Category Archives: 作文

大改造

9月1日(木)

朝、Kさんが志望理由書を持って来ました。明日の消印有効のE大学に出願する書類ですから、大急ぎで読んで添削しました。

Kさんの志望理由書は、この前読んだHさんのみたいに文字は日本語だけど文は日本語ではない、という代物ではありませんでした。E大学を選んだわけや将来の計画など、要点はわかります。志望理由書としての必要最低限の内容は備えています。しかし、そこまででした。訴える力がありません。読み手の興味を引くものがありません。だから、印象にも残りません。「これじゃ、厳しいだろうな」というのが、偽らざる感想でした。

まず、全体的に文が長すぎます。1つの文だけで構成されている段落がいくつかありました。こういう文は、概して主述や修飾被修飾の関係が不明確で、一読では意味をつかみかねます。だから、パンチが弱くなります。

それから、E大学進学の目的が、書いてはありますが、目立ちません。やはり、これは、ドカンと先頭に持って来ましょう。“結論は先に”です。

そして、E大学について調べた成果も、せっかくですから明示しましょう。Kさんも、そこはかとなくにおわせていますが、それでは弱いです。ここはしっかり自己アピールしなきゃ。

という調子で、Kさんの志望理由書の土台は残したまま、大改造を施しました。「私の言いたいことがはっきりしました。これから何校か出願するつもりですが、志望理由書が上手に書けるようになるでしょうか」と、Kさんが不安げに尋ねてきました。「ま、どの学生も初めての志望理由書はこんなもんですよ。だんだんすらすら書けるようになりますよ」と答えたら、多少は不安が消えたみたいです。

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尊敬する人

8月12日(金)

ついこの前、学期が始まったかと思ったら、早くも中間テストです。明日から夏休みですから、ちょうどいい区切りかもしれません。

私が試験監督をしたクラスの作文の課題は、「尊敬する人」でした。原稿用紙を配ると、すぐに書き始める学生もいれば、原稿用紙の裏を利用してメモを書きながら構想を練る学生もいました。教室の中をうろうろしつつ学生のそんな様子を観察していたら、Tさんに呼び止められました。試験時間中に声を出したらいけないと思ったのか、原稿用紙の余白に「私は尊敬する人がいません」と書いて、私に見せてきました。

要領のいい学生なら、家族か親戚のだれかを人格者か偉人に仕立て上げて書いてしまうのでしょう。しかし、Tさんはそんな器用さは持ち合わせておらず、真正面から問題にぶつかってしまい、にっちもさっちもいかなくなってしまったのでしょう。何とかしろと言ったところでどうにもならないに違いありません。私は小声で「どんな人なら尊敬できるか考えて書いてください」と指示しました。Tさんはにっこり笑って書き始めました。

出題なさった先生にしたら「余計なことをしやがって!」かもしれませんが、白紙で出させたり意に沿わないことを書かせたりするよりはましだろうと思い、そうしました。Tさんの作文がどう評価されるかは、出題・採点の先生の胸先三寸です。

さて、私がこの課題で書くとしたら、誰を取り上げるでしょう。戦国武将でしょうか、科学者でしょうか、芸術家でしょうか、身の回りのだれかでしょうか、それとも矢吹丈みたいな架空の人物でしょうか。考えてみると、案外難しいなと思いました。もしかすると、Tさんのように立ち往生してしまうかもしれません。

これをお読みのみなさんなら、誰について書きますか。

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思い出しました

7月5日(火)

午前中、あるお役所の報告書が回覧されてきました。目を通しておくようにとのことでしたが、そのあまりのページ数に読もうという意欲が失せてしまいました。勇を鼓して読んでみても、同じような図表が何枚も続き、どこがどう違うのか、間違い探しをしているような気分になってきました。

40年近くも昔の話ですが、ある化学会社の新入社員の時、その会社が請け負ったナショナルプロジェクトに携わりました。年度末に報告書を書いてプロジェクトマネージャーに提出したところ、社内の報告書ならこれくらい簡潔に書いてほしいが、ナショプロの報告書は厚さが勝負だから、もっと長くしろと命じられました。枝葉末節だからと切り捨てたデータも載せ、書くまでもない考察も書き、丸々と太らせた報告書を再提出しました。

その後しばらくたってナショプロ全体の報告書が完成し、私の所にも回ってきました。読んでみると、私が太らせた報告書を、マネージャーがさらに手を加え、のばしていました。その見事な手腕に感心させられました。次の年度はその手腕をまねて、長い長い報告書を書き上げました。マネージャーからの書き直し命令はなく、ほぼそのまま報告書に載りました。

私が読んだ報告書も、若手の係官が必死になって枚数を増やしたのでしょう。先輩にダメ出しを食らい、毎晩遅くまでかけて、コピペした図表に微妙に手を加えている姿が思い浮かびます。ブラック職場の面目躍如じゃありませんか。

学生にはそんないかがわしい日本語は教えません。簡にして要を得た文章を書くことこそ、進学してから求められる技術、日本語力なのです。

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気がかり

12月9日(木)

「なんじゃ、これは!」。Tさんの文法例文を見た時、心の中で思わず叫んでしまいました。授業中、私の話を全く聞いていなかったとしか思えない、勘違いというよりは方向違い、次元が違うとすら言っていいくらいの謎の例文が書かれていました。

Tさんは、外部の奨学金の受給生になるくらいの、成績も人柄も素晴らしい学生です。教師からの信頼も厚いです。そんなTさんが授業を聞いていなかったわけがなく、事実、指名された時にはちゃんと例文を読み、授業内容に関して的を射た質問もしてきました。それなのに、例文だけが「なんじゃこら!」なのです。

朝は、いつもと変わらず、授業の始まる10分前には教室に入っていました。Gさんのように、二度寝したら目が覚めたのが12時でした、などと間の抜けたことはしません。毎朝している漢字復習テストも、いつものように満点でした。SさんやYさんの授業中のスマホいじりは毎度のことですが、もちろん、Tさんはそんなことはしていません。意味不明の例文を書く要素が全く見当たりません。

そういえば、月曜日の文法テストは、Tさんらしからぬ間違いがあり、いつもよりぐっと点が下がりました。そして、この例文です。外見からはわからない、悩みや問題を抱えているおそれもあります。確かに、受験はこれからで、しかも難関校を狙います。プレッシャーにさいなまれていたとしても、不思議はありません。しかし、心が乱れる刀自も乱れることがよくあるのですが、Tさんの字は今までと変わらず、丁寧で几帳面で漢字にはすべてふりがなが付されています。

例文は、授業で言ったことを、提出された例文用紙にもう一度書いて、添削して返します。明日、担任でもあるH先生に様子を見てもらうことにしました。

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朝のリモート

11月30日(火)

今朝、起きぬけにパソコンを立ち上げ、メールボックスをのぞくと、昨日のHさんからのメールが入っていました。家に居ながらにして学校のメールが見られるなんて、便利と言えば便利ですが、私は仕事に追われているようで、好きになれません。でも、昨日の状況からすると、一刻も早く手を打たねばなりませんから、Hさんの送ってきた自己推薦書を読みました。

読まなきゃよかった―というのが正直な感想です。字数も足りないし、内容もないし、文法もガタガタだし、手書きだったらきっと字も汚いし、すぐに「これでは話にならない」と返信しましたが、あと12時間ほどで修正できるとは思えませんでした。

出勤してからじっくり読み直しました。やはり、ひどい文章です。U大学に入りたいという気持ちばかりが先行して、中身が伴っていません。むしろ、思い立って12時間ほどで、Hさんにとっては外国語である日本語で、よくぞここまで書き上げたとほめるべきかもしれません。ボコボコにダメ出ししたのと同時に具体的にどうすればいいか指示を送ったのが、消印有効の郵便局業務終了9時間前。そのうち3時間はKCPの授業に出なければなりませんから、実質6時間弱です。

9:50、Hさんからメールが来ました。授業中に送信したことが明らかなので、無視。休憩時間になったところで返信。その後、Hさんからはメールがありませんでした。

授業後、Hさんが職員室へ来ました。「先生、あきらめました」と、一応報告のつもりでしょうか。どう考えても準備時間が足りなさ過ぎましたから、いい結論だと思います。吹っ切れたのでしょうか、にこやかな顔をしていました。来週のU大学指定校推薦入試合格発表まで、2人で祈り続けることにしました。

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壁が見えた

11月24日(水)

先週の中間テストの作文を、ようやく採点し終わりました。クラスの学生の作文力には最初から差がありましたが、中級の作文の授業を数回経験すると、構成力の差が顕著になってきます。

今回は、去年の自分と現在の自分とを比べるというのが、主たるテーマでした。下位グループは、事実を並べるのに精いっぱいです。ここが違う、あそこが変わったと述べ立てるだけで、総体としての自分自身の変化を述べ立てるに至りません。それに対し、上位グループは、この1年間を象徴する違いを取り上げ、そこから自分がいかに成長したかを導き出しています。

結論を出す、話を締めくくる力の差なのでしょう。具体例を抽象化する力と言ってもいいです。それが、下位グループには感じられず、上位グループの文章にははっきり表れています。下位グループの学生たちにそういう思考力がないとは思いません。授業中には事例を抽象化して発言することもよくあります。文章表現となるとかしこまってしまいますから、普段の思考回路がうまく働かないのかもしれません。

今週末に迫った入試に備えて、毎日のように面接練習をしているCさんにも同じようなことが言えます。改まった話し方を要求されると、とたんに話がわかりにくくなります。結論を先にという鉄則を知ってはいますが、いざとなるとそれが実践できません。

この辺が上級との差なんですね。上級なら事実の羅列で作文を終わりにすることもなければ、面接練習で想定外の質問をされてもそれなりにまとめます。上級に向けて何をすべきかはっきりしています。そこを集中的に突っつくことが、中級教師としての私の仕事です。

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作文はきれいな字で

11月10日(水)

中級の作文ともなると、日本語の文章が書ければいいという問題ではありません。主張が明確かどうかが採点のポイントとなります。ここで言っている主張とは、“消費税増税に賛成か反対か”といった賛否を問うものばかりでなく、“来年挑戦してみたいこと”などという事柄を答える場合もあります。いずれにしても、テーマに対してきちんとした結論を出しているかが重要です。主張が明確な文章は構成がしっかりしていますから、書かせるときにその点を強調し、採点もそこを見ます。

同じ説明を聞いたはずなのに、提出された作文にはかなりの差が生じます。訴えたいことがすっと頭に入ってくる作文もあれば、何回読んでも“何が言いたいの?”と聞き返したくなる作文もあります。いや、作文などと言ってはいけません。日本語の文字の羅列です。文法や語彙の誤用が主張をぼやかすことはよくありますが、慣れてくるとそういうファクターを取り除いて、主張の明確さを見ることができるようになります。

ところが、私の採点には1つの傾向があります。それは、字のきれいな作文の点数が高いことです。見た目で作文を評価しているわけではありませんが、字がきれいだと一読して主張が理解できた気になってしまうようです。逆に、字が汚いと嫌悪感が先立ってしまいます。原稿用紙から無言の圧力を感じて心を閉ざしてしまい、主張を感じ取りにくくなっているのかもしれません。

これでは公平な評価とは言えません。そうはいっても、きれいな字を見て和んでしまう私の心を抑えることは、容易ではありません。入試の小論文を採点する先生方はどうなのでしょう。私ほどではないにしても、多少はそういう面があるのでしょうか。だからAIに採点を任せるという動きにつながっているんじゃないかな。

いまさら手遅れかもしれませんが、学生にはそんなことも伝えたいです。

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合格者1名かも

11月2日(火)

「君たちは予習課題もしないし、宿題もしない。だから、文が作れないんです。文が作れなければ、テストで点が取れない。問題3、短文作成の問題を見てください。5点×10問で50点です。この問題ができなかったら絶対合格なんかできません。O先生はやさしく採点なさいました。私が採点したら、その点数より5点か10点悪いです。そうすると、70点ぎりぎりで合格した人は不合格になります。80点以上取った学生は、このクラス、1人だから、合格者は1人しかいないということになる。ということは、君たち、このレベルで勉強続ける意味があると思う?」

…と、実際にはもう少々激烈な言葉で学生たちに反省を促しました。テストのフィードバックの時間でしたが、テストの解説以前のところで説教となってしまいました。なにがしか答えを書いて×になるならともかく、何も書かないというのは試合放棄、敵前逃亡です。私たちも口を酸っぱくしてきたつもりですが、テストの成績を見る限り、まだまだ足りなかったのでしょう。

私が受け持った先学期の同じレベルのクラスも、これほどではないにせよ、けっこう悲惨な状況でした。しかし、先学期のクラスはそこからV字回復しました。今学期も持ち上がりで何人かクラスで見ていますが、学生の日本語には自信が満ちています。今学期の学生たちも、何とかそこまで引っ張り上げたいのですが、果たしてできるでしょうか。

最大の心配は、このクラスの学生たち、「書く」ことがあまり好きではないらしいという点です。ノートを取ろうとしない学生が、今まで受け持ったクラスに比べて多いのです。板書したことすらきちんと書き留めているか怪しいものです。ましてや、口で言っただけの話なんて、記録されるわけがありません。O先生はそういう指導を厳しくなさっていますが、定着したとは言い難いのが現状です。

中間テストまでちょうど2週間です。今から手を打って動かないと、枕を並べて討ち死にという図も見えてきてしまいます。

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しんじょく

10月13日(水)

昨日のクラス、実は最後に作文を書かせました。わりと書きやすいテーマでしたから、30分ぐらいあれば書けるだろうと、授業終了約35分前から始めました。しかし、授業内の書き終えた学生はわずかに数名、書き上げるまでに1時間近くかかった学生もいました。また、書いている最中に見回ると、原稿用紙に名前を書いていない学生が何名もいました。もしかすると、この学生たちは原稿用紙に文章を書くことに慣れていないのだろうかと思いました。

その作文を読みました。やはり、手書きで原稿用紙1枚とかの長さの文章を書くということをやってこなかったのではないかという感を深めました。まず、漢字の上に振らせている読み仮名がボロボロでした。「新宿」が「しんじょく」ですよ。「思った」が「おまった」ですよ。中級になったのにひらがなを間違えているとしたら情けない限りだし、実際に「しんじょく」とか「おまった」とかと発音していたら絶望的です。時制がいい加減な文は数限りなく、「見った」のような活用ミスも少なくありませんでした。「ほしいだ」のようにい形容詞に「だ」をくっつけてしまった例も目立ちました。

文のレベルでつまずいていますから、文章で何かを訴えるはるか以前で終わっています。どうにかこうにか400字のマスを埋めたという原稿用紙ばかりでした。この作文は“お手並み拝見”ですから、成績評価対象外です。でも、評価したら大半の学生がCで、最高でもBどまりでしょう。

このクラスの作文は、私が担当します。教え甲斐があると思うことにしましょう。

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子育ての適地

10月1日(金)

おとといの期末テストで、私が担当しているレベルでは、簡単に言うと、「子育てするなら都会と田舎とどちらがいいか」というテーマで意見を書いてもらいました。私が採点した約20名のうち、田舎がいいと書いた学生は1名でした。「都会」が多いだろうとは思っていましたが、ここまで差がつくとは予想外でした。

多くの学生たちが挙げた理由は、教育でした。田舎ではいい教育が受けられない、子供の能力を引き出すなら都会で質の高い教育を…というのがその趣旨です。自国では得られない教育を求めてわざわざ日本まで来ている人たちに尋ねているのですから、当然の意見かもしれません。

もう一つ、このクラスの学生の大多数は都会の生活しか知らないようです。はっきりそう書いている学生も何名かいました。田舎は旅行で訪れるなら魅力的だが、住むのは嫌だといわんばかりの文章もありました。そうなると、田舎で子育てというのは想像もつかないでしょう。まあ、学生たち自身、育てられている最中ですからね。

更に言ってしまうと、「都会」「田舎」の定義が学生側と教師側でずれていたかもしれません。仙台は、東北の人にとっては別格の大都市です。しかし、東京と比べたら街の規模が全然違います。大阪だって、東京から見たら、生駒山地が迫っている田舎町になりかねません。また、学生たちが想像した田舎とは、山奥の一軒家のようなところかもしれません。その証拠に、都会がいいという理由に、田舎は不便だというのがいくつか見られました。さらに想像力をたくましくすると、自分が都会で暮らしたいから、子育ても都会と言っているのではないかと思われるふしも見られました。都会は就職しやすいなどというのは、子供じゃなくて自分自身のことじゃないかな。

こういう発想ですから、東京を離れようとしないのです。唯一「田舎」と答えた学生は、行き過ぎた競争社会を批判し、目の前の成果にとらわれて都会を選んではいけないと説いています。文法のミスには目をつぶって、Aをつけました。

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