寝坊

11月9日(月)

昨日のEJUの話を聞くと苦笑いをする学生が多く、あまり期待しないほうがよさそうです。苦笑いした学生は曲がりなりにも出てきていますから許せますが、休んでしまった学生も結構いました。こいつらは、ちょっと感心しませんね。去年あたりは、一生懸命頑張った自分へのご褒美なんて抜かした学生もいましたが、受験はこれからなんですから、ご褒美は早すぎます。

何かと理由をつけては気を緩めたくなる気持ちは理解できますが、ここで緩めてしまうと、引き締めるのが難しくなります。大きな試験が終わったんだからっていう気持ちが強くなると、1日だけのつもりが、もう1日、もう1日と気の緩みを重ねてしまいがちです。スポーツの世界では1日練習を休むと取り戻すのに2日かかるとよく言われますが、勉強でも全く同じです。

受けて気を緩めるならともかく、受ける前から気が緩んでいて昨日寝坊して受けなかったという剛の者もいます。ここまで来ると、言うべきことばもありません。それでも日本で進学したいと言われると、担当教師はEJUなしで受験できる大学を探します。いろいろと段取りを整えてやっても、そういう学生は、えてして、その教師の努力を無にするものです。今年はどうなのでしょう。

さらに、おととい受験日だったA大学の二次試験を、これまた寝坊で受けなかったという学生もいました。自分でつかんだチャンスをみすみすどぶに捨てるようなまねを、どうしてこうも気楽にしてしまうんでしょう。ほかの大学も受けるからどうにかなると思っているのでしょうが、チャンスを生かそうとしない人間に対しては、世の中そんなに甘くはありませんよ。

そんながっかりさせられるような学生どももいれば、出願準備に余念のない学生もいます。そういう学生にこそ、光が当たってほしいと、切に願っています。

捨てる

11月7日(土)

Pさんは明日のEJUで350点を狙っています。Pさんの実力なら不可能な成績ではありません。でも、Pさんは不安でたまらず、EJU対策講座に出てきた顔は、心なしか白く見えました。もう、この期に及んで勉強によって点数を引き上げることは不可能です。だから、Pさんの不安を少しでも和らげられるように、ちょっとした秘策を授けました。

それは、「捨てる」ことです。最近のEJU日本語は、最高点が370点前後です。350点を狙うPさんは、ノーミスである必要はありません。うまくすると、ミス3つぐらいまでなら350点を超えられます。そうなんです。3つ間違えられます。わからない問題は捨てられるのです。何が何でも解かなければならないってわけじゃありません。もちろん、全部で52問ぐらいの中で、捨てられるのはせいぜい3問ですから、多くはありません。でも、切り札を手にしていることは確かです。この切り札を上手に使えば、志望校をたぐり寄せることができます。

こんなふうに、“ここまでなら失敗できる”って考えるようになったのは、研究の仕事をしていた時です。目標収率90%という数字はかなり高く思えたのですが、10%もロスできると考え直したら、すぐにも手が届きそうな目標に見えてきたのです。実際には、90%は結構歯ごたえがあったんですけどね。

日本語教育能力検定試験だって、私が受験した頃は合格率が5~6人に1人でしたが、とりあえず自分の周りの4人か5人に勝てばいいと思い、その4人か5人を探してるうちに、受かってしまいました。

明日の本番に関しては、もう私には祈ることしかできません。帰り際に見せてくれたPさんの笑顔を信じましょう。

1分差

11月6日(金)

Yさんが久しぶりに登校しました。第一志望の大学への出願が1分差で間に合わなかったためにショックで落ち込んでいたというのがもっぱらの噂でした。電子出願のため、1分差でも冷たくシャットアウトされたのです。先週はその大学への志望理由書を何度も書いては私に添削を求めていました。真っ赤に添削された原稿を入力しているうちに遅くなってしまったのかもしれません。

でも、私はあまり気の毒だとは思っていません。Yさんは初級の頃から自分勝手なところがあり、無理が通れば道理引っ込むを地で行くような学生でした。そのYさんが頭を下げて志望理由書の添削を依頼してきたのですから、今までの行いを少しは悔い改めたのかと思い、手を貸したのです。当然、余裕で間に合うタイミングで原稿を返しました。にもかかわらずアウトになったのですから、同情の余地はありません。

1分差でダメというのは国際標準ですから、Yさんが大人になっても変わりません。むしろ、100分の1秒とか1万分の1秒とかを争う激烈な競争に晒されることすら出てくるでしょう。だから、若いうちに志望校に出願できなかったぐらいの痛みを味わっておいたほうがいいのです。仕事には納期があり、先んずれば人を制すというのが今の世の常識です。

これを薬に、無理が通れば…をやめてくれればいいのですが、それは淡い願いだったようです。出てきたものの、教室に存在していただけで、やる気は感じられませんでした。負のオーラを発散しまくり、クラスの雰囲気を悪くしかねず、それを防ぐのに気を使いました。こちらから慰めの言葉をかけてもらえると思っていたのでしょうか。慰められるなんてYさんのプライドが許さないから、バリアを張っていたのかもしれません。

あさってはYさんもEJUを受けます。まさか、試験に遅刻はしないでしょうね。

通う価値のある学校

11月5日(木)

授業後、職員室に向かう途中、階段でFさんに会いました。最近、受験講座で顔を合わせることもなく、また、噂によると家に引きこもっているとのことでした。「よう、久しぶり」なんて声を掛けたら、ちょっと決まり悪そうに頭を下げました。

Fさんの引きこもりは、言うまでもなくEJU対策です。6月の試験で納得がいかなかったFさんにとって、今度の日曜日のEJUはのるかそるかの大勝負です。だから、おちおち学校へなんか行ってられないっていうわけで、家でシコシコと勉強に励んでいるのです。ことにFさんは理系ですから、ほぼすべての大学で理科2科目と数学の成績のチェックを受けるので、プレッシャーもひとしおです。

それはわかるんですが、引きこもって成功する確率って、学生が思うほど高くないんですよね。もちろん、成功した学生もいますが、私たち教師の脳裏には、失敗した学生の顔のほうが多く浮かんできます。こういうのって厳密に統計が取れませんから、定量的な説得力のある話ができません。だから、教師は自分の頭にある失敗例などを引き合いに出して「出てこい」と叱りつけますが、学生は話半分で教師の言葉を聞き流します。

周りが見えなくなっている学生に鳥瞰図を見せて自分の位置をはっきり示してやるのが教師の仕事ですが、これがなかなか難しいのです。学生と教師の間に真の信頼関係が醸成されていないと、学生はこの期に及んで話を聞いてはくれません。Fさんとはそういう関係が築けていたと思っていたのですが、私の勘違いだったようです。

ラッシュの混雑を乗り越えてでも通う価値のある学校――今年もまた、ここまでたどり着けなかったようです。

答えられない

11月4日(水)

今週末に入試を控えるSさんの面接練習をしました。準備してきた質問に対してはすらすら答えられるものの、想定外の質問にはしどろもどろになるという、中級あたりの学生によくあるパターンでした。

大学と学部の志望理由、卒業後の計画はきちんと答えられます。しかし、将来やりたい仕事をするために大学で何を勉強しなければならないかという質問に対しては、何かしゃべっているものの、それが答えになっていません。それじゃダメだと指摘しても、ビジネスに必要な知識などという抽象論の域を出ない答えしか返ってきません。

要するに、その大学への憧れがきちんとした形にまで成熟しておらず、漠然とした精神論に留まっているのです。これでは合格が覚束ないので、Sさんに考えてもらおうと、考える上での補助線を引いてやるのですが、Sさんにはその補助線が見えていません。Sさんは「先生ならどう答えますか」と、私に模範解答を求めます。もちろん、私の頭の中にはSさんの考えを忖度した答えがあります。でも、それを教えてしまっては、Sさんはそれを暗記するだけでしょう。そして、暗記すると、本番で緊張したら忘れるものです。忘れた時、頭が真っ白になるっていうのが、暗記の特徴です。

受験日までもうちょっと時間がありますから、現時点ではコテンパンにやっつけて、立ち直るのに必要な支柱を立ててあげたところまでにしておきました。支柱を力に立ち上がるかどうかはSさん次第です。ここで立ち上がれないようだったら、頭の中がまだ大学入試のモードになっていない、自分の将来に本気で向き合っていないのです。冷たい言い方ですが、大学に入るにはまだ早いっていうことです。そんないい加減な考えで大学に受かったところで、進学後いい勉強ができるはずがありません。1年か2年で大学をやめることになったら、時間とお金の無駄遣いですから、むしろ落ちたほうがいいです。さて、Sさんはどうするでしょうか。

正直すぎる

11月2日(月)

Yさんはもうすぐ面接試験を控えています。出願の時に志望理由書でさんざん苦労しましたが、面接の受け答えでも苦労を重ねそうな雰囲気です。

一つには、Yさんは非常に正直だということがあります。「日本と国とで何か違ったことがありますか」という質問に対して、堂々と「何もありません」と答えてしまいます。Yさんが普通に暮らしていく上では、国と日本とで違いは感じないのかもしれません。しかし、それじゃあ話の接ぎ穂がないじゃありませんか。あるいは、感度が低すぎると思われるかもしれません。何か違いがあるからこそ、留学する意義があるのであり、それがなかったら、極端な話、わざわざ留学する必要なんかないだろうってことにもなりかねません。

もう一つは、すぐ自分の世界に入り込んでしまう点です。自分の世界を持っていることは学問をする上で不可欠ですが、不意にその中に入ってしまうと周りはそれについて行けなくなってしまいます。面接でこれをやると、面接官はいいイメージを抱かないでしょう。

Yさんは学力はありますから、日本人のようなペーパーテストだけの入試なら合格する可能性はかなり高いです。しかし、面接試験があるとなると、よほど好意的な面接官でない限り、Yさんのよさに気付いてくれないでしょう。潜在能力が顕在化される以前に、切り捨てられてしまうパターンです。

でも、不思議ですね。面接ってペーパーテストでは計れない受験生の美質を見出すために行われるようになったはずなのに、面接でその美質を表に出す訓練をしていないといい物を持っている受験生が落とされてしまうんですね。入試って、難しいですね。

私にぼろかすに言われたYさんは、明日の休みにもう一度考え直しますと言って帰りました。さて、休み明けにどんな答えを考えてくるでしょう。

小説を読む

10月30日(金)

金曜日の選択授業、私の担当は「小説を読む」です。ただ読むだけでは受け身すぎるので、何だかんだと理由をつけては書かせています。最上級クラスですから、文章力のある学生の作品を読んでいると、彼らにとって外国語で書いているのだということを忘れてしまいそうになります。

思うに、そういう学生は国にいたときから文章を書くのが好きで、実際に書いていたのでしょう。同時に、質の高い文章をたくさん読んできているとも思います。文章の構成、論の進め方が理にかなっています。読み手の引き付け方が、おそらくは自然に、身に付いています。

学問をして大成するのは、こんな人たちだと思います。文章を書いたり読んだりするということは、説得したりされたり、反論されたりしたりということであり、まさに学問の基礎です。本人の意識はともかく、頭脳はそういう訓練をして満を持して留学に来ているのです。これからも今までのペースで努力を続ければ、成功は向こうから転がり込んできます。そして、それは、おそらく、彼らにとってそんなに難しいことではないはずです。

そういう学生たちの唯一の弱点は、使うことばのレベルです。やっぱり、どうしても易しい言葉を使いまわしがちで、表現の深みが今一歩です。そういう点を学生たちに示し、意味が通じるプラスアルファの要素があることを伝えました。今学期いっぱい、この学生たちの成長を見守っていきたいです。成長を実感したいです。

聞き取れない

10月29日(木)

今週末に入試を控えた学生2名の面接練習をしました。中級の学生でしたが、発音が悪いのに驚かされました。留学生の日本語ならほとんどわかってしまう私ですら聞き取れなかったのですから、相当なレベルです。

Wさんは母音の発音がまずく、オ列とウ列の区別が付きにくいです。特に拗音がひどいです。「日本語がジューズになりたい」なんて言ってるうちは、金輪際上手になれませんよ。

Bさんは口をあまり動かさないでもぞもぞ話しますから、これまた聞き取りにくいことこの上ありません。そんなわけで、ついつい口元に目が行ってしまうのですが、Bさんはあごの骨が小さいので、口を大きく開けられないのではないかと思えてきました。

KCPは初級から発音に力を入れていますが、この2人は発音練習をいい加減に済ませてきたんでしょうね。毎週1回ぐらいのペースである発音チェックも、とりあえずこなすって感じだったのでしょう。だから、チェックした先生からのコメントも、頭に全く残らなかったんじゃないかな。

教師のほうも、忙しさにかまけてか、この2人のフォローを十分にしてこなかったのかもしれません。「また今度」「誰かがしてくれるだろう」が積み重なって、ここに至ってしまったことも考えられます。いずれにしても、ここまで来てしまったら発音矯正は半端な手間ではありません。

私が初級クラスに入るときは、コーラスをさせても耳を澄ませて変な発音を拾おうとしています。学生にはくどいって思われてるでしょうけど、おかしな発音だったらコーラスしなおさせます。口を動かしていない学生は、指名して一人で言わせます。それは、WさんやBさんのような例を未然に防ぐためですが、残念ながら防ぎきれているとは言えません。

WさんとBさんには、今週末の入試まで時間がありませんが、残された時間で必死に発音練習して、少しでも聞き取りやすい発音を身に付けて本番に臨んでもらいたいです。

どこで勉強?

10月28日(水)

Sさんが飛ばしています。先学期、初級クラスで受け持った学生ですが、文法と作文の成績が不合格でしたから、進級させませんでした。そのSさん、傍若無人の振る舞いが見られると、今学期の先生がおっしゃっていました。

Sさんは大学進学を目指していて、毎日塾に通っています。勉強熱心なのはいいのですが、塾が生活の中心になり、学校の勉強にまじめに取り組もうとしません。どんなに注意しても、EJUの問題を解く受験のテクニックを覚えることに一生懸命で、日本語を基礎からきちんと身に付けていこうとはしません。KCPはビザをもらうための隠れ蓑で、KCPで勉強する気はないのです。

塾とKCPとでは求めているものが違い、SさんにとってはKCPの勉強は生ぬるく、塾の勉強こそ自分の目標に合致しているのでしょう。そう思うのはSさんの勝手であり、塾で留学ビザが取れるなら、SさんはKCPに入学することなく塾で勉強したに違いありません。そういうことをしたい学生は、Sさんだけに留まるとは思えません。

日本の大学もなめられたものです。テクニックだけで入れるって思われちゃってるんですからね。実際、テクニックだけで入ったとしか思えない留学生がいるって、有名大学に進学したKCPの卒業生が言っています。そんなことをしているようじゃ、日本の大学の国際競争力は下がる一方でしょう。

今週、Sさんは第二志望校への出願を済ませました。第一志望校は来週です。どちらも留学生誰もが行きたいと思う大学です。Sさんが受かったら、KCPは、当然、合格者実績としてカウントすることでしょう。それを次の学生募集につなげていくことでしょう。でも、私の本心は、Sさんはカウントしたくないですね。

日本語はイマイチだけど

10月27日(火)

進学コース理科系のCさんは中級クラスですが、あまり中級っぽい話し方ではありません。内容のあることを話そうとしても、たどたどしさが最初に出てしまいます。単文を組み合わせて自分の考えを伝えようとしているので、日本語教師の私なら真意がある程度理解できても、入試の面接官が相手だったら、果たしてどうでしょう。

Cさんは、第一志望としてR大学を目指しています。R大学は難関校の一つですが、今までの合格者の傾向を見ると、日本語力の高さよりどれぐらい理科が好きかを見ているように思えます。2年前に入ったZさんも今のCさんと同じくらい日本語が下手でした。でも、理科の話になると目の色が変わり、表情が生き生きとし始め、そのつたない日本語に必死に耳を傾けると、実にしっかりしたことを言っているのです。その翌年のWさんも同様で、普段はどこかつかみどころがないのですが、自分の夢を語るときは、どことなく精悍な顔つきになりました。

Cさんは、残念ながら、今のところ、その先輩たちの域には達していません。私はCさんとの付き合いが長いですから、言いたいことがなんとなく響いてきます。「なんとなく」では、入試は通用しませんから、それが自然に出てくるように、そして、ZさんやWさんのように熱意がほとばしり出るような話ができるように、これから鍛えていかなければなりません。

もう一人、Dさんも理系志望の学生で、こちらはS大学の志望理由書で詰まっています。どこで仕入れたのか、妙に専門的な話をし始めています。ZさんやWさんのようなひたむきさよりも、自分を大きく見せたいのか、Dさんからは知識をひけらかそうとするにおいが感じられます。本当に専門的ならともかく、私程度の者でもひねりつぶせそうな知識ですから、面接官にちょっと意地悪されたらひとたまりもありません。それに、入学前に専門をキメ打ちすぎると、いい勉強ができません。何でも一旦は受け止めて味わって、その中から真に自分にあった分野を深めるってぐらいの気持ちが必要です。Dさんの理科を勉強したいという純粋な気持ちが表に出るように、志望理由書は全面的に書き直させました。

CさんやDさんの理科を愛する気持ちを伸ばしてくれる大学に進学させてあげたいです。