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伸びていくには

3月19日(火)

自動詞と他動詞のペアで例文を書いてくる宿題がありました。このクラスの学生たちは、順調に行けば来学期中級に上がることになっていますが、順調とは言いかねる人もいます。

できるだけ長い例文を書くようにという指示を出していますが、そんなのは全く無視して、「財布が落ちています/財布を落としました」などという、教科書の導入例文をそのまんまもってきたようなのを書いてきた学生もいます。一方、今まで習った文法を駆使してプリントの幅いっぱいに書いてきた学生もいます。前者はもう一度同じレベルをしなければならないかもしれませんし、後者は進級してもかなりの成績を残すでしょう。もう3か月を切った6月のEJUでも上級の学生に迫る点数をたたき出すかもしれません。

選択肢の問題や穴埋めで文を作る問題だと、文を作る能力がなくても、カンや教科書丸暗記でもある程度の点は取れます。しかし、そういう支えがなくなったときに、カンや丸暗記だけでは対処できない問題にどれだけ答えられるかで、その学生の実力が見えてくるものだと思います。これをさらに発展させると、入試の面接や口頭試問につながっていくのです。

今シーズンの入試結果を振り返ると、どうもこの辺の指導が甘かったように思えてなりません。ですから、今のクラスの学生たちを厳しく鍛えたいのです。今のうちからたたいていけば、そして学生たちがそれについてきてくれれば、来年の今頃、笑っていられることでしょう。

そう思って、例文の宿題は隙間なく朱を入れました。動詞の自他の間違いだけにとどまりません。習った文法を使うべきところで使うように、初級レベルのミスを繰り返さぬように、そして、できる学生にはちょっと背伸びした添削もしました。学生たちが受け止めてくれるのは、この数分の一か数十分の一かもしれませんが、ゼロではないと信じて、直し続けていきます。

いつもと違う朝

3月5日(火)

毎朝ロビーかラウンジで教科書を広げていたNさんが、今朝はいつまでたっても来ませんでした。来るわけがありません。昨日で卒業しましたから。

思えばNさんは、1年前に入学したときは、中級に判定されたのに全然コミュニケーションが取れず、初級に判定された友達に私の言葉を通訳してもらう始末でした。口数も少なく、KCPで勉強を続けていけるだろうか、そもそも日本で暮らしていけるだろうかと心配になりました。

でも、クラスでは黙々と勉強していたようで、すばらしい成績で順調に進級を重ねました。また、毎朝ロビーに出没していますから、朝のお掃除のHさんと仲良くなり、世間話をするようになりました。結果的にはこれがよかったのでしょうね。Hさんのような、日本語教師ではないごく普通の日本人と言葉を交わすことで、Nさんのコミュニケーション力は鍛えられたのです。

おそらく来日当初のNさんは、日本語は読んでわかるけれども聞いてわかる力はなかったでしょう。文字を頼りに日本語を理解しようとしていたに違いありません。聞いた音が文字に結びつかなかったら理解不能で、問いかけに対する返事など、できるわけがありません。1年かけてそれを克服し、志望校にも合格し、昨日めでたく卒業となったのです。

夕方、来学期から受験講座を受ける学生たちへのオリエンテーションをしました。日本語を文字で理解し、“きいてわかる”をおろそかにする学生が後を絶たないので、それではコミュニケーション力は育たないし、コミュニケーション力なしでは面接試験は通らず、将来の展望は開けないということを訴えました。Nさんに説いてもらえばよかったかな…。

初心者

2月25日(月)

「あ、チャイムが鳴りましたね。じゃ、この問題、休憩の間に考えておいてください。15分休みましょう」と、教室を出ようとしたとき、Sさんが声をかけてきました。「先生、面接の練習をしたいんですが、いつ、お時間ありますか」「うーん、明日もあさってもダメだから…、じゃ、授業が終わったらそのまま教室に残って。ここでしましょう」ということで、急遽、面接練習をすることになりました。

授業後、他の学生が帰り、Sさんだけが残りました。Sさんは来年進学する予定でしたが、今学期になってから今年進学することに方針変更しました。すでに超級クラスですから、進学先でやっていけるだけの日本語力は十分あります。また、周りの学生がみんな出ていってしまうので、寂しくなりそうだということもあると思います。

練習を始めると、Sさんは面接室の入り方からしてガタガタです。質問を始めても、視線は一定しないし、声は小さいし、答えは抽象的でぼんやりしているし、発音や文法がすばらしいだけで、合格ラインには程遠いというのが正直な感想でした。

Sさんのような学生は毎年何名かいます。日本語力で進学はできちゃいますが、進学先でどうなのかはよく見えていません。たまに「おかげさまで就職が決まりました」なんて報告に来てくれる学生もいますが、泥縄式に進路を決めた学生が平均的にどうなるかまでは、なかなか追跡できません。

Sさんには私が感じたことをそのまま伝えました。そして、面接の受け答えのコツも教えました。Sさんは、出席もいいことですし、私のアドバイスを守ってくれさえすれば、おそらく合格するでしょう。決していい加減な気持ちで進路変更したのではないというSさんの言葉を信じて、かげながら応援しましょう。

成長を感じる

2月20日(水)

選択授業の作文は、先週の中間テストのフィードバックをしました。全体的には思ったよりよく書けていましたが、もちろん間違いは山ほどありました。その間違いを乗り越えて学生たちの思いが伝わってきたということは、学生たちの筆力がけっこう高いということでしょうか…。

いつものように、各学生の文章から誤用を含む文を1つずつ選び、それを1枚のプリントにまとめ、学生に配って訂正させました。1人でクラス全員文を直していたら日が暮れても終わらないでしょうから、数人で数本の誤文訂正をしてもらいました。このやり方に慣れてきたのか、クラスも違うあまり話したことがない学生とも議論を交わすことができるようになっていました。

そして何より、話し合いの結果を発表してもらうと、ほとんどの文の間違いがきちんと訂正されていたのです。こちらの狙い通りの文法を使い、単語の誤用を改め、文意を明確にするために前後を入れ替えるなど、心の中では密かに驚いていました。三人寄れば文殊の知恵とはよく言ったものです。

でも、これを自分ひとりでできるようにならなければならないんですよね。授業で文章を書くときは誰の助けも借りられないのですから。こういうことを繰り返していけば、自分とは違った視点から文章を見る目が養われるのではないか、そうなると今まで犯していた間違いがなくなるのではないかと期待しています。今週は新しい課題に取り組みませんでしたが、来週は今学期前半とは違ったタイプの文章を書いてもらうつもりです。そのときに、この効果を遺憾なく発揮してもらうことを大いに期待しています。

十人十色

2月14日(木)

木曜日は超級クラスの授業。超級と言われるだけあって、このクラスの学生はできます。しかし、でき方に問題があるというか、能力に偏りがあるというか、一見できないように見えたり、ペーパーテストでしか力が出せなかったりなどと、誰がどこから見ても“できる”学生は少ないです。

Yさんは来週のバス旅行を欠席するので、欠席理由書を書かせました。感服しました。欠席はいけないことですが、心のこもった理由書の文章は文句のつけようがなく、説教を忘れてしまうほどでした。Kさんにも書かせましたが、こちらは説教する気すら起こらない、おざなりを絵(文字?)にしたような内容でした。Kさんだって根本的に悪い学生ではありません。読解などでは深いところまで読みきっていることを示す発言をするんですが、どうして読み手の神経を逆なでするような文章を書いちゃうかなあ…。

「ここまでの授業について、何か質問はありませんか」とクラス全体に聞いたとき、質問してくるのはFさんやZさんです。Fさんの質問は本質をずばりと突いてくることもあれば、そんなこと教科書をもういっぺん読めばわかるじゃないかということもあります。でも、疑問点をうちへ持ち帰らないという点は高く評価できます。Zさんは興味本位で質問してくることがあります。授業の本筋とは離れてしまうこともありますが、話題を広げるという意味では貴重な質問です。

授業前に、Gさんに進路のことで質問しました。すごい答えでしたねえ、文法のハチャメチャぶりが。レベル3の学生だってもう少し要領よく答えるんじゃないかな。私が教室に入るなりいきなりつかつかと近寄って質問してきたので、Gさんは緊張していたのかもしれません。でも、超級ですからね、どんな条件でもそれなり以上に答えられなきゃ。こう書くとGさんはダメ学生の代表のように見えちゃいますが、頭脳明晰さはクラスで1、2を争うと思います。

Lさんはいつも授業後にこそっと質問してきます。その質問を授業中にしてくれたら他の学生も参考になったのにと思うのですが、気恥ずかしいのでしょうかね。……バレンタインのチョコレートを1粒くれました。

見せたくない

1月30日(水)

水曜日は作文の選択授業です。私のクラスはEJUに関係のない学生たちばかりですから、作文を書くことを通して、先学期・今学期に勉強した文法や語彙を使ってみて覚えることに主眼を置いています。先週はこちらが想像したよりうまくかけていましたから、今週は少し課題のレベルを上げました。

学生たちには書くのに1時間与えましたが、何名かは時間をかなり余して「できました」と原稿用紙を出そうとしました。受け取って読んでみると、先学期・今学期どころか初級文法を間違えているではありませんか。「間違いがたくさんあります」と言って、作文を学生に差し戻しました。

私に作文を受け取ってもらえなかった学生たちはどことなく不満顔でしたが、読み直し始めました。しかし、自分の間違いに気づいた様子はうかがえませんでした。文法と漢字の教科書は見てもいいことになっていますから、教科書を参考にしていましたが、自分で自分の文章を読んでいる限り、間違いは浮かび上がってこないようでした。

自分の間違いは見えてこなくても、他人の間違いはすぐわかるものです。これを岡目八目と言ってよいかどうかはわかりませんが、となりの友達に目を通してもらえと指示を出しました。しかし、間違いだらけの文を見せるのは恥ずかしいのか、ごく一部の学生しかしませんでした。

…という調子で、早い時間に提出しようとした学生たちは、結局、自分の力だけでどうにかしようとするばかりでした。そして、最終的に提出された作文を読んでみると、直してほしかった部分はほとんど手付かずでした。聞くは一時の恥と言いますが、見てもらうも一時の恥という空気がこのクラスに生まれてこないものでしょうか。

ねちこちと

1月25日(金)

日本語教師の仕事は、日本人にとっては自明である日本語文法に理屈を付け、いかに論理的に外国人学習者に伝えていくかということです。助詞にしたって、その意味や機能を細かく分類し、用法を解き明かし、学習者の頭の中に植えつけていきます。口からの説明に頼りすぎると、授業が難しくなってしまいます。しかし、練習を通して覚えさせていこうとしても、教師側に理論的なバックボーンがないと、見かけ上は同じ形でも学習者にとっては違う働きの言葉をごちゃ混ぜにしてしまい、かえって混迷を深めるなどという結果を引き起こしてしまいかねません。

今、養成講座で私の授業を聞いている受講生の方々は、まさにこの自明の真理を自明としないで話を進めなければいけないことに戸惑っています。“〇〇ってどういうこと?”“××と△△は何がどう違うの?”と、普通の日本人が普段考えないような、「だって当たり前じゃない」としか言えないようなことばかり聞かれ、そのたびに脳みそが裏表になるような気持ちになっているのではないでしょうか。

私は、そういう重箱の隅をどつきまわすようなことが好きでしたから、この仕事をしているのだと思います。学生たちもその点は感じ取れるのでしょうか、受け持ったどのクラスでも文法や単語の意味に関する質問は、私が一番多いようです。初級クラスでも上級クラスでも、私はそういう議論をするのが好きで、これが生きがいになっているとすら感じます。

学期前から集中的に授業をしていたため、今シーズンの養成講座の授業も、あと1回になってしまいました。次は4月までないのかと思うと、ほのかな寂しさも感じます。

答えにくい

1月24日(木)

K大学を受けるYさんの面接練習をしました。挑戦するのが薬学部ですから、留学生にとってはかなりの難関です。志望理由など、普通の面接の質問では足りないと思い、かなり厳しい答えにくい質問もしました。内角胸元をえぐるような球には、EJUで好成績を挙げたさすがのYさんも、答えに詰まっていました。

面接練習は、空振りを覚悟の上でするものです。本番の面接で予想より難しい質問が出てきたら対応できないでしょうが、練習で聞かれた、答えるのに困ってしまうような質問への回答を考えておけば、本番で途方に暮れることは少ないと思います。まあ、面接練習は予防注射みたいなものであり、いろいろなウィルスに対する免疫ができていれば、本番で感染症にかかる心配は減ります。

かなりボコボコにされたYさんは、練習が終わってもしばらくは震えが止まらなかったようです。どうにか立ち上がって退室の挨拶まではしましたが、フィードバックのために再び椅子に腰掛けたら、もう動けませんでした。K大学もここまで受験生を追い込むことはないでしょうから、これに耐えられるようになったら、明るい未来が見えてくるかもしれません。

その後、就職試験を控えたHさんの練習にも付き合いました。こちらは予め質問が知らされているのですが、その質問がとんでもないものばかりで、Hさんといっしょに答えを考えました。ですから、正確には練習というよりは相談です。Hさんの希望や今までの経験を踏まえて答えを作り上げるのですが、背伸びやうそは結局Hさん自身の首を絞めることになりますから、あくまでも正直ベースで回答を練り上げました。

夜、卒業生のYさんがひょっこり来ました。そういえば、Yさんも面接練習で泣きが入った口です。でも、大学で3年間鍛えられた今は、堂々としたものです。就活の最中だそうです。夏ぐらいまでには、内定の知らせを聞かせてくれるのでしょうか。

10問10分

1月22日(火)

先学期、初級のときから受験講座に参加してきた学生たちが、今学期は中級になりました。私が受け持っている理科の場合、物理や化学や生物に関する知識が増えて実力がついたことも確かですが、それ以上に、問題を解くのにかかる時間が短くなったと感じています。

例えば生物。正誤問題ではけっこうな量の、引っ掛けもある要注意の文をいくつも読みこなさなければなりません。そのため、3か月前、勉強を始めたばかりのころは、10問解くのに30分ぐらいはかかっていました。しかし、今学期は、同じ10問を10分強ぐらいで解いてしまいます。先学期は図をヒントにして解く問題に優先的に取り組むよう指示を出しましたが、今学期は長い文章の問題でも向かっていきます。

全問とは言いませんが、きちんと正解にたどり着いています。1学期間の日本語の勉強によってもたらされた成果にほかなりません。こうした実例を目の当たりにすると、初級から中級にかけての伸び盛りの時期は、何でも吸収していくのだなあと、感心させられます。今学期の生物の学生たちに、特にそれを感じます。

でも、EJUの生物は生物が得意な学生ばかりが受けますから、毎回ハイレベルな戦いが繰り広げられます。物理や化学なら好成績と言える70点でも、生物ではごく当たり前の成績です。80点ぐらい取らないと、好成績とは言えません。残念ながら、今の生物の学生たちは、そこまでには至っていません。

10問を10分ちょっとで解いたことはほめましたが、同時に、君たちの目指す点数は80点だとも伝えました。6月の本番まで5か月ほどありますから、どんどん鍛えて、80点どころか90点、95点を狙わせたいです。

涙の向こうに

1月21日(月)

職員室の入口にRさんが立っているのが私の席から見えました。こっちを見ているような見ていないような微妙な視線だったので、急ぎの書類作成中だったこともあり、無視していました。A先生から「Rさんがほんのちょっとだけ用事だそうです」と呼ばれたので、Rさんのところへ。「先生、S大学に合格しました」という報告がありました。

S大学は、午前の授業中に、Yさんからはだめだったという結果を聞いていました。RさんとYさんを比べるとYさんのほうが日本語力がありますから、Rさんも落ちたのではないかと覚悟していました。それだけに、よくやったと思いました。

でも、別の見方をすると、RさんはS大学の試験直前、毎晩遅くまで面接練習をしていました。志望理由から将来計画まで、Rさんの専門を取り巻く現況も含めて、入念に想定問答を繰り返していました。A先生からもH先生からも私からもさんざんダメ出しを食らい続けましたが、それでもへこたれることなく練習を続け、受験に臨みました。

一方、Yさんは、どこかで面接練習をしていたのかもしれませんが、私は直接相手をしていません。頭の中でのシミュレーションだけで本番に臨んだとしたら、この結果は当然です。慢心があったのでしょうか。それを見逃していたとしたら、「面接練習しようか」なんて、一言声をかければよかったと心が痛みます。

やはり面接練習をせずに専門学校を受験したWさんも、落ちてしまいました。Wさんの性格から考えて、専門学校をなめていたわけではないでしょうが、どこかに油断があったに違いありません。半べそをかきながら面接練習を受け続けることには、立派に意味があるのです。

私立大学の定員厳格化の影響が各方面に及び、厳しい受験競争が繰り広げられています。Yさんはすぐに体勢を立て直さねばなりませんし、明日はZさんの面接練習が入っています。気合を入れて鍛えなければ…。