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結果を気にしない人たち

12月28日(金)

毎学期繰り返されることなのですが、期末テストの結果を教えてくれと連絡してくるのは結果の心配などしなくてもいい学生ばかりで、早く結果を知って早く今学期の復習をしてもらいたい学生はいっこうに連絡をしてきません。成績を気にしてメールをよこしたGさん、Sさん、Rさんは、みんなすばらしい成績で進級が決まっています。しかし、Tさん、Nさん、Mさん、Pさんなどは、大いに成績を気にしなければならないのですが、どうしているんでしょうね。

普段から自分の成績を正視し、長所を伸ばし、弱点を補い、実力をつけることに意欲的な学生と、テストを返されたその時はびっくりしたりがっかりしたりするものの、勉強しなきゃと思うのはその一瞬だけという学生とに分かれているのです。前者はたとえ99点でも、そのマイナス1点をなくすためにはどうすればよいか考えるタイプで、後者は合格点さえ取れれば、残りのマイナス40点には目をつぶってしまう学生たちです。59点と60点の差にはこだわるけれども、60点以上はざっくり“いい点数”でしかありません。

もちろん、テストの点数にこだわりすぎるのはよくありませんが、テストで減点されたところは自分の勉強に何がしか不足のあった箇所ですから、それは謙虚に受け止めなければなりません。アニメの言葉が聞き取れればいいとか語学学習が趣味だとかというのなら話は別です。でも、進学や就職のために勉強しているのなら正確さが求められ、そのためにはミスを減らすという態度が必要です。

年が明けたら、Tさんたちも受験に取り組まねばなりません。他流試合を経て勉強の厳しさを味わうことになるのでしょう。挫折を経験して目が覚めた学生も大勢いましたから、来年に期待することにします。

12月6日(木)

授業後、Hさんに呼び止められました。

「先生、2月の旧正月に一時帰国したいんですが、いいですか。久しぶりに家族が集まるので親が帰って来いって言うんです」「Hさんは推薦入学で合格したんですよねえ。推薦入学の学生は気安く欠席しちゃいけないんですよ」「私も最近帰っていないから…」「その推薦入学だって、出席率の基準をぎりぎりクリアしていただけでしたよね。このごろ風邪で休んでいますから、今はもう基準以下かもしれませんね」「でもこれ以外は毎日必ず来ますから…」「来るだけじゃ意味がありません。中間テストの成績はいったい何なんですか。あれが推薦入学の学生の成績ですか。成績優秀な学生を推薦するんです。期末テストだってよほど勉強しない限る合格点は取れないでしょうね。2月にそんなに休んだら、卒業認定試験で合格点が取れないと思います」「卒業まで頑張りますから…」「口ではいくらでも言えます。それが本当に実行できるかです」「はい、大丈夫です」「全然大丈夫じゃないと思います。もう一度考え直してください」

Hさんの現状は、どう見ても推薦入学の学生像から外れています。Hさんには言いませんでしたが、合格させてくださった大学に頭を下げて、推薦を取り下げようとすら思っています。Hさんは遊びまくろうとまでは思っていないでしょうが、気が緩んでいることは確かです。一時帰国に関して、きちんと断りを入れてきたことは認めますが、それで「はいわかりました」とは、絶対に言えません。

推薦入学で進学を決めた学生が、その期待を裏切る振る舞いをするのはよくあることですが、よくあることで済ますわけにはいきません。さて、Hさんにはどう対処しましょうか…。

明日から寒くなります

12月5日(水)

私が持っている初級のクラスで、推量の「ようだ」を扱いました。導入をして、絵を見せて、そこに描かれている事柄について「ようだ」を使って文を作らせました。全体に聞いても答えが出てこないだろうと思って、1人ずつ指名して自分が書いた文を言ってもらいました。ところが、3人目ぐらいから、学生たちが自然に次々と文を言うようになりました。直前の人の文を発展させた文を作り出すなど、大いに驚かせられました。

優秀な学生もいるけど発話力に関しては疑問を抱き続けてきましたが、学期末が近づいてきて、ようやく一皮むけたようです。今学期、これほど学生の力の伸びを感じたことはありません。どうやらクリティカルポイントを越えて、中級にグッと近づいたのではないでしょうか。

初級と中級とは連続していますが、初級の終盤には胸突き八丁の坂があります。今、このクラスの学生たちはその坂を上っている最中ですが、どうやら峠の向こう側の景色が見え始めてきたようです。このままの勢いで進んでくれると、みんな進級できそうです。

しかし…。授業後に集めた宿題をチェックすると、つい先ほど感じた喜びが、いっぺんに完全に吹き飛んでしまいました。できるだけ長い例文を書くようにという指示があるのに、超省エネの例文ばかり。「どこかに/どこかで/どこに/どこで」の区別がついていない例文がざくざく。長音、濁音、促音、みんな怪しいです。近づいたかに見えた中級は、蜃気楼のように消え去ってしまいました。

明日の先生への申し送りを書く筆の重いこと。明日からの寒波が身にしみそうです。

やる気

11月28日(水)

午後の授業の前に、Oさんの面談がありました。Oさんはクラスの平常テストをあまり受けていません。受けたテストも不合格ばかりです。追試や再試も、いくら促してものらりくらりと言い逃れをして、結局どうにもなっていません。当然、中間テストは悲惨きわまる成績でした。

まず、この点を追及すると、今学期はやる気が湧かないと言います。だから、一時帰国して心機一転を図りたいと言い出す始末です。一時帰国ではなく永久帰国のほうがOさん自身のためだと言ってやりました。でも、一時帰国から戻ったら、絶対にやる気が戻り、期末テストまで一気に突き進めるのだそうです。私の感覚では支離滅裂な話ですが、Oさんの頭の中では論理性があるのでしょう。

中間テストの文法は、合格点に遠く及ばない点数でした。明らかに勉強しておらず、正解だった答えも今学期新しく覚えた事柄ではなく、始業日の時点でOさんの頭の中にあったと思われる語彙や文法で書かれていました。書の証拠に、今学期習った文法を使って会話を作る問題は、規定の長さを超えたからその分の点数がもらえただけで、会話のセリフはレベルが低すぎる内容でした。

こちらを指摘すると、Oさんは押し黙ってしまいました。「このテストの結果は、10月、11月、この2か月、あなたは全然進歩しなかった、日本語のレベルが少しも上がらなかったということです。無駄な時間を過ごしたということです。日本にいただけ、教室にいただけで、ぼんやり時計を見ていたのと同じです」と、その傷口に塩をすり込むようなことを言ってやると、さすがにこたえたようでした。

Oさんは、今度の日曜日、ろくに勉強しないままJLPTのN2を受けます。そしてそのまま一時帰国します。教師からのプレッシャーから解放され、のびのびできて、活力が戻るのでしょうか。

SSSSSSS

9月26日(水)

久しぶりというか、初めてかもしれませんね、あんなにいい成績表を見たのは。だって、Aがたった2つですよ、残りの10科目ぐらいが全部Sで。Aが2科目であとがBとCというのは何回も見てきましたが、Sがずらずらっと並んだのを見せ付けられると、圧倒されて言葉を失ってしまいます。こういうのを眼福というのでしょうか。

今年、R大学に進んだYさんが、成績表を見せに来てくれました。R大学は、Yさんにとっては余裕のある大学で、事実、留学生の中では絶対1番だと胸を張っていました。日本人にはかなりできる学生もいるけど、学年全体で上位にいることは確かだと言います。これだけ成績がよかったら来年の奨学金は堅いねと言うと、まんざらでもなさそうに笑っていました。それでも、レポートを始めとする課題は大変だとのことでした。留学生向けの日本語は楽勝だと言っていましたが、KCPの最上級クラスで卒業ですから当然ですね。

卒業したら、大学で入学したかったK大学あたりの大学院に進もうと思っているそうです。R大学にもK大学出身の先生がいらっしゃるそうですから、そういう先生に渡りをつけていただくことも考えておいたらいいでしょう。

鶏口となるとも牛後となるなかれと言います。無理してK大学に入って超低空飛行を続けるよりもR大学でトップを争うほうが、Yさんの人生を長い目で見た場合、よい結果をもたらすかもしれません。いい大学に入っても、ドベを争ううちに負け犬根性が染み付いてしまったら、何の意味もありません。たとえそのいい大学の卒業証書を手にしたとしても、そんな学生をほしいと思う会社はないでしょう。リーダー経験もさせてもらえないでしょうから、起業だってあやしいものです。入学から卒業まで好成績を続けると、プライドも風格も身についてきます。周りから頼りにされることが当たり前となり、リーダーシップも自然に身につきます。

YさんがR大学しか受けないと言ってきた時には少々がっかりもしましたが、こうしてSばかりの成績表を見せられると、これでよかったんだねと思えてきました。

ぽかん

9月25日(月)

期末テストが近づき、授業中に行われる平常テストで不合格だった学生が大量に再テストを受けました。なぜ、「大勢」ではなく「大量に」という言葉を使ったかというと、同じ学生が複数の再テストを受けたからです。複数でも何でも、再テストで合格点を取ってくれればいいのですが、再テストをしても合格点に手が届かない学生がいました。それどころか、最初のテストよりも成績が下がる例すらありました。

勉強せずに再テストを受けたということはないでしょうから、冷たく言い切ってしまえば、実力がないのです。こういう学生には、もう一度同じレベルをやってもらおうと、私の心の中では思っています。サボっていて実力が伸びないのなら、もう一度、こんどはまじめに勉強しなおしてもらいましょう。教師の説明がわからなかったのなら、二度目に聞けばわかるようになるでしょう。今学期わからなかったところを整理しておいて、来学期そこを集中的に聞いて理解することができれば、1回目で理解したつもりになっている学生より確かな実力となることでしょう。

最も厄介なのが、もう限界組です。努力しても、語学に対するカンを持ち合わせていないため、実力が頭打ちになってしまっている人たちです。助詞の用法でも動詞の活用の使い分けでも、理論的に説明できないことはありません。しかし、教師の説明だけで理解しようと思うと、膨大な量の日本語を聞かなければなりません。その日本語を聞いて理解するほうが、そこで説明されている文法を理解するよりよっぽど難しいです。ですから、カンによってそれを補い、少しの説明から応用範囲を広げていく才能が必要なのです。その才能がない人は、そこで打ち止めです。

残念ながら、私のクラスにもそれらしき学生がいます。初級の終わりぐらいの段階でもうそれが来てしまったとは、本人も認めたくないでしょうし、こちらとしてもどうにかならないものかと思ってしまいます。学期の初めはそれ程でもなかった差が、今は歴然としています。教師の地の語りが理解できるようになった学生がいる一方で、それを聞いてもぽかんとしている学生もいます。ぽかんの人たちに、どこかで引導を渡すのも、私たちの仕事です。

まかぬ種は生えぬ

9月21日(金)

来週木曜日が期末テストですから、毎週金曜日のレベル1の授業は、今週が最終回。で、最終回にふさわしい華々しい授業をしたかというと、私はほとんど突っ立ったままでした。期末タスクの準備をしたからです。

各グループでテーマを決めて、そのテーマについて他のクラスの学生にインタビューし、回答をまとめてクラス内で発表するというものです。そのインタビューと回答のまとめをしたのですが、みんなの日本語の赤い本がまだ終わっていない程度の日本語で何とか意思疎通を図ろうとしている姿が、とても健気に感じられました。

7月の始業日のころはかたことにも至らないくらいだったのが、曲がりなりにも自分の意見が言えるまでになったんですからね、大したものですよ。インタビューでもその後のまとめの時間でも、知っている単語と文法を組み合わせ、時にはジェスチャーを交え、時には絵を描き、どうにかコミュニケーションを図ろうとしていました。実生活でも同じような場面に出くわしているに違いありません。たくましいなあと思います。

このクラスの学生の大半は、日本での進学を考えています。来年の今頃は受験準備に追われていることでしょう。そこに至るには、今の10倍ぐらいの日本語力をつけなければなりません。胸突き八丁の坂道がいくつもいくつも待ち構えています。へこたれずに登りきってもらいたいと思います。

3連休の宿題は、発表のスクリプトを覚えてくることです。発表当日は、私は受験講座がありますから、応援に行けないのが残念です。でも、レベル1で種はまきました。来年、中級か上級で刈り取る日を夢見ながら、教室を後にしました。

電話をかけなければなりません

9月8日(土)

昨日レベル1のクラスで回収した文法の宿題をチェックしました。レベル1の最初のころは「~です」とか「~ます」とか言っていればいいのですが、期末テストが近づいてくると、反射神経だけではすまないような、頭を使わなければならない問題も出てきます。

例えば、“(駅で)危ないですから後ろから『押します』”とあって、この『押します』を適当な形に変換するというものです。直前の問題の答えが“~なければなりません”だからといって、惰性で“押さなければなりません”などと書いたら、教師の逆鱗に触れてしまいます。“いい天気ですから傘を持って行かないでください”というのも、何も考えずに答えているなと思われてしまいます。

そんな中に、“夜遅いですから、電話を『かけます』”という問題がありました。私の感覚では、「かけないでください」か「かけてはいけません」ですが、「かけなければなりません」という答えが少なからずありました。できる学生でもそう答えていました。もしかすると、学生たちの感覚では、夜遅いからこそ、友達や家族と思い切り話ができる、宿題や受験勉強が終わってからの貴重な気晴らしタイムだという意識があるのかもしれません。

私が学生たちと同じ年代のころは携帯電話がありませんでした(あっても非常に高かった)から、自宅から通っている友人に夜遅く電話をかけるのは気が引けました。でも今は、電話は個々人が所有するものですから、その人が夜型人間だったら、むしろ夜遅くかけるべきなのです。

言葉は生ものですから、その使われ方は世の中の動きにつれて変わっていくものです。「かけなければなりません」に×をつけながら、10年後にこの問題はどうなっているのだろうと思いました。まあ、そのころまでには、宿題の採点は教師するのではなく、AIの仕事になっていて、私の悩みなど雲散霧消するような気の利いた直し方をしているかもしれません…。

亡霊

8月28日(火)

夕方、受験講座が終わって職員室に下りてくると、私のクラスのWさんがK先生と大学院の出願書類について相談していました。「先生、Wさんは授業中大学院の書類を書くなんていうことはしていませんでしたよね」とK先生。「ええ、全然そんなこと、ありませんでしたよ」と私。Wさんが授業中に書類作成するなんて、ありえなかったのです。午前中のクラス授業は欠席していたのですから。

Dさんは美大の大学院を目指す学生です。授業後に面接をすると、作品には自信があるけれども、面接官に何か聞かれたら上手に答えられるかどうかはわからないと言います。入学以来のDさんの成績を見ると、聴解がずっと悪いです。聞き取れないから答えられない、だから「読む」に力を入れてきてそれに頼り切って、その結果が上述の不安なのです。入学から1年余り、「読む」だけでテストの成績を整え進級を続けてきましたが、苦手の克服を怠ってきたツケが出願直前にいたって、覆い隠すべくもなく露になったのです。

先学期までのDさんは自信過剰で、聞き取れなくても話せなくても自分には実力があると思い込んでいました。しかし、今学期、いざ出願するに及んで、自分の作品のすばらしさも語れない、だから面接官にそれを伝えようもなく、日本語教師ではない一般の日本人が話す言葉がさっぱりわからないというコミュニケーション力のなさに愕然としています。

Wさんだって、一歩間違えればDさんです。授業をサボってどんなに立派な書類を完成させても、いや、書類が立派なら立派なほど、面接官はWさんの話す言葉とのギャップに愕然とするでしょう。最悪の場合、書類は自分で作ったのではないと判定されてしまうかもしれません。

学生たちはロングスパンの物の見方ができません。だから、学生が目先の事柄に捕らわれすぎていたら遠くを見させるのも教師の重要な役目です。明日からも面接が続きますが、熱に浮かされている学生を目覚めさせるのに苦労する毎日となるのでしょう。

土俵際

8月16日(木)

9:45、教室のドアがノックされたかと思うと、Jさんが入ってきました。私と目が合うと、ちょっと申し訳なさそうに小声で「おはようございます」と言いました。

10:45、後半の授業の出席をとり終わると同時ぐらいのタイミングで、Gさんが入ってきました。授業開始時のどさくさに紛れて席に着こうとしたのかもしれませんが、ちょっと遅かったですね。

授業後、2人に遅刻の理由を聞くと、2人とも「2時ごろまで宿題をしました」と言います。しかし、昨日の宿題は2時までかかるほどの分量ではありませんでした。何時から宿題をはじめたのかと尋ねると、11時からとか12時からとかという答えが返ってきました。「それまで何してたの」と聞くと、Jさんはゲーム、Gさんは何もしていなかったと、蚊の鳴くような声。要するに、勉強よりも遊びを優先したあげく、朝寝坊して、遅刻してしまったというわけです。

遊びっぱなしで寝てしまわなかっただけましかもしれません。今学期の初めごろだったら、宿題はしてこなかった可能性が強いです。少し進歩だなと思いましたが、ここではほめません。でも、JさんもGさんも、そろそろ辛い時期に入りつつあるのかなあとは思いました。

進学という目標は掲げていますが、そのゴールへの道のりははるかに遠く、また、入学当初の日本語ゼロに近かった頃のように自分の実力の伸びを実感できなくなってくるのもこの時期です。心が折れそうになるかもしれませんが、折れてしまったら文字通りの挫折です。折れてしまったら、ゲーム三昧、無気力生活、引きこもりで、奈落の底へ一直線です。

あさってから夏休みです。生活を建て直すチャンスでもあります。再来週また会うときは、吹っ切れて一回り成長していてもらいたいです。