白ご飯

9月12日(火)

ちょっと白ご飯を食べただけなのに体重が1kgも増えてしまった――これは初級のWさんが文法テストの短文作成の問題に書いた答えです。“ちょっと遅刻しただけなのにひどく叱られた”みたいな答えを想定していたのですが、教師の貧困な発想をはるかに超越したすばらしい例文です。「だけなのに」の意味や機能を実によく捕らえていて、5点の問題ですが10点ぐらいあげたい答えです。

Wさんのような気の利いた例文が作れるようになる学生がいる一方で、今までかろうじてボーダーライン上に残っていた学生の明暗が分かれるのもこの時期です。期末テストまであと2週間ほどともなると、各レベルの授業は最後の大きな山場を迎えます。この山を越えられないと、上のレベルには進めません。まさに胸突き八丁です。先学期、私が持ったクラスの学生たちは、みんなこの胸突き八丁を越えて無事進級してくれました。しかし、今学期のクラスは危ないです。Lさん、Nさん、Cさん、Yさんあたりは、今からよほど奮起しないと、来学期もう一度同じレベルということになりかねません。

じゃあ、WさんとLさんたちはいったい何が違うのでしょうか。ひとつは想像力だと思います。Lさんたちも、四択問題だったらどうにか点が取れるんじゃないかと思います。でも、何もヒントがないところで「だけなのに」を使って例文を作れといわれても、「だけなのに」の辞書的意味以上に想像の翼が広がらないのです。

また、生活の単調さが想像力の妨げになっていることも考えられます。今朝は「食べてみたい食べ物」というお題で話をしてもらいましたが、「特にありません」などと言っている学生の作る例文は、面白みに欠けます。せっかく留学しているんだから、多少は刺激を求めようよと言ってやりたいです。刺激を求めすぎてもらっても困るのですが…。

Lさんたちが期末テストで逆転勝ちを収めることを祈ってやみません。

本当に弱いの?

9月11日(月)

久しぶりにOさんが学校に出てきました。漢字テストがあることなど知る由もなく、こちらはかろうじて0点を免れるのがやっと。その後の授業も浦島太郎状態が続き、教科書のどこをやっているのかもよくわかっておらず、無論予習などしているわけもなく、私もOさんに合わせて授業するはずもなく、いわゆる“お客さん”でした。

先週から始まっている期末タスクも、Oさんのことは全く考えていません。他の学生たちがタスクに取り組んでいる時間に、Oさんからの事情聴取と説教をしました。

先月から今月にかけての欠席理由として、お祖父さんが亡くなったことによる精神的ショックを挙げていました。でも、国外に留学しようという若者が、身内の死のショックを2か月も引きずっているようじゃお先真っ暗ですね。どんなにおじいちゃんっ子だったとしても、いい歳なんですから、そんなの言い訳にもなりません。あえて言います。そんなよわよわっちいハートでは、国を離れての勉強など続けられません。

これからどのように改善していくかと聞いてみても、こちらが納得できる答えは返ってきませんでした。「頑張ります」ベースの返事しかできませんでした。こんなことでは、お祖父さんが亡くなったことにかこつけて、学校を休んで遊び回っていたと思われても文句は言えません。具体的にどのように頑張るのかと聞いても、Oさんは押し黙ってしまうばかりでした。何も言わなければ私の怒りが収まるとでも思っているようでした。

Oさんの場合、誓約書などの類をいくら書かせても効き目はありません。申し訳ありませんが、Oさんを真人間に仕立て上げる時間と労力は、真に勉強しようと思っている学生たちに振り向けたいです。現に、Oさんの説教の直後にCさんの志望理由書を手直しし、この稿を書こうとしたときにSさんからメールが入り、同じく志望理由書の添削をしました。

さて、Oさんは明日どんな顔で学校へ来るのでしょうか、それとも来ないのでしょうか。

開業

9月8日(金)

今シーズン初の推薦書を書きました。Pさんは出席率もいいし努力家だし、喜んで推薦できる学生です。推薦書に書きたい内容がたくさんありますから、すらすらと書くことができました。この時期に推薦書と言ってくる学生は、たいてい来日当初から進学したい学校が決まっていて、そこを目指して努力を重ねてきた学生ですから、推薦書で悩むことはありません。Pさんもそんな1人です。

志望理由書の添削も頼まれました。夏休みの直前に相談に来ていたSさんが、A大学の志望理由書を書いてきました。相談に乗った時に志望理由書の書き方の基本を教えておきましたが、実際に書いてみるとそうスムーズには筆が進まなかったようで、約束の時間をだいぶ過ぎてから来ました。悪くはない内容ですが、でも、“悪くはない”止まりです。初めての学生が陥りがちな抽象論の空中戦が見られましたから、注意しておきました。Sさんはいいネタを持っていますから、それを活用してくれれば読み手の目を引く志望理由書が書けるでしょう。

初級クラスの学生の進学相談もしました。ZさんはM大学かC大学といい、FさんはJ大学かG大学と言っています。2人の実力からすると夢のような話で、来春の進学は無理そうだと気付き、予定を延長することを考え始めたようです。2人とも頭でっかちで、難しいものを読む勉強には熱心なのですが、語彙力が伴っていないため、その勉強が血肉になっていない憾みがあります。

来週は9月も半ばです。推薦書も志望理由書も進学相談も、どんどん増えていくことでしょう。時には引導を渡さなければならないことも出てきます。覚悟を決めて事に当たらないと、学生に負けてしまいます。

方針転換?

9月7日(木)

去年、新入生の学期に初級で受け持ったLさんを、今学期、上級でまた受け持っています。新入生の学期の面接では自信満々で、KCPで勉強することは何もないというくらいの勢いでした。初級クラスに入れられたのはKCPに見る目がないからだと言わんばかりでした。理系志望で、11月のEJUで300点ぐらい取ってM大学あたりに入るという計画を語っていました。

しかし、思い通りにはいかず、今年の6月のEJUでは日本語以外はさんざんで、その成績では理系の学部学科には出願できません。今年4月に進学できなかったら、W大学かC大学を受けると言っていましたが、そんなのは夢のまた夢になってしまいました。そこで、とりあえず文転を考え、出願に総合科目の成績がいらないO大学やK大学の経済学部を志望校として挙げてきました。でも、11月のEJUは、理系受験で捲土重来を期しています。

留学のビザで日本語学校にいられるのは、最長で2年ですから、Lさんは来年の3月にはKCPを卒業しなければなりません。その時に行き先が決まっていなかったら、帰国しなければならないのです。それなのに思わしくない成績に直面し、焦りを感じて文転を考え始めたようです。

しかも、Lさんにはメンツがありますから、できるだけ偏差値の高い大学というこだわりがあります。ぎりぎりの妥協線がO大学であり、K大学は本当にどうしようもなくなったらというつもりのようです。

理科系なら受験講座を取ってくれていたら、私もあれこれアドバイスしたり、受験講座の授業を通して勉強のペースを示したりできたのに、そういう接点がありませんでしたから、こういう事態になってしまいました。3月に卒業したSさんみたいに、うるさいくらいまとわりついてきれくれたら、いくらでも知恵を貸してあげられ、こうなる前にどうにかできたと思います。

そうはいってもどうにかしなければならないのが、私たちの役割です。さて、どう引っ張っていきましょうか…。

空振り

9月6日(水)

今学期末は、久しぶりに強権を発動しなければならないかもしれません。さっぱり学校へ来ない学生がいるのです。その学生は、私のクラスなのに顔がおぼろげなのですから、いかに休みまくっているかご想像いただけるかと思います。説教したくても、会えないのですから、説教のしようがありません。電話やメールなど、他の手段でも応答がなく、でも、たまに、私が授業担当の日を避けて学校に姿を現しますから、病気だったり変な道にはまり込んだりはしていないようです。

派手に休んでいますから、平常テストもろくに受けておらず、中間テストも未受験ですから、来学期は進級できません。勉強する気があるとは、到底思えません。すなわち、留学ビザの発給要件を満たしていません。だから、今学期末をもってやめていただこうと思っているのです。

一昔かもうちょっと前は、長欠の原因はアルバイトのしすぎと相場が決まっていました。“勤労学生”がクラスに何名かいるのが常でした。その後、ゲームのし過ぎで昼夜逆転というのが長欠学生の共通項になってきました。こういう学生たちは、ゲーム依存症だったのかもしれません。

今は、アルバイ励んでいるわけでもゲームにのめり込んでいるわけでもなく、ただなんとなく休んでいる学生が増えてきました。理由を聞いてもこちらが納得できる答えが返ってきません。私のクラスの長欠学生も、恋人が病気だからとか、どうしても言えない理由があるとか言って休んでいました。国にいたくないとか、日本は面白そうとか、消去法や漠然とした理由で来ていることが多いようです。

もちろん、大半の学生は「進学」とか「就職」とかの確たる目標を持って留学しています。しかし、無目的でお金だけはある学生たちは、将来、この日本で過ごした若き日々をどのように思い出すのでしょうか。

激やせ

9月5日(火)

夕方、学生指導を終えて夏休みの宿題のチェックをしていると、見慣れぬ若い人が職員室に入ってきました。一緒にいる在校生の友達のようですが、外部の人を気安く職員室に連れて来てもらっては困ります。

ところが、その若い人が話すと、その声に聞き覚えがありました。数年前に卒業したOさんではありませんか。KCPにいたときはぷっくり太っていたのに、実にスリムな体つきになっています。顔も半分ぐらいになっていましたから、見かけではわかるはずがありません。10kgやせたと言っていました。

あっという間に、A先生、M先生、H先生など、Oさんにかかわった先生方がOさんを取り巻きました。みんな一様に驚いていました。そして、Oさんがいた頃の記憶がよみがえり、同級生のGさんやKさんやLさんなどの顔が浮かんできました。昔話が満開でした。

OさんはM大学の4年生で、就職しようか大学院に進学しようか迷っているとか。卒業するときは、こんな軟弱な学生がM大学で通用するのだろうかと思っていましたが、順調に進級して進学すら視野に入れているのです。月日が流れるのは早いものです。

Oさんは昔の仲間と連絡を取り合っているそうですから、大学を卒業する前にみんなを集めてKCPへ連れて来いと言っておきました。本当にみんなが集まったら、びっくりさせられることばかりでしょうね。

実は、昼休みに、今年に春に卒業してD大学に進学したHさんが、夏休みを利用して関西から来てくれました。Hさんもわずか数か月ですっかりやせていました。勉強は大変だと言っていましたが、どんどん面白くなってきたとも言っていました。関西に進学した同級生と時々会っているそうです。

みんなKCPを卒業するとやせるということは、KCPの生活はまだまだ甘っちょろいということなのでしょうか。

誕生プレゼント

9月4日(月)

8月26日の天気予報によると、愛媛県中予地方は29日まではお天気がよさそうですがそれ以後は曇りがちとのことでしたから、早いほうがいいと思って、27日に予定を決行することにしました。それに、27日は私の誕生日なので、自分で自分を盛り上げるという意味も込めようと思いました。

27日朝、高い雲がかかっていて抜けるような青空ではありませんでしたが、まだ夏の名残の水蒸気が多いこの時期に秋の澄んだ空気を求めるのが無理なお話です。西条駅前のバス乗り場でバス待っていると、ご同業と思われる人々が10人ほど集まってきました。数分遅れで出発したバスですが、地元の人の乗り降りはわずかに1回だけで、実質的にロープウェイ乗り場までノンストップ直行便でしたから、ロープウェイ乗り場には逆に数分早く着きました。おかげで、予定より1本早いロープウェイに乗れました。

ロープウェイの終点は「山頂」と名乗っていますが、手前の山の頂に過ぎません。終点から15分ほど歩いたところに成就社という諸願成就のお宮様があります。そこで無事に登頂してこられることを祈り、お守り代わりに竹の杖を1本借りて、山頂を目指しました。

山頂という矢印に沿って歩いているのですが、道はどんどん下っていきます。楽な道なのは結構なのですが、せっかくロープウェイで稼いだ標高を吐き出してしまうのがもったいなく感じました。また、事前の予習で成就社からしばらく下りが続くと知っていましたが、実際に下り道を歩くとなると、このまま麓まで下りていってしまったらどうしようと不安にさえなってきました。

下り道が尽きると、今度は当然上り道です。登山道が整備されているとはいえ、やはり息が弾んできます。樹林帯の中を歩くことが多いので直射日光を浴びることはありませんでしたが、だんだん汗も流れてきました。途中で休もうと思っても、休むのに都合のよさそうな岩には誰かが腰掛けていて、頂上近くの有料トイレまで歩き続けました。この間ずっと「お先に失礼します」と追い越す一方でした。。

ガイドブックによると成就社から山頂まで3時間あまりなのですが、2時間弱で着いてしまいました。四国最高峰にとどまらず、西日本最高峰である石鎚山の山頂には、成就社に対する頂上社があり、そこで登頂できたお礼に手を合わせました。360度の眺望を楽しんでいるうちにサーッとガスがかかってきたので、予定より早めに下り始めました。すると、一緒のバスに乗って一緒のロープウェイに乗った人たちが上ってくるではありませんか。ちょっとしんどかったけど、早く上ってしまったおかげで絶景が拝めたのです。

下りは上りより時間がかからないはずですが、結果的にはほぼ同じ時間がかかりました。成就社で借りた杖が、帰り道になって役に立ちました。持って行った水の量が少なく、成就社に帰り着いたときには脱水症状気味でした。かき氷で細胞を生き返らせ、ロープウェイで麓に下りてバスが来るまでの1時間ほど、ボーっとしているうちにどうにか復活してきました。

西条の町に戻ったら夜は美味しいものをいっぱい食べようと思っていましたが、それほどの食欲も湧かず、狙っていたラーメン屋さんで790円也の、味がよーくしみたチャーシュー麺をいただいただけで、今年の誕生日は終わりました。

予定変更

8月25日(金)

Sさんは、去年国でJLPTのN2を取りました。それを手土産に、4月に日本へ来て、1年でW大学に進学するつもりでした。しかし、その目論見は潰えつつあります。

まず、KCPのプレースメントテストで初級に判定されました。さらに、その初級クラスでもすばらしい成績というわけにはいかず、今学期の中間テストでもどうにか合格点を確保したに過ぎません。そして、ようやく、今の自分の力ではW大学など夢のまた夢で、来春進学できるとしたら、Sさんの考えている大学より数段落ちるところだろうということを悟りました。大学のレベルで妥協するのではなく、予定を1年延ばすに至りました。

Sさんは12月にN1を受けるつもりでその勉強もしていますが、わからないことだらけで困っているそうです。文法テストの間違え方を見る限り、基礎部分がスカスカでN2合格だって奇跡に思えてきます。よほど気を引き締めてかからない限り、W大学の入試の長文読解や小論文に堪えられる実力をあと1年でつけることは不可能でしょう。

話すほうも単文が中心で、いかにも初級という感じです。単文と単文の間に抜け落ちている接続詞や「たら」とか「ても」とか論理性を担う語句などを補わなければなりませんから、こちらがかなり歩み寄らないと、コミュニケーションが成り立ちません。このままだと、Sさんがどんなに立派なことを考えていたとしても、面接官を始め、それをどうしても理解してもらいたい方々に伝えることも難しいでしょう。

来週は夏休みです。どのクラスでもたっぷりと宿題が出ています。みんな、みっちり勉強して、力をつけてもらいたいです。

選択肢が好き

8月24日(木)

Zさんは中間テストの読解がほとんど白紙で、もちろん不合格でした。他の科目に比べてあまりにも悪すぎるので、面接の時にいったいどうしたのかと聞きました。すると、EJUやJLPTのような選択肢の問題はいいけれども、文章で答えなければならない問題は見ただけでやる気がなくなると言います。中間テストの読解はそういう問題が多かったので戦意を喪失し、さんざんな成績になってしまったというわけです。半分は読解がわからないことに対する言い訳でしょうが、問題文から読み取った内容を文の形でまとめることができないのだとしたら、非常に由々しきことです。Zさんは大学進学を目指していますから、なおさら大問題です。

マークシートに順応しすぎた学生は珍しくありませんが、ここまではっきり言い切った学生は記憶にありません。Zさんの志望校の入試は面接だけです。というか、筆答試験のある大学をたくみにはずしたと言ったほうが正確かもしれません。そんなにまでして筆答試験を避けても、進学後に読む専門書の読解には選択肢が用意されていません。大学での学問をなめているように思えます。

翻って、日本人の高校生はどうなのでしょう。Zさんほどの筆答嫌いが学校にあふれているとは思いたくありませんが、選択肢の補助がないと文章の読み込みが十分にできない生徒が増えつつあるのかもしれません。若者が読書に当てる時間が短くなったと言われています。また、過激な言説が増えているのも、強くはっきり書かれていないと自分自身が読み取れないから、自分が書いたり話したりするときに力こぶが入りすぎてしまうのではないかとも思っています。

Zさんは、来学期はレベルを1つ下りたいとまで言ってきました。そんなに、読んで考えるのって嫌なのでしょうか。

暗雲

8月23日(水)

初級のクラスに入ると、こちらの指示がうまく伝わらないことがよくあります。口頭による指示にとどまらず、文字で書いて示しても、こちらの意図したこととは全く違う行動に走ってしまう学生を毎日のように目にします。「あなたは、先生になったとしたら、学生にどんなことをさせたいですか」という質問なのに、「私は学生を早く帰らせます」「私は学生に宿題をさせました」などという答えが続出しました。というか、そういう答えのほうが「私は学生に本をたくさん読ませたいです」などというまともな答えより多かったです。

学生たちは、習慣的に習った文法を使わねばならないと思い、反射的に習ったばかりの使役動詞を使ってしまったのでしょう。そういうときの学生は、指示は目にも耳にも入らないに違いありません。初級では何事にも余裕がなく、頭がある方向に向いてしまったら、指示を読んだり聞いたりなどできないのです。

ところが、超級クラスでもこれと同じ現象を見てしまったのです。例文を作らせて類義語の意味の違いを説明させようと思ったのですが、例文しか作らない学生やいきなり意味の違いの解説を始める学生が1人2人ではありませんでした。EJUの日本語で満点に近い成績をとっても、こんな指示すら理解できないのなら、日本語でのコミュニケーションが全くとれないということです。その好成績は実力を伴ったものではなく、砂上の楼閣に過ぎません。

もちろん、私も周りの人からの指示を取り違えることがあります。でも、指示を読み取る、言われた通りに行動するというのは、受験生にとって基本中の基本ではないでしょうか。一抹の不安を覚えずにはいられません。