Category Archives: 作文

明日に備えて

8月9日(水)

入学試験の小論文は、多くの場合、社会的問題を取り上げます。課題文を読んでその内容について何かを論じたり、それをもとにして自分の意見を書いたりすることが多いです。課題文がなくても、テーマが与えられ、それに対する意見を書くなどというのが標準的です。そういう場合、ただ漫然と既定の字数になるまで原稿用紙のマス目を埋めたり、全体の構成を何も考えずに論を展開したりすると、高い評価は得られません。

KCPの学生は社会を知らないというのが、最近の上級担当教師連の共通認識になっています。自分が関心を持っているごく狭い範囲しか見ようとせず、それ以外は関心を持たない傾向があると感じている教師が多いです。これでは、入試でも困りますし、進学してからさらに苦労することは火を見るより明らかです。

今学期、私のクラスでは、読解の内容に関連した作文を書いています。教科書を参考にすることはもちろん、作文の時間中に課題についてスマホで調べることも認めています。中間テストもその線で行こうと考えました。さすがにテストの最中にスマホを使わせるわけにはいきませんから、中間テストの作文のテーマをあらかじめ教えておくことにしました。そういうわけで、中間テスト3日前の月曜日から中間テストの作文テーマを言い続けています。そして、それについて十分に調べて、文章の骨格ぐらい決めておくようにと指示を出しています。

中間テスト前日の授業は、先週の作文のフィードバックでした。課題に対する結論がはっきりしない作文はばっさり斬り捨て、犯してほしくない文法や語彙の間違いはクラス全体で共有しました。これをもとに、帰宅してから明日の課題について論旨をまとめておいてくれれば、中間テストは期待できそうですが、どうなることでしょう。

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得がたい知識

8月5日(土)

昨日は午後からも授業があり、なおかつ夕方歯医者の予約を入れていたので早帰りしたため、午前中の中級クラスの授業で集めた文法の例文を添削する時間がありませんでした。というわけで、朝一番の仕事は来週の行事の準備でしたが、それに続いてその例文添削をしました。

中級クラスともなると、手の施しようのない例文はだいぶ少なくなりますが、その代わり、一刀両断にダメと決めつけられない、ストライクゾーンにボールの縫い目が引っ掛かるかどうかというような例文が現れてきます。クラスの中ではできのいい学生Cさんが書いた例文は、「私は一生懸命勉強して、得がたい知識を積んだ」というものでした。

昨日このクラスは、「信じがたい」とか「理解しがたい」とかの「~がたい」を勉強しました。「得がたい経験」も扱いましたから、その応用として「得がたい知識」としたのでしょう。「知識を積んだ」はちょっとおいといて、この「得がたい知識」、この稿をお読みのみなさんはどうお感じになりますか。

私は、「一生懸命勉強」したぐらいで手に入る知識なら、それは「得がたい知識」ではないと思います。特別な人に会って、その人から授かった知識なら、「得がたい知識」と言ってもいいかもしれません。でも、その特別な人って誰だろう、授かった知識ってどんな知識だろう…などと考えると、「得がたい知識」の輪郭はぼやける一方です。特別な人に会うことも含めて、得がたい経験を通して得た知識なら、かろうじて「得がたい知識」のような気がします。

結局、Cさんの例文は〇にはしないで、上述の内容をギュッとまとめたコメントを付けました。Cさんにとって、私のコメントは得がたい何かになるのかなと思いながら、他の例文を見ていきました。

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うますぎる作文

7月25日(火)

Yさんは、レベル1のクラスの学生です。自分のことについて作文を書きなさいという課題に対して、上級の学生も顔負けの長さと内容の文を書いて提出してきました。こちらが期待していたのは、「私はYです。中国の北京から来ました。KCPの学生です。国の大学で経済学を勉強しました」などというレベルの作文でした。しかし、Yさんの作文は「国の大学では経済学を専攻したものの、アニメをはじめとする日本文化にも興味を抱くようになり、…」というような格調高いものでした。

用紙をひっくり返すと、Yさんが書いた作文メモがありました。ところどころわかる漢字を組み合わせると、このメモを和訳したのがYさんの作文だということが容易に想像できました。Yさんに確かめると、そうだとのことでした。この和訳をYさん自身がしていたら立派なものですが、レベル1の学生ができる範囲をはるかに超えています。案の定、アプリに助けてもらったようです。

Yさんは明るく積極的で、国籍にかかわりなくどんどん日本語で話しかける学生です。宿題もきちんとしてくるし、テストも好成績です。うちでもよく勉強していることがうかがえます。だからこそ、なのでしょうか、自分の思いをどうにか教師に訴えたくて、わかってもらいたくて、思いっきり背伸びしてしまったのでしょう。

先週のコトバデーで、初級の学生向けの通訳翻訳を担ったのは、最上級レベルの学生たちでした。この学生たちは、私たちの書いた日本語をたちどころに自分たちの母語に直し、また、会場で教師の放ったことばを同時通訳並みに学生たちに伝えてくれました。

そういう超級の学生も、今のYさんのように自分の頭や心の中身を日本語にできずにもどかしい思いをした時もあったのです。ですから、Yさんも、まずは機械に頼らず自分の原点を認識してもらいたいです。

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いい例文?

7月15日(土)

昨日の中級クラスで書いてもらった文法の例文を添削しました。中級も後半となると、普段あまり見聞きしない表現を勉強するようになります。初級文法のようにどんな場面でも使えるような文法ではなく、ある条件がそろうと威力を発する表現が中心となります。文法の授業も、その“ある条件”を強調して、こういう場面で使うんだよという練習をします。

そのうえで例文を書くのですが、そうすんなりこちらの思い通りの例文が仕上がるわけではありません。勘のいい学生は思わずニヤリとしてしまうような例文を書きます。その文法の特徴をつかみ、それを上手に応用します。助詞を間違えるくらいはしますがね。教科書の例文を少しいじったのを書いてくる学生もいます。こちらは想像力がないのかもしれません。想像力はあるけれども、そちらに走りすぎて“ある条件”を忘れてしまった学生も、必ず出てきます。軌道修正すれば、使えるようになる可能性を秘めています。

Cさんが気の利いた例文を書いてきました。本筋から外れたところでミスがありましたが、ポイントは押さえていました。その後何人かの例文を見た後で、Wさんの例文を読むと、どこかで読んだような例文でした。Cさんと、間違え方まで同じ例文でした。2人は隣の席ですから、助け合ったのかもしれません。さらに、Tさんもほぼ同じ例文でした。Tさんは席が離れていました。ということは、私に隠れてスマホで検索したのでしょう。そして、3人が同じサイトを見たに違いありません。

私の授業が伝わらなかったところは反省すべき点です。でも、スマホから拾った例文を書いても、力はつきません。この3人がどうかわかりませんが、中には自分が書いた例文はネットの辞書・文法書に載っていた例文なのに、どうして〇じゃなくて直されるんだと、返却された例文を見て訴えてくる学生がいます。こういう理由でこの例文は間違っていると説明しても、そういう学生に限って、納得しようとしません。

学生たちがAIに頼って例文を書いたらどうなるんだろうと考えることがあります。もしかすると、私がにやりとした例文は、AIが作っていたのかもしれません…。

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AIと教師

7月4日(火)

文部科学省が、小中高校の作文などの創作活動で生成AIを使用するのは不適切だという指針を発表しました。使いこなすことの重要性にも触れつつ、小中高校では自分の頭で考えることを優先する姿勢を示しています。同時に、情報モラル教育を推し進める必要性も訴えています。

当然ですね。AIに考えてもらって原稿用紙に書くのだけ自分でするなんて、剽窃と言われてもしかたがありません。それが高じると、読みもしないのに「東野圭吾の『放課後』の感想文」などと入力して、感想文だけ“書いて”しまうなどということすらやる子供が現れてくるかもしれません。

しかし、よく考えたら、今までも夏休みの宿題に親が手を入れることがありましたよね。親の代わりにAIが手助けをしたと考えれば、AIに頼るのだけ禁じるのは不公平だと言えないこともありません。宿題には、親も絶対に手出しをしてはいけないということになっていくのでしょうか。

そこまで言うのなら、私たちだって危ないです。今まで何人の学生の志望理由書を書き換えてきたでしょう。志望校と志望学部学科、日本留学に至るまでの学生の生い立ち・心の動き、進学してから、そして卒業してからの構想、そういったことを聞き取って、根本的に書き直したこともありました。それほどではなくても、志望理由書のサンプルを示してこういう書き方をしろという指導は、今年もすでにしています。

こういうのって、AIが作文を書くのと大して変わりませんよね。ということは、この仕事はAIに代替可能だということでしょう。各大学に合わせた志望理由書が書けるレベルまでAIを鍛えるのに時間と労力を要するかもしれませんが、できない話ではなさそうです。

いや、それよりも先に、志願者本人が書いた文章かどうか判定するAIの方が先に開発されるような気もします。狐と狸の化かし合いみたいなことは、したくないものです。

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志望理由書は難しい

6月16日(金)

Rさんは今学期の新入生で、レベル1に入りました。でも、あさってのEJUを受けることはもちろん、来週出願締め切りのW大学を受験しようとしています。W大学は出願の際に志望理由書を提出しなければなりません。その下書きのチェックを担任のS先生に依頼したのですが、理系学部志望ということで、S先生から私のところに回ってきました。

日本語そのものは、翻訳ソフトか生成AIか何かに頼ったようで、意味が通っています。長さも、字数を正確に数えたわけではありませんが、見た感じでW大学の基準を満たしていそうです。コンピューターの力を借りたにせよ、レベル1の学生にしてはよくやったと思います。

しかし、中身は全然でした。W大学で勉強したいことをはっきり書いてあるのはいいのですが、Rさんの志望学部学科ではその勉強はできません。まるっきり的外れではありませんが、それを勉強したいからW大学のその学部学科というのには、無理があります。これは痛いですね。それ以外の志望理由はありきたりで、多くの受験生を集めるW大学では全く目立ちません。「有名ですから」「設備がいいですから」じゃあねえ…。

とはいえ、国の高校を卒業したばかりの、しかもレベル1のRさんに、他の受験生とは異なる志望理由を書けという方が酷です。日本人の受験生だって、有名だからとか友達に大きな顔ができそうだからとか自分の偏差値で行けそうだからとかという、留学生入試の面接でそんなことを言ったら一発アウトになりそうな理由でW大学を選んでいるのが大半じゃないでしょうか。

Rさんだって、本音を言えば、何はともあれW大学なのだと思います。深くは知らないW大学への志望理由書を書けと言われて当惑し、手探りでどうにか規定の字数まで書いたというのが実情でしょう。今年の経験を活かし、来年の今頃、立派なW大学の志望理由書が書けるようになっていてほしいです。

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欠席するおそれがあります

6月7日(水)

朝、授業の準備をしていると、Tさんからメールが届きました。「昨日の食べた料理のせいで、お腹が痛くなって、寝られなくなりました。今日クラスを欠席するおそれがあります。」と書いてありました。

これを文法の時間に習った通りに素直に解釈すると、「欠席するかもしれない/欠席する可能性がある」となるでしょう。でも、常識的に考えて、Tさんは欠席届のつもりでこのメールを送ったことは明らかです。その証拠に、この文に続いて「ごめんなさい」という言葉がありました。KCPは欠席を厳しくとがめますから、思わず謝ってしまったに違いありません。

「~せいで」「~おそれがある」は、今学期クラスで勉強した文法表現です。Tさんは、おそらくお腹の痛みに耐えつつ文法の教科書を見ながら、その2つの文法を組み合わせて、このメールを作成し送信したのでしょう。それが、この文法を教えた私たち教師への礼儀であり、恩返しでもあると思っていたかもしれません。「お腹が痛いので学校を休みます」で十分なのにこんな文面にしたのには、そんな心情が隠されているような気がします。

Tさんのメールは、欠席届としてはふさわしくないですが、習ったばかりの文法を果敢に使おうとした点は評価してあげられます。向こう傷ですから、名誉の負傷です。翻訳ソフトが作った文よりは、よっぽど血が通っています。

メールの返信には「お大事に」としか書きませんでした。そんなところで文法の講義をしたら、腹痛に加えて頭痛まで抱えてしまうことになりかねません。明日、Tさんが元気になって学校へ来たら、特別講義をしてあげましょう。

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ビッグデータの活用

3月29日(水)

読解の授業でビッグデータに関する文章を読んだので、期末テストの作文はビッグデータに関するテーマにしました。ビッグデータなどに関しては私なんかより学生たちのほうが詳しいだろうと思っていたら、作文を読む限り、そうでもなさそうでした。もちろん、大学院でその方面の研究をしようと考えている学生は、採点に困るような“論文”を書いてきました。しかし、読解の授業をさぼっていたのではないかと思いたくなるような作文もありました。

ビッグデータから個人データの収集を強く連想しすぎ、個人データの盗用・悪用に話題が傾いてしまって、ビッグデータを活用した世界、活用されすぎた社会というところに思いが至らない学生が目立ちました。

私はK書店のポイントカードを持っています。本を買うたびにポイントをためています。ある時、私にお勧めの本のメールが届きました。その中に、紹介文を読んでぜひ欲しくなった本がありました。しかし、私はその本をK書店では買いませんでした。これ以上私の好みをK書店に把握されたくなかったからです。K書店は、悪意がないどころか善意の塊で、ビッグデータに基づいて私にその本を紹介したのでしょう。その情報は、私にとって有意義でした。でも、私は自分の心の中をのぞき見されたような薄気味悪さというか、不快感を禁じえませんでした。結局、K書店はビッグデータでお客を1人失いました。私が自分でK書店に足を運び、その本を見つけたら、疑いなくK書店で買いました。ポイントもたまるし。

こんな話を書いた作文に出合ったら、私はどんな採点をしたでしょう。

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手がかからない作文

2月2日(木)

昨日のクラスの作文を採点しました。このクラスはさすが上級だけあって、初級・中級クラスのように、文字は日本語だけど文は日本語じゃないというような作文はありません。頭をかち割って中をのぞいてみたいというような、超ユニークな発想をする(論理が三段跳びしているような)学生もいません。そういう意味で、楽をさせてもらっています。

でも、逆に、こういう考え方もあるのかと感心させられる作文にも出会えません。昨日の作文も、評価Bがやたら多くて、評価基準を変えようかとも思っています。受験勉強で飼いならされて、無難な文章を書くようになってしまったのでしょうか。だとしたら、悲しすぎます。

確かに、作文を書く前に、テーマについてグループに分かれて話し合わせました。友達の考えに刺激を受けて、弁証法的に議論の質が上がればと思ったのですが、アウフヘーベンには至らなかったようです。逆に、みんながどんぐりレベルで均質化してしまった感があります。

普段の授業での議論が足りないのかなとも思います。議論に乗ってくるのは限られた学生で、Cさんに至っては何を聞いても首を振るばかりです。そういう学生に無理やりしゃべらせるのはよろしくないというムードが社会的に強まってきていますから、こちらも引いてしまうんですよね。

とりあえず、B評価はB評価として、しばらく寝かすことにします。来週の月曜あたりに見たら、別の姿が見えてくるかもしれません。語彙や文法の間違いが少なかったからBは取れているという面もあります。直す手間が少なく、わりと早く採点が終わったという点も、学生たちに感謝しなければなりませんね。

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実力が発揮できない

1月10日(火)

Yさんが志望校に落ちてしまいました。私も面接練習をしたのですが、面接試験にたどり着く前に、小論文ではねられてしまいました。

Yさんは、どうも自己表現が不得手なようです。授業でも、作文の成績は文法や読解などと比べると見劣りします。話をさせると、よく聞くと筋が通っているのですが、よく聞かないとそれがわかりません。面接練習ではパッと聞いてすぐわかる話し方を練習しましたが、その成果を発揮する以前に散ってしまいました。

最近は日本人の入試でも総合選抜が幅を利かせ、面接や小論文で合否が決まる例が増えているようです。でも、ペーパーテストの良し悪しで合否が決まる入試も残っています。これに対して、留学生入試は大半の大学学部学科で面接があり、文系学部を中心に小論文を課すところも多いです。つまり、日本人ならテストの点だけで入れる試験方式もあるのに、留学生にはそういうチャンスが与えられないケースも少なくないのです。

となると、Yさんのような不器用な学生は、不利な立場に置かれることになります。確かに、大学に進学したら、どんな学問をするにせよ、文章力は必要です。自分の意見や考え、あるいは疑問を語れなかったら、学術的な探求をしたことにはならないでしょう。私たちも、テストの点数だけがいい学生には、こうした自己表現の力も養うように指導しています。ただ、人間には得手不得手があります。不得手な部分を克服しようと努力を続けている学生が壁に跳ね返されるのを見ると、ひときわ心が痛みます。

1か月くらいかけてYさんを観察してくれたら、どんな大学だってYさんが欲しいと言いますよ。だから、より一層残念です。

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