Category Archives: 教師

手応え

9月28日(火)

Dさんは理科系の難関大学を目指しています。先学期から受験講座でも勉強しています。しかし、教える立場からすると、あまり手ごたえが感じられませんでした。ZOOMを通しての表情は乏しく、わかっているのかいないのか、難しすぎるのか易しすぎるのか、どうもつかめません。

そのDさん、今学期の受験講座の最終日にして、やっと質問してきました。その内容も的を射ており、単なる聞き逃しの確認ではありませんでした。「けっこうやるじゃない」と思いました。目指している大学が大学ですからこれで安心するわけにはいきませんが、手の施しようがないわけでもなさそうです。

Dさんの例に限らず、教師は発せられた質問から、その学生やクラスなどの力を推し測ります。理解が進んでいれば質問のレベルが上がります。これは難しいだろうからと触れるのを控えていた事柄について聞かれたり、こちらの話を自分で咀嚼した結果を投げかけてきたり、といった質問が発せられると、思わずうれしくなります。ぶつかりげいこで胸を出すような気持ちです。

残念なのは、オンライン授業だとそういう場面が少ないことです。学生の質問を起点に授業が盛り上がったということが、今学期どれほどあったでしょうか。マイクのオンオフなど、発言のタイミングを失わせる要素が多々あります。大学の先生方はどうやってそれを乗り越えているのかなあと思うこともあります。

緊急事態宣言がようやく解除されます。「まん延防止」にもならないそうで、来学期は対面授業ができそうです。Dさんも、他の学生も、バリバリ鍛えてあげないと、今シーズンの受験に間に合わなくなってしまいます。

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鉄槌

9月7日(火)

火曜日のクラスは読解があります。毎週、テキストを読んで、予習問題をやってくることになっています。テキストを読んでということは、当然、漢字の読み方や意味は調べてくるということです。学生たちがここまでやってきてくれたら、教師は非常に楽です。それと同時に、テキストの内容を起点に、発展的な学習にも踏み込めます。

ところが、現実はそう甘くはありません。きちんと予習してくる学生は半数ほどでしょうか。残りは本文を音読させようとしても、満足に読めません。それどころか、「Aさん、次の段落を読んでください」と指示を出しても、その「次の段落」がどこなのかわからないという例が後を絶ちません。教室での対面授業なら、隣の学生にこっそり教えてもらうこともできましょうが、オンライン授業ではそうはいきません。自分の部屋で何か違うことに精を出していた学生は、話がどこまで進んでいるか、全くついてこられません。

指示詞の「それ」は直前の内容を指すという鉄則通りの問いを出しても、意味不明の答えが返ってくることがしばしばです。たとえ授業時間になってから初めて読んだにしたって、ちゃんと授業を聞いていれば、ストーリーを追うことができていれば容易に答えられる問いかけに対しても、あさっての方を向いた答えを平気で言ってしまいます。指名されて何も返事をしないと、私は「Bさん、いませんね」と言って欠席にしてしまいますから、とりあえず声は上げます。しかし、授業に集中していなかったのですから、答えられるわけがありません。

「来週から、予習してきた学生だけに授業をします。予習してこなくて読解がわからなくて期末テストで点が取れなくて来学期進級できなくても、それは私のせいじゃありません。予習しなかった、授業を聞いていなかった自分自身の責任です」と、宣言してしまいました。こんな授業では、まじめに予習してきている学生がかわいそうです。勉強する意欲のある学生を大事にする授業をしていきます。

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日本にいているうちに

8月24日(火)

中間テストの採点をしていたら、Wさんが「…日本にいているうちに…」という誤答をしているのを見つけました。「います」に「ています」をくっつけるとは妙に凝ったことをするなあと、逆に感心してしまいました。

その後数人の答案を採点し、Gさんの答案を採点していくと、なんと、「…日本にいているうちに…」という答えがあるではありませんか。Wさん、Gさんの前に何十人もの学生の答案を見てきましたが、「…日本にいているうちに…」と書かれた答案は1枚もありませんでした。もちろん、その後も現れませんでした。

なんとなくこの2人の答案はリズムが似ていると思って、まさかと思いつつも調べてみると、他の誤答も含めてほぼ同じでした。もしやと思って個人データを開いてみると、2人はルームメートでした。試験の最中は気付きませんでしたが、2人が相談したことは疑いようがありません。さらに、他の教科の答案でも、極めて疑わしい類似性が確認されました。

WさんもGさんも、できない学生ではありません。きちんと勉強すれば十分合格点は取れたはずです。しかし、ほんの出来心か、自室で受けられるという気楽さからか、あらぬところで協力体制を築いてしまったようです。こちらも試験時間中ZOOMの画面を通して監視していましたが、教室での試験に比べたら、目の届かぬ範囲が広すぎます。

この2人への対応も難しいです。現行犯じゃありませんし、オンライン説教じゃ迫力半減だし、かと言って何も手を打たないわけにもいきませんし、頭が痛いです。万が一、入学試験でこんな妙ちくりんなことをしたら、一生を棒に振りかねません。さて、どうしましょうか。

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地図と作文

8月13日(金)

スマホの地図は、街を歩くときに便利です。自分の現在地がわかるとともに、目的地に向かってきちんと進んでいるかどうかもわかります。何となく右へ曲がってしまったけど、これはちょっとまずいぞなどという判断もすぐにつきます。私も重宝させてもらっています。

しかし、街の全体像をつかむとなると、紙の地図の方が勝っていると思います。確かに、指先だけで地図の拡大縮小ができますが、画面の小ささはいかんともしがたいものがあります。街と街の位置関係となると、やっぱり紙の地図でしょう。暇な時に眺めて楽しむとなったら、完全に紙の地図です。といっても、地図を眺めて暇をつぶす人はあまりいないでしょうが。

さて、中間テスト。全面オンライン授業ですから、テストも当然オンラインです。オンライン特有のトラブルもいくつかありましたが、致命傷にはならずに済みました。

そして、採点です。私は作文の授業を担当していますから、作文の採点をします。学生が家で書いた原稿用紙を写真に撮り、それをメールで送ってもらいます。教師はそれをタブレットで開いて原稿用紙に直接朱を入れます。朱を入れる操作は難しくはありません。誤字脱字、語彙や文法を直すのには、タブレットは向いています。しかし、文章全体の構成の良し悪しを判断して直すとなると、タブレットはやりにくいです。

私が老眼だからかもしれませんが、タブレットに原稿用紙1枚を映し出すと、字が読めないのです。読める程度に拡大すると、段落単位の読み取りがしにくいのです。私が担当している中級は、構成を意識して書くように指導しています。それなのに構成に手を加えられなかったら、指導の効果が半減です。

明日から夏休みです。5月の連休に続いて、どこへも行かない1週間が待っています。でも、テストの採点はしませんよ。

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やさしくない

8月4日(水)

オンライン授業だと、テストや例文や作文や宿題プリントなど、毎日何枚もの文書を学生に提出させます。志望理由書や小論文など、入試では手書きの書類や答案を要求するところが多いですから、学生たちに手書きを忘れさせないようにと、授業関連の提出物も手書きがほとんどです。ノートなどに手書きしたものを写真に撮り、それをメールで送らせるのです。

テストや宿題などを提出させたら、教師はそれをチェックしなければなりません。学生は自分の分だけで終わりですが、教師はクラスの人数分だけ目を通し、時には添削しなければなりません。紙ならばボールペンを走らせてどんどんチェックしたり採点したりできますが、写真で送られてきた答案などを採点したり直したりするとなると、確かに便利なアプリも出ていますが、大いに苦労させられます。老眼をしょぼつかせながら学生からの提出物に朱を入れるのは、かなりの重労働です。去年はそこまで技術が進歩していなかったので、デジタルなやり取りが大半で、こういう苦労はあまり感じていませんでした。

その重労働に拍車をかけるのが、学生が送ってくるファイルの名前です。スマホでノートの写真を撮って、それをそのまま送ってくる学生が大半です。すると、数字とアルファベットが組み合わせられた無機質ななまえのファイルが続々と届きます。若手の先生がシステムを組んでくれて、学生ごとの振り分けはできるようになっています。しかし、各学生のフォルダには同じようなファイル名がずらっと並びます。

オンラインの初日に、「作文0804」のように、中身がわかるファイル名を付けるように指導したのに、それを守っているのはほんの一握りの学生です。そういう学生は、概して優秀です。さらに、ファイルが細切れになっている例も目立ちます。1つのテストの答案を、ご丁寧に3つに分けて送ってきた学生もいます。3つ組であることがわかるようなファイル名ならまだしも、例の意味不明なファイル名ですから、見つけ出すだけでけっこうな労力が必要です。そういうのに限り、順番がばらばらだったり、ノートがあさっての方を向いていてそれを直すのにひと手間かかったりするのです。

こんなところにも学生の人間性が現れると言ったら言い過ぎかもしれません。でも、オンラインが始まってたった3日で、学生のやさしさのなさを痛感させられています。

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例文

7月15日(木)

日本語教師養成講座は、「中上級の文法」の最終回。最終回は、毎クール、理論というよりは授業準備の実態みたいなことをお話しします。中上級の文法授業にはこんな準備が必要なんだ、こんな苦労をしているんだという舞台裏を少しだけ御覧に入れています。

初級なら、例えばみんなの日本語の文法解説書などが実際に教えるにあたっての手引書になりえます。みんなの日本語の教案を集めたサイトも、簡単に見つかります。中上級の文法となると、そういう書籍やサイトが少ないです。自由裁量の範囲が広いと言えば聞こえはいいですが、現実は道なき道を進むようなものです。

私がよくやっているのは、その文法の意味する範囲を明確化するための例文作りです。いろいろな状況や条件を想定し、その文法による表現が成立するかどうかを見ていきます。一種の思考実験です。こういうことをすると、文型辞典などには書かれていない裏の意味が浮かび上がることもあります。この文法で使う「た形」はテンスの過去なのか、アスペクトの完了なのかなど、普通の日本人にとってはどうでもいいようなことを、例文を作りながらあれこれ考えています。

しかし、こうして発見した新事実を授業で話すかと言えば、そういう機会はほとんどありません。ただ、このような訓練が、学生からどんな質問が出ても対応できるという自信につながっているとは思います。学生の質問に対して、例文で答えることだってできます。

養成講座はこれでしばらくお休みかと思ったら、一休み程度で次の授業が待ち構えています。すぐに準備に取り掛からねば…。

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難問に挑戦

7月8日(木)

今月に入ってから、毎日のように養成講座の授業をしています。今担当しているのは、中上級の文法です。日本語の文構造とか用言の活用とか助詞の意味用法など、文法の根幹をなす事柄は、初級のうちに勉強してしまいます。みんなの日本語の50課まででやりつくします。中級以上は、もっぱら小技を身につけていきます。

小技とは、状況や心情をより鮮明に相手に伝える表現や、相手の言わんとしていることを正確に受け取る力などです。そういった小技の背景には、言語学や音声学など、純粋な文法以外の分野の応用も控えています。ですから、私の養成講座では、そう言ったところまで含めて、学習者が日本語でコミュニケーションできるようになるには何が必要か、教師は何を教えるべきかまで踏み込んでいきます。

受講生のみなさんに、中上級の教室でどんなことが行われているか実感してもらうために、私が最上級クラスで使っていた練習問題をやってもらいました。クラスでは時間をかけて説明した後に解かせた問題を、日本語ネイティブの受講生にはごく簡単な講義だけで挑んでもらいました。

説明を聞いた上で解くことが前提の問題にいきなり取り組んでもらいましたから、みなさん大変苦労していました。逆に言うと、いかに日本語ネイティブでも、最上級クラスの問題は本気でかからないと解けないのです。かなり荒っぽい形でしたが、どのくらいの授業をしているかおわかりいただけたようでした。

超級の学生は、KCPを出たらすぐに日本人の学生に伍して大学や大学院で勉強していきます。しかも、“いい大学”に入ったら、周りはかなりの知的レベルの日本人ですから、いい加減な日本語では相手にされません。学生たちの日本語力をそこまで引っ張り上げるには、教師側はそれ以上の日本語が整理された形で頭の中に格納されていなければなりません。私の講義は、それを目指しています。

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文法を教える

7月1日(木)

月が替わりました。私は養成講座の授業が始まりました。中上級の文法です。でも、日本語の骨格を成す“文法”は、初級で勉強してしまいます。動詞の活用、助詞のはたらき、日本語の文構造、そういった事柄は、みんなの日本語の赤い本と青い本でほぼ勉強し尽くします。厳密に言うと、中級や上級の文法の時間に勉強することは、句法や語法です。

実は、中級や上級は、文法以外の時間に文法を勉強していることが多いのです。初級で勉強した文字通りの文法をどのように応用していくか、字面の裏側に隠された話者の真意をいかに探り当てるかなどを追求していきます。また、日本の文化や日本人の伝統的な考え方に基づいた言葉の使い方や表現の方法といったことも、機会あるごとに触れていきます。

これらは、日本人にとって当たり前すぎることなので、授業などで見過ごされがちです。また、受験のテクニックとも違いますから、問題集などで扱われることもあまり多くありません。しかし、学習者が日本人と意思疎通を図りながら日本で暮らしていく上は、どうしても必要なことです。JLPTや大学入試の点数につながらなくても、日本を生活の舞台とするなら、身につけておかねばなりません。その役目を担うべきは、日本語教師です。

日本語は、英語とは違って国際共通語ではありません。英語は、ノンネイティブ同士のコミュニケーションにも活発に使われています。しかし、日本語の場合、ノンネイティブはネイティブとのコミュニケーションの場面に使うのがほとんどでしょう。だから、上述のような日本語の使い方ができるようになっておく必要があるのです。

学習者が日本語を生かしていく際に不可欠なことは何か、それを受講生に伝えていきたいです。

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変容

6月25日(金)

学期休み中は、教師の勉強会がよく開かれます。特に昨今は学校のあり方が大きく変わりましたから、それに関して外部の講演会や研修会に参加した先生の報告会が行われます。

F先生も、そういう形で学校外から得てきた考え方を発表してくださいました。その中で、学校における教育が、知識や技能を伝達する様式から学習者の変容を促す様式へを変化しつつあると述べていました。確かにその通りだと思います。社会が求める教育は、答えを与える教育から、答えにたどり着く力を与える教育へと変わってきました。私もそういう方向性に沿って、自分が担当している授業の内容を作り上げています。

しかし、学生がそれについてきていないと感じることもよくあります。典型的なのが受験講座です。EJUの過去問を解かせると、多くの学生の関心事は答えが合っているかどうかです。それだけと言っていいかもしれません。なぜその答えになるのかというところには、さして興味を示しません。2問間違えたとか、この問題は3番か5番か迷って5番にしたら当たったとか、そんな感想ばかりです。

どうしてその問題を間違えたのか、また、自信なく選んだ選択肢が正解だったらなぜそれが正解だったのか、その点を追求しない限り実力は伸びません。そういう点に目が向くように日ごろから指導しているつもりなのですが、実を結んだとは言い難いのが現状です。進学してからのことも考えて勉強するようにと、特に上級の学生には訴えていますが、まだまだ進学するための勉強にとどまっています。大学院進学希望の学生なんか、まさしくそうだと思うんですがね。

次の学期には出願シーズンが始まります。視野狭窄のまま出願することのないように、学生たちを指導していきたいものです。

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さび落とし

6月16日(水)

自分が受け持っているクラスの授業は、1週間に1回か2回ありますから、連続的とは言えないまでも、継続的ないしは断続的に追跡できます。初級クラスなら、今、みんなの日本語のどの辺をやっているかは把握できているものです。流れに乗っているとも言えるでしょう。3か月で1クールですから、次の学期にまた同じレベルを担当するとしても、多少の新鮮さとともに、すぐにその流れがつかめます。

受験講座理科は、6か月で1クールぐらいのペースですが、各学期に最初からの学生がいますから、実質的には3か月で回転しているようなものです。前学期の反省を踏まえて多少資料をいじったり作り替えたり新機軸を加えたりなどしています。

ところが、日本語教師養成講座となると、6か月ごとですから、忘れたころに授業の担当が回ってきます。大筋は変わっていませんが、半年前に作ったパワーポイントを見て、「これで一体何をしたんだっけ」となってしまうこともあります。

あさってから、その久しぶりの養成講座です。先週から資料を見始め、少しずつ手直しをしています。こういうことをしながら、養成講座の頭を作っていきます。学生に教える授業とは違う発想が求められますから、それぞれの資料で何を言わんとしているか再確認しておかないといけません。

でも、そうやって準備しても、受講生を目の前にしたとたんに、「そういえば前回こんなことをしたっけ」などと思い出し、予定外の方向に進んでしまうこともあります。さて、今回はどうなるでしょう。

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