興味あり

9月24日(火)

最上級クラスでは、週の初めの日に最近の気になるニュースを発表することになっています。その中に「佳子さまが外国へ行った」というのがありました。いくつかニュースが上がりましたが、一番盛り上がったのがこの話題でした。

このクラスの学生たちの国には、日本の皇室やイギリスの王室に当たる“家”がありません。ですから、国民誰もが関心を持ち、多かれ少なかれ敬意を抱く対象がありません。それゆえ、皇室の動きには興味が湧くのでしょう。また、佳子さまが学生たちとそんなに違わない年齢だというと、その年齢で日本を代表して外国を親善訪問したということに驚いてもいました。

そこから話が発展して、私は新天皇と同い年だと言うと、一斉に驚きの声が上がりました。同い年に見えるとか見えないとかというのではなく、学生たちにとって身近な存在である私と、はるかかなたの存在である天皇陛下とが、意外に近かったという驚きでしょう。私自身も、浩宮さまと呼ばれていたころから、どこか親しみを感じていました。身長は僕の方が高いなどと、妙なライバル意識も感じていました。まあ、身長以外はすべての面で劣っているんですがね。

私たち日本国民は、日ごろ憲法第1条の天皇は日本国民統合の象徴という条文を意識することはありません。しかし、佳子さまの外国訪問のように、何かの折に皇室のニュースを耳にすると、聞き流してしまうことはないのではないでしょうか。そういう意味で、現憲法が規定する象徴天皇制は、国民の間にがっちり根付いていると言えると思います。

悩み

9月21日(土)

受験講座EJU日本語の授業後、Kさんの進学相談に乗りました。心理学を勉強したいということで、都内のT大学、N大学、S大学を志望校として考えています。これらの大学の“相場”を知りたいというのが相談の内容です。

手持ちのデータを見せると、「6月の点数ではだいぶ足りませんね。11月は50点ぐらい伸ばさないと…」とつぶやいていました。Kさんの成績で合格できそうな大学は東京にはなく、関西になってしまいます。でも、Kさんは東京を出るつもりはありません。じゃあ、11月に50点上積みできそうかというと、受験講座でやった問題の答案を見る限り、疑問符を付けざるを得ません。

最近、定員厳格化で都内の大学の“相場”は上がっています。また、東京だけが日本ではないということも知ってもらいたいこともあり、東京の外の大学を積極的に進めています。今年は、京都の大学の担当者に来ていただいて、進学説明会も開きました。そうやって大いに力を入れているのですが、Kさんをはじめ、学生の気持ちを動かすには至っていないというのが現状です。

思い切りよく自分の国を出て日本へ来た留学生なら、東京・京都間の距離ぐらい目じゃないと思いたいところですが、多くの学生が東京にどっしりと根を下ろしてしまうのです。進学アンケートなどで「進学先は東京以外でもいい」と回答していた学生も、いざ出願となると、東京の大学を選んでしまいます。

東京で生まれ育ったG先生によると、大都会でしか暮らしたことがないと、電車が来ないとかお気に入りの店がないとかという生活には耐えられないのだそうです。また、大都会出身でないと、大都会にあこがれるものですから、結局、学生は東京に集まってしまうとも考えられます。

来学期は、そういう学生を東京から引きはがす大仕事が待ち受けています。

有難迷惑?

9月20日(金)

「えっ、Wさん、再試受けないで帰っちゃったんですか」「はい。期末タスクの面倒を見ていたらいつの間にか消えていました」「いったい、どうするつもりなんでしょう。来学期もWさんのクラスなんて嫌ですよ」

授業後の引継ぎの時に、こんな会話をしてしまいました。来週の金曜日が期末テストで、しかも、月曜日は秋分の日でお休みときています。再試が受けられる日がほとんどないのに、Wさんは不合格の文法テストを2つも抱えています。それも、惜しいところで不合格ではなく、箸にも棒にもかからない、堂々たる正真正銘の不合格です。たとえ期末テストで満点を取ったとしても(取れっこないけど)、挽回不可能でしょう。

そもそも、Wさんに進級しようとする意志があるかどうかも怪しいところです。大学院進学を目指していますが、日本語学校は受験のベースキャンプみたいに思っている節があります。日本語は上手にならなくてもいいというか、自分の日本語力は十分に高いと信じ込んでいます。ですから、入管ににらまれないように授業には出席しますが、授業から何かを得ようという姿勢は感じられません。もう一度同じレベルになったとしても、痛くもかゆくもないのです。自分のペースで進学準備をしていますから、クラスに友達がいなくても平気ですし、友達を作る気もなさそうです。みんな進級したのに自分だけ取り残されても、何とも思わないでしょう。

Wさんの日本語力では、大学院入試が突破できないことは明らかです。専門知識が豊富だったとしても、それを面接官に伝えることはできません。担当教師全員が「王様は裸だ」と叫び続けているのに、その叫びは確実に耳に入っているのに、無視し続けています。

最近、こういう学生が増えてきました。自分で決めた道をひたすら突き進むといえば聞こえはいいですが、無知蒙昧なまま猪突猛進しているにすぎません。でも、こういう学生に限って、すべてが手遅れになってから教師を頼りだすんですよね。そして、最終的にうまくいかなかったら学校のせいにするのです。来年の今頃、初級レベルの主となったWさんに恨まれているのかなあ…。

勝負はいつ?

9月19日(木)

Nさんは今学期から受験講座を始めて、11月のEJUを受けようと考えています。理系科目には少々自信があるようですが、まだ初級ですから、日本語でどれくらい点が取れるか心配しています。6月は230点ぐらいしか取れなかったので、かなりの上積みを狙っています。そううまく事が運ぶでしょうか。

KCPの学則上では、Nさんは2021年3月まで在籍できます。しかし、できれば来春進学したいと思っています。もちろん“いい大学”への進学を望んではいますが、それが無理っぽいところにNさんの悩みの根源があります。300点以上取れれば実現の目も出てきますが、そこまでの自信はないのです。

理科系の場合、若い頭脳で専門について深く考えることが重要ですから、1年でも早くというNさんの考えは間違っていません。無名の大学に進学することが心配なようですが、そこで必死に勉強すれば有名大学の大学院に進学することも可能です。でも、これには4年間必死に勉強すればという重い条件が伴いますから、これがNさんにとって頭痛の種でもあります。また、今の日本語力で大学の授業についていけるかという点にも不安を感じています。

じゃあ、2021年3月までKCPで勉強すればいいかというと、これから1年以上受験勉強を続けることにたえられるかという別の問題が持ち上がります。「その大学なら去年に入れたよね」という学生が、残念ながら、今までに多数発生しています。「初心忘るべからず」と言いますが、これが容易でないからこそ、格言となっているのです。

結局、Nさんはもう1年勉強を続けることにしました。進学するのは1年半後だけど、本当の勝負は来年6月のEJUなんだよと太いくぎを刺しておきました。いずれにしても、来学期は過去問で鍛えて理系科目の自信をつけさせていきます。

最終日

9月18日(水)

Rさんにとっての最後の授業の日は、文法テストで始まりました。いつもと同じように涼しい顔で問題に取り組み、制限時間いっぱいまで入念に答えを見直していました。ペアワークも淡々とこなし、指名されたら几帳面に答え、私が板書したことは一言も漏らすまいとノートに書き留め、始業日から変わらぬ様子で授業を受けていました。

授業の最後に、クラスメートに挨拶をしてもらいました。みんなに聞こえる声で、一言一句かみしめながら、今まで楽しく勉強できたお礼を述べていました。拍手が湧き上がり、Rさんは笑顔で教室を後にしました。

Rさんは今学期の新入生で、アメリカの名門C大学から来ました。学期の初めのころは表情も硬く、めったに言葉を発することもなく、緊張していることが教師側にもビンビン伝わってきました。クラスになじめるだろうかと心配もしました。しかし、3週間ぐらいたったころから日に日に表情が明るくなり、1か月が過ぎるころからは、授業中に積極的に発言するようになりました。やがて、授業中にどんどん疑問点を質問しだし、その質問もさすがC大学の学生という感じで的を射ており、クラスのみんなの信頼を勝ち得ていきました。

学生の冗談にも笑って反応したり、感心した時は大きくうなずいたり、表情も豊かになりました。例文にもその表情の豊かさが現れてきました。学期の最初は指定された文法項目などを盛り込むので精いっぱいだったのに、今ではウィットを利かせた文が作れるようになりました。本当に大きく成長したと思います。

明日からは教室にRさんがいません。なんだか信じられないような気がします。

点が取れない

9月17日(火)

選択授業・大学入試過去問の期末テストをしました。中間テストは難しくしすぎて学生も教師も悲惨な目に遭いましたから、期末テストは点の取りやすい問題を選びました。いや、少なくとも選んだつもりでした。

時間切れでできなかったなどということのないように、試験時間はたっぷり与えました。ですから、何名かは時間前に提出しました。でも、その時間前に出された答案を見てがっくり来ました。中級までに習っているはずの文法や語彙で間違えているのです。動詞の自他などという、初級レベルのひっかけ問題にものの見事に引っかかっている学生もいました。本格的な読解に進む前の、いわば前座みたいな問題で失点を積み重ねていたら、合格なんてはるか山の彼方じゃありませんか。

早々に出した学生たちがおっちょこちょいで、制限時間いっぱいまで粘った学生はそんなイージーミスはしないと思いたかったのですが、そちらの方も傾向は同じでした。漢字の書き問題がないから点が取れるかと思ったら、それほどでもありませんでした。特に出来が悪かったのは「肝心」で、大多数が「かんしん」でした。寒心に堪えません。

読解の答えを見ても、本文を読んで理解したことを日本語の文章で表現できていないのです。テストが終わった後の感想で、「いい問題でした」という声が上がりました。そうなのです。本文丸写しじゃ答えにならない、本当に内容を理解していないと点が取れない、実にいい問題なのです。そういう問題で答えが書ききれない、点が取れない自分たちの実力を思い知ってほしいものです。先週までの授業で、筆答式の問題をいい加減にやっていた学生が一様に苦労したようです。

もうすぐ入試の本番です。その時にはこんなことのないように願いたいところです。

笑いました

9月13日(金)

KCPアートウィークも最終日を迎えました。初めての試みということで、試行錯誤的な面が多分にあり、その上、初日は台風のために学校中が混乱し、一時はどうなることかと思いました。しかし、最終日のステージはほぼ満席で、来年につながる何かが得られたのではないかと思います。

午前中は、学生の作品を展示している教室の、いわば店番。午前クラスの学生は授業中、午後クラスの学生にとっては登校するには早い時間帯で、見学者は少なかったです。しかし、隣の教室で行われた進学コースの授業が終わると、その学生たちが見に来ました。えらく感心して、作品の前にしばらくたたずんでいる学生もいました。初級の学生でしたから、来年のアートウィークに出展してくれるといいのですが。

講堂では読書感想文の入賞者の表彰が行われました。全員が初級・中級の学生というのは、喜んでいいのでしょうか、いけないのでしょうか。でも、上級顔負けの内容と構成でしたから、今後を期待することにしましょう。

圧巻だったのが、超級クラスの学生2人による漫才でした。2人が話す日本語そのものもさることながら、構成がしっかりしていて、教職員を本気で笑わせていました。もちろん留学生にわかる日本語であることも考慮されていて、講堂全体が笑いに包まれました。素晴らしい才能です。

A先生とI先生の、琴とバイオリンのコラボもうなってしまいました。実は学生の作品展示会場に、こっそり自分の作品を紛れ込ませた先生が何名かいらっしゃいました。学生に限らず教師も才能豊かなのです。私は、そんな誇れるような才能には恵まれず、アーティストの学生や先生をうらやむばかりでした。

ロビーの顔出しパネルが片付けられました。宴が終わったらもうすぐ期末テストです。

ニュースで鍛える

9月12日(木)

木曜日の選択授業は、早くも期末テスト。開始が早かったことと、木曜日は1回もつぶれなかったことが相まって、学期末の2週間以上前に期末テストを迎えました。

私が担当したのは、中級の学生向けのドラマとニュースの聴解です。中間テスト以降はニュースの聴解をしてきましたから、聴解テストもニュースを聞いて答える問題でした。いきなり聞かせても目が点になるでしょうから、ディクテーションをして、ヒントを与えてから本番に臨みました。みんなこちらの想定通りに点を取ってくれました。

私が英語のリスニングに力を入れたのは、就職して間もないことでした。その会社で英語を使うセクションを望んだわけではありませんでしたが、英語ぐらいわからないとエンジニアとして恥ずかしいというくらいの気負いはあったかもしれません。

私が英語力をつけるためにとった手段は、NHKの7時のニュースを英語で聞くことでした。今から30年以上も昔のことですから、スマホもインターネットもありません。無料で毎日役に立つ英語が聞けるのは、NHKニュースぐらいしかなかったのです。音声多重放送のチューナー内蔵ビデオデッキを買い、毎晩7時のニュースを録画して英語音声で聞きました。効果があったかというと、政治経済関係の語彙は確実に増えました。画面を見ながら何回も繰り返し聞いたので、英語と日本語の対応がわりとたやすくついたのです。それから、英語の話し方のリズムも体得できましたね。でも、話す訓練ができませんでしたから、英語ペラペラには程遠いレベルでした。

EJUやJLPTの成績を見ると、KCPには聴解に難点のある学生が多いようです。ニュースを聞くことにより、語彙とともに日本語のリズムも身に付けてほしいと思っています。今は生のニュースよりずっと優れた教材があるでしょうが、世間知らずの学生にとっては、長い目で見ると、ニュースの方が得るものが多いように思います。

卵のもがき

9月11日(水)

私のクラスのHさんは、音楽大学志望です。アートウィークに参加してもらおうと、クラスの教師全員で勧めました。手を変え品を変えHさんの気持ちを盛り上げようとしましたが、最後まで首を縦に振ってくれませんでした。

そのHさんが、アートウィークの演奏会に足を向けました。ピアノやフルートの演奏に耳を傾け、歌の発表も聞きました。昨日も登場したPさんのピアノ演奏も、当然聞きました。その後、「あのぐらいの演奏だったら私でもできました。私も出ればよかったです」と、一緒に行ったS先生に漏らしました。「次のアートウィークには、必ず参加します」と力強く宣言しましたが、来年3月卒業予定のHさんには“次”はありません。S先生にそう言われると、Hさんはとても残念そうな顔をしたそうです。

Pさんが紡ぎだした音が、Hさんの芸術家魂に火をつけたのかもしれません。でも、“後悔先に立たず”を地で行くような話じゃありませんか。このアートウィーク、才能豊かな学生たちに発表の場を与える意味も含まれています。この場で自信をつけ、それが進路に好影響を及ぼせば、喜ばしい限りです。Hさんだって、このチャンスを生かせば、Pさん同様の喝采を浴びられたでしょう。

「やればできるんだ」と「やったんだ」との間には、画然とした違いがあります。Pさんは境界線の向こう側へ軽やかに飛んで行ってしまい、Hさんは地べたに体育座りしてその姿を見ているのです。芸術家は、「作品」を多くの人の前に出すことで、鍛えられ成長するものです。その勇気がなければ、つまり頭でっかちなだけでは、誰からも見向きもされません。自画自賛だけではガラパゴス的芸術家になってしまいます。

こうなったら、卒業式の余興を狙うしかありませんね、Hさん。

アートに浸る

9月10日(火)

私のクラスにも、暇さえあれば絵を描いている学生や、音楽大学に進学しようと考えている学生や、めちゃめちゃ高そうなカメラを持っている学生など、芸術方面に興味を示している学生がけっこういます。でも、KCPには芸術的素養に恵まれた学生が大勢います。

今週はKCPアートウィークで、そんな学生たちが精魂込めて生み出した作品が展示されています。きらめく一瞬を切り取った写真、逆に長い時間を変えて追い続けた写真、実にうまく対象の特徴を捕らえた絵、見る人の目を引き付けて放さない色遣い、こちらまで元気になってくる筆の勢い、今、外は猛暑日ですが、KCPの6階は芸術の秋たけなわです。

それに加え、授業後、演劇部の発表とピアノと歌のパフォーマンスがありました。演劇は、今回もチョイ役で出させてもらいました。前回はセリフを飛ばしてしまいましたが、今回は、先週土曜日の特訓のおかげで、どうにか大過なく(小過はありましたが)役を演じることができました。

演劇に出たNさんは、先学期私のクラスでした。目立たない学生でしたが、ステージ上では腹の底から声を出し、全身で演技していました。にわかに信じられない大変身でした。

Pさんはピアノを演奏してくれました。力強い音がギンギン心に響いてきました。そのPさんのピアノに合わせて伸びやかな歌声を披露してくれたNさんは、歌っている時の表情が芸術家でしたね。先週金曜日に初めて入ったクラスにいたGさんも、ステージに立ちました。歌詞が日本じゃありませんから意味はさっぱりわかりませんでしたが、なぜか心を揺さぶられました。

明日からも、学生たちの芸術センスに感化されるべく、毎日講堂に通います。