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十人十色

2月14日(木)

木曜日は超級クラスの授業。超級と言われるだけあって、このクラスの学生はできます。しかし、でき方に問題があるというか、能力に偏りがあるというか、一見できないように見えたり、ペーパーテストでしか力が出せなかったりなどと、誰がどこから見ても“できる”学生は少ないです。

Yさんは来週のバス旅行を欠席するので、欠席理由書を書かせました。感服しました。欠席はいけないことですが、心のこもった理由書の文章は文句のつけようがなく、説教を忘れてしまうほどでした。Kさんにも書かせましたが、こちらは説教する気すら起こらない、おざなりを絵(文字?)にしたような内容でした。Kさんだって根本的に悪い学生ではありません。読解などでは深いところまで読みきっていることを示す発言をするんですが、どうして読み手の神経を逆なでするような文章を書いちゃうかなあ…。

「ここまでの授業について、何か質問はありませんか」とクラス全体に聞いたとき、質問してくるのはFさんやZさんです。Fさんの質問は本質をずばりと突いてくることもあれば、そんなこと教科書をもういっぺん読めばわかるじゃないかということもあります。でも、疑問点をうちへ持ち帰らないという点は高く評価できます。Zさんは興味本位で質問してくることがあります。授業の本筋とは離れてしまうこともありますが、話題を広げるという意味では貴重な質問です。

授業前に、Gさんに進路のことで質問しました。すごい答えでしたねえ、文法のハチャメチャぶりが。レベル3の学生だってもう少し要領よく答えるんじゃないかな。私が教室に入るなりいきなりつかつかと近寄って質問してきたので、Gさんは緊張していたのかもしれません。でも、超級ですからね、どんな条件でもそれなり以上に答えられなきゃ。こう書くとGさんはダメ学生の代表のように見えちゃいますが、頭脳明晰さはクラスで1、2を争うと思います。

Lさんはいつも授業後にこそっと質問してきます。その質問を授業中にしてくれたら他の学生も参考になったのにと思うのですが、気恥ずかしいのでしょうかね。……バレンタインのチョコレートを1粒くれました。

5番の答え

2月7日(木)

「Hさん、5番の答えは何ですか」「…忘れちゃった『ことになる』」「5番は『ことになる』、いいですか」「……(カサコソと、自分の答えを訂正する消しゴムとシャープペンシルの音)」「じゃあ、6番。Gさん、お願いします」……「はい、10番は『わけがない』でいいですか」「いいです」「じゃあ、問題2全体を通して質問ありますか」「先生、5番は『わけだ』じゃないんですか。さっきの先生の説明だと『わけだ』になると思うんですが…」「はい、その声を待っていました。私がいった答えが違っていると思ったらすぐに言わなきゃだめだろう。Fさんが何も言わなかったら、あんたたち間違ったことを覚えて帰ったかもしれないんだよ」

とまあ、授業中こんな意地悪もします。上級の学生なら間違いに気付いて当然ですから、学生が発した間違いをほったらかしておいて反応を見るのです。何でもこちらが説明してくれると思われたらたまりませんから、甘ったれるんじゃないという意味も込めて、わざと教えないで学生から何か言ってくるのを待ちます。

Fさんはこういうときに真っ先に指摘してくる学生です。私の話をよく聞き、それに基づいて論を進め、おかしいと感じたらすぐに質問します。多くの学生は、私が間違った答えを言っても自分のほうが間違っていると思い、「5番」答え合わせのように、正解を誤答に書き換えてしまいます。それに対し、Fさんは教師という権威にも屈することなく、果敢に自分の意見を述べるのです。もちろん、こちらが想定していなかったところで質問が飛んできてあわてることもあります。そういう緊張感を教師に与えてくれるのも、Fさんなのです。

このクラスには4月から進学する学生が大勢いるのですが、Fさんのような積極性がないと、実になる勉強ができません。そういう意味で、カサコソという消しゴムの音に、ちょっと不安も感じました。

ねちこちと

1月25日(金)

日本語教師の仕事は、日本人にとっては自明である日本語文法に理屈を付け、いかに論理的に外国人学習者に伝えていくかということです。助詞にしたって、その意味や機能を細かく分類し、用法を解き明かし、学習者の頭の中に植えつけていきます。口からの説明に頼りすぎると、授業が難しくなってしまいます。しかし、練習を通して覚えさせていこうとしても、教師側に理論的なバックボーンがないと、見かけ上は同じ形でも学習者にとっては違う働きの言葉をごちゃ混ぜにしてしまい、かえって混迷を深めるなどという結果を引き起こしてしまいかねません。

今、養成講座で私の授業を聞いている受講生の方々は、まさにこの自明の真理を自明としないで話を進めなければいけないことに戸惑っています。“〇〇ってどういうこと?”“××と△△は何がどう違うの?”と、普通の日本人が普段考えないような、「だって当たり前じゃない」としか言えないようなことばかり聞かれ、そのたびに脳みそが裏表になるような気持ちになっているのではないでしょうか。

私は、そういう重箱の隅をどつきまわすようなことが好きでしたから、この仕事をしているのだと思います。学生たちもその点は感じ取れるのでしょうか、受け持ったどのクラスでも文法や単語の意味に関する質問は、私が一番多いようです。初級クラスでも上級クラスでも、私はそういう議論をするのが好きで、これが生きがいになっているとすら感じます。

学期前から集中的に授業をしていたため、今シーズンの養成講座の授業も、あと1回になってしまいました。次は4月までないのかと思うと、ほのかな寂しさも感じます。

寝る子は育たない

12月19日(水)

ああ、また寝ているなあ…。初級クラスのTさんは、毎日授業の後半になると居眠りを始めます。指名すると、当然答えられません。隣の学生に教えてもらって、かろうじてつじつまを合わせます。Tさんは口移しで答えるだけですから、勉強にはなりません。教えてもらえるだけの人間関係を作っているのは偉いと思いますが、その人間関係を有意義な形で活用してもらいたいです。

Tさんは早朝ホテルでアルバイトをしています。朝5時からですから、4時ぐらいには起きているのでしょう。ですから、午後授業の後半、3時過ぎは眠い盛りだというのは容易に想像が付きます。朝が早いので、授業後は食事・入浴だけで寝てしまいます。早寝早起きは健康にいいのですが、勉強の時間がほとんどありません。

そんな調子ですから、成績だっていいはずがありません。いや、健闘はしていると思います。でも、合格点には及びません。暗記問題、選択肢の問題はどうにかなりますが、応用問題、筆答問題となると、まるっきりです。現状では次学期の進級は見通しが暗いです。

国のご家族や親戚は、Tさんが日本の大学に進学してくれることを期待して、留学に送り出しました。しかし、Tさんの生活や成績は、それとは反対方向に進んでいます。生活が大変なことはわかりますが、それに流されて勉強をする時間を作ろうとしなくなっています。安易な道に進もうとしています。それを何とか食い止めようと担任のK先生も手を尽くしていますが、壁は厚いようです。

Tさんは、このままでは日本語力も伸び悩み、進学も難しくなるでしょう。現に、今学期は明らかに伸び悩んでいます。どうやら、徹底的な生活指導から始めなければいけないようです。

もう一度

12月18日(火)

先週から私が担当している上級クラスで実習してきた養成講座のKさんが、教壇実習で読解の授業をしました。授業の最初に「初めて教壇に立ち、緊張で膝ががくがく震えています」と言っていました。そういえば、私も教師なりたてのころは心臓がドキドキしたりのどがからからに渇いたりしたものだと思い出しました。もう、久しくそんな感覚とは縁が切れています。

昨日まで毎日のように教案を書いてきて私が手を入れるというやり取りをしてきました。今朝、最新版をいただき、Kさんはそれに沿って授業を進めます。私は教案の各項目に実施時刻を書き入れます。Kさんは、最初のところで予定をオーバーしてしまい、最後のほうをはしょわざるをえなくなってしまいました。Kさんの偉いところは、はしょったにせよ、予定時間内に授業を終わらせたところです。時計が一切目に入らず、長時間の大演説をしてしまう実習生を今まで大勢見てきました。そういう方々に比べれば、この点だけでも評価に値します。

授業後、Kさんに聞いてみると、「もう一度同じところの授業をしてみたい」と、開口一番感想が出てきました。自分で自分の教案の不備に気付き、自分のパフォーマンスの不足を感じ、そこを直して再挑戦したいというのです。その意気やよしといったところでしょうか。教案の通りに進める難しさ、教案の通りに進めても押し寄せる未達成感、こういったことを乗り越えた先に本職の日本語教師があります。

私だって、毎日予定とは違った授業をし、ああすればよかった、これはするんじゃなかったなどと思いながら職員室に戻ります。でも、Kさんとは違って「予の辞書に“反省”という文字はない」とばかりに、すぐに忘れてしまいます。Kさんは伸び盛りですから、しっかり反省して次の実習に臨んでもらいたいです。

災変金進始難老

12月13日(木)

ちょうどうまい具合に、昨日、今年の漢字が発表されましたから、それを上級クラスの授業に使わせていただきました。今年の漢字は「災」です。大阪や北海道の地震や、豪雨で水浸しになったり土砂崩れが起きたりした西日本、毎週のように襲ってきた台風、大きいものでもこのぐらいあります。北海道の地震後のブラックアウトは人「災」だと見る向きもあります。1月の東京の大雪も、自然災害というよりは、雪が降らないことを前提とした都市づくりという意味で人災かもしれません。学生たちも「災」には納得していました。

で、毎年恒例になりつつありますが、学生各人の今年の漢字を書いてもらいました。留学生活が思ったより大変だったから「変」、初めての一人暮らしでお金のありがたみがわかったら「金」、ひたすら進学のために使った1年だったから「進」、留学していろいろなことを始めたから「始」、難しい問題にいっぱい直面したから「難」など、同じ漢字がぜんぜん出てこない、まさに十人十色の回答でした。

全体を通して見渡すと、学生たちにとって新しく始まった留学生活は環境の激変をもたらし、相当に苦労していることがよくわかりました。上級の学生たちですから、日本語でそれなりに意志の疎通はできるはずですが、それでもこうなのですから、日本語がゼロに近い状態で来日した学生の苦労はいかほどでしょう。改めて考えさせられました。

これまた恒例、「先生の今年の漢字は何ですか」という質問には「老」と答えました。毎年老いていくのですが、今年はそれを強く感じました。老眼が進み、腰痛の頻度が高まり、睡眠不足がこたえるようになりました。お昼抜きでもあまり空腹を感じなくなり、夕食すら面倒くさくて抜いてしまうこともあります。何が何でも食べたいという食欲がなくなったのも、「老」の一現象でしょう。

早くも12月半ば。残り少ない2018年を少しでも充実させたいです。

教室が寒い

12月10日(月)

昨日からグーンと寒くなり、北国では平年よりだいぶ遅れたものの初雪が見られました。今朝は昨日以上に寒く、日中も10度を下回る寒さでした。最高気温は最も寒い時期よりも低かったのですが、最低気温は、あんなに寒くても平年以上でした。今年は暖冬でしたから、ちょっとの寒さが身にしみるのでしょう。

朝、クラスに入ると、暖房がついていませんでした。初級、特にレベル1は、相当寒くても授業が進むにつれてクラス全体が熱を帯びてきて、暖房どころか半袖になる学生も出てきますが、上級はそういう展開はあまり考えられません。予想通り、授業は淡々と進み、教室は寒いまま。コートを脱がずに授業を受けている学生もいます。上級ですから、寒かったら「エアコンをつけてください」ぐらい言えるはずですから、私は何ともない顔で授業をしていきました。うまい具合に、“寒い”と“お寒い”の違いは何かなんていう問題もありました。学生みんなが寒いのに耐えながら授業を受けているなんて、まさにお寒い教室です。

このクラス、テストをするとそれなりにできるのですが、みんなの前で話すのが好きじゃない学生が多いのです。面談のような1対1ならよくしゃべっても、授業で指名すると黙りこくってしまうか小声で必要最小限のことをボソッとつぶやくだけなのです。学期の最初のクラス作りで何かを間違えてしまったのでしょう。話す雰囲気を醸成できなかったのは、私の失敗です。

もう一つ、みんな大学院や大学の試験に気を取られて、落ち着いて授業を受けるどころではなかったこともあるでしょう。それから、最近は年を追うごとに個人主義の学生が増えています。個人主義だったら自分の肌感覚でエアコンをつけちゃうような気がします。でも、それほど暴れん坊じゃないんですね。

今週はもう少し寒い日が続きます。風邪をひかないように、授業前にエアコンをいれておいてあげましょう。

勉強しなければなりません

12月4日(火)

午前の授業後、学生面接。Rさんは、塾の先生にMARCHぐらいは入れると言われ、次々受けましたが連敗中です。滑り止めのP大学には受かりましたが、本心はあまり行きたくないようです。関関同立も受けますが、予断を許しません。文科省の都内の大学に対する定員厳格化の波をもろにかぶっている例です。

Rさんは授業中のやり取りなどを聞いていると、地頭はいいことはよくわかります。しかし、その地頭のよさを生かしきれているかというと、全然生かしていません。EJUの後は家でごろごろしていることが多いなどという話を本人の口から聞くと、油断というか危機感のなさというか、受験生らしい緊張感が感じられません。定員厳格化によって、こういう中途半端な気持ちの学生が弾き飛ばされるのだとしたら、それもまた副産物の1つです。

HさんはRさんに比べるとずっとやりたいことが明確で、それが勉強できる大学を全国規模で選んでいます。その点はいいのですが、HさんもまたEJUの後、気が抜けた状態です。今は、国立大学をどこにするかに頭を悩ませています。EJUの成績が届くまでは、勉強も手につかないようです。

この2人は、なんだかんだと言いながらも学校へ出てきていますから、まだましなほうです。引きこもってしまったりこっそり遊びに行ってしまったりという話も耳に入ってきます。受験が激化すると、試験の合間にはこうした目標を見失ってしまう学生が増えてくるのかもしれません。

午後は、久しぶりにレベル1の代講でした。“なければなりません”の導入と練習でした。「レベル1で一番発音が難しい言葉は何ですか」「???」「『あたかかったです』です」(教室のあちこちで「あたたかかったです」と小声で発音練習)「『なければなりません』は、その次に難しいです」なんてやりながら大声を出していたら、面接のもやもやは吹き飛んでしまいました。

懐かしい香り

11月30日(金)

上級の読解テキストに、“鰹節削り”という単語が出てきました。私は親の手伝いで鰹節を削った世代ですから、当然どんな物かわかります。学生は無理だろうなと思いながら、「鰹節は何ですか」と聞いてみると、「お好み焼きにかけます」「ふわふわ」という声がすぐに上がりました。彼らが思い浮かべたのは、“鰹節”ではなく“削り節”です。

鰹節を口で説明するのは難しいので、インターネットの画像検索に引っかかった写真を見せました。「鰹節」で画像検索しても、真っ先に出てくるのは「削り節」です。画面を何回かスクロールして「鰹節」を発見し、それを教室のモニターに映し出すと、クラス全員が「エーッ!!!」となりました。だれも本物を知らなかったようです。「これを鰹節削り」で削ったのが、みんなの知っている『鰹節』だよ」と説明すると、一様に驚いた顔をしていました。

私は、こんなふうに、学生が知らなさそうな物事に当たると、検索してあっさり画面を見せてしまいます。百聞は一見にしかずだし、学生に各自スマホで調べられるとみんな下を向いてしまうし、よけいな話をせずに学生の注意をひきつけたままにできますから。せっかく便利なものがあるのですから、使わなければ損です。

鰹節削りを見せて、「さっきの鰹節をこれで薄く削ったのがみなさんの知っている鰹節です」と説明を付け加えると、みんな感心しつつ納得していました。そんな学生の顔を眺めつつ、“削りたての鰹節は香りが立っておいしいんだよなあ”なんて、半世紀近く昔の子ども時代を思い出していました。

はさみで勝つ

11月10日(土)

外部の研修会でNIE(教育に新聞を)を勉強してきたM先生を中心に、授業で新聞を扱う先生が増えました。私は朝日と日経のデジタル版の有料購読者ですから、10日前ぐらいからの新聞記事を紙面の形で印刷することができます。ですから、パソコンでこれはと思う記事を見つけた先生から、その記事をいかにも新聞から切り抜いたかのように印刷してくれと頼まれることがこのごろよくあります。

今朝もA先生から、トランプ大統領とCNNの記者の記事ということで依頼されました。検索するとそれっぽい記事が引っかかってきましたが、それは大きな記事の中の一部でした。大きな記事だと字数も多すぎるし、扱っている範囲も広すぎるし、授業で使ったらもてあましそうです。でも、A先生がほしい記事だけピンポイントで印刷することはできません。しかたがないですから、大きい記事を印刷して、必要な部分だけ切り抜くことにしました。

A先生は、はさみを手にしながら、「なんだかアナログだねえ。Sさん、これ、パソコンの中でどうにかならない?」と、ITに詳しいSさんに聞きました。「できるけど、手でやるほうが早い。何でもコンピューターにやらせようとしちゃだめだよ。手の方が効率的なことだってある」とSさん。「パソコンでこんなことがしたいんだけど」と相談すると何でも解決してくれるSさんの言葉ですから、重みがあります。

いろんなアプリやら小道具やらがあります。それを上手に使いこなせば確かに便利です。楽です。そういうものが使えるように仕事をやり方を変えることも業務の効率化の一つです。しかし、何でもそれを基準に考えるというのは、人が機械に振り回されていて、人間の主体性が奪われているように思えます。人間がAIに負けるというのには、こういう面もあるのかなと、Sさんの言葉に感じました。