Category Archives: 教師

手作り感満載

3月13日(金)

今年は大勢が一堂に会するのは具合が悪いということで、卒業式を中止しました。でも、証書はぜひ学生に渡したいので、学生の都合のいい時間帯に学校まで足を運んでもらうことにしました。本当は来週の月曜日からと考えていたのですが、Eさん、Kさん、Fさん、Cさんが、午後、受け取りに来ました。

みんな、東京を離れる学生たちです。Kさんは明日出発だと言っていました。毎年、卒業式の直後に引越しをする学生がいましたから、そんなに珍しい話ではありません。でも、今年は卒業生を一斉に見送ることができず、個別に送り出すことになり、卒業生の個別な事情がより明確になり、それが別れの寂しさを強調しているような気がします。

そして、入学式やオリエンテーションが中止になったと言っていました。授業が予定通りに始まるかも、予断を許さない状況のようです。こればかりはいかんともしがたいものがあります。一抹の不安を抱えての門出となりそうですが、そんなことには負けないぞという強い意志を目の奥に宿らせていました。

ばらばらに卒業生が来るおかげで、教職員が卒業生に直接話し掛けるチャンスはいつもの年よりずっと多くなりました。四谷区民センターの雑踏に紛れてフェードアウトというのではなく、きちんと挨拶できます。Cさんのように、レベル1で入って超級まで上り詰めた学生は、関わった先生も多く、思い出話に花を咲かせていました。

私は例年のような“証書渡しマシーン”に化することなく、一人一人に文面を読み上げて手渡し、記念写真に納まりました。式こそできませんでしたが、それに勝るとも劣らぬ別れの場を設けることができました。災い転じて福となすとまではいかないでしょうが、少しは失点を挽回できたかなと思っています。

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見えない授業

2月28日(金)

おとといから、新型肺炎の全世界新規患者数のうち、中国が占める割合が5割を切ったそうです。武漢市と湖北省を犠牲にして中国全体を守ったようなものだと評しているジャーナリストもいます。日本はウィルス検査も満足にできない状況が続いており、漠然とした不安が上空に漂っています。

この漠然とした不安を取り除くのは、理詰めな説明や解説ではありません。頭では理解しても、心のもやもやが晴れることはないでしょう。安心感を与えるほかはないのですが、具体的にどうすればいいのかとなると、安倍さんもだれも、確たる答えを持ってはいません。

学生たちに安心感を醸し出せるかどうか自信はありませんが、KCPもオンライン授業を開始し、学生たちが満員電車に乗らなくてもいいようにしました。昨日の夜は、その準備で全教職員が大わらわでしたが、そのおかげか、初日は大きなトラブルがないまま切り抜けられました。

学生たちも期待していたのでしょうか、初級から超級までかなりの出席率でした。初日は珍しさも手伝ってという面もありますから、授業内容の真価が問われるのは来週からです。飽きられて昼間で寝ていられたり、形式的に接続しただけで実質的に何もしなかったりなどということが起きては困ります。

そういうことを起こさないように、頭をひねり、腕を振るうのが教師の役割です。月曜日は私がカメラの前に立ちます。目の前にいない大勢の学生に対して授業をすることには慣れていませんが、どうにか引っ張っていかなければなりません。教材を厳選し、教案を立て、いつもの数倍気合を入れて授業に臨みます。

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「来る」の尊敬語

2月6日(木)

「みんなの日本語」には、て形をはじめいくつかの山があります。その最後の山が敬語と言っていいでしょう。尊敬の動詞には、例えば、「食べます」に対して、「食べられます」「お食べになります」「召し上がります」と最低3つあります。しかも、「召し上がられます」などとすると二重敬語となり、敬意が増すどころか非文法的な表現になってしまい、かえって失礼に当たりかねません。「お食べになります」はよくても、「お見になります」は使えません。「お読みになります」は尊敬語ですが、「お読みします」は謙譲語ですから目上の人の動作に使ってはいけません。いや、そうとも言い切れない状況を設定することができますから、よけいにややこしいのです。

この敬語について、養成講座で話しました。毎度のことですが、日本語教師を目指そうという、日本語に対する意識が高い方々も、いきなり敬語について質問されると、正しく答えることは難しいものです。「来る」の尊敬語は「いらっしゃる」以外に何があるかと聞かれたら、すぐに答えられますか。ポンポンポンと3つぐらい立て続けに言えたら、日本語力に相当自信を持っていいでしょう。

養成講座の敬語は、もちろん、尊敬語や謙譲語を暗記してそれで終わりではありません。待遇表現というもう一回り広い範囲の文法の一部としてとらえます。待遇表現とは、話し手と聞き手、書き手と読み手の人間関係や、その言葉が発せられる状況・場面などに応じて用いる各種表現です。こういう文や口のきき方は失礼になると考えることが、待遇表現なのです。

…ここから先は、KCP日本語教師養成講座でお話ししましょう。

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推薦一丁

2月5日(水)

「先生、B大学に推薦してください」「えっ、Oさん、Y大学に出したよねえ」「はい。10日が発表ですが、たぶんダメですから…」「でも、受かったらY大学に行くんだよねえ」「はい…」「それじゃあ推薦できないな」「でも、B大学の締め切りが13日必着なんです」「だけど、推薦というのは受かったら必ずその大学に行くということだから、ほかの大学に行く可能性が残っている時点ではできないな」「じゃあ、10日にダメだってわかったらすぐ申し込みますから、推薦してください」「私1人で推薦する人を決めるんじゃないんだ。ほかの先生といっしょに面接して、その先生もいいとおっしゃったら推薦することになる。それに、推薦してもらいたい学生は、申込用紙に志望理由を書くことになっているんだけど、それはすぐかける?」「ええっ、そんなに面倒くさいんですか」「当り前じゃないか。4年間その大学で真剣に勉強していける人を見極めるんだから、それぐらいのことはしますよ」

Oさんは浮足立っています。お決まりのように高いところを狙い続けて滑り続けているうちに、あとひと月ほどで卒業式となり、不安が高まっているのです。秋口にB大学を進めあときには見向きもしなかったのに、今はわらをもつかむ心境なのでしょう。でも、Oさんのような考えなら、ちょっと推薦するわけにはいきません。

Oさん同様、後がなくなりつつある時期に来て、焦りが頂点に達している学生が何名かいます。「塾で勉強していますから大丈夫です」と豪語していた学生が尾羽打ち枯らした姿で相談に来たり、2月になってやっと自己流の面接の受け方が通用しないと気が付いた学生が基礎からやり直し始めたりなど、これから一体どうなるのでしょうか。どうにかするのが私たちの仕事ですが…。

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いい教師とは

2月4日(火)

最近元気がなかったCさん、第一・第二志望校のA大学とU大学に落ちていたことがわかりました。これから受けられるところをねらうと言っていますが、どこも2期・3期の募集ですから、Cさんがいかに優秀でもかなり厳しい戦いになりそうです。

Cさんが挙げた学校は、Cさんの実力をもってすれば、どこも年内試験の1期なら楽勝で合格できそうなところばかりです。しかし、これから募集で一部3月試験の学校となると、かなりの競争率になることは火を見るより明らかで、必然的に合格ラインも大幅に上がります。去年の夏ごろに、ある大学の先生が「B日程では、今まで私共など振り向いてももらえなかった優秀な方たちに入学していただきました」とおっしゃっていたのを思い出しました。Cさんがその“優秀な方たち”に加えてもらえるかどうかは、なんともわかりません。

CさんがA大学とU大学にこだわったのは、東京の大学だからだそうです。でも、勉強する場所が東京でなければならない理由は、特にありません。漠然と東京にあこがれていただけと言っていいです。A大学もC大学も受けてよかったのですが、同時に他の大学の1期とかA日程とかも受けておくべきだったのです。最悪の場合の行き先を確保した上で、難関校に挑戦してもらいたかったです。

私たちもCさんに何の指導もしてこなかったわけではありません。でも、監禁拘束してまで書類を書かせ、受験料を払わせ、出願させることは、もちろんできません。Cさんは、この期に及んで、自分は甘かったと反省しています。同じような言葉を、年末にKさんからも聞きました。他にもこのような反省していると思しき学生が数名います。こうなると、監禁拘束も冗談とばかり言っていられなくなります。

おそらく、来年度はさらにもっと状況が厳しくなるでしょう。学生の主体性を尊重する、物わかりのいい教師でいてはいけないようです。

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にぎわう

12月26日(木)

学期休み中だというのに、学生の姿が途切れません。月曜日は期末テストの追試の学生が多かったですが、それ以後は、これから出願の学生が相談に来たり、年明けに入試の学生が面接練習に訪れたりしています。すでに進学が決まった学生の中には、年末年始を国で過ごすべく一時帰国している人もいます。天国と地獄と言っては言いすぎですが、今、職員室で頭をひねっている学生たちは、ここが踏ん張りどころです。

「後期」とか「2期」とか呼ばれる入試は、だいたいどこでも競争が激しいものです。この2、3年は、特にその傾向が強いです。そのため、合格ラインも必然的に上がります。そういう試験に挑まねばならないというプレッシャーに加え、落ちたら帰国という、いわば背水の陣だという緊張感も加わり、学生たちの表情はどこか引きつっています。こちらとしても、このように追い込まれる前に決めてほしかったのですが、現状は現状として向き合わなければなりません。

Xさんは日本の大学をなめていたと反省の弁を述べていました。何人もの教師から滑り止めを考えろと言われ続けていたのに、いわゆる有名大学を受け続けて落ち続け、この期に及んでようやくY大学に出願しました。年明けに行われるY大学の入試は、Xさんが夏から秋にかけて挑んだ大学と、難易度的には大差ないでしょう。でも、ろくな面接練習もせずに本番を迎えた今までの入試とは違い、次はがっちり準備をして臨むと言っていますから、期待していいかもしれません。

もうすぐ「新春」ですが、私たちの春は、春節も越えて、花芽が膨らむころまで待たなければなりません。

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ある“びっくり”

12月21日(土)

おととい、昨日と出張で、その資料を整理していたら、ロビーをJさんが通り過ぎていきました。Jさんは今月休んでばかりで、昨日の期末テストも受けなかったという報告を聞いています。電話やメールには反応せず、まさか、卒業式に来るとは思いませんでした。

Jさんは去年の1月生ですから、今学期でKCPの在籍期間が2年となり、卒業対象者です。しかし、昨日の期末テストを受けていませんから、“卒業”ではなく“修了”となります。そうなると、卒業式には出席しないというパターンが多いので、Jさんもそうだろうと思っていました。でも、Jさんは来ました。しかも、パリッとしたスーツ姿で。

ちょっとうれしくなりました。出席率が悪いことは許しがたいことですが、最後の最後はきちんと出てきて、KCPでの留学生活を締めくくろうという気持ちは、しっかり受け止めたいです。ジャージか何かで来たらふざけるなと張り倒してやるところですが、一張羅のスーツを着て来てくれたのですから、昨日までのことは水に流してやろうじゃないかという気になりました。

Jさんは堂々と修了証書を受け取りました。Jさんは夢破れて挫折したと決めつけていましたが、決してそんなことはありませんでした。少なくとも挫折を糧に前進する体制を作り上げています。来週半ばに帰国しますが、胸を張ってご両親やご家族、友人と会ってもらいたいです。

12月の卒業生は、ほとんどがKCPで日本語ゼロから始めた学生たちです。KCPの初級から上級まですべてをなめつくした生き字引みたいな人たちです。すべての教師の手を経て卒業式を迎えた面々です。人数は少ないけれども、いや、だからこそ、教職員一同、心を込めて送り出しました。

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日本語教師養成講座でお待ちしています。

11月19日(火)

初級で動詞と言えば、「食べます」とか「勉強します」など、自分も毎日するような、具体的でジェスチャーでも表現できるような語彙が中心です。中級では「改善する」とか「責める」など、抽象概念を表わす動詞が出てきます。上級や超級となると、複合動詞で微妙なニュアンスを表すことを覚えていきます。

複合動詞とは、動詞のます形(国文法では連用形)に別の動詞がついてできた動詞です。「読み終わる」「駆け上がる」「結び付ける」「はぎ取る」など、私たちの身の回りにいくらでもあります。超級ともなれば、これら複合動詞の意味するところを正確に理解し、自分自身でも使えるようになってほしいものです。

「冷え込む」と「冷え切る」、「飲み切る」と「飲み尽くす」これらはどのように違うでしょう。また、「逃げ込む」「考え込む」「疲れ切る」といった複合動詞の“込む”“切る”は、「冷え込む」「冷え切る」「飲み切る」の“込む”“切る”と同じ意味でしょうか。こういったことも超級のクラスでは考えていきます。

学生たちはこちらの提示した例文やヒントをもとに、「~込む」「~切る」「~尽くす」の感覚をつかんでいきます。そして、穴埋め方式の練習問題なら解けるようになります。次は例文を作ってみて、使う感覚を養います。その後は実戦で鍛えていき、真の意味での定着を図ります。私のクラスの学生たちは、今晩例文を考えて、明朝提出することになっています。

これと同じようなことを、実は、日本語教師養成講座でもしています。日本語教師以外の日本人は、複合動詞なんて日々の生活で意識しません。だから、その意味用法は、感覚的には理解していても、言語化して誰かに伝えることは非常に難しいでしょう。それをできるようにするのが養成講座であり、そういった能力を身に付けた方々が日本語教師として歩み始めるのです。

「冷え込む」と「冷え切る」の違い、知りたくありませんか。

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対照的な2人

10月28日(月)

午前中の選択授業が終わると、私のクラスにいたUさんが、「先生、T大学に合格しました」と報告してくれました。授業中こっそりスマホで合格発表を見ていたのかもしれませんが、まあ、それは大目に見てあげましょう。

そんな会話をしていたら、同じT大学を受けたKさんがわざわざ私の教室まで来て、合格の報告をしてくれました。UさんもKさんも指定校推薦入試ですから、合格は当然と言えば当然ですが、面接できっちり推薦入学の模範生としての覚悟を示してくれたのでしょう。

夕方、H先生から「KさんがT大学に受かったそうですよ」と声をかけられました。KさんはH先生のところへも報告に行ったようです。「ところで、Uさんはどうなったか知っていますか」とH先生に聞かれました。「Uさんも受かりましたよ。先生には何も言ってこなかったんですか」「ええ、何にも」「困ったやつだなあ。散々お世話になったのに。逆さづりにでもしてやりましょうか」「本当にそうしてやりたいですよ」

UさんもKさんも、先学期はH先生が受け持っていました。指定校推薦で受けると決まってから、2人ともH先生に毎日のように面接練習をしてもらっていました。ですから、私なんかよりも、まず、いの一番に、H先生に合格の報告とお礼をしなければならないのです。Kさんはそれをしたようですが、Uさんは職員室でH先生を待つこともなく、帰ってしまったようです。

挨拶をしなかったからといって差別をするほど、H先生は心が狭くはありません。しかし、心証は悪いでしょうね。そういう不義理に慣れてしまうと、絶対に義理を欠いてはいけない場面でやらかしてしまうことも想像に難くありません。Uさんには、明日にでも、H先生のところへ行かせましょう。

ついでに

10月19日(土)

ある学生の出席状況を調べたついでに、Kさんの今学期の出席率も見てみました。始業日から昨日まで、遅刻もせず100%でした。Kさんは先学期私のクラスにいた学生で、顔を合わせるたびに休むなと言い続けてきた記憶があります。学期が始まってまだ8日ですから100%で当たり前と言ってしまえばそれまでですが、先学期は注意しても1週間と持たなかったのですから、Kさんにしては立派なものです。

Kさんが入学したのはちょうど1年前です。入学した月は出席率100%でしたが、翌月は早くも80%を割り、危険水域に突入しました。初めて休んだのは去年の11月9日で、以後、週に1日か2日ずつ休むようになりました。休み癖がついてしまったのでしょう。

Kさんは体があまり丈夫ではありませんから、冬の入り口で風邪をひいたのかもしれません。でも、その後、担任に几帳面に連絡は入れていたようですが、ちょこちょこと休んでいます。連絡さえすれば休んでもいい、せいぜい先生からがみがみ言われるだけだ、それさえ我慢すれば、持ちこたえれば、聞き流せば、楽ができる、好きなことができるという発想に流れてしまったような気がします。

この調子で進学のための特別授業も欠席を繰り返し、日本での進学に関する基礎知識を持たないまま、1年が過ぎてしまいました。ですから、来年3月にはKCPを出なければならないのに、進学については何ら具体的に動いていません。Kさんを受け持った先生方が、硬軟取り混ぜて指導してきたはずです。でも、Kさんの心には響かず、行いを改めさせるには至りませんでした。

そして、先学期末には、恥ずかしくてここには書けないような出席率になってしまいました。今学期、たった8日間ですが、出席率が100%なのは、この数字では絶対にビザが出ないから国へ帰れと、私に厳しく言われたからでしょう。尻に火が付いたのでしょうが、最近の入管の厳しい対応からすると、たとえ今学期ずっと100%を続けても、安心はできません。

Kさんと同じ学期に入学した学生の中には、進学先が決まった人もちらほら出てきました。先が見通せないKさん、ずいぶん差をつけられてしまいました。