Category Archives: 教師

熱演が無駄

12月3日(木)

「はい、ここまでのことで、質問ありませんか。……ない? なかったら、例文を書いてください」と、学生たちに今やったばかりの文法を使った例文を書かせました。文法の授業を締めくくる恒例の儀式と言ってもいいでしょう。

学生が例文を書いている最中、私は教室中を回って、学生たちの手元をのぞき込みます。もちろん、密にならず、変なプレッシャーを与えずという距離は保ちます。学生が作ったばかりの悪い例文を見つけ出し、どこが悪いか学生全員に考えてもらいます。同時に、私の説明が足りなかったところや練習が必要だったところを補います。

Cさんの例文を見ると、私が書いてはいけないと注意したタイプの例文でした。赤で板書し、ホワイトボードをたたいてここが重要だと訴えたのに、それを無視した例文を作っていたのです。すぐに、教室全体に響く声で、「こういう文を書いてはいけないって言いましたよね。思い出してください」と再度注意しました。Cさんも、書いたばかりの例文を消して、また考え始めました。

ところが、Cさんの教科書やノートを見てみると、私が赤で書いた重要ポイントも、ホワイトボードをたたいて強調した注意点も、何も書かれていませんでした。わずかにその文法の意味しか記されていませんでした。参考になるのがそんなメモ書きみたいなものしかなかったら、教科書の例文を見たって、どこに目を向けるべきかわかるはずがありません。

Cさんみたいな学生は、板書事項をまとめた解説を配ったって、おそらく見ないでしょう。学生が書いて提出した例文は添削して返しますが、教師が入れた赤は読んでいないに違いありません。その証拠に、Cさんのこの前の文法テストは…、いや、お恥ずかしくて点数は明記できません。

2度目の解説はきちんと聞いていたようで、Cさんが提出した例文は、一応要点は捕らえていました。でも、別のところに文法ミスがあり、○にはできませんでした。その文法を勉強した時も、ろくにノートを取っていなかったんでしょうね。

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切羽

11月25日(水)

人間は切羽詰まらないと動かないものです。特に受験生を見ているとそう感じさせられます。春から、少なくとも6月のEJUの中止が決まった時から、ずっと今年の受験は何が起こるかわからないから先手必勝で動けと言い続けてきました。にもかかわらず、いまだに動きの鈍い学生、動いていないに等しい学生がそこかしこにいます。レベルの高いところを狙い続け、ようやく滑り止めと言い始めた学生、志望理由書の書き方すら知らない学生、そんな剛の者もよく見かけます。

Aさんもまだ行き先が決まらない一人です。「B大学にあこがれているなら受けてもいいけど、ワンランク下のC大学にも出願しておきなさい」という話をしたのは、何か月前でしょう。B大学に落ち、C大学のⅡ期に出願となりましたが、競争率は1期よりずっと高く、今、不安にさいなまれています。もう1ランク下のD大学も考えざるを得ません。

Eさんの志望理由書は和文和訳が必要で、事情聴取をしながら言わんとしていることをまとめました。志望理由書の書き方は、夏ぐらいから練習しているはずなんですがね。Fさんも、日本へ来るまでに字数の大半を使い果たし、大学そのものについてはほとんど述べられていません。明日必着だからと、3時ごろ書類を持ってきたGさんに至っては、中身をじっくり確認する時間すらありませんでした。郵便局に寄った足で、5時までに持ち込みのH大学に駆け込むのだとか。私にはそんな度胸はありません。

こちらの思いを伝えきれていない、春の時点で学生たちから信頼を勝ち得ていなかった、こういったことが、切羽詰まらないと動かない学生を生んだ一因です。私たちの言葉を信じてくれた学生は、順調に合格を重ねています。コミュニケーションの大切さを訴えている当の本人が、コミュニケーションができていません。悩ましい限りです。

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ぽにょぽにょ

10月31日(土)

学校にいると、20歳前後の若者とは日々接していますが、小さな子どもや、ましてや赤ちゃんと触れ合うことは、まずありません。私の場合、親戚まで広げても赤ちゃんには縁遠いというのが現状です。

午後、以前KCPに勤めていたK先生が来ました。10か月というお子さんを連れて。K先生が職員室に入ってくると、その場にいた教職員全員が赤ちゃんに注目。私は手を消毒し、ほっぺたを触らせてもらいました。ぽにょぽにょの柔らかいほっぺたはやっぱり快感ですね。私に触られてもK先生のお子さんは嫌がりもせず、笑顔さえ見せてくれました。調子に乗って、手の甲とかふくらはぎとか、肌が露出しているところをもみもみしてしまいました。変なオッサンにちょっかいを出されてさぞかし迷惑だったでしょうが、ご機嫌斜めになることなく、愛嬌を振りまいてくれました。

抱っこをすると、マスクに触ろうとします。それはよろしくないですから、上下に前後に左右に揺らしてマスクから意識をそらせるようにしました。どうやら、そういうGがかかる動きが好きなようで、にこにこ笑っていました。他の先生方も、なんだかんだ言いながら、触ったり抱いたり、本当にアイドルでした。

おかげで、職員室の空気がとても和みました。人見知りしない赤ちゃんでしたから、だれに抱かれても泣くことなく、みんなが気持ちよくあやすことができました。私たちはほんのちょっとの間だけでしたから“気持ちよく”というレベルですが、K先生は1日中であり毎日であり子どもの命を守る責任もあり、常に“気持ちよく”というわけにはいかないでしょう。“ああ楽しかった”ではすまないのです。にもかかわらず、KCPにお勤めだったころと同じように明るく元気でした。立派だなあと思いました。

赤ちゃんは体の80%が水なのだそうです。だから、ぽにょぽにょなのであり、抱くと気持ちがいいのでしょう。疲れ気味の週末でしたが、活力をいただき、来週の仕事の準備がはかどりました。

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明日はリベンジ

10月20日(火)

例文は授業を映す鏡と申しましょうか、学生が提出した例文を見ると、授業の出来がよくわかります。今朝までに、昨日中級レベルで行ったオンライン授業の例文が届きましたが、そこには昨日の授業の抜け落ちが如実に表れています。

もう少しこちらから例文を提示したり学生に練習させたりしたいところだったのですが、時間に追われて学生の「わかりました」という声を信じて次の科目に移ってしまいました。それが敗着だったようで、説明の足りなかったところをわざと突いてくるかのように、学生たちは誤文を作ってくれました。

上級のクラスだったら、教師の説明不足を学生が補ってくれることもよくあります。日本語文法に慣れて勘が働くようになっているため、学生たちは既習の文法との比較を無意識のうちに行い、おそらくこういうことだろうと理解してしまうのです。教師は、学生の理解力の高さに助けられて授業を進めている面もあります。

中級の学生は、そこまで手練れではありません。経験値が十分ではありませんから、上級の学生に対してよりも手厚く説明したり練習したりしなければなりません。その時間がなかったというのは、完全に教師の作戦ミスです。学生の予習が想像以上に足りなかったという言い訳はありますが、それに全面的に責任を押し付けることはできません。

明日は、偶然にも、昨日と同じ学生を相手に、代講でオンライン授業をします。図らずしてリベンジの機会が与えられました。今度は学生の予習不足も織り込んで、抜け落ちがないように授業が進められるよう、準備を進めています。

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頭脳の再構築

10月13日(火)

先週金曜日から新学期が始まっていますが、私は土曜日の受験講座を担当しただけで、クラス授業をしていません。もっぱら、日本語教師養成講座に携わっています。

10月から私が行ってきた授業は、中上級の文法です。N1の文法項目すべてについて懇切丁寧に解説していくなどということをしていたら、年末までかかっても終わりませんから、文法項目のとらえ方、どこに目を付けるかについて話してきました。特に、教師が例文を通して文法項目の意味を明確に理解することや、言葉による説明ではなく例文によって学習者に文法項目を教えるということに力を入れました。

上級になると、語法と文法が相互乗り入れするような形でその境界があいまいになってきます。また、文章や発話の文脈を捕らえて書き手・聞き手の意味するところを理解することが求められます。そういったことから、文法らしい文法よりも少し外側の事柄にも触れてきました。

そんなことよりも何よりも、受講生のみなさんの頭の中に、文法的な発想を植え付けること、文法理解の回路網を構築することを目指してきました。街なかで使われている敬語の間違いに気づいたり、主語と述語が一致していない、いわゆるねじれ文に違和感を抱いたり、興味深い言葉の使い方を見つけて感心したりさらなる応用例を探したりなどして、常日頃から文法を意識し、頭を訓練していってもらいたいのです。こういう訓練の積み重ねが、いずれは授業に生きてきます。

わずか半月ほどの私の授業でしたが、初回に比べれば受講生のみなさんは文法的な生活が送れるようになってきたように感じます。来週の月曜日は、今期の中上級文法のテストです。少しずつ形作られつつある文法的頭脳を駆使して、合格点を取ってもらいたいです。

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取り付ける難しさ

10月8日(木)

始業日前日で、他の先生方が明日の準備をなさっている中、私は日本語教師養成講座の講義でした。語彙の面から文法を見て、日本語の特徴を考察していくという授業です。

語彙というと、複合動詞について語りたくなります。KCPの学生が上級になってもなかなか使えるようにならないのが、この複合動詞です。例えば、「教室に大型モニターを/付けます/置きます」なんていうのは言えます。よくできる学生なら「設置します」ぐらい使うでしょう。しかし、複合動詞である「取り付けます」は、ほとんど聞こえてこないでしょう。これがスムーズに出てきたら、相当日本語を使い慣れていると言っていいでしょう。

私たちも手をこまぬいていたわけではありません。教わった、練習した直後のテストでは合格点を取りますが、しばらくしたら元の木阿弥です。授業中の私の発話や板書などに意識的に複合動詞を織り交ぜても、学生の意識にはなかなか残りません。学生たちにとって複合動詞は、読んだらわかり、聞いたらわかる、いわゆる理解語彙ではありますが、話したり書いたりする時に使える語彙かと言ったら、絶対に違います。

私たちネイティブの日本語話者は、無意識のうちに複合動詞を取り入れてコミュニケーションしています。自然に使いこなしていますから、「教室に大型モニターを付けます」しか言えない学習者の思考回路になりきることはできません。

そういうことを受講生に訴えましたが、なんだか愚痴をこぼしているような気になってきました。明日からの新学期は、学生と力を合わせて受験に立ち向かい、難関を乗り越えねばなりません。ぼやいている暇などありません。

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準備が進む

10月2日(金)

期末テストが終わって1週間余りですが、来週の金曜日はもう新学期です。始業日の時点で新入生は入ってきませんが、新たな気持ちで在校生を迎える準備は抜かりなくしておかなければなりません。

その準備の一環として、午後から教室の掃除をしました。机などは、毎日の授業の後に、消しゴムのかすを集め、消毒のアルコールを吹きかけて拭いていますから、さほど汚れていないはずです。それでも、丁寧に見ていくと消しゴムのかすが残っていたり、飲み物を置いた跡が浮かび上がってきたりなど、拭き掃除に使った雑巾がいつの間にか薄汚れていました。

意外に汚れていたのが、各教室のモニターです。ほぼ垂直に立っているのですからごみやほこりなどがたまる余地などないはずです。しかし、静電気が発生して空気中の微粒子を引き寄せているようで、よく見ると画面全体がうっすら何かに覆われているようでした。そういう汚れは乾拭きすれば取り除けたのですが、ある教室の画面だけ、液体が飛び散ったかのような跡が付いていました。映し出された画像・映像を見るのに支障をきたすほどではなかったのか、学期中モニターが汚いというクレームはありませんでした。でも、明らかに汚れており、乾拭きでは取れませんでしたから、そこだけ洗剤を付けて拭き取りました。

それにしても、何の汚れだったのでしょう。コーラか何かのふたを開けた時に中身が飛び散ったのでしょうか。でも、炭酸飲料は教室内で飲んではいけないことになっています。もしそうだったとしたら、汚れがべとついて黒ずんで、教室の先生が気付いたでしょう。学生が汗を飛び散らせるほど暴れ回ったとは考えられません。どのクラスの学生も、教室内ではおとなしすぎるほどでした。傘のしずくを飛ばした学生がいたのでしょうか。でも、跡が付いていたのは私の背よりも高い位置ですし、そもそも傘は校舎に入るときにきちんとたたむことになっています。

結局原因はよくわかりませんでしたが、新学期の準備は着々と進んでいます。

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愚痴は愚痴として

8月4日(火)

「K先生、お疲れ様です。授業、いかがでしたか」「学生があまり反応しないので、なんだかやりにくいですね」「それはマスクをしてるからですよ。それに、あんまりしゃべるなって指導してますから」「そうですよねえ。しゃべり過ぎたら何が起こるかわかりませんからね。それから、誰が発言したかわかりにくいですね」「自由に答えさせると誰が答えたかつかめませんから、私はどんどん指名してるんですよ、名簿を見ながらでも。そうすれば教師がコントロールできますから」「確かにそうですね。あと、マスクしてると反応も見えませんね。わかってるのか、わかってないのか、なんだかつかめなくて…」「ありますね、それは。しなくてもいい説明をしちゃったり、しなきゃいけない説明を飛ばしちゃったり…」「安全サイドに走ると話が延びちゃうんですよ。それに加えて、グループで話し合いもさせられないでしょ。これも辛いですね」「そうですよねえ。まあ、どういう授業をしても、わかるやつはすぐわかる、わからないやつはいつまでたってもわからないっていうのが真実じゃないんですか」

…と、まあ、午前の授業が終わった昼休みに、マスク越しの授業の愚痴を言い合いました。こういう情勢ですから、教師がしゃべりまくるという、養成講座などで絶対にしてはいけないと教わった授業をせざるを得ません。学生から話を引き出すのを必要最低限に抑える授業なんて、KCPではありえなかったんですけど。

それでも、対面授業には、学生のかすかな反応を瞬時に捕らえてそれに対応したり、カメラを通してはできない大きな説明ができたり、学生と学生が顔を合わせることによって生じる相乗効果が見られたりなど、捨てがたい長所があります。わざわざ日本という、学生にとっては異国まで足を運んできてもらっているのですから、その期待に応えられる授業をしていきたいです。

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フレンドリー

7月28日(火)

6月のEJUが中止になってから、毎日のように各大学の外国人留学生入試の動向を調べています。早稲田大学のように早々と方針を決めて我が道を歩む大学もあれば、募集要項の発表が何回も延期になる大学もあります。いろいろと駆け引きがあるのでしょう。でも、ホームページに「発表は7月上旬」と書いたきり、もうすぐ8月だというのに更新されないというのは、その大学のだらしなさを表しているように思います。だらしなくなくても、留学生を大切にしているようには思えません。

それ以上に、留学生入試情報になかなかたどり着けない大学が困ります。クリック2回ぐらいで出願要件を知ることができる大学はサイトの作り方が親切だと思います。サイトの字が小さくて、私の目には読みにくいというのは、許してあげましょう。受験生は老眼ではないのですから。しかし、サイト中をあちこち迷った末に、かなり深い階層に留学生入試の情報を発見した時は、冷遇されているなあと感じます。そうやってやっと掘り出した情報が去年の情報だったりしたら、がっくりよりもむかつきを覚えます。

私は、長年受験生のお世話をしていますから、こういうのを調べるのに慣れているつもりです。老眼であることを除けば、情報にアクセスするのに有利な条件を備えているはずです。そういう私がかなり苦労しないと見つけられない情報を、ごく当たり前の外国人留学生がたやすく手にすることができるとは思えません。そういう情報の出し方(隠し方?)している大学は、日本語学校の教師の支援を出願の前提にしているのでしょうか。

自分の手であれこれ調べてみて、大学を見る目が少し変わりました。

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挨拶に感心

7月21日(火)

日本語教師養成講座の修了式がありました。今回修了したみなさんは、すでに日本語教育能力検定試験に合格している方や、実際の教えた経験のある方たちで、理論はわかっているから実際に教える力を身に付けようと受講した方々です。

修了生のみなさんは、今年の2月から今月まで受講なさっていました。ちょうど感染が広がる時期に当たり、授業見学や模擬授業をしようにもオンライン授業ばかりになってしまうなど、苦労が重なっていました。それを乗り越えて、修了の日を迎えたわけです。私は直接指導していませんが、実際に指導なさった先生方は、感慨ひとしおだったのではないでしょうか。

修了式では、私が修了証をお渡しした後、修了生お一人お一人に挨拶をしていただきました。こういう時、ほとんど何も言えずに形式的にごく短く済ませてしまうか、だらだらと長ったらしく話し続けるか、そんな人が多いです。しかし、今回の修了生はみんな内容のある話をピシッとまとめて語ってくれました。この点に感心しました。というか、こういうことができるということは、優秀な教師になる素養があるということだと思います。

教師は、突然話を振られてもそれなりに何か応えなければなりません。周りからは、気の利いたことを言ってくれると期待されています。「とりあえず、先生に何かしゃべっていただこうよ」「〇〇さんは高校の先生だからスピーチお願いしちゃおう」なんていう調子で、何かの式次第が決まっていくことて、よくあるんじゃないでしょうか。授業中に学生から矢が飛んでくることもしょっちゅうです。

今回のみなさんは優秀だと担当の先生方から聞いていましたが、それが実証された修了式でした。現在は、日本語教育界には逆風が吹いていますが、それにめげず立派な先生に育ってもらいたいです。

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