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自分の成績

10月2日(金)

金曜日ぐらいに成績が出るよって伝えておいたので、午後ぐらいからその問い合わせが来はじめました。毎学期そうなのですが、電話を掛けたりメールを送ったりしてくるのは、成績に問題がない学生ばかりです。点数が足りない学生に限って、何も言ってきません。怖くて聞けないという面もあるでしょうが、そういう学生はそもそも成績に関心が薄いようにも思います。年功序列じゃないけど、3か月間勉強したんだから、当然進級させてくれるんだよねっていうくらいにしか思っていないんじゃないかな。

電話を掛けてきたHさんは、余裕で合格の学生。Hさんの性格を考えると、掛けてきて当然かな。Cさんも一時はどうなることかと気をもみましたが、きっと直前に猛勉強をしたのでしょう、合格点はしっかり確保しました。Zさんも、授業態度が悪くて私に叱られたこともありましたが、やるべきことはちゃんとやっていて、合格。

自分の成績に関心の薄い学生は、平常テストで不合格でも再テストを受けようとしません。そのため、悪い成績がそのまま記録に残り、学期を通しての成績の足を引っ張ります。間違えたところを勉強し直して再試を受ければ、その項目が頭に残り、中間テストや期末テストではできるようになります。それをしていないんだから、中間や期末でまた同じところを間違え、不合格に直結します。

そういう学生がおとなしくもう一度同じレベルをすることを受け入れてくれればいいのですが、えてしてそうなりません。というか、進級にやたらこだわることが多いのです。だったら学期中からするべきことをしておけよって声を大にして叫びたいのですが、叫んだところで問題の解決にはなりません。学期納めの茨の道が待ち構えています。

採点結果

9月29日(火)

今学期もばたばたしているうちに、期末テストの日を迎えてしまいました。私が担当している超級クラスは、私が問題を作り、私が印刷し、私が採点するという、問屋制家内工業みたいなしくみになっています。というわけで、学生一人ひとりの顔を思い浮かべながら愛をこめて作った問題をやってもらいました。

文法は、中間テストがちょっと易しかったようなので、ちょっぴり気合を入れて作りました。最初に採点したHさんが1問間違えただけの98点でしたから、今回も高得点続出かなと思いきや、あとの学生はやっと合格点程度。私の愛が通じた(?)のは、Hさんだけのようでした。

Hさんはその文法がどういう場面で使われ、どんなニュアンスを持っているかをしっかりつかんでいます。だから、文意に合わせて動詞を変形させる問題も、使役とか可能の否定とか、そういうのにも対応できるのです。その文法を使う話者の気持ちも理解しているし、状況も思い描けますから、適切な選択肢も選べれば、気の利いた例文も書けるのです。単に文法項目を丸暗記しただけでは、ここまではできません。

漢字はPさんか大健闘。4月に入学した当初は、漢字、特に書き取りがまるっきりダメでした。これではいけないと思ったPさんは、中級の漢字からやり直し、中級の教科書を買って勉強し、中級クラス用の漢字テストを受けて実力チェックをしてきました。その甲斐あって、クラスで1番にこそなれませんでしたが、それに迫る成績で、平均点を大幅に上回っていました。もはや漢字は得意科目ではないでしょうか。見違えるような躍進ぶりです。

Pさんの国にも「継続は力なり」と同じようなことわざがあると思います。それを信じて努力が続けられたところが、Pさんの偉いところです。学生は三日坊主が多いのですが、Pさんはその貴重な例外です。この調子で行けば、志望校のほうから歩み寄ってきますよ。

読解はまだつけていません。ちょっと怖いようなところもあります。HさんやPさんは、読解でも好成績なのでしょうか…。

フィードバック

8月14日(金)

私が担当している上級クラスは、昨日中に採点を終わらせ、速攻で結果を学生たちに知らせました。そして、フィードバックをしました。多くの学生が間違えた問題について、文法は意味を再確認し、読解は学生が書いた解答例を示して、その答えがなぜ駄目なのかを説明しました。このクラスは大学受験者多いので、志望校によっては大学独自の試験がありますから、その対策も兼ねています。

学生たちの答えを読むと、読解が全然進んでいないわけではありませんが、自分が読み取った内容を問いに合わせて書き記すところに問題があります。書き足りないと減点されるからといって、解答欄からあふれてしまうほど書いたり、本文をそのまま書き写してしまったがゆえにその問いへの答えとしては不自然になってしまったりする例が多かったです。もちろん、中には私が考えた模範解答よりもすばらしい答えを書いた学生もいます。

このクラスの学生たちが受ける大学では、わずかな失点が命取りになりかねません。減点を減らし、部分点を稼ぐという、地道な活動が合格を呼び込むことにつながります。ですから、校内の試験だからといっていい加減な答え方をしてほしくはありません。志望校の過去問をやるばかりが受験勉強ではありません。過去問を解いても答えを頭の中でまとめるだけでは真の力は付きません。学生たちの答えを見ていて、その点がとても心配になりました。

来週からは、そういう点を踏まえて、筆答試験の練習をしていくつもりです。面接の基礎練習もありますから、忙しくなりそうです。

末期症状

8月12日(水)

私のクラスは5名の欠席でした。授業後その5名に電話を掛けるとOさんにつながりました。

「今日は学校を休みましたが、どうしたんですか」

「明日は中間テストですから、うちでずっと漢字の勉強をしました」

「今日は文法と聴解で大切なことをしましたよ」

「でも私は漢字のほうが下手(=苦手)ですから」

「じゃあ、文法は勉強しなくても大丈夫なんですね」

「いいえ…」

「うちで勉強するから休んでもいいという考え方は間違っていると思います」

…と、まあ、コミュニケーションが成り立っているのかいないのか、若干わかりにくいやりとりをしました。

毎学期、こういう学生がいます。私はそういう学生を見ると、末期症状だなと思います。KCPの定期試験ごときで、しかも初級レベルで学校を休まなきゃならないほど追い込まれていたら、日本で日本語を使って何かをしようなんて、到底無理ですよ。

こういう学生は、本当に目先のことしか見えていないのです。Oさんの場合、漢字がわからないとなったら、今勉強している文法の重要度など吹っ飛んでしまったのでしょう。初級の半ばぐらいまで来てサバイバル文法から脱皮して、小技を利かせて細かいところまで表現できる言い方を勉強しているのに、それが目に入らなくなっています。今日授業でやった「~ています」なんて、日本人が口癖のように使っている表現ですよ。それを勉強・練習するチャンスを捨ててしまったのです。

KCPは学校でクラス授業を受けることを前提にカリキュラムを組み、それを実施しています。中間テストの前日に休んで漢字の勉強をする学生のことなど、1ミリも考えていません。ですから、今日欠席して「~てしまいます」がすっぽり抜けてしまったOさんのような学生は非常な不利を被ります。

Oさん、明日のテストで学校を休んでまでも勉強した甲斐が感じられる成績が取れるでしょうか。

テスト問題作成中

8月10日(月)

朝、チラッと雨が降って、打ち水効果で涼しくなると思いきや、かえって蒸し暑くなってしまいました。先週のような猛暑日ほどの暑さではありませんが、外に出るとそれとは違ったじっとりとした暑さが皮膚を覆ってきます。

そんな蒸し暑さにもめげず、今週の木曜日に控えた中間テストの問題を作っています。土曜日に漢字を、今日は文法の問題を作り、残る大物は読解だけです。でも、読解は以前に作った問題がありますから、それを元にすればそんなに大変な手間はかからないでしょう。そういう意味では、問題作成の山場は越えたとも言えます。

上級クラスは、自分で授業内容を決め、進度表を作り、実際の進度に合わせて授業を急がせたりのんびり進めたりし、中間・期末テストを作り、採点して今学期の合格・不合格を判定します。責任がすべておっかぶさってくるので肩の荷が重いことは確かですが、その責任の重さを楽しむこともできます。自分の裁量でどうにでもなるという意味では、自作自演みたいなところもあり、ワンマン社長的な面もあります。そこが楽しいのです。

これに対して、他の先生が担当なさっているレベルでは、その先生の思いを酌んで、その思いに沿って動く駒や兵隊のような役割を果たします。担任なら、そのクラスの他の先生の得手不得手を勘案し、自分がその調整弁になります。だから、単なる兵隊ではいけません。初級クラスは中間前日が私の授業日ですから、まあ、アンカーマンみたいな役目もすることになります。

さて、明日は私が問題を作っている上級クラスの授業日です。どんな顔をして授業をしようかな…。

よすぎるのも困りもの

7月25日(土)

6月のEJUの結果が届きました。24日発送とJASSOのEJUのページに出ていましたから、受験講座を受けに来た学生はもちろんもらって帰りましたが、わざわざ取りに来た学生もいました。希望が持てる結果だった学生もいれば、思わしくなかった学生もいるというのは、いつもの光景です。

Sさんはおそらく前者の学生でしょう。初級ですが日本語の点数が300点を上回りました。でも、私は結果がよすぎたと心配しています。天狗になって学校の授業をまじめに受けなくなるおそれがあるからです。本番の直前にあった模擬試験で高得点を取り自信を持ったSさんは、今学期になってからわがままな振る舞いが目立ちます。授業中に内職をしたり、志望校へ見学に行って欠席したりしています。そういうところへ持ってきて今回の好成績とあれば、今まで以上に暴走しかねません。

確かにSさんは初級の中ではよくできます。しかし、EJUが300点以上なのに、なぜKCP初級では初級なのでしょう。それは、いろいろなところに抜け落ちがあるからです。EJUのような選択式のマークシートではいい点数が取れますが、KCPの初級の平常テストでは合格点すら取れないこともあります。KCPのテストは、文法や語彙などを正確に身に付けていないと点が取れない記述式なのです。

たぶんSさんは今回の点数で出願して、受かってしまうでしょう。基礎部分の抜け落ちを埋めることなく進学して、大学で本当に自分のしたい勉強ができるでしょうか。ここらで痛い目にあっておいたほうがよかったんじゃないかな。KCPにいるうちに、Sさんが自分の日本語力を見つめ直す機会にめぐり会えるでしょうか。

壁を突き抜けて

7月9日(木)

各教室に久しぶりに顔を合わせた学生たちの歓声が響き、どの学生も希望で満ち溢れている始業日は、一種独特な雰囲気が感じられます。宿題を忘れたとか授業がわからないとかテストが不合格だったとか友達とけんかしたとか、そういうネガティブな要素がありませんから、今日のような曇り空ないしは小雨という天気でも、校舎内には明るさが感じられます。

私のクラスもそういう空気が詰まっていましたが、受験生の多いクラスで今から浮かれてもいられないので、現実に引き戻す話をたっぷりしました。「みんなの日本語」の文法を完全に使いこなせれば、どんな面接でも恐れるに足りないけれども、「みんなの日本語」に出てくる単語の2倍以上知っていても、JLPTのN3をとるのに必要な単語数にも遠く及ばないなんて話をしました。

すると、学生たちはとたんに意気消沈してしまいました。目の前に突然厚い壁が現れた感じだったかもしれません。でも、この壁を突き抜けた学生だけが、次の学期に中級へと進級できるのです。中級を担当した教師としても、ここをごまかしたままの学生は受け取りたくないです。先学期同じレベルのクラスを受け持ったとき、本当にそれを強く感じました。学期の最初で意気消沈したとしても、それをばねに伸び上がっていく勢いがないと、その人の日本語力はそこで打ち止めです。

ここまで考えると、先学期の私のクラスの学生たちはよくやったと思います。期末テスト直前でも3分の1ぐらいが壁に跳ね返されるんじゃないかと思っていたのですが、期末の日に休んで受けなかった学生以外、かろうじてではあっても合格点を取ったんですから。

はて、今学期の学生たちはどこまでやってくれるでしょうか。

お問い合わせ

6月30日(火)

先週末から期末テストの成績の問い合わせが相次いでいます。私が担任をしたクラスは期末テストを受験しなかった1名を除いて、全員合格して進級します。ですから、問い合わせメールに答えるのは気楽なのですが、果たしてこれでいいのだろうかと思うことがあります。

たとえば、Mさんのメール。「私  4行 。心配……」とだけ書いてありました。「私はレベル4にいけるでしょうか。とても心配です…」とでもいう意味なのでしょう。確かにMさんの言いたいことも気持ちもわかりますが、こんなメールの送り主を中級に上げてしまっていいのだろうかと思ってしまうのです。

Mさんも含めて、クラス全員が私の予想を上回る好成績を挙げてくれたことはうれしい限りです。試験直前にかなり一生懸命勉強したのでしょう。でも、授業中の様子を見ていると、「この学生が中級???」という学生が何名かいることも事実です。平常テストは再テストでかろうじて合格点を確保し、期末テストの一発勝負でVサインというパターンが目立ちます。

自分は余裕たっぷりで上がったのではないという自覚があればいいのですが、そういう学生に限って上がってしまえばこっちのものと思うものです。そうすると、学期休み中ろくに勉強せず、新学期が始まるころには中級どころか初級に逆戻りとなりかねません。自分は余裕たっぷりで上がったのではないという自覚があれば、合格で安心せずに復習もするでしょう。でも、メンバーを見ると、そんな奇特な心がけの学生はいそうにありません。

上がるにしても、もっと苦しんでから上がってほしかったなというのが、正直な感想です。順調すぎて逆に最終的な勝利に結びつかなかったっていうんじゃ、全く意味がないじゃありませんか。小さな挫折で軌道修正し、大きな挫折を未然に防ぐのが理想なんですが、挫折はたとえ小さくても味わいたくないですよね。

気が付いたら今年も半分過ぎてしまいました…。

ただいま採点中

6月24日(水)

超級の読解の期末テストを採点しています。きちんと授業を聞いて、テキストを読み込んでいる学生もいれば、質問文をろくに読みもせずに答えているような学生もいます。「教科書の言葉を使わずに」と傍点までつけて注意しているのに教科書からそのまま文を抜き出してきたり、空欄の前後のつながりを考えずに単語だけ突っ込んだりしている答えもありました。

採点していて、この学生は授業のときはわかったような顔をしていたけど、本当は全然文章が読み取れていなかったんだね、ということがわかる答案がいくつかありました。EJUの翌日が期末テストでしたから、EJUに全精力を使い果たして、期末の勉強が疎かになってしまったのだろうと、好意的に受け取ることにしています。もちろん、中にはこちらの予想を上回るすばらしい内容の答案もあります。そういう学生は、やっぱりコンスタントに授業をしっかり聞いていますね。

私は満点は取らせないけど合格点は取れるテストを目指して、問題を作っています。ですから、実力差が表れる問題と、これができなかったらよっぽどサボっていたんだねという問題とが共存しています。今回は、誰でも取れるはずのサービス問題を落とした学生が多かったように思えます。でも、その割に不合格者が少なかったのは、何だかんだ言いつつも、超級の力を持っているからなのでしょう。

例文を添削したりテストを採点したりすると、いろいろと物申したくなるものですが、絶対値を測れば、KCPで超級まで上がってきたということは、かなりの日本語力を持っているということなのです。だからこそ、それをテストの成績という形で残すために、質問文ぐらいきちんと読んでもらいたいし、前後のつながりを考慮に入れてしかるべき答えを書いてもらいたくなるのです。

勝つやつが強い?

6月20日(土)

スポーツやゲームなど、戦いには、「強いやつが勝つ」類のものと、「勝つやつが強い」という発想のものとがあります。前者は、試合場に赴くまでにどれだけ実力を蓄えたか、すなわち、いかにたくさん練習し、鍛錬し、時には涙を流したかで勝敗が決します。後者は、試合の現場で運や流れがつかめるかどうかが勝ち負けの分かれ目になります。じゃんけんなんかは後者の典型でしょうね。

入試という勝負事は、「強いやつが勝つ」と言いたいところですが、そうとばかりは言えません。入試を行う側は「強いやつが勝つ」ゲームにしようと思っていますし、それに参加する受験生たちもそういうつもりで勉強しています。試験前日までは「強いやつが勝つ」のです。しかし、試験会場に入るや、「勝つやつが強い」というルールに変わってしまうのです。どんなに力を蓄えても、その力が試験場で発揮できなかったら、実力がないとみなされてしまいます。

ですから、実力は伸ばしたり蓄えたりするだけではなく、いかに発揮するかも考えておかなければ、受験戦争に勝利することはできません。ところが、受験生はこれをおろそかにしちゃうんですね。

現場で実力を発揮するには、まず、当日いらぬ心配事を抱え込まぬことです。受験票を忘れたとか、試験会場を間違えたとか、寝坊して走ってやっと間に合ったとか、おなかが痛くなったとかということにならないように、準備を万全に、体調を整えておくことです。シャープペンシルに長い芯を入れておくなんていうことも、その一つでしょう。

それから、現場で芽を出しそうな不安の種を押さえ込むことです。時間が空いたらトイレに行っておいて、試験中に尿意を催すことのないようにしておくとか、冷房の効きすぎを想定して、羽織るものを持って行ったり半袖を避けて暑かったら腕まくりするようにしたりとかです。

明日は、EJU本番です。「強いやつが勝つ」でも「勝つやつが強い」でも、どっちでも最後に笑ってほしいです。