは確かですが、こちらの想像を絶するようなところに傷跡を残しています。二条城や大覚寺もそうですが、大阪湾にコンテナが漂流しているというのは、阪神淡路大震災のときにもなかったことではないでしょうか。私が毎年春に歩き回っている平穏な街並みで、屋根が吹き飛ばされたり泥水が暴れまわったり車が燃えたりなどということが起こっているのです。にわかには信じられません。

そんな中で、JR西日本を始めとする鉄道各社が午前中から計画運休をし、電車がらみの被害がなかったことは特筆に値します。不満に感じた人も多かったと思いますが、船が激突した時に連絡橋の上を電車が通りがかっていたら、悲惨なことになっていたかもしれません。駅間で停電し、大勢の人が電車に缶詰にされたら大きなニュースになっていたでしょう。関空で5000名が缶詰には及ばないでしょうが。

今年は6月に大阪府北部地震がありました。比較的自然災害が少ないと思われていた関西の平野部に天変地異が集中しているようにも思えます。日本列島は災害列島だと改めて感じさせられました。

予算5000万円

9月4日(火)

「先生、東京のマンションはどちらがおすすめですか」と、Tさんから突然聞かれました。一瞬どういうことかわからなくてあれこれ聞き返してみると、Tさんのご両親がTさんのために東京でマンションを買ってくれると言っているのだそうです。ですから、都区内で買うとしたらどの辺のを買うのがいいかという質問でした。

「予算は?」「5000万円ぐらいです」「5000万あればこの近くでもいいのが買えると思うよ。富久クロスは億ションだっていうけど」…ということで、諸費用込みで5000万円ほどの物件を探しているようです。Tさんは大学院に進学して、もしかすると研究員として日本に残るかもしれません。そう考えると、5000万円で子どもにしっかりとした生活の場を与えるというのも、親としては妥当な投資のような気もします。Tさんが日本で仕事を続け、家庭を持ち、生活の基盤を築くのならそのマンションを持ち続けてもいいし、帰国するのならその時点で売り払っても子どもの充実した留学生活に寄与したとして、よしとするのでしょう。

富久クロスの億ションの話をしたらちょっと目つきが変わりましたから、Tさんの親御さんはもしかすると5000万円どころかもっと出すかもしれません。バブルの頃の日本人も、アメリカあたりでこんな勘定をしていたのでしょう。これが国の勢いの違いかなあと思います。先進国の中で日本だけがこの20年ほどの間で経済成長がほとんどありません。低成長といわれているヨーロッパ各国でさえ、経済規模が1.5倍ぐらいになっているそうです。

Tさんが5000万円か1億円のマンションで学生生活を送ってもいいですが、学生の本分と親御さんへの感謝は忘れないでもらいたいです。根がまじめなTさんならそんなことはないと思いますが…。

甘い生活

9月3日(月)

最近、財布をなくしたといって事務所へ来る学生が増えたように思えます。また、忘れ物として財布が届けられることも何件かあります。授業後、教師や日直が教室を点検して机の中に置きっぱなしになっている財布を見つけることもあります。残念ながら、「なくした」のほうが出てくる件数よりも多いため、なくしたと訴えてきた学生全員の手に財布が戻ってはいません。

詳しく話を聞いてみると、鞄のファスナーなどを閉めずに、口が開いた状態で教室やラウンジなどに置いたという例も見られます。確かに盗るやつが一番悪いですが、これなんかは盗られた方も重大な不注意を犯しているといわざるを得ません。誰もいない部屋に貴重品の入った鞄を置いたままどこかへ行ってしまうというのも、いかがなものかと思います。自分の国でも同じようなことをしてきたのでしょうか。

日本は治安がいいとよく言われます。しかし、それは程度の問題であって、悪人が全くいないという意味ではありません。本屋やコンビニなどでは万引きが増えているといいます。人ごみではスリに用心するのが常識です。もちろん、置き引きに遭わないように自己防衛しなければなりません。KCPの学生は、無邪気というか、無防備というか、そこのところの脇が甘いんじゃないかなあ。オリエンテーションでさんざん注意はしているんですけどね。

最大限の注意を払ってなおかつこうなってしまったのならともかく、抜け落ちがたくさんある状態で不愉快な目に遭ったとしたら、だから日本は暮らしにくいとか、想像とは全然違ったとか言ってほしくありません。冷たい言い方ですが、そこでなくしたお金は授業料です。授業料は1回払えば十分です。

留学生活を楽しみたかったら、必要最低限の身を守る姿勢ぐらいは身に付けておいてほしいです。

逝く

9月1日(土)

今週一番ショックだったニュースは、やっぱりさくらももこさんが亡くなっていたことがわかったというニュースです。サザエさん同様、ちびまるこちゃんも作者が亡くなってもアニメ放送自体は続くでしょうが、どこからともなく寂しさが湧き上がってきます。

さくらももこさんは私より少し若いですが、だいたい同じ世代と言えます。それゆえ、ちびまるこちゃんの1つ1つの場面やエピソードには、非常に強い共感を覚えます。そういう、懐かしさを共有できる人が亡くなったこと、子どものころの思い出を掘り起こしてその中に浸らせてくれる人がいなくなってしまったことが、寂しさの源だと思います。

サザエさんもドラえもんもクレヨンしんちゃんもかつての日本の家族や暮らしを描いていますが、私の世代にドンピシャリなのは、やはりちびまるこちゃんです。舞台設定が、1970年代の清水という、大都会でもド田舎でもない、ほどほどに田舎で人の温かみがあって子どもが街と自然の境目ぐらいで遊んでいてという、私が子供のころに過ごした環境に近いのです。上述のようにちびまるこちゃんは不滅でしょうが、なんだかちびまるこちゃんにも永遠に会えなくなり、郷愁を覚える街も一緒に消え去ってしまったような気がしてなりません。

日本のアニメにあこがれて来日する学生も多いですが、物心ついたのは21世紀という彼らにとっての“さくらももこ”はいったい誰でしょう。彼らが私の年代くらいになったときに子どものころの香りを呼び起こされる作品って何でしょう。そんなことを考えた一週間でした。

そろそろ

8月31日(金)

昼休みに、YさんがA大学の志望理由書を持ってきました。A大学全体や志望学部のホームページを読み込んでいることはわかりましたが、まだ自分の言葉になっていないところがあります。辞書で調べて固い表現を使おうとしているのはいい傾向ですが、その言葉が浮いているんですねえ。いかにも使いつけない単語をこねくり回しているという感じがします。誰にでも書ける文章ではないものの、インパクトがいまひとつという気がします。

Yさんの次はBさんが面接練習を申し込んできました。本番は3週間ほど先ですが、ちょっと内気なBさんが自分の光る部分を語れるようになるには、少々時間が必要です。来週から鍛えていくことにしました。

毎年、受験日直前になって、何を着ていったらいいかとか、ネクタイの結び方を教えてくれとか、靴下は黒じゃないとダメかとか、急に不安になった学生からあれこれいろいろと聞かれます。また、誰がどうひいき目に見ても絶対に似合っているとは言いかねる格好で試験場からKCPに寄る学生も少なくありません。今年は、服装関係の専門の方をお呼びして、面接試験を受けるときの服装の基本的なマナーについて講義していただくことにしました。その講義への参加者を募集したところ、講堂がサラッといっぱいになるくらいの人数になりました。

8月末日、締め切りが早い指定校推薦の校内選考の応募締め切りでした。クラスで「最終日」と聞いて私も応募したいと言ってきた学生が2名。しかし、2名とも志望学部が合わなかったため、応募には至りませんでした。

たった今、JASSOから6月のEJUの結果で奨学金の予約ができることになった学生への通知書が届きました。宛名を見ると、しかるべき学生がもらえることになったようです。

夏休みが終わり、8月も終わり、学校全体を受験モードにしていかなければなりません。

若いうちに

8月30日(木)

Sさんは今年の4月生で、T大学を第1志望校にしている初級の学生です。T大学は超難関校ですから、来年首尾よく入れるかどうかわかりません。その場合、どうするかという話になりました。要するに、T大学に入ることにこだわるか、1年でも早く進学することを優先するかです。

私は1年でも早く進学することを勧めました。Sさんは理科系の学生で、将来は研究者になろうと考えています。理科系の研究者は若いときにどれだけいい仕事をするかで人生が決まります。ですから、若くて柔軟な頭脳を1年間受験勉強というあまり創造的とは思えないことに縛り付けておくことには賛成できません。偏差値レベルとしてはT大学に劣る大学でも、そこに入って早く専門教育を受け、研究を進める力を身に付け、センスを磨き、1秒でも早く研究の第一線での競争に参戦することが、研究者としての人生をより実りあるものとすると思います。

また、理科系の場合、入りやすい大学に入って、大学院入試でいわゆる一流大学を狙うことも可能です。さらに、すでに故国を後にしている留学生なら、日本の大学から海外の大学院に進学することについても、日本人の大学生より壁が低いと思います。

KCPの営業的には2年勉強してもらったほうがいいです。でも、Sさんの理数系の実力をもってすれば、日本語の実力を順調に伸ばしていければ、年明けが独自試験となる国立大学なら、合格の芽もないわけではありません。だから、Sさんには1年で進学して、研究者として輝く道を進んでほしいのです。そういう意味で、Sさんは私にとって希望の星です。

しまっていこうぜ

8月29日(水)

超級クラスで漢字のテストがありました。9時に出席を取ってテスト用紙を配ろうとすると、Mさんが「あれっ?」とも「しまった!」ともつかない顔で周りの友達に何か聞いていました。Cさんはテスト用紙が配られても問題に取り掛かろうとしません。2人とも、テストがあることをすっかり忘れていたのです。Mさんは無理して受けましたが結局不合格、Cさんは棄権扱いで0点。後日再試験を受けてもらうことになります。

テストは学生の仕事みたいなものです。予定は学期の最初に発表されています。それにもかかわらず忘れたとは、学生にあるまじき姿勢です。夏休みで緊張感が失われてしまったのでしょうか。2人とも自分が悪いと思っているようですから、追い討ちをかけるようなことはしませんでしたが、十分に反省してほしいです。

Yさんは来年進学の予定です。もう間もなく志望校の出願が始まります。国の高校の書類も取り寄せているようですし、併願校の出願期間や試験日なども予定表に記されています。しかし、夏休みはうちでごろごろしていたそうです。1日ぐらいはのんびりしたいという気持ちはわかりますが、それがだらだらと1週間も続いてしまったに違いありません。こちらも、切迫感のなさがにじみ出ています。

最近Kさんに会っていません。今月初めに夏風邪で休んでから、すっかり休み癖がついてしまったようで、心配しています。授業後、ちょっときつめの警告メールを送りました。このままでは冗談抜きで、ビザの要件に合わないということで、帰国してもらわねばなりません。優秀な学生だけに、こんな形で挫折させたくはありません。

灰色の学生生活を強要するつもりはありませんが、なんだか緩んじゃってるなあ…。

亡霊

8月28日(火)

夕方、受験講座が終わって職員室に下りてくると、私のクラスのWさんがK先生と大学院の出願書類について相談していました。「先生、Wさんは授業中大学院の書類を書くなんていうことはしていませんでしたよね」とK先生。「ええ、全然そんなこと、ありませんでしたよ」と私。Wさんが授業中に書類作成するなんて、ありえなかったのです。午前中のクラス授業は欠席していたのですから。

Dさんは美大の大学院を目指す学生です。授業後に面接をすると、作品には自信があるけれども、面接官に何か聞かれたら上手に答えられるかどうかはわからないと言います。入学以来のDさんの成績を見ると、聴解がずっと悪いです。聞き取れないから答えられない、だから「読む」に力を入れてきてそれに頼り切って、その結果が上述の不安なのです。入学から1年余り、「読む」だけでテストの成績を整え進級を続けてきましたが、苦手の克服を怠ってきたツケが出願直前にいたって、覆い隠すべくもなく露になったのです。

先学期までのDさんは自信過剰で、聞き取れなくても話せなくても自分には実力があると思い込んでいました。しかし、今学期、いざ出願するに及んで、自分の作品のすばらしさも語れない、だから面接官にそれを伝えようもなく、日本語教師ではない一般の日本人が話す言葉がさっぱりわからないというコミュニケーション力のなさに愕然としています。

Wさんだって、一歩間違えればDさんです。授業をサボってどんなに立派な書類を完成させても、いや、書類が立派なら立派なほど、面接官はWさんの話す言葉とのギャップに愕然とするでしょう。最悪の場合、書類は自分で作ったのではないと判定されてしまうかもしれません。

学生たちはロングスパンの物の見方ができません。だから、学生が目先の事柄に捕らわれすぎていたら遠くを見させるのも教師の重要な役目です。明日からも面接が続きますが、熱に浮かされている学生を目覚めさせるのに苦労する毎日となるのでしょう。

歩き心地

8月27日(月)

8月19日(日)14:34、室戸岬近くのバス停にバスが着くはずの時刻ですが、まだ来ていません。田舎のバスは、乗降のない停留所が多いので、終点にちょうど定刻に着くように、途中の停留所へはやや遅れ気味で来ることがよくありますから、数分の遅延は気になりません。14:44、10分経ちましたが、まだ来ません。バス会社に連絡しようかと思いましたが、停留所の時刻表には連絡先が書いてありません。終点で11分の接続で電車に乗る予定ですから、穏やかではいられません。14:50、16分遅れでバスが来ました。私が乗るや否や、バスは猛スピードで走り出しました。国道55号線の、追い越し禁止となっているようなS字カーブも攻めまくって、信号のないことをいいことに直線では思い切り踏み込み、とろとろ走っている軽自動車を追い抜き、見る見る遅れを回復し、駅前には4分遅れで到着。30分強の乗車時間で12分も稼いだのです。

…これが、この夏休み最大のビックリでした。先週はずっと四国にいましたが、室戸の翌日に高松へ移動したため、台風19号20号の影響もほとんどありませんでした。讃岐山脈の偉大さに感心させられました。徳島県では元気だった雨雲も、讃岐山脈にぶち当たると消えてしまうのです。先週は、四国は雨がよく降ったのですが、香川県だけは台風が通過した23日深夜だけでした。だから、最大のビックリがバスの遅延回復だったのです。

室戸岬のほかに、四国八十八か所の結願の寺・大窪寺、讃岐平野の真ん中に盛り上がる讃岐富士こと飯野山と、少々マニアックなところを狙いました。それぞれ、1日に30キロ以上歩きました。それぞれ、山の頂上から下界を見下ろすところがあり、大汗をかいて息を切らせながら苦しい思いをして登ったけれども、この景色が見られるなら苦しんだ甲斐があったと心の底から思いました。

四国は、歩き遍路の伝統があるからでしょうか、歩行者に優しいと思います。横断歩道のところで立っていると、車が止まってくれる確率が本州九州北海道より高いように思います。また、「へんろ道」とかかれた赤い矢印が電柱やガードレールなどに貼られていて、陰から導いてくれます。四国の主だった観光地はほとんど見てしまいましたが、なぜかまた行きたくなるのは、こんなことがあるからなのでしょう。