わずか1時間

5月28日(月)

授業後、クラスの学生の面接をしました。中間テストの結果をもとに成績、進路や生活について話を聞き、アドバイスをしたり相談に乗ったりします。時には説教もします。

Yさん、Gさん、Cさんの3人の話を聞きましたが、3人に共通していたことは、自宅学習が1時間ということです。今学期でKCPをやめて帰国するとか言うのなら大目に見てあげてもいいですが、3人とも大学院や大学への進学を希望しています。たった1時間では宿題も満足にできないかもしれません。いわんや、受験勉強なんかしていないに等しいです。Yさんは6月のEJUは受けずに11月で勝負すると言っていますし、Gさんも6月の成績はあまり期待していないと弱気な発言をしています。大学院志望のCさんも、7月に受けることになっているJLPTの勉強が進んでいる気配は感じられませんでした。

アルバイトで忙しいというのなら、好ましいことではありませんが、勉強時間が1時間というのも理解できます。しかし、3名はアルバイトをしていません。Yさんは宿題をしたらすぐ寝てしまい、日々の睡眠時間は12時間だそうです。Cさんは日本の音楽を聞いたり小説を読んだりしているそうですが、中間テストの読解が不合格では、その効果は疑わしい限りです。Gさんにいたってはさらに要領を得ず、毎日何となく時間が過ぎているそうです。

志望校にしても、大学院受験のCさんは自分の研究したいことができるところを2校見つけていますが、Yさんは特に根拠がなくN大学と言い、Gさんは全く何も決まっていない状況です。30日に行われる校内進学フェアで目を見開いてもらわねば、どうにもならなくなってしまいます。

受験講座に出ている学生たちはこんなことになっていませんが、私たちのチェック網をすり抜けている学生たちの動向が気になります。面接した3人みたいな学生が他のクラスにも同じようにいるとしたら、今年の進学はどうなってしまうのでしょう。

お神輿が来た

5月26日(土)

お昼過ぎ、1階で仕事をしていると、「わっしょい、わっしょい」という掛け声が遠くからだんだん近づいてくるのが聞こえてきました。今週末は花園神社のお祭で、こども神輿が学校の前の道を通ったのです。

花園小学校は全校児童が100名ちょっとだというのに、お神輿の周りには50人ぐらいの子どもがいました。いったいどこからこんなに子どもが集まったのだろうという感じでした。このあたりの町内会は下町的なつながりがありますから、お祭となると親も子も血が騒いで、家にこもってなんかいられなくなるのでしょう。

お神輿のそばには、明らかに日本人ではない雰囲気の子どもも、白いはっぴを着てはちまきをして歩いていました。嫌々付き合わされているのではなく、子どもながらにお神輿を守るという重い責任を感じ、とても凛々しい顔をしていました。外国人だから…などという区別も差別も遠慮も特別扱いもありません。新宿区は約30万人の日本人と4万数千人の外国人とから構成されています。1割以上が外国籍の方ですから、お神輿を担ぐ子どもに数名の外国人が含まれていても何ら不思議はありません。むしろ、こうやって取り立てるほうが不自然なくらいです。

明日は、KCPの学生もお神輿を担ぐことになっています。はっぴに地下足袋といういっちょまえの装束を身に付けます。お神輿を担ぐ学生たちの出身地にも、何がしかのお祭はあるでしょう。そのお祭に地元住民として参加するのと同じように、明日はお客さんではなく自分の街のお祭だと思ってお神輿を担いでもらいたいです。

復活

5月25日(金)

金曜日は、みどりの日、運動会、中間テストと3週間連続でつぶれていましたから、ほぼ1か月ぶりに金曜の初級クラスに入りました。4月の最終週は御苑でお花見だったのでろくに授業をしませんでしたから、ほとんどアウェー状態でした。この間、諸般の事情であるクラスに集中的に代講に入りましたから、そちらのクラスのほうが事情がよくわかるほどです。まあ、こういうのは惑星直列みたいなレアケースでしょうが…。

出席を取る時はごくわずかな特徴的な学生しか覚えていませんでした。でも、幸いにも返却物が何種類もあったので、それを返しながらどうにか顔と名前を一致させていきました。だんだん勘を取り戻してきましたが、まだパキパキと指名する段階には至りません。できる学生だと思って難しい問題を当てたら、その学生はあわあわするばかりで大いに当てがはずれたり、集中していない学生を指名したつもりがその隣の隣の学生だったり…。このクラスは机の上に置くネームプレートを作っていたことすら忘れていました。

初級は特に顔と名前をしっかり覚えて、次々と指名して緊張感を持たせながら練習していくことが肝要です。頭で理解していても、口が回らなければコミュニケーションは取れません。コミュニケーションを無視した語学の勉強は、畳の上の水練に過ぎません。個人指名がうまくいかない分をコーラスでごまかしちゃいましたが、これじゃあ必要最低限をかろうじてこなしたっていうだけです。

今学期は期末テストも金曜日ですから、このクラスの私の授業はあと3回。頭の中の配線が復旧しつつあります。学生たちの実になる授業をしていきたいです。

みんな受けてきて

5月24日(木)

今週末、T専門学校が主催するEJUの模擬テストが行われます。受験希望者を募り、その名前をT専門学校に送り、受験番号をもらい、それを受験する学生に伝えるという作業をしてきました。今年も大勢の学生がこのテストに申し込んでいますが、数年前、実際に受験したのが半分くらいだったという事件がありました。

学校間の信頼関係の上に立ってテストに参加させてもらっているのですから、その信頼関係をぶち壊すような行為は非常に困ります。「受けてください」と言われて「それでは…」というのではなく、自ら「受けます」と申し出たにもかかわらず「やっぱりやーめた」と言いもせずに欠席してしまうのです。その神経が、私にはわかりません。

ケータイでいつでも連絡がつくようになってから約束が軽くなったという話を聞いたことがあります。とりあえずつばだけつけておいて、ちょっとでも都合が悪くなったり面倒くさくなったりしたらあっさりキャンセルというパターンです。キャンセルの連絡をしていたうちは今思えばまだよかったのですが、キャンセルし慣れてくるとその連絡も省略してしまい、約束の重みが失われていったのだそうです。

先日の運動会だって、選手に選ばれていたのに無断欠席して、周りに迷惑をかけた学生が1人2人ではありませんでした。中間テストの結果を見ながらの面接だって、自分で選んだ日時なのにすっぽかす学生が、クラスに必ずいます。自己中とかわがままとかという言葉で片付けてしまうのは危険だと思います。

ことばの重みを教えるのも、ことばを教える教師の役割だと思います。そのためには、自分自身が自分のことばに責任を持たなければなりません。

目盛りをメモリー

5月23日(水)

漢字の時間に「盛」の字を取り上げました。教科書には、「繁盛」「全盛期」など、「盛」といえば「大盛り」の学生たちにとって普段見慣れない使い方が載っています。教科書に載っている用例以外に「花盛り」と板書して「読めますか」と聞いたところ、さすがに「はなもり」は出てきませんでした。私がわざわざ聞くくらいですから、「はなもり」などという単純な読み方ではないだろうということぐらいは見当がつきます。1か月以上も付き合っているんですからね。少しひねって「かもり」という答えが出てきましたが、そこまででした。

答えが出てきそうもないので、「はなざかり」と板書すると、「グォーッ」というような驚きの声が上がりました。意味を教え、この場合の「盛り」は「全盛期」の「盛」と同じなんだよと解説すると、みんな一斉にノートに取っていました。「働き盛り」「食べ盛り」「伸び盛り」などは、応用で意味が理解できました。「君たちの日本語の実力は、今が伸び盛り? それとも伸び盛りが過ぎちゃった?」なんて聞いたら、ドキッとした表情の学生もいました。

次に「目盛り」と書くと、お決まりのように「めざかり」。「めもり」と口でだけ言うと、「メモリー?」と聞き返してきました。カタカナ語の「メモリー」の日本語流漢字表記だと思ったのでしょう。これもほうっておいたら授業時間が終わるまでわからないでしょうから、定規の絵を描いて、この細かい線のことだと説明すると、みんな納得しました。

この「目盛り」なんていうのは、日本人なら小学生でも知っていることばですが、KCPに限らずほとんどの留学生は知らないでしょう。もちろん、学生たちの国の言葉に「目盛り」はあるでしょう。ごくシンプルな概念なんですが、それを表す日本語がわからないという例は、かなりあるはずです。「みんなの日本語」で取り上げるほど基礎的ではなくても、どこかで改めて取り上げられることのない単語が山ほどあります。そんな単語を、「留学生だけ知らない日本語」として、ことあるごとに取り上げています。

好印象

5月22日(火)

授業を終え、教室から外階段を下りて職員室に入ろうとすると、3月に卒業したGさんがいました。Gさんは進学先がなかなか決まらず、卒業式が過ぎて、期末テストの頃にS大学に合格しました。ですから、6月のEJUを申し込んでしまっていたのです。その受験票が先週末に学校に届き、それを受け取りに来たというわけです。

「EJU、受けるの?」「はい。大学の授業を聞いて受験勉強の内容がわかるようになってきたところもあるし、大学の授業を理解するために高校の教科書を勉強しなおしていますから」「大学の勉強はおもしろい?」「出席率100%ですよ」「当たり前だろ、まだ1か月ちょっとなんだから」「でもS大学は思っていたよりいい大学です。大学院進学や就職にも有利みたいだし」「そうだよね。S大学だったら日本だけじゃなくて世界に出ても勝負できるよ」「でも、出席を全然取らない授業もあるし、プリントを持ち込んでもいいテストもあるし、甘い感じもします」「自分で自分をコントロールできないと生きていけないんだよ。変に安心していたら、成績が出てから泣くぞ」

進学先に絶望して仮面浪人しているわけではなさそうなので、安心しました。1か月半で新入生の心を捕らえたのですから、S大学は大したものだと思います。でも、反面、授業の管理は私が学生のころとあまり変わっていないようでもあります。その後、T大学に進学したKさんから、スマホを使った厳密な出席管理の話を聞かされましたから、なおさらS大学のおおらかさが浮かび上がりました。

こういう情報をもとに、在学生の進路指導をしていきます。S大学は、大きなプラスポイントを得ました。

ねじを締める

5月21日(月)

先週金曜日の中間テストには全員顔をそろえたのに、今朝8:55頃、私が教室に入ると、まだ半分ぐらいしか来ていませんでした。その後の5分間でばたばたと来たのですが、9時の時点で5名が欠席。うち1名は出席を取り終わった直後に入室したので大目に見るとしても、マイナス4名。最終的には欠席は2名でしたが、気が緩んでいることは否めません。遅刻の言い訳が寝坊ですからね。中間テストは、終わりじゃなくて、まだもう半分残っている、文字通り中間点なんですがね。

中間テストまで来ると、各クラスのカラーが明確になってきます。今学期の私のクラスは、元気はいいのですが教師に頼りたがるきらいがあります。教師の問いかけが、誰もわからない答えられないとなると、教師が答えをいうのを期待する目の色になります。わからないながらも答えを探し続けるとか、考え抜くとか、そういう意志が弱いのです。ですから、後半戦は私も容易に答えを言わず、どうにか答えにたどり着く苦労を学ばせたいと思っています。

さて、その初日。読解で指示詞の指す内容を問いかけました。まず、セオリーどおり、指示詞の直前の文を答えてくる学生がいました。しかし、私が指示詞を直前の文に置き換えて読み上げると、意味不明であることが明らかになりました。こうなると、黙りこくってしまいます。時間がかかることを覚悟の上で、動作主を考えさせ、前段落からの文章の流れを把握させ、その中において問題となっている指示詞が何を示しているのか、まとめさせました。

比較的カンのいい学生は、答えが見えてきました。私のヒントを組み合わせて、不完全ながらも「内容」にたどり着いた道筋を語ってくれました。まあ、初回ですから、このくらいにしておきましょう。次のレベルにあがるまでには、もう少しどうにかなってなきゃね。

朝から大汗

5月18日(金)

昨日の最低気温は21.4℃、今朝は20.0℃でした。このまま夜中まで最低気温が20℃を下回らなければ、最低気温が2日連続で20℃以上ということになり、これは昨年の9月26・27日以来です。熱帯夜の足音がかすかに聞こえてきたような気がします。

でも、20℃なら寝苦しいなどということはなく、半袖から飛び出した腕に触れる空気にも心地よいものがあります。そんなさわやかな朝、大汗をかきながら登校してきた学生がいます。Lさんは、おととい電車の中で足を踏まれ、踏まれた足が腫れ上がって、昨日は満足に歩けませんでした。見かねた事務職員が病院へ連れて行き、今朝は松葉杖を突いての登校でした。松葉杖の使い方になれているわけなんかなく、御苑の駅から学校まで歩いただけで、シャワーを浴びたような汗となってしまったのです。

Lさんが偉いのは、そんなどん底の状態にもかかわらず、ちゃんと学校へ来たことです。昨日、おとといは痛くて勉強がろくに手につかなかっただろうに、中間テストから逃げることなく受けに来たのです。やらなければならない時は、どんなに辛くてもやるという精神力は見事なものです。

Lさんにひきかえ、午前中試験監督に入ったクラスのMさんは、五体満足なのに8分の遅刻。担任のT先生によると、毎日のように遅刻してくるそうです。また、先学期の新入生でいつのまにか休み癖がついてしまったYさんも当然のごとく欠席で、担任のH先生を嘆かせていました。MさんやYさんがLさんほどのけがをしたら、休むのが当然の権利とばかりに、1週間ぐらい休んじゃうんでしょうね。

Lさんは、不器用に松葉杖を突きながら、病院経由で帰っていきました。暑さが本格化する前に治るといいですね。週末はゆっくり休んでくださいね。

伸び盛り

5月17日(木)

朝、まだ先生方の姿も少ない職員室で仕事をしていると、Oさんが受付のカウンターから私に向かってお辞儀をしていました。呼んでいるのだろうと思って行ってみると、「すみません。2階のラウンジを開けてください」と言います。普通の学生ならそのまま鍵を持って2階へ行くところですが、頼んできたのがOさんですから、ちょっとばかり驚いてしまいました。そんな程度の日本語なら、初級の学生でも話せるとお思いになるかもしれませんが、何と言っても声の主はOさんなのです。

Oさんは4月の新入生で、レベルテストの結果、中級と判定されました。しかし、ペーパーテスト以外の日本語力はゼロに等しかったのです。こちらの話が聞き取れない、自分から話そうとしないなど、コミュニケーションが成り立ちませんでした。Oさんよりも下のレベルに判定された学生に通訳してもらっていたくらいですからね。話す力を付けるために初級クラスにしようかという意見すら出てきました。

そのOさんが、自ら口を開いて自分の意思を私に伝えてきたのです。これが驚かずにいられましょうか。しかも、「毎日、朝早くから学校へ来ているんですか」と話しかけると、「明日、中間テストですから」ときちんと応答してくるではありませんか。1か月ちょっとの間に、長足の進歩と言っていいでしょう。

毎日のように顔を合わせている先生はなかなか気づかないものですが、きちんと努力している学生は確実に力を伸ばしているのです。その積み重ねが1か月とかという単位になると、はっとさせられるほどの高みに上っているのです。

そういう意味で、来週は1つ楽しみがあります。週1回、金曜日だけに担当しているレベル1のクラスに、4週間ぶりに入るのです。金曜日の授業は、みどりの日、運動会、中間テストと3週連続でつぶれています。伸びが一番大きいレベル1ですから、どこまで話せるようになっているか、今からワクワクしています。でも、不安もあります。顔と名前が全く一致しないんじゃないでしょうか。そもそも、学生たちは私を覚えているでしょうか…。

縁の下の力持ち

5月16日(水)

教職員側の運動会の反省会をしました。その中で、競技のお手伝いをお願いした学生たちが誇りを持って働いてくれたという意見が出ました。最上級クラスは専ら競技役員で、クラス対抗リレー以外は選手として競技に出ることはありませんでした。学生たちからは競技に出たかったという意見もありましたが、選手として参加していた学生から頼られる存在だったことが、それ以上に誇らしかったようです。担当の先生は、最上級クラスの学生としての自覚が出てきたともおっしゃっていました。

当日、私は審判としてずっと競技場にいましたが、競技役員の学生たちは実にきびきびと動いていました。事前の説明では自分の役割がいまひとつピンと来ていなかった学生も、現場で仕事を説明すると、改めて責任の重さを感じ、目に見えて顔つきが引き締まりました。朝、会場作りを手伝ってくれた学生たちも、こちらの指示をすばやく理解し、てきぱきとラインテープを張ったり競技に必要な物をしかるべき場所に運び出したりしてくれました。

学生たちは、教師に頼りにされることを密かに待ち望んでいるところがあります。通訳をお願いすると、ほとんどの学生が喜んで引き受けてくれます。レベル2の学生にレベル1の学生への通訳を頼んだこともありますが、ちょっと緊張気味にしっかり仕事をしてくれました。こういうことで学生の潜在力を引き出し、その学生を伸ばしていけたらいいなあと思います。

運動会を始め、学校行事で助けてくれた学生たちは、恩返しの意味も込めて、推薦書にはその旨を必ず書いています。日本は、光が当たる舞台を陰でさせる人たちを高く評価する伝統があります。学生たちがそれを理解し、地味な役割にも進んで手をあげる人へと成長していくことを願っています。