真っ赤な洗礼

4月22日(金)

午前中、昨日のクラスの作文の採点・添削をしました。初級の終わり、中級の直前のレベルですから、ある程度の文章が書けて当然なのですが、そうは問屋が卸さないんですねえ。新入生の出来が特に悪いです。何が悪いかというと、時制と表記です。時制は過去と非過去、つまり「した」と「する」の使い分けがいい加減なのです。表記は濁点の有無と長音か長音でないかの区別があいまいな点です。

KCPで1学期か2学期か勉強してきた学生は、上述の点はそんなに大きな問題になっていません。先学期までの作文の時間にがっちり訓練されていることが裏付けられました。新入生は、レベルテストのようなペーパーテストは国で訓練されているでしょうが、国の学校では、文章を書く練習まではなかなか手が回らないと思います。上級クラスに入ってくる新入生なら作文も書かせられているでしょう。でも、私のクラスに入ってくるくらいの実力だと、作文の時間がなくても不思議ではありません。

文法の時間に書かせる例文程度なら、好意的に受け取ってあげればミスもそんなに目立ちません。しかし、作文レベルになると、文と文のつながりが重要ですし、使われる単語の種類も多くなりますから、間違いが積み重なって増幅されるのです。

文法の間違いが多いのは、文法項目の丸暗記は通用しないということであり、表記ミスが多いということは、発音もそれぐらいいい加減だということにほかなりません。一度はボコボコにしてやって、謙虚に学びなおす姿勢を持たせることこそ、こういう新入生に対する真の優しさだと思っています。100点満点で30点とかっていう作文を返されたら、さぞかしショックを受けるでしょう。でも、そこから立ち上がらないと、自分の目標には到底手が届きません。そういう本場の厳しさの洗礼を受けるためにわざわざ留学してきたのですから、血まみれになることはゴールに向けての第一歩なのです。

ある退学

4月21日(木)

昨日付けで、Sさんが退学しました。自分自身で勉強が続けられないと判断したようです。

Sさんは去年10月の入学生です。出席状況を見ると、最初の3か月はよかったものの、先学期は大きく下がりました。今学期は、今週の月、火、水と3日連続欠席したあげくの退学です。入学した時に学校に提出した写真のSさんは髪が黒かったですが、ゆうべ退学手続に訪れた時のSさんはまっ黄色の髪でした。髪の色だけで人柄を判断してはいけませんが、日本へ来てからSさんの心の内に大きな変化があったと考えるほうが普通じゃないでしょうか。

いい判断だと思います。出席率とともに成績も落ちていましたから、勉強を続けていっても、Sさんが思い描いていたような進学ができたかどうかは疑わしいものがあります。私たちだって指導を続けていきますが、学生は、一度楽しいことや遊びを覚えてしまうと、再び勉強道に戻るのは並大抵のことではありません。

勉強や進学に関しては目を閉じ耳をふさぎ、在籍はするけどまともに勉強しないという、自分自身を生殺しの状態に落とし込む学生を今まで何人も見てきました。そういう学生に比べると、Sさんは潔く思い切った決断をしました。帰国したら今よりも厳しい生活が待っていることでしょうが、その道にあえて進もうとしているのです。KCPのコース満了まで、日本でだらだらとしまりのない留学生活を送っていくことが許せなかったのでしょうか。

Sさんが私ぐらいの年齢になったとき、この半年の留学生活はどんな思い出になっているでしょう。期間は短くても、あるいはネガティブなものでも、自分の人生を形作る経験になりうるものです。Sさんには、これからの人生で、この留学をそういうものにしていってもらいたいと思います。

美しい玄関

4月20日(水)

今朝、誰もいない職員室で仕事をしていると、電話が鳴りました。「おはようございます。××クラスのLと申しますが、S先生いらっしゃいますか」「すみません。まだいらっしゃってないんですが…」「それでは、申し訳ありませんが、S先生に、風邪を引いたので今日は欠席すると伝えていただけませんか」。中級の学生でしたが、発音もきれいで、非の打ち所のない話し方でした。モデル会話として録音しておけばよかったと思ったほどです。

最上級クラスの学生でも、ちょっと硬い場面での会話となると、すでに習ったはずの表現がすんなりとは出てこないものです。目上の人に頼みごとをするという想定で発話内容を考えてもらったのですが、いきなり頼みごとに入ってしまう学生が続出。みんな、依頼の表現をいかに丁寧にするかに気を取られている中で、唯一、Yさんが「すみませんが、今、お時間よろしいでしょうか」という、相手の都合を聞く言葉から始めてくれました。

いくら内装を豪華にしても、玄関がみすぼらしかったら、その立派な内装を見てもらえないかもしれません。「なんだ、こいつ」と思われて、自分の言わんとしていることを聞いてもらえなかったら、そこまでいかなくても悪い第一印象をもたれてしまったら、結局損を被るのは自分自身です。日本人って、みょうちくりんなところに地雷を抱えていますから、その地雷を踏まないようにするにはどうしたらいいかということを、初級の段階から少しずつやってきています。それが、なかなか完成の域に達しないんですねえ。

このクラスの学生には大学院進学希望の学生が多く、そういう学生にとっては、進学するまででも、してからでも、玄関口を飾る話し方は不可欠です。内装は進学担当の先生方が個別にがっちり整えてくれることでしょうから、こちらは全学生標準装備の水準を上げることに専念していきます。

違和感の根っこ

4月19日(火)

私が担当している初級クラスは、今、「~てもらいます/くれます/あげます」を勉強しています。中級以降の彼らの成長具合を知っている私は、ついつい力を入れすぎてしまいます。先週の名詞修飾もこちらの意欲が上滑り気味だったのに、無反省にまた力んでしまいました。

このレベルは、名詞修飾やあげもらいをはじめとして、日本語の文を理解したり、自分の主張や心情を理解してもらったりという、日本語による情報の送受信を行う上できわめて重要な文法事項が目白押しです。こういう濃密な文法は、教わるほうにも教えるほうにも厳しいものがあります。ここがいい加減だと、中級以降の読解が全く振るわず、発話がいつまで経ってもガイジンっぽいままなのです。ガイジンっぽくても、少しでもこちらが内容をつかめればいいのですが、文字は日本語でも文章は日本語ではないなんていう作文を読まされるのは、こりごりです。

でも、テストで点が取れさえすればいいと考えている学生は、相手を理解したりさせたりというコミュニケーションをとかくおろそかにしがちです。会話タスクの最中に漢字の宿題をやろうとしたDさんに、入試の面接練習の時に及んで真っ青になった諸先輩の顔がダブってきました。

日本人は、「~てもらいます/くれます/あげます」に包まれて生活していますから、あるべきところにそれがないと、違和感を覚えるものです。その違和感こそがガイジンっぽさの根源であり、日本語教師はこれを根絶するべく、授業中に声を張り上げたり宿題を厳しく取り立てたりしているのです。

明日から義捐金

4月18日(月)

熊本地震が、なかなか収まりそうにありません。一発目の地震は、震度こそ大きかったものの、そのわりに被害が大きくないと感じました。しかし、それ以後、けっこう規模の大きい地震が続き、被害がだんだん拡大し、ついに16日未明の(現時点では)本震と呼ばれる地震が発生しました。いつの間にか死者が42名を数えるまでになり、11万人もの方々が避難しています。震源が大分県方面に移動し、中九州地震と言ってもいいような様相を示しています。

今回の地震は、東日本大震災とは違って、活断層が引き起こした地震です。今回の震源域の活断層は、四国を東西に貫く中央構造線につながっています。この中央構造線が大暴れしたら、日本が割れてしまいかねません。そんなことはおそらくないでしょうが、悪い想像は尽きません。

14日の地震発生以来、海外から東京は大丈夫かという問い合わせが何件も来ています。震源域から東京まで、どういう測り方をしても800キロはあります。大丈夫に決まっていますが、1万キロも彼方から見ると、800キロなんて至近距離なのです。しかも、大事な子どもを預けているとあれば、わずかな不安でも見逃せないのでしょう。

今回は、今のところは福島原発のような事故は発生していません。でも、震源域の移動方向の逆方向には、稼働再開したばかりの川内原発があります。政府は稼働を続けることに問題はないと言っています。一抹の不安を感じると同時に、もし政府が稼働停止を命じたら、それが必要以上に海外の人々の不安をあおるのかもしれないとも思っています。

明日から今度の震災の被災者に送る義捐金の募金を始めます。募金活動のボランティアを募集したら、予想を上回る人数の学生が集まったとのことです。学生たちは地震の行方に関心を示しつつも、むやみに不安がることなく勉強に励んでいます。家族から離れた異国の地で、立派なものだと思います。

黒くないマークシート

4月16日(土)

新学期が始まって1週間たちました。時間割が一巡し、自分の受け持ちのクラスにはひと通り顔を出し、クラスの雰囲気や学生の様子もそれなりにつかめました。残念ながら、私はまだ自分のクラスの学生の顔と名前をすべては覚えていませんが、頼りになりそうな学生、危なっかしい学生など、押さえておかなければならない学生はつかんだつもりです。これからどうやって学生との関係を築いていこうか、あれこれ考えています。おとといから受験講座も始まりました。こちらはまだ授業が一巡していませんが、新メンバーたちの勉強しようという意欲を肌で感じています。

今日はEJUの授業で、大教室いっぱいの学生に立ち向かいました。毎度のように問題を解かせ、解答用紙を回収したのですが、マークシートの塗り方がいい加減なものが目立ちました。解答欄にチェックを入れただけとか、間違えたところに×をつけてもう1つ塗るとかという暴走ぶりです。君たちマークシートのテストを受けたことないのって聞きたくなるほどです。

その中には今学期の新入生もいましたが、KCPでそういう訓練を受けてきているはずの学生もいたことが意外でした。学生の中に、これは練習なんだから本気で塗らなくてもいいという気持ちがあったとしたら、マークシートの塗り方を知らないことより事態は深刻です。

だからというわけではありませんが、今日は答えの解説を早々に済ませて、6月のEJUで高得点を取ることで、今後の受験戦線においていかに有利に戦いを進められるかということを力説しました。その思いが通じたのかどうかはわかりませんが、授業後、何人かの学生が早速進学相談に来ました。

受験の大勢が決まるまで数か月。マークシートの塗り方から始めて、志望理由書の書き方、面接練習まで、今日感じた学生たちの意欲をい上手に守り立て育てていきたいです。

温かな心

4月15日(金)

ゆうべの熊本地震は学生たちもかなり関心を持っているようで、初級の授業でたまたま「地震」という漢字を扱いましたが、「熊本」という学生たちにはなじみの薄い地名がすっと出てきました。初級の学生ですから、母国のニュースサイト経由に違いありません。ということは、世界中に「熊本=地震」という方程式が広まっているのでしょうか。

私なんかも、パリとかニューヨークとかという超有名な地名以外は、災害や事件事故がその地名を知るきっかけになることがよくあります。今は世界一の金持ち都市としてその名がとどろいているドバイも、私が知ったきっかけは、日航機ハイジャック事件でした。当時中学生だった私の心には、「ドバイ=危険な町」という強固な観念が植え付けられました。その後ドバイは発展を続けましたが、ドバイのニュースを見聞きするたびに、砂漠の真ん中の空港からの中継映像がフラッシュバックしました。

でも、ニュースによると、熊本地震の被災地を救おうという海外の動きも活発なようです。こういう温かい気持ちは、本当にありがたいです。人間のよって立つ地面が揺るぐような物騒なところとはかかわりを持ちたくないという発想に向かうのではなく、そういう信じられないような恐ろしい目にあった人たちに自分の幸せをわけてあげようという厚情を抱いてくれたことは、とても尊いと思います。

私のクラスの学生たちは、まだ初級ですから、「大変です」ぐらいしか、自分の気持ちを表す術を持ち合わせていません。「大変です」から、どういう形でも力になってあげようという心根を持っていてもらいたいです。その心根を具体的な行動に結び付けられたら、それはその人の一生の財産となるに違いありません。

本を手に取る

4月14日(木)

夕方、理科の教材を仕入れに紀伊国屋書店へ行き、あれこれ本を手に取っていると、「先生」と声をかけられました。振り向くと、今年S大学に進学したDさんが、KCPにいたときよりいくらか大人っぽい顔をして、にっこり微笑みながら立っていました。

「レポートの書き方の本を探しているんです。何かおすすめの本はありませんか」。早速、提出したレポートに注文がついたそうです。S大学だったらいい加減なレポートははねつけるでしょうから、Dさんが慌ててレポートの書きかを勉強しようという気持ちになるのも無理はありません。

考えてみれば、DさんはKCPでEJUの記述と小論文の対策や志望理由書の書き方は勉強しましたが、レポートの書き方はやっていません。本当は、入試関係の作文が終わったら、進学してから困らないような文章の書き方を練習させなければならなかったんです。入試が終わったら、合格が決まったら、もう作文なんてしたくないっていうのが学生の本音でしょうし、教師のほうも、学生を志望校に入れたら、ほっと一息つきたくなるものです。

来週か再来週、新学期のごたごたが落ち着いたら、レポートの書き方ぐらい教えられないことはありませんが、Dさんだって進学してからまたKCPに戻る気はないでしょう。やっぱり、学生が卒業する前に、学生の意識を変えて、大学に入るための日本語ではなく、大学に入ってからの日本語を教えていくことを考えなければなりません。

Dさんには、売り場にあった本の中からよさそうなのを2、3冊紹介しました.読解の苦手だったDさんが、何のためらいもなく、普通の日本人の大学生が参考にするような本を数冊手に取って読み比べている姿を見て、短い間に成長したもんだなと感心しました。

とんだ災難

4月13日(水)

私は、毎年この学期は初級を担当することが多いのですが、今年は初級のほかに、週1日ですが、最上級クラスも担当しています。水曜日が、その「週1日」です。

最上級クラスといっても、先学期までとはメンバーががらりと変わってしまい、知っている顔はごくわずかです。しかも、今学期は上のレベルに入る新入生も多く、このクラスにも何名かの新入生が在籍しています。そういうわけで、初回の授業は学生の力を瀬踏みしながらどこまで掘り下げるかを決めていきました。

新入生に対しては、KCPの最上級クラスってこんな程度だったのかってなめられてはいけませんから、君たちは確かによくできるかもしれないけれども、まだまだ勉強すべきことはたくさんあるんだよという、KCPの底力を見せなければなりません。普通の日本人ならみんな知っているけど日本語を勉強している人たちは知らない表現を取り上げるとか、短い文を書かせてその文の直すべきところをスパッと指摘するとか、そんなことをして学生が増上慢にならないようにします。

今日は、教材に「災難」という言葉が出てきましたから、「とんだ災難でしたね」という表現を知っているかと聞いてみました。東日本大震災みたいなひどい目にあったときに使うなんていう答えが出てきました。雨の日に道を歩いていたら車に泥を跳ね上げられて服を汚された人に対して言うんだよっていう例を出したら、みんな思いっきりうなずいていました。

瞬間芸みたいなこけおどしだけじゃいけません。進学してから利いてくる日本語「力」を付ける授業をしていかなければなりません。来週は何をネタにしましょうか…。

唯我独尊

4月12日(火)

Lさんは新入生で初級クラスに入れられたのですが、自分はもっと上のレベルだと信じていて、昨日はだいぶ反抗的な態度を取っていました。

今日は授業の最初にテストがあり、Lさんは制限時間の5分前ぐらいにできてしまいました。すると、答案用紙を提出するでもなく、机の上にEJUの問題集を出すではありませんか。即刻注意して引っ込めさせました。

テストの次は在校生なら先学期勉強してきた文法を使ったQ&Aです。Lさんは質問は聞き取れたようですが、答えは文ではなく単語で、しかも発音が悪く、私が聞き取れませんでした。日本語教師を惑わす発音ですから、Lさんの日本語は普通の日本人には通じないでしょう。

休憩時間を挟んで教室に戻ると、Lさんは日本人高校生向けの物理の問題集を出していました。休憩時間に何をしてもかまいませんが、教師が戻ってきたら授業に関係のないものは片付けるのが常識というものです。しかし、Lさんは出しっぱなし。これまたただちにしまわせました。

こういうLさんを見ていて思い出したのが、Yさんです。Lさんと同じレベルのとき、やはり日本人向け問題集を買い、EJUの過去問はすべて解けると豪語していました。受験講座でもマイペースを崩さず、もしかするととんでもない大物かもとかすかな期待も抱きましたが、ふたを開けてみれば、平均点を取るのがやっとというありさまでした。それでも無謀な挑戦を続け、挙句の果てに、Lさんが思い描いていた大学よりは5段落ちぐらいの大学にかろうじて滑り込むのがやっとでした。

LさんにはYさんを髣髴とさせる空気が満ち溢れており、非常に心配です。今、私たちが何を言っても聞く耳を持たないでしょう。痛い目にあって目を覚ましてくれればいいのですが、Yさんのようにそれを痛いと感じずにわが道を歩み続けるような気がしてなりません。

Lさんは理科系ですから私がどうにかしなければならないのでしょうが、なんだか気が重いです。