夢と疲れ

6月24日(金)

今のレベルから2つ上のレベルに進級したい学生たちのジャンプテストの監督をしました。ジャンプテストを受けるには、まず、現レベルで相当いい成績を挙げて、担任の先生から許可をもらわなければなりません。そして、現レベルと1つ上のレベルの勉強を並行して進めて、期末テスト後にジャンプテストを受けるのです。2つのレベルの勉強を一緒にしていくのは容易なことではなく、この時点であきらめる学生も少なからずいます。

実際にジャンプテストを受ける学生は、そういう試練に耐えてきたつわものたちですから、かなり優秀です。私のクラスから受けたCさんとGさんも、頭がいいことに加えて、努力を惜しみません。でも、その2人をもってしても、テスト中は表情をゆがめていましたから、かなり難しかったのでしょう。

ジャンプテストと同時に、昨日の期末テストを欠席した学生の追試も行いました。ジャンプテストを受ける予定の学生は全員来ましたが、追試の学生は…。期末テストを受けても進級は無理だろうということでサボった学生が多いのでしょう。

ジャンプテストの学生は留学に夢を描き、高い目標を掲げています。追試の学生は、留学生活に疲れてしまい、もはや夢も高い目標も消え失せてしまっているのかもしれません。私のクラスのPさんは、昨日の朝、今の成績では進級は無理なので、もう一度同じレベルをするというメールを送ってきました。無理に進級しないというのは賢明な判断ですが、現時点での自分の実力や弱点を把握しておかなかったら、次の学期で何をどうがんばればいいかわからないじゃありませんか。

テストの結果は、来週半ば過ぎにまとまります。ジャンプテストに臨んだ学生たちにうれしい知らせが届くことを祈るばかりです。

お守りが床に

6月23日(木)

期末テストの試験監督に入った中級のクラスにHさんがいました。Hさんは、クラスで受け持ったことはありませんが、受験講座などで接点があり、まんざら知らない学生ではありません。そのHさん、リュックを机の横のフックに引っ掛けていましたが、そのファスナーにぶら下がっているお守りが床についてしまっていました。きっと学業成就のお守りなんでしょうが、これじゃあ御利益ゼロどころかマイナスかもしれないよって思いました。テスト中なのでみだりに声をかけるわけにもいかず、Hさんの机のそばを通るたびにイライラひやひやしながら、試験監督を続けました。

Hさんなら、お守りの意味は十分理解しているはずです。でも、そのお守りが床を引きずるようなリュックの置き方をしても、何も感じていないのでしょう。ほとんどの学生が日本文化を知りたいと言うし、自ら進んで勉強している学生も多いです。しかし、そうして得ている知識は、表面的なものが大半なのだと思います。あるいは、断片的な知識が有機的につながっていないのです。お守りは神仏の分身であり、床には大事なものを直接置かないという日本文化が結び付けられていれば、お守りが付いているファスナーのポケットにお守りをしまうとかってできるはずです。

私たちも、そうしたことをおろそかにしてきたことは否めません。通り一遍の文化紹介ではなく、もう一段深いところまで踏み込み、その背景に触れ、それを学生自身の生活に溶け込ませるような、紹介よりは体験に近いことをさせていきたいです。

テストが終わったらHさんに注意しようと思っていましたが、他の学生にかかわっているうちに、Hさんの姿は消えていました。今度会うのは来学期になってからでしょうが、何かの折に是非注意しましょう。

答案を作る

6月22日(水)

受験講座物理は、EJU対策は一応卒業として、大学独自試験対策を始めました。大学独自試験では、答案を書くことが要求されます。過程はともかく強引にでも答えにたどり着ければそれでいいというEJUとは、かなり違ったセンスが必要です。相手が留学生ですから、答案の日本語での説明が多少不十分でも大目に見てもらえるかもしれませんが、式の羅列だけでは減点は免れないでしょう。

といっても、初回ですから、あまりハードなことはしませんでした。基本的な公式を使えば答えが導き出せる問題で、答案の構成要素や書き方の骨格を勉強しました。国でも答案を書いてきたという学生もいれば、答えさえ書けばよかったという学生もいて、答えだけ派は、やはり戸惑いの度合いが大きいようでした。

答えに至るまでの過程を詳述することは、自分の頭の中を書き表すことです。これは、進学してから、レポートを書くにも、研究計画を立てるにも、論文を作成するにも、一人前の研究者へと成長していくのに必須の素養です。数式を並べ立ててそれでOKとしていては、いずれ自分の思考の足跡を追うことすらできなくなります。

「数学も答案を書かなければなりませんか」と、答えだけ派最右翼のCさん。「マークシートの数学の試験をするような大学に進学しても、いい研究なんかできっこありません」と返しましたが、ちょっと言い過ぎだったかな。Cさんはうなだれてしまいました。でも、Cさんの志望校は、独自試験があります。

来学期の受験講座は、こんなことをやっていきます。答案を書く訓練をしていれば、EJUの問題を解く力もついていきます。6月が終わったからって、ほっとしている暇なんかありません。

剣が峰

6月21日(火)

昨日、Wさんが来学期の授業料を払いに来ました。今学期のWさんは5月の出席率が足を引っ張って、来学期の授業料を受け取る基準の出席率に達していません。そういう学生は、事務所から担任教師のところに回され、少なくとも担任教師の説教を受けてから、再度事務所で授業料支払いの手続をします。

私のところに回されてきたWさんに質問しました。「どうして授業料を受け取ってもらえなかったと思いますか」「出席率が悪いですから」「どうして出席率が悪いんですか」「時々休みましたから」「時々? よく休んだから、授業料を受け取ってもらえないほど出席率が悪くなったんじゃないの?」「はい…」「じゃあ、どうして学校を休むんですか」「朝、遅く起きますから」「遅く起きる? どうして遅く起きるんですか。早く起きないんですか」「…」「どうすれば早く起きられるようになると思いますか」「…」「そこんとこがわからないんじゃ、次の学期も、その次の学期も、卒業するまでずっと、遅刻や欠席が多いままだよね。このままでは、KCPで勉強を続けてもらうわけにはいきませんね」

こうして文字化すると、我ながら陰湿な責め方ですね。でも、出席率低下の本質的原因をつかんでいないと、改善のための手も打てません。ということは、いつまでたっても出席率は上がらないということです。そんな学生をたくさん抱えることは、この学校の信用問題にもかかわります。また、ここでしつけておかねば、Wさん自身、進学してから困るはずです。

日本語学校は、日本留学のゲートウェイであり、ゲートキーパーでもあります。大学を始めとする高等教育機関での学問に滑らかに移行できるよう準備をする機関であるのと同時に、日本の高等教育機関で学ぶにふさわしくない学生に進路変更を促す場でもあります。Wさんは、今、その境目に立っているのです。

撃沈からの復活

6月20日(月)

昨日のEJUは、あちこちで爆発したり沈没したりしたようで、Sさんなどはすっかり気落ちしていました。「あなたが難しいと思った問題は、ほかの学生も難しかったんだよ」と言ってやっても、慰めにもならないようです。試験が終わった直後は、受けた傷がまだ生々しく、気分転換する余裕もないのでしょう。若いということは、一直線に進む勢いは鋭く強いものがありますが、つまずくと再起不能なまでのダメージを受けるものでもあります。

全体を俯瞰する眼があれば、自分の失敗が冷静に評価できます。でも、Sさんを始め、受験戦争の最前線で機関銃を連射し続けている戦士には、自分の目の前の敵しか見えないものです。目の前の敵すらとらえられずに、恐怖感から撃ちまくっているだけかもしれません。そういう戦士にうろたえるなと一喝するのが、我々教師の役割なのです。今週も期末テスト前日まで受験講座がありますが、そういう授業をしていくつもりです。

Sさんの場合は、受験勉強が上滑りだった面もあります。話をよく聞くと、問題文の読解が不十分で、理科や数学の問題ができなかったところもあったようです。日本語の授業の意義を軽く考えていたツケが回ってきたようにも思えます。いくら注意しても、毎年こういう学生が何人かは出てくるんですよね。

痛い目にあって日本語をきちんと振り返った学生は、11月に挽回しています。中には、さらに日本語をおろそかにして、基礎科目にのめり込もうとする学生がいます。そういう学生は、11月も残念な結果になります。KさんやPさんは卒業まで目が覚めず、Dさんは2年目にようやく目が覚め、…。今までの卒業生の顔が次々と思い浮かびます。Sさんやそれと同じような立場の学生たちの目をどうやって覚ましていくか、今年もこれから受験指導の山場を迎えようとしています。

前日

6月18日(土)

明日は、EJU。今年の最高気温を記録した今日ほどではないにせよ、明日も晴れてけっこう暑くなると、天気予報で言っています。雨に降られて、電車が遅れて、ひやひやさせられて…なんていうのよりはましかな。

EJUは11月にもあるとはいえ、秋口ぐらいまでに入試のある大学は、明日のEJUが勝負の場です。EJUは初めてという学生も、練習などと悠長なことは言っていられません。全知全能を傾けて、高得点を取りにいかねばなりません。学生たちは、日本留学を決意するに当たって重い決断を下しているでしょうが、今までの努力の成果が試される試験を目の前にするプレッシャーは、また別の苦味があると思います。

入試は、努力が必ず報われるとは限らないところに辛いものがあります。逆に、いい加減にやっていても、結果オーライってこともあります。でも、最初から僥倖を狙っている学生に、いい目は出ません。「勝つやつが強い」ように見えても、「強いやつが勝つ」のが入試です。今日の受験講座・EJU日本語では、最後まできちんと出席した学生たちに、ちょっとだけ運を呼び寄せるコツ、力が発揮できるおまじないを教えました。すでに十分強くなっているはずの学生たちのお尻を、もうちょっと押し上げてやったつもりです。

午後は、新学期の受験講座の準備をしました。来週からは、早速11月のEJUに向けて、各大学の独自試験に向けての授業をしていきます。そして、7月早々には、また多くの新入生を迎えます…。

ただいま旅行中

6月17日(金)

最近ずっと欠席が続いていたRさんとようやく連絡が取れました。国から家族が来たので、日本国内を旅行している最中で、今は東京にいないそうです。風邪をひいて調子が悪いという話はだいぶ前に聞いていましたが、旅行中とは全く知らされていませんでした。私に知られたら止められるだろうから、学校には一切断りを入れずに旅行に出て行ったに違いありません。

どこをどう旅行しているのか知りませんが、家族水入らずで、さぞかし楽しいことでしょう。日本語がわからないご両親に通訳してあげて、親孝行もたっぷりできたことと思います。親御さんも、頼りがいのある存在に成長したRさんをご覧になり、目を細めているに違いありません。

でも、Rさんは今学期の進級はすでに絶望的であり、最近の派手な休みようで出席率もがたがたで、ビザの更新も危うくなってきました。そういう犠牲の上に立った家族旅行なのです。親御さんは、こういうことはきっとご存じないのでしょう。ご存知だったら、子どもに学校をサボらせてまで、日本を回ろうとするでしょうか。自分たちのわがままが、子どもの将来を狭くしているのです。

さらに考えると、RさんのKCPでの学費を払っているのはご両親ですから、ご両親はご自身の投資を無駄なものにしかねないことをなさっているのです。その辺どうお考えなのか、お会いして伺ってみたいところです。今までにも親が来たとか兄弟が来たとか言って休む学生はいましたが、Rさんほど派手に休んだ学生は初めてです。遊びに走ってしまった学生を正道に戻す最後の砦が両親からの説得でしたが、Rさんの場合は家族ぐるみで遊びに走っていますから、手の施しようがありません。

Rさんは期末テストまで休むそうです。なのに、日本で進学したいと言っています。どうぞご勝手に。私は手助けするつもりはありませんが。

大学をほめる

6月16日(木)

先生、志望理由書でどのくらい大学をほめますか――受験講座の教室に入ると、いきなりSさんに尋ねられました。Sさんも、W大学への出願準備を進めている最中です。

どこの大学の先生でも、志望理由書の中で志願者に自分の大学をほめてもらっても、あまりうれしくないでしょう。特に、ホームページやパンフレットなどから引っ張ってきた文言だったら、下手をすると、それは志望理由書を読んでいる先生が書いたものかもしれません。自分の書いた文を読ませられても、その志願者に対する評価を高める気は起きないでしょう。

志望理由書を読む先生が本当に知りたいのは、志願者が自分の言葉で語った夢です。その夢の実現のために、自分たちはどんな形で力を貸せるだろうかと考えるのが、教育者としての面白みじゃないのかなあ。だから、読み手にそういう喜びを感じさせるような内容が書かれていれば、その志望理由書の先に合格が見えてきます。

読み手が喜びを感じても、みんなと同じことを書いたら、意味がありません。他の志願者が書けないことをどれだけたくさん書けるかが、勝敗の分かれ目です。それが、オリジナリティーです。また、出願に先立って自分の将来と正面から向き合うことに、大学での学びの出発点があるのだとも思います。

そういうことをSさんに言うと、Sさんはがっくりと肩を落としていました。Sさんの志望理由書を読んだわけではあありませんが、中身はだいたい見当がつきました。日曜日のEJUが終わったら、全面的に書き直しですね。ここで志望理由書の骨組みをがっちり作っておくことは、他大学への出願や面接試験対策においても有意義です。

来週の木曜日は期末テストです。その頃、Sさんのパワーアップした志望理由書が見られることでしょう。

ねぼった

6月15日(水)

「先生、Sさんったら、今学校へ来て、ねぼったって言うんですよ」と、前半の授業を終えて職員室に戻ってきたF先生が嘆いていました。Sさんは寝坊したと言いたかったのですが、「ねぼう」を名詞ではなく1グループの動詞だと勘違いし、“買う⇒買った”と同様にた形を作ってしまったのでしょう。

漢字で“寝坊”と記憶されていれば、おかしげなた形を発明することもなかったのですが、読み方の“ねぼう”だけが一人歩きしてしまったため、上述のような悲劇が起きたと考えられます。また、Sさんができる部類の学生だったことも災いしてしまいました。なまじ応用力があったため、ねぼってしまったのです。これが単語レベルのコミュニケーションしかできないJさんだったら、ぶっきらぼうに「ねぼう」と言ったでしょうから、かえって意思疎通が図れたと思います。

これで思い出したのが、私が日本語教師を始めたばかりの頃に教えたMさんです。意向形の作り方を教えたら、しばらく黙り込んでいました。そしておもむろに、「先生、『ごります』は何ですか」と、真剣な顔で聞いてくるではありませんか。もちろん、「ごります」なんて初めて聞く言葉です。内心の動揺を抑えつつ、「どこで聞きましたか、見ましたか」と聞くと、「イトーヨーカドー」という答えと同時に、「ゴリヨー、ゴリヨー」とだみ声で魚売り場かどっかのおじさんのまねを始めました。

「食べます⇒食べよう」という説明を聞いて、よく耳にするけど意味がわからない「ゴリヨー」はこれだと思い、「X⇒ごりよう」という変換方程式から「X=ごります」という解を得て、私に質問したわけです。この変換方程式を解くために、しばらく黙り込んでいたという次第だったのです。

確かにMさんは勘違いしていましたが、私には頭脳の明晰さが印象に残りました。Sさんの間違い方にもMさんの勘違いに通じるものがあります。Sさんの作文には読んでいて引き込まれるような飛躍があります。「ねぼった」と聞いて、Sさんの今後が楽しみになってきました。

同じ地平

6月14日(火)

五行歌を知っていますか。俳句や短歌ほど厳しい縛りはなく、見たもの、聞いたもの、感じたことなどを五行の詩にしたものです。S先生がこの五行歌の創始者の草壁焔太氏と親しく、今までにも五行歌を取り入れた授業が行われたことがありました。今学期は上級の選択授業に五行歌が登場し、このたびゲストとしてお誘いを受けたのです。授業は、いわば句会のようなもので、参加するからには作品を提出しなければなりません。先週苦吟して作品をS先生に送り、いよいよ本番を迎えたわけです。

教室に入ると、見慣れた顔が7割ぐらい。おかげでほっとしたと言いたいところですが、この期に及んで、急に、こいつらに負けたくないと思い始めました。でも、作品を読むと、どこかに私の心をつかむフレーズがあり、あっさり兜を脱いで、作品を楽しむことに徹しました。

授業は自分以外の人の作品に点をつけ、各人がその作品を選んだ理由を述べ、最後に作者がその作成意図を語る形で進められました。4月からすでに2か月こういう合評会を続けているとはいえ、学生たちが堂々と論理的に、合理的に、時に情熱を込めて作品を評する姿に驚かされました。聞いていてひたすら感心するばかりでした。作者の作成意図を聞くと、その深さにさらにうなりをあげました。私の考えなど遠く及ばず、すでに兜を脱いでいますから、頭を丸めねばならないほどでした。

学生たちが他の学生の歌を熱く評する姿にも、自分の歌を語る口っぷりにも、私が今まで見たことのない学生の一面がうかがえて、非常に新鮮でした。これは、一つには、合評会においては学生も私も同じ地平にいたからだと思います。上から目線ではなく、むしろ学生を見上げていたからこそ、見えなかった点が見え、学生の考えが直に伝わり、それが新鮮に感じられたのです。

とても清々しい気持ちで、午後の授業に向かうことができました。