寒!

1月25日(木)

ゆうべ帰宅するために校舎の外に出たら、ほっぺたに冷気が突き刺さるような感じでした。今朝、出勤のためマンションの外に出たら、耳がちぎれんばかりの寒さでした。ずいぶん気温が下がっているなと思って調べてみると、ゆうべ10時の段階で気温は氷点下となっており、冷気が突き刺さるのも無理がありませんでした。今朝はマイナス3度ぐらいからどんどん下がっているころに外に出たのですから、耳も凍えたくなるわけです。

午前6:20に記録した最低気温氷点下4度は、48年ぶりの寒さだとか。東京郊外から通学してくるLさんは、自分のうちの近くがいかに寒いかを力説してくれました。南国出身のBさんは雪の解けなさ加減に驚いていました。その一方で、Sさんは、なんと半袖。生まれ故郷はマイナス40度になるから、マイナス4度は夏の気温だと言って、笑っていました。Kさんも、年末年始に帰った国はこんなもんじゃなかったと、震えている学生たちを甘いなっていう顔つきで見ていました。世界中から学生が集まっているのですから、雪や寒さに対する反応も千差万別です。

東京の最高気温は4度、快晴だったものの気温は上がらず、積雪は7cmから全く減りませんでした。明日も同様の寒さだそうですから、雪かきで築かれた雪の小山は、しばらく消えそうもありません。そうすると、来週水曜日のバザーが気になります。いつもの売り場には雪山、しかもこの寒さ。去年の夏はあまりの暑さでバザーを延期しましたが、今回のバザーも…。

朝のメール

1月24日(水)

今朝、学校に着いてメールを見ると、FさんがC大学に合格したと知らせてきていました。Fさんは7月期に初級で持った学生で、飛び抜けてできる学生ではありませんでしたが、負けず嫌いのところがありました。私のクラスでなくなってからも、志望理由書などの面倒を見ました。それがC大学の合格につながったのかどうかはわかりませんが、御礼のメールを送ってきたということは、貢献度ゼロではなかったのでしょう。

中級までのレベルでC大学ほどの大学に受かる学生には、どこか見所があるものです。Fさんの場合は、自分の弱点を正確に把握していたことでしょうか。聴解が弱いということを自覚し、それを補うためには何でもしていました。足りないところを正視しようとせず、できるふり、わかっているつもりを続ける学生は、結局沈んでいくのです。痛くても辛くても、欠けている部分をしっかり見つめ、そこを補強していく気持ちが、自分を伸ばすには必要なのです。

それよりも何よりも、こうして義理堅く合格を知らせてきてくれることがうれしいじゃありませんか。こういう気持ちは、進学してからも就職してからも、忘れてほしくないものです。もしかすると、人のつながりを大事にする姿勢が、面接か何かの際にC大学の先生方に伝わり、合格に結びついたのかもしれません。尋常ではなく一生懸命面倒を見てくださった先生に合格も知らせずいい気になっていたHさんの合格までの道のりが遠かったのも、そんな神経が相手方に垣間見えてしまっていたのでしょうか。

今年度は、まだまだ世話を焼かねばならない学生が大勢います。

雪の朝

1月23日(火)

朝(多くの皆さんにとっては夜中でしょうが)3時に目を覚ますと、まだ始発前なのに電車が走っている音が聞こえました。1番電車から正常に動けるように線路の状態を保つための運転です。運転士や保線係員や駅員のみなさんが夜通し働いて、私たちの足を確保してくれていたのです。ゆうべも、どこからこんなにたくさんの駅員を集めてきたのかと思うほど多くの駅員が、各駅のホームで安全確認をしていました。こういう鉄道会社の方々のご尽力に、手を合わせたくなりました。軽やかな電車の走行音を耳にして、正常運転を確信しました。

吹きだまりに踏み込んでも構わない靴をはき、予備の靴下と汚れたら捨ててもいいタオルをかばんにしのばせ、家を出ました。駅までの道は雪に覆われていましたが、アイスバーンにはなっておらず、いつもより多少時間はかかったものの、難なく駅に着きました。いつもはメトロの車両の1番電車が東武の車両だったくらいで、新宿御苑前駅までもいつもどおり。駅から学校までも、つるんつるんではなく、慎重に歩けば問題なし。

朝、トイレ掃除をしてもらっているKさんも時間通りにやってきました。その後30分ほどかけて校舎前を除雪したのが、いつもとの最大の相違点でしょうか。雪かきをしてみると、雪がとても軽くて驚きました。東京に降る雪は湿った雪が多く、雪の重さをどっしりと感じるものですが、今回の雪は乾いた雪だったようです。上空に北国並みの冷たい気団が入ってきていたのでしょう。

「東京で23cmも雪が積もるのはめったにないことだから、皆さんはラッキーなんですよ」というと、学生たちは苦笑い。今回生まれて初めて雪を見たという学生も、移動の大変さが身にしみて、無邪気に喜んでばかりもいられなかったようです。

天気予報が言っていたほど気温は上がりませんでしたが、雪解けはかなり進んだようです。でも、地球規模の大気の流れやラニーニャ現象、黒潮の蛇行などを考えると、本格的な春の前にもう1回ぐらい大雪が降ってもおかしくはありません。果たして、どうなるでしょう。

白い世界

1月22日(月)

初雪が大変なことになってしまいました。東京は久しぶりのまとまった積雪で、午後の授業は早めに切り上げ、学生たちをすぐに帰しました。東京は、雪の翌日は冬型となり、きれいに晴れ上がるのが通常ですから、これ以上の雪はあまり心配していません。しかし、電車がどうなるかは全く予想がつかず、明日の朝の授業が普通に始められるかは予断を許しません。

天気予報では雪と言っていましたが、私は低気圧がこれほどドンピシャリ東京に雪を降らすコースを取るとは予想できませんでした。雪の影響を受けずに逃げ切れるのではないかと踏んでいたのですが、大はずれでした。でも、選択授業の「身近な科学」の絶好なネタが得られました。今週か来週か、学生たちにじっくり解説しましょう。

この雪の中、卒業生のAさんが来ました。ビザがもらえずに来週帰国することになったそうです。R大学に進学したものの、成績が悪くて退学になり、T専門学校に入りました。1年勉強して、もう1年ビザをもらおうとしたところ、R大学を不成績で退学になったことを理由に、延長を認めてもらえなかったとのことです。T専門学校ではまじめな学生で、しかるべき成績を収めていたとのことでしたから、理不尽な感じが否めません。Aさんの話しか聞かずに一方的に決め付けてはいけませんが…。

Aさんは、専門学校と話をつけて、一旦帰国しますが、また来日してT専門学校での勉強を続けるとのことです。違った意味での勉強の厳しさを知ったAさんは、この次はきっと身になる勉強をすることでしょう。

雪で電車が止まるかもしれませんから早く帰るようにと言っていますが、KCPの先生方は帰る気配がありません。仕事熱心なのはいいのですが、明日以降のことも考えてくださいよね。

AIと働く

1月20日(土)

1年で一番寒いとされる大寒を迎えました。覚悟して家の外に出ると、思ったほどでもありませんでした。空を見上げると星が見えず、上空の雲が多少なりとも熱が逃げるのを防いでくれたようです。しかし、日中もその曇り空が続いたため、気温はあまり上がりませんでした。

超級クラスでは、読解の時間にAIの上司とはどんなものかというテキストを読みました。意見があふれ出て激論が交わされるような雰囲気のクラスではないので、このテキストを踏まえて上司とはどういう存在かについて文章を書いてもらいました。それを一気に読んだのですが、深く考えて書かれた文章が多かったです。

学生たちは、私が思っていたよりAIの上司に対して好意的でした。感情に流されずに部下を評価できる、常に論理的に冷静に判断が下せるなど、考え方がぶれないことに期待しているようです。女性差別がなくなるので、女性の戦力化が進むのではないかという意見もありました。

学生たちはこの後30年かそれ以上、会社かそれに類似した組織で働くことになります。あと10年働けるかどうかの私より、AI上司について真剣に考えたことでしょう。そういう彼らが、その間気持ちよく働けるのは、人間よりもAIの上司の下だと思ったのです。“人付き合いが苦手だから、上司はAIのほうが働きやすい”という意見には、同感したくなるものがあります。学生たちの考えを読んで、私も認識を新たにしました。次の読解もAIに関するテキストです。また学生たちから刺激を受けたいです。

大寒の次の二十四節気は立春です。日の光に力がみなぎりだすまでもう少しです。

明日が本番

1月19日(金)

今学期は、金曜日だけ午後に理科の受験講座がありません。のんびりできるかというと、受験期はそんなことなく、面接練習がしっかり入っています。1月も半ばを過ぎるとシーズン末ですから、受験生側は余裕がなくなり、面接練習というよりは、3月までにどこかに滑り込むための進学相談の様相を呈することもあります。

今まで独自の道を歩んできた学生がこちらを頼り出し、その独自の道のいい加減さが露呈するのもこの時期の特徴です。“私がやってきたことは間違いないよね”という確認のつもりで面接練習を受けたらボコボコにされて、一から出直しということもよくあります。自信を失わせては元も子もありませんから、持ち上げつつさりげなく方向転換させなければなりません。

「日本で高いの技術を学び…」といった、下手に聞こえる文法の間違いを直すにしても、そういう話し方の癖ががっちりこびり付いてしまっていたら、困難を極めます。KCP入学以来さんざん注意されてきたはずですが、右から左へ聞き流していたんでしょうね。直前になってようやく教師が目を三角にしていた意味がわかったんじゃないでしょうか。いや、この期に及んでも“私は大丈夫”と信じていて、こちらの指摘も聞き流すだけかもしれません。

答えの内容が空虚だと、人格を疑われかねません。文法的語彙的に変な言葉遣いをすると、誤解を与えることがあります。私は、誤解されるおそれがない間違いは指摘しません。ミスを気にしすぎて答えが縮こまってしまってはいけませんから。でも、答える人の個性が見えない答えは再考を促します。それが流暢な日本語だと、いかにも心がこもっていなさそうに聞こえます。たどたどしかったら、単なるアホと思われてもしかたがありません。

今週末が入試の面々は、明日以降どんな戦いをしてきてくれるでしょうか。

直前なのに

1月18日(木)

授業後、今度の日曜日に面接があるというBさんの面接練習をしました。本番3日前ですから仕上げの練習と思いきや、久しぶりに聞く行き当たりばったりの受け答えでした。「どうして本学で勉強したいんですか」「貴校は2年生の時、海外に行きます」「ああ、海外プログラムですね。海外で何をしたいですか」「会社を見たいです。それからスポーツサークルに入ります」「会社を見たい? スポーツサークル?」「国でバスケットボールをしました」…。夏ごろの、まだ面接慣れしていない学生でも、もう少しましな答えをします。

中身もないし、ストーリー性もないし、志望校についても知らないし、しかも早口で発音も悪いし、どうしてこんな学生が野放しになっていたのでしょう。Bさんは同級生よりも口数が多いですから、自分は話すのが上手だと勘違いしています。友達と単語だけで話したり、教室で教師がクラス全体に聞いたときに真っ先に答えたりするのと分けが違うのです、面接は。ある程度の長さの話を、論理的にしなければなりません。面接官という聞き手を意識して、その人の心に訴える話し方が求められます。

途中から面接練習ではなく進学相談っぽくなってしまいましたが、わかったのは、Bさんが入試をなめてかかっていたということだけ。Bさんは、だいたいこんなことを話せばいいと思って、志望理由や将来の計画などを突き詰めて考えたことがないのです。ダメ出しをし続け、どうにかこうにか土壇場に追い込まれていることに気づかせました。普通、Bさんのレベルの学生にはさせないのですが、進学についてきちんと最後まで考えさえるために、想定問答をノートに書いてくることを命じました。

Bさんは、この宿題をやってくるでしょうか。

5:46

1月17日(水)

23年前、震源から300kmほど離れた山口県徳山市(当時)でもかなりの揺れを感じ、私もその揺れで目を覚まし(そのころは、今ほど早起きはしていませんでした)、テレビをつけました。神戸が壊滅していたのがわかったのが、地震発生からしばらく経ってからだったこともよく覚えています。あの日からしばらく、衝撃的な画像や映像が数え切れないほど目に入ってきました。

神戸とは特別濃密な関係はありませんでしたが、私も何かしなきゃという気持ちになりました。会社が派遣する被災地支援要員に選ばれなかったのが残念でなりませんでした。神戸ほどの街がつぶれたというのは、当時の日本人にとっては、かなりのショックでした。

山陽新幹線が復旧してから神戸を通り抜けましたが、ブルーシートに覆われた町には言葉を奪われました。初夏の陽光に輝く青に、かえって痛々しさを感じました。

超級クラスの授業で、阪神淡路大震災を取り上げました。学生たちの多くは、地震のない地域から来ています。日本は地震とは切っても切れない縁があること、日本文化には地震との共存や地震からの復興も含まれていることを訴えたかったです。事実、阪神淡路大震災後も東日本大震災やおととしの熊本地震をはじめ、死者が出るほどではなくても、多くの人々を恐怖に陥れる強い地震が、毎年発生しています。東海地震をはじめ、相当規模の地震が近い将来襲ってくることが予測されています。日本で暮らすとは、そういうことを前提に生きていくことなのです。

春になったら、野島断層を見に行こうと思っています。

何でもしますよ

1月16日(火)

金曜日が出願締め切りのSさんの志望理由書の手直し、今週末に入試を控えたCさんの面接練習、上級クラスの卒業文集下書きの添削と、年度末ならではの忙しさが続いています。

Sさんの志望理由書は、内容が欲張りすぎていたので、ばっさり切り捨てて規定の字数に近づけました。同時に論点を絞って、Sさんの将来に対する考えを明確にしました。Sさんは私が切り捨てた部分に未練があるようでしたが、それを盛り込むと面接で墓穴を掘ることになりかねません。あきらめも肝心です。

Cさんは、早口でいけません。留学生のへたくそな日本語に毎日接している私ですら聞き取れないのですから、大学の先生が理解できるわけではありません。内容的にもありきたりで、評価に値する答えが少なく、これでは合格は危ういです。また、視線がすぐそれるので、面接官に好印象を与えることはありません。

卒業文集の下書きは、油断していましたねえ。すーっと読めるのもありましたが、YさんやPさんの原稿は何度も何度も読み返さないと内容が理解できませんでした。また、“てから”と“たから”を間違えるなど、初級の文法ミスも山ほどありました。卒業したら次の学期に再入学してほしいような文章が多く、疲れもひとしおです。

それに加えて、受験講座開始。初回はオリエンテーションをしましたから、そんなにハードではありませんでした。しかし、これから6月のEJUまで、ガンガン鍛えていかなければなりませんから、嵐の前の静けさみたいなものです。

さて、まだ添削が残っていますから…。

成人式がありました

1月15日(月)

私の席から、見るともなく窓越しにロビーに目をやっていると、いつになく着飾った学生が教室へ向かって行くのが見えました。私の教室にも、スーツを着た学生がちらほら。

午前の授業後、講堂で成人式がありました。この場に集まった学生の多くが生まれた1997年は、私が日本語教師養成講座に通っていた年です。その頃に生まれた赤ちゃんが私の目の前に成人として居並んでいるのかと思うと、感慨深いものがありました。

20年前は、北海道拓殖銀行や山一證券などの金融機関がつぶれ、バブル後の日本経済が混迷のどを深めた年でもありました。でも、根が楽天家だからなのでしょうか、日本語教師として生きていくことに大きな不安を感じてはいませんでした。文法や言語学や音声学や日本語の成り立ちなど、理系の教育を受けてきた私が、興味は持っていたけれどもじっくり学ぶことができなかった方面の勉強ができて、かなり幸せを感じていました。

当時の私と今の私とを比べるとずいぶん変わったものだという思いがしますが、成人式の学生たちは、ゼロから親元を離れて外国で1人暮らしをするまでに至っているのですから、ただただ頭が下がります。成人式を機に、さらに大きく伸びていってもらいたいと思いました。

成人式の直後、その成人式に参加していたSさんの面接練習。4月にもう一段の高みに上ろうとしています。力強く進んで行ってほしいものです。

20年後、学生たちはどんなふうにこの成人式を思い出すのかな…。