また来そうです

10月9日(水)

また、台風が近づいてきています。15号の傷跡も癒えぬうちに、それを上回る勢力を持っている19号が、この週末に襲い掛かってきそうです。12日は、EJUやJLPTまで1か月か1か月半ですから、受験講座を予定しています。しかし、台風に直撃されるのなら休講にせざるを得ません。

それ以上に困るのが、大学入試です。T大学を受けるSさん、K大学を受けるEさんは、試験が予定通り実施されるかどうか、とても心配しています。Sさんは大学最寄駅から20分ほど歩かなければならないことが気がかりで、雨の中を歩いたらスーツも靴もボロボロになってしまうと嘆いています。Eさんは遠征しなければなりませんから、新幹線が動くかどうか、顔を合わせるたびに私に聞いてきます。そんなこと聞かれても、私だって答えられませんよ。

でも、本当に入試はどうするのでしょうか。例えば、1日延期しても、15号のように交通機関が満足に回復しなかったら、受験生は入試会場までたどり着けません。1週間延期といっても、受験生によっては翌週は別の大学を受けることを予定しているかもしれません。諸般の事情を考慮して試験日を決めているのでしょうから、そう簡単に動かせるわけではないに違いありません。

そんなこんながあっても、SさんもEさんも面接練習をしています。今週末にピークを合わせて、滑らかに口が回るように、プレッシャーをかけられても自分の思いを語れるように、受け答えを通して面接官に好印象が残せるように、新学期早々特訓中です。台風にもめげず、チャンスをものにしてもらいたいところです。

明日からです

10月8日(火)

「先生、数学の教室にいたんですが、先生も学生もだれも来ないんですけれども…」「受験講座は明日からですよ」。1:30過ぎ、学生とこんな会話をしました。

開講日前日、昨夜のうちに受験講座の受講生には、メールで受講科目の曜日と時間帯を連絡しました。でも、今朝の各クラスの連絡で、受験講座は明日からだとも伝えてもらっています。その学生は、講座の開始時刻の前から教室に陣取っていたのですから、きっとまじめな学生なのでしょう。だから、今朝教室での連絡事項も聞いていたはずです。

最近、「ケーキの切れない非行少年たち」(宮口幸治、新潮新書)を読みました。それによると、聞く力が弱いと、親や教師がいくら注意しても言い聞かせても、子ども自身の頭には何も残っていないのだそうです。そして、その注意を聞かなかったからということで叱られ、自己評価が低くなり、非行につながるというのです。

これを読んで、聴解力の弱い学生もこの本に出てくる非行少年と同じような立場に置かれているのかもしれないと思いました。1:30の学生も、午前中のクラスで先生からの口頭連絡または板書で、本日受験講座休講という連絡を受けていたはずです。音声ではそうとらえていても、日本語の聴解力が弱いと、その音声を自分にかかわりのある連絡事項として理解することができないのです。それゆえ、受験講座の教室へ行ってしまい、空振りしてしまったのでしょう。板書をしたとしても見る力が弱ければ、教師が書いた文字列を自分に関する情報と理解できません。

自分たちの注意を守らない学生を、私たちは頭ごなしにガツンと注意します。でも、聞く力や見る力が弱い学生は、なぜ叱られたのかわからないかもしれません。そして、同じことを繰り返し、ダメ学生のレッテルを張られ、劣等生への道を歩み始めます。学生にとっての外国語である日本語で注意がなされるのですから、すぐにはきちんと理解できないでしょう。日本語教師は無論そんなことぐらいわかっています。でも、ガツンとやりたくなる、やってしまうものなのです。これが続くと、やる気もうせてきます。将来の展望も描けなくなります。

よくわからない外国語環境に放り出されている学生たちに対して、その芽をつぶさないように、接し方を考え直さなければいけないと感じさせられました。

晴れ姿

10月7日(月)

始業日直前は、新人の先生が来て、オリエンテーションを受けたり担当レベルの専任教師から授業の進め方などの説明を受けたりします。午前中から何人かの先生がいらっしゃっていましたが、午後、スーツ姿の若い先生が来ました。私はどこのレベルにどんな新人の先生が入るか聞いていませんでしたから、誰が担当なのかなあと見ていると、H先生が立ち上がって親しく話し始めました。H先生のレベルの新人教師かと思いきや、4年前に卒業したRさんでした。午前中、就職先の内定式があってその足でKCPまで来てくれたそうです。

Rさんは、推薦入学でS大学に進学しました。推薦入試の面接練習をどれだけしたことでしょう。内容のない答えだとか、言いたいことがわからないとか、毎日ボロカスに言われました。半べそ状態になりながらも歯を食いしばってついてきた努力が実って、合格しました。その根性は認めましたが、はっきり言って、Rさんの実力よりも上の大学に入ってしまいました。

卒業後も何回か顔を見せてくれました。いつも、大学の授業は大変だけど面白いと、なんだか「みんなの日本語」の練習問題の模範解答みたいな感想を言っていました。こちらも推薦した手前、途中で挫折されたら困ります。でも、卒業したら、愚痴を聞いてやるぐらいしか助けになりません。

そして、内定式のスーツ姿です。取るべき単位はすべて取って、あとは卒論だけだそうです。面接練習のころは生硬な日本語でしたが、今はこなれた話し方をします。生真面目過ぎて冗談が通じなかったのに、ジョークにはジョークで返せるようになりました。S大学で相当鍛えられたのでしょう。そしてめきめき力をつけ、日本人学生を押しのけて日本企業への就職にこぎつけたのです。

その会社の新入社員で外国人はRさんだけだそうです。会社がRさんにかける期待も大きいようです。S大学で伸ばした能力を発揮すれば、その期待にもこたえられることでしょう。

入学式挨拶

皆さん、ご入学おめでとうございます。このように大勢の学生が、世界各地からこのKCPに集ってきてくださったことをうれしく思います。

これから日本語の勉強を始めようとしている皆さん、皆さんはどんな日本語を知っていますか。「頑張ってください」「頑張ろう」「頑張れ」など、「頑張る」という動詞は、そういった皆さんでも一度ぐらいは聞いたことがあるのではないでしょうか。同じ意味の言葉が皆さんの母語にもきっとあると思います。

そこで質問ですが、皆さんは今までにどのくらい頑張ったことがありますか。頑張ったことがない人はいないでしょうが、何にどの程度頑張りましたか。一番頑張ったのはどんな時で、自分の全力を100としたときにどのくらいまで力を出しましたか。

スポーツをしていた人は100に近い頑張り方をしたことがあるのではないかと思います。そうでない人は、ここまであまり頑張らなくても大きな支障もなく来ているのかもしれません。順調な人生が送れたことは好ましいことですが、頑張り方を知らずに大人になってしまったとしたら、これは大問題です。

どんな人の人生にも、何が何でも頑張らなければならない局面が必ずあります。その時、それまでに本気で頑張った経験のない人は、頑張り切れないものなのです。自分の全力を出すすべを知らないといってもいいでしょう。もちろん、それでは困ります。

今この場にいる皆さんにしてもらいたいことは、全力を出す経験をすることです。100の力を出し切ることを一度味わってもらいたいのです。自分はやればできると思っていても、やったことがなかったらできるかどうかはわかりません。「できる」と信じ込むことと、「できた」経験があることとは、天と地ほどの差があります。

留学生活には全力を出す場がいくらでも用意されています。勉強や入学試験はもちろんですが、日々の生活も全力で立ち向かわないと押し流されてしまうことばかりです。全力を傾けてもどうにもならないことだってあるでしょう。壁にぶつかってはね返され、己の無力さを知ることも、留学の成果の一つです。

確かに挫折は辛いことです。その時、「あれは自分の全力じゃないんだ」と慰めてしまったら、その人に進歩はありません。全力で取り組んで挫折し、自分の全力をもう一段高めることに新たな目標を設ければ、それがその人の成長につながります。挫折が単なる挫折に終わらず、生きた挫折になるのです。

常に八分の力で生きている人は、やがてその八分の力が全力になってしまいます。筋力を鍛えていないとどんどん衰えていくのと同じように、難局を乗り越える力も訓練しなかったら伸びるどころか萎えていくばかりです。

ですから、皆さんにはこのKCPで日本語の習得、その先にある進学や就職といった目標に向けて、全力を傾けてもらいたいのです。KCPを卒業する日まで、頑張り続けてもらいたいのです。そのためのお力添えは、わたくしたち教職員一同、喜んで致します。

本日は、ご入学、本当におめでとうございました。

見直し

10月4日(金)

他の先生方は今学期の新入生のプレースメントテストで大わらわでしたが、私は今月から始まった養成講座の授業をしました。授業の中休みで職員室に戻ってくると、みんな黙々と採点していました。私の周りだけ別の時間が流れているような気がしました。

私が今週・来週と担当するのは日本語文法です。日本人が中学や高校で学ぶ国文法とは視点が少し違います。日本語文法は、日本語を1つの外国語としてとらえていますから、生粋の日本人でも戸惑う場面が少なくありません。“(自動詞)ています”“(他動詞)てあります”なんて、一生気付かない日本人が99%以上でしょう。

ですから、今私がしている授業の名称は「日本語文法初級」ですが、初級の日本語学者向けの文法というよりは、日本語教師道初級の受講生向けというべきでしょう。普段何気なく読んだり聞いたりしている日本語を、今までとは異なる法則で見直す頭の訓練でもあるのです。特に文法シリーズの授業が始まったばかりのころは、頭の切り替えが中心になります。

ですから、受講生にとってこの時期の私の講義は驚きの連続のようです。だいぶ以前の方は、こんなややこしい文法を何も考えずに使いこなしている日本人は天才だなどと感想を漏らしていました。それがネイティブの強みだとも言えますが、文法を意識していないということは教えられないということも意味しています。

自分が毎日使っている言葉を事細かに分析することはほとんどないでしょう。でも、日本語教師が成長していくのに最も身近な教材は自分自身の日本語です。教材の取り扱い方を教えるのが私の講義の役割だと思っています。

スーツには早い

10月3日(木)

10月1日から衣替えで、毎日スーツにネクタイといういでたちで通勤しています。しかし、東京地方は連日夏日で、朝でも20度以上ありますから、どう考えても半袖が正解です。周りを見ても、スーツの上着を着ているのは少数派で、せいぜい半袖+ネクタイです。

夏装束と冬装束の間をグラデーションで満たすことができたらそれがいちばんいいのですが、なかなかそういうわけにもいきませんから、どこかで線を引くことになります。その線を、暦の上では切りのよい10月1日に引いていますが、自然が相手ですから、実際にその日から長袖が必要になるとは限りません。気温が人為的な線なんかに全く無頓着だったとしても、文句は言えません。

でも、1か月後にはスーツの上着を着ないではいられないでしょうね。今は薄手のスーツですが、そのころはしっかり裏の付いた冬のスーツのはずです。そこからもう1週間か10日も経つと、コートが欲しくなっているかもしれません。

古くから「秋の日は釣瓶落とし」と言われていますが、最近は「秋の気温は釣瓶落とし」だと思います。半袖からコートまでの期間が、前世紀末あたりに比べても、短くなったんじゃないかと感じています。台風の勢力が強まる傾向にあるのは地球温暖化のなせる業だと言われていますが、夏がいつまでも頑張り続けて力尽きたとたんに冬になるというのも、その影響じゃないでしょうか。

秋の花は日の長さを感じて咲きますから、いつまでたってもコスモスが咲かないなどということはないでしょう。でも、汗をふきふき菊人形展というのは風情がありませんね。いや、そう思っているのは昭和生まれの古い人間だけで、令和生まれ大人になるころの感覚は、冷房の効いた部屋でポインセチアかも…。

初練習

10月2日(水)

午後から、来週末K大学を受けるEさんの面接練習をしました。理科系の学生で、ずっと受験講座を受けてきましたから、担任でも何でもありませんが、私が見ることにしました。

まず、姿勢が悪いです。膝から下を、ブランコをこぐときのように椅子の奥に引いてしまい、しかも背中を丸め、目は正面の私ではなく左前方の窓の方を向いてしまっていました。手が落ち着きなく動き、緊張していることがありありとうかがえました。この1年間しょっちゅう顔を合わせてきた私に対してこんなに緊張していたら、本番は絶望的です。

答えの中身もパッとしません。的外れなことを話しているわけではありませんが、メモを取っても何のことだかわからなくなるほど印象が薄いのです。受験講座の際にも“自分のウリな何か”とさんざん問いかけてきたのですが、その効果が全くありませんでした。

EさんはK大学のオープンキャンパスに行っているのですが、その話に全然触れませんでした。大きなアドバンテージがあるのに全く活用しようとしないのです。K大学は東京ではなく京都の大学ですから、そのオープンキャンパスに足を運んだとなれば、面接官の心証はぐっと良くなるはずなのです。どうしてこんなに自分を売り込むのが下手なのでしょう。

このままにしておくわけにはいきませんから、一通りの練習が終わってから、私なりの模範解答を示しました。このぐらいの作戦は自分で立てられなきゃダメじゃないかと心の中で毒づきながら、Eさんの感心したような顔を見ていました。初めての面接練習ですから、緊張するのも答え方のポイントがつかめないのも、しかたがないのでしょうか。

次の練習は、来週の火曜日です。仕上げて来てもらいたいです。

増税

10月1日(火)

週末、家の中で物干し代わりに使っていたツッパリ棒のようなポールが落ちてしまいました。荷重のかけすぎではなく、パッキンがヘタってしまい、壁に対して突っ張っていられなくなったのです。耐用年数をだいぶ超えていたでしょうから、天に召されたと思ってあきらめました。

でも、絶妙のタイミングで寿命を迎えてくれたものです。即刻家の近くのホームセンターに向かい、どうにか消費税8%のうちに新品を買うことができました。ついでに、トイレの洗剤まで買ってしまいました。

さて、税率2%アップの初日、私の税率10%の支払い第1号は、病院でした。病院の診察料は内税ですからあまり切実さはありませんでしたが、確かに前回とは違っていました。3か月に1回行く病院は、診察内容がほぼ同じですから、料金も変わらないのです。違ったのは、まさに税金が上がった分というわけです。

その後、お昼に入ったお店では、値段がわずかずつ上がっていました。テイクアウトにはできませんから、税率10%です。料理本体の値段も上がっていたようですから、食後にゆっくり休ませてもらって、本をゆっくり読んできました。昼食のピーク時の直前には出ましたから、店には迷惑をかけていないはずです。

税金でしなければならないことは増える一方なのに、日本の国にはお金がありませんから、増税はやむを得ないことだと思います。でも、根本的には、この国の(国民の)価値観を変えないと、貧困とか高齢化とかの問題は解決しないでしょう。企業がいかに法人税を節税するかを競っているようでは、日本には未来はありませんよ。

好ましい変化

9月27日(金)

期末テストの試験監督をしましたが、偶然にも午前午後とも同じ教室でした。

午前は上から2番目のレベルのクラス。どの科目も難しい問題で、みんな制限時間いっぱいまで粘って答えていました。でも、提出された答案を見ると、結構空欄がありました。勉強不足だとしたら、ちょっと心配です。

午後は一番下のクラス。できる学生は時間をかなり余していました。「あと10分です。もう一度自分の答えをよーく見てください。「〃」があります・ありません、「っ」があります・ありません、長い音ですか、短い音ですか。大丈夫ですか」と注意を促してやると、それまで机に突っ伏していた学生も最初の問題から真剣に見直し始めます。

午後のクラスは、その後で教室を掃除しますから、椅子をひっくり返して机の上に上げてから帰ることになっています。期末テストの日も同じです。提出した学生は、机の上の消しゴムのかすを小さなほうきで集めて捨てて椅子を上げて帰ります。昔は、すぐ隣で真剣に問題に取り組んでいる友達がいるのに、ガラガラガッシャーンと大きな音を立てて椅子を上げる学生ばかりでした。どうしてこんなに気が利かないんだろうと思ったものでした。しかし、ここ数年は、周りに気を使って、音を立てないように椅子を上げる学生がほとんどになりました。

KCPの教師の指導が劇的に変わったという話は聞いていません。学生の質が変わったんだなと思います。周囲の状況に合わせられるようになったのです。両親がそうしつけるようになったのか、学生の国が豊かになって心にゆとりができたのか、どんな理由かはわかりません。でも、好ましい方向に変わってきたことだけは確かです。

成績も進学実績も、好ましい方向に動いてくれないものでしょうか…。

安心できません

9月26日(木)

すみません、今日は調子が悪くて、学校に休んでいただきませんか。明日は頑張ります、安心しなさい。

これは、昨日この稿で取り上げたKさんから、今朝授業前に送られてきたメールです。学校を休むときには連絡せよと口が酸っぱくなるほど言っていますから、きちんと連絡してきた点は偉いです。しかし、どうです、この文面。文法も語彙もえらいことになっています。昨日の時点では救いの手を差し伸べようかなと思っていましたが、これを見たら進級させちゃいけないなと考えが変わりました。

そして、おそらく、“調子が悪い”はうそでしょう。うそと言ったら気の毒かもしれませんが、学校へ来ようと思ったら来られる程度の調子の悪さだろうと思います。昨日までにテスト範囲の授業や平常テストはすべて終わっているので、テスト前日はうちで一人で勉強した方が効率的だと考えているのでしょう。

Kさんは演劇部の公演のセリフを一気に覚えてしまうぐらいですから、もしかすると試験範囲の教科書や平常テストや宿題などを丸暗記することもできちゃうかもしれません。若者は、時に、私のような年寄りなど想像もつかないようなことをやってのけます。昨日で尻に火がついて、一夜漬けならぬ一昼夜漬けに挑んでいるのでしょうか。

首尾よくそれがうまくいき、めでたく進級したとしましょう。それで来学期、Kさんは幸せでしょうか。「学校に休んでいただきませんか」ですからね。教師に向かって「安心しなさい」ですからね。上がっても周りの学生に置いて行かれるのが関の山じゃないかなあ。

Kさん以外の学生たちは、授業でたっぷり復習をしました。H先生が、間違いやすいところをがっちり訓練してくださいました。