Category Archives: 日本語

聴解のメモ

4月23日(火)

聴解問題をするときに学生にメモを取らせ、終了後にそのメモを提出してもらいました。

Sさんは実に丁寧にメモを取り、スクリプトの要点を余さずとらえていました。スクリプトを見ながら書いたのではないかというくらい完璧でした。思わず五重丸をあげてしまいました。Aさん、Hさん、Gさんなども、必要なことは書かれていました。このくらいのメモが取れるなら、JLPTやEJUの問題も恐れることなどありません。

その一方で、Kさん、Cさん、Jさんあたりは、本人がこのメモを見ても、何もわからないのではないかという代物でした。まるっきり聞き取れていないわけではないのでしょうが、このメモを基に何かするのは不可能でしょう。どこまで問題が解けるのか、心もとない限りです。

日常生活で聞いたことをその場でメモすることはあまりないでしょう。紙にメモしなくても、頭にメモできれば聴解問題ぐらいなら何とかなるかもしれません。でも、頭にメモできる内容は、思っているよりも少ないものです。10~11桁の電話番号はどうでしょう。私は自信がありません。相手の言わんとしていることを少しでも深く理解するには、誤解を減らすには、メモは不可欠だと思います。

つまり、日常生活をより充実したものにするには、聞いたことをメモすることが大きな役割を果たします。その延長線上にテスト問題があると考えてもいいと思います。そう考えると、Kさんたちは日本で生活を続けていくという観点からも心配です。他のクラスにもこういう学生がいるでしょう。そういう学生たちを、卒業するまでにどのように鍛えていけばいいでしょうか。

それ以上に、岸田さん、あなたは森さんに会ったときに、メモを取らなかったんですか。それで事情聴取したつもりなんですか。

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大変身

4月20日(土)

お昼過ぎ、トイレに行こうと職員室から出たら、「すみません。F先生がいますか」と声をかけられました。どこかで見たような顔なんだけれども、私が知っているその顔の持ち主は、こんな調子で話しかけてくるキャラじゃありません。人違いかなと思って、「先生、学生ですよ」とF先生を呼び出しました。

ロビーに出るや、F先生、「Yさん、元気だった?」と、つい数秒前、私が頭の中で否定した卒業生の名前を呼ぶじゃありませんか。F先生を目にしたYさんも、にこやかな表情になりました。Yさんってこんな笑顔になるんだと、F先生の影からYさんの顔をしげしげと眺めてしまいました。

Yさんは、今年B大学に進学しました。KCP在学中のYさんは、出席率も悪く、成績も振るわず、いわゆる問題児でした。いつも眉間にしわを寄せ、日本語に自信がないせいか、ほとんどしゃべりませんでした。進学についても高望みを続け、F先生をさんざん悩ませました。卒業式の頃に、第3志望ぐらいのB大学にどうにか滑り込みました。

まだ1か月足らずですが、B大学での留学生活は楽しいようです。好きな勉強をしていますから、笑顔も湧き上がってくるのでしょう。「すみません。F先生『が』いますか」と言ってしまうあたり、日本語はまだまだですが、自分から日本語を発するようになったのですから、大進歩です。B大学では日本人の友達もできたと言っていましたから、日本語を話す力もこれからぐんぐん伸びることでしょう。

KCPを訪ねて来てくれたということは、Yさんの心に余裕が生まれたということです。順調な滑り出しと言っていいでしょう。今週は忙しくて私の方に心のゆとりがなくなっていましたが、明るく輝いているYさんを見て、少しリフレッシュできました。

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実力の偏り

4月19日(金)

今学期の日本語プラスEJUは、6月の本番を目指して実力をつけていくことに集中します。そのため、プレースメントテストを行い、その結果を見てクラス分けをします。受講希望者が最上級クラスからレベル3まで広がっているということもあります。しかし、レベルで機械的に分けると、下のレベルなのにテクニックで点を稼いでしまう学生や、その逆に上のレベルなのに要領が悪くて点が取れない学生などがいて、学生の実力を引き上げられないおそれがあります。そんな意味からも、プレースメントテストで様子を見ていきます。

さて、そのプレースメントテスト。最初にやった聴解・聴読解の時点で怪しい雰囲気が。几帳面にメモを取る学生がいる一方で、ボーッとしている学生もいました。全くメモを取らないのに成績がよかった学生は、数年前に卒業したKさんだけです。Kさんは聴解の天才だったかもしれません。問題にじっと耳を傾け、正解が流れるや迷わずチェックを入れました。それでいて間違いがほとんどないのです。どうしてそんなによくできるのかと聞いてみましたが、笑ってごまかされてしまいました。

残念ながら、目の前の学生たちは、Kさんの足もとにも及ばないようでした。メモを取らない学生は、メモを取る必要がないのではなく、メモを取る能力がなかったのです。解答用紙を見たら、1つの解答欄に2つも3つもマークしてありました。どの選択肢も正しいように聞こえてしまったのだとしたら、重症です。

読解は時間切れが数名。Sさんは最後の7問が空白でしたが、答えた問題で間違えたのは1つだけでした。速読の訓練をすれば、大いに期待できます。一方、Dさんは、読解の解答欄は真っ白でした。Nさんは最後まで答えましたが、正解は数えるほど。2人とも、漢字が読めなくて正解が選べなかったのでしょうか。

採点してみると、予想通り受講生間にかなりの差がありました。しかも、聴解ができない学生、読解ができない学生、入り乱れています。どんなクラスを設定すればいいか決めるのは、大仕事になりそうです。

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敏勘

4月8日(月)

朝、一人で仕事をしていると、電気のついていないロビーに人影が表れました。シルエットからするとKさんのようでした。ああ、そうだ、新学期が始まるんだよね。今学期も毎朝一番乗りのつもりかな、Kさんは。

他の先生方はクラス授業でしたが、私の今年度の始業は養成講座の講義でした。初回の講義はいつも日本語文法ですが、まずは日本語文法的な発想、文のとらえ方、もっと大きく言ってしまえば世の中の見方を身に付けていってもらいます。

「彼は学生ですか」「はい、そうです(よ)」(1)は会話として成り立ちますが、「彼は元気ですか」「はい、そうです(よ)」(2)は不自然ですよね。こんなことは、高校までの国文法の時間でも取り上げません。普通の日本人は一切気にも留めません。本能的に(1)は〇だけど(2)は×だと判断し、無意識のうちに(2)を避けています。その避けている(2)にも目を向けて、あえて疑問に思う癖をつけてもらうのが、この文法シリーズの狙いでもあります。

さらに根本的なところには、日本語文法に対する勘を養うということがあります。文を読んだり聞いたりした瞬間に、誤用に気がつく(内容についてはともかく)とか、より適切な表現が思いつくとか、言い回しの違いによるニュアンスの違いを感じ取るとか、そんなことができるようになってもらいたいのです。

勘を養うことの重要性は、日本語文法に限ったことではありません。私が担当している理科や数学の受験科目だって、勘が働くかどうかで問題が解けるかどうかが決まることがよくあります。料理だって、ここでコショウを一振りなんていうのは、クッキングブックではなく勘のささやきではないでしょうか。

最後の例のように、勘は言語化しにくいものです。だから、“習うより慣れろ”的な訓練が必要です。養成講座のみなさんもそうですが、新学期を迎えた学生のみなさんも、勘を鋭くしていってください。

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旧交を温める

3月15日(金)

病欠のO先生に代わって、初級クラスに入りました。名簿を見ると、このクラスには先々学期レベル1で教えた学生が2人います。そういう学生に会って伸びを確かめるのも、代講の楽しみです。

教室に入ると、その1人であるSさんはすでに教室にいて、授業開始直後に行われる漢字テストと文法テストの準備をしていました。いい点取れよと心の中で声を掛けました。

ほどなく始業のチャイムが鳴りましたが、知っている学生のもう1人、Fさんが来ていません。出席を取り終わってもまだ入ってきません。「では、漢字のテストを始めます」と、試験用紙を配り終えた頃にFさんが入ってきました。私と目が合うと、一瞬、しまったという顔をしました。

テストが終わると、週の初めにやった文法テストの返却日に当たっていましたから、学生たちにテストを返しました。Sさんは、なんと、不合格ではありませんか。「レベル1の時はいい学生だったのに」と言いながら返すと、申し訳なさそうに受け取っていました。こういう恥ずかしい思いをしなければならなくなることがありますから、KCPの学生は油断ができません。Fさんは、以前と変わらず優秀な成績でした。

このクラスはアルファベットの国からの学生が優秀なようで、テストの成績でもトップを争っていました。フィードバックのついでに初級とは別の切り口からこのテストで扱っていた文法の話をしました。そういうのを真剣に聞いていたのも、アルファベットの国のみなさんでした。

確かに、JLPTやEJUでは漢字の国の学生の方が好成績を収めますが、KCPのテストはコミュニケーション力を見ようという色彩もありますから、国でそういう訓練を受けてきたアルファベットの国の学生が有利になる面もあります。上述のように、知的好奇心が強いことは、この先大きく伸びていく余地があるということでもあります。

代講は、時間が奪われることは事実ですが、興味深い発見も多いので、結構楽しんでいます。

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成長

3月13日(水)

初級のCさんはまじめな学生です。毎日の宿題をきちんとしてくることはもちろん、予習もしてくるし、授業も真剣に聞いています。しかし、成績は今一つ伸びていません。テストはどうにか合格点というレベルですし、例文などの提出物にも誤りがいくつもあります。

学期の最初の頃は、指名されると「えっ、私ですか」と言わんばかりにこちらを見返してきました。音声がうまく聞き取れていなかったのかもしれません。また、易しい問題を当てても的外れな答えを言ってしまうこともありました。残念ながら来学期は進級できないだろうなあと思っていました。

「建築家って?」と、漢字の時間に出てきた単語の意味をクラス全体に聞いたところ、「ビルを建設する人です」「家を建築する人です」などという声があちこちから上がりました。すると、教卓の真ん前に座っていたCさんがやおら口を開きました。「建築家はビルをデザインして、絵(設計図)を描いて、みんなにお願いして(関係者に指示を出して?)、ビルを建てる人です」と、つたないながらも立派な説明をしてくれました。

私は驚きました。学期の初めには単語レベルの話しかできなかったCさんが、こんなにまで話せるようになったのです。相撲の世界には「3年先の稽古をしろ」という戒めの言葉がありますが、Cさんは今学期の最初から2か月先の勉強をし、その努力が実を結び、学期末近くになって花開いたのです。そうそう、授業の最初にやった漢字テストも、今学期最高点でした。

1月下旬ぐらいだったでしょうか、新聞部に所属しているCさんが私の所へ取材に来ました。持てる想像力をフルに働かせてCさんの質問の意味を感じ取り、Cさんにわかるようにかみ砕いて答えました。今なら、そんな苦労をすることなく、話が弾むことでしょう。

今学期も多くの学生に触れあってきましたが、日本語力が一番成長したのは、疑いなくCさんです。

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スピーチ付き卒業式

3月11日(月)

卒業式後、当日式に参加できなかった卒業生が、証書をもらいに来ています。無断欠席の場合は取りに来ても証書は渡しませんが、事前連絡があった卒業生には職員室で渡すことにしています。

この後日の証書授与には、1つだけいいことがあります。当日は受け取る人数が多いので、証書の読み上げは最初の1人だけで、あとは「おめでとうございます」と声をかけながら手渡しします。しかし、“後日”は、卒業生を向き合って「おめでとうございます」だけでは間が抜けていますから、証書の文面をフルに読み上げます。その場にいる教職員が拍手で祝福します。そういえば、当日はすべての卒業生に拍手ではありませんね。

このように温かい雰囲気の中で証書がもらえるのですが、もらった卒業生はスピーチを求められます。これも卒業式当日にはない特典と言えないこともありませんが、当の本人にとっては、このスピーチはなかなかの難関のようです。

Kさんは、教室では気の利いたことを言ったり、他の学生とは違った観点から意見を述べてくれたりと、話すことに関しては教師も一目置いていました。本人も自信を持っていたのではないかと思います。ところが、証書をもらった後にスピーチを求められると、「2年間、KCPで勉強しました…」など、レベル1程度の文しか出てきません。スピーチをしてもらうと予告しておきませんでしたから、また、お世話になった先生、見慣れぬ顔の先生、職員室にいる教職員全員の注目を浴びていますから、緊張していたことは確かでしょう。結局、語彙的にも文法的にもレベル1の範囲を出ることのない挨拶に終わってしまいました。

KさんよりおとなしいFさんは、言うに及ばずです。どうにかこうにか「ありがとうございました」にたどり着いたといったところでした。

毎年、こんな感じです。堂々とスピーチできるのは、ほんのわずかです。もちろん、コトバデーを見てもわかるとおり、全校生の前で立派なスピーチができる学生もいます。卒業式で学生企画の司会を立派にやり遂げた学生もいます。でも、人前で話すことのKCP全学生の平均値は、まだまだと言わざるを得ないでしょう。来年度は、卒業式後に証書をもらいに来た時に立派なスピーチができる学生を育てたいものです。

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同じです

2月22日(木)

初級クラスの漢字の時間に「絵」が出てきたときのことです。教科書に「絵」「絵本」「絵画」と3つの言葉が載っていましたから、これに付け加えて「絵文字」を紹介しました。「えもじ」という読み方まで教えると、Gさんが「えもじ?」と大きな声をあげました。そして、「先生、同じです」と大発見でもしたかのように叫びました。

Gさんにとっては、SNSなどの文にくっつけるあれは、アルファベットの“emoji”でした。実は、それは元をたどると日本語の「絵文字」なんだと説明すると、「知りませんでした」と、これまた教室中に響き渡るような大きな声で驚きを表していました。

「絵文字」が“emoji”として英語にもなっているということは、情報としては知っていました。しかし、“emoji”を根っからの英語だと信じて疑わない人を目の当たりにすると、こちらの方こそ驚きの声をあげたくなりました。Gさんをはじめ世界中の多くの人々が、絵文字を自国語のごとくごく当たり前に使っているのです。短期間によくぞそこまで浸透したものだと感心せずにはいられません。“emoji”も“kimono”“sashimi”“tsunami”と同じレベルに達しているのです。いや、使われている頻度や範囲を考えると、先輩語を凌駕していると言ってもいいでしょう。

工業製品が日本の名刺代わりだったのは、私が若かった頃の話です。テレビや自動車こそが、富士山同様日本の象徴でした。時は流れ、ポケモンのあたりからソフトな名刺になり、“emoji”に至ったわけです。世界の文化を彩っているのですから、大いに胸を張りましょう。

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変更直前

1月25日(木)

養成講座・中上級文法の最終日。私は、文法は1つの体系であり、それを「初級文法」「中上級文法」と分けることには反対です。しかし、養成講座の他の授業との兼ね合い上、そういう形で授業をしています。とはいうものの、私の「初級文法」が厳密に初級クラスで扱う文法かというと必ずしもそうではありません。説明の都合上、上級で勉強する内容の一部も含まれています。

さて、最終日。「中上級文法」では教師としての例文の作り方も教えています。例文を作ることを通して、文法項目の理解が深まると信じています。また、例外規定とか場面の制約とか、そういった事柄も見えてきます。例文は学習者に提示するのみならず、教師自身がその文法を研究する際にも有効です。私は例文を作るのが好きですから特にそう感じているのかもしれませんが、受講生のみなさんにもぜひこの感覚を味わってもらいたいと思っています。

例文の作り方のコツを伝授したうえで、中上級の文法、主力はJLPT・N1とN2になりますが、の探検に踏み出しました。どの期もそうですが、「そんなこと、考えたことがなかった」という感想につながります。そりゃあそうですよ。ネイティブだからこそ気が付かないというのの連続です、文法は。

しかし、N1,N2の文法というくくり方は、今回が最後になるかもしれません。文科省や文化庁が日本語学校のあり方について盛んに口出ししていますから、それに合わせるとなると、授業内容の大幅な組み換えが必要となるでしょう。その方が、私の考え方に近づくような気もしますから、多少は期待しておきましょう。

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話す

1月24日(水)

KCPの学生の多くは進学します。そのために日本語を勉強しているわけですが、ともするとJLPTやEJUの対策に向かいがちです。そうすると、読解や文法などには力を入れますが、往々にして発話関連はおろそかにされてしまいます。でも、入試にも面接がありますから、発話がいい加減なままでは学生たちの夢は実現しません。

今学期は水曜日に初級クラスに入っていますから、そこで発音を鍛えてやろうとあれこれ画策しています。私は、初級クラスでは比較的アクセント記号を多用します。このクラスでもディクテーションの時間をはじめ、チャンスを見つけてはアクセント記号を意識させています。

漢字の宿題に「呼んでください」がありました。絶好球と思って、「読んでください」も板書して、アクセントが同じか違うか、それぞれどんなアクセントか聞きました。クラス中大混乱でした。正解を示すと、ぼそぼそつぶやきながら書き写していました。もちろん、最後は「タクシーを呼んでください」「教科書を読んでください」をコーラスしました。

その後も、指名した学生の答えのアクセントが違っていると言い直させたり、教科書に出てくる語彙の関連語のアクセントを聴いたりなど、いじり倒しました。私がこのクラスに入るのは週に1回だけですが、少しでも足跡が残せればと思っています。

私のような上級をホームとしている教師にとって、初級の授業は種まきです。今学期まいた種を夏か秋に刈り取れればうれしい限りです。

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