居眠りするとよくわかる

5月14日(月)

Jさんが授業中寝ていました。こういうとき、私はそれをネタにその学生をいじります。「授業中に寝るのは教師に対して失礼というものだ」「Jさんは遅刻した。しかも授業中寝ている。どうしようもない学生だ」なんていう調子で、その日に習う文法や語彙の導入や例文などに使います。ちゃんと授業を聞いている学生にとっては、目の前に実物があり、その単語や文法を使う状況が話し手の心理が明確に見えますから、これほどわかりやすい教材はありません。教師側も余計な説明が不要ですから、手間と時間の節約になります。

いじられる学生はたまったもんじゃありませんよね。クラスメートの前で恥をかかされて、目が覚めた時には説明がすべて終わっており、わからないのは自分だけなのですから。自分が身をもって例を示したおかげで、他の学生たちは理解が進んでいるのに…。事実、Jさんが例を示してくれた文法項目は学生たちの理解がすばらしく、書いてもらった例文も的外れなものが全くありませんでした。

学生の名誉を傷つけるような例文を提示するのはいかがなものかという意見もあるでしょうが、たたき起こして衆人環視の中で説教するほうがよっぽど不名誉だと思います。そっと起こして授業後にこっそり叱ってあげるほど、私は心やさしい教師ではありません。授業時間を割いて説教したら、その間は起きていた学生にとっては無駄な時間です。そっと起こすだけでは、他の学生への示しが付きません。もちろん、一罰百戒として、1人の学生を例に取り、授業内でクラス全体に向けて訓戒を垂れることもあります。

Jさんがこれで懲りるかどうかはわかりません。懲りなかったら例文でいじって、授業後に残して、ねちこち責めていくまでです。Jさんのことは、明日の先生に引き継ぎます。

変わる

5月12日(土)

Lさんは昨日の運動会を欠席しました。ズル休みではありません。国で大学の卒業式があったのです。それを休んでまでも運動会を優先しろとまでは言えませんよね。日本の大学院に進学しようと考えている学生が大勢入学するようになってきましたが、学校行事や、もっと広範囲に学校運営そのものがその変化に追いついていない面が見られます。

日本の国のしくみもそうだと思います。少子化をどうにかして止めなければとみんなが叫んでいますが、具体的に大きな動きがあったかと言えば、残念ながらNOです。働く女性が増えたにもかかわらず、国の制度や働く女性を取り巻く環境は旧態依然です。麻生大臣を始めとするセクハラに対する考え方も、進歩が見られません。

連休中の日経に、平均余命によって票に重みをつけるなど、若者の声を政治の場に反映させる制度を考えてはどうかという記事が載っていました。これを実現するには現場レベルでもかなりの難問があるでしょう。でも、それを乗り越えて新しいことをやり遂げようとする強い意志が、今この国には欠けています。憲法改正というと9条ばかりに議論が集中しますが、例えばこういう投票法が行えるような法律的な裏づけを与え、昭和20年代とはガラッと変わってしまった平成末年の国の姿に合わせていくという議論もあってしかるべきだと思います。

松尾芭蕉は不易流行こそ俳諧の本質だと言っています。KCPにおいても、何が不易で、どのように流行の取り入れるべきなのか、よく考えていかなければなりません。なし崩し的に方向性もなく変わっていくのが、組織にとって最も不幸な歩みです。

速いじゃないですか

5月11日(金)

私のクラスの学生Bさんは、毎日休まず学校へ来て、授業中はノートを取っているか教師の話に耳を傾けるかしています。緊張しすぎるきらいがあり、指名してみんなの前で発表させると言葉に詰まってしまうこともよくあります。でも、数人のグループに分かれて活動するときは、積極的に自分の意見を述べています。

そのBさんが運動会で何種目も出たいと手を挙げたという話を聞いたときは、本当かと耳を疑いました。そして、本番。リレーの第1走者のBさん、何と先頭を切っているではありませんか。いかにもスプリンターといった体つきの学生たちを向こうに回して、堂々の快走です。Bさんが稼いだリードを守りきり、見事に予選通過。バスケのドリブルも、様になっていました。見かけによらずなんて言ったら失礼ですが、どうやらスポーツ万能のようです。自信があったからこそ手を挙げたのだということが十分にわかりました。

運動会は学生の意外な一面が見える行事です。Aさんは団体競技で大いにリーダーシップを発揮したそうです。少し年長ですから上に立ったとしても不思議はないのですが、Aさんのチームは他のチームに比べて抜群に統率が取れていました。一番難しい課題も、Aさんのおかげで早くかつきれいにクリア。こういう特徴は、Aさんが進学や就職をする際に、是非、強く訴えてもらいたいところです。また、私たちもそういう指導をしていきます。

お昼のお弁当の時間に、クラスのみんなにおいしいものをつくってきて注目を浴びた学生もいたそうです。BさんやAさんのほかにも、運動会でふだんの様子からは想像もつかない活躍をした学生が大勢いることでしょう。そんなみなさん、ここで得た自信を、これからのKCPでの生活にも生かしていってくださいね。

もどかしい

5月10日(木)

「じゃあ、5番の問題」。受験講座の物理で、EJUの過去問を練習問題として使い、学生たちにやらせました。3分ぐらい経ってから「できた?」と聞いてみましたが、反応が鈍いです。首を傾げたり下を向いて問題に取り組んでいる様子だったりで、自信をもって答えてくれる学生がいませんでした。

「みんな、問題よりも日本語を読むのが大変?」と聞いてみると、学生たちは元気なくうなずきました。このクラスは初級の学生たちが主力ですから、10行近くに及ぶ問題文を理解するのに苦労していたのです。今学期から受験講座を受け始め、でも6月に本番を迎えます。気持ちははやるものの、読み取るスピードはいっこうに速まりません。この落差にもどかしさを感じていることが手に取るようにわかります。

昨日の上級の学生たちはそんなことはなく、キーワードにアンダーラインを引いたり丸で囲んだりしてどんどん読み進んでいました。半年かそれ以上受験講座に出ていますから、知識の堆積もありますし、勘も働くようになってきました。多少失敗したとしても、大崩はしないでしょう。問題文の読解に悪戦苦闘していた初級の学生たちは、こういう学生たちと戦わなければならないのです。

日本語を読まなくても答えられる魔法のような方法があれば教えてあげたい気もします。でも、ドラえもんのおかげでいい思いをしたのび太君が結局はつけを払わされるように、日本語力をおろそかにしていたら、大学に入ってからかたきをとられることでしょう。やっぱり、学問に王道なしです。

熱中

5月9日(水)

あさってに迫った運動会の準備がたけなわです。クラスでは運動会のしおりが配られ、会場までの行き方を教えたり、会場内での諸注意の読み合わせをしたりしました。授業後には、各種目の競技役員を務める学生たちに動きを説明したり、各チームの応援のフォーメーションをあれこれ考えたりという先生方の姿が、職員室のあちこちで見られました。

その運動会で写真や動画を撮ってくれる学生を募集したところ、我も我もと手が挙がり、担当の先生が目を回してしまいました。チームの応援に使う横断幕を学生に描いてもらおうと思ったら、みんな熱中してしまい、下校時刻を過ぎても帰ろうとしません。確かにKCPから美術芸術系の大学などに進学する学生は多いですが、芸術家の卵たちは、自分の腕を試す場を見逃そうとはしないようです。

私は写真を撮ることにも絵を描くことにも、全く興味も才能もありません。絵や写真を見る目も持っていません。ですから、絵や写真に熱くなる学生の気持ちが、本当のところはわかりません。そういうところに自分の居場所を見出しているのでしょうが、その居場所がその学生にとってどれほどかけがえのないものなのかまでは、想像力が及びません。

私もそういう場所を持ちたかったなあと思います。時間を忘れて打ち込める何かを持っている学生たちが、とてもうらやましいです。それが芸術系だったら、人の心を動かすことができます。私のように「趣味読書」では自己完結ですから、上述の横断幕のようにみんなの感動を呼ぶなんてことはあり得ません。

KCPの運動会は、スポーツの祭典だけではないのです。

また降ってきた

5月8日(火)

朝からかろうじてもってきた空模様ですが、午後の学生たちが帰る時間帯になってついに崩れてしまいました。昨日学生が借りて行った傘が、朝から続々と戻ってきていたのですが、再び1本また1本と減りつつあります。ついさっきも、職員室の入口のドアからぬーっと手が伸びてきたかと思うと、傘立ての傘をつかんで引っ込んでいきました。その瞬間、きょろきょろっと職員室を眺め回した顔には、一抹の罪悪感とうまいこと傘が確保できたという安堵感とがない交ぜになっていました。

たぶん、一番下のレベルに入学したばかりの学生なのでしょう。傘を借りる時の表現もまだ知らないに違いありません。そう考えると、「傘を貸してください」「傘を借りたいです」などという、レベル1がもう少し後に扱う文法的に正しい表現よりも、「この傘、いいですか」みたいなサバイバル的な表現を入れておいたほうがよかったかもしれません。そうしていれば、ぬーっの学生も、一抹の罪悪感におどおどすることなく、堂々と傘を借りられたかもしれません。

でも、これは難しいんですよね。初級で妙に易しい表現を教えちゃうと、中級になっても上級になってもそこから抜け出せなくなっちゃって、聞いていて気恥ずかしくなるような話し方をするようになっちゃいます。「大丈夫」とか「だめ」とかを連発するのなんかは、その典型と言えるでしょう。

人は見た目と言いますが、同じような考え方で、言葉も第一印象で決まることがあります。どんなにすばらしいアイデアや意見も、語られる言葉の質によっては輝きを失います。「大丈夫です」よりも「差し支えありません」とか「順調です」とかという受け答えほうが、信頼感や尊敬の念を勝ち得そうな気がします。

少なくとも上級の学生には、そういう言葉遣いを身に付けてもらいたいです。

マニアの旅行

5月7日(月)

連休は、今年も関西へ。10年以上も毎年通っていると、姫路城や東大寺など有名なところは行き尽くし、だんだんマニアックになってきます。

今年は武庫川沿いのハイキングをしました。と言っても、河原の石ころ道を歩いたわけではありません。国鉄(JRではありません)福知山線の廃線跡を歩いてきました。レールだけがはがされた枕木が並んでいるところもあったのですが、これが意外と歩きにくいんですね。私の歩幅は枕木の間隔の1.5倍ほどで、枕木の上に足を置こうとすると歩くリズムが崩れ、歩幅を優先すると足元が枕木の上になったり線路の砂利に取られそうになったりと安定しません。また、トンネル内には照明がまったくなく、家から持ってきた懐中電灯が唯一の明かりとなります。蒸気機関車時代から使われていたため、トンネルの入口のレンガや内壁には黒いすすがこびりついています。川筋に忠実な羊腸の線路を、煙を吐きながらあえぎあえぎ進んでいく機関車と客車が目の浮かびました。

景色は、お天気にも恵まれたこともあり、渓谷美や新緑が目に鮮やかでした。尼崎や西宮あたりの平地をどよーんと流れるのとはわけが違います。昔は車窓からこの絶景が拝めたのでしょうが、今のJR宝塚線(「福知山線」とも呼ばなくなりました)は新幹線並みにトンネルで山を直線的に貫き、車窓の楽しみは失われました。

私は上流から下流に向かって歩きましたから、廃線跡の出口は宝塚の市街地の末端でした。突然交通量の多い国道に放り出され、前後左右はこじゃれた住宅地。自然に溶け込み、時間をさかのぼり、身も心も透明になりかけたところで、急に現実に引き戻されました。

そのほか、南朝の余韻に耳を澄ませてみたり、長岡京の栄華に思いを馳せたりしました。長岡京については、来年以降集中的に見学していこうと思いました。そういう、魅力的な話も聞けた連休でした。

さて、連休明け。Kさんはゆうべ飲み過ぎて二日酔い、Lさんはまだ連休だと思っていたとかで大遅刻でしたが、大学の卒業式に出るために一時帰国しているHさんを除いて全員来ました。今週金曜日は運動会。競技のルールの説明をしたら、学生たちも少しずつその気になってきました。

映画に夢中

5月2日(水)

欠席した中級クラスのYさんに電話をかけると、ケータイをどこかに忘れたからアラームを鳴らせず、朝起きられなかったという言い訳が返ってきました。さらに問い詰めると、夜中の1時過ぎまで映画に夢中になっていたとか。今はスマホで何でもできちゃいますから、こんな始末になるのです。

そんなやり取りをK先生が聞いていました。「Yさんって、あのYさんですか」「はい、あのYさんです」「やっぱり…。初級でダメだったらずっとダメなんですよね」「まあ、今から劇的に改善するって、ちょっと考えにくいですね」

そもそも、Yさんは今学期の最初の4日ばかりを休んでいます。先学期の先生に厳しく言われていたのに、一時帰国から戻ってきたのが、学期が始まってからだったのです。入学から今学期まで、私も含めて多くの先生方から指導を受けてきたのですが、時間に対するルーズさというか、生活のいい加減差というか、そういうことを改めようという気配が全く感じられません。

TさんもYさんと同じ中級レベルの学生ですが、こちらは非常な努力家です。入学以来出席率は100%で、成績もきわめて優秀です。先学期、ひどい風邪をひいてとても辛そうなときもあったのですが、学校は休まず、平常テストの成績も落ちることはありませんでした。Yさんなら咳がちょっと出ただけでもこれ幸いと速攻で休んだことでしょう。Tさんは自分を厳しく律することができるのに対し、Yさんは易きにつくきらいが見られます。

Yさんもご他聞に漏れず有名大学への進学を希望していますが、今の生活を続けていたら到底無理です。私たちは手を変え品を変え本人の自覚を促すことはできますが、文字通り「促す」までです。本当に危機感を覚え、その危機から脱するための行動を取るかどうかは、最終的には本人次第なのです。

Tさんは午後の受験講座も必死に取り組み、わからない点はどしどし質問し、自分を伸ばそうとしていました。そのとき、Yさんは何をしていたのでしょう…。

長い休み

5月1日(火)

学校の近くにあるH医院は、4月29日から5月9日まで休診です。日曜祝日と水曜日が休診日ですから、今週は火曜日だけ病院を開けてもしょうがないと思ったのでしょう。でも、来週の月曜日と火曜日はどうなのでしょう。勢いで休んじゃったのかなあ。それにしても11連休とは豪勢ですね。

来年の5月1日は、新天皇の即位日であり新元号の初日です。この日が正式に祝日となれば、祝日と祝日に挟まれた平日は休日とするという特例により、4月27日から5月6日までの10連休が実現します。そうなれば、私も遠出を考えたくなります。海外はパスポートも切れちゃってるし、飛行機代なども跳ね上がるでしょうから、とりあえず置いときます。国内も、北海道は高くなりそうですから、やっぱり関西でしょうか。関西は、新幹線との競争がありますから、連休でも航空運賃が比較的安いのです。

関西だとすると、宿も早く押さえなきゃ。私が関西の定宿としているホテルは、ここ2~3年、競争率が高くなっていますから、毎日ホームページを見て予約が始まったらすぐに取らなければなりません。関西は、行きたいところがまだまだたくさんありますから、宿さえ確保しておけば、行ってから退屈することはありません。私の場合、日本全国各地に、行きたいところ、見たいものがありますから、足と宿を確保しさえすれば10日ぐらいどうにでも過ごせます。

気が早いかもしれませんが、なんたって夏休みよりも長い連休になるんですよ。東京でボーっとしてるわけにはいかないじゃありませんか。まあ、休みにあれこれ予定を盛り込んで疲れ果ててしまうというのは、貧乏性の最たるものという考えもありますが…。

来年は、H医院は何日休みつもりでしょう。

1年かけて

4月28日(土)

S大学に入ったKさんが、ビザ更新に必要な書類を申し込みに来ました。「大学、楽しい?」と聞いたところ、にっこり笑って「楽しい」と答えていましたから、本当に大学生活をエンジョイしているようです。でも、KさんにとってS大学は目標にしてきた大学ではありません。S大学は、私などからすると十分に“いい大学”ですが、KさんにとってはS大学生とは世を忍ぶ仮の姿に過ぎません。今年、I大学を受けると言います。

Kさんは大学院まで行くつもりでいます。だったら、S大学で4年間しっかり勉強し、大学院でI大学に進むべきです。時間がもったいないです。若いときの1年は、特に研究者にとっては、非常に貴重です。その1年を犠牲にしてまで、S大学ではなくI大学に進まなければならない理由が、私には見えません。I大学生え抜きでI大学大学院に入りたいのなら話は別ですが、そんなことに価値を置く人など、いまどき誰もいません。

研究にはひらめきと冒険心とタフな肉体と何でも吸収できる柔軟な頭脳及び精神が必要です。この5つが5つとも備わっているのは、若いときだけです。経験を保守的に利用するようになったら、研究者としての寿命は尽きたと言ってもいいでしょう。いつ寿命が尽きるかは、人それぞれです。だから、一刻も早く研究者としての実力を養い、第一線で活躍できる時間を少しでも長くしたほうがいいのです。

S大学なら、一流の研究者としての基礎教育を確実に受けることができます。今年1年かけてI大学に入り直し、また同じような基礎教育を受けるのは、時間の無駄に思えてなりません。

このような話をKさんにしました。でも、Kさんは仮面浪人するんだろうなあ…。